キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗

文字の大きさ
46 / 53
執着/愛着

しおりを挟む
 薬を口の中に放り込むと、水で飲み込んでふぅっと息をつく。
 すでにヒートの現象は治まっていた。薬のおかげもあってか、二日目にはいろいろなものが正常にもどった。
 色々、と思いながら悠人は苦々しく口元に笑みを浮かべた。
「飲んだぁ?」
「飲んだ」
 間延びした声がして振り返ると、でかける準備をした純一が立っていた。
 彼は白いシャツに黒いズボン。夏だから、と気分だけ派手にしてみたらしい柄物のシャツを羽織って居た。
 悠人は特にこだわりもないので、Tシャツにジーパン。仕事に行く時と同じような恰好で、半袖の薄いジャケットで姿見を整えていた。
 あれからずっと純一の部屋で過ごしていた。純一が言ったとおり、彼の匂いがある部屋にいることは悠人に取って他にないほどの落ち着ける場所だった。
 最初の時以来、純一は無理には悠人を抱いてはいなかった。もちろん悠人の方はまだ身体がすぐに熱を持つから、キスをしたらそれ以上をしたくなるほどだった。
 しかし無理はさせられないと言う純一の言葉通り、無理はしていない。軽く手で扱かれてしまって達してしまうとかはあったものの、だ。
 Ωの身体はヒートになれば受け入れる為の身体になる。だから無理もなにもなく、簡単に受け入れることはできる。
 だから身体に無理はかからないといえばかからない。純一の言う無理をさせないというのはおそらく悠人の精神的な面についてなのだと、このときになれば悠人も気づいていた。
「じゃあ、行こう」
 そう言って純一は先に部屋のエアコンや電気は消してあるか、と軽くぐるりとその場で回って点検すると、悠人の手を掴んで玄関へと向かう。

「店の目星は付いてるの?」
「一応。調べてみたから大丈夫」
 買い物に行くことになった。その目的は、一昨日、純一が言っていた香水を探すことだった。
 香水とあまり縁がなかった悠人はさっぱりわからないと首を傾げ、仕事で使うらしいタブレット端末で店を探しながら純一は任せろと言った。
 移動には純一の車を使うことにした。
 ソレはさすがに駐車場代がもったいないと声を上げたものの、公共交通機関を使うほうがイヤだと純一に言われてしまう。更にそれは悠人ものぞまないことだろうと言われればぐうの音も出ないで、結局は従うこととなった。
 だが確かに、純一の車で移動となれば何も心配することはない。他者の匂いも、他者への自分の匂いも。
 すでにヒートの現象は治まっているが、まだ少し不安だった。どんな匂いがするのかさっぱりわからない。
 考えてみれば、学生時代の友人は殆どβだったし、今でなお付き合いがある晴樹もβだ。同じΩという存在にあまりであったことがないのは、自分と同じく皆、Ωであることを必死に隠しているからだろう。
 田舎から都会に出て来たというタイプならば、いくらだって偽装できる。もちろん悠人のそのタイプであり、自分がΩだということを知っているのは学生時代も晴樹だけだった。
 だから知らず知らずのうちに居たのかもしれないが、腹を割って話せるような相手は居なかったし、ヒートでどうなるのかを聞いた事もない。
「どうかした?」
 助手席に乗り込み、シートベルトを手にしたところで固まっていた。
 純一の声にハッと我に返り、なんでもないと言いながらシートベルトを締めたものの、少しして今考えていたことを口にした。
 エンジンをかけ車をだしながら、純一は少し考えて悠人の方を見やった。駐車場から出る手前、一次停止したときに言った。
「じゃあこんど香瑠と話してみたら? アイツなら色々教えてくれんじゃないかなぁ」
「香瑠って……あの、お店やってる?」
「そそ。アイツも色々あったみたいだし」
 そう言いながら純一は車を道へと走らせ、目的地へと向かう為の運転を始めた。

「慎二と出会う前は色々大変だったらしいけど」
「大変って、どんな……」
 事と次第によっては、話すには少し難しい内容の可能性もある。
 顔を顰めて悠人は口にしたが、返ってきたのはあっけらかんとした純一の声だった。
「クズとばっか付き合ってたって、本人曰く」
 少し肩の力が抜けて悠人は助手席に深く沈んだ。
「まぁ、色々あって、逃げようとして、逃げられなくって、それでもなんとか逃げた先で慎二と出会った……らしいけど」
「だから、色々大変なんだ」
「そゆこと。ま、その色々大変の中には、もちろんΩだからっていう理由もあるから」
 それはそうだろうと悠人は思う。
 Ωであるということが知れれば、不利益なことしかない。利益など一切ない。むしろそれまで自分と親しくしていた人でさえも、一気に自分をゴミのように扱う可能性だってあるのだ。
 それらはどれも知識だけだ。そういう体験談をメディアで聞いたり、見ただけだ。
 だからこそ、悠人は必死に自分がΩである事を隠して生きてきた。
 それが自分の過去を知る人のいない、人の多い都会でならば、出来なくはないと思ったから。そして実際にある程度は出来た。

「そういえば、俺、純一に会社勤めしてたときの話、してないよな」
「聞いてない。でも、話したくないなら話さなくていいよ、何も」
 まっすぐ前を向いたまま純一は言った。横目でその姿を見て、悠人は首を振る。
「まぁ、確かに。言う必要はないか」
「言いたいことがあるなら、言っても良いよ。でも、無理して話す必要はないし、どうせ……辛いことでしょ? 悠人が言わないってことは、そういうことでしょ」
 その言葉に口元に笑みを浮かべた。
 何も言わずとも、思っている事を汲み取ることに長けていると思った。だがそれは悠人が相手だからこそ、だろうとは思う。そのぐらい自惚れても、純一にも呆れられはしないだろう。
「ところで、どこに向かうの?」
 気分を変えるように声を少し明るくして聞いてみた。
 純一は口角を上げると、赤信号で止まる為に車を減速させた。
「調香師のいるところ」
「ちょうこうし? 調香師って、香水作る人……だっけ?」
「そういう感じ。だから、お互いに近い匂い作ればいいじゃんって思って」
「お互いに?」
 車を停止させると、純一はハンドルを握っていた左手を悠人の頬に伸した。
 軽くふれ、指が頬を撫でる。少しだけ汗をかいた指先がしっとりと純一の体温を伝える。
「お互いに匂ってるモノに近い匂いってこと」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

この手に抱くぬくもりは

R
BL
幼い頃から孤独を強いられてきたルシアン。 子どもたちの笑顔、温かな手、そして寄り添う背中―― 彼にとって、初めての居場所だった。 過去の痛みを抱えながらも、彼は幸せを願い、小さな一歩を踏み出していく。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

処理中です...