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第四話 女の子はだれでも ~Virtur Sugar or Secret Spice~

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 空はどうして青いのだろうか。
 それはつまるところ、人は誰しも青春に憧れ、Hysteric Blueに胸を打たれ、ブルーハーツに刺激を受けて、ブルース・リーの真似をし、青の洞窟に舌鼓を打ち、蒼穹で感極まってFeel高まっちゃうように、誰もが青へと恋焦がれるためなのではないだろうか。
 だから陽キャのパリピはすぐ青い海に駆り出すし、陰キャのヲタは蒼井翔太に回帰して悠木碧の豚になる。経営戦略ではブルーオーシャンが注目を浴びるし、青山学院大学はウェイに人気。青山テルマはあなたのそばにいる。
 それと全く同じ原理で、人は青い空へと羽ばたきたいと思ってしまう。わけもなく、根源的に。その正しさは、ライト兄弟や鳥人間コンテストが証明してくれるだろう。
 そして、人はあるとき、その欲求を果たし、宇宙へと飛び立った。青を目指していたはずが、青い地球の外へと飛び立ったのである。青の果てに、青の外より出たのだ。青への欲求が、最終的には青を否定したのである。これはつまり、青春に明け暮れるということは結果的に青春を否定することであり、同時に青春を謳歌出来ていない俺は逆説的に青春の素晴らしさを肯定しているのであって…………。
 そこまで考えが及んだところで、チャイムが鳴った。
 退屈な四限の数学が終了し、俺はいつも通りスマホに手を伸ば――さない。
 コスプレイヤーやVtuberのツイッターを見たりも――しない。
 なぜなら、今日の俺には、とある使命がある。
 それに、コスプレイヤーなら、もう……。
 数学教師が教室を出て、クラス内がざわめきだしたのをしっかりと確認してから、俺は怪しまれぬよう、教室の外へと歩み始めた。一応、四鬼条にも、さりげなく合図をだして。
 辺見は、今日も今日とて上位カーストの皆さんと仲良くお弁当を食べていた。
 けれど、俺のお目当ての人物は――。



 黒羽玄葉がお昼ご飯を食べている姿を見たことがない――。
 という、なんとも奇妙な噂は、辺見界隈、即ちいわゆるキョロ充女子の間では有名な話であるらしい。俺はまるで聞いたこともなかったが。
 それに俺は、クラスで飯を食っていると孤独感で死にそうになるという理由から、基本誰もいない場所、校舎の外とかで食事をしていたので、そういうことに自分から気付けるわけもなく。
 黒羽玄葉という完璧少女に、そんな不思議なエピソードが付随しているなんてこと、知る由もなかった。
 なにせ、俺が知っている彼女の評判というのは、可愛くて綺麗で美人でその上頭も良くてスポーツ万能の文武両道なだけじゃなく歌も絵も習字も上手いし声も透き通っていてスタイルもモデル並みで髪は枝毛一つない美しい黒なのに性格は良くて正直で優しくて……という、美辞麗句全部載せ、みんなの好きなもの全部オールインの、お子様ランチみたいなものだったんだもの。ま、実際はお子様ランチなんてもんじゃなくて、帝国ホテルのバイキングって感じだけども。
 で、そんな完全無欠の彼女の悪い評判なんて、せいぜいが凄過ぎて怖いとか、まっすぐ過ぎて親しみずらいとか、告白してきた命知らずの馬鹿を振るときの手口が残忍……とか、貧乳……とか、そういう、取るに足らないもんだけだ(個人的にはけっこう取るに足る奴があったけども)。
 しかし、その孤高の超人黒羽玄葉にも、きっとどこかに弱点は存在するはずで。
 そう思い、昨日ダメ元で辺見に聞いてみたら、心底気持ち悪そうな顔で、そういう噂があるにはあると、嫌々教えてくれた。先ほどのアレを。
 それを聞いて俺は、やはり昨日のあの、たまたま通りがかった俺に対して執拗なまでに尋問をしかけてきた黒羽には、なにかやましい事情があったのだと確信したのだ。
 大体、昼休み、あんな人気のない場所で歯磨きをしているというのは十分に怪しい。
 さらに辺見曰く、黒羽はほとんど毎日のように、昼休みになるとすぐに教室から出て行き、五時間目開始ギリギリまで教室には戻ってこないらしいのだ。
 これはますます怪しい。こんなのほとんど黒と言ってもいいのではないか。
 しかし、人目に付くのを避けているという事実と、その何がしかを終えた後に彼女は歯磨きをしなければならないようなことをしている、というこの二つの情報を組み合わせると、どうもエロ漫画脳な俺は、黒羽はもしかしてみんなに隠れてこっそり男子生徒にお口でエッチなことをしているのでは? なんて妄想をしてしまい、なんかもう、はちきれそうだった。
 だって、あれだよ? 超優秀な黒髪美人が実は陰で……とかさ、王道じゃん! めちゃくちゃ興奮するじゃん! 男の子なんだもん! 許して?
 まあ、たぶんこういう思考が表に滲み出てるから、俺は女子からモテないんだろうな。
 ……と、そんなエロ与太話は冗談にしても、黒羽がなにかやましいことをしているのはもはや確定的に明らかである。
 我々はその真相を確かめるべく、駐輪場へと向かった――。


 そんなわけで、昨日黒羽からストーカー疑惑をかけられたばかりだというのに、俺は教室から出て行った彼女の後をつけ回し、薄暗い駐輪場までやってきた。
 なんつーか、マジでストーカーになっちゃたよ……。およよ……。
 でも、問題ない。
 なんてったって、俺には青春同好会とかいうわけわからん組織と、生徒からの人望も厚い三鷹先生の後ろ盾があるからな。
 それにこれは辺見の問題を解決するための布石であるという大義名分もある。まあこっちのは、言ったら辺見から死ぬより辛い目にあうような裏工作をされる上に俺が女児アニメおじさんだということを世間にバラされるから、絶対言えない諸刃の剣で、全くもって宝の持ち腐れなんだが。
 しかし、それを考慮して、今回は四鬼条という秘蔵っ子を連れてきている。気まぐれそうだから、ついて来てくれるか不安だったのだが、声をかけたら意外とノリノリでついてきた。これで尾行がバレたとしてもなんとか言い訳はできるだろう。普通の人間は、まさか女連れでストーカー行為をする輩がいるなんて、とてもじゃないが思わないだろうからなあ……? ククク……。
 我ながら全くもって隙のないプランニングに惚れ惚れして、笑みがこぼれてしまった。
 ところで、当の四鬼条はものかげからひょっこり顔を出して、どこから持ってきたのか知らんが、黒羽の方をルーペで観察している。
 暗がりで美少女が美少女を観察するという異様な光景……。
「ルーペって遠くのもの見るためのものじゃなくね?」
「じゃー、かったーの目玉でも観察しようかなー」
 四鬼条はそう言うと、俺の顔にぺたぺたと触れて引っ張った。
「いたたたた、ちょっと、無理矢理人の目玉をかっぴらくな! びっくりするだろうが!」
「あんまりさわぐとー、ばれちゃいますよー?」
 誰のせいでそうなってると思ってんだ、こいつは……。
 でも、なんかその無垢な表情を見ていると、怒る気にもならないんだよな。不思議。
 世界中の紛争地帯に四鬼条を派遣すれば地球は平和になるのに、とかなんの根拠もない妄言が頭を支配するくらい、俺は四鬼条にたぶらかされていた。
「はあ。お前が辺見だったらぶっ飛ばしてたわ……」
「ふたりはなかよしだもんねー」
「三鷹先生みたいなこと言ううなよ……」
「いいたいこともいえない、こんなよのなかじゃー」
 また、急に歌うよ~状態な四鬼条。なんなの、装者なの?
「「ぽいずん♪」」
 しかもなんか自然にデュエットしちゃったよ。なんだこれ。仲良しかよ。
 四鬼条の曲のチョイスがマジでよくわからない。
 でも、たしかに三鷹先生ってグレートティーチャーだなと思いました。まる。どっちかってーとぎゃるせんだけど。あるいは渋谷系教師。
 て、そんなことより。
 俺は四鬼条の手元の黒い虫眼鏡に目を向ける。
「てか、そのルーペ、どっから持ってきたんだ?」
「生物でつかったのー、かえすのわすれてましたー」
 ええ……。
 そういえば三限は実験だったけども。
「四鬼条、お前、なにやってんの……。後でちゃんと返してこような?」
「はあ―い」
 俺はお前の保護者かよ……。
 あとなんで四鬼条はちょっと嬉しそうなの?
 さて、その微笑みの真相を知るべくもなく、ホシが動き出す。
「ああー、黒羽さん、自転車のっていっちゃったよー?」
「はあ? マジ!?」
 隠れていた壁から俺も顔を出すと、マジだった。
 あの優等生で通ってる黒羽が、自転車に乗り、堂々と西門から出ていこうとしている。これは一応立派な校則違反なのだが、この学校は色んなルールにかなりルーズなので特に取り締まろうとする熱心な教師がいるわけでもなし、彼女は誰に咎められることもなく、校外へと軽快に去っていった。
「っと、こうしてる場合じゃねえ、俺たちも後を追うぞ!」
 くそ、油断してたぜ。
 うちの駐輪場は体育館の下に出来ててくっそ薄暗い上に昼休み中こんなところに用のある奴なんていないから、人気もゼロ。
 なんかやましいことするなら絶対ここでやると思ったのに、まさか校外に出ていくとは。
 くそっ! 思春期男子特有のピンクな期待を返せ!(理不尽)
 そんなことを考えながら、黒羽と同じく自転車登校で自前の自転車を持っている俺は、黒羽を追うべく、愛機のママチャリへ飛び乗る。 
 風に揺られてたなびく黒髪はもう視界の端だ。急がねば。
 なのに。
「れっつごー」
「おい、なんでお前が俺のチャリの後ろに乗ってんの?」
 四鬼条が既に後ろ向きスタイルで俺のママチャリの後部へちょこんと座していた。
「いじかむ、いじごー」
「せめて日本語でしゃべってくれ……」
「はやくしないとー、みうしなっちゃいますよー?」
 いや、それはそうなんだが。
 校外に出るだけでも一応アウトなのに、二人乗りだもんなあ……。
 バレたら教師からも生徒からも司法からも色々言われること間違いなしだ。
 こいつはそのリスクがわかってんのか?
 そういう意図を込めた視線で、四鬼条の綺麗な顔を見つめる。
 すると。
「……?」
 またこのおすまし顔だよ。ずるいだろ、コレ……。
 今更言うまでもないだろうが、俺は面食いのクソ野郎である。好きなものはかわいいもの全般。そこには無論、シナモロールだけでなく、四鬼条紫蘭も含まれている。
 であれば、とる行動は決まっていた。
「…………わかったよ。しっかりつかまってろよ?」
「らじゃあー」
「よし生田斗真!」
 俺が現代版吉幾三をかまし、ふらふらと自転車を発進させると、四鬼条はひどい発音で、超有名な洋楽を歌い始めた。
「のーばでぃごなてくまいかー、あいむごなれすとぅ――」
「「ぐらーあんど♪」」
 なんだか気分が良くなって、またセッションしてしまった。
 風を切りながら歌うハイウェイスターは最高だ。
 四鬼条の曲選チョイスは、意外とよかったのかもしれない。
 そんな感じで、深い紫の髪の美少女を後ろに乗せ、遥か前方の黒髪少女を追う。どんなに少なく見積もってもいつもより三十キロは重くなっているのでペダルは重いが、やっぱり四鬼条はガリガリなので、そこまで苦ではない。 
 むしろ、すぐ背後から聞こえてくるかわいい歌声が、同年代の少女の息遣いが、背中に寄りかかってくるか細い感触、体温が、太腿に力をくれているような気がした。
 たぶんかわいい女の子と二人乗りなんかしてバクバクしちゃってる心臓がいつもの二倍くらいの性能を発揮して全身に熱い血を送ってくれているのだろう。
 しかし、中々黒羽との距離は縮まらない。いや、縮まって尾けていることがバレても困るんだが、むしろ離されていく。はっや。なんなんだあの黒髪女。どんだけガチで自転車こいでんだよ……。
 けれども、いつも余裕で全てをこなしている感のある、常に優雅たる黒羽が、そこまで必死になっている瞬間を見たのは初めてで。
 俺は断然、彼女がこのまま何処へ行くのかが気になって仕方がなかった。
 西門脇の坂を下り、まっすぐ行って、川沿いをひたすら直進。ずっとまっすぐ。
 彼女がそんなルートをとってくれていたから助かったが、どっかで曲がられてたら完全に見失ってた。危ない危ない。
 そう思う間にも徐々に差がついていく。
 その後ろ姿はもう点となりつつある。
「われーは、かんぐん、わがてきはー、てんーちいれざる、ちょおーてきぞー♪」
 くそ、後ろにこんなお荷物さえ載っていなければな……。
 つーかなんでこいつは洋楽歌いだしたと思った次の瞬間には軍歌うたってんだよ。声質があってなさすぎるにも程があるだろ。そんな腑抜けた声でこの曲歌ってたら時代が時代なら竹刀とかで叩かれたりしない? 大丈夫?
 しかも気分が乗ってんだかなんだかは知らんが、左右に揺れたり俺の背中にヘドバンしてきたりして重心ぶれるし、そのせいで運転しづらいったらない。
 いや、大日本帝国系統の曲歌いながらヘドバンするってなんだよ……。君が代エレキギターアレンジみたいなのやめろや。
「あのさー四鬼条。もうちょっとおとなしくしてくんない? このままだと黒羽に振り切られるどころかクラッシュしそうなんだけど」
「たまちるつるぎー、ぬきつれてー、しーするかくごですーすむべーし♪」
「死する覚悟で進むべしってお前……」
 ひどない?!
 俺さあ、女子との二人乗りって、もっとこう、ロマンチックなもんだと思ってたんですけど……。最初こそちょっと浮かれてたけど、もう、なんかアレだわ。四鬼条ちゃんてばマジ四鬼条。女の子へのイマジンをブレイクしまくり。
 それと歌うにしてもさあ、普通、夏色とかじゃない? 春だけど。
 この長い長い下り坂をゆっくりゆっくりくだらせてくれよ! 状況が状況だからゆっくりはNGだけど。ガンガンペダル回すけども。
「はあ……」
 ため息をつくと、後ろから能天気な声がした。
「黒羽さんにはー、おいつけましたかー?」
「むしろ見失いそうなんだが。てかお前、なんで後ろ向きに座ってんの? 怖くないの?」
「かしかしが前をむいてるからー、わたしは後方の注意をー」
「意外と合理的だな……。まあ落ないようにだけ気をつろよ」
 実際問題、その姿勢は割と危ない気がする。ちょっと心配だった。
 なのに、彼女はいつも通りだるーっと。
「はあーい。じゃー、おいついたらおしえてくださーい。おやすみ~」
「はあ?! 後方の注意ってのはなんだったんだよ!? あとそれ絶対落ちちゃわない? 大丈夫?!」
「…………」
 無言。
 まさかとは思うが……。
「早速寝たの? のびたくんかよ。もうお歌を歌うのは飽きちゃったのかな?」
「zzz……」
 返ってきたのは、かわいらしい寝息と、脱力した背中の感触。
「うっそだろ……」
 俺は思わず嘆息。
 自転車の二人乗り中に眠るとか正気の沙汰じゃないでしょ。
 俺は四鬼条の安全を考えて、急遽仕方なくペースを落とし、出来るだけ舗装の禿げていない平坦な道を選んで走ることにした。まるで、大事な買い物をした日の帰り道みたいに。
 もう黒羽の姿は完全に見えなくなってしまったが、四鬼条の安全には変えられん。
 だってこの子ほんと細身だし、運動とかも全然してなさそうだから、怪我したらなんかやばいことになりそうで怖いし。
 それにいくら黒羽が高速で駆け抜けて行ったとはいえ(まさにハイウェイスター)、奴も昼休み中に帰って来ることは確かなんだ。そう遠くまでは行かんだろう。だからそのうちどっかで自転車を止めるはず。それさえ見つけてしまえばこっちのもんだ。
 というわけで、俺は虹福寺川沿いの遊歩道を、えっちらおっちら、後ろに紫の大事なコワレモノを載せながら、自転車でゆっくりゆっくりこいでいった。
 海を見に行くでも、太陽めがけでも、好きだよと心こめてでも、あの人にあいにいくでも、全速力でも、明け方の駅へでもなく。
 川原の道を、自転車で、走る黒髪を追いかけた。二人だけで。


 さて、あれからサイクリングに興じること、10分くらい。
 俺は予定通り黒羽のものと思われる自転車を見つけて、ブレーキを踏んだ。
 けれど……。
「あっ、ふーん。そういう……」
 俺は目に映った現実を、あまり受け止めたくなかった。
 なので、思考を止めて。とりあえず、四鬼条を起こすことにした。
「ほら、四鬼条、起きて」
「まりりん……、まんそん……」
 いやだからどんな夢見てんだよこいつは……。つかそれ悪夢じゃね? だいじょぶ?
「おきてー、お前が起きてくれないと俺自転車降りれないからー」
 まるで四鬼条のお母さんにでもなったかのような気分で声をかける。
 なんてったって彼女は完全に俺の背に寄っかかって眠っているのだ。だから俺の支えを失えば、たぶん、アスファルトの上で眠ることになる。
「あいああ……。ん……? あ、おはよー」
「はい、おはよう」
 四鬼条がよぼよぼと老人のように自転車から降りたのを確認して(要介護者かよ)、俺は自転車を止めた。
 すると、彼女は俺達の目の前にそびえ立つ無骨な看板を見て。
「あのー、どうしてわたしがー、ラーメン屋さんにつれてこられてるんですかー?」
 と言った。
 そう、ここには、いわゆる隠れ家的な立地――住宅地の真っ只中――には不釣合に、でん! と竚む、ラーメン店があった。それも、二郎系。
 知らない人のために説明しとくと、二郎系というのは、とにかく量が凄まじくて、麺ドカン! もやしドーン! 脂ギトトトン! にんにくドバーッッ! って感じの、胃腸を馬鹿にする系のラーメンを提供してくれるお店である。
 おしゃれの真逆をいく食べ物だが、視覚的インパクトが強烈なので、ある意味インスタ映えするとかいう傑物だ。化物のための食事だと思ってくれればいい。それに、実際店内はなぜか異様に殺伐としていて、戦場のような雰囲気を醸し出すことで有名である。
 そういった事情から、あのスラッとした黒髪美人の黒羽玄葉がこんなところに用があるとは思えないのだが……(まあ最近は美人声優だったり、スタイルのいいコスプレーヤーだったりアイドルだったりも二郎好きを公言してたり、その写真をSNSに上げてたりする時代ではあるけども。俺がフォローしているレイヤーにも、そういう奇特なのがいたりするくらいだし)。
 俺はそう思いながら、『KIMERO』という、まるでキメろと脅されているかのような、あるいは合成獣のキメラを連想させられるようなとち狂った店名の暖簾を眺める。
 ここは一応、インスパイアと呼ばれる類の、本家ではない派生系の店とはいえ、店外に貼られたメニュー写真には、二郎を彷彿とさせるおぞましい盛られ方がなされていた。
 四鬼条が戸惑う(なお相変わらず無感動&無表情)のも無理はない。
 とりあえず、概要を言っておく。
「黒羽を追いかけてたらここについた」
「はあー?」
 ほとんど無表情なのに不思議と俺を馬鹿にし腐ったような感じで、四鬼条が呆れた声をあげる。
 彼女から「何言ってんだこいつ?」みたいな目で見られるのが、こんなに屈辱的だとは知らなかった。
「ほら、そこに自転車が止まってるだろ」
「あー。かとちゃんのより高そうー」
 俺の指さした黒羽のママチャリを見て、そんな失礼な感想を述べる四鬼条。
「うるさいな。今言いたいのはそういうことじゃなくて、これが黒羽のだってこと。てか、かとちゃんはさすがにもっと有名な方がいるからやめような」
「もしかしてえ、黒羽さんのストーカーだったんですかー、かとちゃん?」
 彼女はケタケタと口に手を当てて笑いながら、後ろに一歩下がった。
「あのさあ、そうなるとお前も共犯なんだけど。それとやめろって言ったときは続けんのかよ。天邪鬼なの?」
「えいっ」
 今度はなんの脈絡もなくかわいい声と共にケツを蹴りつけられた。
「いたっ! え、急になに? 天邪鬼って言われるのがやだったのかな? よくわかんなけどごめんね?」
 行動原理不明の四鬼条は基本的にどことなく不気味なので、俺は低姿勢に謝る。
 すると。
「……おごってくれたらー、ゆるすかもー?」
 すべすべの頬に指を当ててこくんと小首をかしげるその様は、小悪魔というか、蠱惑魔だった。
 まったく、かわいいったらない。
 俺は揺れるパープルアッシュに翻弄されているのを自覚しつつ。
「わかったよ。でも、自分の食べれる分以上にはたのむなよ?」
 そう言って、店の方へと一歩踏み出した。
 黒羽がこの店に本当にいるのかどうかとか、黒羽につけてたことがバレるかもしれないとか、そんなことはもうもうどうでもよかった。
 だって、女の子(四鬼条をその枠に当てはめていいかは要出典だが、この際もうどうでもいい。大事なのは要素)と一緒にラーメン食べるとかさ、全男子の夢じゃん!
 それが叶うのなら、もう全部、終わってもいい……!
 そのためなら千円くらい……! 高校生という貴重な季節の一時間の結晶ぐらい……!
 投げ捨ててやるぅ!(血涙)



「いらっしゃーい」
 ふんわりとした女性の声に驚きながら店内に入ると――黒羽がいた。
 もちろん、客として。
 黒羽は、誰が入って来たかなど気に止めていない。真剣な面持ちで、店主さんらしきたった一人の女性店員が腕を振るう調理姿を、背筋をピンと伸ばして眺めている。食い入るように。目力とオーラがすごい。
 あんな鬼気迫る感じで凝視されたら、店主さんも嫌なんじゃないかと思うが、彼女は彼女で、微笑を湛えながら、まるで愛しい我が子を育てるかの如くに料理をしている。なんかめちゃくちゃ幸せそうだ。天衣無縫の極みにでも到達してるのかな?
 殺伐としている店内を想像して入店したら、店主は聖母みたいな女の人で、ピリピリしてるのはクラスの優等生だけだったってこれマジ?
 ええ……、なんだこの状況。インパクトが強過ぎるッピ。
 しかもBGMが謎におしゃれジャズな上に、狭いとはいえ内装もなんか綺麗。
 端的に言って、ラーメン屋っぽくない。店主さんもプロレスラーみたいな野郎じゃなくて、大人な女性だし。立地も立地だし。
 でも、漂う濃厚な匂い。二郎スメル。これだけは、完全にそっち系統なんだよなあ。
 世界観が、迷子。
 あ、でも水はやっぱり自分で汲む方式なんだ(謎の安堵)。
 というか、客が黒羽一人しかいないが、お昼時なのに大丈夫なんだろうか。
 入店早々の洗礼に、ややおののいていると。
「これー」
 万事我関せずな四鬼条が俺の袖を引いてきた。
 彼女の指差す方を向くと。
「げっ」
 変な声が出てしまった。
 というのも、券売機のメニュー表記がラーメン小・中・大まではわかるとして、その上に、やばたにえん(特盛)、やばたにえんの無理茶漬け(超盛)とかいう謎表記がなされていて、しかも四鬼条がその特盛であるところのやばたにえんを指差していたからだ。
「お前、それ全部食べれんの?」
「たぶんー」
 たぶんじゃ困るんだよなあ……。
 つっても、こいつはどうせ俺がなんと言おうが自分の意見は変えないだろうし、こちらからできることはない。
「そっか……」
 俺はそう言って涙目で財布を開くと、紙幣を二枚、四鬼条に手渡した。
 さよなら、俺の1・2時間分のお給金……。
「お金だー。…………ありがと」
 彼女は頬をすぼませてそう言うと、紙幣を投入。やばたにえんと書かれたボタンを、なんの躊躇もなく押した。食券が排出される。
 やばたにえんと印字された小さな紙片は、どことなくシュールだった。
 ちなみに俺が買ったのは、お釣り分でも余裕で買える、一番小さいサイズの食券。
 四鬼条が万が一食べ残した時の為の保険ってやつだ。本当は俺もやばたにえんがよかったんだけどね。食べ盛りだし。
 だからこれは別に、お金が足りなかったからとか、そういう理由ではない。けっして。


 食券を買って出入口側の席に着くと、店主さんが気さくに話しかけてきた。
「もしかしてー、玄葉ちゃんのお友達?」
 すると、一番奥の席に座る黒羽がピシャリ。
「違いますよ、女将さん。私はこんな人たちの友人ではありません」
「そうなんだー残念。てっきり玄葉ちゃんってやさしいから、閑古鳥が鳴いてるうちのこと宣伝してくれたのかなーって思ったのにぃ」
「そんなことないでしょう。ここの味は最高ですし」
「もー、そんなこと言ってくれるのは玄葉ちゃんだけだよ~」
 女将さんが大げさに喜ぶが、その手は休まることなく動いていた。正に、職人芸。
「二人とも仲がいいんですね、黒羽はよくここにくるんですか?」
 なんか常連っぽい黒羽のことが気になって聞いてみる。
「そうよー。なんと! まいに」
 女将さんがすごい重大な情報をリークしてくれそうだったその時、冷房が効いている(五月なのに……)とはいえ、むっとしている店内を、いてつくはどうが走り抜けた。
「女将さん、この男に私の話をするのはやめて下さい。それより、早くトッピングの有無を聞いたほうがいいんじゃないですか?」
 仮にもクラスメイトをこの男呼ばわりって……。
「それもそうね。じゃ、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、にんにくとか、どうする?」
「ふたりともー、おおめでー。たまねぎはー、わたしのだけなしでー」
「了解! やばたにえんネギヌキニンニクヤバめ、小もニンニクヤバめね!」
「はーい」
 ええ……。
 なんかちょっと人が落ち込んでる間に、許可なくにんにく入りにされたんですけど……。
 まあ、好きだからいいけどさ。
 それより、意外だったのは。
「四鬼条って、やろうと思えばちゃんと受け答えできるんだな」
「にんげんだもの~」
 いつからお前はみつをになった。
「あ、うん。そーだな」
「にんげんだからー、ソーではないよー?」
「は?」
「むじょるにあとかー、もてないしー」
「ああ、マイティ・ソーね。ボケがわかりづらいんだよ」
 四鬼条もマーベル映画とか見るんだ。ヒーロー映画見るにしても敢えてDCの方見てそうな雰囲だったから割と驚天動地だわ(失礼)。だって絶対この子、王道をゆく全米が泣いた作品とかじゃなくて、見た奴がもれなくアレな意味で泣くようなクソ映画ばっか(DCのことではないです。アクアマン、めっちゃ面白かった)好き好んでみてそうな感じがするじゃん? 天邪鬼みたいだし。
 そんな俺の内心を読んだのか、はたまたボケをこき下ろされたのが忌々しかったのか、四鬼条はジト目で。
「かとちゃんのくせに……」
「だから俺は芸人じゃないから」
「でもー、かつまたですよねー?」
「俺は勝俣じゃなくて勝利だし、勝俣さんは別に芸人ではないだろ、たぶん」
「じゃー、かつやまー?」
「むしろ人の話右から左に受け流してるのはお前だろうが……」
「紫蘭はー、左利きだけどねー」
「天才肌かよ」
「くふぅー」
 ちょっと得意げなのがムカつく。
 そんなくだらない会話をしていると、いつの間にやらエプロンを着用しポニテになっていた黒羽(は? かわい過ぎるんだが? いま脳内で一万回いいねした)の元へ、名状しがたい――強いて言うなら、表現は悪いが豚の餌の塊、或いは残飯で出来た現代アート、染みたものが、ドン! と鎮座した。
 な、なんだこれは……。
 そもそもおよそ人間用とは思えないような馬鹿でかい丼。そしてその底を埋め尽くしているのであろう、もはやその姿を拝むことのできなくなった大量の麺に、その原因であるトッピングが、詰め放題のプロが敷き詰めたみたいにこれでもかとのしかかっている。中央には、もやしによるバベルの塔。その周囲を万里の長城が如く囲むのは、チャーシュー……というかもはや肉塊と、味付け玉子五つずつに、こんもりにんにくの山、ざく切りキャベツ、みじん切り玉ねぎ、メンマ、岩海苔……。最後の方だけちょっとヘルシーだったような気もするが、そんなことはない。なにせ、それらの上には、更に生卵、そして背脂の群れが、これを食らって死ねとばかりにゴゴゴゴゴとふりかけられているのだから。その上からもうもうと立ち上る蒸気を、あたかも瘴気が如く錯覚させる凶悪ぶりが、それを証明してくれている。カロリーの九龍城。塩分の死海。脂のガワール油田。炭水化物のマンハッタン。
 ひ、ひええ……。
 こんなもん食べたら死ぬんじゃないかな……?
 もし本当にこれを完食できるような人間がいるのだとしたら、もうそれは大食いとかいうレベルではなくて、人間ではない。
 だって、たぶんこれで普通の人は一週間もつよ……?
 しかし。
「ふおー」
 ドン引きしてる俺を横目に、四鬼条は目を輝かせている。……なんで?
 そして黒羽は――笑っていた。
 あのモデル体型の麗人が、このデブをも殺すメガ盛りを見て、笑っているだと!?
 俺が驚いていると、女将さんは至って笑顔で。
「はーい! やばたにえんの無理茶漬け全部載せマジ卍神ヘブン、お待ちぃ!」
 けれどその元気な声を聞いた黒羽は、その微笑を崩し。
「その頭の悪い名称、どうにかならないんですか……」
 そう言いながら、スタンバっていたスマホでラーメンの写真を速写し、すぐにしまう。
「えー? こういうのが流行りだって、さーやんに聞いたんだけどなー」
「なるほど…………」
 女将さんのセリフを聞くと、黒羽は額に手を当てて、いやいやと首を振った。
 が、再び顔を上げると、すぐさま手を合わせ、食事を開始させる。
「いただきます」
 割り箸を割る子気味のいい音が店内に響いた。
「めしあがれー」
 そんな彼女をニコニコと眺めながらも、女将さんは俺達の分の調理をしている。
 黒羽はというと、凄まじい勢いでもやしを食い始めたかと思えば、今度は麺をずるると景気良くすすり、肉食獣のようにチャーシューにかぶりつき、ロッキーみたいに卵を喰らい……と、フードファイターかよというくらいのハイペースで、その冒涜的なまでのカロリーをその小さな胃袋へと送り込んでいく。
「じゅるるるるるっ!!」
 美少女が大量の食べ物を豪速で喰らうというのは、ここまでパフォーマンス化されるものなのか……と見入ってしまうほどだ。なんならこの動画をユーチューブとかに載せれば結構再生数行きそうだなってくらいには視聴に耐え得る――どころか、もっと見ていたいと思わせる、引き込む力がある。見世物として、迫力が圧巻。
「ぷはあ…………!」
 あと、どことなくエロい!
 やはり女がどでかいものを呑み込んでいく姿に、男は性的な興奮を覚えてしまうらしい。
「ずぞっ、ずぞっ、ごくん……!」
 咀嚼音、嚥下音、そして麺を啜る音が、店内に響く。それが下品ではなく、むしろ気品さえ感じさせるのは黒羽の黒羽たる所以なのだろう。
 また、時折額を拭う姿や、恍惚とした表情、前屈みになったとき顕になるうなじが、健康的なエロスを醸している。揺れるポニテもふぃーるそうぐっど。なによりあの雪肌の火照り、頬の上気。Oh、yes。
 これ以上はどう足掻いても下方面のレポしか出来ないので、自重。
 それにしても、なんだかやばい店に来てしまったと、改めて震えてしまう。
 あんまり黒羽の方ばかり見ていると、後で何をされるかわかったもんじゃないので、俺はややもの惜しげに彼女から目線を外し(なんで俺は黒羽がラーメンを食べる姿を、まるで水泳の時間にスク水女子をこっそり鑑賞するかのような心地で見ているのか)、左隣に座る四鬼条の方を見た。
 ぼけーっとしているが、この子もやっぱりかわいい。黒羽とは真逆を行くようなタイプだが。
 とりあえず、この問題児がなにか粗相しないように見張っておかなければ。
 俺はまた、彼女の親にでもなったような気分で四鬼条を見守る。
 とはいえ、彼女は意外にも大人しくしていた。
 黒羽のダイナミックランチや、女将さんの手際いい調理工程なんかを、ぽわーっとしたいつもの浮世離れした顔で見つめている。
 あっ、今まばたききした。
 非人間的な四鬼条の人間味あふれる決定的瞬間を目撃してしまった。
 なんかちょっと嬉しい。
 そう思って内心ガッツポーズしていると。
「…………(くわっ!)」
 突然こっちを向いた四鬼条が、ヘヴィメタのボーカルもかくやというような変顔をした。
 目ん玉ぐわーかっぴらき、白目ぶわー広げ、舌デデンと露出。しかもなぜか顔だけでなく、両手まで顔の横に持ってきて、それぞれの指を曲げちゃいけないような方向にベキベキぐわん。奇しくもアヘ顔ダブルピースみたいになってる。全然ピースではないんだけど。むしろサイコなシリアルキラーって感じ。ナイフとか舐めちゃうタイプの。
「ぶはっ!」
 なんの脈絡もなく始まった一発芸に、思わず声が出る。
 だってそりゃびっくりするでしょ。
 考えても見て欲しい。長門有希ちゃんをかわいいなあと見つめていたら、突然その長門有希ちゃんがマキシマムザ亮君になったんやぞ。
 目ん玉が飛び出るわ。
「し、四鬼条さんっ?! い、今のは……?」
 俺が恐る恐る問いかけると、彼女は急にしゅっと端正な真顔に戻って正面へ向き直り、
「…………」
 無言。
「え、えーと、四鬼条ちゃーん?」
「…………」
 無視。
 ええ……(困惑)。
「あのー、なんでシカトすんのかなー?」
「……(のわああんっ!)」
「ぶっ!」
 再度こちらへ放たれた変顔にまたも敗北する俺。
 無駄に変顔のレパートリーが豊富で草だった。
 なんて思ってたら、鏡の前で一人練習してるとことか想像しちゃって、ちょっと可愛いじゃねえか、とか思ってしまった。悔しい。
「……って、いやいや。いないいないばあかよ。俺をなんだと思ってんの、お前は?」
「かねー…………づる?」
「え、ええっ!? それは酷すぎやしませんかね!?? お前に親近感を感じてたのは俺だけだったのかよ……っ!」
 ううっ……、割とショック……。
 と思っていたら、なんだか数年前にテレビで聞いたようなことを言い出す四鬼条。
「……なんてー、ほんとにそんなふうにおもってたらー、かすがとこんなお店になんかー、はいったりしませんよぉ」
「「へへへへへへへっ」」
 仲良く笑い合う俺達。夫婦漫才かよ。
 なお、四鬼条の表情は、それでも無だった。無表情で笑うってなんなの? 
「……てか、どう考えてもボケはお前なんだから俺じゃなくてお前が春日ポジだろ」
「えー、でもー、体格的にはー、そーでしょー?」
「いやー、四鬼条ってば人の筋肉をクリス・ヘムズワース並とか、お前さすがにそれはお世辞がすぎるでしょー、もー。うまいなーったくー」
 いやーまさかモテたいが為に鍛えていた身体がここに来て評価されちゃうとはなー。その第一号が四鬼条だなんて夢にも思わなかったけど、っべえうれしーわ。うれしお~。つーかなによ、アメコミヒーロー並とか言われちゃったよー、いやーマジリアルゴールドにテンションブチ上がりなんですけどぉ。バイブスぅ~。っしゃ、じゃー、あれだ、とりま明日からビクトリーマンとして街の平和を守っちゃおうべ。あ、我ながらマジ名案じゃね? パない。あげみざわ~。マジ卍~。優勝~!
「あたまー……、だいじょうぶ~?」
 あまりの喜びでエセ陽キャっぽくなってた俺を、四鬼条の虚無顔が襲う。
 俺は一瞬で陰キャに再生した。
「なんでだよ! お前さっきマイティ・ソーの話ししてたじゃん! え、これ俺が悪いん? すぐ勘違いしちゃう俺が悪いんか?!」
「ふっ…………」
 四鬼条は俺の狼狽ぶりを見て鼻で笑うと、スマホでどうぶつのもりを始めた。ええ……。
「…………ふふ」
「そりゃ俺との交流よりどうぶつとの交流のほうが楽しいかー……」
「あら~、二人とも仲良しなのねえー。うらやましいわあ」
 女将さんは具体的にどのへんでそう思ったんですかね?!
「ずるるるるるるるるっっっっっ!!!!!」
 そして相変わらず黙々と(なおSEは轟轟な模様)食に没頭している黒羽。
 しかし、その今までで一番大きなヌーハラは、「黙ってくれないかしら。気が散るのだけど」という、彼女からの言外のメッセージかのような轟だった。
 いや、ただ昼ごはん食べてるだけなのに気が散るってなんだよってな感じだけども。
 ラーメンは遊びじゃねえってなことなのだろうか。まあ確かにあの量は生半可な覚悟では完食できなさそうだけれども。そう言う意味で、彼女にとってこれはスポーツのようなものなのかもしれない。……そマ? eスポーツがスポーツだって初めて聞いた時並みに抵抗あるんですけど。大食いの闇は深い。
 ジロリアンはイっちゃてるよ、あいつらプリン体に生きてんな。


 そうこうするうちに、俺たちの分のカロリーの爆弾がやってきた。
 イ・タ・ダ・キ・ます!
 ICBM級のが四鬼条の前に、手榴弾級のが俺の前に置かれる。ちなみに言うまでもないことだが、黒羽のは戦術核すら優に飛び越えて超新星爆発(ビックバン)級である。
「はーい、やばたにえんネギヌキニンニクヤバめと、小のヤバめね! おまちどう!」
「おおー……!」
 あの四鬼条に感嘆の声を上げさせるとは、やばたにえん、中々にやばたんだぜ……。
 黒羽の食べている動物園のパンダ用みたいな頭おかしい奴よりは、さすがに一回り小さいが、それでもやはり、およそ人間様の為にこしらえられたとは思えない量の脂と炭水化物がふんぞり返っている。
 例えるなら、これはゴリラクラス。人間でもギリギリ食べれるか食べれないかくらいの量だ。黒羽のは完全に人間やめてる量(さっきはパンダとかいったけど嘘だわ。そんなかわいいもんじゃねえわ。あいつはクジラ)だけど、これなら適切な鍛錬と訓練を積んだ者が人の身のままで到達できる極限の臨界量だと言える。
 しかし、四鬼条がそんな高みに到達しているとは到底思えない……。
 そんな不安から、俺はまたしても娘の運動会を見に来たお父さんみたいな気持ちで彼女の食事風景を眺めていた。無論、自分の分を食べながらではあるが。
「ぱくっ」
 彼女はまず、麺でももやしでもなく、卵からいった。――俺の丼からとった卵から。
「おいいいいい!!! お前なんでそんな食いしん坊セットみたいな豪勢なもん食べてんのに開口一番ヒトの食ってんの?! 隣の芝は青いって言うけどさすがに今は適用されんだろ!」
「わたしのをー、……もぐもぐ。とろうとしてたんでー。もきゅ」
「してねえし! あと言いながらチャーシューまで盗んな! もやしをこっちに押し付けんな!」
「もぐっ。だってえ、ずっとこっちみてるしー」
「あ、ああ、なんかごめん」
 そうね、そりゃ自分の食べてるところをクラスメイトから温かい目で見られてたらなんかやだよね。それは俺が悪かったわ。すまそ。
「でもさ、そうやって口の中にものをためたまま話すのは良くないと思うぞ?」
「ごきゅん……。ならー、しずかにしててくれませんかー?」
「えっ、あっ、ハイ」
 無表情の圧力に負け、なんとなく頷いてしまった。
 俺は腑に落ちない気持ちを抱えながら、四鬼条から横流しされたもやしを食べる。おいしい。……あ、今度はメンマだ。おいしい。
「あらまあ~」
 そんな俺たちを見て、なぜか女将さんは嬉しそうににこにこしている。
「じゅるうあああああっっ!!」
 そして黒羽はもはや化物みたいな音を立てながら、なにかと格闘していた。
 これがあの学園の凛々しい氷結騎士様の食事姿かと思うと、案外高嶺の花みたいな女の子にも隙は多いのかもしれないなと思った。大学とかで今後ワンチャンを狙うとき用に覚えておこう。間違ってもそのワンチャンを黒羽本人には期待してはいけないと、肝に銘じつつ。古傷を撫でながら。
 
 さて。
 以下、しばし無言だけど無音ではないばくばくタイムが続き――。
「あーおいしかったあ」
 四鬼条はなんと、完食した。
 マジかよ……。
 野菜は俺にほとんど押し付けたとは言え、他は全部食い切りやがった。
 猫舌らしい彼女は、一々麺を蓮華に移し替えてふーふーしてから毎回口に入れてたから、食べるのこそ時間がかかっていたが、コイツはたまげた。
 俺は、もうとっくに完食どころか完飲して店外へ出て行った黒羽の姿を思い浮かべながら、四鬼条のほっそい手足や、つつましい……双峰(アレを山と呼べるのであれば)を見る(いや、前言撤回。丘。双丘)。
 胸にも体にも行かないのに、あの有り余る脂肪を、彼女達の胃袋はどこに送っているのだろうか。
 ラクダの真逆を行く彼女等の生態に、美少女愛好家であるところの俺は興味津々だった。そして巨乳愛好家であるところの俺は、どうにかしてその研究の先で彼女達を貧乳という発達障害から救えないものかと思い悩んだ。
 すると。
(彼氏くん、あんまりそういうことばっか考えてると、愛想つかされちゃうぞ?)
 カウンターに前屈みになった女将さんが、そんなことを耳打ちしてきた。
「は、あ、か、かれっ?!」
(彼女は言わないだろうけど、たぶん気づいてるわよ?)
「ごちそーさまでしたー」
「ほら、先にいっちゃった」
 店内が貸切状態なのをいいことに、先に食べ終えていた俺は四鬼条を待って店内に残っていたのだが、そんなことに気付いていないのであろう彼女は、俺を置いて店を出てしまったらしい。
「いやー、あいつは単に集団行動が苦手なだけなんで」
「彼女ちゃんにそんなこと言っちゃだめよ?」
 俺達のどこをどう見たらそう見えるんだろうか。
「彼女じゃないですってば。俺、べつに好きな人いますし」
「またまたぁ~」
「本当なんですけど……」
 というか、四鬼条と付き合うというのがよくわからない。
 たしかにあいつはかわいいんだが、なんというか……。あいつとキスしたいとか、思ったことないしなー。せいぜいがこんなぬいぐるみ欲しいなー、くらい? いや、なんか猟奇的だな……。や、違うからね、人間椅子とか肉人形とかそういうアレじゃないから。俺の性癖は、単におっぱい。至ってノーマルよ? 江戸川乱歩は好きだけど。
「じゃあ、どんな人なの?」
「それがですね、実は、担任の先生で……」
「え、もしかしてそれ、さーやん?!」
「さーやん?」
 そういえば、さっきもそんなようなこと言ってたな。
「ああ、ごめんなさいね。三鷹沙夜ちゃん?」
「あ、はい。お知り合いなんですか?」
「そりゃあもう。同級生だったもん」
「え、ええ!?」
 俺は女将さんの大人な顔をマジマジと見つめ、驚きの声をあげた。だって三鷹先生、見た目は普通にそのへんの高校生とかわらないんだもの。おっぱいの大きさ以外。
「あっはは、そんなにおどろいちゃう? さーやんったらまだ若いもんね。ワタシみたいなおばさんと同い年っていったら、びっくりかしら?」
「いやいや、そんな失礼なことは……。お、お姉さんも十分お若いと思います!」
 実際まだまだ現役な美貌だし。看板娘名乗れるレベル。
「かわいいねえ~、彼氏くん。ありがとう」
「彼氏ではないのですが……」
 だから四鬼条はそういう対象ではないんだよなあ……。顔のいい異星人みたいな? だってあいつに愛の言葉とか囁かれるとことか想像できないし、逆にこっちが囁いたとしておちょくられそうだし。
「ええ~、でも、さーやんったらまだ性懲りもなく彼ピッピが~、とか教え子ちゃんたちにいってるんでしょう? そんなひとに惚れてるとかいわれても、ねえ?」
 女将さんは茶化すようにそう言うが――
「俺は本気なんです!」
「あ、あら……。そうなのね……」
「はい!」
「なるほど! きみの熱意は十分伝わったわ。がんばって!」
 最初はちょっと引き気味だったが、なんか応援してくれるらしい。いい人や……。
「あのう、であれば、つかぬことをお伺いしますが……、先生の彼氏について何か知りませんでしょうか?」
「うーん、でもワタシはそのヒトにあったことないのよねえ。どうして?」
「頑張ってそいつより魅力的になれば、ワンチャンあるかなと思って!」
 俺は諦めねえからな!
「あはは、きみ、ほんと元気ねえ。そういうとこ、たぶんさーやん的にポイント高いわ」
「マジですか!? やった!」
「ここだけのはなし、さーやんはね、正直なひとが好きなの」
「なるほど! ありがとうございます! がんばります!」
 俺はその情報をスマホのメモ帳に後でメモっておこうと心に誓った。
「ふふっ、あとね、ぜったい年下好きよ。なんでだかわかる?」
「彼氏が年下の男だから?」
「ぶっぶー。正解は、学校の先生だから、でしたー」
「それはさすがに偏見じゃないすか……?」
 その理論でいくと全国の小学校が危ないことになってしまう。JS逃げて。超逃げて。
「もー、そんなことないわよぉ。さーやんは昔からモテモテだったから、何人もの男子の告白をごめんさいしてたんだけど、下の学年の子から好きっていれた時だけは、いつもよりちょっと迷ってからごめんさいしてたもの」
「結局ふっちゃうんですね……」
 けっこう嬉しい情報だったが、結末を聞くとあんまり喜べなかった。
「まあねえ~。さーやんマジメだから」
「そんなふうに見えませんけど」
「そんなことないぞ~。女の子はね、いつでも嘘を付いてるものなんだから」
「でもさっき正直な人が好きって……」
「理屈じゃないのよ。きみだって、どうしてさーやんが好きなのかって、うまく説明できないでしょう?」
「それはもちろん、おっp……。こほん、そうですね、うまく言葉に出来ないですね」
「……そういうことにしといてあげる」
 女将さんの全てを見透かした視線がつらかった。
「い、いや、別にそういうんじゃないんです、みっ、三鷹先生はこんな俺のことにも親身になってくれてですね……!」
「あれえ、正直じゃなくていいのかな~。嫌われちゃうぞー?」
「すみませんでした! 不純な理由も、けっこうあります! でも、なんかこの場合、正直に言ってもアウトな気が……」
「問題ないわ。たぶんお兄ちゃんの場合…………もう、バレてる」
「たしかに……!」
 この女将さん、できる――!
「ちなみに、先生の彼氏は何歳かとか、ご存知ですか?」
「さあ~? でも、ソレをつくったのは五年くらい前かなあ」
「五年前、か……。ありがとうございます」
 けっこう長いな。
 だったらいっそ結婚しちゃえばいいのに。それで先生が幸せになってくれるんなら俺はそれでいいし(大泣きはするだろうけど。って先生は俺のアイドルかよ。そうだよ)、俺も潔く諦めて、新たな恋を探しに……いや、でもこの学校に先生よりいい女なんて、というか俺と口をきいてくれる女子なんて、いないんだよなあ……(血涙)。
 マジで目頭が熱くなってきてハズいので、そろそろお暇しよう。
「じゃあ、俺もそろそろ出ますね。お仕事中なのに、お話に付き合ってもらってありがとうございました。ラーメンも美味しかったです。ごちそうさまでした!」
「こちらこそ、ありがとね。お兄ちゃんが卒業まで諦めなければ夢は叶うと信じてるわ! 応援してるからね? ふぁいとー!」
「あざっす! 叶えます!」
 うー、なんていい人なんだ。ラーメンも美味しかったし、お嫁さんにしたい!(オイ)
「またどうぞ~。……あ、でも、玄葉ちゃんとも仲良くしてあげてねー」
 割引券まで頂いちゃったし(こういうのをもらえると、自分が店員さんからもう一度来店して欲しい客だと思われているという風におめでたく解釈して俺って生きててもいい人間なんだなとか勘違いしてしまう)また来るのは当然として、それは無理じゃないかなー。女将さん、ごめん。
 内心でこっそり謝りながら、俺は店をあとにした。
 

 
 『KIMERO』と書かれた白い暖簾をくぐると、マチ針だった。
「ぎやあああああああ!!!」
 俺は突如として自分の目玉寸前に差し向けられた細い針に、絶叫。
 元凶は、黒髪のクラスメイト。軽蔑の目と共に俺を待ち構えていた。
 そして、裁縫道具を凶器として俺に差し向けるその狂気の女、黒羽は。
「あなた、出てくるのが遅いのだけど? 女将さんにまでなにかしようとしているのなら、ここでその下卑た目を二度と異性に向けられなくしてあげるわよ?」
 なんか盛大に勘違いをしていた。
 そんな理由で失明したくない俺は、必死にまくし立てる。
「ひゃっ、なななな、なんかよくわからないけど待ってくれ俺はそんなこと微塵も考えてない。前も言っただろ俺はいま三鷹先生――」
 パシャッ。
「おー、こいつぁふぉとじぇにっくー」
 俺が自己弁護を終える前に、俺達の横でうんこ座りをしていた四鬼条がスマホのカメラ機能を使って黒羽の犯行現場を捉えた。ナイスぅ!
「ちょ……、待ちなさいあなた。なにを勝手に私の写真を……!」
 慌て始める黒羽。俺はこれ幸いとばかりにその隙にマチ針の魔の手から逃れる。ふう。
「これをー、クラスラインにー」
「ふ、ふざけないで! 消しなさい!」
「とおもったけどー、紫蘭はいれてもらってないんですよねー。赤羽さんわしってるー?」
「…………なんなのよこの子?」
 四鬼条に詰め寄っていたはずの黒羽は、そう言ってまた俺にマチ針を突きつけてきた。
「おい、どうしてその流れで俺に矛先が向くんだよ!」
「あなたのお友達でしょう? だったら連帯保証人として彼女の失態を全てあなたの咎として対処しても、法的に何の問題もないわ」
「そもそも倫理的に問題ありまくりだわ! つーかお前のお友達観ゆがみすぎだろ!」
「知らないわよ。ただ、あなたと友達になるメリットはなにかと考えたら、それくらいしか思いつかなくて」
「メリットとかそういうんじゃないだろ。友達は」
 それにあれだよ、俺と友達になったら…………え、えーと、た、たのしい、よ?
「こんな子としか仲良くなれないような人に言われてもね」
「おま、こんな子って……。ま、まあ四鬼条はやべえやつだけど……。で、でも、いいとこも、いっぱい、あるんだぞ!」
 なぜかムッとして言い返したけど、今も黒羽のスカートん中覗いたりしてるしなあ、四鬼条。黒羽にはバレてないっぽいけど、こんな子呼ばわりは割と残当なんだよなあ……。
「例えば?」
 やっべ、具体的に言われると全然思いつかねえ!
「あー……、うーん……。えー……。……………………あ! かわいい!」
「あらそう。すごいわね」
 心底呆れたといった目で見てくる黒羽。
「うるせえな。女の子はかわいければなんでも許されんの!」
「最低ね。死んだら?」
「そうそう! たとえば、それね。こんな辛辣な言葉を吐いても、お前はかわいいから許されるだろ?」
 むしろ人によってはご褒美にもなる。かわいいは正義。
「……そう。じゃあ、今から私はあなたのことを殺すけれど、かわいいから許してくれるのよね? 遺書にはしっかりそう書いておくってことでいいかしら?」
 今まで俺に向けられた彼女の表情と声の中で最もかわいらしいもの(と断ちバサミ)が俺に向けられていたが、まるで嬉しくなかった。かわいいは悪だった……。
「ごめんなさいごめんなさい冗談です冗談ですかわいい子でも許されることと許されないことがありました学のない僕が浅はかでした許してください本当にごめんなさいい!!!」
 このままでは布用断ちバサミが命用絶ちバサミになってしまう。
 可憐なるお顔は可憐なる魂に宿るとは限らないらしい。かなしいね。
「はあ……。あんまりお店の前で騒がないでくれるかしら。みっともない」
「お前が絡んできたんだろうが……っ!」
「ちょっとこっちに来なさい、灰佐君」
 ハサミを前にがたがたと震える俺を、黒羽が無理矢理店の反対側、川原の方へと連行していく。この川が三途の川じゃなくて良かった。
 あと、なんか初めてクラスメイトにちゃんとした苗字で読んでもらえた気がする。こんな状況なのに、ちょっとにやけそうになっている自分。虚しみしかない。


「というか、どうしてあなたはこんなお店にやってきたの? 仲良くお友達まで連れて」
「というかあ~、べつにー、紫蘭はかっぴーとお友達ではないんですけどー」
「え、そうだったの……!? また友情を感じていたのは俺だけだったパターンなの?!」
 俺への質問に割り込んできた上に俺のメンタルを削っていく四鬼条。
「かっぴいというのは、この男のこと?」
「かっぴーわー、かちぴーですよー」
「はあ? まあ、どうでもいいけれど」
 いや、どうでもいいのかよ。そこはどうでもよくないだろ。大事な人の名前だろうが。こういうやつがいるからいつも数学の問題の登場人物は花子と太郎だけなんだ。まったく。
「で、私の質問の答えは?」
「ぶかつどう~」
「うちの学校にラーメン研究会なんてなかったと思うけれど? なによその謎部活。それと、あなたには聞いていないの。勝手に口を開かないでくれるかしら」
「はあーい」
 黒羽の棘が、四鬼条を触媒にして弱まっているような感を受ける。さすがは四鬼条だ。俺はそう思い、声をあげた。
「そうだよ、さっきの話に戻るが四鬼条は面白い奴なんだ。独特の空気感があるだろ? それが魅力的でさー。ほら、いいとこがいっぱ」
「今は私が話しているの。あなたの話は聞いていないわ」
 バッサリ。一刀両断。
 黒羽に俺とお話をする気はないらしい。
 だが、ならこっちにも考えがある。目には目を!
「じゃあ、俺もお前の話は聞いてな――」
「そう?」
 目に針を突きつけられた。ハンムラビ様、この女を裁いてくださいっ……!
「き、聞いてます」
「え? ごめんなさい、よく聞こえなくて」
 絶対聞こえてるのに、手元の針を弄びながら、黒羽はそんななことをのたまう。
「ありがたく拝聴させていただいております……。ねえこういうの棍棒外交って言うんだよ知っt」
「あらそう? 私、日本史選択だからよく分からなくって」
 また遮ってきたよ。なんなのこの子、人の話最後まで聞けないの? 江戸っ子?
「これが世界史用語だってわかってる時点で、お前はその意味を理解してるんだよなあ」
「当たり前じゃない。知識をひけらかすのは三流のすることよ? そもそも外交というのは対等な者同士が行うものだしね」
「自分が能ある鷹だって言いたいのかな、黒羽さんは? そして俺が鳶だと」
「別に。ただ、私たちのクラスで爪を隠しているのは、文字通り三鷹先生じゃないかしら?」
「はあ? あの人ほどオープンな人もいないだろ」
「……そう――ね」
 黒羽がなにか意味ありげにそんなようなことを言っているのだが、たった今その背後で四鬼条が黒羽の頭の上で指を立ててユニコーンみたいにするいたずらや、急に変顔をするという奇行を俺にだけ見えるように放ち続けてきていたので、笑いをこらえるのに必死で内容が入ってこなかった。
 そんな理由で、たぶん少し変な顔をしている俺を怪訝そうに睨みながら、黒羽は言う。
「で、あなたはどうして私をストーキングしていたのかしら?」
「おい、時間経過で大事な部分がすり変わってんだけど?!」
 さっきはなんでこの店に来たの? くらいの軽い質問だったよね!?
「御託はいいわ。答えなさい」
「いやー、たまたま入ったラーメン屋に黒羽がいるとはたまげたなあ……」
 鋭利で冷たい黒羽の視線にたじたじになりながら、そんなことを嘯く。
 さすがに命に関わってきそうな時くらいは嘘をついても三鷹先生だって許してくれるだろう。それこそ、カントは怒るだろうが。
「シラを切っても辛いのはあなたよ? そっちが正直に言わないのなら、私はどんな手を使ってでもあなたに白状させる。覚えておきなさい」
 穏やかじゃないにも程があるだろ……。お前は異端審問官か何かなの?
「じゃ、もう時間だし、また教室で会いましょう? あなたたちもそろそろ帰らないと、授業に間に合わないわよ? 急ぎなさい」
「あ、ああ。もうそんな時間か、またな」
「あなたにまたねと言われるのがこんなに忌々しいことだとは思わなかったわ……」
「……一応言っとくけど、お前が先に言ったんだからな」
「私の優しさが、私を苦しめる……っ!」
「その優しさ、俺も苦しめてるから」
「でも、私とまた会えるのは、まんざらでもないんでしょう?」
「いやー、出来れば会いたくないかな……。なんか殺されそうだし……」
「そんな野蛮なことしないわ。……生まれてきたことを後悔させてあげるだけ」
「お前の中での野蛮と文明の線引き基準どうなってんだよ……」
 てか黒羽さんはなに? どこかでそっち系の職に従事してたりするの? そういうことなの? エージェント黒羽なの?
「それがいやなら、今日のことは誰にも言いふらさないことね。わかったかしら?」
「そもそも言いふらす気はない」
「その言葉が、本心であることを祈っているわ。あなたの、未来の為にね」
 彼女はそう言い残すと、凄まじい速度でチャリを飛ばし、あっという間に消えていった。
 こわっ。なんで俺は同級生が二郎系食ってたってクラスの誰かに言うだけで将来を危ぶまれるような何かに巻き込まれなきゃいけないんだよ。辺見のアレとは別ベクトルで怖いんですけど、黒羽さんの報復。
 それと、去り際に四鬼条にも一言二言言って、なんか手渡してたけど、なんだったんだろ、あれ。
 決闘用の手袋とかかな? 
 ちょっとドキドキしながら、四鬼条の手元を見る。
 そこにあったのは。
「あっ、そっかあ」
「すーすーするー」
 ブレスケア用の、タブレットだった。
 黒羽は意外と、気配りのできる、いいやつだった……。
 

「おらー四鬼条―、はよ帰るぞー」
 四鬼条にブレスケア錠剤をくれと要求したら、口をあけれと言われたので口を開いたところ、そこにサルミアッキというフィンランド産世界一まずい飴を放り込まれ、挙句笑いものにされて不機嫌になっていた俺は、ややいつもより厳し目な口調で四鬼条を促す。
 まだ口の中にタイヤみたいな異物感が残っている。もう二度と四鬼条の前であーんはしないことにしようと胸に誓った。
 ところで時計は、昼休み終了五分前を指している。急がねば。
「二人乗りだと絶対間に合わないからお前はチャリに乗れ。俺は走っていく」
「むりー」
 四鬼条は俺の自転車の後ろの荷台に跨ると、むくれた。
「いやなんでだよ。最善のプランでしょ」
「わたしー、自転車のれないんですよねー」
「マジ?」
「まじまじー」
 行きはあんなにバランス感覚よくうたた寝してたのに? 自分でこぐのは無理なの? それマジ?! まあ四鬼条らしいっちゃあ四鬼条らしいが。
「はー。……じゃあ、後ろ、のる?」
 しゃーない。遅刻確定だが、背に腹は代えられんだろう。
「いいのー?」
 その聞き方をするなら我が物顔で荷台に座るなや。言動を一致させて?
「今更そんなこと聞くなよ。そもそも勝手に連れ出したのは俺だし。ありがとな、ついてきてくれて」
「……えいっ」
「んっ! え、なに、いきなり脇腹をつつかないで」
 彼女は急に俺を小突くと、ゴム味のゴミが入った袋を押し付けてきた。
「さるみあっきぃ、いりゅー?」
 キレそう。これでこいつの顔が良くなかったら頭突きかましてた自信がある。
「いらねえよ! そんなもんこの世の誰も欲してねえから! なんなの、急に?! いいからいくぞ?」
「はあーい」
 相変わらず謎な四鬼条を連れて、学校に向けて自転車を出発させる。
 川辺の道をゆっくり進んでいく最中、またも四鬼条は歌いだす。
「てーててーてーてーてーてってーー、てててーて、ててててってー」
 今回のは、とても有名な国民的RPGのテーマだった。
 BGMでも、気にせず歌っちゃうらしい。
 にしても、なんで彼女は俺なんかのこぐ自転車の後ろに乗ってどうってことのないありふれた景色の中を行くだけで、こんなにもノっているんだろう。不思議。
 けれど、ちょっと考えてみると。
 昼休み勝手に学校を抜け出して、女の子と自転車で二人きり。大人のいない世界に逃げ込んだような、この一時だけの自由は、とても。
 なんだか、うまく言葉では言い表せないのだけど、いつもより心臓の鼓動を、つよく、感じさせる。
 川のせせらぎ、風の吹く音。そんなアコースティックギターの中を、四鬼条の飾らないボーカルが紡いでいくやわらかさ。そこに混じる、この甘酸っぱい心音の不規則なドラム。非日常に咲いたセッション。ベースは、この錆び付いた車輪の悲鳴だろうか。
 ああ、こんなにものどかなのに、心がこうもせわしないのはどうしてだろう。束の間に生まれた牧歌的な情景の中で、心だけが、ひどく騒がしい。
 ああ、違う。こんなにも胸がうるさく壁を叩くのは、お前のせいなんかじゃなくて。お前が特別なんじゃなくて、俺達が、ただ、特別な冒険をしているから。
 魔王なんていなくても、勇者にはなれなくても、思春期の若者たちは、冒険に出かけられるんだ。そこに、特別ななにかさえあれば。
 不安定なまま、ほかの誰も知らない場所へと。今しか入れない、どこかへ。
 人は皆、その、人生のこの一瞬にしか味わえない一過性の特別を、青春と呼ぶのだろう。あとになってみれば、なんてことのない、くだらない、取るに足らない、戯れを。
 背中に感じる温もりを、いつか宝と振り返るだろうか。
 わからない。
 青い春と、灰の自転車。紫の髪と、黒いカッター。
 そんなようなものをかき回して、青春の車輪はかたかたと音をたてる。
 学校がお昼寝から、目を覚ますまで。




 放課後。
 今日の第二生徒指導室には、およそこの部屋とは対極に位置している人物がやってきていた。
 黒く長い髪をはらりと手で払って、彼女はその冷気を放出させる。
「灰佐君、私とこんなところで二人きりになるなんて、あなたってもしかして自殺志願者?」
「ごめん言ってる意味がよくわからないんだけど。少なくとも俺は天寿を全うしたいよ?」
 お前は何、衆人環視がなくなると人を殺してしまう病気にでも罹患してんの?
「なら早く納得のいく説明をしてもらえる?」
 説明というのは言うまでもなく、俺が彼女を昼休み中追いかけていた本当の理由についてだろう。彼女が俺とこんな人気のないところで二人きりなのに防犯ブザーを鳴らさないでいてくれているのは、それを突き止めるために違いない。
「じゃあ単刀直入に言うが、黒羽、お前のその綺麗な顔面を見込んで頼みがある、」
「お断りするわ」
「なんでだよ! まだ最後まで言ってないだろうが!」
「あなたの下劣な思考なんて、聞くまでもなくわかるもの。私はあなたと付き合う気は皆目ないわ。これ、たしか以前にも言ったわよね?」
「それは覚えてるが……。早とちりすんな、今回のお願いはそういうんじゃない。そして、俺はもう一生、金輪際二度とお前にはその手の告白はしないから。安心してくれ」
 申し訳ないが、俺はマゾではないので。真性のサドと付き合う気は毛頭ない。こいつはナチュラルボーンドS女だからな……。
「そこまで言われると、まるで私があなたにすら異性として見られていないどうしよもなく残念な女みたいで、腹立たしいのだけど」
 イラっとした視線を向けてくる黒羽。
「ああ?! じゃあどうすりゃいいんだよ! 告ってもダメ、告らなくてもダメ、無理難題じゃねえか! ワガママMIRROR HEARTかよ! それにそもそもお前を異性として認識出来ないような恐怖を俺に植え付けたのはほかならぬお前だからな?!」
 色んな女子から色んな仕方で振られてきた俺だが、こいつのは全俺の玉砕史に残る凄惨な手口で振られたので、心的外傷が未だに凄まじいのだ。今でも彼女のことをかわいいとこそ感じるが、出来れば近寄りたくないと感じるようになってしまったのも事実。
 しかし数多の男子をそうして地獄に落としてきたのであろう彼女は、そんなこと一々気にしていたらキリがないらしく。
 ただ、一言。
「自分の心の弱さを他人のせいにしないで欲しいわね。で、要件はなに?」
 傍若無人過ぎんだろ……。
 どうして神様はこんな奴をこんなにかわいい顔で創りたもうたのか。綺麗なバラには刺がある的な神様なりのユーモアなんだろうか。だとしたら笑えな過ぎるので神様はその償いとして今すぐ三鷹先生と俺を結婚させるよう取り計らって欲しい(意味不明)。
「なんつーか、うちのクラスの相田って知ってる?」
「ええ。まあ、人並みには」
 あのイケメンのことを聞いてそんな風に言ってくんのは、たぶんクラスでコイツだけだろうな。
「じゃあ話は早い。あいつにさ、お前、告白してくんない?」
 俺がそう言うと、黒羽はその整った眉をしかめ、細い体を抱きながら後ずさった。
「はあ? それは私と付き合うことが絶望的だけれど私を性の対象として見ることには諦めがつかなくて、仕方がないから寝取られでその欲を満たそうとか、そういうことかしら? あなたってとことん最低な雄ね……」
 ん? ちょっと何言ってんのかよくわかんない。誰か俺にもわかるよう訳して。
「え、ごめん。その発想はなかった。むしろそれを瞬時に思いつくお前のヤバさにいまドン引きしてる」
「……あなたの心を読んだの。だから今のは私の論理ではないわ。勘違いしないで」
 常に湛えている余裕をやや崩して、彼女は言い繕った。
「あのさあ……、もっといい言い訳思いつかなかったの?」
「あなたこそ、そんなことのために私の弱みを握って脅しをかけようとしているわけ?」
 そんなことで悪かったな。ぶっちゃけ相田が辺見に告るのを防ぐ方法なんてそれくらいしか思いつかなかったんだよ。さすがにあいつだって黒羽クラスに言い寄られれば心変わりするかなーなんて、俺みたいな非モテ男子の思考回路から生まれたこれが愚策なのは俺もわかってるし、事情を知らないお前からすれば意味がわからないのも当然だよな。
「脅すつもりはないんだが……」
「一応聞いておくけれど、どうして私にそんな奇行をさせたいのかしら?」
「あー、こっからする話は内密で頼むよ? お前がそれを誰かに言い触らすと回りまわって俺が不登校になっちゃうから」
「だったら私としては言い触らしたいのだけど」
 だから息をするかのような自然さで人を傷つける言葉を吐くのやめろ。
「おいお前それが一クラスメイトに対する発言かよ。心とか痛まないわけ?」
「冗談よ。あなたという避雷針がいなくなったら、あのクラスでは孤立している私もいじめの被害に遭わないとも限らないし、そうなったら相手に二度とそんな気が起きなくなるような仕返しをしなければいけなくなるから、面倒だものね」
 いろいろと発言が怖いんだよ。なんなんだよこいつ。なんで普通にあなたが不登校になったら困るで話を着地させてくれないの? そんなお前のやられたらやり返すポリシーとか聞かせてくれなくていいから。知りたくもないから。
「とりあえずお前がサッチャーのような鉄の女だということはよくわかった」
「こんなかよわい生娘に対してずいぶんと失礼ね」
「かよわい生娘は年頃の男の子に二つも三つもトラウマを刻んだりしないんだよなあ……。てか自分のどの辺をかよわいと思ってんだよ。意味分かんねえよ」
「ごめんなさい、ちょっとなにを言っているのかよくわからないわ」
 はあ? こいつマジで鉄くずで出来てる心無いロボットか何かなの? それとも頭の中に消しゴムとか飼ってんの?
「意味がわかんねえってのはこっちのセリフなんだが……、まあいいや。で、さっき俺があんな馬鹿げたこと言った理由だけど、かくかくしかじかで――」
 俺は、辺見が相田に告られそうで困っている、とかいう、聞く人が聞いたら何言ってんだオマエ自慢かよみたいな与太話を、黒羽に聞かせた。
 そもそも黒羽は、そういうカースト系の勢力争いとかに執着なさそうだし、こっちは一応彼女の弱みを握っているわけで、そんな理由から、彼女には言ってもそれを誰かに言いふらしたりしないだろうと判断したのだ。それに、こいつも俺や四鬼条同様、クラスで浮いている友達のいないタイプの人間だから、言いふらそうにもその相手がいないだろう。
 つって、これで黒羽が気まぐれにこの話を誰かに言いふらしたら、俺は割とガチでこの学校から隠居することになると思うが。まあでも、その確率は殆ど無いはずだ。なんだかんだいって、黒羽は残虐でこそあれど、無意味なことはしない奴だから。
「なるほど。それで相田君が辺見さんから私に鞍替えするよう誑し込んで欲しいと、そういうわけかしら?」
 彼女は俺の話を聞き終えると、口元に冷笑を携えてそう言った。
「そんな感じだな。で、お返事は?」
「あなた馬鹿? もちろんお断りするわ」
「まあ、ですよねー」
 しってた。
「考えてみて欲しいのだけど、そんなことをしたら、私はこのクラスはおろかこの学校中のあらゆる女子から嫉妬の目を向けられるわ。そんなの私は御免だもの。第一、辺見さんもそう言う理由でそれを嫌がっているんじゃなくて? それじゃあ私がそのバッドステータスのスケープゴートになるだけじゃない。なによその慈善事業は。仮になにがしかの対価をもらったとしても願い下げだわ」
 まあこっちも無茶苦茶なお願いをしている自覚は有り余っていたわけで、すんなりこいつがうんと言うとは思っていなかった。
 だから。
 当然俺は、第二のプランを練ってこの場に臨んでいる。
 しかしこの策は、出来れば使いたくない。億分の一の確率でも、彼女がさっきの案に頷いてくれる可能性に俺が賭けたのには、そんな背景がある。でなきゃあんなアホみたいなこと、誰が言うか。あの、こわーいこわーい黒羽玄葉様に。
 今回はたまたま彼女の気をあまり損ねなかったから五体満足でいられているが、一歩間違っていればこの体に穴が空いていたかもしれないのだ。黒羽玄葉と対話するということは、そういうことである。あくまで、俺にとっては。
 とはいえ、勘違いしないで欲しいのだが、別に黒羽は普段からそんなヤバい言動をとっているわけではない。クラスでは、立派な優等生であり、模範生徒だ。全ては俺がこの学校でしてしまった不始末のせいである。
 だから、この後。
 たぶん、数分もしないうちに、彼女はなにか凄まじい粗相をしでかすかもしれないが、大目に見てやってほしい。
 それは決して、彼女の本来の一面ではないと思うから。
 俺は、明日もお天道様と会えたらいいなあと願いつつ、思い切って口を開く。全ては三鷹先生のおっぱいのために。
「……一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
「なにかしら?」
「攻めの反対って、なんだっけ?」
 俺がそう聞くと、彼女はその美しい顔を歪める。
 ごくり。俺は唾を飲んだ。
 なぜなら、彼女がそうしてその細い眉をセンターへ寄せた理由、そしてこのあとに続く彼女の言葉如何で、俺と彼女の関係性が、今後大きく変わり得るから。
 やがて。
 彼女のやわらかそうな唇が、割れる――
「はあ? そんなもの、受けに決まってるじゃない」
 刹那。
 パンドラの匣が、開いた――。
「ああー、マジかー……。本当にそっちだったのか…………、お前…………」
 俺は、希望への選択肢を手にしたにも関わらず、あまりに知りたくなかった深淵に触れてしまい、絶望していた。
「何を一人でぶつぶつ言っているの? さっきの質問と今までの話に何の関係が……」
「お前さ、優等生なのにそこを間違えるなよ。間違えないでくれれば、こんなことにはならなかったのに」
「なんなの、あなた、さっきから。勝手に私の話を遮らな――」
「まだ気付かないか、黒羽。お前は今、盛大なミスをやらかした。普通な、攻めの反対は守りだ」
「へ……? あ、え……。あっ………………!」
「そして、攻めだとか受けだとかそんな特殊な用語を使う人間ってのは、将棋でも嗜んでるんじゃねえ限り、この日本には一種類しかいねえ。つまりお前は――」
「うっ……、そ、そんな、どうして…………」
 一度も見たことのない黒羽の動揺。それが今こうしてここに現れているということが、何よりの証拠だった。
 俺は、彼女の学園生活を終わらせかねない一言を、宣告する。
「腐女子だ」
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 学校ではオタクのオの字も、BLのびの字も匂わせていなかった黒羽。その衝撃的過ぎる本性。オタバレした彼女は、まるで命を賭けたギャンブルに負けたかのような表情をしてまで、取り乱している。
 そんな死に体の彼女に、俺はまだまだ追い討ちをかける。
 なにせ、彼女の業は、それほどまでに深いのだ。
「しかもそれだけじゃない。お前、男装で有名なコスプレイヤーのくろはむだろ? 流石にその名前はわかりやすすぎるからやめたほうがいいぞ」
 俺はコスプレイヤーのお写真を眺めるのが趣味な気持ちの悪い人間なのだが、ある日、その過程で、あれ、これ黒羽じゃね? みたいな人を見つけてしまったというわけである。しかもそのハンネが本名もじりだし、そのツイッターアカウントには定期的にデカ盛り食った報告が上がってたしで、役満だった。
「そ、そこまで、しって…………、あ、あああ、あああああっ!! 無理! 無理無理無理無理ぃ! 無理過ぎてムリリョになるぅーーーーー!! ああっ! ああっ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 普段の黒羽なら絶対言わないような頭の悪そうな発言さえして、普段なら絶対出さないような大声で、彼女は咆哮する。クラスの誰かに今の状況を実況したとしても、黒羽はそんなこと言わない! と言われること請け合いだった。
「あ、あの、ちょっと落ち着こうか。いくらなんでもキャラ崩壊し過ぎだから。腕切られた時の柱の男みたいになってるから」
「うふぅ、ううぅううう、あぁんまありだああ…………。HEEEEEEEEEEEYYYYYYY!!!!! あァァァんまりだァァアァ!!!! おあああああああ!!! あひいあひいあひいいいい!!! ああああああああああ!!! このよのながをおぉ、がえだい!!! ああんおおんああおあああああおん!!!」
 ああもう滅茶苦茶だよ。元ネタ完全再現な上に別なネタと組み合わせてセルフMAD状態だよ。
 人間というのは、こうも深く深く底へ落ちていけるものなのか。
 荒れ狂う黒羽を見ていると、なんだかこっちまで申し訳なくなってくる。
 というか、本当に泣いてる……。なんか、ごめん……。ほんと、ごめん……。
「全然すっきりしない………。しにたい………。推しの天井のシミになりたい…………」
 彼女は涙を拭うと、呆然と上を見上げてそう呟いた。
「あの、なんか、ほんと……、ごめん。もうすげえ破れかぶれじゃん……。そんな黒羽、俺もみたくなかったよ…………」
「なにを偽善者ぶったこと! あなたが招いたたことじゃない! ふざけないで!」
 彼女は目尻にうるうるを溜めながらも、きっとこちらを睨めつけた。
「え、ええ……」
 さっきまでくよくよしてたと思ったら、急に激昂?! 情緒が不安定に過ぎる。
「やっぱり、昨日ストーキングされていたと気付いた時点で始末しておくべきだったんだわ……。私としたことが、情にながされていたのかしら。……いいわ、もう、まよいなんてない。ころす、ころしてやるぅ……。こんなことしられたら、もう来週から学校なんていけないもの…………。お嫁にも……。ああ、あはは、ぜんぶおわりにしよう……、わたしが、この手で…………。えへ、あへ、へへ…………へっ…………」
 あ、あれれれー? なんかちょっとやばくない、これ?
 黒羽さんのかわいいお目目が、なんか、濁ってる、よ?
「い、いや、別にそのことを言いふらそうとかそういうんじゃないんだ。そ、その特技をさ、ちょっと生かして欲しいだけで……」
「なにいってるのお? あなたは、きょう、イマから、シヌんだよぉ……?」
 彼女はそんなヤンデレみたいなことを言いながら、ふらふらとおかしな足取りで近付いてくる。ひ、ヒエッ……。
「おおお、落ち着け黒羽! 話せばわかっ!」
「しねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
 彼女はどこからともなく取り出した糸切りバサミ片手に、掴みかかってきた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! なんでお前はそうややってすぐ凶器を取り出せるんだああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「女の子だもの、当然でしょ! 黙って死ねえええええええええええ!!!!」
「女の子の定義、壊れりゅううううううううううううううううううううう!!!」
 俺はビュンビュン唸りながら繰り出される糸切りバサミをかわしながら、吠えた。
「それに私、家庭科部だし、ねっ!!!!!」
「それはバスケ部なら常にバスケットボールを携帯していてもおかしくないでしょというくらい滅茶苦茶な理論だからなああああああああああああああああああ!!!」
 くっそ、なんでこいつ女子なのにこんな握力強いんだよ!! 体型も細身なのに!!
 元運動部だった上に今でも毎日トレーニングしてる俺が振り払えないってなに? 火事場の馬鹿力とかなの? 万力染みてやがる。掴まれてる右手首が壊死しそうなくらいだ。
「うるさい! そんなことしらない! だまって、しね! しね! しね! しね! しねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」
 合理的な理性人間だった黒羽の、非理性的な姿は、単純に恐怖だった。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
 俺達は叫びながら、お互いに取っ組みって牽制する。剣道場内みたいな惨状。
 そんな折。
 俺はとあることを思い出して、その手をパッと離した。
「ひゃっ!」
 急な運動量の変化に、黒羽が大勢を崩す。その間隙を穿つ。
「そこだァ!!!!」
「ちょ、なに、どこ触って!? っきゃ!」
 バランスを崩した彼女の、スカートの右ポケットへ手を……。
「この期に及んでオレの身体目当てかああああああああああああああああああ!!!!」
 しかし、彼女のそんなトチ狂った怒号と共にやってきたのは浮遊感。身体の自由を奪われた俺は、背中から地面へ倒れ込んでしまう。
 後背部だけでなく、足首も痛い。どうやら足を払われたようだ。
「そうじゃねええよ!! お前たしか、そのへんに防犯ブザー持ち歩いてたろ!! それを鳴らしてやろうってんだよ!!」
 俺は彼女に馬乗りになられながら、死に物狂いで抵抗する。
「ストーカーはなんでもお見通しだなあァ!? クソがっ!!!」
「違うだろ!!! お前が一年の時俺の前でそれを実演してみせたんだろが!!?」
「そんな詳細一々覚えてねえんだよ!!! こちとらァァ!!!」
「お前にとってはそうかもしれんが俺にとっては一生モンのトラウマなんだよ! つーかいくらなんでも、口調変わりすぎだろ!!」
「だまれカスガイ!! てめえらの望むような喋り方をしてやってたんだっつーの!! そんなこともわかんねーからてめえらはドーテーなんだ、ヴァアキャめ!!」
 なっ……!
「お前がオタクなのもいい。コスプレイヤーなのもいい。でも、それだけは知りたくなかった…………。黒髪のクール美少女は演技だったのかよ!? 俺がかつて惚れこんだ黒羽玄葉は、虚像だったってのか!?」
 そ、そんな…………。
 この一年で女子への幻想を粗方ぶっ壊された俺だが、黒羽にも複数のトラウマを植えつけられた俺だが、それでも。それでもお前のそのかっこよさには、まだ少し憧れていたのに。ぼっちの俺にとっては、一人でも強く生きているお前の姿はそれなりに精神的支柱だったから。
 それが。それすらもが、全部、まやかしだったのか……?
 俺は、またも黒羽によって心的外傷を負わされてしまった。
 あと、かすがいはたぶん罵倒に使える言葉じゃないよ……。たぶんそれだけ判断力が鈍ってるってことなんだろうけど。
 ……あれ、これやばくね、このまま俺が黒羽に殺されたとして、その場合、責任能力が欠如していたとかでこいつ無罪になったりしない? だいじょうぶ? たすけて……。
「てめえがてめえで剥いだ仮面だろが! 今更なに言ってやがる、雑魚め! 女の子はだれでもなァ、秘密抱えて生きてんだよ!!! てめえらクソ男共はそれに生かされてると自覚しろ。感激しろ! 一日一万回、感謝の土下座して、糞して寝ろ!!」
「う、ううう…………あ、あああ…………」
 黒羽玄葉が、そんな言葉使うなああああああああああああああああああああ!!!!
 うろたえてしまった俺は、黒羽が凶器を握る右手を掴む力を弱めてしまった。
 そして。
 それを見逃すような、彼女ではない。
「隙アリぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」
 凶刃が、薄皮を裂く。
 さらに、そのまま。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
 ザクぅう――
 肉が、抉れた。
「ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
 痛みと恐怖と苦しみと絶望の慟哭。
 それを聞いても、流れる何かを見ても、彼女の目は据わっていた。
「男がこれくらいで大声あげんなよ。これで終わりじゃねえんだ。ほら、次いくぞ、ゴミ」
 その瞬間、自分はこのままでは明確に死ぬと、俺の本能が理解した。
 すべての思考は止まり、俺はただ目の前の外敵を頭突き、突き飛ばす。
「させるかあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「っち……、暴れんな、暴れんなよ!」
 死に物狂いで暴れ尽くす俺を、黒羽は押さえ込むのに必死だ。
 そんな彼女を、思い切り押し倒す。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「…………きゃっ!」
 黒羽のかわいい声と共に、上下が逆転した。今度は俺が彼女の上にのしかかっている。
 すると。
「なに、私を、犯す気? エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!!!」
 俺はその、先程までの狂人と化したものではない、ある種本来の黒羽に近いような声をきき、理性を取り戻してしまう。自分の押しつぶした先にいる綺麗なものを見て、この現状の異常性を冷静に理解してしまう。
 しかしそれは、悪手だった。
「ち、ちがっ、そんなんじゃ! ……あがっ!!」
 そんなようなままごとを言う間に、再度、一瞬で天地が逆転する。
「ふっ、油断したなあ、灰佐!! ちょーっとかわいい声出すだけでこれだァ……。ちょろいもんだぜ、頭にちんこついてるような馬鹿ども操んのはなあ?」
 黒羽は、役者だった。常日頃から多くの視線に晒されている彼女は、自分がどのように振る舞えばその鑑賞者たちが自分の思う通りに心を動かすのか、熟知しているのだ。
 駄目だ……。こんなただでさえ完璧な存在に悪知恵と火事場力が備わった究極生命体になんぞ、俺のようなゴミ人間では勝ち目がない。
 敗北を悟った俺には、もはや命乞いをするくらいのことしか出来用もなかった。
「なあ、本当に悪かった。誰にも言わないから許してくれ……!」
「そんな言葉でオレが納得するわけねえだろが」
「お前だってこんなことしたって無駄だってわかってんだろ? なあ? な?」
「それでも、それでも! 意地があんだろ、女の子にも!!!」
 そのセリフは本来、言った方が死ぬんだよなあ……。
 だが、現実は非常である。
 刃は、俺の胸に突き立てられようとしていた。
「くそがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「しねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
 二人の戦いは、正に最終局面を迎えようとしていた。
 さて、そんな修羅場に、場違いな音が響く。
 ガラガラ。
 扉の開く音だろうか。
 無論、今の俺たちには、そんなもの、取るに足らない些事。
 命と尊厳をかけた戦いの前に、訪問者が誰かなど、気にする由もない。
 一秒に満たない、空白。
 タッタッタッタッ――
 そんな音が、近付いて来た次の瞬間。
「くぁっ!」
 俺の上に跨っていた黒羽の背骨が、くの字に曲がった。
 そして。
 ッダン!!!
「がはっ!」
 黒羽の悲鳴が耳朶に届く。
 俺の肢体を覆っていた重みが、消失した。
 しかして、視界のその先では。
 突然の来訪者である三鷹先生によって無理矢理床へとその背中を叩きつけられた黒羽が、肩を押さえつけられていた。

「で、これはどういうこと? 回答しだいでは二人共、警察だよ?」
 
 女の子は誰でも、魔法使いに向いている。そんなことを歌っていたアーティストの言うことが、少しだけわかったような気がする。
 外見を取り繕って、内面も取り繕って、彼女たちが男子に向けるその砂糖菓子みたいに甘美な言葉と表情は、まるで魔法のように俺たち男の子を魅了してしまう。
 その砂糖塗れの甘みを、女の子の本体だと思ってた。
 でも、そうじゃない。女の子の本当の正体は、内に秘めたスパイスの方なんだ。
 時々魔法が解けて見えてしまうその辛味が、そんな秘密の隠し味こそが、彼女達を真に女の子足らしめているんだ。
 そして、今。
 その魔法を無理矢理に解いてしまった俺は。
 然るべき代償で。
 この手を赤く染めている。
 
 白馬の王子様でもなんでもない俺では、魔法の解けたシンデレラは救えない。
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