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伏織綾美

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……いや、まあどちらにせよ、こいつは「兎の人形」ではないと思う。 どう考えてもミイラだ。
 
 
「なあ、王母」
 
『………はあ?』
 
 
見え見えの狸寝入りをしている西王母に声を掛けると、アッサリと芝居を解いて面倒臭そうにこちらに目を向けた。
 
 
「これはなんでしょうか」
 
『兎、ね。 干からびてる』
 
「そいつは見りゃ解る」
 
 
俺が思うに、このミイラはまだ「生きてる」ようなのだ。 妙な話だが、僅かな生気を感じる。 夢見がちな言い回しをするなら、命の鼓動を感じる。
 
こいつをこのまま見なかったことにして、元の場所に戻すのも構わない。 だが呪われたりしてはかなわない。
 
 
『そうね、生きてるわ』
 
 
窓際からこちらにやって来て、西王母は兎をまじまじと見回してそう言った。 「放置してもいいけど、どうしようか」俺の質問に鼻で笑ってみせ、右手で俺をビンタしてきた。
 
平手が頬を打撃!というよりも空気の塊がぶつかってきたような、何とも不思議な痛みだった。
 
 
「はぅっ!? なんで!?」
 
『顔がムカついた』
 
「なんかいきなり理不尽ですね! 理不尽ですね!」
 
『黙れブタ野郎。 こいつを見てみろ』
 
 
跪く俺を傲岸に見下しながら、兎のほうへ顎をしゃくった。
 
 
兎をよく見る。 ただただ干からびてる。 カラッカラに乾いた皮膚は引きつれ、大きく開けた口は水を求めるように舌を突きだし、「寛一お宮」のお宮みたいに、片手を地面についてもう片方の手を――――前足を、明後日の方向に伸ばしている。
 
 
「妙に人間味あふれる兎かと思うが」
 
『いやいや、こいつを見てまず何を求めているように見えるんだ? ブタは実は知能が高いらしいから、解るだろ?』
 
「俺は人間です」
 
 
何をってあんた、どう見てもこの干からびようじゃ、求めるものは水しかなかろうと思う。
 
 
「水、か……」
 
 
俺は蔵の入り口の方に視線を向けた。 自分の通学鞄がそこに放置されていて、中には昼に買ったミネラルウォーターが入っているのだ。
 
モノは試しである。 立ち上がって鞄を持ってきた俺は、中からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
 
 
『ぐほー!おみず!おみず!』
 
 
それを見た子猫共がなぜか興奮して寄ってくるが、今はこいつらに振る舞う水ではない。
 
 
「あとでいっぱい飲ませてやるから、退いてくれ」
 
『死ね!』
 
 
地を這うようなデス声で、保食が言った。 『喉乾いた!』はいはいわかったわかった。
 
  
 
 
「待っててくれたらあとで猫じゃらしで遊んでやるから」
 
『マジか!』
 
『さすがコジローだね!ボクたちは1万年と二千年前からコジローのこと愛してる!』
 
「そりゃあどーも」
 
 
さて、俺はペットボトルの蓋を開けると、恐る恐る兎のミイラに近寄った。 まさか本当に日記に書いてあったブツに出会えるとも思わなかったし、それがまさかミイラだとも思わなかった。 こんなに不気味だとも。
 
 
間近で見ると更に不気味で、俺は努めてやっこさんの目玉の辺りから視線を逸らした。 なんか怖いんですもの。
 
 
えーっと、やはりペットボトルの口を、このかっ開いた兎の口に突っ込み、水を注ぐのか?
 
 
 
俺、二口くらい飲んだんだぞ。 兎のミイラと間接キスかよ……。
せめて河童とかなら、頭に水掛けるだけだから精神的にも楽なのに。
 
 
「……ええい」
 
 
ままよ、と一気にペットボトルを傾け、兎の口に挿入した。 まさに挿入。 勢い余ってぶち込みました。
 
 
水は重力のままに兎の体内に流れ込み、ペットボトルはすぐに空になる。 意外なことに身体から染み出したりもしない。 まさに吸収されたかのようだ。
 
 
いや、吸収した。
 
 
長年焦がれていた水分という希望を手に入れた兎の全身は白く輝き、何処からか生まれた風に俺は尻餅をついた。 こんなに目映い光、産まれて初めてだ。
 
そうして昔の身体に戻った兎。 美しく毛並みのいい身体をしなやかに――――って、
 
 
 
 
 
 
 
 
<font size="6">そんなわけねーだろうが。</font>
 
 
 
いや、動き出したっちゃあ動き出したんですよ?
 
輝かねーよ。 輝かれたら俺も迷惑だから。 すいませんね冗談に付き合わせちゃって。
 
 
まず動いたのは、宙に向け伸ばされた前足だった。 モゴモゴと指が丸まり、身体を守るように内側に曲がっていく。 後ろ足もぐっと力が入り、最終的には「学校いきたくない」と部屋の隅っこで踞る小学校のような格好になった。
 
 
 
『……………ふぐぐぐ』
 
 
おや、口が利けるようだ。
 
 
『生きてる、生きてる………生きてる』
 
 
そうですね、生きてますね。
でも俺の目の前に居るのは、所々毛が抜けて見える地肌が痛々しいしわしわの小動物である。 生きてるといっても、辛うじてのように感じる。
 
 
『もし、そこのお方……』
 
「うわっ!? ……じゃなくて、はい、なんでしょう?」
 
『ここは日ノ本の国で間違いござんせんか?』
 
 
 

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