君の声が聞きたくて

第１０章 trill

２

　俺はどうにか空気を変えたくて、スマホに『桜木さんをフルなんて、あの人見る目ないね』と打ち込み、桜木さんに差し出した。
　桜木さんはそれを見るなり、少しだけ驚いたような顔をして、それからその厚い胸の中に俺を抱き込んだ。

　上向いた視界に静かに陰が落ち、微かな熱を含んだ風が頬を撫で、俺は静かに瞼を閉じた。


　まさか桜木さんの腹の虫に邪魔されるなんて、予想外だったけど……


　でもそれが逆に良かったのかな……、それまで俺達の間にあった空気はすっかり……とまではいかないまでも、少しは軽く和らいだ物に変わった。






　「こんな時間だし、弁当でも買って帰ろうか？」

　桜木さんの提案で、俺達は駅前のコンビニに寄り、それぞれ好きな弁当と、お預けだったビールを次々カゴの中に入れた。食後のデザートも、忘れずにしっかりカゴの中に入れた。

　その間も俺の笑いは止まることなく、桜木さんと目が合う度、桜木さんが口を尖らせる度、込み上げて来る笑いを必死で堪えた。

　そうしてコンビニを出た俺達は、当然のように俺のアパートに向かって歩き始めた。


　でもふと思ったんだ……


　桜木さんが俺の部屋に来るのは、今日を入れると三回目なのに、俺が桜木さんの部屋に行ったことは、ただの一度もない。


　それって狡くない？


　俺は歩を止めると、桜木さんの胸をツンと指で突っつき、「どうしたの？」と首を傾げる桜木さんの腕を引き、強引に方向転換をした。

　俺がどうしたいのか、そこで漸く気付いた桜木さんは、ちょっとだけ慌てた素振りを見せたけど、渋々……うん、かなり渋々ではあったけど、俺が桜木さんの部屋に行くことを了承してくれた。

　駅前のロータリーに停まっていたタクシーに乗り込み、行き先を告げた桜木さんと、ブリーフケースの下でこっそり手を繋ぐ。別に悪いことをしているわけでもないのに、心臓がバクバクと鳴って、自然と頬の筋肉が緩んだ。


　だって、和人とは高校を卒業してからすぐ一緒に暮らし始めたから、ホテルを利用することはあっても、恋人の家に行くってのは、初めてのことだったから……