86 / 337
第11章 pesante
5
しおりを挟む
その後も酒は進み、自分でも、流石にこれ以上はまずい、そう思って俺は松下を一人個室に残し、スマホだけを手にトイレに席を立った。
同じだけ……いや、俺より遥かに量を飲んでいる筈なのに、松下は平然とした顔をしているんだから大したもんだ。それに比べ俺は……
思った以上に酔っ払っているのか、足元に覚束無さを感じながらも何とか用を足し、松下の待つ個室へと戻ろうとした時だった。
「翔真?」
穏やかなクラシック音楽が流れる店内で、俺は聞き覚えのある声に呼び止められ、足を止めた。そして振り返った瞬間、俺は酷く後悔した。
振り返るんじゃなかった、と……
「や、やあ、奇遇……だね……」
勿論酔っていたせいもあるけど、それ以上に動揺してたんだと思う、俺の口から出たのは、とても間抜けな一言だった。
「珍しいじゃない、貴方がこんな店に来るなんて。一人?」
何かを探るような視線が、俺の背後に向けられる。
「いや……、友人と……」
「もしかして……、この間の彼? ほら、花火大会で一緒だったでしょ?」
「ち、違うよ。会社の同僚で……、前に話したことがあっただろ、同期の……」
嘘はついていないし、つく必要もない。
でも彼女の目は勘ぐるように細められ、俺と付き合っていた頃には見たこともない、真っ赤な口紅を塗った唇の端を僅かに上げた。
そして膝の上にかけていたナフキンを丸めてテーブルの端に置くと、連れの男性に「ちょっと失礼」とだけ言って席を立った。
どうするつもりだ……
訝る俺の腕に、口紅と同じ色の爪をした指が絡みついた。
「な、何のつもりだ?」
「ふふ、貴方のお友達なら、ご挨拶しないとね?」
「は、はあ?」
引き止める間もなく、彼女はピンヒールの踵をコツコツと鳴らし、俺の腕を引いた。
「ちょ……、ちょっと、困るって……」
「あら、どうして? ご挨拶するだけよ?」
俺を理由もなくフッておいて、この期に及んでどうして松下に挨拶なんて、一体何を考えている。
そもそも俺と彼女の間には、もう何の関係もない筈だ。
なのにどうして……
同じだけ……いや、俺より遥かに量を飲んでいる筈なのに、松下は平然とした顔をしているんだから大したもんだ。それに比べ俺は……
思った以上に酔っ払っているのか、足元に覚束無さを感じながらも何とか用を足し、松下の待つ個室へと戻ろうとした時だった。
「翔真?」
穏やかなクラシック音楽が流れる店内で、俺は聞き覚えのある声に呼び止められ、足を止めた。そして振り返った瞬間、俺は酷く後悔した。
振り返るんじゃなかった、と……
「や、やあ、奇遇……だね……」
勿論酔っていたせいもあるけど、それ以上に動揺してたんだと思う、俺の口から出たのは、とても間抜けな一言だった。
「珍しいじゃない、貴方がこんな店に来るなんて。一人?」
何かを探るような視線が、俺の背後に向けられる。
「いや……、友人と……」
「もしかして……、この間の彼? ほら、花火大会で一緒だったでしょ?」
「ち、違うよ。会社の同僚で……、前に話したことがあっただろ、同期の……」
嘘はついていないし、つく必要もない。
でも彼女の目は勘ぐるように細められ、俺と付き合っていた頃には見たこともない、真っ赤な口紅を塗った唇の端を僅かに上げた。
そして膝の上にかけていたナフキンを丸めてテーブルの端に置くと、連れの男性に「ちょっと失礼」とだけ言って席を立った。
どうするつもりだ……
訝る俺の腕に、口紅と同じ色の爪をした指が絡みついた。
「な、何のつもりだ?」
「ふふ、貴方のお友達なら、ご挨拶しないとね?」
「は、はあ?」
引き止める間もなく、彼女はピンヒールの踵をコツコツと鳴らし、俺の腕を引いた。
「ちょ……、ちょっと、困るって……」
「あら、どうして? ご挨拶するだけよ?」
俺を理由もなくフッておいて、この期に及んでどうして松下に挨拶なんて、一体何を考えている。
そもそも俺と彼女の間には、もう何の関係もない筈だ。
なのにどうして……
0
あなたにおすすめの小説
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
キミがいる
hosimure
BL
ボクは学校でイジメを受けていた。
何が原因でイジメられていたかなんて分からない。
けれどずっと続いているイジメ。
だけどボクには親友の彼がいた。
明るく、優しい彼がいたからこそ、ボクは学校へ行けた。
彼のことを心から信じていたけれど…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる