物理重視の魔法使い

東赤月

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1. 出会い

異常事態

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 さて、そろそろか。
 枝の上で身を潜めていた俺は、頭の先から足元まで全身を覆う緑のローブの内側から通信魔法石を取り出す。

「そっちはどうだ?」

 通信に気づいた相手から、不自然に高い声で尋ねられる。俺が渡されたのは、通信の傍受を警戒し、声により特定されるのを避けるため、送信前に声を変える特殊な魔法石だった。俺の声もこう聞こえるのかと思うと、少し可笑しくなる。

「例の相手を確認した。今そっちに向かっている」
「了解した。こちらについては任せろ」
「あの鬼はなんて?」
「もういつでもいいとのことだ」

 それを聞いた俺は口だけで笑う。

「そうか。なら始めてもいいぞ。グリマール魔法学院の生徒がどれだけやれるか、お手並み拝見だ」
「分かっていると思うが、死なすなよ」
「愚問だな」

 通信が終わってすぐ、二人の男子生徒が近づいてくるのに気づいた。
 さて、あの魔物相手にどれだけやれるか、見せてもらおうか。


 ◇ ◇ ◇


 キャアアアア!

 逃げようとした猿の魔物の背中に光弾が当たる。魔物は最期に甲高く鳴いて、その姿を消滅させた。今のが最後の魔物であることを再度確認してから、私は手の先にある魔術式を霧散させる。

「何体かで群れる魔物とは聞いていたけど、あの数は一体……」

 私は疑念を独り言ちる。森に入ってからしばらく経ち、支給された携帯食料で栄養補給も済ませた頃、私が遭遇した群れは二十体以上の集団だった。結晶も残さない雑魚でも、一人で相手するのは骨が折れた。
 こんなとき誰かがいてくれたら。ふと湧き上がった考えを、頭を振って追い出す。
 いいじゃないか。敵を撃ち洩らすかもしれない味方と居るよりは、寧ろ一人の方が安心できる。あんな弱い魔物との戦いでも一人ならそこそこの訓練になるし、様々な状況に独力で対応する能力を養うこともできる。
 うん、私は間違ってない。私は小さく頷くと、森の奥へと足を進める。私が間違ってないことを証明するためにも、鹿の魔物が落とすという結晶は是が非でも手に入れたかった。早くその魔物が生息する場所まで行かないと……。

「…………!」

 足音だ。落ち着きのない、走っているような音が近づいてくる。それを聞いた私は立ち止まり、素早く、けれど静かに木の陰に体を隠す。
 魔物が潜むような場所では、可能な限り音を立てないようにするのが鉄則だ。こんな奥でこれだけの音を立てるということは……。
 私はゆっくりと、音のする方を窺った。

「はぁっ、はぁっ……」
「あんな、きいて……」

 現れたのは、昨日ユートや私に対して陰口を言っていた二人の男子だった。私は小さく息をつく。大方、あの二人じゃ敵わない魔物を前にして、尻尾を巻いて逃げてきたといったところだろう。
 とは言え、あの二人も弱いわけじゃない。つまりかなりの強敵がいたということだ。それを狩ることができれば……。

「あなたたち、魔物はどこにいるの?」
「うわっ!」
「って、シルファ、か。驚か、せるなよ……」

 二人は肩で息をしながら、恨めしそうにこちらを見る。

「質問に答えてくれないかしら? 魔物はどこ?」
「そ、そうだ! お前も逃げろ!」
「あんな魔物、いくらお前でも……」

 どうやら話は通じないらしい。私は小さくため息を吐いた。

「もういいわ。向こうから来てくれたみたいだし」

 奥にある木の陰から、鹿の魔物の頭が覗く。中々に立派な角が見えた。きっとあそこから結晶が採れるはずだ。ただこの二人が逃げるほどの実力は感じとれな――

「違う!」
「あいつじゃない!」
「えっ?」

 聞き返そうとした私の視界の隅で、鹿の魔物の頭が消滅していく。視線を元に戻すと、角の中から結晶が現れる。
 落下する結晶を、大きな顎が噛み砕いた。

「なっ……!」

 その顎の持ち主は、黒い巨躯と赤い眼をもった、熊のような魔物だった。あんな魔物、討伐対象にはいなかったはずだ。私は咄嗟に身を隠し、二人もそれに続く。

「通信魔法石は?」

 こういった不測の事態が発生した場合、即座に先生と連絡をとる必要がある。連絡はしたのかという意味の私の問いに、押し殺した悲鳴のような声が返ってきた。

「使ってるよ! でも繋がらないんだ!」
「ちくしょう、どうしてこんなことに……!」

 予想外の出来事が重なったせいか、二人はかなり混乱している。私も内心、少なからず動揺していた。
 通信魔法が繋がらない理由は、大きく分けて三つだ。一つ目は通信魔法の距離が届かない場合、二つ目は通信する相手との間に何らかの障害がある場合、そして三つ目は、相手側が通信魔法を使っていない場合だ。
 一つ目の理由はまず当てはまらない。まさか森の外にいる先生に何かが起きたとは考えにくいし、三つ目の理由も除外される。考えられるのは二つ目だろう。恐らく何かしら、魔法的な障害が発生してしまったんだ。
 他の生徒がいないような森の奥、助けも呼べない状況で現れた、ここにいるはずのない魔物。今まさに自分の身が危険に晒されている現実が突き付けられる。
 けれど、もしかしてこれはチャンスなんじゃないかしら?
 あの魔物の出現が予定と異なる展開だとしたら、あいつを倒すことには大きな意味がある。強大な魔物の討伐だけでなく、異常事態の収束への貢献もしたとなれば、私の評価も上がり、より難しい依頼にも挑戦できるようになるかもしれない。そうなれば……。
 魔物は顔を上げ、何度か鼻を鳴らすと、ゆっくりとこちらに向かってきた。このまま隠れ続けることはできなさそうだ。かといって逃げようとしても、姿を見せた瞬間に襲いかかってくるだろう。
 逃げられないのなら、今ここで戦うことは間違ってないはずだ。私は身を潜めた状態で、魔術式を形成しはじめる。

「お、おい、あれと戦う気か?」
「無茶だ! 普通の攻撃じゃまるで歯が立たない相手だぞ!?」
「なら逃げる? あの魔物、足は遅いのかしら?」
「…………いや」
「鹿の魔物の方に行ってなきゃ、俺たちも今頃……」

 鹿の魔物の末期まつごに自分達を重ねたのか、二人の声が震える。

「あなたたちは逃げなさい」
「ひ、一人でやるってのかよ!?」
「今のあなたたちの精神状態じゃ、魔法もろくに使えないでしょ。それに通信が繋がらない以上、誰かがこの状況を報告しに戻る必要があるわ」

 それに、と形成されつつある魔術式を二人に見せる。

「あの程度の魔物に、私は負けない」
「……すげぇ」
「お前、こんな大きな魔術式を……」

 二人が驚きの声を上げる。形成するのに時間がかかるこの魔術式は、授業での対人戦じゃ使えなかったから、二人が知らないのは当然だった。
 あの熊の魔物は確かに大きいけれど、猪の魔物に比べれば一回り小さい。魔術式を形成する時間も稼げた。これなら、やれる。
 私は自分の身長ほどの直径を持つ魔術式を構えながら、魔物の前に躍り出る。獲物を捉えた魔物は、ゴウ、と一鳴きすると突進してきた。
 残念だけど、獲物はあなたの方よ。

「突き進め、『アイス・ピラー』!」

 魔力を注がれた魔術式から、巨大な氷塊が発現する。突っ込んできた魔物はろくに回避もできず、私の魔法と衝突した。

「はあぁっ!」

 私はさらに魔力を込める。氷塊は木々を押し倒しながらさらに伸びていき、一際太い大樹にぶつかって止まった。

「ふう……」

 私は大きく深呼吸すると、魔術式を霧散させる。魔力の供給が絶たれた氷塊は、ゆっくりと空気に溶けていった。その先に、大樹にもたれかかるようにして倒れている魔物の姿が見えた。もう息絶えただろうと思っている内に、案の定、体が消滅しだした。私は笑みを浮かべる。

「や、やった!」
「あの魔物を倒すなんて……」

 良い気分でいた私の背後で、息を潜めていた二人が興奮したように騒ぎ出す。逃げろって言ったのに。万が一私がやられていたらどうするつもりだったんだろう。
 私は半ば呆れつつ、上半身だけで二人に振り向く。

「通信は繋がったの?」
「え? あ、いや……」
「まだ繋がらないみたいだな」
「なら一刻も早くあなたたちは戻りなさい。まだ異変は続いているのよ」
「……そうだな」
「お前はどうするんだ?」
「あの魔物の結晶を回収したら戻るわ。先に行って」

 私も流石に長居する気はなかった。これは明らかに何かが起こっているし、即時撤退するべきだろう。
 ただ結晶を放置していくと、他の魔物がそれを飲み込むなどすることで力を増し、今後の脅威となる可能性が残る。だからせめて結晶の回収だけはしたかった。それくらいなら問題ないだろう。

「で、でもよ……」
「お前一人じゃ……」

 言い淀む二人を睨みつける。

「まだ私の実力を疑ってるの? 今の戦いで分かったでしょ。私は一人でも平気なの。二人でも不安になるあなたたちとは違ってね。分かったらさっさと、二人だけで戻りなさい。早く!」
「うっ……」
「……分かったよ」

 二人は目を伏せたまま振り返ると、少しは回復したのか、森の中を駆けていく。私も二人とは反対の方向へ、結晶だけが残った大樹の根元へと駆けだした。
 まったく、余計な時間を使ってしまった。私を心配するようなことを言っていたけど、結局は自分達だけじゃ怖いということでしょうに。
 やっぱり私は、一人でいい。二人の情けない姿を思い出し、心の内で呟く。二人であれなら、一人になったらどうなるかなんて考えるまでもなかった。ああなるくらいなら、一人の方がよっぽどいい。心の中の言葉に、小さく頷く。
 結晶に近づくにつれ、その大きさが分かってくる。あの猪ほどじゃないけれど、かなりの大きさだった。私が一人で手に入れたものの中では間違いなく最大だろう。その確信を得た時だった。

「…………!」

 私の目の前で、大きな腕が結晶を掴んだ。息を呑む私の前で、腕の主が結晶を飲み込む。
 それは、さっきの魔物よりも大きい、額にも赤い目を持つ熊の魔物だった。
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