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第三話 学園天獄 ~ Super Defeater ~
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次の日の朝、俺は珍しく早めに高校へ出向き、自分のクラスの教室へと入った。
まったく、こんな無駄に早く登校したところで、時間の浪費でしかないのだが。
しかしあろうことか、他の生徒の入りは過半数を超えている。
わいのわいのと盛り上がっている教室。
対して、俺の心はもう鬱屈。
まったくみなさん、朝っぱらからご苦労なことで。敬礼w!
まあ、そんだけ人がいるにも関わらず、俺が入室したところでなにがしか反応を示す学友なんて、このクラスのどこにも存在しないんですけどね。嗚呼レミゼ。
いや、それは言い過ぎか。
もし俺が人からの視線に自意識過剰なのでなければ、割と視線だけはかなり向けられていた気がする。うん、だって今確認したけど俺の後ろには誰もいないからね。しかもこんな侮蔑とか軽蔑とかのこもった視線なんて、クラスで俺くらいしかむけられないもんね。別にあっちは後ろに立ってた誰かを気にしてるだけなのに俺が勝手に勘違いしてたわけでもなかったしね。
ふう、あやうくそういう時に間違って返事したらいきなりどつかれてぼこぼこにされた一年の時のトラウマが蘇るところだった。あぶないあぶない。
ただ、目線こそ向けられているのに、誰からも何も言われないというのは、やはりつらいもので。
え、これ俺がイヤホンつけてるからみんなのおはようが聞こえないわけじゃないよね?
なんて、一縷の望みというか妄言というか現実逃避を反証するために、耳を塞いでいる二つの突起を外してみても、おはようの四文字はこの耳へと聞こえてはこなかった。
むしろ、キモいだのうわあだの絶対抜いてきてるわだのヒソヒソ声が聞こえてきて死にたくなった。
はあ。
もうこれ、一生イヤホンつけたまま暮らしてても問題ないのでは? とか一瞬思うくらいに四面楚歌。誰も声をかけてくれないくせに陰口だけは聞こえてくる。あとたぶん、俺に向けられてない小声さえも全部が俺への誹謗に聞こえてしまう。疑心暗鬼の境地。
はあ……。
超凹む。ナイーブとアンニュイの仮身と化して溜息を毎秒4949ノット吐き出しちゃうくらい凹む。心が涙を流したがる。
まあ、つってもこれが、ぼくの普段の登校風景なんですけどね、初見さん。
もう慣れっことはいえ、そんな脳内会話で一人の寂しさを埋めることも出来ずに、俺は寂しくとぼとぼと、窓際の自分の席までの短かな道のりを歩く。その刹那がとても辛い。まるで、この世界から自分が必要とされていないかのような気分になるから。
あ~、どっこらセックス。
なんともまあ朝から陰鬱な気分で席に着く。
まず手始めに、自分の机まわりに変化がないかチェック。
よし。
どうやら今日は特になにかされたりはしてなさそうだ。下駄箱もセーフだったし。
やっぱり、三鷹先生がいろいろやってくれてるっぽいな。
正直、生徒が簡単に先生の言うことを聞くとは思えないので、よほど先生の人望があるのか、それとも……? とか考えてしまうのだが、三鷹先生は俺にも結婚したいと感じさせる程に魅力的な先生なんだし、きっと本当に生徒の人心を掌握しているのだろう。さすがは俺の未来のお嫁さんである。このエピソードは結婚式で……と思ったら俺の結婚式にきてスピーチを読んでくれそうな友人などどこにもいなかったことに気付いた。
え? 俺なんで今日学校に来たんだっけ……? しにたい……。
もう帰りたくなってきた。家に帰っても別に誰も俺を歓迎してはくれないけど。
え、俺、なんで生きてるんだろう……?
あれ、これ、ぼく、……無では?
……………………………………………………無じゃん…………。
そう思い、ごん! と頭を机に打ち付けると、前方……ええと、黒板や教卓のある辺りから、複数人の男女の嘲笑が聞こえてきた。
無論、その内容は、俺への悪口である。
「ねー、みたー? 緋凪―? 今のグレイクンさー、ヤバくなーい?」
「うんうんー、みてたー。やばいよねー」
「ちょーウケるー」
「でも、ちょっと心配だね……」
「あっは、健人ってばマジやさしー」
「ハイシャクンにまで優しくするとかサー、健人マジ聖人じゃんかー?」
「いや、それは言いすぎじゃないか?」
「ギャハハ!」
上位カーストに属する人間の声というのは基本、でかいものだ。
あっちは、中央最前、こっちは最後列の窓際にいるのに、そんな感じの心無い声が、全部ではないが大部分、ここまで聞こえちゃってるくらいだし。
そしてその、小学生の財布並みに中身のない会話を聞いて、別に俺は自分の人生の無意味さを嘆くためだけにわざわざ早起きをして嘲られに学校へ来た限界ドMペシミストではないということを思い出す。
そう、いつもならばチャイムの音と共にギリギリ教室へ駆け込んでいる俺が、ホームルームの始まる15分も前に登校したのには、もちろん理由があるのだ。無論、明日雪が降るとかではなく。
さて、ではその理由はと言えば……、先生のおっぱいを揉むため――じゃなかった。
ええと、辺見緋凪の抱えている問題を解決し……、結果。その見返りとして、先生のおっぱいを揉むためである。
要するに、先生のおっぱいが揉みたくて学校に早起きしてきた。
あれ? なんか言語化すると最低だな……。至極真っ当な理由なのに……。
まあいい、気を取り直そう。おっぱいが揉めるのだ、些細なことなど、どうでもいいではないか。
俺はそう結論づけて、スマホでコスプレイヤー監視用TLを眺めているふりをしながら、前方へもちらちら注意を向ける。
先程俺を辱めて、愉悦に身を打ち震わせていた下衆共の方へと。
彼等は誰からの視線も気にせず、またくだらないことでゲラゲラと笑っていた。
クラスでトップの座に最も近い五人だ。おそらく。
なにせ、彼等は現在、その特権を生かし、およそ日陰者では恐れ多くて居座れない教室の最前列にたむろし、誰にも文句を言われることもなく、非生産的なおしゃべりでその威光を意図せずとも周囲へと喧伝している。
自らが無駄な行いをどれだけ出来るかというのは、そのまま己の豊かさのアピールとなるものだ。王侯貴族はそのために贅を尽くす。過度に立派な衣服に身を包み、社交界で無駄話に花を咲かせる。それと同じ原理である。学校は社会の縮図なのだ。
さて、誰がどう見ても学園の勝利者、青春の謳歌者。もはや薔薇や光のエフェクトが周囲を覆っていてもおかしくないくらいの勝ち組っぷりな彼等。
それを、ハイシャたるこの俺は観察する。
おそらく、あの集団で最も権力をもっているのは、昨日もちらっと辺見の口から名前が出た、男鹿アイカ、そして相田健人だろう。
つまり、このクラスの女側の頂点は、いかにも女王といった見た目――即ち、かきあげバングという己の顔面を前面に押し出すスタイル(=素材が良くないと決して出来無い髪型)を、その圧倒的に華麗な強い顔面で押し通せている極めて優れた美貌――の気の強そうなハーフ系ツリ目茶髪美人、男鹿アイカであり。
男側の頂点は、その笑顔が憎たらしいほどに爽やかな、スポーツ万能、成績優秀、人当たり最強とかいう、ぐうの音も出ない程の超絶イケメンな上に高身長な好青年、相田健人であるということ。
その他の数人は、ナンバー2とか3とかの美男美女、or世渡りの上手い狐か、冗談の上手い道化、マスコットタイプの人形のどれかだろう。クラスでも奴等はよく目立っているので、それくらいは俺でも少し考えればわかる。
そしてその中に、例のキョロ充、辺見緋凪は混じっていた。
一見自然に。
けれど、こんなことを言ったら失礼かもしれないが、彼女が収まるには、その鞘は大きすぎる気がしなくもない。
なぜなら、本来あそこに属するのは、比類ない顔の良さと自己主張の強さ、或いはコミニュケーション能力の高さを持っている奴か、そうでもなければ、なにか一芸に秀でている者のみだ。
いわゆる、一軍。それもなかなかにレベルの高い。
しかし、辺見緋凪は、二軍というほどでもないが、一軍というには少し力不足な気がしてしまう。公平に見れば、1・7軍ってところだ。
なにも、彼女の容姿がかわいくないと言っているのではない。
だって実際、彼女は性格こそクソだが、顔はいい。結構かわいい。百人が百人かわいいと言うだろう。それに表向きなら、けっこう性格もいい。
だが、彼女には、『我』が欠けている。自分というものが、致命的にない。皆無といってもいい。
だから、彼女のかわいさというのは、その程度こそ、かなりのものだが、どこか量産的で、まるで圧倒されるということがないのだ。
高嶺の花といった近寄りがたさが、欠落している。なかなかに、かわいいくせに。
まあ、たぶんそのせいで、去年もクラスが一緒だった俺から一番に告られて最初の被害者となったのだろうけど。当時はここまで深く考えていなかったが、俺ちゃんってば深層心理ではそういう風に彼女のことを思っていたのかもしれない。実際俺はその時、「緋凪ちゃんならワンチャンあるのでは? あとおっぱい大きめだし」なんておめでたい夢を見てたからね。……うっ、思い出したら吐き気してきた。
まあ、要するに、辺見には自己主張ってものがない。
容姿、メイク、服装、髪型、発言、仕草、成績、能力、趣味……他、諸々。
良くも悪くも、目立たない。
我を、己を、殺している。
自分という、なにか大切であったはずのものが、死んでいる。
たとえば、四鬼条紫蘭のような唯一性が、三鷹沙夜のような自己主張が、男鹿アイカのような威圧感が、相田健人のようなカリスマが、存在していない。
強いて言うなら、胸が割とでかめなことくらいだ。
そして、その無個性は、トップに座す人間像と、かけ離れている。
つまり、彼女の今のその地位は、出来たものでなく、つくられたものなのだ。
本物のスクールカースト上位組というのは、成ろうとせずとも、いつの間にやら上位と成っているような、生まれついての上位者であるのだから。
それでも、辺見は、弛まぬ努力で、それを勝ち取った。
本来であれば、容姿でなければおもしろさなどでのし上がるその地位に、彼女は空気を読むという特技を駆使して成り上がったのだ。
それは、盛大にやらかして校内の秩序をぶち壊し嫌われ者になった、即ち彼女とは真逆なことをしてしまった俺からすれば、うらやましくもあり……。
でも、それは結局――。
自分を殺さなければそうなれないというのは、つまり――。
そこに立っているのは、そこで楽しそうに笑っているのは、本当の自分ではないのだとしたら――。
なんていうふうに、思ったりもしてしまうのだ。
それなら、あそこで楽しそうな顔で笑っている辺見の器の中に収まっている本当の彼女は、今ここに虚しく一人で座っている俺と、なんら変わりはしないのではないのかと。
……なんて、こんなのはただの僻みかな。
だってあいつは、今の地位を失うかもしれないと思ったら泣き出しててしまう程に、現状を好いているのだから。
今が最高なのだから。
だったら彼女は、それで――。
いいのだろう。問題など、ないのだろう。
そこに俺の戯れ言が介入する余地も必要も権利も、ありはしない。
しからば、俺は先生のおっぱいの為、ただ黙々と仕事をこなすだけだ。
観察を続けよう。このクラス全体の、人間観察を。
相田健人が、辺見緋凪に、これ以上好意を持たないように。
しばらく観察を続けていると、他のバラモン組とは違い、人の目を異様に気にする辺見だけが、俺に視られているということに気づいたらしい。何度か、止めろとか失せろみたいな目線を送ってきた。まあ、当然、尽く無視したが。
だってこれ、お前のためにやってんだぞ? わかってんのか?
それに俺だって辛いんだからね? 自分とは違って輝いている彼女達を一人でぬぼーっと延々見てるとかさ。わかる? この苦しみ?
こんなん吸血鬼がサングラスもつけずに燦々光る太陽を直視し続けるようなもんだからね? その光に身を焦がされちゃうんだからね? 死ぞ?
と、そうこう蒸発してる内に、チャイムがなって。HRが始まる。
「おっはよー!」
今日も元気よく教室に入ってきた三鷹先生が、生徒からの熱烈な歓迎に笑顔で答えながら、点呼をとり、遅刻してきた生徒をたしなめたりしつつ、HRを進めていく。
ちなみに、これはくっそどうでもいい話だが、四鬼条はその二時間後くらいに教室入りしたと思ったら、その五分後には寝ていた。今日も寝顔がかわいかったです!
昼休み。
俺は、さほど信用していなかった辺見の相談内容の信憑性が、中々に高いものであったということに驚きを隠せずにいた。
なぜなら、クラス一のイケメンである相田健人は、どうやら本当に辺見緋凪に好意を抱いているらしいという、数学的根拠を得てしまったからである。
……と、それについて述べる前に、一つ言っておかなくては。
そもそも、辺見の相談事というのは、自分が相田に惚れられているので、どうにか告白されないようにして欲しいというものだった。
は?
ぶっちゃけそれを昨日聞いたときは、何言ってんだこの自意識過剰オンナ? と、ドン引きしていたのだが、改めてその不良品色眼鏡で教室を見てみると、納得できるシーンが何度かあった。
例えば、相田はその外見ゆえ、クラスの様々な女子からよく話しかけられてはいるが、自分から女子に話しかけるということを滅多にしない。
しかし、辺見にだけは、自分から話しかけにいっている。あるいは、辺見と誰かが話している会話の輪には、必ずと言っていいほど参加しにいく。
これが第一の根拠。
また、会話の長さ。
相田は他の女子との会話は、割とすんなり終わらせているが、辺見のそれとは、気持ち、長引かせているように見える。彼もバレたくないだろうからあまり露骨にはわからないようにしているのだろうが、そういう前提を得た上で時間を計測してみると、確かに少しだけ、その長さが変わってくるのだ。
これが第二の根拠。
そして、第三の根拠は、会話の際に見せる喜怒哀楽の回数。
辺見との会話の場合において、相田が見せる表情の変化は、他の女子とするそれと比べて回数が多かった。分数が長いのを別にしても、彼が辺見との会話で他の女子とのそれよりも心動かされているらしいことが伺える。
しかも、以上、統計的事実の他に、所感として、相田が辺見に恋していそうな別の証拠さえ見つかった。
あいつは、女慣れしている。ゆえに、女子と会話して照れるとかキョドるとかそういうことが極端に少ない。
しかし、俺が先入観によって変にバイアスがかかったのでなければ、相田は、辺見と会話している時だけは、やや頬を紅潮させているように見えたし、頭を掻くなどの照れる仕草をする回数が多かったように思える。
なんということだ……。
俺はスマホをいじるふりをして、メモ機能やタイマー機能を駆使しながら、そういう分析を今の今までしていたのだが……(ストーカ……いや、探偵の才能があるかもしれない)。
さて、どうしたものか。
内心、辺見の言うことが間違っているという結果を手に入れて、辺見のことを笑いものにしつつ最高の気分で先生のおっぱいを揉もうと、意気込んでいたのに。
まさか、奴の言っていたとことが事実だったなんて……!
どうしよう。
辺見の言っていることが事実だとわかった今、俺が先生のおっぱいを揉むためには、相田が辺見に告白するのを妨害しなくてはならない。
しかし、そんな無理難題、どうすれば達成できるのかわからないし、逆になんであいつはこれ以上ない上玉に惚れられているのにそれを嫌がるのかもわからない。
それに相田がなぜあんな奴を好いているのかも理解不能だ(一年前に自分が告白したという事実を水に流しつつ)。
だってまじめな話、あのイケメンなら割とこのクラスの女子くらい、選り取りみどりでやりたい放題出来ると思うし。わざわざあんなビッチなどと付き合わんでも。
具体的に言えば、クラス一の美人と言っても過言ではない男鹿アイカなんか、超お似合いである。あるいは、黒髪ロングの超絶美人だってこのクラスには在籍しているのだ。あと、容姿の良さで言えば、四鬼条も…………いや、流石にそれはないか。
なのに、なんで、辺見なんだ……?
確かにあいつはそれなりにはかわいいけども。相田と釣り合うようには思えない。
わからん。
……とにかく、この問題、俺一人で解決するのは無理だ。
それに、こんな衝撃の事実、誰かに語りたくなってしまう。
それこそ、クラスラインだのツイッターだのにぶちまけて盛大に拡散・炎上させてやりたい。実行こそしないが、そんなIFを思い浮かべるくらいの大スクープだ。
ま、俺はリアルでもSNS上でも、等しく誰とも繋がってないわけで、そんな悪事、やろうとしても、出来ないんですけどね。
それどころか、奇跡的に知り得た女子数人のアカウントからは、ブロックされている始末。なんなら高校入学を機につくってみたTwitter垢なんて凍結させられたからね? なんでかは知らんけど。
――と、そんな絶望の淵、脳裏にぴきんとひらめく姿があった。
四鬼条だ!
それでも四鬼条なら……。四鬼条ならきっと話を聞いてくれる……!!!
というか、あいつも一応青春同好会とかいう謎部活の一員なのだから、協力してくれるはずだ。
そう思った瞬間、あの不思議ちゃんのうたた寝姿を思い出した。
……あー、いや、たぶんしてくれないけど。いやしかし、させなければ。
だって、あの子、出席とか色々やばいから部活で補填とか言われてたし。ちゃんと活動しなかったら、一緒に卒業できなくなってしまうかもしれない。それはなんかいやだ。
てなわけで、これは四鬼条のためでもあるのだー!
と、俺は自己正当化を果たし、教室を見渡し、四鬼条の姿を探す。
あいつの紫髪と独特な服装は目立つのですぐ見つかるはずなのだが――。
見当たらない。
どうやら彼女はどこか外に行ってしまったようだ。
ま、授業中にもふらっといなくなるような問題児が、昼休みに自分の教室にいるわけもないか。そりゃそうだ。
だがそれも好都合だ。教室であいつと話すには人の目があるし好ましくない。
時計を見る。
昼休みの時間は残り二十分といったところ。
まあ、これくらいなら探しに行ってもいいだろう。どうせ俺も暇だし。
俺はそう結論づけて、相田と一緒に昼食をとっている辺見、男鹿、他数人を横目に、教室を後にした。
とりあえず、教室から近い、ベランダや同学年の別クラスの教室なんかを見回していく。
やはりお昼休みの学校というのは活気に溢れている。思わず沈黙の魔法とか使えねえかなあとか、デスノート欲しいなあとか思い始めるくらいにはうるさい。
しかし、その喧騒も、俺がその平和空間へと介入すると、不穏な気配を放ち始めたりする。和気あいあいとしたカップルが、ふと道端で乞食を見てしまった時のように。
具体的に言うと、俺が行く先々で「うわぁ……」とか「ひっ……」って感じの目を向けられているだけなのだが、まあ、気にしない。悲しくは、あるけど。
そういえば、なんで四鬼条はあんなにも周囲の目に無頓着なのだろう。
不思議ちゃんだから、と言ってしまえばそれまでだが。
だって、本当に周囲の視線を気にしていないのなら、あんなおしゃれにキメる必要もないはずで。
ま、あれは周囲の目を気にしていたら出来無い類のスタイルだし、単に自分の外見を自分の好きなもので飾るのが楽しいだけなのかもしれないけど。
本当によくわからない子だ。
だけど、いつだってわからない、未知というものに、人は惹かれてしまう。
好奇心。
俺は彼女に対し、そうした感情を抱いているのだろうか。
ミステリアスな女性の魅力。それは、そこを刺激するからだと聞いたことがある。
四鬼条をミステリアスな女性と形容するのは少し違和感があるが、ミステリアスであることは、確固たる事実。人はそんな彼女のことを不思議ちゃんと呼ぶ。
誰もが、彼女のことを何も知らない。彼女も彼女で、誰にも何も知らせようとしない。
そんな彼女のことを、気味の悪い奴、よくわからない奴と言って、多くの生徒は隔離、差別、蔑視している。
わからないものというのは、大衆からは忌み嫌われるから。
けれど俺は、そんな彼女のことを、知りたいと思い始めていた。
わからないものの発する気味の悪さと、しらないものの放つ魅力は、紙一重。
初めてデスメタルを聞いた時。初めてドグラマグラを読んだ時。その時の感覚。
みんなはどうだったのだろう。少なくとも、俺はどちらも魅力的に思えた。
そしてそれは、四鬼条にも同じ。
俺は彼女に魅力を感じることが出来て、彼女の魅力に気付くことが出来て、心の底から良かったと思った。そんな自分を、誇りに思えた。他と違って、よかったんだと。
そんなようなことを考えながら、校舎を徘徊。
けれどなかなか、彼女には出会えない。
見たところ、校庭や中庭にはいなかったし、彼女が体育館にいるとも思えない。
図書館も購買も×。
うちの高校は都立だからそんなに広くもないし、昼休みに生徒がいけるところなんて限られている。それをしらみつぶしているというに、あの紫っ子は見当たらない。
もしやと思い、第二生徒指導室にも行ってみたが、ここにもいなかった。
これがギャルゲだったら、エンカ難度高杉ィ! とブチギレているところである。
ふと思う。
まさかあの不思議ちゃんってば、学校の外にいるのだろうか。
一応、そればっかりは校則のゆるいウチでも禁止されてるんだけど(なお、有名無実な模様)。
でもなー、もしそうだとしたら、さすがにどうしようもないなー。
うーん、どうしたものかと、途方に暮れていると。
なんだか、奇妙な光景に遭遇してしまった。ちょっと苦手なヤツに。
それはおそらく、俺が普段は生徒が出入りしない西側校舎一階の僻地にまで迷い込んでしまったのがいけなかったのだろう。
だからこれは元を辿れば、俺ではなく四鬼条紫蘭ちゃんのせいで起きたことなのだけど。
そんな言い訳は、目の前におはす白雪のような女の子には通用しない。
目が、合った。その、全てを射殺すような、絶対零度の氷細工が如き、双眸と。
心臓が、痛む。きりきり、きりきり、苦く迸る。
そして。
なぜか人気のない水飲み場で歯磨きをしていた黒髪のクラスメイトは、その口に入っていた水をぺっつんとおしとやかに吐き出すと、こちらへ詰め寄ってきた。
長く美しい黒髪を翻して向き直った彼女の立ち姿は、優美。
玲瓏なイノセンスを冷艶なクラストで閉じ込めた、凛然たる少女。
「あなた、クラスではぶられてる問題児よね? なんでこんなところにいるのかしら? もしかして、私のストーカー?」
いきなりなご挨拶だが、まあクラスでの俺の扱われ方なんて、こんなものである。
このドギツイ言葉の刃を眉一つ動かさず言ってのける彼女は、同じクラスの黒羽玄葉(くろばねくろは)。
おそらく、この学校一黒髪ロングの似合う美少女だ。
そして、服装自由のこの学校で唯一、毎日指定の制服を着用している優等生。
ただ、美しすぎるが故に刺のある目付きと、絵に描いた様な高嶺の花ぶりに、クラスでは孤立している。もはやカーストの枠組みにすら、彼女は収まっていない。孤高。
なにせ、黒髪というと清楚な印象を受けるが、彼女のそれは、もはやそういう次元を超えて、高潔とか、高貴とか、そういう域に達してしまっているのだ。その何者にも染まらぬ漆黒は、彼女の誰とも交わらぬという内心を代弁しているかのようにすら感じる。
ゆえに、人は彼女に近寄れない。
近づくと、その雪の女王のような凍て付く美しさに、その身を硬めてしまうから。
え、俺? 一年前の俺はもちろん告白したよ。痴漢撃退スプレーで見事撃退されたけど。
「なにを黙っているのかしら。私が聞いているのよ。答えなさい」
急に視界に入ってきた彼女の美貌、加えて、こんなところで彼女の姿を見てしまったという衝撃と恐怖にちょっと気後れしていたら、この始末。
まるで女王様かなにかのように横柄な言い様だが、彼女の外見や実力、俺の社会的地位の低さと実績を鑑みれば、そこまでおかしくはない。むしろ残当。
「いや、なんというか……散歩? 散歩してた」
「なぜ?」
それを言いたくないから散歩なんて言い訳をしていたんだけど。
だって四鬼条探してたとか言うの、なんか恥ずかしいじゃん?
「べつに理由なんてないんだけどな。逆になんでこんなとこで歯磨」
「ねえ、今尋ねているのは私。そんなこともわからないのかしら」
俺の言葉をぴしゃりと遮って、黒羽は綺麗な顔をしかめる。
「だから理由なんてないっつってんだろ」
「へえ、じゃああなたは理由もなく昼休みの間中、校舎を徘徊していたの? 貴重な高校生活の大部分である昼休みを棒に振ってまで? 知らなかったわ。あなたって夢遊病患者だったのね。それとも、多動症? だからいじめられているの?」
「お前さあ、障害とか精神疾患をいじめの原因に求めるのは不適切だろ。優等生っぽいのにそういうとこはそのへんの奴らとかわんないのな」
「あら、あなたの次元に合わせて分かりやすく話してあげているという私の気遣いが気に障ったのなら謝るわ。でも、勘違いしないで欲しいわね。別に私はその手の理由で人を差別したことはない。現に、あなたへのいじめにだって、私は一度たりとも関与したことはないもの」
確かにそうですね。防犯ブザーを鳴らされたことはあるけど。
「でも、止めようとはしないんだな」
「ええ、別に私にとって、あなたはなかんずく大切なものというわけでもなんでもないんだもの。悪い?」
「いや、責めてるわけじゃねえよ。むしろ加害者になっていないだけありがたい」
「そう。でもこれだけは理解して欲しいわね。私にだって、いじめというものは見ていて気持ちのいいものではないの。でも、私の見える範囲でそれを咎めたところで、結局対象が別に移り変わるだけ。何も解決しやしない。私、意味のない事はしたくないの」
それは、事実であり、正論であった。
しかし人間というのは嘘をつき、建前で会話してその関係を作っていく生き物だ。なぜなら、そうしなければ人と人とは衝突してしまうから。
それでも彼女は、気休めも気遣いもなく、ただただ正直に本音を口にした。大して仲良くもないどころか、疎んでいるであろうこの俺に。
その結果、俺がどう思うかなど気にしていない。
しかもそれはたぶん、俺にだけでなく、彼女が接する全ての人間に対しても。
だから、そのあり方はやはり、校内で黒羽玄葉が孤立無援となっている一因なのだろう。
だが、そんな彼女を、俺は。
かっこいいと、好ましいと、ただ、そう感じていた。未だ苦手ではあるが。
「なるほど。かっこいいね、黒羽。俺やっぱ好きだわ、お前のこと」
故にそれは別に恋愛的な話ではなく、人間的な意味で言ったのだけれど。
「やっぱりストーカーだったのね。言い訳はいらないわ、職員室まで一緒に来なさい」
彼女は当然そう解釈する。
さらには、それを言うに留まらず、俺の手を取り、本気で連行しようと歩き始めた。
融通の効かない奴めと思うのは簡単だが、このタイミングでこの堅物にあんなこと言っちゃった俺の方が悪い。なんてこった。
とりあえず、このままではまずい。これ以上悪評が学園に広まったら、さすがの俺も登校拒否になっちゃう……。
そういうわけで俺は、渋谷で女の子をナンパしてる金髪のお兄さん並に必死で釈明した。
「いやいやいやいや、それだけは止めて! お前と俺の言うことじゃ絶対お前の言うことが信じられちゃうから! 冤罪がまかり通っちゃうから! マジでごめんって! いきなり好きとか言ってごめん、でもほんとストーカーではないから!」
「ならとっとと私の納得出来るあなたがストーカーでない理由を提言しなさい。さもなければあなたの明日からの学園生活は更に過酷なものとなるでしょうね」
「おいおいお前さっき加害者にはならないって……」
「5、4、3、……」
なんのカウントダウンかは不明だが、唐突に数字を唱え始める黒羽。
それは意図が明言されていないが故に明確な破滅のイメージを頭に思い浮かび上がらせ、俺は焦燥から矢継ぎ早にクラスメイトには言うべきでない事実をまくし立てた。
「はい待ってごめんじゃあこれならどうだ俺はここのところ毎日三鷹先生に求婚している、故に俺は別の女性に惚れているのであってお前のストーカーなどする理由がない!」
「それはこの私に、彼氏持ちを公言している交際をするにはただでさえ倫理的問題が著しく生じる女性――しかも教師――に対し生徒の身でありながら言い寄っている性欲に脳内をやられたとしか思えないキチガイケダモノ男の言うことを信じろということかしら?」
あれ、そう言われるとたしかに俺がマジで頭のおかしい奴みたいに思えてくるな……?
少し冷静になった俺は、しかしそうするしかないので大人しく首肯。
「い、いえす……」
「じゃ、職員室に行きましょうか」
おいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!
それじゃあただ俺が俺の痴態をお前に意味もなく告白しただけじゃねえか!!
俺は今更ながら、黒羽の理不尽さに憤慨。
職員室へと俺を強制送還しようとしている彼女の手を無理矢理に払った。
というか、そもそもがおかしな話なのだ。
「……あのさあ、いい加減にしろよ黒羽。お前昼休みにすれ違っただけで人をストーカー扱いとか、完全にいじめだからな?」
俺がそう言うと、彼女は払われた自分の手をまじまじと見つめて、心外だとでも言うように。
「それだけでそう判断したわけではないのだけれど。だって客観的に評価して、あなたの評判、信用、それにその今も私に向けられている俗悪な視線、それとあなたのような下劣な人間と何ら接点の存在しないこの清純な私が昼休みに何の作為も介在せず偶然出会う確率の低さ、それらを加味した上で考えれば、そう断ずるには十分でしょう?」
いや、そのどこが客観? それ半分くらい君の主観入ってたよね?
「え、ごめん。かわいいなあとは思ってたけど、そんな目で見てるつもりはなかった」
「なにを健常者ぶっているの? あなたの目つきはそんなに生易しいものではないわよ? あなた、完全に私のことを犯そうと考えていたでしょう? この異常者」
「いや、さすがにそれは言いすぎだろ……」
急に黒髪美少女の口から放たれたそっち方面の単語に衝撃を受けてしまう。
「でも私と出来るならしたいでしょう?」
「そりゃしたいわ!」
唇に人差し指当てながら美少女にそんなこと小首かしげて言われたら、そりゃもう条件反射の脊髄会話よ。
「やっぱりそうなんじゃない。変態」
「今のは誘導尋問だろうが! それと正直者だと言ってくれ」
「だったら早く正直に私のことをストーカーしていたと白状してくれないかしら。変態さん?」
「だから違うつってんだろ! つーかお前その見た目で意外と下ネタOKだったのかよ」
意外すぎるだろ。クラスのみんなが知ったら悲しむぞ! たぶん密かにお前に憧れていた大勢の男子が! なんなら女子も! 中には逆に興奮する変態もいるかもだけど!
しかし。
「その見た目ってなに? あなたみたいな人しか下ネタを言ってはいけない決まりでもあるの? 私みたいな人がおっぱいとかおちんちんとか言ってはいけないの? そんなこと、誰が決めたわけ?」
彼女は至って真面目に、というか、かなり本気でその言葉に反応した。
それも、表面上こそ氷点下だが、内では沸騰しているであろう怒火でもって。
なにかが彼女の琴線に触れてしまったらしい。
いやでもだからって、そんな過激な言葉使わないで欲しい。
生の女の子に直接そんなこと言われたのは初めてなので、しどろもどろになってしまう。しかもこの子、めちゃくちゃ可愛いもんだから、インパクトがやばい。
「なんか、ごめん……。でもお前みたいな顔の子に面と向かってそういうこと言われると、えーと、ちょっと、その、普通の男子は緊張しちゃうから、やめたほうがいい、よ……?」
「やっぱり変態なんじゃない。というか、第一私は出来るとかしたいとかいっただけで別に下ネタは言っていなかったのよね。あなたが変態だからそう変態的に解釈しただけで」
「もう致命的なのを言ってるけどな……」
それとあの時のお前の表情、完全に確信犯だったぞ?
「誰かに他言したら、生まれてきたことを後悔させてあげる」
そう言いながら、スカートのポケットの辺りに手を伸ばす彼女。
俺は彼女のそのわずかな仕草だけで、トラウマが瞬時に二つ、フラッシュバックした。
「じゃあ言うなよ……」
「明日からクラスで迫害されるあなたへクラスメイトとして最後の餞別をと思った私の東シナ海よりも広い慈愛に対してその言い方はどうなのかしら? あなたには人の心というものがないの?」
「本当に慈愛がある奴はそもそもこんな言葉攻めしない!」
ていうか、本当に広いことを伝えたいなら東シナ海とかじゃなくて太平洋だろ……。こいつの成績的にわかってて言ってるんだろうけど。謙遜が得意じゃなくて特異過ぎんだよなあ……。
「興奮してるくせに」
じとっとした目で睨めつけてくるが、そんなことはない。ない、はず。ない……よね?
「してねえよ! たぶん! つーかむしろしてるのは困惑だよ」
「はあ?」
何言ってんだこいつ? みたいな目でこっちを見てくる黒羽。
相変わらず綺麗な顔だが、そんな目の美少女と目があっても、何も嬉しくない。
「なんでお前が困惑してんの……」
「この私と会話をして嬉々としこそすれ、困惑する男子なんて、この学校にいないでしょう?」
「は?」
今度は俺が絶句する番だった。
「あ、ごめんなさい。そうよね。学校じゃなくて世界にいないわよね」
「そこじゃねえよ!」
自分の見目麗しさに世界レベルで自信が持てるってこの子どんだけポジティブなの? 知らんけどもしかして毎日鏡と一時間以上会話してたりすんの? なんなの?
いやまあ確かにその雪肌に乗った整ったもんと、さっと流れる黒髪の組み合わせは最強だけども。なんならクールジャパン代表余裕でしたってな規格外だし。世界の覇権も秒読よ。こいつの場合クールの用法がブリザードな感じになっちゃうけど。
あ、でもダメだわ。日本ではその価値が正しく評価されている貧乳も、まだ世界的にはアウツ。減点だ。くそっ! 世界一の座が、そんな理由で……!
そんな経緯で、俺はちらっと彼女のつつましい胸を見た。彼女のたった一つの短所である、そこを。
すると、「態度はでかいくせに、胸は小さいんだねー」という冗句がふと浮かんできて、俺はたったいま脳内に着工したこの恐るべき自爆装置をどう外部へ漏らさず処理すべきかという一大プロジェクトに着手せざるを得なくなった。
これが巨乳好きの業なのか……。
はっ……!
俺はなんて罪な妄想を……。それこそこれがバレたらストーカー疑惑云々なんかよりよっぽどひどい仕打ちを受けそうだ。
しかし黒羽は俺が心の中で彼女をミスコン優勝の舞台に立たせているなどとは知る由もなく(あってたまるか)、まだ戯言を続ける。
「え、もしかして世界じゃなくて、銀河? 私のことを天文学的に可愛いと言いたいのかしら? でも、神様って残酷ね。あなたのような人がそんな口説き文句考えたところで時間の無駄だもの。今すぐ止めた方がいいわよ?」
「俺はそんなこと考えてねえから! お前が勝手に言い出しただけだから! 人の話聞け?!」
「人の話なら聞くけれど。……それとさっき私の胸見てたわよね? 殺すわよ?」
あ、バレてたんだ(絶望)。
「え、なに、俺のこと間接的に人非人って言いたいの? まあ実際教室での俺の存在ってそんな感じだけども。……胸に関してはマジでごめんなさい」
俺は保身の為、自虐ネタを暴露し自分の身分が彼女より低いことを言外に証明することで擬似的に謙譲り(非実在性動詞)、かつ、同情も誘い、許しを得やすくするという高等テクを駆使して、彼女に謝罪する。
みたか! これがぼっち固有スキル、自虐ネタの力じゃ。おののけ!
しかし。
「……そういえば次の時間は体育だったわ。急がなきゃ」
彼女はそう言って立ち去った。
完壁全無視(上位者専用雑魚掃討スキル。MP消費ゼロ。パッシブ)である。
タッタッタッ……、という軽快な足音がリノリウムの上に消えていく。
それは、一人の対等なクラスメイトに対して行っていい行為ではなかった。
人気のない廊下に、一人取り残される、俺。
そのいきものは、黒羽玄葉から人間未満の存在だと認識されているらしい。
「は?」
俺は一人虚空に問いかけた。
キーンコーンカーンコーン。
まるで校舎が返事でもするかのように、チャイムが鳴った。
こうして、灰佐勝利の昼休みは終わった。
「なんだったんだあれ……。ゲリラ豪雨かよ……」
たいそう高慢な才女様との楽しいおしゃべりという緊急クエストで時間をドブに捨ててしまった俺は、次の授業が体育である為、校庭へと向かっていた。
そして、校舎を出て、結局四鬼条を見つけられなかったなーと、何の気もなしに、自分がさっきまで巡回していたその建物を見上げる。
すると。
「ん……?」
感じる異変。
なんだか、屋上の方で今、ちらっとパープル系のなにかが揺らめいていたような……?
一瞬だったが、たしかにそんな紫っぽいものが見えたような気がする。
もしや――。
四鬼条なのか?
そう思い至るのに、時間はかからなかった。
なにせ、彼女の第一印象はと言えば、「む、紫ィ!?」みたいな感じだったし。
紫……というかまあ、青系統の髪は、それだけで凄まじいインパクトだ。もっと言えば、茶色系以外は日本人がやってると大概ビビる。
ま、うちのクラスのみなさんは文字通り色んなのいるけど、似合ってるから奇跡的にオールオッケーなんだが。普通は「うわぁ……」で終わりだろう。
と、そんな一般論はどうでもよくて。
それってつまり、屋上に四鬼条がいる可能性が高いということで。
しかも俺、屋上のことを生徒出禁の場所だと思ってて、昼休み中の探索コースには入れてなかったんだよね……。
つまりまだ、探してはいない。
あれ、これ、ビンゴなんじゃね?
よっしゃ、屋上いっぞ!
……って、いやいやちょっとまて、もう昼休みは終わっている。
あと三分もすれば、次の授業が始まってしまう。それまでに俺は急いで運動着に着替えて校庭に向かわねばならない。屋上になんぞ行っている時間はないのだ。
でも四鬼条は屋上にいるぞって? あいつはサボり魔だからなあ……。
屋上に行ってしまいたいという誘惑と、授業に出ねばという義務感が喧嘩をする。
そんな時、俺の心に巣食う淫魔が囁いた。
迷った時には、心は決まっている。この意味が、お前にならわかるはずだと。
このセリフを、俺はこれまで何度聞いてきたことだろう。その度に玉砕してきた。
これ即ち、迷っている=それをしたい、やりたい、とお前は思っているのだという意味である。そう思っていなければ、迷いなど生じぬハズであるために。そして、やりたいという気持ちがあるのなら、それに嘘をつくなよと。
俺はこの言葉を信じ続け、少しでも女の子に対して迷いが生まれた時は、その迷いを断ち切って、告白をし続けてきた。
その結果を、皆さんはご存知だろうが、思いのほか、俺は後悔していない。
だったら、俺の取る選択は一つしかないだろう。
もう引き返せないところまできているのに、いまさら信念を曲げるのもおかしな話だ。
よって。
俺は校舎へと走った。
授業を初めて、サボタージュして。
女の子のために。
大体、俺は運動自体こそ得意だし、それなりに好きでもあるが、強制的にチームやペアを強要される体育の時間は大嫌いなのである。
自分と違う姿勢やペースで運動に臨む人間と協調しなくてはならない苦痛は、中学の部活動で嫌というほど味わった。
だから、あんなエセの仲良し運動ごっこなんて、全くもって出席したくないのだ。
四鬼条云々以前に。
そんなわけで、いじめられっこは、不良へとジョブチェンジした。
いや、違うか。
俺は、不良ないじめらっれこという最低なダブルクラスに成り下がった。
これで、今日からますますクラスで肩身の狭い思いをするだろう。
でも、四鬼条と話せるならそれでもいいかもしれない――なんて思ってしまう自分が、心のどこかに生まれ始めていた。
授業開始のチャイムを聞きながら階段を駆け上がって、最上階、屋上へ。
施錠されているんじゃないかと思ったその外界への扉は、その想定の百倍は軽く、すんなりと開いた。
ただ少し、そのノブをひねるだけで。
キィィィイという、年季を感じさせる音がして。
一歩踏み出すと、風が吹いている。
そこはなんだか、学校という日常の中に咲いた、非日常のひとひらであるかのようで。
視界の果てまで広がっている住宅地や背の高いマンションからも、眼下で蠢く校庭の有象無象からも、解き放たれて、隔絶されて。
「ふは」
この踏みしめている足元、寂れたコンクリの地盤。その直下には、黒板を眺めし無数の生徒の軍団があるのだろう。そのしかめ面が、容易く脳裏に浮かぶ。
その規律に支配された閉鎖空間の詰まった大地を、思い切り踏みつけた。
そんなことをしたところで、何も起こったりしない。そんなことはわかっている。
だが、それでいい。それでも構わないんだ。
もう一度、足蹴にする。踏みしだく。
集団行動という枠組みの上で、タップダンスなんかしちゃう。
この一時だけは……。
込み上げてくる、得も言われぬ、愉悦、恍惚。なんともはや、気分がいい。
自分も、ついさっきまでその一員だったのに。
なぜだか、笑いさえこみ上げてきた。
「ふっ……はは」
額に手を当てて、目を閉じて。もう一度目を開けば、眩しい太陽がこの身を灼いた。
悪いことをしているはずなのに、気持ちいいくらいに雲一つない快晴。
なんていい、非行日和だ。
しかして、この学校という雁字搦めの檻から脱獄したかのような気分になって、その監獄の頂上で孤独に見つめる青い空は。
なんとも、格別の味がした。
……けれど、そんなしがらみなどないように感じるこの屋上にも、柵はあって。
俺は落下防止用に周囲に張り巡らされた金網を、疎ましく握り締めた。
自由って、どこにあるんだろう。
「はあ……」
そうして、授業を少しサボったくらいじゃあ俺達の様な籠の中の鳥はどこへもいけないんだなあと、お姫様みたいな痛い感傷に浸っていると。
「あれえー? かっちー?」
上の方から、そんなぼけーっとした声がして。
「とおー」
という声と共に、俺の後背部へ、謎の質量が自由落下的衝突をした。
「うがっ!」
俺はそのままうつ伏せに倒れる(たおれたぁーーー大地にキスぅーーーー?)。
「おー、やっぱりかっつんじゃないですかー」
至近からの声に首だけで振り向くと、横たえられた俺の上に跨った四鬼条紫蘭が、めずらしくも、その伏せがちな目を大きく広げていた。
いったいなんだってんだ……。
彼女はどうやら、屋上から更に梯子を登らないといけないような、ここより一段高くなっている場所から、俺の背中へと飛び降りてきたらしい。俺を着地用の緩衝材にして。
なんとも彼女らしい登場だが、勘弁してほしい。
もっと普通に挨拶とかさ、できなかったの? 特撮ヒーローかなにか?
とはいえ、俺は昼休み中ずっと探し求めていた四鬼条に会えたので、なんだかんだそこまで不満はなかった。体は、結構痛かったが。
具体的に言うと、しばらく動く気力が出ないくらい痛い。
「まさか本当に屋上にいたとはな。探したぞ」
俺は未だにどかない四鬼条の重みを背中で感じながら、そう告げる。
「なにをー?」
「おまえじゃい!」
相変わらずの彼女らしい間の抜けた返事に、思わず大きな声を出してしまった。
「へー? 紫蘭を……」
すると彼女はこれまためずらしく、そのあまり動かない表情筋を活発化させて、きょとんとした顔になる。
「そうだよ。お前以外にこの時間こんな場所にいる奴いないって」
「ぼくらは~いつまでも、見知らぬふたりの~まま♪」
今度はいきなり歌いだしたし。なんで?
しかし、この歌唱も、彼女にとってはなにか深遠な意図があるのかもしれないが、彼女の思考を解せない俺からすれば、「今日は晴れですね。晴れと言えば僕の誕生日は来月だけど、君はお肉が好き?」並みに意味がわからない。
「?」
「ちょっとー、テンション上がっちゃいましたー」
テンアゲだしとりまバイブス上げていっちょ歌おうべ! うぇーい!! おしぇえーい! みたいな感じなのだろうか。
あの相田と男鹿の取り巻き集団ならともかく、四鬼条がそんな思考回路で動いているとは思えないが。
「そうは見えないけどな」
実際、歌ってる時は無表情だったし。
「てかー、かっちんはなにしに屋上へー?」
なんだそのYOUは何しに日本へ? みたいな質問は。
確かに屋上がホーム(たぶん)な四鬼条からすれば、初めてここに来た俺は外様、外人も同然かもしれないけども。
「いやだからさっき言った通り、お前に会いに来たんだよ」
「わたしにー? それとも、紫蘭にー?」
「いや、なんで選択肢二つあるみたいな聞き方すんの? お前だよお前。四鬼条紫蘭」
「…………そっかー」
ちょっと困ったように目を逸らして、その特徴的な紫の髪をいじったりしながら、彼女は興味なさそうにぼやく。
え、なに? 照れてんの? それともキモがってんの? どっちなの?
いつも通り、その表情から本心を伺うことは出来なかった。が、ただ、かわいかった。
「じゃー、きて」
俺が見蕩れていると、四鬼条はようやく俺の背中から腰を浮かせ、立ち上がった。
そしてそのまま、さっき彼女がいたのであろう高台へと、梯子で登っていく。
……え、なんで?
よくわからないまま、上体を起こして彼女を見ていると。
「……!!!」
見えてしまった。
梯子を登るのにはちょっと不便そうな、ゴスロリっぽいベルトリング式厚底ブーツ。まるで拘束具のようなニーソとガーターリング。生足。
そしてその先の、絶対領域のその奥の、スカートの中の――秘境が。
とりあえず、黒かった。
そのブツは、黒かった。
それしか俺には描写できない。これ以上してしまうと、ちょっと倫理機構と戦争が勃発しかねないので。あ、このタイミングで「勃」という漢字を使うのは不適切だった。
さて、俺はなんだかやってはいけないことをしてしまった気がして、さっと目をそらし、とりあえずもう一度地面に額をしかと打ち付けておいた。
これはラッキースケベなどではない、彼女の人権を侵害する大変卑劣な行為だと自分に言い聞かせて。
だめだ。それでも思い出していけない気分になってくる。
くそっ、四鬼条の野郎、なんであんな済ました顔してあんなやべえ過激な下着履いてやがるんだ!! それお前の年齢で履いていいもんじゃねえだろ!! それたぶんラノベのパンツ描写じゃしちゃいけないレベルで際どい下着だぞお前!!! ガガガでも無理だぞ!! 挿絵なのにモザイクついちゃうよ、それ? というかいくら校則で服装が自由でもそれは風紀の乱れ的にアウトでしょ?! いやまあ、生徒の下着について言及してる校則とか嫌すぎるし違反ではないんだろうけども。
「はやくー」
そんなことを考えている間に、四鬼条は梯子を登りきったらしく、そう声をかけてきた。
さすがにそうやって急かすということはもう、きっとその下着の隠匿性も高まっているんだろうと思い、振り返ると。
「ヴェアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
某ハンティングゲームの盲目の白いキモイのみたいなかわいい咆哮をしてしまった。
「……ふぁあ」
しかし四鬼条は何事もなかったかのようにあくびをしている。
「えーと、その、四鬼条? スカート……」
パンツが見えてることをどう伝えたものかと、その単語をなんとか目をそむけつつ捻り出す。
「えー、かっちゃん、みたいのー?」
「いやもう見え……、そんなわけ……、あるけど……」
自分から見えてるって言うのもあれだしでも見たくないわけではないし合意の上でならむしろ見たいしとか思ってたら、もう自分でも何が言いたいのかわからなかった。
誰がヒーロー科の一年生じゃ! とツッこむ余裕もない。
「みせてあげようかー?」
「マジで?!」
まさかの申し出に、興奮する自分と、「いやだからもう見えてんだよなあ……」という冷静な自分が両立してしまい、自我が崩壊するかと思った。
「まあー、うそだけどー」
「ですよねー……」
まあ、もう見ちゃったんですけどねー……。
しかし彼女は、それに気付いていないのか、口に手を当てて、ケタケタと。いたずらっ子のように。
「あはは、がっかりー、かっしー? 男の子ってー、そんなにみたいんだー?」
「そりゃあそうだろうよ」
「ふうーん」
かと思えば、また興味なさそうな顔に戻り、それっきり黙ってしまった。
なにがしたかったのか。意味不明である。
しかし不思議ちゃんである四鬼条の考えることなど、俺に理解できるはずもない。
なので、とりあえず俺も梯子を登ることにした。
とあるカードバトルゲームの「ただ前だけを見つめて!」というセリフを復唱しながら。
なにせ、梯子の上には、四鬼条が自分のスカートの中の脆弱性に気付かずに立っているんだもの。これじゃあ俺がひょいと上を見ただけでおしまいだ。
彼女は早くスパッツなりジャージなりの対策ウェアを身につけてほしい。このままでは俺の視線がウィルスと化して彼女の下半身に侵入しないとも限らないし、その十八禁ゾーンを衝動的にワンクリックしちゃうかもしれない。それくらいに無防備である。
とはいえ、そんな高くまで登るわけでもなし。人1・7人分くらいの高さだ。
直ぐに登り終える。少しの辛抱。我慢我慢。
俺は無心で手と足を動かす。
だというに、数秒後。
この手が最後の手すりを掴んだ頃には、いよいよ色即是空に頼らないと上を見上げたいという誘惑に負けそうなレベルにまで俺の心は堕ちていた。
まあ、その葛藤との闘争ももう、これで終わりだけど、
ふうー、やりきったぜ。
誰かこの俺の自制心の強さを褒めて欲しいね。これは完全に移植エロゲ主人公の器ですわ。卑猥が一切ない。
などと心の中でひとりごちていると、さっと視界が暗くなった。
「かちゅーしゃー、うえー」
うえ? 太陽に雲がかかったとでも言いたいのかな?
なんて思って、俺は言われるがままに、
「いやいや、カチューシャって。ロシア民謡じゃあるま……」
上を――。
「ヴェヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
俺はまた、空間を操って亜空を切断しそうなくらい伝説級に愛らしい声を上げた。
そして、視界に映りこんだ卑猥すぎる下着に瞠目し、うっかり手すりから手を離す。
そんな俺を待っていたのは、落下。絶望的浮遊感。
普通に飛び降りれば怪我などしない高さだが、不慮の事故で落ちたとなれば、話は別。俺はこれから自分のケツあたりを襲うであろう痛みを覚悟した。
直後。
ドラゴンみたいな声はだせるが、そらをとぶは使えない自分を憎みながら、地面に尻を激突させる。クラスではゴーストか毒ガスみたいな扱いしか受けていないのだから特性でふゆうしてもいいじゃないかと思ったが、僕の住んでいる世界に小さなモンスターは存在しないという残酷な現実を尾てい骨への痛みが突き付ける。
まあでもきっと、これは自分が招いたことなのです。
だって、俺、上を見上げる前に彼女の靴が目の前にあるのをちゃんと見てたからね。その状況で上を向いたらどうなるかなんてあらかた分かってたけど「いいや、それはシュレディンガーのパンツ!」つって言い訳して上向いて無事パンツだったからね。
だからこれは正しい対価ですわ。
しかし。
「だいじょうぶー、かつかつー? せいー」
そう言って、仰向けになった俺に向かって、覆いかぶさる様に四鬼条がダイブしてくるのは、どう考えても不当な罰則だった。
突如やって来た意味不明に、言語野、崩壊。
「おまえ! 何考えtでっ!」
だいじょうぶーって聞きながら怪我人へダイレクトアタックを決めるやつがあるか! このアホ! おまえ絶対物理の成績悪いだろ! ふざけんな! あーもうその時々見せる笑顔ずるい!
俺はブチギレながら、とりあえず四鬼条が怪我をしないよう受け止める体勢だけをギリギリで整える。
けれど彼女は、そんな俺の心配りなど素知らぬ顔で両手を広げて、まるでスカイダイビングでもするかのように俺の直上でフリーフォール。
あの、ここ地面コンクリなんですけど?! それ下にトランポリンとかないとやっちゃいけないことしてるからな??? お前!!!
「なにもー?」
そして、彼女がそう言っって、一秒もしない内に。
「ごふっ!?」
「へひゃっ」
ゴチン!
彼女の肢体をなんとかこの全身で受け止めて肺の空気とさよならしたら、それでも勢いを殺しきれなかった頭部がこちらへ襲来。そのままその形のいいおでこが俺のおでこと正面衝突。脳天直撃。頭がパーン。
もはや、痛みを感じる猶予すらなかった。
そうして、俺の意識は途絶恵梨香。
あれからどれくらい経ったんだろう。
ふと目覚めると、四鬼条が敷いてくれたのか、俺はレジャーシートの上に仰向けで寝かされていた。
額には、もう溶けてしまったビニール袋の氷水。……プラスたんこぶ。
そして腹部には……。
なぜか俺の腹を枕にして眠っている四鬼条がいた。
こいつ、どんだけ自由なんだよ……。
とんでもない美少女と一緒にお昼寝(物理)をしていたというのに、ときめきよりもそういう萎えが優ってしまうのが、彼女らしいといえば彼女らしいと思う。
「なんだかなあ……」
四鬼条は、とても気持ちよさそうな顔で眠っている。なんなら、起きている時より豊かな表情をしているんじゃないかってくらいに。
そうだよな、俺達陰の者からしたら、現実なんかよりも夢の方が幸せだよな……、と思ったが、四鬼条は別にそういうタイプでもないか。じゃあどういうタイプなのかと聞かれても困るが。まあ、キャラとかタイプとか、そういう風に括れないのが、四鬼条紫蘭という女の子なんだろう。
そう思いつつ、自分の腹筋の上に乗った彼女の寝顔を眺めていた。
まーじでかわいいな。適度な重量感も心地いいし。
しかしこのまま起こしてしまうのも気が引けるので、身動きがとれない。
俺はとりあえずポケットのスマホへ手を伸ばした。困ったらとりあえずスマホに触ろうとするのは、現代人の抱える闇の一つだと思う。
や、決してこのかわいい四鬼条の寝顔をパシャリたいとか、待ち受けにしたいとか、#彼女感でツイートしたいとか、そういう邪な想いでスマホを手にとったわけじゃないからね? 全然そんなことしたいとか思ってないから。うん。ほ、ほんとだよ?(震え声)
というわけで、ここでカメラ機能を使ってしまったら犯罪だと自分に言い聞かせつつ、スマホを開いた。
クラスでスマートウォッチを付けてる奴が「これあるとスマホ見るより早く時間がわかって便利なんよー」とかいう、それ腕時計でよくね? みたいなしこたま頭の悪い感想を無駄にでかい声でのたまっていたのを思い出しながら、時間を確認。
時刻はもう、三時半だった。
「マジかよ!?」
あまりのことに、つい俺まで低脳ウェイ共のような語彙力も品位も落ち着きもないバカ丸出しの大声を上げてしまった。
だって、アレだよ? これってつまりあれから一時間半は経ってるってことでしょ?
やっべ、体育だけサボるつもりが、六限の古文まで……。
嗚呼、この高校で何もかもが終わってしまった俺の唯一の美点が、成績だったのに。
「畜生! ジーザス!」
ちょっとお試しでサボるつもりが、初回から大規模にやってしまった。眉毛軽く整えるかーと思ったら全剃りしてしまったかのようなやっちまった感。
ま、でも、いっか。
元はといえば自分で決めたことだし。
俺の上で寝てる四鬼条の寝顔はかわいいし。
お空もすげえいい天気だし。
なんか悩みとか、どうでもよく思えてくる。
「俺ももう一眠りするか」
時には何もかも忘れてリフレッシュするのも悪くないのかも。
そう思い、目を閉じようとしたのだが。
「たけはら、ぴすとる……」
四鬼条はそんなうわごとを呟いて寝返りをうち(いや、どんな夢だよ……)。
俺の股間の方へ、その紫頭を載せ――。
「うおおおおおおい!!!! 危険すぎるだろう! それは!!」
俺は当然飛び退いた。
ごつん。
結果、彼女の頭部がやや乱雑にレジャーシートへシュートされたが、それくらいのことをお前はしたのだ、許してくれ。むしろそうしなかったらお前がやばかった。お前のそのぷっちりした唇が俺の股間と股布ごしの間接キスかましてた。そしてそのまま俺の腰のピストルが「よー、そこの若いの」ではなく「ANARCHY IN THE UK」を歌いだして性のアナーキストになっちゃうとこだった。
「はあ、はあ、あぶなかった……。眠っているのをいいことに、色々危ないことになるところだった……。大人のピタゴラスイッチ始まっちゃうとこだった……」
俺が立ち上がって安堵の溜息をついていると。
「っつ……。むぅ……」
四鬼条はむくりと不気味に起き上がり、おもむろに立ち上がった。
「うー、いだい……」
寝ぼけ眼で、後頭部を撫でながら、元々ダウナーな声をさらに抑え目にしてうめいている。なんかもうゾンビみたいに。いや、こんなにかわいいゾンビ、見たことないけど。
「……うーん? ウィンナーくぅん? どうしてー?」
しかもそんなこと言いながら俺の頭をぱかぱかたたく。目をぱちくりさせて。
「いや、勝利だし、つかそもそももじるならウィンナーじゃなくてウィナーじゃね?」
「あれれえー、夢なのかなー?」
今度は俺のほっぺたをつねってきた。
「いたたた……、そう思うなら普通自分のをつねるだろ!」
「いたくない……。やっぱり夢かあー。おやすみ~」
「そりゃ自分のをつねってないんだから痛いわけねーだろが! お前に痛みを教えてやろうか?!」
「どうぞー」
そう言って四鬼条はずいとこちらに逼迫して、頬を俺の方へ傾けた。
綺麗な顔が信じられないくらい至近に迫り、緊張で体が強ばる。
「あー、えーと……」
何度も女子に告白しているくせに、ほっぺたをつねるという一見簡単な行いが出来無い自分を呪いながら震え声。ちゃうねん、言語化と接触じゃ、ハードルがダンチやねん。
だってなんか俺なんかが触ったら、ダメな感じの幽幻よ? 四鬼条って。
「いや、ごめん。ああ言っといてなんだけど、女の子に暴力振るうのは、ちょっと……。てか、距離近くね?」
すると。
「せいー」
彼女はその無気力な声と共に細腕を振るって俺を腹パンした。
「いたっ!」
ガリガリな彼女の、腰も入ってないへなちょこ拳なんて痛くも痒くもないのだが、あまりに予備動作がノーモーション過ぎて、反射的に声が出た。なんだよそれ、ボクサーかよ。や、こいつ絶対無我の境地入ってるでしょ。
「え、なんでお前が殴ってくんの? 意味わかんないんだけど……」
「遠ざけましたー」
はえー……。たしかにお前が俺を殴りつけたことで、そのぶん俺は後退したけれども。お前それ、「好きな人が出来てしまって毎日胸がドキドキしてしまって苦しいです、どうしたらいいですか?」って質問に対して「じゃあ殺せば解決ですね!」って言ってるのとほとんど同義やからな。……サイコパスかよ。
四鬼条に対しやや恐怖を覚えた俺は、控えめに彼女をたしなめる。
「あ、そう。俺が悪かったのかな? 近いとか言ってごめんね? でもどっちかって言うと遠ざけるんじゃなくて遠ざかって欲しかったし、なんならお前が不快じゃないけりゃあの距離でもわたしは一向にかまわんッッというか……」
「……くふっ」
「なぜ急に笑う……?」
この子も週刊少年チャンピオンとか読んでたのかな?(すっとぼけ)
「いやー、うぃざーどくんってー。ゆるいなーって」
「はあ? てかウィザードってなんだよ。もう原型なくなっちゃってんじゃん……」
「うぃーるくんはー、紫蘭のことー、あだ名でよんでくれないんですかー?」
え? は? ん……? それはなに、呼んでほしいってこと? あだ名で?
それはつまり俺に好意を……? いや、しかしやはり今も表情筋は無だしなあ……。
言動も表情も不可解過ぎて、俺は困惑するばかりだった。意図というものがまるで推し量れない。あるいは本当に何も考えていないのかもしれない。
「え、ああ、うん。……え? も、もう一回言ってもらえるかな?」
あまりのことに、盛大にキョドってしまった。
これはアレだ、この学校に来て初めて女子に話しかけられた時並のアレだ。まあ、その、でも、その女子というのは辺見だったわけで……後々……、うっ、頭が……!
「いつでもさ~がしているよ~、どっかにぃ、き~みのすがたを♪」
トラウマを思い返してたら示し合わせたみたいにトラウマソング歌いだしたよ、この子。何の因果? 阿吽の呼吸かよ。これは四鬼条なりのプロポーズなのかな?(蒙昧)
それと毎度のことながらフリーダム過ぎるでしょ。街中で目があったら急にラップバトル始めるラッパーと大差ないくらいに唐突なんですけど。ここはデトロイトですか?
「ああ、はいはい One more time,One more chance ね。急にもう一回とか言い出して悪うござんした」
ああ、中学の時にいつでも探してたなあ……。昼休みの体育館、放課後の帰り道、引退試合の応援席。そんなところに女の子なんているはずもないのに……(解脱)。
そんな俺の憂いを帯びた目になんら気負うことはなく、四鬼条はゆる~く。
「せぇかーい! うぃるすみすに一ポイントー!」
そう言いながら、どこからともなくヨーグレットを取り出すと一粒差し出してきた。胃袋がキュンキュンしちゃう。今日は昼食をとる機会を奴隷労働と徘徊、危険物処理によって失っていたため、とってもありがたい。
俺はそれを服用すれば暗黒時代の記憶を忘れられるような気がして、目を爛々と輝かせつつ彼女から白い錠剤を受け取り、感謝を告げるとバリボリと噛み砕いた。
嗚呼、此の、舌を刺激する曖昧な酸味、青春の、かほり……。んんーーー、絶頂!
とまあ、このお菓子の悪魔的美味さはおいといて。
「ツッコミどころが多すぎるんだよなあ……。てか一ポイントってなに? 貯まるといいことあるの?」
「紫蘭をー、よんでもいいですよー。女王様ってー」
「いや、同級生をそのあだ名で呼ぶのはまずいだろ……」
もうそれ完全に愛称じゃなくて蔑称、あるいはご職業になっちゃってますやん……。
「でもー、中学ではー、そう呼ばれてたけどねー」
………………は?
それはどう言う意味で? 詳しく!
とは言えなかった。ぶっちゃけ反応に困り過ぎて越谷家のちっこい姉になった。
「あ、ごめん。なんかそんなあっけらかんとヤバイこと言うのやめてもらっていい? こっちにも心の準備とかさ、そういうの、あるから……」
「?」
え、なんでそこでキョトンとする? なんだそのまだ幼稚園年少さんだった頃の俺の妹みたいな目は! つぶらか! ピュアなのか! かわいいかよ! マジでかなりこの子頭イっちゃってるのに顔がいいせいでそれが全部プラスに見えてるのずるいからな?
「まさかとは思うけど、女王様が褒め言葉だと思ってるのか?」
「それはー、言う人次第かなー。あだむすみすが言うなら性癖と思うー」
理解して言ってんのかよ! タチが悪いわ! というかだったらもっと恥じらって? なんで言ってるお前だけ無表情で俺だけこんなに体温上昇させてんだよ。バカみたいじゃん。なんか一人相撲とってるみたいな気分になるんですけど。見えざる手ならぬ見えざる相手って感じだよ。
あと、どうでもいいけどアダムスミスってあすみすって略せるよね。以上です。
「おい、もうほんとに俺の要素一ミリもなくなっちゃってんじゃん! お前なに人のあだ名で山手線ゲームしてんの?!」
「神保町くぅーん、性癖なのはー否定しないんですねー」
「いやそれは触れづらいからあえてスルーしたの! なんなの?! 最近の女子のあいだでは下ネタが流行ってんの?! あと俺が山手線ゲームつったから駅名になったのは百歩譲ってわかるとしてなんで素直に山手線の駅名じゃなくて半蔵門線なんだよ! ボケが入り組んでてツッコミが渋滞するわ! 欲張りセットやめろ!」
頭ハッピーセットかよと言おうと思ったけどさすがに言い過ぎかなと思って自重した俺を褒めてくれるまともな人間がこの場に存在しない不条理さよ(無常)。
そして。
「えへへー、うれしいくせにー」
なぜかジト目を向ける四鬼条。
「はあ……?」
何言ってんだこいつ……(てか睫毛長っ)と思って嘆息したはいいものの、言われてみれば美少女とこうして楽しく冗談を言い合うのを、俺は楽しんでいるのかもしれない。
すると、なんか意味深な表情をして四鬼条が意味深に黙った。
「……(じー)」
なんだろう、やはり言動は滅茶苦茶だけれども、やはり見た目は謎めいて神秘的なので、そんな彼女が神妙な面持ちでこちらを見つめていると、純情が戸惑いを覚える。
「……(ゴクリ)」
思わず息をのんでしまった。
なんだか自分の中でボルテージが高まるのを感じる。なんと言えばいいかはわからないが、……そうだ! どことなく、青春の兆しを感じる……っ!
そして、彼女はこちらの期待を最大限に煽った上で、その口を開いた。
「わたしはべつにー、うれしくないけどー」
がくっ! 俺は心の中で盛大に吉本新喜劇と化した。
しかも、あまりのことに思っていたことがそのままドバドバ大勝ちしたメダルゲームのメダルみたいな勢いで溢れ出してしまう。
「嬉しくないのかよ! そこは嬉しい及びそれに準ずるセリフを言えよ! じゃあなに、さっきの意味深な間はなんだったの?! ちょっとぼーとしてただけだったの? 寝起きだしまだ眠かったのかな? それを俺は自己中に勘違いしちゃってたわけ? 悲しいね! 俺ってば、かなしいね……。かなしいよ……。この胸のときめき、かえして……!」
一通り無呼吸で畳み掛けたが、後に残るのは虚しさだけ。無呼吸でするパンチのラッシュは強力らしいが、無呼吸でする言の葉のラッシュは悲愴でしかなかった。
そして、パンチのラッシュってパンチラみたいな語感だなあと思い至ってしまったが為にふと芋蔓式に脳裏へと再来してきた例のドエロ下着のことを忘れるべく、アフリカの子供たちへと思いを馳せる。うーん厭世。
そんなふうに心のチェンジオブアペースに病んでいると、うなだれている俺の脇腹を、ちょちょんとつっつく感触があった。
くすぐったくてびくんとはねる、俺。
突然の衝撃に、頭の中身は強制シャットダウン。
途切れた思考に流れ込んでくるのは、こんな笑い声だった。
「……でもー、あたふたしてる市ヶ谷くんをみるのはー、たのしいですよー?」
口に手を当ててにやーっとする四鬼条は、妖艶だった。ゾクッとするくらいに。
「おまえは魔性の女かよ……。たしかに小悪魔感はあるけども。てかちゃっかり都営新宿線に乗り換えてるし」
それとさ、もーーーーーいい加減勝利って呼んでくれても良くない? そんなに勝利って呼ぶの嫌なのこの子? だったら灰佐でもいいんだよ?
心の中で俺が忖度していると、四鬼条は急にスマホをいじりだした。
「えーとー……」
そして、ほんの少しだけ口角を上げて、俺のほうへ向き直り。
「わたしー、月島くんにいいたいことがあってー」
「いや、わざわざ路線図ググってまでそのボケ続けなくていいから」
そのためだけに携帯開いてたんかい! 駅名に詳しくないなら無理しなくていいから。こんなことにベストを尽くさなくていいから。こればっかりは二番でも誰も文句言わないから。むしろそんな無駄な通信料の使われ方したギガくんが草葉の陰で泣いてるから。だからそのくっそ益体のない労力は、ノータイムで仕分けてもらおうな。
……などと、俺が勝手に脳内で四鬼条を国会議事堂へ連行していると。
「さっきはー、すみませんでしたー。いたかったー……、よね?」
当の本人は、胸の前で人差し指を付き合わせてもじもじしながら、そんなことを言ってきた。
つい今しがたまでのアレな発言からは想像もつかない正統派ヒロイン然とした言動に、ドギマギしてしまう。見た目の奇抜さが、それを浮き彫り視していた。
「あ、ああ、そのことね。まあたしかにアレは効いたが……、つまるところ俺の日頃の行いが悪いからああいうことになったんだろうし、気にすんなって。むしろ、氷水とか、わざわざ保健室からもらってきてくれたんだろ、ありがとな」
すると彼女は、下を向いて、少し押し黙ったあとに。
「……。へえ、怒らないんですねー。わたしとおしゃべりしてる時はー、すぐ怒るのにー」
「小学生じゃあるまいし、それくらいで一々怒ったりしないから。というかあれは、キレてるんじゃなくてツッコミだからね?」
「キレ芸はー賛否わかれるよねー」
「いや、人の話聞いてた? キレてないからね?」
「キレてますか?」
「や、キレてないっすよ……って、おい!」
なぜか某プロレスものまねで古に一名を馳せた子デブ芸人の真似をさせられてしまう俺。
「えー?」
いたずらっ子みたいな笑みでとぼける四鬼条。
これを辺見あたりの糞女にでも強要させられていたら立派ないじめ案件だったしブチギレだっただろうが、四鬼条にのせられるのは、案外悪い気分ではなかった。加えて、さっきから終始彼女のペースで踊らされているような気がするけれど、それはまるでベテランのパートナーにリードされているかのような心地よさで、そのステップ一つ一つの奇想天外さに、心が自然と弾むのだ。まあ普通のダンスだったらリードするのは男性の役目なのだけども、それはここでは考えないものとする(皆無の甲斐性、アイアム畜生、いぇあ)。
第一、目の前できゃっきゃと頬を緩める彼女の、きっとこの学校で他の誰もがみたことのないその尊い表情を見ていれば、あらゆる些事なんて吹き飛んでしまう。それも彼女は、こんなクソおもしろくもなんともない俺の言葉で笑ってくれているのだ。これ以上の幸福があるだろうか。いや、ない。
……ごめん、嘘ついた。やっぱ三鷹先生との結婚が全一だわ。
そんなことを、四鬼条の薄いまないt……じゃなくて胸板を眺めながら考えていた。
……いや、俺、最低かよ。性の欲に忠とかいて実りすぎる。
自己嫌悪で暴れだしたくなってきたので、俺は別のことを考えようと、なぜかさっきからこちらを睨んでいるかわいいかわいい四鬼条ちゃんに話題を振った。
「というか、お前の方から謝ってくるとか、すごい意外だったんだけど」
むしろパンツ見てごめんと俺が謝るべきなのでは?
こいつの胸小さすぎだろ、黒羽と同レベルに貧しくね? とか思ってることを懺悔して市中引き回しの刑とかに処されるべきなのでは?
すると
「あー、それはー……」
彼女は少し思わせぶりに目を伏せて――
もう一度こちらを見ると、
「勝どきくんのー……、驚く顔がみたかったんでー」
したり顔でぺろりと舌を覗かせた。
ちょっと、というかかなり、どきっとした。
でも、なんだかそれを悟られるのは、自分でもよくわからないけれど少し恥ずかしくて。
わざとちょっぴし大げさに、能天気な声を上げてしまう自分がいた。
「やった! ようやく俺っぽいのに戻った! えーと、何線だっけそれ?」
「……おおえどおんせんものがたりー」
「あ? ……ああ、大江戸線ね」
素直にものを直接的にポンと言えないのかな? 四鬼条ちゃんは。こいつ絶対選択肢あるゲームでわざとバットエンド行きそうな方選ぶタイプでしょ。このひねくれ者め。
「とかく、大江戸線、万歳!」
「よかったねー、おおえろくーん」
「あーもう勝利の余韻に浸る間もなく終わったよ。なんだこの三日天下。しかもなんかどことなく卑猥だし。おおえろってなんだよ。もはや名詞ですらなくなってんじゃん。あとどうせなら大トロくんが良かった……。美味しそうだし……」
「紫蘭はいくらかなー。みっちーはー?」
「は? みっちー? みっちーってなに? 石田三成? 一々俺の言葉に忠実にあだ名つけなくていいからね? ……俺はもちろんカツオ」
勝利だけに鰹。かつっちです!(意味不明)
「ただかつくんがかつお……。共食い……」
「いや、本多忠勝も灰佐勝利も人間だから」
てか、さすがに東の天下無双を名乗るのはおこがましすぎる。
むしろ俺は今時の女子高生(四鬼条をその枠でくくっていいのかという根源的な問はこの際不問とする)が教科書に載ってない戦国大名の名前を知っていることに驚きだよ。もしかして無双とか野望とかやってるのかな? もしかして恋姫だったり!? あー、俺もなー、こんなかわいい同級生となー、二人プレイで無双ゲーがしてえなー……。
なんて夢を見ていたら、彼女の手にはやはりスマホが握られていて。その画面では、お馴染みのグーグル先生が……。
あっ……。
全てを悟った俺は、脳内で砕け散っていった淡い夢の残骸を踏みしめて、強く生きようと誓った。
そしてその後は、スマホとにらめっこしながら勝のつく戦国武将シリーズで俺をからかう四鬼条の相手をすることとなり、紆余曲折して、勝海舟でフィニッシュ。
お寝ぼけさんの相手をさせられていたはずが、いつの間にやら彼女のおもちゃにされていた気がするけれど、不思議と胸があったかいのは、どうしてだろうか。
わけはわからないけれど、嫌ではなくて。支離滅裂なのに、不快じゃなくて。
なにをしてもらったわけでもないのに、心地いい。
結局、どれだけ話しても、四鬼条紫蘭という女の子のことは、よくわからないのだった。
そして。数十分後。
「あのさー、センセーはね、二人がいい影響を与え合いそうだなーって期待して引き合わせたワケよ。それがさー、いきなりアチュラチュラブラブおサボりじゃ困るのね。二人とも、センセーの言いたいコト、わかるよね?」
俺と四鬼条は、仲良く第二生徒指導室へと連行され、説教をうけていた。
「やー、こんな屑としきしーがらぶらぶとかありえないし!」
辺見緋凪という、クソ忌々しいプラスアルファを、傍聴人として。
「なんでお前が答えんだよ辺見。お前人の話聞いてうんうん言ってるだけが取り柄のくせにそれすら放棄しちゃったら何も残んないだろ? おとなしく黙ってろや、金魚のフン」
「はあ? ころすぞ、陰キャ犯罪者! 何つけあがってるわけ? ほんときっもいっ!」
早速がるるーと睨み合う両者の間に、三鷹先生が割って入る。
「こーら、こらー、いきなりヒートアップしないの! そうだね、今のはちょっとセンセーも不適切でした。ごめんね、緋凪?」
「べつに。わるいのはサーヤじゃないし。こいつが生きてるのがわるいだけだし」
「なんでだよ! お前俺の先祖の墓の前でも同じこと言えんの?」
「はあ? あんたなんてどうせみなしごでしょ?」
「お前、いくらなんでも言って良いことと悪いことが…………。あ……でも、たしかに、妹と俺って驚く程似てないんだよな…………」
「え、ごめん。冗談だったんだけど……。パチだよね? それはさすがにあんたでもかわいそう…………」
剣呑な空気。
「いや、でも、そんな……、まさか…………」
俺が辺見によって、真理の扉を開きそうになったその時。
「でもー、辺見さんとかししってー、似てませんかー?」
「「どこが!?」」
四鬼条の煽りのせいで、またぞろ同調してしまった。もう相手のバトルフェイズでもシンクロ召喚できちゃいそうだな、俺達(@虫唾)。
そして、さすれば無論、殺意込めた目で俺にガンガンメンチ切ってくる辺見。
「なんなのハイシャ! 合わせんな! まじきもい! おぞましいからやめて!」
「それはこっちのセリフなんだよなあ……。俺なんかもう気持ち悪すぎてゲロ吐きそうだからね? ねえ、だれか、エチケット袋もってない?」
「はあ? うちだって、気持ち悪すぎて今すぐあんたを病院送りにしたいし」
「ああ? ほんと意味わかんねーなお前! 気持ち悪いならお前が行けばいいだろが! 馬鹿なの? 考えてからものをしゃべりましょうねー、おばかちゃーん?」
「うっさいハイシャ! ならあんたはとっとと吐いてこいし!」
「なんだよそれ、俺の中学のクソ顧問みたいなこと言うの止めてくれる?」
「しらないし! あんたの中学の話なんてだれも聞いてないから!」
てな感じで、今日も今日とて辺見と俺の闘いは続くわけなのだが。
その戦場に、大層場違いな野次が……。
「ひゅーひゅー」
朗読下手くそな奴が風の擬音を音読してるみたいな調子の声。
そして、そののっぺりした四鬼条の棒読み茶々は、ヒートアップしていた俺達の毒気を抜いてしまう。
「「…………。」」
まるでスポーツの試合中、コートへ猫か何かが乱入したかのように。
「……いや、今のどこにひゅーひゅー入れる要素あった?」
「しきしーってばもー、うけるしー。ちょーかわいーんだけどー」
辺見なんてもう、俺と一秒前まで喧嘩してたのが嘘みたいに不抜けた面で四鬼条に視線送ってるしね。変わり身はっや! だから嫌いなんだよ、この尻軽女。
しかし、俺が辺見に辟易している反面、三鷹先生はどうやらご満悦らしい。
「紫蘭が犬猿の仲の二人を取り持ってくれて、センセーうれしい!」
「じゃあー、もうかえっていいですかー?」
「はー。紫蘭ってばすぐそれだよねー。なあに、観たいテレビでもあるワケ?」
「月よーのよあけー」
「あっは、きょう木曜だしw しきしーほんとギャグセンやばw」
「しかもアレ、深夜番組じゃん。もー、紫蘭、真面目に答えないとダメだぞー」
「先生、じゃあ俺も見たい番組あるんで、帰っていいですか?」
「……タイトルは? まさかニュース番組とか言わないよね?」
四鬼条と違って俺の場合はガチなんだが、先生は疑うような目線を向けてきた。
「いや、ちがいますけど……。あ、でも……、それをここで言うのは、ちょっと……」
さすがに女児向けアニメのタイトルをここで出すのは憚られる……。
俺がそう思い躊躇していると、辺見がなにやら急に増長し始めた。
「あれれー? どうして言えないのかなあ? もしかして人には言えないようなやばいテレビでもみてるんですかー? まあ、でもハイシャがみてるような番組だしぃ?」
こいつ……! 人が弱みを見せた途端、鬼の首をとったように……!
「は? はあ? そ、そんなわけねーし! だ、大体、6時台でそんなやべえ番組やってるわけないだろが」
「えー、でも声が震えてますけどー? さっきまでの威勢の良さはどこにいったのかなー? もしかしてほんとに図星だったりー? 6時台ってことはー……」
辺見はゲス顔でそう言うと、シュババババとスマホを操作し――
「例えばさー、この、ちっちゃい女の子がみてそうなやつとか……」
彼女が掲げる液晶画面には、俺の大好きなキャラクター達のキービジュアルが……。
「……へ、へー。そんな番組やってたんだー(震え声)」
「ふうん、とぼけるわけ? でもそうなるとさー(暗黒微笑)、あれれー? おっかしいなー?」
「な、なにがだよ……?」
というか、なんなのコイツ。なんで急にコナン君みたいになってんの?
「だってさー、6時台で他の番組っていったらー、もうニュース番組くらいしかないんですけど? でもそうすると変だよねぇ? あはッ、最初にあんたはそれを否定したもんねえ?(呵呵大笑)」
「なっ……!?」
逃げ道を封鎖され、絶望する俺。
楽しくてしょうがないというような目で俺を見下す辺見。
この野郎、俺が女児向けアニメを見ているということを強く確信してやがる……!
「あはは! ねえねえ、図星? 図星だったわけ? あんたってばこんな小さな女の子がみてるようなくっだらないアニメみて慰みものにしてるわけ? そうやって現実逃避して自分のこと慰めてるんでしょ? きっも! やっぱりあんたってどうしようもないハイシャだわw あは、まじうけるんですけど。ハイシャってばまじ敗者www(大爆笑)」
辺見は我が意を得たりとばかりに、眉根を歪ませて嘲笑する。
いくらなんでも言い過ぎだと感じたのか、三鷹先生が止めにかかる。
「こら、緋凪。さすがにそれは……」
しかし、俺はそんな力に頼るわけにはいかなかった。一女児アニメ視聴者として、戦わねばと、俺の中のprideが告げていた。自分の地位を捨ててでも。
「いや、先生。いいんです。事実ですから」
するとまあ予想通り、辺見が喚き出す。
「あー、認めたんだー? やっぱりうちの思った通りだったし。ほんっとあんたって残念だよねーw」
そんな典型的なスクールドラマの小悪党みたいな彼女に対し、俺は一喝。
「うるせえ黙れビッチ! いいから黙って聞け!」
「はあ? だれがビッチだっつの! なんでうちがあんたの話なんか……!」
「あれは、この去年の秋、心だけでなく体まで凍え始めた十二月頃の話だ――」
こいつは今でこそ虚勢を張っているが、なんだかんだいって流されやすい奴なのでこっちが聴かせる空気さえ作ってしまえば勝ちだ。俺は奴をガン無視して語り始めた。
「え、なにそれ、急に。てかなんでサーヤもしきしーも聞く気満々なの!?」
そしてまあ心優しい三鷹先生は当然として、なぜか四鬼条も話を聞いてくれそうな感じだったので、俺はそのまま痛く切ない自分語りを始めた。
「生徒だけでなく、教師にすら口を聞いてもらえなかったとある日の寒空。帰り道、寒さに震える体を抱きしめながら、やっとの思いで入った我が家に入ると、誰もいなかった。両親も妹も外出しているらしい。屋外から室内に入ったというのに、俺はより心身が冷え切っていくのを感じながら、さっきつけたばかりのヒーターのオレンジを見つめていた……」
「ううっ……! ごめんね、勝利! センセー、君たちが一年の頃は担任じゃなかったから……。勝利がそんなに苦しんでいるなんて知らなくて……っ! でももう大丈夫だからね、つらいことがあったら、センセーにいつでも頼っていいからね……っ!」
ありがとう、先生。そんなあなたが僕は大好きです。結婚しよう。
「そうして、二時間ほど無為にヒーターと戯れていた俺は、体の前面が異様に熱を帯びているということにようやく気付き、すんでのところでその暖房器具の元を離れた。危うく一家と俺が全焼するところだったが、それはこの際たいした問題じゃない」
「え、どう考えてもその話、やばすぎでしょ……。こわっ……」
「あーちち、あーち、もえてるんだーろうかー♪」
「この歌が不謹慎になるようなことが起こらなくてセンセーは本当によかったです……」
三鷹先生だけが俺のことを心配してくれていた。や三神。や辺糞。や四謎。
「さて、体がこんなに熱くなっても、心は冷えたままなのだなと、俺は燃えるように熱い腹部を撫でた。すると、そういえば腹が減ったなという生理欲求の存在を思い出し、夕食を取ることにした。しかし、俺に調理のスキルは皆無。仕方がないのでその夜はカップ麺で済ませることとなった。沈黙を、湯が沸騰する音だけが引き裂いていく……」
「ねえ、この話とさっきまでの話に何の関係があるわけ?」
「辺見さーん。しいー」
「え、ああ、うん……」
「そこから三分が経過した。無音の暗がりの中、カップ麺を啜る音だけが響き渡る。腹は膨れていっているはずなのに、感じるのは空虚さのみ。敢えて言うのなら、虚無感だけがブクブクと膨れ上がっていったのかもしれない。俺は何のために生きているのだろう。そんな疑問が何度も頭をよぎり、その度に俺はカップ麺をぶちまけたい衝動に駆られたくなったが、それを掃除するのは自分だと思うと、その気は毎回失せていった」
「ねえ、やっぱりこの話さっきの話と何も関係なくない? これ聞く意味、ある?」
「緋凪、こっからがいいところだから。静かに」
「え? ええぇ……?」
「そして、ふと俺は思い至る。そうだ、この無音がいけないのだ! きっとこの無が、俺が一人であるという事実を浮き彫りにして突きつけてくるのだ! パスカルも言ってたじゃないか。王様というのは周りにいつも賑やかしがいるから寂しくなくて済むのだと。であれば俺もなにかこの部屋を騒がしくするなにかを……。目に付いたのは、真っ黒の画面。そうして、俺は手にとったのだ。テレビのリモコンを。テレビなど見ても何も面白いとは思えなかったが、この虚無を埋めてくれるのなら、なんでもよかった。チャンネルなど気にせず、ただ無差別に電源を入れる」
「なるほど、そこであの子供向けアニメをやってたわけか!」
得意気にポンと手を叩く辺見。
人の顔色を伺うのが趣味なだけあって、意外にも聞くとなったら俺の話でもきちんと聞いてくれていたらしい。
まあ、さっきまでは散々文句を言っては四鬼条や三鷹先生にたしなめられてたが。
そして、辺見よ。そんなお前に一つ問いかけたい。
完全な実力不足とはいえ、告白ガチャに失敗し続け、Nの玉砕しか引いてこなかった不運な俺が、その一回のみのテレビとのチャネリングで、一発ツモを決められると思うか?
俺はアイロニックに鼻で笑うと、この深淵へとつながっていそうな口を開いた。
「だが、そこでやっていたのはなんの変哲もないニュース番組だった。人の不幸を晒しあげ、安全な画面の向こうからの同情や批判を誘う低俗なマスメディアだ。奴等はこともあろうか、いじめや不登校についての特集をやっていた。俺は気分が悪くなって、チャンネルを変えた」
「…………」
「勝利ぃー……(泣)」
「ずっと、さがしてーいた、りそうのじぶんって、もうちょっと、かっk……♪」
「し、しきしー、それ以上は……、ちょっと……」
元々重苦しかった空気が、どんよりと、さらに停滞していく。
「そして、いじめはどうしてなくならないのかなどと、対岸の火事でも見やるかのような態度で舐めたことぬかす無能コメンテーターどもが誰にでも言えるような一般論をさも独自の崇高な解決策であるかのように吐き連ねている産廃染みたその畜生情報番組の裏番で、この、プリリズはやっていたんだ……!」
「くーだらねえと、つーぶやいてー♪」
「や、しきしー、このタイミングでなんでそんな歌!?」
とても感動的な導入だったのに、四鬼条のせいで台無しだった。
俺は気を取り直して、ドキュメンタリー番組のナレーション風味で語りを再開する。
「やがて、二十分かそこらの時が流れた。いつしか、俺の頬は濡れていた。そのアニメの登場人物である少女達は、俺からすれば馬鹿丸出しの、ハッピーだの、メルヘンだの、無知蒙昧な耄碌したことばかり言っていたはずなのに、なぜか俺の胸は熱くなっていたんだ。そうだ、彼女達の輝かしさこそが、その日初めて凍結した俺の心を寒さから解放してくれたんだ……。プリズムの煌きが……」
以上が、俺とプリリズの出会いだった……。
なんて運命的なんだろう。ちょっと感動してきた。
「かなしみのーはてーに、なにがあるーかなーんて♪」
四鬼条の無感動な歌声さえも、なんだかプリリズに出てきた記憶喪失の少女を彷彿とさせ、叙情的に聞こえてくる。
だというに……。
「はあ? 意味わかんないんだけど? 子供向けアニメで泣くとかあんた頭おかしいんじゃないの? しかもなんか今もちょっと目元潤んでるし……。きもっ……」
お前、泣いてる人に向かってその言いようはなくない!?
なんで感受性豊かな人間をみんな否定するの? 俺が一年生の時総合の授業か何かでブラックジャック見て泣いてた時もみんな俺のことキモいキモい言ってきたけどさ、逆にあれを見て泣かないとか、お前らそれでも人間かよ!
無感動に生きてるお前らの方がよっぽど非人間的だからな。覚えとけよ、糞が!
……と、今はちょっと泣きそうになっているわけで、文字通り情緒不安定な状態なわけで、そんな時に煽られたのでかなり感情的になってしまった。
「あのなあ、辺見。確かに俺はお前からしたらキモいかもしれないし、頭がおかしいかもしれない。だから、俺を批判するのは構わん。だが、見もせずに子供向けとレッテルを貼り、プリリズを馬鹿にするその傲慢さだけは、この俺が許さん! 俺だって最初はそう思って見ていたのに、心を動かされたんだ! 子供向けだろうがなんだろうが素晴らしいものは素晴らしいんだ! お前はアナと雪の女王を見たことがないのか! それと学校内だったらなあ、そうやってカーストの低いものにレッテル貼り付けてマウント取るのはお前の好きにしたらいいが、学校外の文化にまでそれが通用すると思うなよ、このクソキョロ充が! 端的に言って死ね!」
「なんなの? なんか早口だし無駄に暑苦しいしいつもの百倍気持ち悪いんですけど……。ていうか子供向けアニメが素晴らしいとか気持ち悪いこと言い出したと思ったら、次の瞬間には死ねとか言い出してさ、説得力全然ないし!」
一理あるな……。話者のステータスというのは重要だ。こんなダメ人間が見ているアニメとなると、プリリズのイメージがダウンしてしまう……。
そうだ! だったら俺だけじゃなくこいつも俺同様最低な人間なのだということを啓蒙してやればいいじゃないか!(自分が変われないので仕方なく他者を貶める人間のクズ)
「お前はただ純粋に友達のことだけを思って行動したことがあるか?」
「は、はあ……? なんなのいきなり?」
「答えられないよなあ? お前は打算だけで友人を作り、強者へ媚びて、適度に弱者を上へ来れないよう痛めつけたり甘やかしたり、そういうことで手一杯だもんなあ?」
「…………。」
キッと無言でこちらを睨みつける辺見。その顔には悔しそうな色が滲み、滑稽だった。
「だがな、俺が見たアニメの中では違ったんだ! そこにはお互いに傷つけ合いすれ違うことこそあれ、真の友情が描かれていた……! あの素晴らしさと比べればなあ、お前らの友情ごっこなんてお笑い種なんだよ!」
どうだ! と辺見を一瞥すると、彼女はさっきまでの苦虫を噛み潰した様な表情から、一変。
「はいはいすごいですねー。じゃああんたはそうやって理想だけ追い求めて一生一人でやってれば? どうせ大人になってもそのアニメみてるんだろうし。ほんとあんたってかわいそうなハイシャだよねー」
開き直って弱点だらけの俺を叩くことによってペースを盛り返してくる。
「うるせえな! むしろ腐った大人に向けられてる作品よりピュアな子供に見せる為の作品の方が美しいのは当然の帰結なの! 自然の摂理なんだよ! 清らかなんだっつの! お前みたいなのとは違ってな!」
「あんたみたいなのがいるから永遠の十七歳とか名乗っちゃう人がいるんだろうなー……。若ければ純粋だって勘違いしてるんでしょ? ほんと男って気持ち悪いよね……」
蔑視。圧倒的蔑視。
くそ、こいつの、「かわいそうとか気持ち悪いという感情をあんたに対して抱いているうちの方があんたより立場が上なんですけど?」という、見下げた心の声が聞こえてくるかのようだ……!
「おい、俺一人を男のサンプルとして世の中全ての男性を叩く材料に使ってんじゃねえよ! むしろ俺は少数派なんだから、その理論でいくと男の大多数は気持ち悪くないことになるだろうが!」
「は? 男は全員例外なく気持ち悪いけど? あんたが突出してるってだけで。なんなら今もうちの胸元みてるし。ばれてないとでも思ってんの?」
バレてないと思ってたんだけどなー……。
しかも今、ぼそっと「小さく見せてんのにこれかよ……。まじいまいましいし……」とかいう声が聞こえきたんだが、それマジ!? この場で2番目(1番はもち三鷹先生)、クラスでも2・3番目くらいに乳の大きなお前が!?
俺は動揺のあまり、素直に謝ってしまった。
「いや、まあ、それはごめん……」
「しね! 次そんなきもい事したら、てめえがそのきしょい番組みてたことばらすぞ!」
「あっはい。それだけは勘弁してください」
うんうん、これ以上俺にヤバい属性が追加されたら学園生活終わるからね。現状は炎上くらいで済んでるけどこれ以上いったらもう灰と化して納骨だからね。別におっぱいの大きい人には逆らえないなんて思ったわけでは決してないからね。あしからず。
「じゃあ、これでこの話はおわりね。あんたの弱みは握らせてもらった。だからあんたもあのことでうちを裏切ったら……」
そこで言葉を切り、ギロリと鋭い視線を送ってくる辺見。
いやこいつマジでどんだけ今の関係性に縋り付くのに必死なんだよ。そうまでして繋げる友達関係って本当に友達なのか……?
とはいえ俺がそんなこと言えるような立場でもないので、やや引き気味に。
「まだそれ疑ってんの、お前? 誰にも言わないって言ってんじゃん……」
「うっさい、あんたの口約束なんてなんの役にも立たないの! そういうことだから!」
辺見はそう言うと、あんたとはもう話すことはないとばかりにそっぽを向いた。
そして、いつの間にやら四鬼条と仲良く動物タワーバトルで対戦を始めていたらしき先生は(うっそだろ……)、それを聞くとスマホから目を離し、こっちを見て。
「あっ、痴話喧嘩おわったー?」
「サーヤ……。まじでやめて……」
「あの、先生、そういうこと言うと後で俺がいじめられるんでやめてください」
「あんたなんかわざわざいじめないっつの。サーヤの前で変なこと言うなし! ちょっと昼休み二軍の子とかにハイシャまじうざくない? って言うだけだし」
「お前のそれが間接的に俺をいじめてるの! わかってて言ってんだろこのアマ!」
こいつマジで陰湿だからな。直接は手をくださないくせに、大本を辿っていくとこいつのせいで俺が被害を受けているといったような窮地に、何度陥れさせられたか……。
こいつのその巧みな手際は、正にバタフライ効果。辺見は蝶というよりは、どう考えても蛾だが。つまり、モス・エフェクト。なんか強そう。
「えー、うち成績ふつーだしー、実は頭いいらしいガリ勉ハイシャくんの考えてることなんてー、わかんないないなー」
「体で教えてやろうか……!」
男子に媚を売る時と、男子を馬鹿にする時にしか出さないような猫撫で声を出しやがった辺見への苛立ちで、血流が加速していくのを感じる。
「サーヤー、灰佐くんが襲ってくるうー」
うぜえ……。
「ああ? なにカマトトぶってんだビッチ! 殺すぞ……」
「うっさいなハイシャ! あんたこそ敗者らしくだまって這いつくばってろし」
再びいがみ合う俺たち。
ねえ、これあと何回やらないといけないの? もううんざりなんだけど。
そんな俺達の厭戦気分を察したのか、丁度いいタイミングで三鷹先生の仲裁が入った。
「はー。まったく、どうしようもないねー、勝利と緋凪わー。でもさ、勝利、緋凪が頼れるのはー、今、君たちしかしないの。緋凪の気持ちにもなってあげて。緋凪もさ、勝利だって緋凪のことほんとはけっこーすきなんだから、大目に見てあげてよ。ね?」
「……まあ、はい」
「だからやなんだけど……。はー、でも、死ぬ程いやだけど……、うん、わかった……」
三鷹先生のウィンクには、辺見いえども逆らえないらしい。この世の終わりみたいな顔で嫌がってはいたが。
そして。
「よしよし、いいこいいこ。また喧嘩したら、紫蘭はちゃんととめてあげるんだぞ? じゃーセンセーはオシゴトあるから、あとはまかせたー。ぷりりず? も見なきゃだしね。じゃ、また明日―。がんばれー若者たちー」
先生はそう言うと「そにーどー!」と叫びながら消えていった。
素直に瞬歩って言わないあたり、破面の中に好きなキャラでもいるんだろうか。
そんな現実逃避をしていると、目の前にはむううと唸る辺見。
「またこのパターンかよ……」
「最悪……」
むしろ瞬間移動でこの場から去るべきだったのは先生なんかじゃなくて、よっぽど俺だったんじゃないか? 今にも殺されそうだよ、俺?
そんな緊迫したなんとも居心地の悪い空気の中、先に動いたら負けとばかりに、まるで一流の剣客同士が居合対決でもしているかのような膠着状態で視線を飛ばし合う俺達。
だが。
「さー、がんばろおーぜー、負けるなーよそーさ、おまえーの♪」
そのどうしようもない停滞の只中を、四鬼条の無機質な歌唱が無遠慮に突っ切っていく。
「しきしーってば、なんでそんなしらない歌ばっか歌うのー? うけるーw」
いや、お前が知らないだけで、この曲は名曲だろが。
てかなに、四鬼条はエレカシ好きなの?
あー、聞きたい。聞きたすぎるが、今はそれをぐっと我慢して、やるべきことをやろう。今のこのふわっとした空気でなら、切り出せる。例のアレについて、とっとと聞いてしまおう。
早めに終わらせないと、マジで夕方のアニメに間に合わなくなるからな。
あと、三鷹先生のおっぱいのために、その情報がいる!
「あのさ、辺見。ちょとお前の相談を解決するにあたり、聞きたいことがあるんだが……」
「はあ?」
こうして、俺たち三人はまた、オレンジに染まる第二生徒指導室で、秘密の談合を始めたのだった……。
まったく、こんな無駄に早く登校したところで、時間の浪費でしかないのだが。
しかしあろうことか、他の生徒の入りは過半数を超えている。
わいのわいのと盛り上がっている教室。
対して、俺の心はもう鬱屈。
まったくみなさん、朝っぱらからご苦労なことで。敬礼w!
まあ、そんだけ人がいるにも関わらず、俺が入室したところでなにがしか反応を示す学友なんて、このクラスのどこにも存在しないんですけどね。嗚呼レミゼ。
いや、それは言い過ぎか。
もし俺が人からの視線に自意識過剰なのでなければ、割と視線だけはかなり向けられていた気がする。うん、だって今確認したけど俺の後ろには誰もいないからね。しかもこんな侮蔑とか軽蔑とかのこもった視線なんて、クラスで俺くらいしかむけられないもんね。別にあっちは後ろに立ってた誰かを気にしてるだけなのに俺が勝手に勘違いしてたわけでもなかったしね。
ふう、あやうくそういう時に間違って返事したらいきなりどつかれてぼこぼこにされた一年の時のトラウマが蘇るところだった。あぶないあぶない。
ただ、目線こそ向けられているのに、誰からも何も言われないというのは、やはりつらいもので。
え、これ俺がイヤホンつけてるからみんなのおはようが聞こえないわけじゃないよね?
なんて、一縷の望みというか妄言というか現実逃避を反証するために、耳を塞いでいる二つの突起を外してみても、おはようの四文字はこの耳へと聞こえてはこなかった。
むしろ、キモいだのうわあだの絶対抜いてきてるわだのヒソヒソ声が聞こえてきて死にたくなった。
はあ。
もうこれ、一生イヤホンつけたまま暮らしてても問題ないのでは? とか一瞬思うくらいに四面楚歌。誰も声をかけてくれないくせに陰口だけは聞こえてくる。あとたぶん、俺に向けられてない小声さえも全部が俺への誹謗に聞こえてしまう。疑心暗鬼の境地。
はあ……。
超凹む。ナイーブとアンニュイの仮身と化して溜息を毎秒4949ノット吐き出しちゃうくらい凹む。心が涙を流したがる。
まあ、つってもこれが、ぼくの普段の登校風景なんですけどね、初見さん。
もう慣れっことはいえ、そんな脳内会話で一人の寂しさを埋めることも出来ずに、俺は寂しくとぼとぼと、窓際の自分の席までの短かな道のりを歩く。その刹那がとても辛い。まるで、この世界から自分が必要とされていないかのような気分になるから。
あ~、どっこらセックス。
なんともまあ朝から陰鬱な気分で席に着く。
まず手始めに、自分の机まわりに変化がないかチェック。
よし。
どうやら今日は特になにかされたりはしてなさそうだ。下駄箱もセーフだったし。
やっぱり、三鷹先生がいろいろやってくれてるっぽいな。
正直、生徒が簡単に先生の言うことを聞くとは思えないので、よほど先生の人望があるのか、それとも……? とか考えてしまうのだが、三鷹先生は俺にも結婚したいと感じさせる程に魅力的な先生なんだし、きっと本当に生徒の人心を掌握しているのだろう。さすがは俺の未来のお嫁さんである。このエピソードは結婚式で……と思ったら俺の結婚式にきてスピーチを読んでくれそうな友人などどこにもいなかったことに気付いた。
え? 俺なんで今日学校に来たんだっけ……? しにたい……。
もう帰りたくなってきた。家に帰っても別に誰も俺を歓迎してはくれないけど。
え、俺、なんで生きてるんだろう……?
あれ、これ、ぼく、……無では?
……………………………………………………無じゃん…………。
そう思い、ごん! と頭を机に打ち付けると、前方……ええと、黒板や教卓のある辺りから、複数人の男女の嘲笑が聞こえてきた。
無論、その内容は、俺への悪口である。
「ねー、みたー? 緋凪―? 今のグレイクンさー、ヤバくなーい?」
「うんうんー、みてたー。やばいよねー」
「ちょーウケるー」
「でも、ちょっと心配だね……」
「あっは、健人ってばマジやさしー」
「ハイシャクンにまで優しくするとかサー、健人マジ聖人じゃんかー?」
「いや、それは言いすぎじゃないか?」
「ギャハハ!」
上位カーストに属する人間の声というのは基本、でかいものだ。
あっちは、中央最前、こっちは最後列の窓際にいるのに、そんな感じの心無い声が、全部ではないが大部分、ここまで聞こえちゃってるくらいだし。
そしてその、小学生の財布並みに中身のない会話を聞いて、別に俺は自分の人生の無意味さを嘆くためだけにわざわざ早起きをして嘲られに学校へ来た限界ドMペシミストではないということを思い出す。
そう、いつもならばチャイムの音と共にギリギリ教室へ駆け込んでいる俺が、ホームルームの始まる15分も前に登校したのには、もちろん理由があるのだ。無論、明日雪が降るとかではなく。
さて、ではその理由はと言えば……、先生のおっぱいを揉むため――じゃなかった。
ええと、辺見緋凪の抱えている問題を解決し……、結果。その見返りとして、先生のおっぱいを揉むためである。
要するに、先生のおっぱいが揉みたくて学校に早起きしてきた。
あれ? なんか言語化すると最低だな……。至極真っ当な理由なのに……。
まあいい、気を取り直そう。おっぱいが揉めるのだ、些細なことなど、どうでもいいではないか。
俺はそう結論づけて、スマホでコスプレイヤー監視用TLを眺めているふりをしながら、前方へもちらちら注意を向ける。
先程俺を辱めて、愉悦に身を打ち震わせていた下衆共の方へと。
彼等は誰からの視線も気にせず、またくだらないことでゲラゲラと笑っていた。
クラスでトップの座に最も近い五人だ。おそらく。
なにせ、彼等は現在、その特権を生かし、およそ日陰者では恐れ多くて居座れない教室の最前列にたむろし、誰にも文句を言われることもなく、非生産的なおしゃべりでその威光を意図せずとも周囲へと喧伝している。
自らが無駄な行いをどれだけ出来るかというのは、そのまま己の豊かさのアピールとなるものだ。王侯貴族はそのために贅を尽くす。過度に立派な衣服に身を包み、社交界で無駄話に花を咲かせる。それと同じ原理である。学校は社会の縮図なのだ。
さて、誰がどう見ても学園の勝利者、青春の謳歌者。もはや薔薇や光のエフェクトが周囲を覆っていてもおかしくないくらいの勝ち組っぷりな彼等。
それを、ハイシャたるこの俺は観察する。
おそらく、あの集団で最も権力をもっているのは、昨日もちらっと辺見の口から名前が出た、男鹿アイカ、そして相田健人だろう。
つまり、このクラスの女側の頂点は、いかにも女王といった見た目――即ち、かきあげバングという己の顔面を前面に押し出すスタイル(=素材が良くないと決して出来無い髪型)を、その圧倒的に華麗な強い顔面で押し通せている極めて優れた美貌――の気の強そうなハーフ系ツリ目茶髪美人、男鹿アイカであり。
男側の頂点は、その笑顔が憎たらしいほどに爽やかな、スポーツ万能、成績優秀、人当たり最強とかいう、ぐうの音も出ない程の超絶イケメンな上に高身長な好青年、相田健人であるということ。
その他の数人は、ナンバー2とか3とかの美男美女、or世渡りの上手い狐か、冗談の上手い道化、マスコットタイプの人形のどれかだろう。クラスでも奴等はよく目立っているので、それくらいは俺でも少し考えればわかる。
そしてその中に、例のキョロ充、辺見緋凪は混じっていた。
一見自然に。
けれど、こんなことを言ったら失礼かもしれないが、彼女が収まるには、その鞘は大きすぎる気がしなくもない。
なぜなら、本来あそこに属するのは、比類ない顔の良さと自己主張の強さ、或いはコミニュケーション能力の高さを持っている奴か、そうでもなければ、なにか一芸に秀でている者のみだ。
いわゆる、一軍。それもなかなかにレベルの高い。
しかし、辺見緋凪は、二軍というほどでもないが、一軍というには少し力不足な気がしてしまう。公平に見れば、1・7軍ってところだ。
なにも、彼女の容姿がかわいくないと言っているのではない。
だって実際、彼女は性格こそクソだが、顔はいい。結構かわいい。百人が百人かわいいと言うだろう。それに表向きなら、けっこう性格もいい。
だが、彼女には、『我』が欠けている。自分というものが、致命的にない。皆無といってもいい。
だから、彼女のかわいさというのは、その程度こそ、かなりのものだが、どこか量産的で、まるで圧倒されるということがないのだ。
高嶺の花といった近寄りがたさが、欠落している。なかなかに、かわいいくせに。
まあ、たぶんそのせいで、去年もクラスが一緒だった俺から一番に告られて最初の被害者となったのだろうけど。当時はここまで深く考えていなかったが、俺ちゃんってば深層心理ではそういう風に彼女のことを思っていたのかもしれない。実際俺はその時、「緋凪ちゃんならワンチャンあるのでは? あとおっぱい大きめだし」なんておめでたい夢を見てたからね。……うっ、思い出したら吐き気してきた。
まあ、要するに、辺見には自己主張ってものがない。
容姿、メイク、服装、髪型、発言、仕草、成績、能力、趣味……他、諸々。
良くも悪くも、目立たない。
我を、己を、殺している。
自分という、なにか大切であったはずのものが、死んでいる。
たとえば、四鬼条紫蘭のような唯一性が、三鷹沙夜のような自己主張が、男鹿アイカのような威圧感が、相田健人のようなカリスマが、存在していない。
強いて言うなら、胸が割とでかめなことくらいだ。
そして、その無個性は、トップに座す人間像と、かけ離れている。
つまり、彼女の今のその地位は、出来たものでなく、つくられたものなのだ。
本物のスクールカースト上位組というのは、成ろうとせずとも、いつの間にやら上位と成っているような、生まれついての上位者であるのだから。
それでも、辺見は、弛まぬ努力で、それを勝ち取った。
本来であれば、容姿でなければおもしろさなどでのし上がるその地位に、彼女は空気を読むという特技を駆使して成り上がったのだ。
それは、盛大にやらかして校内の秩序をぶち壊し嫌われ者になった、即ち彼女とは真逆なことをしてしまった俺からすれば、うらやましくもあり……。
でも、それは結局――。
自分を殺さなければそうなれないというのは、つまり――。
そこに立っているのは、そこで楽しそうに笑っているのは、本当の自分ではないのだとしたら――。
なんていうふうに、思ったりもしてしまうのだ。
それなら、あそこで楽しそうな顔で笑っている辺見の器の中に収まっている本当の彼女は、今ここに虚しく一人で座っている俺と、なんら変わりはしないのではないのかと。
……なんて、こんなのはただの僻みかな。
だってあいつは、今の地位を失うかもしれないと思ったら泣き出しててしまう程に、現状を好いているのだから。
今が最高なのだから。
だったら彼女は、それで――。
いいのだろう。問題など、ないのだろう。
そこに俺の戯れ言が介入する余地も必要も権利も、ありはしない。
しからば、俺は先生のおっぱいの為、ただ黙々と仕事をこなすだけだ。
観察を続けよう。このクラス全体の、人間観察を。
相田健人が、辺見緋凪に、これ以上好意を持たないように。
しばらく観察を続けていると、他のバラモン組とは違い、人の目を異様に気にする辺見だけが、俺に視られているということに気づいたらしい。何度か、止めろとか失せろみたいな目線を送ってきた。まあ、当然、尽く無視したが。
だってこれ、お前のためにやってんだぞ? わかってんのか?
それに俺だって辛いんだからね? 自分とは違って輝いている彼女達を一人でぬぼーっと延々見てるとかさ。わかる? この苦しみ?
こんなん吸血鬼がサングラスもつけずに燦々光る太陽を直視し続けるようなもんだからね? その光に身を焦がされちゃうんだからね? 死ぞ?
と、そうこう蒸発してる内に、チャイムがなって。HRが始まる。
「おっはよー!」
今日も元気よく教室に入ってきた三鷹先生が、生徒からの熱烈な歓迎に笑顔で答えながら、点呼をとり、遅刻してきた生徒をたしなめたりしつつ、HRを進めていく。
ちなみに、これはくっそどうでもいい話だが、四鬼条はその二時間後くらいに教室入りしたと思ったら、その五分後には寝ていた。今日も寝顔がかわいかったです!
昼休み。
俺は、さほど信用していなかった辺見の相談内容の信憑性が、中々に高いものであったということに驚きを隠せずにいた。
なぜなら、クラス一のイケメンである相田健人は、どうやら本当に辺見緋凪に好意を抱いているらしいという、数学的根拠を得てしまったからである。
……と、それについて述べる前に、一つ言っておかなくては。
そもそも、辺見の相談事というのは、自分が相田に惚れられているので、どうにか告白されないようにして欲しいというものだった。
は?
ぶっちゃけそれを昨日聞いたときは、何言ってんだこの自意識過剰オンナ? と、ドン引きしていたのだが、改めてその不良品色眼鏡で教室を見てみると、納得できるシーンが何度かあった。
例えば、相田はその外見ゆえ、クラスの様々な女子からよく話しかけられてはいるが、自分から女子に話しかけるということを滅多にしない。
しかし、辺見にだけは、自分から話しかけにいっている。あるいは、辺見と誰かが話している会話の輪には、必ずと言っていいほど参加しにいく。
これが第一の根拠。
また、会話の長さ。
相田は他の女子との会話は、割とすんなり終わらせているが、辺見のそれとは、気持ち、長引かせているように見える。彼もバレたくないだろうからあまり露骨にはわからないようにしているのだろうが、そういう前提を得た上で時間を計測してみると、確かに少しだけ、その長さが変わってくるのだ。
これが第二の根拠。
そして、第三の根拠は、会話の際に見せる喜怒哀楽の回数。
辺見との会話の場合において、相田が見せる表情の変化は、他の女子とするそれと比べて回数が多かった。分数が長いのを別にしても、彼が辺見との会話で他の女子とのそれよりも心動かされているらしいことが伺える。
しかも、以上、統計的事実の他に、所感として、相田が辺見に恋していそうな別の証拠さえ見つかった。
あいつは、女慣れしている。ゆえに、女子と会話して照れるとかキョドるとかそういうことが極端に少ない。
しかし、俺が先入観によって変にバイアスがかかったのでなければ、相田は、辺見と会話している時だけは、やや頬を紅潮させているように見えたし、頭を掻くなどの照れる仕草をする回数が多かったように思える。
なんということだ……。
俺はスマホをいじるふりをして、メモ機能やタイマー機能を駆使しながら、そういう分析を今の今までしていたのだが……(ストーカ……いや、探偵の才能があるかもしれない)。
さて、どうしたものか。
内心、辺見の言うことが間違っているという結果を手に入れて、辺見のことを笑いものにしつつ最高の気分で先生のおっぱいを揉もうと、意気込んでいたのに。
まさか、奴の言っていたとことが事実だったなんて……!
どうしよう。
辺見の言っていることが事実だとわかった今、俺が先生のおっぱいを揉むためには、相田が辺見に告白するのを妨害しなくてはならない。
しかし、そんな無理難題、どうすれば達成できるのかわからないし、逆になんであいつはこれ以上ない上玉に惚れられているのにそれを嫌がるのかもわからない。
それに相田がなぜあんな奴を好いているのかも理解不能だ(一年前に自分が告白したという事実を水に流しつつ)。
だってまじめな話、あのイケメンなら割とこのクラスの女子くらい、選り取りみどりでやりたい放題出来ると思うし。わざわざあんなビッチなどと付き合わんでも。
具体的に言えば、クラス一の美人と言っても過言ではない男鹿アイカなんか、超お似合いである。あるいは、黒髪ロングの超絶美人だってこのクラスには在籍しているのだ。あと、容姿の良さで言えば、四鬼条も…………いや、流石にそれはないか。
なのに、なんで、辺見なんだ……?
確かにあいつはそれなりにはかわいいけども。相田と釣り合うようには思えない。
わからん。
……とにかく、この問題、俺一人で解決するのは無理だ。
それに、こんな衝撃の事実、誰かに語りたくなってしまう。
それこそ、クラスラインだのツイッターだのにぶちまけて盛大に拡散・炎上させてやりたい。実行こそしないが、そんなIFを思い浮かべるくらいの大スクープだ。
ま、俺はリアルでもSNS上でも、等しく誰とも繋がってないわけで、そんな悪事、やろうとしても、出来ないんですけどね。
それどころか、奇跡的に知り得た女子数人のアカウントからは、ブロックされている始末。なんなら高校入学を機につくってみたTwitter垢なんて凍結させられたからね? なんでかは知らんけど。
――と、そんな絶望の淵、脳裏にぴきんとひらめく姿があった。
四鬼条だ!
それでも四鬼条なら……。四鬼条ならきっと話を聞いてくれる……!!!
というか、あいつも一応青春同好会とかいう謎部活の一員なのだから、協力してくれるはずだ。
そう思った瞬間、あの不思議ちゃんのうたた寝姿を思い出した。
……あー、いや、たぶんしてくれないけど。いやしかし、させなければ。
だって、あの子、出席とか色々やばいから部活で補填とか言われてたし。ちゃんと活動しなかったら、一緒に卒業できなくなってしまうかもしれない。それはなんかいやだ。
てなわけで、これは四鬼条のためでもあるのだー!
と、俺は自己正当化を果たし、教室を見渡し、四鬼条の姿を探す。
あいつの紫髪と独特な服装は目立つのですぐ見つかるはずなのだが――。
見当たらない。
どうやら彼女はどこか外に行ってしまったようだ。
ま、授業中にもふらっといなくなるような問題児が、昼休みに自分の教室にいるわけもないか。そりゃそうだ。
だがそれも好都合だ。教室であいつと話すには人の目があるし好ましくない。
時計を見る。
昼休みの時間は残り二十分といったところ。
まあ、これくらいなら探しに行ってもいいだろう。どうせ俺も暇だし。
俺はそう結論づけて、相田と一緒に昼食をとっている辺見、男鹿、他数人を横目に、教室を後にした。
とりあえず、教室から近い、ベランダや同学年の別クラスの教室なんかを見回していく。
やはりお昼休みの学校というのは活気に溢れている。思わず沈黙の魔法とか使えねえかなあとか、デスノート欲しいなあとか思い始めるくらいにはうるさい。
しかし、その喧騒も、俺がその平和空間へと介入すると、不穏な気配を放ち始めたりする。和気あいあいとしたカップルが、ふと道端で乞食を見てしまった時のように。
具体的に言うと、俺が行く先々で「うわぁ……」とか「ひっ……」って感じの目を向けられているだけなのだが、まあ、気にしない。悲しくは、あるけど。
そういえば、なんで四鬼条はあんなにも周囲の目に無頓着なのだろう。
不思議ちゃんだから、と言ってしまえばそれまでだが。
だって、本当に周囲の視線を気にしていないのなら、あんなおしゃれにキメる必要もないはずで。
ま、あれは周囲の目を気にしていたら出来無い類のスタイルだし、単に自分の外見を自分の好きなもので飾るのが楽しいだけなのかもしれないけど。
本当によくわからない子だ。
だけど、いつだってわからない、未知というものに、人は惹かれてしまう。
好奇心。
俺は彼女に対し、そうした感情を抱いているのだろうか。
ミステリアスな女性の魅力。それは、そこを刺激するからだと聞いたことがある。
四鬼条をミステリアスな女性と形容するのは少し違和感があるが、ミステリアスであることは、確固たる事実。人はそんな彼女のことを不思議ちゃんと呼ぶ。
誰もが、彼女のことを何も知らない。彼女も彼女で、誰にも何も知らせようとしない。
そんな彼女のことを、気味の悪い奴、よくわからない奴と言って、多くの生徒は隔離、差別、蔑視している。
わからないものというのは、大衆からは忌み嫌われるから。
けれど俺は、そんな彼女のことを、知りたいと思い始めていた。
わからないものの発する気味の悪さと、しらないものの放つ魅力は、紙一重。
初めてデスメタルを聞いた時。初めてドグラマグラを読んだ時。その時の感覚。
みんなはどうだったのだろう。少なくとも、俺はどちらも魅力的に思えた。
そしてそれは、四鬼条にも同じ。
俺は彼女に魅力を感じることが出来て、彼女の魅力に気付くことが出来て、心の底から良かったと思った。そんな自分を、誇りに思えた。他と違って、よかったんだと。
そんなようなことを考えながら、校舎を徘徊。
けれどなかなか、彼女には出会えない。
見たところ、校庭や中庭にはいなかったし、彼女が体育館にいるとも思えない。
図書館も購買も×。
うちの高校は都立だからそんなに広くもないし、昼休みに生徒がいけるところなんて限られている。それをしらみつぶしているというに、あの紫っ子は見当たらない。
もしやと思い、第二生徒指導室にも行ってみたが、ここにもいなかった。
これがギャルゲだったら、エンカ難度高杉ィ! とブチギレているところである。
ふと思う。
まさかあの不思議ちゃんってば、学校の外にいるのだろうか。
一応、そればっかりは校則のゆるいウチでも禁止されてるんだけど(なお、有名無実な模様)。
でもなー、もしそうだとしたら、さすがにどうしようもないなー。
うーん、どうしたものかと、途方に暮れていると。
なんだか、奇妙な光景に遭遇してしまった。ちょっと苦手なヤツに。
それはおそらく、俺が普段は生徒が出入りしない西側校舎一階の僻地にまで迷い込んでしまったのがいけなかったのだろう。
だからこれは元を辿れば、俺ではなく四鬼条紫蘭ちゃんのせいで起きたことなのだけど。
そんな言い訳は、目の前におはす白雪のような女の子には通用しない。
目が、合った。その、全てを射殺すような、絶対零度の氷細工が如き、双眸と。
心臓が、痛む。きりきり、きりきり、苦く迸る。
そして。
なぜか人気のない水飲み場で歯磨きをしていた黒髪のクラスメイトは、その口に入っていた水をぺっつんとおしとやかに吐き出すと、こちらへ詰め寄ってきた。
長く美しい黒髪を翻して向き直った彼女の立ち姿は、優美。
玲瓏なイノセンスを冷艶なクラストで閉じ込めた、凛然たる少女。
「あなた、クラスではぶられてる問題児よね? なんでこんなところにいるのかしら? もしかして、私のストーカー?」
いきなりなご挨拶だが、まあクラスでの俺の扱われ方なんて、こんなものである。
このドギツイ言葉の刃を眉一つ動かさず言ってのける彼女は、同じクラスの黒羽玄葉(くろばねくろは)。
おそらく、この学校一黒髪ロングの似合う美少女だ。
そして、服装自由のこの学校で唯一、毎日指定の制服を着用している優等生。
ただ、美しすぎるが故に刺のある目付きと、絵に描いた様な高嶺の花ぶりに、クラスでは孤立している。もはやカーストの枠組みにすら、彼女は収まっていない。孤高。
なにせ、黒髪というと清楚な印象を受けるが、彼女のそれは、もはやそういう次元を超えて、高潔とか、高貴とか、そういう域に達してしまっているのだ。その何者にも染まらぬ漆黒は、彼女の誰とも交わらぬという内心を代弁しているかのようにすら感じる。
ゆえに、人は彼女に近寄れない。
近づくと、その雪の女王のような凍て付く美しさに、その身を硬めてしまうから。
え、俺? 一年前の俺はもちろん告白したよ。痴漢撃退スプレーで見事撃退されたけど。
「なにを黙っているのかしら。私が聞いているのよ。答えなさい」
急に視界に入ってきた彼女の美貌、加えて、こんなところで彼女の姿を見てしまったという衝撃と恐怖にちょっと気後れしていたら、この始末。
まるで女王様かなにかのように横柄な言い様だが、彼女の外見や実力、俺の社会的地位の低さと実績を鑑みれば、そこまでおかしくはない。むしろ残当。
「いや、なんというか……散歩? 散歩してた」
「なぜ?」
それを言いたくないから散歩なんて言い訳をしていたんだけど。
だって四鬼条探してたとか言うの、なんか恥ずかしいじゃん?
「べつに理由なんてないんだけどな。逆になんでこんなとこで歯磨」
「ねえ、今尋ねているのは私。そんなこともわからないのかしら」
俺の言葉をぴしゃりと遮って、黒羽は綺麗な顔をしかめる。
「だから理由なんてないっつってんだろ」
「へえ、じゃああなたは理由もなく昼休みの間中、校舎を徘徊していたの? 貴重な高校生活の大部分である昼休みを棒に振ってまで? 知らなかったわ。あなたって夢遊病患者だったのね。それとも、多動症? だからいじめられているの?」
「お前さあ、障害とか精神疾患をいじめの原因に求めるのは不適切だろ。優等生っぽいのにそういうとこはそのへんの奴らとかわんないのな」
「あら、あなたの次元に合わせて分かりやすく話してあげているという私の気遣いが気に障ったのなら謝るわ。でも、勘違いしないで欲しいわね。別に私はその手の理由で人を差別したことはない。現に、あなたへのいじめにだって、私は一度たりとも関与したことはないもの」
確かにそうですね。防犯ブザーを鳴らされたことはあるけど。
「でも、止めようとはしないんだな」
「ええ、別に私にとって、あなたはなかんずく大切なものというわけでもなんでもないんだもの。悪い?」
「いや、責めてるわけじゃねえよ。むしろ加害者になっていないだけありがたい」
「そう。でもこれだけは理解して欲しいわね。私にだって、いじめというものは見ていて気持ちのいいものではないの。でも、私の見える範囲でそれを咎めたところで、結局対象が別に移り変わるだけ。何も解決しやしない。私、意味のない事はしたくないの」
それは、事実であり、正論であった。
しかし人間というのは嘘をつき、建前で会話してその関係を作っていく生き物だ。なぜなら、そうしなければ人と人とは衝突してしまうから。
それでも彼女は、気休めも気遣いもなく、ただただ正直に本音を口にした。大して仲良くもないどころか、疎んでいるであろうこの俺に。
その結果、俺がどう思うかなど気にしていない。
しかもそれはたぶん、俺にだけでなく、彼女が接する全ての人間に対しても。
だから、そのあり方はやはり、校内で黒羽玄葉が孤立無援となっている一因なのだろう。
だが、そんな彼女を、俺は。
かっこいいと、好ましいと、ただ、そう感じていた。未だ苦手ではあるが。
「なるほど。かっこいいね、黒羽。俺やっぱ好きだわ、お前のこと」
故にそれは別に恋愛的な話ではなく、人間的な意味で言ったのだけれど。
「やっぱりストーカーだったのね。言い訳はいらないわ、職員室まで一緒に来なさい」
彼女は当然そう解釈する。
さらには、それを言うに留まらず、俺の手を取り、本気で連行しようと歩き始めた。
融通の効かない奴めと思うのは簡単だが、このタイミングでこの堅物にあんなこと言っちゃった俺の方が悪い。なんてこった。
とりあえず、このままではまずい。これ以上悪評が学園に広まったら、さすがの俺も登校拒否になっちゃう……。
そういうわけで俺は、渋谷で女の子をナンパしてる金髪のお兄さん並に必死で釈明した。
「いやいやいやいや、それだけは止めて! お前と俺の言うことじゃ絶対お前の言うことが信じられちゃうから! 冤罪がまかり通っちゃうから! マジでごめんって! いきなり好きとか言ってごめん、でもほんとストーカーではないから!」
「ならとっとと私の納得出来るあなたがストーカーでない理由を提言しなさい。さもなければあなたの明日からの学園生活は更に過酷なものとなるでしょうね」
「おいおいお前さっき加害者にはならないって……」
「5、4、3、……」
なんのカウントダウンかは不明だが、唐突に数字を唱え始める黒羽。
それは意図が明言されていないが故に明確な破滅のイメージを頭に思い浮かび上がらせ、俺は焦燥から矢継ぎ早にクラスメイトには言うべきでない事実をまくし立てた。
「はい待ってごめんじゃあこれならどうだ俺はここのところ毎日三鷹先生に求婚している、故に俺は別の女性に惚れているのであってお前のストーカーなどする理由がない!」
「それはこの私に、彼氏持ちを公言している交際をするにはただでさえ倫理的問題が著しく生じる女性――しかも教師――に対し生徒の身でありながら言い寄っている性欲に脳内をやられたとしか思えないキチガイケダモノ男の言うことを信じろということかしら?」
あれ、そう言われるとたしかに俺がマジで頭のおかしい奴みたいに思えてくるな……?
少し冷静になった俺は、しかしそうするしかないので大人しく首肯。
「い、いえす……」
「じゃ、職員室に行きましょうか」
おいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!
それじゃあただ俺が俺の痴態をお前に意味もなく告白しただけじゃねえか!!
俺は今更ながら、黒羽の理不尽さに憤慨。
職員室へと俺を強制送還しようとしている彼女の手を無理矢理に払った。
というか、そもそもがおかしな話なのだ。
「……あのさあ、いい加減にしろよ黒羽。お前昼休みにすれ違っただけで人をストーカー扱いとか、完全にいじめだからな?」
俺がそう言うと、彼女は払われた自分の手をまじまじと見つめて、心外だとでも言うように。
「それだけでそう判断したわけではないのだけれど。だって客観的に評価して、あなたの評判、信用、それにその今も私に向けられている俗悪な視線、それとあなたのような下劣な人間と何ら接点の存在しないこの清純な私が昼休みに何の作為も介在せず偶然出会う確率の低さ、それらを加味した上で考えれば、そう断ずるには十分でしょう?」
いや、そのどこが客観? それ半分くらい君の主観入ってたよね?
「え、ごめん。かわいいなあとは思ってたけど、そんな目で見てるつもりはなかった」
「なにを健常者ぶっているの? あなたの目つきはそんなに生易しいものではないわよ? あなた、完全に私のことを犯そうと考えていたでしょう? この異常者」
「いや、さすがにそれは言いすぎだろ……」
急に黒髪美少女の口から放たれたそっち方面の単語に衝撃を受けてしまう。
「でも私と出来るならしたいでしょう?」
「そりゃしたいわ!」
唇に人差し指当てながら美少女にそんなこと小首かしげて言われたら、そりゃもう条件反射の脊髄会話よ。
「やっぱりそうなんじゃない。変態」
「今のは誘導尋問だろうが! それと正直者だと言ってくれ」
「だったら早く正直に私のことをストーカーしていたと白状してくれないかしら。変態さん?」
「だから違うつってんだろ! つーかお前その見た目で意外と下ネタOKだったのかよ」
意外すぎるだろ。クラスのみんなが知ったら悲しむぞ! たぶん密かにお前に憧れていた大勢の男子が! なんなら女子も! 中には逆に興奮する変態もいるかもだけど!
しかし。
「その見た目ってなに? あなたみたいな人しか下ネタを言ってはいけない決まりでもあるの? 私みたいな人がおっぱいとかおちんちんとか言ってはいけないの? そんなこと、誰が決めたわけ?」
彼女は至って真面目に、というか、かなり本気でその言葉に反応した。
それも、表面上こそ氷点下だが、内では沸騰しているであろう怒火でもって。
なにかが彼女の琴線に触れてしまったらしい。
いやでもだからって、そんな過激な言葉使わないで欲しい。
生の女の子に直接そんなこと言われたのは初めてなので、しどろもどろになってしまう。しかもこの子、めちゃくちゃ可愛いもんだから、インパクトがやばい。
「なんか、ごめん……。でもお前みたいな顔の子に面と向かってそういうこと言われると、えーと、ちょっと、その、普通の男子は緊張しちゃうから、やめたほうがいい、よ……?」
「やっぱり変態なんじゃない。というか、第一私は出来るとかしたいとかいっただけで別に下ネタは言っていなかったのよね。あなたが変態だからそう変態的に解釈しただけで」
「もう致命的なのを言ってるけどな……」
それとあの時のお前の表情、完全に確信犯だったぞ?
「誰かに他言したら、生まれてきたことを後悔させてあげる」
そう言いながら、スカートのポケットの辺りに手を伸ばす彼女。
俺は彼女のそのわずかな仕草だけで、トラウマが瞬時に二つ、フラッシュバックした。
「じゃあ言うなよ……」
「明日からクラスで迫害されるあなたへクラスメイトとして最後の餞別をと思った私の東シナ海よりも広い慈愛に対してその言い方はどうなのかしら? あなたには人の心というものがないの?」
「本当に慈愛がある奴はそもそもこんな言葉攻めしない!」
ていうか、本当に広いことを伝えたいなら東シナ海とかじゃなくて太平洋だろ……。こいつの成績的にわかってて言ってるんだろうけど。謙遜が得意じゃなくて特異過ぎんだよなあ……。
「興奮してるくせに」
じとっとした目で睨めつけてくるが、そんなことはない。ない、はず。ない……よね?
「してねえよ! たぶん! つーかむしろしてるのは困惑だよ」
「はあ?」
何言ってんだこいつ? みたいな目でこっちを見てくる黒羽。
相変わらず綺麗な顔だが、そんな目の美少女と目があっても、何も嬉しくない。
「なんでお前が困惑してんの……」
「この私と会話をして嬉々としこそすれ、困惑する男子なんて、この学校にいないでしょう?」
「は?」
今度は俺が絶句する番だった。
「あ、ごめんなさい。そうよね。学校じゃなくて世界にいないわよね」
「そこじゃねえよ!」
自分の見目麗しさに世界レベルで自信が持てるってこの子どんだけポジティブなの? 知らんけどもしかして毎日鏡と一時間以上会話してたりすんの? なんなの?
いやまあ確かにその雪肌に乗った整ったもんと、さっと流れる黒髪の組み合わせは最強だけども。なんならクールジャパン代表余裕でしたってな規格外だし。世界の覇権も秒読よ。こいつの場合クールの用法がブリザードな感じになっちゃうけど。
あ、でもダメだわ。日本ではその価値が正しく評価されている貧乳も、まだ世界的にはアウツ。減点だ。くそっ! 世界一の座が、そんな理由で……!
そんな経緯で、俺はちらっと彼女のつつましい胸を見た。彼女のたった一つの短所である、そこを。
すると、「態度はでかいくせに、胸は小さいんだねー」という冗句がふと浮かんできて、俺はたったいま脳内に着工したこの恐るべき自爆装置をどう外部へ漏らさず処理すべきかという一大プロジェクトに着手せざるを得なくなった。
これが巨乳好きの業なのか……。
はっ……!
俺はなんて罪な妄想を……。それこそこれがバレたらストーカー疑惑云々なんかよりよっぽどひどい仕打ちを受けそうだ。
しかし黒羽は俺が心の中で彼女をミスコン優勝の舞台に立たせているなどとは知る由もなく(あってたまるか)、まだ戯言を続ける。
「え、もしかして世界じゃなくて、銀河? 私のことを天文学的に可愛いと言いたいのかしら? でも、神様って残酷ね。あなたのような人がそんな口説き文句考えたところで時間の無駄だもの。今すぐ止めた方がいいわよ?」
「俺はそんなこと考えてねえから! お前が勝手に言い出しただけだから! 人の話聞け?!」
「人の話なら聞くけれど。……それとさっき私の胸見てたわよね? 殺すわよ?」
あ、バレてたんだ(絶望)。
「え、なに、俺のこと間接的に人非人って言いたいの? まあ実際教室での俺の存在ってそんな感じだけども。……胸に関してはマジでごめんなさい」
俺は保身の為、自虐ネタを暴露し自分の身分が彼女より低いことを言外に証明することで擬似的に謙譲り(非実在性動詞)、かつ、同情も誘い、許しを得やすくするという高等テクを駆使して、彼女に謝罪する。
みたか! これがぼっち固有スキル、自虐ネタの力じゃ。おののけ!
しかし。
「……そういえば次の時間は体育だったわ。急がなきゃ」
彼女はそう言って立ち去った。
完壁全無視(上位者専用雑魚掃討スキル。MP消費ゼロ。パッシブ)である。
タッタッタッ……、という軽快な足音がリノリウムの上に消えていく。
それは、一人の対等なクラスメイトに対して行っていい行為ではなかった。
人気のない廊下に、一人取り残される、俺。
そのいきものは、黒羽玄葉から人間未満の存在だと認識されているらしい。
「は?」
俺は一人虚空に問いかけた。
キーンコーンカーンコーン。
まるで校舎が返事でもするかのように、チャイムが鳴った。
こうして、灰佐勝利の昼休みは終わった。
「なんだったんだあれ……。ゲリラ豪雨かよ……」
たいそう高慢な才女様との楽しいおしゃべりという緊急クエストで時間をドブに捨ててしまった俺は、次の授業が体育である為、校庭へと向かっていた。
そして、校舎を出て、結局四鬼条を見つけられなかったなーと、何の気もなしに、自分がさっきまで巡回していたその建物を見上げる。
すると。
「ん……?」
感じる異変。
なんだか、屋上の方で今、ちらっとパープル系のなにかが揺らめいていたような……?
一瞬だったが、たしかにそんな紫っぽいものが見えたような気がする。
もしや――。
四鬼条なのか?
そう思い至るのに、時間はかからなかった。
なにせ、彼女の第一印象はと言えば、「む、紫ィ!?」みたいな感じだったし。
紫……というかまあ、青系統の髪は、それだけで凄まじいインパクトだ。もっと言えば、茶色系以外は日本人がやってると大概ビビる。
ま、うちのクラスのみなさんは文字通り色んなのいるけど、似合ってるから奇跡的にオールオッケーなんだが。普通は「うわぁ……」で終わりだろう。
と、そんな一般論はどうでもよくて。
それってつまり、屋上に四鬼条がいる可能性が高いということで。
しかも俺、屋上のことを生徒出禁の場所だと思ってて、昼休み中の探索コースには入れてなかったんだよね……。
つまりまだ、探してはいない。
あれ、これ、ビンゴなんじゃね?
よっしゃ、屋上いっぞ!
……って、いやいやちょっとまて、もう昼休みは終わっている。
あと三分もすれば、次の授業が始まってしまう。それまでに俺は急いで運動着に着替えて校庭に向かわねばならない。屋上になんぞ行っている時間はないのだ。
でも四鬼条は屋上にいるぞって? あいつはサボり魔だからなあ……。
屋上に行ってしまいたいという誘惑と、授業に出ねばという義務感が喧嘩をする。
そんな時、俺の心に巣食う淫魔が囁いた。
迷った時には、心は決まっている。この意味が、お前にならわかるはずだと。
このセリフを、俺はこれまで何度聞いてきたことだろう。その度に玉砕してきた。
これ即ち、迷っている=それをしたい、やりたい、とお前は思っているのだという意味である。そう思っていなければ、迷いなど生じぬハズであるために。そして、やりたいという気持ちがあるのなら、それに嘘をつくなよと。
俺はこの言葉を信じ続け、少しでも女の子に対して迷いが生まれた時は、その迷いを断ち切って、告白をし続けてきた。
その結果を、皆さんはご存知だろうが、思いのほか、俺は後悔していない。
だったら、俺の取る選択は一つしかないだろう。
もう引き返せないところまできているのに、いまさら信念を曲げるのもおかしな話だ。
よって。
俺は校舎へと走った。
授業を初めて、サボタージュして。
女の子のために。
大体、俺は運動自体こそ得意だし、それなりに好きでもあるが、強制的にチームやペアを強要される体育の時間は大嫌いなのである。
自分と違う姿勢やペースで運動に臨む人間と協調しなくてはならない苦痛は、中学の部活動で嫌というほど味わった。
だから、あんなエセの仲良し運動ごっこなんて、全くもって出席したくないのだ。
四鬼条云々以前に。
そんなわけで、いじめられっこは、不良へとジョブチェンジした。
いや、違うか。
俺は、不良ないじめらっれこという最低なダブルクラスに成り下がった。
これで、今日からますますクラスで肩身の狭い思いをするだろう。
でも、四鬼条と話せるならそれでもいいかもしれない――なんて思ってしまう自分が、心のどこかに生まれ始めていた。
授業開始のチャイムを聞きながら階段を駆け上がって、最上階、屋上へ。
施錠されているんじゃないかと思ったその外界への扉は、その想定の百倍は軽く、すんなりと開いた。
ただ少し、そのノブをひねるだけで。
キィィィイという、年季を感じさせる音がして。
一歩踏み出すと、風が吹いている。
そこはなんだか、学校という日常の中に咲いた、非日常のひとひらであるかのようで。
視界の果てまで広がっている住宅地や背の高いマンションからも、眼下で蠢く校庭の有象無象からも、解き放たれて、隔絶されて。
「ふは」
この踏みしめている足元、寂れたコンクリの地盤。その直下には、黒板を眺めし無数の生徒の軍団があるのだろう。そのしかめ面が、容易く脳裏に浮かぶ。
その規律に支配された閉鎖空間の詰まった大地を、思い切り踏みつけた。
そんなことをしたところで、何も起こったりしない。そんなことはわかっている。
だが、それでいい。それでも構わないんだ。
もう一度、足蹴にする。踏みしだく。
集団行動という枠組みの上で、タップダンスなんかしちゃう。
この一時だけは……。
込み上げてくる、得も言われぬ、愉悦、恍惚。なんともはや、気分がいい。
自分も、ついさっきまでその一員だったのに。
なぜだか、笑いさえこみ上げてきた。
「ふっ……はは」
額に手を当てて、目を閉じて。もう一度目を開けば、眩しい太陽がこの身を灼いた。
悪いことをしているはずなのに、気持ちいいくらいに雲一つない快晴。
なんていい、非行日和だ。
しかして、この学校という雁字搦めの檻から脱獄したかのような気分になって、その監獄の頂上で孤独に見つめる青い空は。
なんとも、格別の味がした。
……けれど、そんなしがらみなどないように感じるこの屋上にも、柵はあって。
俺は落下防止用に周囲に張り巡らされた金網を、疎ましく握り締めた。
自由って、どこにあるんだろう。
「はあ……」
そうして、授業を少しサボったくらいじゃあ俺達の様な籠の中の鳥はどこへもいけないんだなあと、お姫様みたいな痛い感傷に浸っていると。
「あれえー? かっちー?」
上の方から、そんなぼけーっとした声がして。
「とおー」
という声と共に、俺の後背部へ、謎の質量が自由落下的衝突をした。
「うがっ!」
俺はそのままうつ伏せに倒れる(たおれたぁーーー大地にキスぅーーーー?)。
「おー、やっぱりかっつんじゃないですかー」
至近からの声に首だけで振り向くと、横たえられた俺の上に跨った四鬼条紫蘭が、めずらしくも、その伏せがちな目を大きく広げていた。
いったいなんだってんだ……。
彼女はどうやら、屋上から更に梯子を登らないといけないような、ここより一段高くなっている場所から、俺の背中へと飛び降りてきたらしい。俺を着地用の緩衝材にして。
なんとも彼女らしい登場だが、勘弁してほしい。
もっと普通に挨拶とかさ、できなかったの? 特撮ヒーローかなにか?
とはいえ、俺は昼休み中ずっと探し求めていた四鬼条に会えたので、なんだかんだそこまで不満はなかった。体は、結構痛かったが。
具体的に言うと、しばらく動く気力が出ないくらい痛い。
「まさか本当に屋上にいたとはな。探したぞ」
俺は未だにどかない四鬼条の重みを背中で感じながら、そう告げる。
「なにをー?」
「おまえじゃい!」
相変わらずの彼女らしい間の抜けた返事に、思わず大きな声を出してしまった。
「へー? 紫蘭を……」
すると彼女はこれまためずらしく、そのあまり動かない表情筋を活発化させて、きょとんとした顔になる。
「そうだよ。お前以外にこの時間こんな場所にいる奴いないって」
「ぼくらは~いつまでも、見知らぬふたりの~まま♪」
今度はいきなり歌いだしたし。なんで?
しかし、この歌唱も、彼女にとってはなにか深遠な意図があるのかもしれないが、彼女の思考を解せない俺からすれば、「今日は晴れですね。晴れと言えば僕の誕生日は来月だけど、君はお肉が好き?」並みに意味がわからない。
「?」
「ちょっとー、テンション上がっちゃいましたー」
テンアゲだしとりまバイブス上げていっちょ歌おうべ! うぇーい!! おしぇえーい! みたいな感じなのだろうか。
あの相田と男鹿の取り巻き集団ならともかく、四鬼条がそんな思考回路で動いているとは思えないが。
「そうは見えないけどな」
実際、歌ってる時は無表情だったし。
「てかー、かっちんはなにしに屋上へー?」
なんだそのYOUは何しに日本へ? みたいな質問は。
確かに屋上がホーム(たぶん)な四鬼条からすれば、初めてここに来た俺は外様、外人も同然かもしれないけども。
「いやだからさっき言った通り、お前に会いに来たんだよ」
「わたしにー? それとも、紫蘭にー?」
「いや、なんで選択肢二つあるみたいな聞き方すんの? お前だよお前。四鬼条紫蘭」
「…………そっかー」
ちょっと困ったように目を逸らして、その特徴的な紫の髪をいじったりしながら、彼女は興味なさそうにぼやく。
え、なに? 照れてんの? それともキモがってんの? どっちなの?
いつも通り、その表情から本心を伺うことは出来なかった。が、ただ、かわいかった。
「じゃー、きて」
俺が見蕩れていると、四鬼条はようやく俺の背中から腰を浮かせ、立ち上がった。
そしてそのまま、さっき彼女がいたのであろう高台へと、梯子で登っていく。
……え、なんで?
よくわからないまま、上体を起こして彼女を見ていると。
「……!!!」
見えてしまった。
梯子を登るのにはちょっと不便そうな、ゴスロリっぽいベルトリング式厚底ブーツ。まるで拘束具のようなニーソとガーターリング。生足。
そしてその先の、絶対領域のその奥の、スカートの中の――秘境が。
とりあえず、黒かった。
そのブツは、黒かった。
それしか俺には描写できない。これ以上してしまうと、ちょっと倫理機構と戦争が勃発しかねないので。あ、このタイミングで「勃」という漢字を使うのは不適切だった。
さて、俺はなんだかやってはいけないことをしてしまった気がして、さっと目をそらし、とりあえずもう一度地面に額をしかと打ち付けておいた。
これはラッキースケベなどではない、彼女の人権を侵害する大変卑劣な行為だと自分に言い聞かせて。
だめだ。それでも思い出していけない気分になってくる。
くそっ、四鬼条の野郎、なんであんな済ました顔してあんなやべえ過激な下着履いてやがるんだ!! それお前の年齢で履いていいもんじゃねえだろ!! それたぶんラノベのパンツ描写じゃしちゃいけないレベルで際どい下着だぞお前!!! ガガガでも無理だぞ!! 挿絵なのにモザイクついちゃうよ、それ? というかいくら校則で服装が自由でもそれは風紀の乱れ的にアウトでしょ?! いやまあ、生徒の下着について言及してる校則とか嫌すぎるし違反ではないんだろうけども。
「はやくー」
そんなことを考えている間に、四鬼条は梯子を登りきったらしく、そう声をかけてきた。
さすがにそうやって急かすということはもう、きっとその下着の隠匿性も高まっているんだろうと思い、振り返ると。
「ヴェアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
某ハンティングゲームの盲目の白いキモイのみたいなかわいい咆哮をしてしまった。
「……ふぁあ」
しかし四鬼条は何事もなかったかのようにあくびをしている。
「えーと、その、四鬼条? スカート……」
パンツが見えてることをどう伝えたものかと、その単語をなんとか目をそむけつつ捻り出す。
「えー、かっちゃん、みたいのー?」
「いやもう見え……、そんなわけ……、あるけど……」
自分から見えてるって言うのもあれだしでも見たくないわけではないし合意の上でならむしろ見たいしとか思ってたら、もう自分でも何が言いたいのかわからなかった。
誰がヒーロー科の一年生じゃ! とツッこむ余裕もない。
「みせてあげようかー?」
「マジで?!」
まさかの申し出に、興奮する自分と、「いやだからもう見えてんだよなあ……」という冷静な自分が両立してしまい、自我が崩壊するかと思った。
「まあー、うそだけどー」
「ですよねー……」
まあ、もう見ちゃったんですけどねー……。
しかし彼女は、それに気付いていないのか、口に手を当てて、ケタケタと。いたずらっ子のように。
「あはは、がっかりー、かっしー? 男の子ってー、そんなにみたいんだー?」
「そりゃあそうだろうよ」
「ふうーん」
かと思えば、また興味なさそうな顔に戻り、それっきり黙ってしまった。
なにがしたかったのか。意味不明である。
しかし不思議ちゃんである四鬼条の考えることなど、俺に理解できるはずもない。
なので、とりあえず俺も梯子を登ることにした。
とあるカードバトルゲームの「ただ前だけを見つめて!」というセリフを復唱しながら。
なにせ、梯子の上には、四鬼条が自分のスカートの中の脆弱性に気付かずに立っているんだもの。これじゃあ俺がひょいと上を見ただけでおしまいだ。
彼女は早くスパッツなりジャージなりの対策ウェアを身につけてほしい。このままでは俺の視線がウィルスと化して彼女の下半身に侵入しないとも限らないし、その十八禁ゾーンを衝動的にワンクリックしちゃうかもしれない。それくらいに無防備である。
とはいえ、そんな高くまで登るわけでもなし。人1・7人分くらいの高さだ。
直ぐに登り終える。少しの辛抱。我慢我慢。
俺は無心で手と足を動かす。
だというに、数秒後。
この手が最後の手すりを掴んだ頃には、いよいよ色即是空に頼らないと上を見上げたいという誘惑に負けそうなレベルにまで俺の心は堕ちていた。
まあ、その葛藤との闘争ももう、これで終わりだけど、
ふうー、やりきったぜ。
誰かこの俺の自制心の強さを褒めて欲しいね。これは完全に移植エロゲ主人公の器ですわ。卑猥が一切ない。
などと心の中でひとりごちていると、さっと視界が暗くなった。
「かちゅーしゃー、うえー」
うえ? 太陽に雲がかかったとでも言いたいのかな?
なんて思って、俺は言われるがままに、
「いやいや、カチューシャって。ロシア民謡じゃあるま……」
上を――。
「ヴェヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
俺はまた、空間を操って亜空を切断しそうなくらい伝説級に愛らしい声を上げた。
そして、視界に映りこんだ卑猥すぎる下着に瞠目し、うっかり手すりから手を離す。
そんな俺を待っていたのは、落下。絶望的浮遊感。
普通に飛び降りれば怪我などしない高さだが、不慮の事故で落ちたとなれば、話は別。俺はこれから自分のケツあたりを襲うであろう痛みを覚悟した。
直後。
ドラゴンみたいな声はだせるが、そらをとぶは使えない自分を憎みながら、地面に尻を激突させる。クラスではゴーストか毒ガスみたいな扱いしか受けていないのだから特性でふゆうしてもいいじゃないかと思ったが、僕の住んでいる世界に小さなモンスターは存在しないという残酷な現実を尾てい骨への痛みが突き付ける。
まあでもきっと、これは自分が招いたことなのです。
だって、俺、上を見上げる前に彼女の靴が目の前にあるのをちゃんと見てたからね。その状況で上を向いたらどうなるかなんてあらかた分かってたけど「いいや、それはシュレディンガーのパンツ!」つって言い訳して上向いて無事パンツだったからね。
だからこれは正しい対価ですわ。
しかし。
「だいじょうぶー、かつかつー? せいー」
そう言って、仰向けになった俺に向かって、覆いかぶさる様に四鬼条がダイブしてくるのは、どう考えても不当な罰則だった。
突如やって来た意味不明に、言語野、崩壊。
「おまえ! 何考えtでっ!」
だいじょうぶーって聞きながら怪我人へダイレクトアタックを決めるやつがあるか! このアホ! おまえ絶対物理の成績悪いだろ! ふざけんな! あーもうその時々見せる笑顔ずるい!
俺はブチギレながら、とりあえず四鬼条が怪我をしないよう受け止める体勢だけをギリギリで整える。
けれど彼女は、そんな俺の心配りなど素知らぬ顔で両手を広げて、まるでスカイダイビングでもするかのように俺の直上でフリーフォール。
あの、ここ地面コンクリなんですけど?! それ下にトランポリンとかないとやっちゃいけないことしてるからな??? お前!!!
「なにもー?」
そして、彼女がそう言っって、一秒もしない内に。
「ごふっ!?」
「へひゃっ」
ゴチン!
彼女の肢体をなんとかこの全身で受け止めて肺の空気とさよならしたら、それでも勢いを殺しきれなかった頭部がこちらへ襲来。そのままその形のいいおでこが俺のおでこと正面衝突。脳天直撃。頭がパーン。
もはや、痛みを感じる猶予すらなかった。
そうして、俺の意識は途絶恵梨香。
あれからどれくらい経ったんだろう。
ふと目覚めると、四鬼条が敷いてくれたのか、俺はレジャーシートの上に仰向けで寝かされていた。
額には、もう溶けてしまったビニール袋の氷水。……プラスたんこぶ。
そして腹部には……。
なぜか俺の腹を枕にして眠っている四鬼条がいた。
こいつ、どんだけ自由なんだよ……。
とんでもない美少女と一緒にお昼寝(物理)をしていたというのに、ときめきよりもそういう萎えが優ってしまうのが、彼女らしいといえば彼女らしいと思う。
「なんだかなあ……」
四鬼条は、とても気持ちよさそうな顔で眠っている。なんなら、起きている時より豊かな表情をしているんじゃないかってくらいに。
そうだよな、俺達陰の者からしたら、現実なんかよりも夢の方が幸せだよな……、と思ったが、四鬼条は別にそういうタイプでもないか。じゃあどういうタイプなのかと聞かれても困るが。まあ、キャラとかタイプとか、そういう風に括れないのが、四鬼条紫蘭という女の子なんだろう。
そう思いつつ、自分の腹筋の上に乗った彼女の寝顔を眺めていた。
まーじでかわいいな。適度な重量感も心地いいし。
しかしこのまま起こしてしまうのも気が引けるので、身動きがとれない。
俺はとりあえずポケットのスマホへ手を伸ばした。困ったらとりあえずスマホに触ろうとするのは、現代人の抱える闇の一つだと思う。
や、決してこのかわいい四鬼条の寝顔をパシャリたいとか、待ち受けにしたいとか、#彼女感でツイートしたいとか、そういう邪な想いでスマホを手にとったわけじゃないからね? 全然そんなことしたいとか思ってないから。うん。ほ、ほんとだよ?(震え声)
というわけで、ここでカメラ機能を使ってしまったら犯罪だと自分に言い聞かせつつ、スマホを開いた。
クラスでスマートウォッチを付けてる奴が「これあるとスマホ見るより早く時間がわかって便利なんよー」とかいう、それ腕時計でよくね? みたいなしこたま頭の悪い感想を無駄にでかい声でのたまっていたのを思い出しながら、時間を確認。
時刻はもう、三時半だった。
「マジかよ!?」
あまりのことに、つい俺まで低脳ウェイ共のような語彙力も品位も落ち着きもないバカ丸出しの大声を上げてしまった。
だって、アレだよ? これってつまりあれから一時間半は経ってるってことでしょ?
やっべ、体育だけサボるつもりが、六限の古文まで……。
嗚呼、この高校で何もかもが終わってしまった俺の唯一の美点が、成績だったのに。
「畜生! ジーザス!」
ちょっとお試しでサボるつもりが、初回から大規模にやってしまった。眉毛軽く整えるかーと思ったら全剃りしてしまったかのようなやっちまった感。
ま、でも、いっか。
元はといえば自分で決めたことだし。
俺の上で寝てる四鬼条の寝顔はかわいいし。
お空もすげえいい天気だし。
なんか悩みとか、どうでもよく思えてくる。
「俺ももう一眠りするか」
時には何もかも忘れてリフレッシュするのも悪くないのかも。
そう思い、目を閉じようとしたのだが。
「たけはら、ぴすとる……」
四鬼条はそんなうわごとを呟いて寝返りをうち(いや、どんな夢だよ……)。
俺の股間の方へ、その紫頭を載せ――。
「うおおおおおおい!!!! 危険すぎるだろう! それは!!」
俺は当然飛び退いた。
ごつん。
結果、彼女の頭部がやや乱雑にレジャーシートへシュートされたが、それくらいのことをお前はしたのだ、許してくれ。むしろそうしなかったらお前がやばかった。お前のそのぷっちりした唇が俺の股間と股布ごしの間接キスかましてた。そしてそのまま俺の腰のピストルが「よー、そこの若いの」ではなく「ANARCHY IN THE UK」を歌いだして性のアナーキストになっちゃうとこだった。
「はあ、はあ、あぶなかった……。眠っているのをいいことに、色々危ないことになるところだった……。大人のピタゴラスイッチ始まっちゃうとこだった……」
俺が立ち上がって安堵の溜息をついていると。
「っつ……。むぅ……」
四鬼条はむくりと不気味に起き上がり、おもむろに立ち上がった。
「うー、いだい……」
寝ぼけ眼で、後頭部を撫でながら、元々ダウナーな声をさらに抑え目にしてうめいている。なんかもうゾンビみたいに。いや、こんなにかわいいゾンビ、見たことないけど。
「……うーん? ウィンナーくぅん? どうしてー?」
しかもそんなこと言いながら俺の頭をぱかぱかたたく。目をぱちくりさせて。
「いや、勝利だし、つかそもそももじるならウィンナーじゃなくてウィナーじゃね?」
「あれれえー、夢なのかなー?」
今度は俺のほっぺたをつねってきた。
「いたたた……、そう思うなら普通自分のをつねるだろ!」
「いたくない……。やっぱり夢かあー。おやすみ~」
「そりゃ自分のをつねってないんだから痛いわけねーだろが! お前に痛みを教えてやろうか?!」
「どうぞー」
そう言って四鬼条はずいとこちらに逼迫して、頬を俺の方へ傾けた。
綺麗な顔が信じられないくらい至近に迫り、緊張で体が強ばる。
「あー、えーと……」
何度も女子に告白しているくせに、ほっぺたをつねるという一見簡単な行いが出来無い自分を呪いながら震え声。ちゃうねん、言語化と接触じゃ、ハードルがダンチやねん。
だってなんか俺なんかが触ったら、ダメな感じの幽幻よ? 四鬼条って。
「いや、ごめん。ああ言っといてなんだけど、女の子に暴力振るうのは、ちょっと……。てか、距離近くね?」
すると。
「せいー」
彼女はその無気力な声と共に細腕を振るって俺を腹パンした。
「いたっ!」
ガリガリな彼女の、腰も入ってないへなちょこ拳なんて痛くも痒くもないのだが、あまりに予備動作がノーモーション過ぎて、反射的に声が出た。なんだよそれ、ボクサーかよ。や、こいつ絶対無我の境地入ってるでしょ。
「え、なんでお前が殴ってくんの? 意味わかんないんだけど……」
「遠ざけましたー」
はえー……。たしかにお前が俺を殴りつけたことで、そのぶん俺は後退したけれども。お前それ、「好きな人が出来てしまって毎日胸がドキドキしてしまって苦しいです、どうしたらいいですか?」って質問に対して「じゃあ殺せば解決ですね!」って言ってるのとほとんど同義やからな。……サイコパスかよ。
四鬼条に対しやや恐怖を覚えた俺は、控えめに彼女をたしなめる。
「あ、そう。俺が悪かったのかな? 近いとか言ってごめんね? でもどっちかって言うと遠ざけるんじゃなくて遠ざかって欲しかったし、なんならお前が不快じゃないけりゃあの距離でもわたしは一向にかまわんッッというか……」
「……くふっ」
「なぜ急に笑う……?」
この子も週刊少年チャンピオンとか読んでたのかな?(すっとぼけ)
「いやー、うぃざーどくんってー。ゆるいなーって」
「はあ? てかウィザードってなんだよ。もう原型なくなっちゃってんじゃん……」
「うぃーるくんはー、紫蘭のことー、あだ名でよんでくれないんですかー?」
え? は? ん……? それはなに、呼んでほしいってこと? あだ名で?
それはつまり俺に好意を……? いや、しかしやはり今も表情筋は無だしなあ……。
言動も表情も不可解過ぎて、俺は困惑するばかりだった。意図というものがまるで推し量れない。あるいは本当に何も考えていないのかもしれない。
「え、ああ、うん。……え? も、もう一回言ってもらえるかな?」
あまりのことに、盛大にキョドってしまった。
これはアレだ、この学校に来て初めて女子に話しかけられた時並のアレだ。まあ、その、でも、その女子というのは辺見だったわけで……後々……、うっ、頭が……!
「いつでもさ~がしているよ~、どっかにぃ、き~みのすがたを♪」
トラウマを思い返してたら示し合わせたみたいにトラウマソング歌いだしたよ、この子。何の因果? 阿吽の呼吸かよ。これは四鬼条なりのプロポーズなのかな?(蒙昧)
それと毎度のことながらフリーダム過ぎるでしょ。街中で目があったら急にラップバトル始めるラッパーと大差ないくらいに唐突なんですけど。ここはデトロイトですか?
「ああ、はいはい One more time,One more chance ね。急にもう一回とか言い出して悪うござんした」
ああ、中学の時にいつでも探してたなあ……。昼休みの体育館、放課後の帰り道、引退試合の応援席。そんなところに女の子なんているはずもないのに……(解脱)。
そんな俺の憂いを帯びた目になんら気負うことはなく、四鬼条はゆる~く。
「せぇかーい! うぃるすみすに一ポイントー!」
そう言いながら、どこからともなくヨーグレットを取り出すと一粒差し出してきた。胃袋がキュンキュンしちゃう。今日は昼食をとる機会を奴隷労働と徘徊、危険物処理によって失っていたため、とってもありがたい。
俺はそれを服用すれば暗黒時代の記憶を忘れられるような気がして、目を爛々と輝かせつつ彼女から白い錠剤を受け取り、感謝を告げるとバリボリと噛み砕いた。
嗚呼、此の、舌を刺激する曖昧な酸味、青春の、かほり……。んんーーー、絶頂!
とまあ、このお菓子の悪魔的美味さはおいといて。
「ツッコミどころが多すぎるんだよなあ……。てか一ポイントってなに? 貯まるといいことあるの?」
「紫蘭をー、よんでもいいですよー。女王様ってー」
「いや、同級生をそのあだ名で呼ぶのはまずいだろ……」
もうそれ完全に愛称じゃなくて蔑称、あるいはご職業になっちゃってますやん……。
「でもー、中学ではー、そう呼ばれてたけどねー」
………………は?
それはどう言う意味で? 詳しく!
とは言えなかった。ぶっちゃけ反応に困り過ぎて越谷家のちっこい姉になった。
「あ、ごめん。なんかそんなあっけらかんとヤバイこと言うのやめてもらっていい? こっちにも心の準備とかさ、そういうの、あるから……」
「?」
え、なんでそこでキョトンとする? なんだそのまだ幼稚園年少さんだった頃の俺の妹みたいな目は! つぶらか! ピュアなのか! かわいいかよ! マジでかなりこの子頭イっちゃってるのに顔がいいせいでそれが全部プラスに見えてるのずるいからな?
「まさかとは思うけど、女王様が褒め言葉だと思ってるのか?」
「それはー、言う人次第かなー。あだむすみすが言うなら性癖と思うー」
理解して言ってんのかよ! タチが悪いわ! というかだったらもっと恥じらって? なんで言ってるお前だけ無表情で俺だけこんなに体温上昇させてんだよ。バカみたいじゃん。なんか一人相撲とってるみたいな気分になるんですけど。見えざる手ならぬ見えざる相手って感じだよ。
あと、どうでもいいけどアダムスミスってあすみすって略せるよね。以上です。
「おい、もうほんとに俺の要素一ミリもなくなっちゃってんじゃん! お前なに人のあだ名で山手線ゲームしてんの?!」
「神保町くぅーん、性癖なのはー否定しないんですねー」
「いやそれは触れづらいからあえてスルーしたの! なんなの?! 最近の女子のあいだでは下ネタが流行ってんの?! あと俺が山手線ゲームつったから駅名になったのは百歩譲ってわかるとしてなんで素直に山手線の駅名じゃなくて半蔵門線なんだよ! ボケが入り組んでてツッコミが渋滞するわ! 欲張りセットやめろ!」
頭ハッピーセットかよと言おうと思ったけどさすがに言い過ぎかなと思って自重した俺を褒めてくれるまともな人間がこの場に存在しない不条理さよ(無常)。
そして。
「えへへー、うれしいくせにー」
なぜかジト目を向ける四鬼条。
「はあ……?」
何言ってんだこいつ……(てか睫毛長っ)と思って嘆息したはいいものの、言われてみれば美少女とこうして楽しく冗談を言い合うのを、俺は楽しんでいるのかもしれない。
すると、なんか意味深な表情をして四鬼条が意味深に黙った。
「……(じー)」
なんだろう、やはり言動は滅茶苦茶だけれども、やはり見た目は謎めいて神秘的なので、そんな彼女が神妙な面持ちでこちらを見つめていると、純情が戸惑いを覚える。
「……(ゴクリ)」
思わず息をのんでしまった。
なんだか自分の中でボルテージが高まるのを感じる。なんと言えばいいかはわからないが、……そうだ! どことなく、青春の兆しを感じる……っ!
そして、彼女はこちらの期待を最大限に煽った上で、その口を開いた。
「わたしはべつにー、うれしくないけどー」
がくっ! 俺は心の中で盛大に吉本新喜劇と化した。
しかも、あまりのことに思っていたことがそのままドバドバ大勝ちしたメダルゲームのメダルみたいな勢いで溢れ出してしまう。
「嬉しくないのかよ! そこは嬉しい及びそれに準ずるセリフを言えよ! じゃあなに、さっきの意味深な間はなんだったの?! ちょっとぼーとしてただけだったの? 寝起きだしまだ眠かったのかな? それを俺は自己中に勘違いしちゃってたわけ? 悲しいね! 俺ってば、かなしいね……。かなしいよ……。この胸のときめき、かえして……!」
一通り無呼吸で畳み掛けたが、後に残るのは虚しさだけ。無呼吸でするパンチのラッシュは強力らしいが、無呼吸でする言の葉のラッシュは悲愴でしかなかった。
そして、パンチのラッシュってパンチラみたいな語感だなあと思い至ってしまったが為にふと芋蔓式に脳裏へと再来してきた例のドエロ下着のことを忘れるべく、アフリカの子供たちへと思いを馳せる。うーん厭世。
そんなふうに心のチェンジオブアペースに病んでいると、うなだれている俺の脇腹を、ちょちょんとつっつく感触があった。
くすぐったくてびくんとはねる、俺。
突然の衝撃に、頭の中身は強制シャットダウン。
途切れた思考に流れ込んでくるのは、こんな笑い声だった。
「……でもー、あたふたしてる市ヶ谷くんをみるのはー、たのしいですよー?」
口に手を当ててにやーっとする四鬼条は、妖艶だった。ゾクッとするくらいに。
「おまえは魔性の女かよ……。たしかに小悪魔感はあるけども。てかちゃっかり都営新宿線に乗り換えてるし」
それとさ、もーーーーーいい加減勝利って呼んでくれても良くない? そんなに勝利って呼ぶの嫌なのこの子? だったら灰佐でもいいんだよ?
心の中で俺が忖度していると、四鬼条は急にスマホをいじりだした。
「えーとー……」
そして、ほんの少しだけ口角を上げて、俺のほうへ向き直り。
「わたしー、月島くんにいいたいことがあってー」
「いや、わざわざ路線図ググってまでそのボケ続けなくていいから」
そのためだけに携帯開いてたんかい! 駅名に詳しくないなら無理しなくていいから。こんなことにベストを尽くさなくていいから。こればっかりは二番でも誰も文句言わないから。むしろそんな無駄な通信料の使われ方したギガくんが草葉の陰で泣いてるから。だからそのくっそ益体のない労力は、ノータイムで仕分けてもらおうな。
……などと、俺が勝手に脳内で四鬼条を国会議事堂へ連行していると。
「さっきはー、すみませんでしたー。いたかったー……、よね?」
当の本人は、胸の前で人差し指を付き合わせてもじもじしながら、そんなことを言ってきた。
つい今しがたまでのアレな発言からは想像もつかない正統派ヒロイン然とした言動に、ドギマギしてしまう。見た目の奇抜さが、それを浮き彫り視していた。
「あ、ああ、そのことね。まあたしかにアレは効いたが……、つまるところ俺の日頃の行いが悪いからああいうことになったんだろうし、気にすんなって。むしろ、氷水とか、わざわざ保健室からもらってきてくれたんだろ、ありがとな」
すると彼女は、下を向いて、少し押し黙ったあとに。
「……。へえ、怒らないんですねー。わたしとおしゃべりしてる時はー、すぐ怒るのにー」
「小学生じゃあるまいし、それくらいで一々怒ったりしないから。というかあれは、キレてるんじゃなくてツッコミだからね?」
「キレ芸はー賛否わかれるよねー」
「いや、人の話聞いてた? キレてないからね?」
「キレてますか?」
「や、キレてないっすよ……って、おい!」
なぜか某プロレスものまねで古に一名を馳せた子デブ芸人の真似をさせられてしまう俺。
「えー?」
いたずらっ子みたいな笑みでとぼける四鬼条。
これを辺見あたりの糞女にでも強要させられていたら立派ないじめ案件だったしブチギレだっただろうが、四鬼条にのせられるのは、案外悪い気分ではなかった。加えて、さっきから終始彼女のペースで踊らされているような気がするけれど、それはまるでベテランのパートナーにリードされているかのような心地よさで、そのステップ一つ一つの奇想天外さに、心が自然と弾むのだ。まあ普通のダンスだったらリードするのは男性の役目なのだけども、それはここでは考えないものとする(皆無の甲斐性、アイアム畜生、いぇあ)。
第一、目の前できゃっきゃと頬を緩める彼女の、きっとこの学校で他の誰もがみたことのないその尊い表情を見ていれば、あらゆる些事なんて吹き飛んでしまう。それも彼女は、こんなクソおもしろくもなんともない俺の言葉で笑ってくれているのだ。これ以上の幸福があるだろうか。いや、ない。
……ごめん、嘘ついた。やっぱ三鷹先生との結婚が全一だわ。
そんなことを、四鬼条の薄いまないt……じゃなくて胸板を眺めながら考えていた。
……いや、俺、最低かよ。性の欲に忠とかいて実りすぎる。
自己嫌悪で暴れだしたくなってきたので、俺は別のことを考えようと、なぜかさっきからこちらを睨んでいるかわいいかわいい四鬼条ちゃんに話題を振った。
「というか、お前の方から謝ってくるとか、すごい意外だったんだけど」
むしろパンツ見てごめんと俺が謝るべきなのでは?
こいつの胸小さすぎだろ、黒羽と同レベルに貧しくね? とか思ってることを懺悔して市中引き回しの刑とかに処されるべきなのでは?
すると
「あー、それはー……」
彼女は少し思わせぶりに目を伏せて――
もう一度こちらを見ると、
「勝どきくんのー……、驚く顔がみたかったんでー」
したり顔でぺろりと舌を覗かせた。
ちょっと、というかかなり、どきっとした。
でも、なんだかそれを悟られるのは、自分でもよくわからないけれど少し恥ずかしくて。
わざとちょっぴし大げさに、能天気な声を上げてしまう自分がいた。
「やった! ようやく俺っぽいのに戻った! えーと、何線だっけそれ?」
「……おおえどおんせんものがたりー」
「あ? ……ああ、大江戸線ね」
素直にものを直接的にポンと言えないのかな? 四鬼条ちゃんは。こいつ絶対選択肢あるゲームでわざとバットエンド行きそうな方選ぶタイプでしょ。このひねくれ者め。
「とかく、大江戸線、万歳!」
「よかったねー、おおえろくーん」
「あーもう勝利の余韻に浸る間もなく終わったよ。なんだこの三日天下。しかもなんかどことなく卑猥だし。おおえろってなんだよ。もはや名詞ですらなくなってんじゃん。あとどうせなら大トロくんが良かった……。美味しそうだし……」
「紫蘭はいくらかなー。みっちーはー?」
「は? みっちー? みっちーってなに? 石田三成? 一々俺の言葉に忠実にあだ名つけなくていいからね? ……俺はもちろんカツオ」
勝利だけに鰹。かつっちです!(意味不明)
「ただかつくんがかつお……。共食い……」
「いや、本多忠勝も灰佐勝利も人間だから」
てか、さすがに東の天下無双を名乗るのはおこがましすぎる。
むしろ俺は今時の女子高生(四鬼条をその枠でくくっていいのかという根源的な問はこの際不問とする)が教科書に載ってない戦国大名の名前を知っていることに驚きだよ。もしかして無双とか野望とかやってるのかな? もしかして恋姫だったり!? あー、俺もなー、こんなかわいい同級生となー、二人プレイで無双ゲーがしてえなー……。
なんて夢を見ていたら、彼女の手にはやはりスマホが握られていて。その画面では、お馴染みのグーグル先生が……。
あっ……。
全てを悟った俺は、脳内で砕け散っていった淡い夢の残骸を踏みしめて、強く生きようと誓った。
そしてその後は、スマホとにらめっこしながら勝のつく戦国武将シリーズで俺をからかう四鬼条の相手をすることとなり、紆余曲折して、勝海舟でフィニッシュ。
お寝ぼけさんの相手をさせられていたはずが、いつの間にやら彼女のおもちゃにされていた気がするけれど、不思議と胸があったかいのは、どうしてだろうか。
わけはわからないけれど、嫌ではなくて。支離滅裂なのに、不快じゃなくて。
なにをしてもらったわけでもないのに、心地いい。
結局、どれだけ話しても、四鬼条紫蘭という女の子のことは、よくわからないのだった。
そして。数十分後。
「あのさー、センセーはね、二人がいい影響を与え合いそうだなーって期待して引き合わせたワケよ。それがさー、いきなりアチュラチュラブラブおサボりじゃ困るのね。二人とも、センセーの言いたいコト、わかるよね?」
俺と四鬼条は、仲良く第二生徒指導室へと連行され、説教をうけていた。
「やー、こんな屑としきしーがらぶらぶとかありえないし!」
辺見緋凪という、クソ忌々しいプラスアルファを、傍聴人として。
「なんでお前が答えんだよ辺見。お前人の話聞いてうんうん言ってるだけが取り柄のくせにそれすら放棄しちゃったら何も残んないだろ? おとなしく黙ってろや、金魚のフン」
「はあ? ころすぞ、陰キャ犯罪者! 何つけあがってるわけ? ほんときっもいっ!」
早速がるるーと睨み合う両者の間に、三鷹先生が割って入る。
「こーら、こらー、いきなりヒートアップしないの! そうだね、今のはちょっとセンセーも不適切でした。ごめんね、緋凪?」
「べつに。わるいのはサーヤじゃないし。こいつが生きてるのがわるいだけだし」
「なんでだよ! お前俺の先祖の墓の前でも同じこと言えんの?」
「はあ? あんたなんてどうせみなしごでしょ?」
「お前、いくらなんでも言って良いことと悪いことが…………。あ……でも、たしかに、妹と俺って驚く程似てないんだよな…………」
「え、ごめん。冗談だったんだけど……。パチだよね? それはさすがにあんたでもかわいそう…………」
剣呑な空気。
「いや、でも、そんな……、まさか…………」
俺が辺見によって、真理の扉を開きそうになったその時。
「でもー、辺見さんとかししってー、似てませんかー?」
「「どこが!?」」
四鬼条の煽りのせいで、またぞろ同調してしまった。もう相手のバトルフェイズでもシンクロ召喚できちゃいそうだな、俺達(@虫唾)。
そして、さすれば無論、殺意込めた目で俺にガンガンメンチ切ってくる辺見。
「なんなのハイシャ! 合わせんな! まじきもい! おぞましいからやめて!」
「それはこっちのセリフなんだよなあ……。俺なんかもう気持ち悪すぎてゲロ吐きそうだからね? ねえ、だれか、エチケット袋もってない?」
「はあ? うちだって、気持ち悪すぎて今すぐあんたを病院送りにしたいし」
「ああ? ほんと意味わかんねーなお前! 気持ち悪いならお前が行けばいいだろが! 馬鹿なの? 考えてからものをしゃべりましょうねー、おばかちゃーん?」
「うっさいハイシャ! ならあんたはとっとと吐いてこいし!」
「なんだよそれ、俺の中学のクソ顧問みたいなこと言うの止めてくれる?」
「しらないし! あんたの中学の話なんてだれも聞いてないから!」
てな感じで、今日も今日とて辺見と俺の闘いは続くわけなのだが。
その戦場に、大層場違いな野次が……。
「ひゅーひゅー」
朗読下手くそな奴が風の擬音を音読してるみたいな調子の声。
そして、そののっぺりした四鬼条の棒読み茶々は、ヒートアップしていた俺達の毒気を抜いてしまう。
「「…………。」」
まるでスポーツの試合中、コートへ猫か何かが乱入したかのように。
「……いや、今のどこにひゅーひゅー入れる要素あった?」
「しきしーってばもー、うけるしー。ちょーかわいーんだけどー」
辺見なんてもう、俺と一秒前まで喧嘩してたのが嘘みたいに不抜けた面で四鬼条に視線送ってるしね。変わり身はっや! だから嫌いなんだよ、この尻軽女。
しかし、俺が辺見に辟易している反面、三鷹先生はどうやらご満悦らしい。
「紫蘭が犬猿の仲の二人を取り持ってくれて、センセーうれしい!」
「じゃあー、もうかえっていいですかー?」
「はー。紫蘭ってばすぐそれだよねー。なあに、観たいテレビでもあるワケ?」
「月よーのよあけー」
「あっは、きょう木曜だしw しきしーほんとギャグセンやばw」
「しかもアレ、深夜番組じゃん。もー、紫蘭、真面目に答えないとダメだぞー」
「先生、じゃあ俺も見たい番組あるんで、帰っていいですか?」
「……タイトルは? まさかニュース番組とか言わないよね?」
四鬼条と違って俺の場合はガチなんだが、先生は疑うような目線を向けてきた。
「いや、ちがいますけど……。あ、でも……、それをここで言うのは、ちょっと……」
さすがに女児向けアニメのタイトルをここで出すのは憚られる……。
俺がそう思い躊躇していると、辺見がなにやら急に増長し始めた。
「あれれー? どうして言えないのかなあ? もしかして人には言えないようなやばいテレビでもみてるんですかー? まあ、でもハイシャがみてるような番組だしぃ?」
こいつ……! 人が弱みを見せた途端、鬼の首をとったように……!
「は? はあ? そ、そんなわけねーし! だ、大体、6時台でそんなやべえ番組やってるわけないだろが」
「えー、でも声が震えてますけどー? さっきまでの威勢の良さはどこにいったのかなー? もしかしてほんとに図星だったりー? 6時台ってことはー……」
辺見はゲス顔でそう言うと、シュババババとスマホを操作し――
「例えばさー、この、ちっちゃい女の子がみてそうなやつとか……」
彼女が掲げる液晶画面には、俺の大好きなキャラクター達のキービジュアルが……。
「……へ、へー。そんな番組やってたんだー(震え声)」
「ふうん、とぼけるわけ? でもそうなるとさー(暗黒微笑)、あれれー? おっかしいなー?」
「な、なにがだよ……?」
というか、なんなのコイツ。なんで急にコナン君みたいになってんの?
「だってさー、6時台で他の番組っていったらー、もうニュース番組くらいしかないんですけど? でもそうすると変だよねぇ? あはッ、最初にあんたはそれを否定したもんねえ?(呵呵大笑)」
「なっ……!?」
逃げ道を封鎖され、絶望する俺。
楽しくてしょうがないというような目で俺を見下す辺見。
この野郎、俺が女児向けアニメを見ているということを強く確信してやがる……!
「あはは! ねえねえ、図星? 図星だったわけ? あんたってばこんな小さな女の子がみてるようなくっだらないアニメみて慰みものにしてるわけ? そうやって現実逃避して自分のこと慰めてるんでしょ? きっも! やっぱりあんたってどうしようもないハイシャだわw あは、まじうけるんですけど。ハイシャってばまじ敗者www(大爆笑)」
辺見は我が意を得たりとばかりに、眉根を歪ませて嘲笑する。
いくらなんでも言い過ぎだと感じたのか、三鷹先生が止めにかかる。
「こら、緋凪。さすがにそれは……」
しかし、俺はそんな力に頼るわけにはいかなかった。一女児アニメ視聴者として、戦わねばと、俺の中のprideが告げていた。自分の地位を捨ててでも。
「いや、先生。いいんです。事実ですから」
するとまあ予想通り、辺見が喚き出す。
「あー、認めたんだー? やっぱりうちの思った通りだったし。ほんっとあんたって残念だよねーw」
そんな典型的なスクールドラマの小悪党みたいな彼女に対し、俺は一喝。
「うるせえ黙れビッチ! いいから黙って聞け!」
「はあ? だれがビッチだっつの! なんでうちがあんたの話なんか……!」
「あれは、この去年の秋、心だけでなく体まで凍え始めた十二月頃の話だ――」
こいつは今でこそ虚勢を張っているが、なんだかんだいって流されやすい奴なのでこっちが聴かせる空気さえ作ってしまえば勝ちだ。俺は奴をガン無視して語り始めた。
「え、なにそれ、急に。てかなんでサーヤもしきしーも聞く気満々なの!?」
そしてまあ心優しい三鷹先生は当然として、なぜか四鬼条も話を聞いてくれそうな感じだったので、俺はそのまま痛く切ない自分語りを始めた。
「生徒だけでなく、教師にすら口を聞いてもらえなかったとある日の寒空。帰り道、寒さに震える体を抱きしめながら、やっとの思いで入った我が家に入ると、誰もいなかった。両親も妹も外出しているらしい。屋外から室内に入ったというのに、俺はより心身が冷え切っていくのを感じながら、さっきつけたばかりのヒーターのオレンジを見つめていた……」
「ううっ……! ごめんね、勝利! センセー、君たちが一年の頃は担任じゃなかったから……。勝利がそんなに苦しんでいるなんて知らなくて……っ! でももう大丈夫だからね、つらいことがあったら、センセーにいつでも頼っていいからね……っ!」
ありがとう、先生。そんなあなたが僕は大好きです。結婚しよう。
「そうして、二時間ほど無為にヒーターと戯れていた俺は、体の前面が異様に熱を帯びているということにようやく気付き、すんでのところでその暖房器具の元を離れた。危うく一家と俺が全焼するところだったが、それはこの際たいした問題じゃない」
「え、どう考えてもその話、やばすぎでしょ……。こわっ……」
「あーちち、あーち、もえてるんだーろうかー♪」
「この歌が不謹慎になるようなことが起こらなくてセンセーは本当によかったです……」
三鷹先生だけが俺のことを心配してくれていた。や三神。や辺糞。や四謎。
「さて、体がこんなに熱くなっても、心は冷えたままなのだなと、俺は燃えるように熱い腹部を撫でた。すると、そういえば腹が減ったなという生理欲求の存在を思い出し、夕食を取ることにした。しかし、俺に調理のスキルは皆無。仕方がないのでその夜はカップ麺で済ませることとなった。沈黙を、湯が沸騰する音だけが引き裂いていく……」
「ねえ、この話とさっきまでの話に何の関係があるわけ?」
「辺見さーん。しいー」
「え、ああ、うん……」
「そこから三分が経過した。無音の暗がりの中、カップ麺を啜る音だけが響き渡る。腹は膨れていっているはずなのに、感じるのは空虚さのみ。敢えて言うのなら、虚無感だけがブクブクと膨れ上がっていったのかもしれない。俺は何のために生きているのだろう。そんな疑問が何度も頭をよぎり、その度に俺はカップ麺をぶちまけたい衝動に駆られたくなったが、それを掃除するのは自分だと思うと、その気は毎回失せていった」
「ねえ、やっぱりこの話さっきの話と何も関係なくない? これ聞く意味、ある?」
「緋凪、こっからがいいところだから。静かに」
「え? ええぇ……?」
「そして、ふと俺は思い至る。そうだ、この無音がいけないのだ! きっとこの無が、俺が一人であるという事実を浮き彫りにして突きつけてくるのだ! パスカルも言ってたじゃないか。王様というのは周りにいつも賑やかしがいるから寂しくなくて済むのだと。であれば俺もなにかこの部屋を騒がしくするなにかを……。目に付いたのは、真っ黒の画面。そうして、俺は手にとったのだ。テレビのリモコンを。テレビなど見ても何も面白いとは思えなかったが、この虚無を埋めてくれるのなら、なんでもよかった。チャンネルなど気にせず、ただ無差別に電源を入れる」
「なるほど、そこであの子供向けアニメをやってたわけか!」
得意気にポンと手を叩く辺見。
人の顔色を伺うのが趣味なだけあって、意外にも聞くとなったら俺の話でもきちんと聞いてくれていたらしい。
まあ、さっきまでは散々文句を言っては四鬼条や三鷹先生にたしなめられてたが。
そして、辺見よ。そんなお前に一つ問いかけたい。
完全な実力不足とはいえ、告白ガチャに失敗し続け、Nの玉砕しか引いてこなかった不運な俺が、その一回のみのテレビとのチャネリングで、一発ツモを決められると思うか?
俺はアイロニックに鼻で笑うと、この深淵へとつながっていそうな口を開いた。
「だが、そこでやっていたのはなんの変哲もないニュース番組だった。人の不幸を晒しあげ、安全な画面の向こうからの同情や批判を誘う低俗なマスメディアだ。奴等はこともあろうか、いじめや不登校についての特集をやっていた。俺は気分が悪くなって、チャンネルを変えた」
「…………」
「勝利ぃー……(泣)」
「ずっと、さがしてーいた、りそうのじぶんって、もうちょっと、かっk……♪」
「し、しきしー、それ以上は……、ちょっと……」
元々重苦しかった空気が、どんよりと、さらに停滞していく。
「そして、いじめはどうしてなくならないのかなどと、対岸の火事でも見やるかのような態度で舐めたことぬかす無能コメンテーターどもが誰にでも言えるような一般論をさも独自の崇高な解決策であるかのように吐き連ねている産廃染みたその畜生情報番組の裏番で、この、プリリズはやっていたんだ……!」
「くーだらねえと、つーぶやいてー♪」
「や、しきしー、このタイミングでなんでそんな歌!?」
とても感動的な導入だったのに、四鬼条のせいで台無しだった。
俺は気を取り直して、ドキュメンタリー番組のナレーション風味で語りを再開する。
「やがて、二十分かそこらの時が流れた。いつしか、俺の頬は濡れていた。そのアニメの登場人物である少女達は、俺からすれば馬鹿丸出しの、ハッピーだの、メルヘンだの、無知蒙昧な耄碌したことばかり言っていたはずなのに、なぜか俺の胸は熱くなっていたんだ。そうだ、彼女達の輝かしさこそが、その日初めて凍結した俺の心を寒さから解放してくれたんだ……。プリズムの煌きが……」
以上が、俺とプリリズの出会いだった……。
なんて運命的なんだろう。ちょっと感動してきた。
「かなしみのーはてーに、なにがあるーかなーんて♪」
四鬼条の無感動な歌声さえも、なんだかプリリズに出てきた記憶喪失の少女を彷彿とさせ、叙情的に聞こえてくる。
だというに……。
「はあ? 意味わかんないんだけど? 子供向けアニメで泣くとかあんた頭おかしいんじゃないの? しかもなんか今もちょっと目元潤んでるし……。きもっ……」
お前、泣いてる人に向かってその言いようはなくない!?
なんで感受性豊かな人間をみんな否定するの? 俺が一年生の時総合の授業か何かでブラックジャック見て泣いてた時もみんな俺のことキモいキモい言ってきたけどさ、逆にあれを見て泣かないとか、お前らそれでも人間かよ!
無感動に生きてるお前らの方がよっぽど非人間的だからな。覚えとけよ、糞が!
……と、今はちょっと泣きそうになっているわけで、文字通り情緒不安定な状態なわけで、そんな時に煽られたのでかなり感情的になってしまった。
「あのなあ、辺見。確かに俺はお前からしたらキモいかもしれないし、頭がおかしいかもしれない。だから、俺を批判するのは構わん。だが、見もせずに子供向けとレッテルを貼り、プリリズを馬鹿にするその傲慢さだけは、この俺が許さん! 俺だって最初はそう思って見ていたのに、心を動かされたんだ! 子供向けだろうがなんだろうが素晴らしいものは素晴らしいんだ! お前はアナと雪の女王を見たことがないのか! それと学校内だったらなあ、そうやってカーストの低いものにレッテル貼り付けてマウント取るのはお前の好きにしたらいいが、学校外の文化にまでそれが通用すると思うなよ、このクソキョロ充が! 端的に言って死ね!」
「なんなの? なんか早口だし無駄に暑苦しいしいつもの百倍気持ち悪いんですけど……。ていうか子供向けアニメが素晴らしいとか気持ち悪いこと言い出したと思ったら、次の瞬間には死ねとか言い出してさ、説得力全然ないし!」
一理あるな……。話者のステータスというのは重要だ。こんなダメ人間が見ているアニメとなると、プリリズのイメージがダウンしてしまう……。
そうだ! だったら俺だけじゃなくこいつも俺同様最低な人間なのだということを啓蒙してやればいいじゃないか!(自分が変われないので仕方なく他者を貶める人間のクズ)
「お前はただ純粋に友達のことだけを思って行動したことがあるか?」
「は、はあ……? なんなのいきなり?」
「答えられないよなあ? お前は打算だけで友人を作り、強者へ媚びて、適度に弱者を上へ来れないよう痛めつけたり甘やかしたり、そういうことで手一杯だもんなあ?」
「…………。」
キッと無言でこちらを睨みつける辺見。その顔には悔しそうな色が滲み、滑稽だった。
「だがな、俺が見たアニメの中では違ったんだ! そこにはお互いに傷つけ合いすれ違うことこそあれ、真の友情が描かれていた……! あの素晴らしさと比べればなあ、お前らの友情ごっこなんてお笑い種なんだよ!」
どうだ! と辺見を一瞥すると、彼女はさっきまでの苦虫を噛み潰した様な表情から、一変。
「はいはいすごいですねー。じゃああんたはそうやって理想だけ追い求めて一生一人でやってれば? どうせ大人になってもそのアニメみてるんだろうし。ほんとあんたってかわいそうなハイシャだよねー」
開き直って弱点だらけの俺を叩くことによってペースを盛り返してくる。
「うるせえな! むしろ腐った大人に向けられてる作品よりピュアな子供に見せる為の作品の方が美しいのは当然の帰結なの! 自然の摂理なんだよ! 清らかなんだっつの! お前みたいなのとは違ってな!」
「あんたみたいなのがいるから永遠の十七歳とか名乗っちゃう人がいるんだろうなー……。若ければ純粋だって勘違いしてるんでしょ? ほんと男って気持ち悪いよね……」
蔑視。圧倒的蔑視。
くそ、こいつの、「かわいそうとか気持ち悪いという感情をあんたに対して抱いているうちの方があんたより立場が上なんですけど?」という、見下げた心の声が聞こえてくるかのようだ……!
「おい、俺一人を男のサンプルとして世の中全ての男性を叩く材料に使ってんじゃねえよ! むしろ俺は少数派なんだから、その理論でいくと男の大多数は気持ち悪くないことになるだろうが!」
「は? 男は全員例外なく気持ち悪いけど? あんたが突出してるってだけで。なんなら今もうちの胸元みてるし。ばれてないとでも思ってんの?」
バレてないと思ってたんだけどなー……。
しかも今、ぼそっと「小さく見せてんのにこれかよ……。まじいまいましいし……」とかいう声が聞こえきたんだが、それマジ!? この場で2番目(1番はもち三鷹先生)、クラスでも2・3番目くらいに乳の大きなお前が!?
俺は動揺のあまり、素直に謝ってしまった。
「いや、まあ、それはごめん……」
「しね! 次そんなきもい事したら、てめえがそのきしょい番組みてたことばらすぞ!」
「あっはい。それだけは勘弁してください」
うんうん、これ以上俺にヤバい属性が追加されたら学園生活終わるからね。現状は炎上くらいで済んでるけどこれ以上いったらもう灰と化して納骨だからね。別におっぱいの大きい人には逆らえないなんて思ったわけでは決してないからね。あしからず。
「じゃあ、これでこの話はおわりね。あんたの弱みは握らせてもらった。だからあんたもあのことでうちを裏切ったら……」
そこで言葉を切り、ギロリと鋭い視線を送ってくる辺見。
いやこいつマジでどんだけ今の関係性に縋り付くのに必死なんだよ。そうまでして繋げる友達関係って本当に友達なのか……?
とはいえ俺がそんなこと言えるような立場でもないので、やや引き気味に。
「まだそれ疑ってんの、お前? 誰にも言わないって言ってんじゃん……」
「うっさい、あんたの口約束なんてなんの役にも立たないの! そういうことだから!」
辺見はそう言うと、あんたとはもう話すことはないとばかりにそっぽを向いた。
そして、いつの間にやら四鬼条と仲良く動物タワーバトルで対戦を始めていたらしき先生は(うっそだろ……)、それを聞くとスマホから目を離し、こっちを見て。
「あっ、痴話喧嘩おわったー?」
「サーヤ……。まじでやめて……」
「あの、先生、そういうこと言うと後で俺がいじめられるんでやめてください」
「あんたなんかわざわざいじめないっつの。サーヤの前で変なこと言うなし! ちょっと昼休み二軍の子とかにハイシャまじうざくない? って言うだけだし」
「お前のそれが間接的に俺をいじめてるの! わかってて言ってんだろこのアマ!」
こいつマジで陰湿だからな。直接は手をくださないくせに、大本を辿っていくとこいつのせいで俺が被害を受けているといったような窮地に、何度陥れさせられたか……。
こいつのその巧みな手際は、正にバタフライ効果。辺見は蝶というよりは、どう考えても蛾だが。つまり、モス・エフェクト。なんか強そう。
「えー、うち成績ふつーだしー、実は頭いいらしいガリ勉ハイシャくんの考えてることなんてー、わかんないないなー」
「体で教えてやろうか……!」
男子に媚を売る時と、男子を馬鹿にする時にしか出さないような猫撫で声を出しやがった辺見への苛立ちで、血流が加速していくのを感じる。
「サーヤー、灰佐くんが襲ってくるうー」
うぜえ……。
「ああ? なにカマトトぶってんだビッチ! 殺すぞ……」
「うっさいなハイシャ! あんたこそ敗者らしくだまって這いつくばってろし」
再びいがみ合う俺たち。
ねえ、これあと何回やらないといけないの? もううんざりなんだけど。
そんな俺達の厭戦気分を察したのか、丁度いいタイミングで三鷹先生の仲裁が入った。
「はー。まったく、どうしようもないねー、勝利と緋凪わー。でもさ、勝利、緋凪が頼れるのはー、今、君たちしかしないの。緋凪の気持ちにもなってあげて。緋凪もさ、勝利だって緋凪のことほんとはけっこーすきなんだから、大目に見てあげてよ。ね?」
「……まあ、はい」
「だからやなんだけど……。はー、でも、死ぬ程いやだけど……、うん、わかった……」
三鷹先生のウィンクには、辺見いえども逆らえないらしい。この世の終わりみたいな顔で嫌がってはいたが。
そして。
「よしよし、いいこいいこ。また喧嘩したら、紫蘭はちゃんととめてあげるんだぞ? じゃーセンセーはオシゴトあるから、あとはまかせたー。ぷりりず? も見なきゃだしね。じゃ、また明日―。がんばれー若者たちー」
先生はそう言うと「そにーどー!」と叫びながら消えていった。
素直に瞬歩って言わないあたり、破面の中に好きなキャラでもいるんだろうか。
そんな現実逃避をしていると、目の前にはむううと唸る辺見。
「またこのパターンかよ……」
「最悪……」
むしろ瞬間移動でこの場から去るべきだったのは先生なんかじゃなくて、よっぽど俺だったんじゃないか? 今にも殺されそうだよ、俺?
そんな緊迫したなんとも居心地の悪い空気の中、先に動いたら負けとばかりに、まるで一流の剣客同士が居合対決でもしているかのような膠着状態で視線を飛ばし合う俺達。
だが。
「さー、がんばろおーぜー、負けるなーよそーさ、おまえーの♪」
そのどうしようもない停滞の只中を、四鬼条の無機質な歌唱が無遠慮に突っ切っていく。
「しきしーってば、なんでそんなしらない歌ばっか歌うのー? うけるーw」
いや、お前が知らないだけで、この曲は名曲だろが。
てかなに、四鬼条はエレカシ好きなの?
あー、聞きたい。聞きたすぎるが、今はそれをぐっと我慢して、やるべきことをやろう。今のこのふわっとした空気でなら、切り出せる。例のアレについて、とっとと聞いてしまおう。
早めに終わらせないと、マジで夕方のアニメに間に合わなくなるからな。
あと、三鷹先生のおっぱいのために、その情報がいる!
「あのさ、辺見。ちょとお前の相談を解決するにあたり、聞きたいことがあるんだが……」
「はあ?」
こうして、俺たち三人はまた、オレンジに染まる第二生徒指導室で、秘密の談合を始めたのだった……。
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