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第一章 キグルイ・ストレンジ
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俺が思うに、男にはどうにも出来無いもんが、二つある。現在と、過去だ。出るもんは出ちまうし、出しちまったもんはどうしようもない。要はその後どうするかだろう。
責任とって添い遂げる? 大麗の呪術か、エルラティスの奇跡に頼る? 駄目下でセントクイーンの最先端医療を受ける? いっそアンダーかハイドに逃げ込むのもいい。最低だと罵られるかもしれないが、どうしようとそいつの自由だ。
そしてまあ、どの選択をするにしても、終わったことをなかったことには出来無い。愛の結晶、或いは神からの贈り物だと取り繕うが、魔女か悪魔の仕業だと因縁つけようが、同じことだ。相手がロージェスだったんなら、尚更な。
だから思わないか? 起こったことについてあれこれ言ったって変わらねえと。
そんなことをするのは女か歴史家だけでいい。男がうだうだ言い訳をするのなんて、みっともない――と、あんたもそう思わねえか?
要は体面をとるか、内面をとるか、そんなくだらねえ話さ。
そしてここで体面を捨てる奴ってのは大概、大馬鹿だ。当たり前だが、そういうろくでなしは世間では放蕩ものだの気狂いだのなんだと誹りを受ける。だが、それさえ気にならなければ、案外生きやすい。いつだって楽しいのは馬鹿やってる時で、感動を与えてくれるのは、己を狂わせる未知だ。
だから俺は、俺のことをクソみたいに出来悪く出来物つきで産んだ挙句、こんなアルマなんつー愚民だらけの奔放都市に捨て去って、こんなんなるまで数十年ほっぽったままのどこの誰とも知れねえ馬鹿親には、その腹の中に仕込まれた時からずっと頭が上がらねえっつーわけだ。
だってそうだろ? 自分のことを何一つわからないからこそ、俺は既知を恐れ、未知を愛すようになったのだから。結果、未知の塊である女を溺愛するようになったのだから。
女性という非理性の生き物こそ、男という非連続の獣に最高級の供物だ。
――とまあ、俺は自分のことをなかなかどうして頭の悪い野郎だと常日頃から悩んではいるんだが、直す気はさらさらねえ。
そもそもまともってなんだよ?
どうすればなれるんだ?
そういう次元に立っちまってる。
だって仕方ねえだろ、俺は別に同胞だからってんじゃあねえが、馬鹿女も馬鹿野郎も好みなんだ。ああ、むしろ大好きだ。
馬鹿共で溢れきった、その馬鹿共の為に大馬鹿が作ったとしか思えないこの享楽都市アルマを愛している。そしてなにより、そこにある未知を。
だが、周りの人間は大変悲しいことにどうも、そうじゃあないらしい。
そろそろ目を開こうか。
それが証拠に、今目の前にいらっしゃる我が麗しの大家様が、怒髪天にしてこちらを睨みつけていらっしゃるだろうからな。
目を開くと……、ビンゴ。そら見たことか。
ふっ、なんて恐ろしい顔つきをしていやがる。……惚れ惚れするぜ。
相変わらず、今日も彼女は氷の様に綺麗だ。
無造作に伸びきった純白の乱れ髪が荒々しくも美しい。加えて、右側でまとめられたアップサイドのポニーがよく似合っている。思わず撫で回したくなるくらいに。
加えて、そのまたとないミルキークォーツの合間から覗くただでさえ鋭い目つきは、いっそう鋭さを増し、その赤き瞳はまるで月に照らされた血の如く妖しく光っている。
そして、アルビノ特有の不健康そうな、しかしそれでいて得も言われぬ魅力を放つ肌色。ともすればその希少性から虐げられていてもおかしくないその忌まわしき体色を、彼女は隠そうともしない。むしろ、誇示さえするかのように、露出が多く肉体美が強調されるような官能的出で立ちをしさえする。その肩が脇が首筋が肩甲骨が胸部が臍部が鼠径部上端が臀部が太腿が……、
嗚呼! 彼女はエロスに愛され過ぎている!
――と、舐めるように彼女を見ていると、そのむっちりとした腿に大腿筋がビキビキと表出していく様が見て取れた。
こりゃあ、この美脚がしなるのも時間の問題だな。タイトスカートからばばんとその存在を主張する引き締まった筋肉質の太腿は、この俺の鑑賞にも耐え得る様なご立派なもので大層眼福だが、だからこそ、その脚力は抜群だ。何度もその足を食らわされている俺が言うのだから間違いない。
彼女がその全力をもって暴れだしたが最後、このボロはご破産だろう。
さて……どうしたもんかねえ?
そう思っていると、さっきから凄まじい苛烈さで俺に罵声を飛ばしていた彼女の唇が、いっそう勢いよく上下に割れた。
「オイ、てめえ。アタシを馬鹿にしてんのか?」
そう発する彼女こそ、我が愛しの主、アンナ様だ。ついでに言うと、この俺の住まうボロ長屋の大家様でもある。
「俺は事実を伝えただけだ、アンナ」
俺はひとまず、叛意のないことを伝えておく。
「じゃあ、聞くが、てめえは空から四本足の女が落ちてきたからぼくのお部屋がぶっ壊れちまいました、許してください、って言われて、そいつを許すのか?」
「そうだな、そいつがおめえさんみてえな美人だったら」
おお、つい軽口を叩いてしまった。一応、本心ではあるが。だいたい、この街ではこんな絵空事が日常茶飯事なのだから、これくらい笑って許して欲しいものだ。
ま、しかし、それを許すような女なら、彼女はここまで俺を惹きつけていないだろう。
アンナの答えなんて聞かずともわかる。
どうせ、開口一番――
「殺すぞ!」
ガン!
彼女がそう言った途端、そんな破裂音が響き、俺の身体は吹き飛ばされた。いや、正確に言うならば、蹴り飛ばされた。そのまま壁に背中が打ち付けられる。全く、たまったもんじゃない。想像以上だ。
「おいおい、そんな勢いよく蹴っ飛ばしたら余計壊れちまうぞ」
現に今俺の背にぶち当たった木壁がギシギシ軋み、危険な音で揺れている。
「喧嘩売ってんのかこのキチガイ野郎!」
しかし、そんなことはお構いなしにアンナの怒声が炸裂。その猛りは、部屋さえ揺らす様。
「だから俺は事実をだな……」
「女に嘘の一つもつけねえのかこのイカレ野郎は!」
俺は彼女に首根っこを掴まれ宙ずりにされながら、なんとか言葉を捻り出す。
「あー……、なんだ、今日も綺麗だぜ、アンナ?」
こんな状況でさえ皮肉めいたことを言わせてしまうアンナの美貌に惚れ惚れしながら、俺は首元を襲う圧迫の増大に死にそうになっていた。
だが、この感覚、なかなかどうして……悪くない。
「やはり死にてえ様だな……!」
俺の言葉に顔をさらに赤く染め、そう吐き捨てるアンナ。
「ああ。お前みたいな美人に看取られて死ねるなら本望だ。ふっ」
照れてんのか、かわいいところもあるじゃねえか、などとはさすがに思っていないが、そんな妄想をしていたら思わず笑ってしまった。
「なら望み通りぐちゃぐちゃにしてやるぜ、クソが……」
そういいながら沸々と笑う彼女は、まさに大麗の般若面のような面構えとなっている。
ふー、さすがにそろそろマズイな。
そう思った俺は、事の発端であり、そのくせなぜか部屋の隅でこちらをさも物珍しそうににこにこと観覧している、あほっぽい顔つきをした小柄な金髪ツインテの美少女に声をかけた。
「おい、いつまで見てんだ嬢ちゃん。そろそろコイツを止めてくれ」
「えっ、ここまでぷんぷん丸な人を止めることって可能なんですか?」
だが、彼女はとんちんかんな反応。暮らすのに不便なのではないかと思うほどに長いツインテールがゆさゆさと揺れた。ついでにこれまた二又に分かれたアホ毛も。
「それがあんたの役目だろうが。だからこそ俺はアンナをおもちゃに……」
「主人をおもちゃ呼ばわりたあいい度胸だなあ、死にたがりィ」
おっと、いけない。失言だった。火に油を注ぐのは楽しいんだが、危険なのもまた事実。ハッパと同じだな。何事も加減が肝心。
だがすまないな。俺のリミッターはどこか壊れているらしい。
「いつからお前は俺の夫になったんだ?」
「てめえは万年うちの居候だろうがっ!!」
腹に膝を入れられる。さすがアンナだ。なんと素早く、的確で、重い蹴りだろう。
ああ……、とても痛い。
痛む腹をさすっていると、朗らかな声が聞こえてくる。
「そーなんですかー? それは感心しませんよ? おにーさん」
「……っ、違うな、嬢ちゃん。俺はコイツのヒモだ」
「ええっ!! それはもっと感心しませんよー。あなた、クズですね!」
びしっと指を差された。アホ毛がみょんみょん揺れている。
まあ、否定はしない。俺は嘘をつくことにも快楽を覚えるような、世間一般で悪とされているものが大好きな人間だからな。
「違うのはてめえの頭の中身だ、ノータリン。それとそこのガキ、この痴呆の言うことあっさり信じてんじゃねえよ、死にてえのか?」
そう言うとアンナは少女に中指を突き立てた。
初対面且つ年下の女に臆面も躊躇いもなくそんな蛮行が出来るアンナに憧れはしないが、その突き抜けた彼女らしさに若干恍惚としなくもない。その、裏路地で縋り付く物乞いを振り払うかのような目つきなんて最高にクールだ。ゾクゾクする。これには悪徳の神であるというディスノミアでさえ舌を巻くだろう。
「つまりあなたは、おにーさんのパトロンではないということですか?」
「たりめーだろアホ。アタシはアンナ。アンナ・アンジェリカ。てめえのせいで? ブッ壊れたこの長屋の家主。そしてこのアホはエド。救いようのないクズだ」
「どうも、お嬢さん。ご紹介に与った救いようのないクズこと、エドだ。よろしくな」
そういえば、全裸の美少女が突然天井を突き破って睡眠中の俺の真上に全裸の四足歩行動物として落ちてくるというアクシデントによってその際にブッ壊れた長屋の管理人に問い詰められるという一連の不思議理不尽体験のせいで期せずして少女に名乗るのを忘れていた(我が事ながら、意味がわからん。だが、この街で生きるってのはまあそんなもんだ)俺は、アンナ様より賜った有り難い字名を、遅ればせがら口にした。
「あ、てゆーか私も名乗っていませんでしたね! あちゃーこの世紀の文化がまだ不透明だったもので、申し訳なすびです。では、改めまして、私の名前はー、えーと、あれ? なんだっけ?」
そう言ってわざとらしく小首をかしげる少女。
あっはっはっ! 自分の名前がわからないだあ? それがたとえ嘘でも本当でも、ろくでもない女だなこいつァ。可愛い顔して中々えげつないこと言うじゃねえか。
と、妙な親近感を覚えにやにやしていると、もちろんのこと、アンナが俺をどやしてくれる。
「おい、てめバカエド! このガキとどんな変態プレイに興じやがった? 天井ぶっ壊して記憶喪失なんて聞いたことねえぞ! お前の性的挑戦には毎度驚かされてきたが、ぶっとんで文字通り天にでも飛ばしたってか? 意味分かんねえよ! 殺すぞ!!」
ああ、この聞き様によっては嫉妬しているともとれる、この罵声。ああ、この体の芯に響き渡る罵倒の波濤。ああ、この感じ……、たまらねえぜ。
なんてイっていると、このまま彼女に絞め殺されてしまうので、一応弁解しておく。彼女に殺されるってのは究極のエロティシズムではあるんだが、ここで死んでしまっては悲しむ女が他にもいるからな。いまだこの花、枯れるには早かろう。
「いや知らねーよ、さっきも言っただろうが。俺が寝てたらこいつがいきなり天井突き抜けて降ってきやがったんだって。俺は被害者だぜ? むしろ、大変だったなと、哀れみや労りのキスのひとつもねーのかよ」
そう言って投げキッスをしても、返ってくるのは突き立てられた中指だけ。
しかしめげてはいけない。注意深くその白くすらっとした指の先端を見つめるんだ。すると、どうだ? 意外にも手入れされている指先に、彼女の女を感じて昂ぶってしまうだろう? 彼女のいい癖は、俺の悪い癖だ。
さて、そんなことを俺が考えているなんて露とも知らない彼女は、その整った指先をぐりぐりと俺の唇に押し付けながら、こう吐き捨てる。
「あ? 次そんな気色悪いこと言いやがったら、その口に二度と楽しめねえようなトラウマ刻み付けるぞ?」
なので、俺は遠慮なくその美しい指先をパクッとくわえさせてもらい、更にセクハラをブチ込むという当然の帰結をさせていただく。
うん、やはり女の指は甘い。
「ふぁへしいのが好みなのは?」
「死ね!!!」
まあしかし、当然ながら、冷めた目をした彼女にきつい頭突きをお見舞いされた。
頭が割れるかのような痛みに恍惚としてしまう。
「あのーお二人共―お盛んなのはいいんですがーー」
「あ? 誰が盛んだガキ!」
「わかってるなら邪魔者は帰ってくれないか?」
無垢そうな声に対し、怒号とジョークが飛ばされる。
「あ、それは失礼したしました。それじゃ元気に繁栄しててください。では六十分後にまたお邪魔しますね。それくらいが平均的だったと記憶されていますので。では……」
彼女はそう言って部屋を出て、扉に手をかけた。
「オイ、だからこの色情狂のホラを真に受けんなっつってんだろ、アホ金髪!」
「まったくだぜ、そろそろ本当のことを言ってくれないと収集がつかなくなる」
というか俺が死ぬ。
「てめーのせーだろーが!」
そう言ってぎゅうっと強く俺の襟首を掴むアンナ。無論、苦しい。
彼女は、俺のことを不死の生命体かなにかだと勘違いしているのだろうか。このままでは命は有限であるからこそ美しいという証明を、俺の生をもってこの場でしてしまいかねん。
と、ここで光明が差す。
「! ああー、そうでした、そうでした! アンナさんはエドさんの事を嘘吐きだと言っていますけど、本当なんですよ!」
「ああ?」
「ひいっ! ほ、ほんとーに、私は空から降ってきたんですよ! どーです? すごくないですか? 私みたいな美少女が空から降ってくるなんて! まるできっと今から数世紀後に流行るであろう最尖端虚構文学のようなトキメキを感じますよね! ね!」
「おい、バカエド、このアホ毛金髪は何を言ってんだ?」
そう言って普段俺を見るような目で少女を見つめ出すアンナ。
陽は早速陰り始めたようだ。
「前半部分は確かにそうなんだが……、なんだろうな。あー、この世界の真理かなにかだろ。知らんけど」
当事者である俺でもあれでは意味不明だ。
「アクサエルの伝道師じゃねーんだぞ! ただでさえイラついてんだ、宗教勧誘はお断りなんだよ!」
彼女には定期的にエルラティスのアクサエル教徒が宣教を試みているらしいが、当然彼女は彼らを毛嫌いしているようだ。難儀な話さね。
だが、まあ、それも仕方のないことだろう。なぜって? そりゃあ皆さんご存知の通り、アンナには俺がいるから
な。
「なら俺が神に代わって愛してやろうか?」
「今ほど、無宗教な自分を呪った日はねえな……。だが、安心しろ? アタシはだからこそ、いくらゴミ共をぶち殺しても地獄には送られねえんだ……知ってたか?」
「当たり前だろ。お前みたいな美人、誰も地獄になんて送りたがらねえよ」
「そうか、よかったな」
そう言ってアンナはにっこりと笑い、次の瞬間には完全なる無表情になった。
そして響く叫び声。
「……だったら安心して地獄で寝てろこの漁色野郎があああああああっっっ!!!!」
ドッ!! ガンッ!! ゴンッ!!!
言うが早いか、そんな鈍い音と共に俺は殴られ蹴られ投げ飛ばされて、そのまま窓枠をバリバリンと破壊しながら宙を舞い、路上へと放り捨てられたのだった。
打撲に次ぐ打撲、そして落下。激しい痛みが全身を襲う。
屋台の倉庫にでも落ちたらしく、何かの袋の山が俺の視界を覆っている。それらがクッションになったおかげなのか、落下の痛み自体は大したことがなかった。とはいえ、やはり洒落にならない程の激痛は続いている。
それにしても、建物の三階から人間を思い切り外へ投げ飛ばすなんて、あの女、どう考えてもイカれてるだろ……。
まあ、そんな気違い染みたところが愛らしいんだが。特に、頭から地面へ着地しないよううまく調整して放り投げたところなんか、彼女からの隠れた愛のメッセージを感じて胸が熱くなるだろ? いや……、ならねえか。
なんて、そんな馬鹿げたことを考えていると、俺はあるひとつの不審点に気付く。
「って、つーかなんだこれ? なんだかよくわからねえが、この倉庫、揺れてねえか?」
そんな時、遠くから
「一仕事だ! ちゃんと終えてきたら、当面は目を瞑ってやる!!!」
という、照れ屋なマイハニーの怒声が聞こえた。
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「……ふー、せいせいしたぜ。やっぱりストレス解消は暴力に限るな」
右肩を左手で押さえ、首を回しながら、アンナはそう呟いた。
それを怯えた目付きで見つめるのは金髪の少女。
「ひ、ひどいです……、この世紀の女性は暴力的……。記録しておきますぅ……」
「あ? てめ、つーか結局なんなんだよ? その革新的宗教勧誘の奇抜さは認めてやるが、その話本当なら、修理費きっかり払えよ? 倍額で」
「ひゃ、ひゃいっ! もちろんですとも! きっかりしっかり雁首揃えてお支払いさせていただきますぅ! この身に変えてでも! この自治体の流通事情がわからない以上、正確なことは言えませんが、なんなら錬金でも鋳造でもしますとも!」
ぶるぶる震えながら少女はしどろもどろにそうまくし立てる。
「あー、よくわかんねえが、てめーよそものか? 語り振りからしてエルラティスの回し者でもなさそうだが……」
「んー? そのエルラティス、とは何かの組織なのですか?」
不思議そうな顔をしながらそう言う少女を見て、アンナは一瞬彼女にしては珍しく惚けた様な顔を見せた。だが、すぐに元より乱れていた長い髪をかきむしり、更にぼさぼさにさせると、悩ましげ且つ苛立たしげに愚痴をこぼす。
「おいおい、まじか……。あー、だりぃ。だりぃぞこりゃあ。かー、むしゃくしゃしてきた……。もっぱつ殴ってこようかなあ……」
「へ……。何かお粗相をしてしまいましたでしょうか……? それとあの男性は、エドさんは放っておいて大丈夫なのでしょうか?」
「知らね。まー、なんとかなるだろ」
エドの身を案じてかそわそわと落ち着かなそうにする少女に対し、アンナはあっけらかんと突き返す。
「そんな……。人間に自己回復機能はついていなかったはずですが……!」
「……ちっ、でもそうだな。アイツ一人だと仕事しねえだろ……。よし!」
一時眉間に皺を寄せたアンナだったが、パン! と手を叩くと、少女を軽々しくひょいと担ぎ上げた。
「ぇ、どうしてアンナさんは唐突に私を担ぎ上げ更には窓際へと歩み寄っていっていらっしゃるのでしょうか
っ!?」
不意の事にあわあわばたばたと困惑する少女。
それをがっしり掴みながらアンナは言い放つ。
「るせえな。悪さしてる奴がいるからとっちめてこいっつー話だろうが」
「!! 全くもって意味が理解不能です! むしろこの場合現在進行形で悪さをしているのは不当に私を拘束しあまつさえ暴力を振るわんとす眼前の貴方様なのではーーーーーっっっ!!!?」
少女の頭では、今頃クエスチョンマークとエクスクラメーションマークが大量に右往左往していることだろう。
もちろん、傍若無人の権化たるアンナには、そんなものは関係ない。己が道を行く。
「人ん家ぶっ壊しといて今更何言ってんだタコ! いいから黙って行ってこい!」
「その行って来いはもしかして所謂逝ってこい、ではないでしょうかーー!? りっしんべん!」
必死の抵抗も虚しく、
「おらっ!!」
少女は空へと放り投げられた。
「いやあああああああああああああああああああああああ!!!!」
耳をつんざくような悲鳴が、アルマ三番街ソラリスの喧騒に消えていく。
その声の発信源に向け、アンナは声を張る。
「お前の仕事はー、その荷車に乗ってる奴をエドにぶん殴らせるってだけだー。いい感じにたきつけてやれー。多分女の前でならアイツも働くだろうからなー」
「そぉ・れぇ・わぁーー、投げ飛ばす前に教えてほしかったんですけどぉぉぉぉーーーーーーーー!!!」
情けない少女の声に対し、アンナは最後にもう一つ。
「おー、あとひとつなー、エドにはベッドの下、家賃って伝えとけーー。それで必ず働くはずだー。それとわかんねーことがあったら全部エドに聞けー。乳でも触らせればなんでも答えてくれんだろー。知らんけどー」
「かああああしこまりましあああああーーー!!」
少女は、そんな風な本当にわかっているんだかいないんだかわからぬような貧相極まりない声を上げ、エドが投げ込まれたのと同じ三式荷車へとブン投げられた。
こうして、本日二人目の被害者が窓から投げ捨てられたのだった。
ソラリスの街道に響く凄まじい悲鳴。
だが、視線を向けるものこそいれ、助けようとするものなど誰もいない。なぜなら、そんなことはこの街では日常茶飯事、至極当然のことであるからだ。
もちろん、朝っぱらから景気よく大声を出す客引きの威勢や、すぐそこで次期元老院選決定の号外を配るチンドン屋、その他多くの人々が行き来する雑踏の喧騒、そしてメインストリートを行き交う三式荷車が漏らす蒸気の嘶きが、彼女の悲鳴をかき消したというのもあるだろう。
嗚呼、確かにこの街は、少々賑やかにすぎる。それも、まだ時を知らせる陽の光が天上に至るはまだ早いというに。まったく、朝っぱらからなんたる喧々囂々っぷりであろうか。鼻腔にも、その賑やかさに相応しい、香ばしい肉や魚の香りが押し寄せてくる。
本当に、相も変わらずこの街は騒がしい。
たった少女一人の悲鳴など、まるで気にならぬ程度には。
故に、少女への悲劇を嘆くもの、あるいは、その結末を変えんと名乗り出るものがいないのは、致し方のないことなのかもしれない。
そう結論づける事も、可能ではあるだろう。
けれどもやはり、結局はこの街の住人がおかしいだけなのだ。
百人いれば、一人程はいるはずの偽善者も、この街にはいない。からっきしに。
英雄こそ数多いれど。
皆一切、狂人である。
なぜと思うのなら、耳を澄ましてみるといい。聞こえるはずだ。彼等の声が。
「はっはは! エドの奴また投げとばされてたぞ! 今度は何やらかしたんだ?」
「知りたくもねえよ……。っておい! ああ? 金髪のべっぴんも飛んでんじゃねえか! なんだあの美少女!? いやでもまてよ、ちょっと若すぎんだろ! ロージェスでもないみてーだし。あの野郎、あんなガキに、しかもあのアンナの前で手だすなんて何考えてんだ!?」
「あのキチガイのことだ、どうせ何も考えてねーんだろ。しかもあんな娼婦みてえな格好させて……、ほんと、何考えてんだ……」
「うっし! じゃあ賭けようぜ! 俺はあの娘がエドに惚れたに10ヴァルム!」
「おい、ふざけんなよ! そう言っててめーこないだも負け分払わなかったろうが!」
「のった! じゃあ俺はアンナを嫉妬させる為エドが雇ったに10ヴァルム!」
「俺も俺も! 俺も混ぜてくれ! 俺は大穴の……」
「おい! 聞いいてんのかてめーら! ちなみに俺はジャンヌの連れ子に50!」
ご覧の有様だ。
わかっただろう?
他人の身などは顧みず、この世の全てを、己の娯楽と変えてしまう。
それが、この地ヴァルヘルム・ガング南区画に住む人々の在り方だった。
彼等が生きるのは、危険や非日常と常に隣り合わせた騒々しきド派手な生。停滞、安寧、平穏、そんなものは糞くらえ。彼等が何より好むのは、混沌、そして快楽だ。
そんな刹那主義的な人々で溢れ、生き急ぎのクズ共が毎日を謳歌するこの都市は、いつからか、こんな字名を持ち始めた。
人呼んで、狂酔歓楽都市アルマ。
そう、ここは、アウトローと英雄の街。
魔女の窯で煮立てた天国と地獄を、科学者の手で炉心融解させたような、死にたがり達にとってまたとない憩いのジェットコースター。
彼等に揺り篭など必要ない。欲っさるるは最高にヘイヴンでクレイジーな夢を見せてくれる、言うなれば真綿でできたアイアンメイデンのような、棺桶のみなのだから。
ロックンロールを追い求めた然る人がつくりしは、斯様な異常。
さてそれこそは、この終わりかけた世界で、最も生き生きと終わっている都市であった。
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「あがっ!」
そんな音が真上から聞こえた。
俺はその声の主に押しつぶされて、無事、下敷きとなっている。
細い見た目の割に中々重量があるが、黙っておくのが優しさだろう。
「今日は落下してばっかり。下降日和ですね。って、我ながら意味不明なんですが!?」
「なあ嬢ちゃん、あんたまだ若いのに男にまたがるのが趣味なのか」
俺の存在に彼女は気づいていないらしいので、上に向かって声をかけてみる。
「ん? その声は……エドさん!」
すると彼女はそんな風に目を見張る。
「お、早速覚えてくれたのかい? 嬉しいねえ」
「もちろんですとも! 私の記憶能力は並みではないんですよ!」
頭をとんとんと自慢げに叩く金髪娘。だがむしろ、みょーんと伸びたアホ毛がその度にぴょんぴょん揺れて、アホっぽさが強調されていた。
「そうかそうか、個人的には女は忘れっぽいほうが助かるんだが……、とまあそんなことはどうでもよくてだな。……いい加減、どいてくれないか」
実際何がとは言わないが結構重いので、ボロボロのこの身にはしんどいのだ。
「はっ、これはすみませんでした!」
少女は慌てて、横に逸れる。
とはいえ、この恐らくはヴィーク・リアルツ製荷車の荷台かなにかであろう空間は、溢れんばかりの貨物のせいであまりに狭すぎるので、彼女は俺とぴったりくっつくようにして腰を下ろした。
ちなみに、その際に彼女のツインテールの片割れがべしっと俺の顔面をひっぱたいたのだが、どうやら彼女は気付いていないらしい。
さらさらとして心地の良い肌触り……。いい髪質だ。
と思っていると、少女がぺこっと頭を下げた。再び彼女の髪が俺を襲う。
「改めて、ごめんなさいでした! 怪我人にのしかかるなど!」
「いや……、だが、かわいい娘に乗られるてるってのは、なかなかどうして、悪い気分じゃなかったぜ?」
「なんと! そこに気づくとはお目が高い! ふふん、そうでしょう、そうでしょう! 私は何を隠そう超絶美少女ですからね!! きらーん!」
こちらとしては冗談交じりで言っているつもりなんだが……、こう返されると調子が狂うな。しかも、彼女はどうやら本気で言っているようだ。なんだろう、街で俺以上のキチガイと名高いヤヨイと話している時と似たような感じだ。
つまり、楽しい。
「ああ。今も密室で二人きりだ。何か特別なことが起こりそうだとは思わないか?」
「ボーイミーツガールですね! 王道! 世界の危機を私たちの愛の力で回避したりしちゃったり! きゃー! わくどきですよーーー!」
いよいよわけがわからなくなってきたな。
「あんた、さっきも言ったが、新興宗教かなにか起こそうとしてんのか?」
「? 私は無宗教ですよ? むしろ神を殺す側です」
「そりゃあ頼もしい」
これ、アクサエル教徒にきかせてえ……。
などという危険思想に身を委ねていると、少女は急に真面目な顔つきで俺をまじまじと見つめてこう言った。
「いえいえ、というか、お怪我は大丈夫なので?」
なので、ちょっとからかってみる。
「まあ、痛むが、問題ねえよ? だが、もしよかったら、患部を撫でてもらえないか? そうすると治りが良くなると聞いたことがあったような気がしてな」
「民間療法です? 興味あります!」
すると、少女は我が意を得たりとばかりにだたでさえ近い距離を詰め、密着。俺の体にべたべたと触り始めた。
「お、おう……」
さすがの俺も少し引いてしまう。なかなかやるじゃないかこのガキ。
彼女がもっと年食ってれば、反応のしがいがあるんだが、ほんとにどうみても子供だからなあ。ともすれば俺の子供とみられてもおかしくないくらいだろう。容姿はまるで似ていないが。
首輪をしていないのを見るに、ロージェスってわけでもないだろうしな、
「さすさす」
少女は優しく俺の身体を撫で回している。
まあ、役得だと思ってなすがままにされていようか。案外気分もいいしな。
そう思っていたら、不意に少女が口火を切った。
「……と、そういえばエドさんを焚き付けろとお願いされたのですが、どうすれば良いのでしょうか?」
「アンナにか? なんとなく話が見えてきたが……、もしかしてこの荷車の乗り手をぶっ殺せとか言ってなかっただろうな?」
「ぶん殴らせろ、とは言ってましたね」
「まじか……」
はあ……。こんなわけもわからない場所に投げ込んだ時点で、そんなこったろうとは思ってたが。大体、さっきから前方が騒がしいんだよなあ。そろそろドンパチ始まりそうな感じだ。勘弁してくれ。
「それと、ベッドの下、家賃。この二つの単語を伝えろ、とも」
ああ、そういえばここ何ヶ月か働いてなかったような気がする……。そろそろ仕事しなきゃ立ち退き&差し押さえと、そういうことですか。はいはいかしこまりあしたよっと。はあ、愛しのアンナ様の命令には逆らえんなあ……。
「なるほどねえ。りょーかい。俺のせいで投げ飛ばされたりして、すまねえな嬢ちゃん。元々空から落ちてきたようなアンタに言うのも野暮かもしれねえが、怪我はなかったか?」
少女の頑丈さには驚くばかりだが、日に二度も自由落下させられたとなれば、さすがに同情する。
だが少女はあまり気にしていない様子。
「ばっちりです! 私の自慢のボディを舐めてもらっては困ります!」
元気でいいねえ。そういうの、俺は好きだぜ。
将来有望だ。
だからこそ、俺が守らなくちゃな!
そう心の中で一人かこつけ、俺は少女の頭を手で下に向かって押しつける。
「ならよかった、そのまま頭下げとけよ。丁度奴さんもこっちに仕掛ける気になったみてーだ」
「へ?」
キューン。響く破裂音。ポカンとした顔の金髪娘の頭上を、弾丸が通り過ぎる。
「なんて物騒な! 暴力の街ですか、この世紀!」
少女のとんちんかんな声が荷車内に反響した。
さて、銃声は御者台、即ち俺達の前方から。そこには明確な殺意を顕にした、いかにもな男が立っている。
仲良くお話、というわけにはいかなそうだが……。
一応、手を差し伸べてはおきましょうかねえ。
「おい、勝手に人様の車に乗ったのはそりゃあ悪いと思うが、いきなり発砲ってのは……」
バン!
有無を言わせずに、二射目がやって来た。
だめだこりゃ。
「ったく、……せっかちだねえ」
俺はそうぼやきながら、銃弾を腹に受ける。
痛む。血が溢れ出す。しかし、泣き言を言ってはいれんだろう。
「エドさん!」
そう叫び、前に出ようとする少女を片腕を張って制し、俺は呟く。
「VP、アフェクト――幻喪感染」
当然、そんなことはお構いしに飛んでくる、3発目の弾丸。
だが、その弾丸は空を切る。
続いて四発目、五発目。その悉くがあらぬ方向へと飛んでゆく。
「ちっ、型落ちか!」
男は、そう言いながら、六発目を撃ち放つ。
俺の斜め後ろで、弾丸が荷車後部に着弾したのが音でわかる。
「くそがっ!」
弾切れらしく、男はそのまま銃を捨て、ナイフを取り出し斬りかかってきた。
しかし、その刃が俺を傷つけることはない。
なぜなら、彼は全くもって見当違いの方向へと刃を振り回しているからだ。それはもう、あの金髪娘がキョトンとした顔になるくらいには。
彼は今、幻影を見ている。彼は今、瞳の中に全く見当違いの像を結んでいるのだ。
俺の生まれ持った気味の悪い力によって。
そんな男に俺は黙って近付き、囁く。
「微睡め――第一の夜」
それによって男は、意識を失った。カランと、ナイフが床に落ち、ドサッと持ち主の体も地に伏せられる。
これが、俺の生まれ持った力。数多くあるカルマの内の一つ。
もう辺りに別の奴さんがいないのを確認し、俺は少女に声をかける。
「もういいぞ、お嬢ちゃん」
「は、はい。それよりお腹の傷は……? 手当しましょうか?」
「そいつはありが――」
肝の座った小娘だな、などと思いながらも、ご厚意に預かろうと声を上げた、その時だった。俺の言葉は、別の鋭く冷徹な声によって遮られた。
「その必要には及びません」
ぴしゃりと放たれた宣言と共に、見知った顔がずかずかと荷台へ乗り込んでくる。
霞色の肌に、それより少しだけ薄い白銀のショートヘア。シャープで尖った印象を与えるそんな髪型をした彼女は、鮮血のように真っ赤な医療用の制服を身に纏い、更には全身をサスペンダーやガーターベルトにガーターリング、アームバンドなどのガーター類で縛り尽くし、自らを雁字搦めにしている。それは、その豊満な体に大量の医療器具を括り付けるためにほかならない。ハサミやメスは尚の事、胸元には、聴診器さえ据えられているのだ。その他にも、名さえ解らぬ無数の器具が彼女の足に胸に腰に腕に……と言い出せばきりがない。俺はそれらを目で追うのを止めた。
そして、今日も赤いキャップと黒い手袋が似合っているな、なんて思いながら、俺は彼女に声をかける。
「おお、愛しのマリー」
ところで、おそらくだが彼女の顔を見た俺の表情は今、ぱあっと明るくなっていることだろう。まさに晴天が如く。なぜなら、こと治療において、彼女程信頼出来る人間もいないからだ。しかも美人。
しかし、そんなうきうきの俺とは対照的に、彼女の表情は絶望的なまでに曇天だった。
その霞色の肌が、一段と暗く、そして美しく曇る。
「そのようなあだ名で呼称されるのは不愉快ですと、再三告知しているはずですが? 私の名前はメアリー・フローレンス。そう、何度言わせる気なのです? しかしまあ、今はいいでしょう。その名で呼ぶことであなたが平常を取り戻すというのであれば、許可します。では、処置に移らせて頂く」
彼女はそういつも通り宣言し、俺の傷跡の止血を始めた。
「このきびきびしたお方は……?」
「マリー、俺の白衣の天使だ」
無垢な少女の質問に俺がそう答えると、マリーの表情が一段と険しくなり――
「しっ!」
包帯が信じられない強さできつく縛り付けられる。
「あがっ!」
思わず声がでた。
「白衣の天使……、なんだか親近感を覚えるお名前ですね!」
こんな有様の俺を見ても、彼女はなんとも思わないらしく、そんな風になんとものんきなことを口走っていた。
それを聞いたマリーの方から、ビキッと何かが割れるような音がしたのは気のせいだろうか。
「女が手に入らないからといって薬漬けにするのは感心しませんねぇ……、エドォ!」
「ごっ! ち、ちがうぜマリー、この嬢ちゃんは元々イカれてるんだ」
ははっ、気のせいじゃなかったらしい。マリーによる凄まじい憤怒と激痛が俺を襲う。
「失礼ですね! 私は純然たる正規品ですよー、もー、ぷんぷん!」
そんな激昴する自身の姿を見ても、相変わらずな少女を見遣り、マリーはやれやれというように額に手を当てた。
「はあ、仕方ありません。詳しいところは後で診察しましょう。とりあえず貴方は院へ搬送します。そこの貴方も付き添いをお願いしたい」
「私ですかー? もちろん! 出会ったばかりとはいえ、もはや只事ではない仲とも言えるエドさんが死んじゃったら困りますもんね!」
少女は自分を指差すとからからと笑い、承諾した。
「なんと……! 診察で済ませる予定でしたが、貴方には、精密検査をさせてもらいます。性病の疑いがたった今浮上しました」
しかし、そんな彼女の爆弾発言のせいであらぬ誤解を招いてしまった。
まったく、モテる男はつらいぜ。
「おいおい、俺はロリコンじゃねえぞ」
「貴方がパラフィリア患者でないのは知っています。ですが、私は貴方が多数のロージェスと関係を持っているという事実と、貴方が性依存症であるという事実を知っています。それも、重度の」
いつものことであるはといえ、ほんと酷い言われようだな……。
「はてさて、なんのことやら」
「……っ、以前に診察してから貴方は何人の女性と性行為に及びましたか?」
マリーがイラッとしたのを肌で敏感に感じ取りながらも、俺は指折り数え始める。
「あー……、んーー。ヤヨイ、ジャンヌ、エリー、ミューズ……」
指が一本一本たたまれていく度に、マリーのこめかみからブチッというような音が聞こえてきた気がするが、きっと気のせいだろう。
そして、もはや怒りを通り越してうんざり、といった様子のマリーは、彼女にしては珍しく、投げやりにこう吐き捨てる。
「……ああ、ええ。もういいです。分かりました。貴方の性生活が相も変わらず順風満帆であるということはよくよく理解しました。精々子宝に恵まれるといいですね」
「ヤリチンですか!?!」
「ええ、そのような形容も可能でしょうね。なにせこの男性は女と見れば誰彼構わず性交渉を行うような大変不健全な輩です。と、被害者である貴女に言ってももう遅かったですか」
「とゆーことは! お姉さんとエドさんも既にそういう間柄なのですね! ひゅーひゅー!」
「……」
あまりの発言に、マリーは二の句を次ぐことすらままならない。
なので、彼女に代わって、一応弁解しておく。
「いいや、それがなかなか答えてくれないんだな、マリーは」
「なるほどー。難攻不落というわけですか。いい女ですね! 向こう三年くらいは!」
「……。次にそのような精神的異常の兆候を著しく想起させる発言をした場合、貴女も強制執行の対象に含みかねない、ということを今のうちに警告させて頂きますね」
マリーの表情が、尋常じゃないくらい、険しい。
「なあ、あんまり彼女をささくれ立たせないでくれないか、お嬢ちゃん。そのせいで心なしかマリーが俺の患部を強く締め付けてるような気がするんだわ」
いや、マジでいつもの3割増しくらいで痛い。
「失礼ですね。私はその様な私情で治療行為の如何を左右させたりはしません」
「私とちがって機械的ですね!」
「……!!!」
「痛っ! おい! 絶対左右してるぞ! マリー!」
そんな俺の訴えには無視を決め込んで、マリーは俺の腹部から手を離した。
「……はい、これで取り敢えず応急処置は完了です。ところで、先程から気になっていたのですが、なんです? この膨らみは?」
「あっ、まてそれは」
俺がこっそり荷台からくすねておいた一袋が、ポケットの中からひょいとつまみ出されてしまう。
そう、ぶっちゃけると、さっき俺が成敗した下手人は麻薬密売組織の下っ端だったようなのだ。それが証拠にここにある大量の貨物、その全てが恐らくはクスリだ。
いや、しかしなあ……。こりゃやべえ、やらかしたな……。
俺は自分のミスを悟る。
なぜかはすぐにわかるだろう。
「ふむ、白い粉……。白い……粉?」
そして、とうとうその自身の取り上げた物体が何であるかに気づいてしまったマリーの表情が、みるみるうちに変わっていく。
「客観的にみて、麻薬のたぐいではないでしょうか、と私は思いますけど! ぶっちゃけケッシーとかコカコカとか? 実は死ぬまでに一度は吸ってみたか」
それに気付かずそんなことを口走ってしまった少女は、マリーに顎を人差し指でくいっと持ち上げられていた。
「その口、縫い合わせましょうか?」
「へ?」
少女は言い放たれた言葉の意味を掴みかね、ポカンとしてしまう。
そこにすかさず、過激で苛烈な思想がぶつけられる。
「そうすれば少なくとも経口摂取は不可となるでしょう。でなくとも、貴女が静脈注射をお望みならば、全身を貞操帯で覆いましょう。さすれば貴女は不健全が不可となる!」
「ひえええええええ。なんて前時代的発想! 私は思わず体内時計を確認します!」
「殲滅! 殲滅! 殲滅! このような破滅的劇物など、なんの価値も使い道も存在しない。ただの細菌に同じ。よって私が滅却する! この木箱も、あの木箱もそうですか? そうでしょう。そうなんですね? 悪魔的芳香が鼻腔を犯して止みません。なんと不快で、なんと不潔で、なんと不摂生なことでしょう! 不衛生極まりない! 全く、これだから貴方達は愚かしいというのです。故に私が掬い上げる――――処置を開始します」
目を血走らせたマリーは、あたりの木箱を手当たり次第破壊し始めた。
その様に狂気を覚えぬものなどいないであろう。それほどまでの執念と鬼気迫るものが、今の彼女にはあった。
そんな狂った様子の彼女を初めて見た少女は、当然困惑している。
「なーーー。どどどど、どうしちゃったたんですか、メアリーさんは!?」
「あー、あれだ。マリーは病的に病を嫌っている。そういうことだ」
マリーは時々こんな感じでおかしくなる。まあ、彼女も一見まともに見えるが、結局のところ立派なアルマの住人だっつーことだ。
「ふむふむ、なるほど! 異教徒をめっぽう迫害して悦に浸るのが趣味の敬虔な宗教家みたいなかんじですか? すてきですー! 異端審問官的使命感に燃えているわけですね! めらめらと。あの魔女を火刑に処す断罪の猛火がごとくに。それもまた愛です!」
理解が早いな。
それにしてもいやー、まじでこの娘とアクサエル教徒を引き合わせたい。
「はっ、面白えたとえだな」
なんて現実逃避して笑っていると、事態はより洒落にならんことになっていた。
「そんなことよりー、あれ、大丈夫なんですか?」
少女に言われ、見てみると、丁度マリーが自分が型落ちであるということを証明しているところだった。
突然だが、巷で型落ちと呼ばれている、欠陥品たちの話を聞いたことがあるだろうか。
簡単に言えば、型落ちとは生まれ変わりに失敗した人間、それも特に亜人種ではない純種、即ち俺達プルームのことを指す。
型落ちと言われる、ろくでもない俺達のような生まれ損ない共は、大抵前世のものと思われる奇っ怪な記憶を宿したままに生まれてくる。そして、それぞれがそれにまつわるこれまた奇っ怪な能力、カルマを有している、
マリーのカルマは、火に由来するものが多い。それはおそらく、彼女の胸の内に轟々と滾り続ける、消えることなき烈火の如き使命だ。
そらご覧。目前に燦然と煌く灼熱と、浄化の証かのような硝煙が、目に沁みるだろう?
「望まれること無き紅十字」
そう声高に叫ぶ彼女の周囲に、続々と十字状に火柱が炸裂する。それはまるで火山の噴火のような激しさで、あたりを溶かしていく。辺り一面を、赤く染めていく。三式荷車の荷台は、見る間もなく朽ち果てた。
「あっはっは。もちろんダメだ。お互い生きて帰れるといいな」
俺は、マリーの滾る様な熱を感じて恍惚としながら、少女に対しそう答える。
しかし――
「なんと投げやりな! 男なら私という美少女一人、守ってやると言うのが甲斐性では!?! それとも、今までを鑑みるに、この世紀は女権社会だったりなのです!?」
ほう、そう言われては俺としても動かざるを得まい。
このままマリーの炎と溶け合うのも悪くなかったが、少女を窮地から救うというのもたまにはいいだろう。
「言うじゃねえか、嬢ちゃん。だが、だとすりゃあ、怪我人を働かせるんだ。そっちも女としての覚悟は出来てるってことでいいのか?」
「もちろんですとも。超美少女型生命体である私は常に美少女足り得ますからね!」
その答えに気を良くした俺は、今日の昼の予定を取り付けるべく、口を開く。
「いいねえ。だったら、別にお代なんて取る気はないが、昼飯くらいはご一緒願おうか」
そして、俺はそう言いながら、自身の得体も知れぬ能力、つまりはカルマを、再び発動させるのだった。
「DI、アフェクト――」
そうして俺達は、轟々と燃え盛る一面の赤に包まれた。
「すみませんでした。医療者たる私が貴方に新たな傷を刻むだなど。紛う事無きこちら側の過失です。面目もありません」
ここらじゃ珍しい白を基調とした清潔感の溢れる室内で、彼女はそう言って目を伏せる。銃痕だけでなく火傷まで負った俺は、袖の煤けた赤い衣に身を纏うマリーに連れられ、彼女が奉仕している病院の、これまた真っ白なベッドで寝かされていた。
まあ、ぶっちゃけ、マリーに看病して欲しくてわざと軽めの火傷をしたわけだが。
それは黙っておく。言っても誰も幸せにはならんからな。まあ、それを告げた時のマリーの反応が見たくないと言えば嘘になるが、それはまた今度の楽しみにとっておこうじゃないか。
そうして、申し訳なさそうな顔で俺の患部を冷やすマリーの姿に愉悦を覚えながら、彼女の治療を受ける。それ位には、俺はクズなのだ。人生が楽しい。
なにより、マリーによってつけられた傷を、その傷をつけた当の本人であるマリー自らが治療するというこの倒錯! ゾクゾクするだろ? たまらねえよ、なんて非生産的で、不合理で、不条理なんだ……!
しかもそういったものを誰よりも嫌う合理人間なマリーがそれをしているという興奮! ああ、もうイってしまいそうなくらいだ!
という、凡そ口外できないような内容を、砂糖であまーくコーティングして、彼女に伝える。
「いいや、こっちは想い人に傷つけられ、それをその本人に手当されてるんだ。むしろ最高の気分だぜ? そんな顔しないでくれよ。まあ、そういう顔もかわいいんだが」
「いいえ、だとしても私は反省しなければなりません。病魔を根絶できていないのですから。貴方にはやはり、被虐性欲性障害の可能性があります」
Oh! 心配されてしまった。
「Mってことですか?」
横から入った金髪少女の合いの手を、マリーは軽くあしらう。
「? 貴方の診察もすぐ行いますので、大人しくしていてください」
「無茶言うなよ、騒ぎたいお年頃なんだろ」
「統計的に鑑みればそうでしょう。ですが、院内ではおしずかに」
「二人共、失礼じゃないですか? 私を子供扱いして! ぷんぷんなんですけど!」
暴れ出す少女。体の動きにあわせてその美しい金髪ツインテがきらきらと揺れる。ついでにアホ毛も。
子供というのは、得てして子供扱いされると不機嫌になるものだ。ちなみに、女は女扱いすると不機嫌になる奴もいれば、その逆もいる。ほとほと、難儀な生き物さね。男なんて、子供と同じで単純なのにな。
「幼年性という概念の肯定なしには医療は停滞しますので」
お固く答えるマリー。
ちなみに彼女は、自分を女として見られることをあまりよく思っていないらしい。事実、この間も、一人の男に尽くす気はないとフラれてしまったばかりだ。根っからの仕事人間なのである。
そんな彼女を、あの手この手で俺という麻薬で堕落させてやろうと目論むこの俺は、悪人なのだろうか?
いいや、そんなことはないね。むしろ、美に対し屈そうとしない、そういう者の方が悪じゃあないか? 美しいものに惹かれてこその生だろう?
そんな風に頭の中をこねくり回していたら、とんでもない言葉が聞こえてきた。
「だいたいですね、私はお二方よりも確実に、そりゃあもう太陽が東から昇って西に沈むくらい確固たる事実としてですね、断固として、年上なんですよ!」
「はっはは、本当に面白いな、嬢ちゃん」
思わず笑ってしまう。ツッコミどころが多過ぎるだろ。
「むー、なんで笑うんですかー、エドさん!」
むくっとふくれる少女。なんとも微笑ましいかわいさだ。
対して、むすっとこちらを睨むマリー。
「本当ですよ、何を笑っているんです? 全く笑い事じゃあありません。面白くもない」
「なんだ? 妬いてんのか?」
「やはり、貴方の頭部は一度解剖したほうがいいのではという気がしてきましたね……!」
そう言うと彼女は俺の頭頂部を片手でがしっと掴む。そして、もう片方の手の人差し指と親指でこちらの上下のまぶたを無理矢理にかっ開く。
そうして開かせたまぶたから覗く俺の眼球を、その真朱の瞳で睨みつけるのだった。
目と目が合ってるってのに、絶望的にロマンティックな感じがしねえな……。
その旨を伝えてみる。
「愛が重いぜ、マリー。だが、お前が望むなら……」
「っし!」
俺の言葉に対し、すかさず消毒液に浸された綿を患部へと叩きつけるマリー。
「がっ!」
思わず声が漏れた。
だが、そんなことは素知らぬ顔で、俺を無理くり黙らせた彼女は、少女に話の続きを促す。
「そんなことより、お話の続きをお聞きしても?」
「おおお、とうとう私に興味を持ってくれましたか! そうですよねそうですよね! こんな見目麗しい美少女の本邦初公開の年齢! 気になりますよね! 気になっちゃいますよね! ああ、でもあれですよ、初体験は? とか、どういうのが好き? とかそういうのはNGですよ! ええ、はい。美少女は美少女でもR18系のそれではないのですので!」
少女が嬉々として話しだしたので、早速茶々を入れさせてもらうことに。
「じゃあ、一ついいか? 身体はどこから洗う派だ?」
「貴方は黙って私の治療を受けなさい!」
「っごあ!」
再び俺はマリーから消毒液の洗礼を受けさせられてしまった。沁みるぜ……。
「いきなりのセクハラにびっくりしている私ですが……、ですが! ここからが肝心なのですよ! なんとですよ、エドさんが思わずそんなセクハラをしたくなるようなこのぴちぴちの美少女ことこの私は、なんと! なんと、実年齢にして恐らく五百歳、そして生まれてから数えるのであれば一万歳は固い、れっきとしたロリババアなのですよ! どうです、この溢れ出る老練さに恐れとおののきが止まらないでしょう?!」
なるほど、衝撃の事実が判明したな。こいつぁたまげた。
などと、マリーが言うわけもなく……
「なるほど。やはり貴女にも先天性パーソナリティ障害、いわゆる『型落ち』の疑いがあります。ですので、今日から当院に通院、あるいは入院することを求めます」
そんな通達が下される。
まあ、そんなことだろうとは思っていたが。
とはいえ、俺は彼女はそういうのとは少し違ったタイプであるのではないかと思っている。俺達のような、肥溜め染みた型落ちなどではなく、なにか別の未知なのではないかと。
「この娘も俺達と同じだってか? ほんとふざけた街だなあ、ここは。むしろ異常者こそが健常ってレベルだぜ」
「仕方ないでしょう。貴方の話を信じるのであれば彼女は高所から落ちてきたのに無傷であったというのですから。それに足がもう二本あったなどと」
まあ、少なくとも、まともではないのは確かだ。
「ああ、あれにはさすがの俺も驚いたぜ」
「私もです! というか、お話のところ悪いですが、私は風邪なんて引くようなやわな身体してないんですけど! 美少女は美少女でも、薄幸の~とかじゃなくて元気はつらつ系美少女なものですので!」
胸を張る少女だったが、揺れるのは綺麗な金のツインテールとアホ毛のみ。どう見ても頼りない胸は、まるで存在感を発揮していない。未来に期待しよう。
「患者とは得てして自身の病状を否定するものです。特にこのアルマという土地であれば尚更でしょう」
「それは自己紹介かい? マリー」
「医者の不養生などという皮肉は通じませんよ。異常には異常にならねば打ち勝てない。そういう結論に至っただけです」
時に、あんたは悪を倒すとしたら何になりたい? 末法? 義賊? ちなみに……、俺は悪党かな。さて、彼女が何になったのかについては、君たちのご想像にお任せしよう。
「なら異常者同士、どうだい、今夜食事でも?」
「私にそのような時間はありませんと、いつも申し上げているはずですが。まあ、半身不随にでもなったらいくらでも御一緒させていただきますよ。私はそれを望みませんが」
あっさり断られてしまう。
「俺の身体を心配してくれるなんて、やっぱりマリーは優しいな」
「少しでもそう思ってくださるのでしたら、定期的に私の病院に顔を出すのは止めていただきたい。私は貴方が傷をつけるためにその身体を治しているわけではないので」
そして、こんな俺の軽口にも真面目に付き合ってくれるマリーの優しさに浸る間もなく、彼女はやって来た。
「なにグダグダ言ってやがる、看護婦風情が。そんな原始的治療してねえで奇跡の力でぱぱっと直しやがれ。そいつには今すぐ働いてもらわねえとアタシが困るんだよ」
その横暴な物言いに加え、ぶわっと宙を掻くミルキークォーツの長髪から除く真紅の瞳と、真っ白なアルビノの肌。そしてこの右側でまとめられたアップサイドポニーのもっさり具合。役満だ。
つまり、この突然病室のドアを蹴破り入ってきた、激しく劣情を催させるような過激な服装と肉体の持ち主はもちろん、アンナ・アンジェリカその人である!
そして、そんなやりたい放題言いたい放題な女傑アンナに対し、マリーはすかさず苦虫を噛み潰したような顔でまくし立てる。
「また貴女ですか……。何度も言っているでしょう! 怪我が奇跡などという呪術紛いのもので単純に治癒されてしまったら、その人間はその怪我をなんとも思わなくなる。自分の身体を大切にしなくなるのです! 故に、彼には自分の付けた傷の重みを理解してもらう必要があるのだと」
「うるせえな、力があるくせにそれを使わねえのは怠慢だろうが!」
つかつかとマリーに歩み寄りガンを飛ばすアンナ。ほんとこの女は末恐ろしいな。
それに動じないマリーも、ある意味恐ろしい女であると言えよう。
そういう所も、好きだ。
「それとこれとは話が別です。何度言えばわかるのですか! 大体、今回も貴女のせいで彼が傷を負ったと聞き及んでいます。不必要に暴力を振るうのは止めなさいと、これまた再三警告していますよね? 統計的に、彼が傷を負うのは主に女性関係の拗れが原因ですが、その中でも貴女が原因である確率は群を抜いている。牢獄に幽閉されないのが甚だ不思議でしかない! 全くなんなのです貴女は! 並み居る病原菌よりよほど悪辣だ!」
「ああ? 知らねえよ。奴隷に何しようが主人の勝手だろうが! 御託はいいからとっとと直せっつてんだよアタシは」
「平行線ですね。貴女がなんと言おうと私は方針を変えませんよ」
「ちっ!」
一触即発の睨み合いをする両者だったが、その均衡は意外にもマリーによって破られた。
「……と。貴女怪我をしているじゃないですか! 処置します、じっとしていてください。なぜこのような傷を放置しておくのですか。まったく貴女達は……」
マリーは文句を垂れながらも、身につけていた医療器具を取り出し、彼女の腿の辺りの消毒を始める。
「ちょっと玉が掠っただけだっての。……っておいこら! 勝手に触んな! やめろ!」
「いいえ、そんなことはありません。傷口をそのような汚れた状態で放置するというのは感染症のリスクが格段に跳ね上がるだけでなく……」
突然のことに暴れ出すアンナだったが、マリーの執念に根負けしたようだ。
「あーわかったわかった。頭の痛くなるような話は止めろ。だが、金は払わねえぞ」
「構いません。我々は元々別の方面から資金を調達しておりますので」
「そーかよ。ちっ」
などと舌打ちをするアンナだったが、苛立っているように見えこそすれ、その顔つきはまんざらでもなさそうだった。
そうなのだ、この二人、不仲であるくせに相性はいいのだ。将来俺が二人をものにした時は上手くやってくれること必至である。俺の未来は明るい。
「エドさん、なんか今ひどいかおしてますよ……」
そんなことをささやく少女のげんなりとした顔も、ぶっちゃけなかなかになかなかのもとなっていたが、黙っておこう。
さて、そんなことより、あの我の強い二人がお互いに気を取られ合ってる間に、俺達は退散するとしようじゃないか。
というわけで、俺は少女に声をかける。
「今のうちに出るぞ」
「えっ、どういうことです?」
戸惑う少女に理由を告げる。
「この場を丸く収めるには俺がいなくなるのが一番って話さ。見ての通り彼女達は俺のことが大好きだからな」
「え、エドさんって頭に虫湧いてたりします?」
いやほんと無垢な顔でどぎついこと言うな、この娘は。言われ慣れてるから構わんが。
「よく言われるが、見たことはないな」
「もう出会って数時間にして、エドさんとは関わり合いにならない方がいいというオーラをびんびんに感じとる私なのでした……」
「連れないな、ランチの約束は嘘だったのか?」
「いえいえー、ご飯をくれるというのであれば喜んでお供しますともー! 私ってー、所謂チョロイン系美少女なのでー。あはっ!」
口の端に垂れたよだれを拭いながら、少女は元気にそう言った。
食べ盛りか? いいねえ。若い! 瑞々しい!
「それはよかった。なにか希望のメニューはあるかい?」
「今回の御飯は初めてなのでー、おまかせしますー。強いて言うなら、エドさんのー、おごりがいいなー、って感じですっ!」
「そりゃあもちろん」
「やったー。エドさんだーいすき!」
そう言って俺の腕をとる少女。ふぁさっと一房の金髪が俺の腕にかかる。
「ふっ、嬉しい限りだが、心にもないことは言うもんじゃないぜ?」
「あれ、バレちゃいました?」
えへへー、と頭を掻く少女。
「そりゃそうだろ。俺はこの道のプロだぜ? こんなこと誇るようなもんじゃないが、金で変える愛なんて何度買ったと思ってやがる。嘘はつかれ慣れてんのさ」
嘘でも愛が欲しい時がある。そうは思わないか?
いや、そもそも本当の愛なんてないのかもしれないが。
「素人童貞ですか!」
「? よくわからんが、多分違うぞ?」
「くう、我ながら前回の私、変な言葉覚えすぎ問題ですね……。むむむ」
額に手を当て唸る少女。あほっぽい顔つきの彼女がそれをしても、ギャグにしか見えないのが玉に瑕だな。……まあでもなんだ、かわいくていいんじゃないか?
「どうした?」
俺がそう尋ねると、少女は頭をぶんぶんと振り、笑顔をぱあっと咲かせて、こんな嬉しいことを言ってくれた。
「いえいえー。まあなにはともあれー、大好きって言ったのは嘘ですけど、エドさんのこともう結構好きですよってゆー話ですよ。おもしろいですし」
「そうかよ。照れるな」
「それこそー、嘘っぽくないですかーーー!????」
少女はそんな、ちょっと怒ったような甘い声を出す。頬を軽くふくらませて。
「ははは」
「ちょっとーー、ごまかさないでくださいよーー!」
そうして、真相は謎のままに、俺達二人は病院を後にした。
責任とって添い遂げる? 大麗の呪術か、エルラティスの奇跡に頼る? 駄目下でセントクイーンの最先端医療を受ける? いっそアンダーかハイドに逃げ込むのもいい。最低だと罵られるかもしれないが、どうしようとそいつの自由だ。
そしてまあ、どの選択をするにしても、終わったことをなかったことには出来無い。愛の結晶、或いは神からの贈り物だと取り繕うが、魔女か悪魔の仕業だと因縁つけようが、同じことだ。相手がロージェスだったんなら、尚更な。
だから思わないか? 起こったことについてあれこれ言ったって変わらねえと。
そんなことをするのは女か歴史家だけでいい。男がうだうだ言い訳をするのなんて、みっともない――と、あんたもそう思わねえか?
要は体面をとるか、内面をとるか、そんなくだらねえ話さ。
そしてここで体面を捨てる奴ってのは大概、大馬鹿だ。当たり前だが、そういうろくでなしは世間では放蕩ものだの気狂いだのなんだと誹りを受ける。だが、それさえ気にならなければ、案外生きやすい。いつだって楽しいのは馬鹿やってる時で、感動を与えてくれるのは、己を狂わせる未知だ。
だから俺は、俺のことをクソみたいに出来悪く出来物つきで産んだ挙句、こんなアルマなんつー愚民だらけの奔放都市に捨て去って、こんなんなるまで数十年ほっぽったままのどこの誰とも知れねえ馬鹿親には、その腹の中に仕込まれた時からずっと頭が上がらねえっつーわけだ。
だってそうだろ? 自分のことを何一つわからないからこそ、俺は既知を恐れ、未知を愛すようになったのだから。結果、未知の塊である女を溺愛するようになったのだから。
女性という非理性の生き物こそ、男という非連続の獣に最高級の供物だ。
――とまあ、俺は自分のことをなかなかどうして頭の悪い野郎だと常日頃から悩んではいるんだが、直す気はさらさらねえ。
そもそもまともってなんだよ?
どうすればなれるんだ?
そういう次元に立っちまってる。
だって仕方ねえだろ、俺は別に同胞だからってんじゃあねえが、馬鹿女も馬鹿野郎も好みなんだ。ああ、むしろ大好きだ。
馬鹿共で溢れきった、その馬鹿共の為に大馬鹿が作ったとしか思えないこの享楽都市アルマを愛している。そしてなにより、そこにある未知を。
だが、周りの人間は大変悲しいことにどうも、そうじゃあないらしい。
そろそろ目を開こうか。
それが証拠に、今目の前にいらっしゃる我が麗しの大家様が、怒髪天にしてこちらを睨みつけていらっしゃるだろうからな。
目を開くと……、ビンゴ。そら見たことか。
ふっ、なんて恐ろしい顔つきをしていやがる。……惚れ惚れするぜ。
相変わらず、今日も彼女は氷の様に綺麗だ。
無造作に伸びきった純白の乱れ髪が荒々しくも美しい。加えて、右側でまとめられたアップサイドのポニーがよく似合っている。思わず撫で回したくなるくらいに。
加えて、そのまたとないミルキークォーツの合間から覗くただでさえ鋭い目つきは、いっそう鋭さを増し、その赤き瞳はまるで月に照らされた血の如く妖しく光っている。
そして、アルビノ特有の不健康そうな、しかしそれでいて得も言われぬ魅力を放つ肌色。ともすればその希少性から虐げられていてもおかしくないその忌まわしき体色を、彼女は隠そうともしない。むしろ、誇示さえするかのように、露出が多く肉体美が強調されるような官能的出で立ちをしさえする。その肩が脇が首筋が肩甲骨が胸部が臍部が鼠径部上端が臀部が太腿が……、
嗚呼! 彼女はエロスに愛され過ぎている!
――と、舐めるように彼女を見ていると、そのむっちりとした腿に大腿筋がビキビキと表出していく様が見て取れた。
こりゃあ、この美脚がしなるのも時間の問題だな。タイトスカートからばばんとその存在を主張する引き締まった筋肉質の太腿は、この俺の鑑賞にも耐え得る様なご立派なもので大層眼福だが、だからこそ、その脚力は抜群だ。何度もその足を食らわされている俺が言うのだから間違いない。
彼女がその全力をもって暴れだしたが最後、このボロはご破産だろう。
さて……どうしたもんかねえ?
そう思っていると、さっきから凄まじい苛烈さで俺に罵声を飛ばしていた彼女の唇が、いっそう勢いよく上下に割れた。
「オイ、てめえ。アタシを馬鹿にしてんのか?」
そう発する彼女こそ、我が愛しの主、アンナ様だ。ついでに言うと、この俺の住まうボロ長屋の大家様でもある。
「俺は事実を伝えただけだ、アンナ」
俺はひとまず、叛意のないことを伝えておく。
「じゃあ、聞くが、てめえは空から四本足の女が落ちてきたからぼくのお部屋がぶっ壊れちまいました、許してください、って言われて、そいつを許すのか?」
「そうだな、そいつがおめえさんみてえな美人だったら」
おお、つい軽口を叩いてしまった。一応、本心ではあるが。だいたい、この街ではこんな絵空事が日常茶飯事なのだから、これくらい笑って許して欲しいものだ。
ま、しかし、それを許すような女なら、彼女はここまで俺を惹きつけていないだろう。
アンナの答えなんて聞かずともわかる。
どうせ、開口一番――
「殺すぞ!」
ガン!
彼女がそう言った途端、そんな破裂音が響き、俺の身体は吹き飛ばされた。いや、正確に言うならば、蹴り飛ばされた。そのまま壁に背中が打ち付けられる。全く、たまったもんじゃない。想像以上だ。
「おいおい、そんな勢いよく蹴っ飛ばしたら余計壊れちまうぞ」
現に今俺の背にぶち当たった木壁がギシギシ軋み、危険な音で揺れている。
「喧嘩売ってんのかこのキチガイ野郎!」
しかし、そんなことはお構いなしにアンナの怒声が炸裂。その猛りは、部屋さえ揺らす様。
「だから俺は事実をだな……」
「女に嘘の一つもつけねえのかこのイカレ野郎は!」
俺は彼女に首根っこを掴まれ宙ずりにされながら、なんとか言葉を捻り出す。
「あー……、なんだ、今日も綺麗だぜ、アンナ?」
こんな状況でさえ皮肉めいたことを言わせてしまうアンナの美貌に惚れ惚れしながら、俺は首元を襲う圧迫の増大に死にそうになっていた。
だが、この感覚、なかなかどうして……悪くない。
「やはり死にてえ様だな……!」
俺の言葉に顔をさらに赤く染め、そう吐き捨てるアンナ。
「ああ。お前みたいな美人に看取られて死ねるなら本望だ。ふっ」
照れてんのか、かわいいところもあるじゃねえか、などとはさすがに思っていないが、そんな妄想をしていたら思わず笑ってしまった。
「なら望み通りぐちゃぐちゃにしてやるぜ、クソが……」
そういいながら沸々と笑う彼女は、まさに大麗の般若面のような面構えとなっている。
ふー、さすがにそろそろマズイな。
そう思った俺は、事の発端であり、そのくせなぜか部屋の隅でこちらをさも物珍しそうににこにこと観覧している、あほっぽい顔つきをした小柄な金髪ツインテの美少女に声をかけた。
「おい、いつまで見てんだ嬢ちゃん。そろそろコイツを止めてくれ」
「えっ、ここまでぷんぷん丸な人を止めることって可能なんですか?」
だが、彼女はとんちんかんな反応。暮らすのに不便なのではないかと思うほどに長いツインテールがゆさゆさと揺れた。ついでにこれまた二又に分かれたアホ毛も。
「それがあんたの役目だろうが。だからこそ俺はアンナをおもちゃに……」
「主人をおもちゃ呼ばわりたあいい度胸だなあ、死にたがりィ」
おっと、いけない。失言だった。火に油を注ぐのは楽しいんだが、危険なのもまた事実。ハッパと同じだな。何事も加減が肝心。
だがすまないな。俺のリミッターはどこか壊れているらしい。
「いつからお前は俺の夫になったんだ?」
「てめえは万年うちの居候だろうがっ!!」
腹に膝を入れられる。さすがアンナだ。なんと素早く、的確で、重い蹴りだろう。
ああ……、とても痛い。
痛む腹をさすっていると、朗らかな声が聞こえてくる。
「そーなんですかー? それは感心しませんよ? おにーさん」
「……っ、違うな、嬢ちゃん。俺はコイツのヒモだ」
「ええっ!! それはもっと感心しませんよー。あなた、クズですね!」
びしっと指を差された。アホ毛がみょんみょん揺れている。
まあ、否定はしない。俺は嘘をつくことにも快楽を覚えるような、世間一般で悪とされているものが大好きな人間だからな。
「違うのはてめえの頭の中身だ、ノータリン。それとそこのガキ、この痴呆の言うことあっさり信じてんじゃねえよ、死にてえのか?」
そう言うとアンナは少女に中指を突き立てた。
初対面且つ年下の女に臆面も躊躇いもなくそんな蛮行が出来るアンナに憧れはしないが、その突き抜けた彼女らしさに若干恍惚としなくもない。その、裏路地で縋り付く物乞いを振り払うかのような目つきなんて最高にクールだ。ゾクゾクする。これには悪徳の神であるというディスノミアでさえ舌を巻くだろう。
「つまりあなたは、おにーさんのパトロンではないということですか?」
「たりめーだろアホ。アタシはアンナ。アンナ・アンジェリカ。てめえのせいで? ブッ壊れたこの長屋の家主。そしてこのアホはエド。救いようのないクズだ」
「どうも、お嬢さん。ご紹介に与った救いようのないクズこと、エドだ。よろしくな」
そういえば、全裸の美少女が突然天井を突き破って睡眠中の俺の真上に全裸の四足歩行動物として落ちてくるというアクシデントによってその際にブッ壊れた長屋の管理人に問い詰められるという一連の不思議理不尽体験のせいで期せずして少女に名乗るのを忘れていた(我が事ながら、意味がわからん。だが、この街で生きるってのはまあそんなもんだ)俺は、アンナ様より賜った有り難い字名を、遅ればせがら口にした。
「あ、てゆーか私も名乗っていませんでしたね! あちゃーこの世紀の文化がまだ不透明だったもので、申し訳なすびです。では、改めまして、私の名前はー、えーと、あれ? なんだっけ?」
そう言ってわざとらしく小首をかしげる少女。
あっはっはっ! 自分の名前がわからないだあ? それがたとえ嘘でも本当でも、ろくでもない女だなこいつァ。可愛い顔して中々えげつないこと言うじゃねえか。
と、妙な親近感を覚えにやにやしていると、もちろんのこと、アンナが俺をどやしてくれる。
「おい、てめバカエド! このガキとどんな変態プレイに興じやがった? 天井ぶっ壊して記憶喪失なんて聞いたことねえぞ! お前の性的挑戦には毎度驚かされてきたが、ぶっとんで文字通り天にでも飛ばしたってか? 意味分かんねえよ! 殺すぞ!!」
ああ、この聞き様によっては嫉妬しているともとれる、この罵声。ああ、この体の芯に響き渡る罵倒の波濤。ああ、この感じ……、たまらねえぜ。
なんてイっていると、このまま彼女に絞め殺されてしまうので、一応弁解しておく。彼女に殺されるってのは究極のエロティシズムではあるんだが、ここで死んでしまっては悲しむ女が他にもいるからな。いまだこの花、枯れるには早かろう。
「いや知らねーよ、さっきも言っただろうが。俺が寝てたらこいつがいきなり天井突き抜けて降ってきやがったんだって。俺は被害者だぜ? むしろ、大変だったなと、哀れみや労りのキスのひとつもねーのかよ」
そう言って投げキッスをしても、返ってくるのは突き立てられた中指だけ。
しかしめげてはいけない。注意深くその白くすらっとした指の先端を見つめるんだ。すると、どうだ? 意外にも手入れされている指先に、彼女の女を感じて昂ぶってしまうだろう? 彼女のいい癖は、俺の悪い癖だ。
さて、そんなことを俺が考えているなんて露とも知らない彼女は、その整った指先をぐりぐりと俺の唇に押し付けながら、こう吐き捨てる。
「あ? 次そんな気色悪いこと言いやがったら、その口に二度と楽しめねえようなトラウマ刻み付けるぞ?」
なので、俺は遠慮なくその美しい指先をパクッとくわえさせてもらい、更にセクハラをブチ込むという当然の帰結をさせていただく。
うん、やはり女の指は甘い。
「ふぁへしいのが好みなのは?」
「死ね!!!」
まあしかし、当然ながら、冷めた目をした彼女にきつい頭突きをお見舞いされた。
頭が割れるかのような痛みに恍惚としてしまう。
「あのーお二人共―お盛んなのはいいんですがーー」
「あ? 誰が盛んだガキ!」
「わかってるなら邪魔者は帰ってくれないか?」
無垢そうな声に対し、怒号とジョークが飛ばされる。
「あ、それは失礼したしました。それじゃ元気に繁栄しててください。では六十分後にまたお邪魔しますね。それくらいが平均的だったと記憶されていますので。では……」
彼女はそう言って部屋を出て、扉に手をかけた。
「オイ、だからこの色情狂のホラを真に受けんなっつってんだろ、アホ金髪!」
「まったくだぜ、そろそろ本当のことを言ってくれないと収集がつかなくなる」
というか俺が死ぬ。
「てめーのせーだろーが!」
そう言ってぎゅうっと強く俺の襟首を掴むアンナ。無論、苦しい。
彼女は、俺のことを不死の生命体かなにかだと勘違いしているのだろうか。このままでは命は有限であるからこそ美しいという証明を、俺の生をもってこの場でしてしまいかねん。
と、ここで光明が差す。
「! ああー、そうでした、そうでした! アンナさんはエドさんの事を嘘吐きだと言っていますけど、本当なんですよ!」
「ああ?」
「ひいっ! ほ、ほんとーに、私は空から降ってきたんですよ! どーです? すごくないですか? 私みたいな美少女が空から降ってくるなんて! まるできっと今から数世紀後に流行るであろう最尖端虚構文学のようなトキメキを感じますよね! ね!」
「おい、バカエド、このアホ毛金髪は何を言ってんだ?」
そう言って普段俺を見るような目で少女を見つめ出すアンナ。
陽は早速陰り始めたようだ。
「前半部分は確かにそうなんだが……、なんだろうな。あー、この世界の真理かなにかだろ。知らんけど」
当事者である俺でもあれでは意味不明だ。
「アクサエルの伝道師じゃねーんだぞ! ただでさえイラついてんだ、宗教勧誘はお断りなんだよ!」
彼女には定期的にエルラティスのアクサエル教徒が宣教を試みているらしいが、当然彼女は彼らを毛嫌いしているようだ。難儀な話さね。
だが、まあ、それも仕方のないことだろう。なぜって? そりゃあ皆さんご存知の通り、アンナには俺がいるから
な。
「なら俺が神に代わって愛してやろうか?」
「今ほど、無宗教な自分を呪った日はねえな……。だが、安心しろ? アタシはだからこそ、いくらゴミ共をぶち殺しても地獄には送られねえんだ……知ってたか?」
「当たり前だろ。お前みたいな美人、誰も地獄になんて送りたがらねえよ」
「そうか、よかったな」
そう言ってアンナはにっこりと笑い、次の瞬間には完全なる無表情になった。
そして響く叫び声。
「……だったら安心して地獄で寝てろこの漁色野郎があああああああっっっ!!!!」
ドッ!! ガンッ!! ゴンッ!!!
言うが早いか、そんな鈍い音と共に俺は殴られ蹴られ投げ飛ばされて、そのまま窓枠をバリバリンと破壊しながら宙を舞い、路上へと放り捨てられたのだった。
打撲に次ぐ打撲、そして落下。激しい痛みが全身を襲う。
屋台の倉庫にでも落ちたらしく、何かの袋の山が俺の視界を覆っている。それらがクッションになったおかげなのか、落下の痛み自体は大したことがなかった。とはいえ、やはり洒落にならない程の激痛は続いている。
それにしても、建物の三階から人間を思い切り外へ投げ飛ばすなんて、あの女、どう考えてもイカれてるだろ……。
まあ、そんな気違い染みたところが愛らしいんだが。特に、頭から地面へ着地しないよううまく調整して放り投げたところなんか、彼女からの隠れた愛のメッセージを感じて胸が熱くなるだろ? いや……、ならねえか。
なんて、そんな馬鹿げたことを考えていると、俺はあるひとつの不審点に気付く。
「って、つーかなんだこれ? なんだかよくわからねえが、この倉庫、揺れてねえか?」
そんな時、遠くから
「一仕事だ! ちゃんと終えてきたら、当面は目を瞑ってやる!!!」
という、照れ屋なマイハニーの怒声が聞こえた。
****************************************************
「……ふー、せいせいしたぜ。やっぱりストレス解消は暴力に限るな」
右肩を左手で押さえ、首を回しながら、アンナはそう呟いた。
それを怯えた目付きで見つめるのは金髪の少女。
「ひ、ひどいです……、この世紀の女性は暴力的……。記録しておきますぅ……」
「あ? てめ、つーか結局なんなんだよ? その革新的宗教勧誘の奇抜さは認めてやるが、その話本当なら、修理費きっかり払えよ? 倍額で」
「ひゃ、ひゃいっ! もちろんですとも! きっかりしっかり雁首揃えてお支払いさせていただきますぅ! この身に変えてでも! この自治体の流通事情がわからない以上、正確なことは言えませんが、なんなら錬金でも鋳造でもしますとも!」
ぶるぶる震えながら少女はしどろもどろにそうまくし立てる。
「あー、よくわかんねえが、てめーよそものか? 語り振りからしてエルラティスの回し者でもなさそうだが……」
「んー? そのエルラティス、とは何かの組織なのですか?」
不思議そうな顔をしながらそう言う少女を見て、アンナは一瞬彼女にしては珍しく惚けた様な顔を見せた。だが、すぐに元より乱れていた長い髪をかきむしり、更にぼさぼさにさせると、悩ましげ且つ苛立たしげに愚痴をこぼす。
「おいおい、まじか……。あー、だりぃ。だりぃぞこりゃあ。かー、むしゃくしゃしてきた……。もっぱつ殴ってこようかなあ……」
「へ……。何かお粗相をしてしまいましたでしょうか……? それとあの男性は、エドさんは放っておいて大丈夫なのでしょうか?」
「知らね。まー、なんとかなるだろ」
エドの身を案じてかそわそわと落ち着かなそうにする少女に対し、アンナはあっけらかんと突き返す。
「そんな……。人間に自己回復機能はついていなかったはずですが……!」
「……ちっ、でもそうだな。アイツ一人だと仕事しねえだろ……。よし!」
一時眉間に皺を寄せたアンナだったが、パン! と手を叩くと、少女を軽々しくひょいと担ぎ上げた。
「ぇ、どうしてアンナさんは唐突に私を担ぎ上げ更には窓際へと歩み寄っていっていらっしゃるのでしょうか
っ!?」
不意の事にあわあわばたばたと困惑する少女。
それをがっしり掴みながらアンナは言い放つ。
「るせえな。悪さしてる奴がいるからとっちめてこいっつー話だろうが」
「!! 全くもって意味が理解不能です! むしろこの場合現在進行形で悪さをしているのは不当に私を拘束しあまつさえ暴力を振るわんとす眼前の貴方様なのではーーーーーっっっ!!!?」
少女の頭では、今頃クエスチョンマークとエクスクラメーションマークが大量に右往左往していることだろう。
もちろん、傍若無人の権化たるアンナには、そんなものは関係ない。己が道を行く。
「人ん家ぶっ壊しといて今更何言ってんだタコ! いいから黙って行ってこい!」
「その行って来いはもしかして所謂逝ってこい、ではないでしょうかーー!? りっしんべん!」
必死の抵抗も虚しく、
「おらっ!!」
少女は空へと放り投げられた。
「いやあああああああああああああああああああああああ!!!!」
耳をつんざくような悲鳴が、アルマ三番街ソラリスの喧騒に消えていく。
その声の発信源に向け、アンナは声を張る。
「お前の仕事はー、その荷車に乗ってる奴をエドにぶん殴らせるってだけだー。いい感じにたきつけてやれー。多分女の前でならアイツも働くだろうからなー」
「そぉ・れぇ・わぁーー、投げ飛ばす前に教えてほしかったんですけどぉぉぉぉーーーーーーーー!!!」
情けない少女の声に対し、アンナは最後にもう一つ。
「おー、あとひとつなー、エドにはベッドの下、家賃って伝えとけーー。それで必ず働くはずだー。それとわかんねーことがあったら全部エドに聞けー。乳でも触らせればなんでも答えてくれんだろー。知らんけどー」
「かああああしこまりましあああああーーー!!」
少女は、そんな風な本当にわかっているんだかいないんだかわからぬような貧相極まりない声を上げ、エドが投げ込まれたのと同じ三式荷車へとブン投げられた。
こうして、本日二人目の被害者が窓から投げ捨てられたのだった。
ソラリスの街道に響く凄まじい悲鳴。
だが、視線を向けるものこそいれ、助けようとするものなど誰もいない。なぜなら、そんなことはこの街では日常茶飯事、至極当然のことであるからだ。
もちろん、朝っぱらから景気よく大声を出す客引きの威勢や、すぐそこで次期元老院選決定の号外を配るチンドン屋、その他多くの人々が行き来する雑踏の喧騒、そしてメインストリートを行き交う三式荷車が漏らす蒸気の嘶きが、彼女の悲鳴をかき消したというのもあるだろう。
嗚呼、確かにこの街は、少々賑やかにすぎる。それも、まだ時を知らせる陽の光が天上に至るはまだ早いというに。まったく、朝っぱらからなんたる喧々囂々っぷりであろうか。鼻腔にも、その賑やかさに相応しい、香ばしい肉や魚の香りが押し寄せてくる。
本当に、相も変わらずこの街は騒がしい。
たった少女一人の悲鳴など、まるで気にならぬ程度には。
故に、少女への悲劇を嘆くもの、あるいは、その結末を変えんと名乗り出るものがいないのは、致し方のないことなのかもしれない。
そう結論づける事も、可能ではあるだろう。
けれどもやはり、結局はこの街の住人がおかしいだけなのだ。
百人いれば、一人程はいるはずの偽善者も、この街にはいない。からっきしに。
英雄こそ数多いれど。
皆一切、狂人である。
なぜと思うのなら、耳を澄ましてみるといい。聞こえるはずだ。彼等の声が。
「はっはは! エドの奴また投げとばされてたぞ! 今度は何やらかしたんだ?」
「知りたくもねえよ……。っておい! ああ? 金髪のべっぴんも飛んでんじゃねえか! なんだあの美少女!? いやでもまてよ、ちょっと若すぎんだろ! ロージェスでもないみてーだし。あの野郎、あんなガキに、しかもあのアンナの前で手だすなんて何考えてんだ!?」
「あのキチガイのことだ、どうせ何も考えてねーんだろ。しかもあんな娼婦みてえな格好させて……、ほんと、何考えてんだ……」
「うっし! じゃあ賭けようぜ! 俺はあの娘がエドに惚れたに10ヴァルム!」
「おい、ふざけんなよ! そう言っててめーこないだも負け分払わなかったろうが!」
「のった! じゃあ俺はアンナを嫉妬させる為エドが雇ったに10ヴァルム!」
「俺も俺も! 俺も混ぜてくれ! 俺は大穴の……」
「おい! 聞いいてんのかてめーら! ちなみに俺はジャンヌの連れ子に50!」
ご覧の有様だ。
わかっただろう?
他人の身などは顧みず、この世の全てを、己の娯楽と変えてしまう。
それが、この地ヴァルヘルム・ガング南区画に住む人々の在り方だった。
彼等が生きるのは、危険や非日常と常に隣り合わせた騒々しきド派手な生。停滞、安寧、平穏、そんなものは糞くらえ。彼等が何より好むのは、混沌、そして快楽だ。
そんな刹那主義的な人々で溢れ、生き急ぎのクズ共が毎日を謳歌するこの都市は、いつからか、こんな字名を持ち始めた。
人呼んで、狂酔歓楽都市アルマ。
そう、ここは、アウトローと英雄の街。
魔女の窯で煮立てた天国と地獄を、科学者の手で炉心融解させたような、死にたがり達にとってまたとない憩いのジェットコースター。
彼等に揺り篭など必要ない。欲っさるるは最高にヘイヴンでクレイジーな夢を見せてくれる、言うなれば真綿でできたアイアンメイデンのような、棺桶のみなのだから。
ロックンロールを追い求めた然る人がつくりしは、斯様な異常。
さてそれこそは、この終わりかけた世界で、最も生き生きと終わっている都市であった。
****************************************************
「あがっ!」
そんな音が真上から聞こえた。
俺はその声の主に押しつぶされて、無事、下敷きとなっている。
細い見た目の割に中々重量があるが、黙っておくのが優しさだろう。
「今日は落下してばっかり。下降日和ですね。って、我ながら意味不明なんですが!?」
「なあ嬢ちゃん、あんたまだ若いのに男にまたがるのが趣味なのか」
俺の存在に彼女は気づいていないらしいので、上に向かって声をかけてみる。
「ん? その声は……エドさん!」
すると彼女はそんな風に目を見張る。
「お、早速覚えてくれたのかい? 嬉しいねえ」
「もちろんですとも! 私の記憶能力は並みではないんですよ!」
頭をとんとんと自慢げに叩く金髪娘。だがむしろ、みょーんと伸びたアホ毛がその度にぴょんぴょん揺れて、アホっぽさが強調されていた。
「そうかそうか、個人的には女は忘れっぽいほうが助かるんだが……、とまあそんなことはどうでもよくてだな。……いい加減、どいてくれないか」
実際何がとは言わないが結構重いので、ボロボロのこの身にはしんどいのだ。
「はっ、これはすみませんでした!」
少女は慌てて、横に逸れる。
とはいえ、この恐らくはヴィーク・リアルツ製荷車の荷台かなにかであろう空間は、溢れんばかりの貨物のせいであまりに狭すぎるので、彼女は俺とぴったりくっつくようにして腰を下ろした。
ちなみに、その際に彼女のツインテールの片割れがべしっと俺の顔面をひっぱたいたのだが、どうやら彼女は気付いていないらしい。
さらさらとして心地の良い肌触り……。いい髪質だ。
と思っていると、少女がぺこっと頭を下げた。再び彼女の髪が俺を襲う。
「改めて、ごめんなさいでした! 怪我人にのしかかるなど!」
「いや……、だが、かわいい娘に乗られるてるってのは、なかなかどうして、悪い気分じゃなかったぜ?」
「なんと! そこに気づくとはお目が高い! ふふん、そうでしょう、そうでしょう! 私は何を隠そう超絶美少女ですからね!! きらーん!」
こちらとしては冗談交じりで言っているつもりなんだが……、こう返されると調子が狂うな。しかも、彼女はどうやら本気で言っているようだ。なんだろう、街で俺以上のキチガイと名高いヤヨイと話している時と似たような感じだ。
つまり、楽しい。
「ああ。今も密室で二人きりだ。何か特別なことが起こりそうだとは思わないか?」
「ボーイミーツガールですね! 王道! 世界の危機を私たちの愛の力で回避したりしちゃったり! きゃー! わくどきですよーーー!」
いよいよわけがわからなくなってきたな。
「あんた、さっきも言ったが、新興宗教かなにか起こそうとしてんのか?」
「? 私は無宗教ですよ? むしろ神を殺す側です」
「そりゃあ頼もしい」
これ、アクサエル教徒にきかせてえ……。
などという危険思想に身を委ねていると、少女は急に真面目な顔つきで俺をまじまじと見つめてこう言った。
「いえいえ、というか、お怪我は大丈夫なので?」
なので、ちょっとからかってみる。
「まあ、痛むが、問題ねえよ? だが、もしよかったら、患部を撫でてもらえないか? そうすると治りが良くなると聞いたことがあったような気がしてな」
「民間療法です? 興味あります!」
すると、少女は我が意を得たりとばかりにだたでさえ近い距離を詰め、密着。俺の体にべたべたと触り始めた。
「お、おう……」
さすがの俺も少し引いてしまう。なかなかやるじゃないかこのガキ。
彼女がもっと年食ってれば、反応のしがいがあるんだが、ほんとにどうみても子供だからなあ。ともすれば俺の子供とみられてもおかしくないくらいだろう。容姿はまるで似ていないが。
首輪をしていないのを見るに、ロージェスってわけでもないだろうしな、
「さすさす」
少女は優しく俺の身体を撫で回している。
まあ、役得だと思ってなすがままにされていようか。案外気分もいいしな。
そう思っていたら、不意に少女が口火を切った。
「……と、そういえばエドさんを焚き付けろとお願いされたのですが、どうすれば良いのでしょうか?」
「アンナにか? なんとなく話が見えてきたが……、もしかしてこの荷車の乗り手をぶっ殺せとか言ってなかっただろうな?」
「ぶん殴らせろ、とは言ってましたね」
「まじか……」
はあ……。こんなわけもわからない場所に投げ込んだ時点で、そんなこったろうとは思ってたが。大体、さっきから前方が騒がしいんだよなあ。そろそろドンパチ始まりそうな感じだ。勘弁してくれ。
「それと、ベッドの下、家賃。この二つの単語を伝えろ、とも」
ああ、そういえばここ何ヶ月か働いてなかったような気がする……。そろそろ仕事しなきゃ立ち退き&差し押さえと、そういうことですか。はいはいかしこまりあしたよっと。はあ、愛しのアンナ様の命令には逆らえんなあ……。
「なるほどねえ。りょーかい。俺のせいで投げ飛ばされたりして、すまねえな嬢ちゃん。元々空から落ちてきたようなアンタに言うのも野暮かもしれねえが、怪我はなかったか?」
少女の頑丈さには驚くばかりだが、日に二度も自由落下させられたとなれば、さすがに同情する。
だが少女はあまり気にしていない様子。
「ばっちりです! 私の自慢のボディを舐めてもらっては困ります!」
元気でいいねえ。そういうの、俺は好きだぜ。
将来有望だ。
だからこそ、俺が守らなくちゃな!
そう心の中で一人かこつけ、俺は少女の頭を手で下に向かって押しつける。
「ならよかった、そのまま頭下げとけよ。丁度奴さんもこっちに仕掛ける気になったみてーだ」
「へ?」
キューン。響く破裂音。ポカンとした顔の金髪娘の頭上を、弾丸が通り過ぎる。
「なんて物騒な! 暴力の街ですか、この世紀!」
少女のとんちんかんな声が荷車内に反響した。
さて、銃声は御者台、即ち俺達の前方から。そこには明確な殺意を顕にした、いかにもな男が立っている。
仲良くお話、というわけにはいかなそうだが……。
一応、手を差し伸べてはおきましょうかねえ。
「おい、勝手に人様の車に乗ったのはそりゃあ悪いと思うが、いきなり発砲ってのは……」
バン!
有無を言わせずに、二射目がやって来た。
だめだこりゃ。
「ったく、……せっかちだねえ」
俺はそうぼやきながら、銃弾を腹に受ける。
痛む。血が溢れ出す。しかし、泣き言を言ってはいれんだろう。
「エドさん!」
そう叫び、前に出ようとする少女を片腕を張って制し、俺は呟く。
「VP、アフェクト――幻喪感染」
当然、そんなことはお構いしに飛んでくる、3発目の弾丸。
だが、その弾丸は空を切る。
続いて四発目、五発目。その悉くがあらぬ方向へと飛んでゆく。
「ちっ、型落ちか!」
男は、そう言いながら、六発目を撃ち放つ。
俺の斜め後ろで、弾丸が荷車後部に着弾したのが音でわかる。
「くそがっ!」
弾切れらしく、男はそのまま銃を捨て、ナイフを取り出し斬りかかってきた。
しかし、その刃が俺を傷つけることはない。
なぜなら、彼は全くもって見当違いの方向へと刃を振り回しているからだ。それはもう、あの金髪娘がキョトンとした顔になるくらいには。
彼は今、幻影を見ている。彼は今、瞳の中に全く見当違いの像を結んでいるのだ。
俺の生まれ持った気味の悪い力によって。
そんな男に俺は黙って近付き、囁く。
「微睡め――第一の夜」
それによって男は、意識を失った。カランと、ナイフが床に落ち、ドサッと持ち主の体も地に伏せられる。
これが、俺の生まれ持った力。数多くあるカルマの内の一つ。
もう辺りに別の奴さんがいないのを確認し、俺は少女に声をかける。
「もういいぞ、お嬢ちゃん」
「は、はい。それよりお腹の傷は……? 手当しましょうか?」
「そいつはありが――」
肝の座った小娘だな、などと思いながらも、ご厚意に預かろうと声を上げた、その時だった。俺の言葉は、別の鋭く冷徹な声によって遮られた。
「その必要には及びません」
ぴしゃりと放たれた宣言と共に、見知った顔がずかずかと荷台へ乗り込んでくる。
霞色の肌に、それより少しだけ薄い白銀のショートヘア。シャープで尖った印象を与えるそんな髪型をした彼女は、鮮血のように真っ赤な医療用の制服を身に纏い、更には全身をサスペンダーやガーターベルトにガーターリング、アームバンドなどのガーター類で縛り尽くし、自らを雁字搦めにしている。それは、その豊満な体に大量の医療器具を括り付けるためにほかならない。ハサミやメスは尚の事、胸元には、聴診器さえ据えられているのだ。その他にも、名さえ解らぬ無数の器具が彼女の足に胸に腰に腕に……と言い出せばきりがない。俺はそれらを目で追うのを止めた。
そして、今日も赤いキャップと黒い手袋が似合っているな、なんて思いながら、俺は彼女に声をかける。
「おお、愛しのマリー」
ところで、おそらくだが彼女の顔を見た俺の表情は今、ぱあっと明るくなっていることだろう。まさに晴天が如く。なぜなら、こと治療において、彼女程信頼出来る人間もいないからだ。しかも美人。
しかし、そんなうきうきの俺とは対照的に、彼女の表情は絶望的なまでに曇天だった。
その霞色の肌が、一段と暗く、そして美しく曇る。
「そのようなあだ名で呼称されるのは不愉快ですと、再三告知しているはずですが? 私の名前はメアリー・フローレンス。そう、何度言わせる気なのです? しかしまあ、今はいいでしょう。その名で呼ぶことであなたが平常を取り戻すというのであれば、許可します。では、処置に移らせて頂く」
彼女はそういつも通り宣言し、俺の傷跡の止血を始めた。
「このきびきびしたお方は……?」
「マリー、俺の白衣の天使だ」
無垢な少女の質問に俺がそう答えると、マリーの表情が一段と険しくなり――
「しっ!」
包帯が信じられない強さできつく縛り付けられる。
「あがっ!」
思わず声がでた。
「白衣の天使……、なんだか親近感を覚えるお名前ですね!」
こんな有様の俺を見ても、彼女はなんとも思わないらしく、そんな風になんとものんきなことを口走っていた。
それを聞いたマリーの方から、ビキッと何かが割れるような音がしたのは気のせいだろうか。
「女が手に入らないからといって薬漬けにするのは感心しませんねぇ……、エドォ!」
「ごっ! ち、ちがうぜマリー、この嬢ちゃんは元々イカれてるんだ」
ははっ、気のせいじゃなかったらしい。マリーによる凄まじい憤怒と激痛が俺を襲う。
「失礼ですね! 私は純然たる正規品ですよー、もー、ぷんぷん!」
そんな激昴する自身の姿を見ても、相変わらずな少女を見遣り、マリーはやれやれというように額に手を当てた。
「はあ、仕方ありません。詳しいところは後で診察しましょう。とりあえず貴方は院へ搬送します。そこの貴方も付き添いをお願いしたい」
「私ですかー? もちろん! 出会ったばかりとはいえ、もはや只事ではない仲とも言えるエドさんが死んじゃったら困りますもんね!」
少女は自分を指差すとからからと笑い、承諾した。
「なんと……! 診察で済ませる予定でしたが、貴方には、精密検査をさせてもらいます。性病の疑いがたった今浮上しました」
しかし、そんな彼女の爆弾発言のせいであらぬ誤解を招いてしまった。
まったく、モテる男はつらいぜ。
「おいおい、俺はロリコンじゃねえぞ」
「貴方がパラフィリア患者でないのは知っています。ですが、私は貴方が多数のロージェスと関係を持っているという事実と、貴方が性依存症であるという事実を知っています。それも、重度の」
いつものことであるはといえ、ほんと酷い言われようだな……。
「はてさて、なんのことやら」
「……っ、以前に診察してから貴方は何人の女性と性行為に及びましたか?」
マリーがイラッとしたのを肌で敏感に感じ取りながらも、俺は指折り数え始める。
「あー……、んーー。ヤヨイ、ジャンヌ、エリー、ミューズ……」
指が一本一本たたまれていく度に、マリーのこめかみからブチッというような音が聞こえてきた気がするが、きっと気のせいだろう。
そして、もはや怒りを通り越してうんざり、といった様子のマリーは、彼女にしては珍しく、投げやりにこう吐き捨てる。
「……ああ、ええ。もういいです。分かりました。貴方の性生活が相も変わらず順風満帆であるということはよくよく理解しました。精々子宝に恵まれるといいですね」
「ヤリチンですか!?!」
「ええ、そのような形容も可能でしょうね。なにせこの男性は女と見れば誰彼構わず性交渉を行うような大変不健全な輩です。と、被害者である貴女に言ってももう遅かったですか」
「とゆーことは! お姉さんとエドさんも既にそういう間柄なのですね! ひゅーひゅー!」
「……」
あまりの発言に、マリーは二の句を次ぐことすらままならない。
なので、彼女に代わって、一応弁解しておく。
「いいや、それがなかなか答えてくれないんだな、マリーは」
「なるほどー。難攻不落というわけですか。いい女ですね! 向こう三年くらいは!」
「……。次にそのような精神的異常の兆候を著しく想起させる発言をした場合、貴女も強制執行の対象に含みかねない、ということを今のうちに警告させて頂きますね」
マリーの表情が、尋常じゃないくらい、険しい。
「なあ、あんまり彼女をささくれ立たせないでくれないか、お嬢ちゃん。そのせいで心なしかマリーが俺の患部を強く締め付けてるような気がするんだわ」
いや、マジでいつもの3割増しくらいで痛い。
「失礼ですね。私はその様な私情で治療行為の如何を左右させたりはしません」
「私とちがって機械的ですね!」
「……!!!」
「痛っ! おい! 絶対左右してるぞ! マリー!」
そんな俺の訴えには無視を決め込んで、マリーは俺の腹部から手を離した。
「……はい、これで取り敢えず応急処置は完了です。ところで、先程から気になっていたのですが、なんです? この膨らみは?」
「あっ、まてそれは」
俺がこっそり荷台からくすねておいた一袋が、ポケットの中からひょいとつまみ出されてしまう。
そう、ぶっちゃけると、さっき俺が成敗した下手人は麻薬密売組織の下っ端だったようなのだ。それが証拠にここにある大量の貨物、その全てが恐らくはクスリだ。
いや、しかしなあ……。こりゃやべえ、やらかしたな……。
俺は自分のミスを悟る。
なぜかはすぐにわかるだろう。
「ふむ、白い粉……。白い……粉?」
そして、とうとうその自身の取り上げた物体が何であるかに気づいてしまったマリーの表情が、みるみるうちに変わっていく。
「客観的にみて、麻薬のたぐいではないでしょうか、と私は思いますけど! ぶっちゃけケッシーとかコカコカとか? 実は死ぬまでに一度は吸ってみたか」
それに気付かずそんなことを口走ってしまった少女は、マリーに顎を人差し指でくいっと持ち上げられていた。
「その口、縫い合わせましょうか?」
「へ?」
少女は言い放たれた言葉の意味を掴みかね、ポカンとしてしまう。
そこにすかさず、過激で苛烈な思想がぶつけられる。
「そうすれば少なくとも経口摂取は不可となるでしょう。でなくとも、貴女が静脈注射をお望みならば、全身を貞操帯で覆いましょう。さすれば貴女は不健全が不可となる!」
「ひえええええええ。なんて前時代的発想! 私は思わず体内時計を確認します!」
「殲滅! 殲滅! 殲滅! このような破滅的劇物など、なんの価値も使い道も存在しない。ただの細菌に同じ。よって私が滅却する! この木箱も、あの木箱もそうですか? そうでしょう。そうなんですね? 悪魔的芳香が鼻腔を犯して止みません。なんと不快で、なんと不潔で、なんと不摂生なことでしょう! 不衛生極まりない! 全く、これだから貴方達は愚かしいというのです。故に私が掬い上げる――――処置を開始します」
目を血走らせたマリーは、あたりの木箱を手当たり次第破壊し始めた。
その様に狂気を覚えぬものなどいないであろう。それほどまでの執念と鬼気迫るものが、今の彼女にはあった。
そんな狂った様子の彼女を初めて見た少女は、当然困惑している。
「なーーー。どどどど、どうしちゃったたんですか、メアリーさんは!?」
「あー、あれだ。マリーは病的に病を嫌っている。そういうことだ」
マリーは時々こんな感じでおかしくなる。まあ、彼女も一見まともに見えるが、結局のところ立派なアルマの住人だっつーことだ。
「ふむふむ、なるほど! 異教徒をめっぽう迫害して悦に浸るのが趣味の敬虔な宗教家みたいなかんじですか? すてきですー! 異端審問官的使命感に燃えているわけですね! めらめらと。あの魔女を火刑に処す断罪の猛火がごとくに。それもまた愛です!」
理解が早いな。
それにしてもいやー、まじでこの娘とアクサエル教徒を引き合わせたい。
「はっ、面白えたとえだな」
なんて現実逃避して笑っていると、事態はより洒落にならんことになっていた。
「そんなことよりー、あれ、大丈夫なんですか?」
少女に言われ、見てみると、丁度マリーが自分が型落ちであるということを証明しているところだった。
突然だが、巷で型落ちと呼ばれている、欠陥品たちの話を聞いたことがあるだろうか。
簡単に言えば、型落ちとは生まれ変わりに失敗した人間、それも特に亜人種ではない純種、即ち俺達プルームのことを指す。
型落ちと言われる、ろくでもない俺達のような生まれ損ない共は、大抵前世のものと思われる奇っ怪な記憶を宿したままに生まれてくる。そして、それぞれがそれにまつわるこれまた奇っ怪な能力、カルマを有している、
マリーのカルマは、火に由来するものが多い。それはおそらく、彼女の胸の内に轟々と滾り続ける、消えることなき烈火の如き使命だ。
そらご覧。目前に燦然と煌く灼熱と、浄化の証かのような硝煙が、目に沁みるだろう?
「望まれること無き紅十字」
そう声高に叫ぶ彼女の周囲に、続々と十字状に火柱が炸裂する。それはまるで火山の噴火のような激しさで、あたりを溶かしていく。辺り一面を、赤く染めていく。三式荷車の荷台は、見る間もなく朽ち果てた。
「あっはっは。もちろんダメだ。お互い生きて帰れるといいな」
俺は、マリーの滾る様な熱を感じて恍惚としながら、少女に対しそう答える。
しかし――
「なんと投げやりな! 男なら私という美少女一人、守ってやると言うのが甲斐性では!?! それとも、今までを鑑みるに、この世紀は女権社会だったりなのです!?」
ほう、そう言われては俺としても動かざるを得まい。
このままマリーの炎と溶け合うのも悪くなかったが、少女を窮地から救うというのもたまにはいいだろう。
「言うじゃねえか、嬢ちゃん。だが、だとすりゃあ、怪我人を働かせるんだ。そっちも女としての覚悟は出来てるってことでいいのか?」
「もちろんですとも。超美少女型生命体である私は常に美少女足り得ますからね!」
その答えに気を良くした俺は、今日の昼の予定を取り付けるべく、口を開く。
「いいねえ。だったら、別にお代なんて取る気はないが、昼飯くらいはご一緒願おうか」
そして、俺はそう言いながら、自身の得体も知れぬ能力、つまりはカルマを、再び発動させるのだった。
「DI、アフェクト――」
そうして俺達は、轟々と燃え盛る一面の赤に包まれた。
「すみませんでした。医療者たる私が貴方に新たな傷を刻むだなど。紛う事無きこちら側の過失です。面目もありません」
ここらじゃ珍しい白を基調とした清潔感の溢れる室内で、彼女はそう言って目を伏せる。銃痕だけでなく火傷まで負った俺は、袖の煤けた赤い衣に身を纏うマリーに連れられ、彼女が奉仕している病院の、これまた真っ白なベッドで寝かされていた。
まあ、ぶっちゃけ、マリーに看病して欲しくてわざと軽めの火傷をしたわけだが。
それは黙っておく。言っても誰も幸せにはならんからな。まあ、それを告げた時のマリーの反応が見たくないと言えば嘘になるが、それはまた今度の楽しみにとっておこうじゃないか。
そうして、申し訳なさそうな顔で俺の患部を冷やすマリーの姿に愉悦を覚えながら、彼女の治療を受ける。それ位には、俺はクズなのだ。人生が楽しい。
なにより、マリーによってつけられた傷を、その傷をつけた当の本人であるマリー自らが治療するというこの倒錯! ゾクゾクするだろ? たまらねえよ、なんて非生産的で、不合理で、不条理なんだ……!
しかもそういったものを誰よりも嫌う合理人間なマリーがそれをしているという興奮! ああ、もうイってしまいそうなくらいだ!
という、凡そ口外できないような内容を、砂糖であまーくコーティングして、彼女に伝える。
「いいや、こっちは想い人に傷つけられ、それをその本人に手当されてるんだ。むしろ最高の気分だぜ? そんな顔しないでくれよ。まあ、そういう顔もかわいいんだが」
「いいえ、だとしても私は反省しなければなりません。病魔を根絶できていないのですから。貴方にはやはり、被虐性欲性障害の可能性があります」
Oh! 心配されてしまった。
「Mってことですか?」
横から入った金髪少女の合いの手を、マリーは軽くあしらう。
「? 貴方の診察もすぐ行いますので、大人しくしていてください」
「無茶言うなよ、騒ぎたいお年頃なんだろ」
「統計的に鑑みればそうでしょう。ですが、院内ではおしずかに」
「二人共、失礼じゃないですか? 私を子供扱いして! ぷんぷんなんですけど!」
暴れ出す少女。体の動きにあわせてその美しい金髪ツインテがきらきらと揺れる。ついでにアホ毛も。
子供というのは、得てして子供扱いされると不機嫌になるものだ。ちなみに、女は女扱いすると不機嫌になる奴もいれば、その逆もいる。ほとほと、難儀な生き物さね。男なんて、子供と同じで単純なのにな。
「幼年性という概念の肯定なしには医療は停滞しますので」
お固く答えるマリー。
ちなみに彼女は、自分を女として見られることをあまりよく思っていないらしい。事実、この間も、一人の男に尽くす気はないとフラれてしまったばかりだ。根っからの仕事人間なのである。
そんな彼女を、あの手この手で俺という麻薬で堕落させてやろうと目論むこの俺は、悪人なのだろうか?
いいや、そんなことはないね。むしろ、美に対し屈そうとしない、そういう者の方が悪じゃあないか? 美しいものに惹かれてこその生だろう?
そんな風に頭の中をこねくり回していたら、とんでもない言葉が聞こえてきた。
「だいたいですね、私はお二方よりも確実に、そりゃあもう太陽が東から昇って西に沈むくらい確固たる事実としてですね、断固として、年上なんですよ!」
「はっはは、本当に面白いな、嬢ちゃん」
思わず笑ってしまう。ツッコミどころが多過ぎるだろ。
「むー、なんで笑うんですかー、エドさん!」
むくっとふくれる少女。なんとも微笑ましいかわいさだ。
対して、むすっとこちらを睨むマリー。
「本当ですよ、何を笑っているんです? 全く笑い事じゃあありません。面白くもない」
「なんだ? 妬いてんのか?」
「やはり、貴方の頭部は一度解剖したほうがいいのではという気がしてきましたね……!」
そう言うと彼女は俺の頭頂部を片手でがしっと掴む。そして、もう片方の手の人差し指と親指でこちらの上下のまぶたを無理矢理にかっ開く。
そうして開かせたまぶたから覗く俺の眼球を、その真朱の瞳で睨みつけるのだった。
目と目が合ってるってのに、絶望的にロマンティックな感じがしねえな……。
その旨を伝えてみる。
「愛が重いぜ、マリー。だが、お前が望むなら……」
「っし!」
俺の言葉に対し、すかさず消毒液に浸された綿を患部へと叩きつけるマリー。
「がっ!」
思わず声が漏れた。
だが、そんなことは素知らぬ顔で、俺を無理くり黙らせた彼女は、少女に話の続きを促す。
「そんなことより、お話の続きをお聞きしても?」
「おおお、とうとう私に興味を持ってくれましたか! そうですよねそうですよね! こんな見目麗しい美少女の本邦初公開の年齢! 気になりますよね! 気になっちゃいますよね! ああ、でもあれですよ、初体験は? とか、どういうのが好き? とかそういうのはNGですよ! ええ、はい。美少女は美少女でもR18系のそれではないのですので!」
少女が嬉々として話しだしたので、早速茶々を入れさせてもらうことに。
「じゃあ、一ついいか? 身体はどこから洗う派だ?」
「貴方は黙って私の治療を受けなさい!」
「っごあ!」
再び俺はマリーから消毒液の洗礼を受けさせられてしまった。沁みるぜ……。
「いきなりのセクハラにびっくりしている私ですが……、ですが! ここからが肝心なのですよ! なんとですよ、エドさんが思わずそんなセクハラをしたくなるようなこのぴちぴちの美少女ことこの私は、なんと! なんと、実年齢にして恐らく五百歳、そして生まれてから数えるのであれば一万歳は固い、れっきとしたロリババアなのですよ! どうです、この溢れ出る老練さに恐れとおののきが止まらないでしょう?!」
なるほど、衝撃の事実が判明したな。こいつぁたまげた。
などと、マリーが言うわけもなく……
「なるほど。やはり貴女にも先天性パーソナリティ障害、いわゆる『型落ち』の疑いがあります。ですので、今日から当院に通院、あるいは入院することを求めます」
そんな通達が下される。
まあ、そんなことだろうとは思っていたが。
とはいえ、俺は彼女はそういうのとは少し違ったタイプであるのではないかと思っている。俺達のような、肥溜め染みた型落ちなどではなく、なにか別の未知なのではないかと。
「この娘も俺達と同じだってか? ほんとふざけた街だなあ、ここは。むしろ異常者こそが健常ってレベルだぜ」
「仕方ないでしょう。貴方の話を信じるのであれば彼女は高所から落ちてきたのに無傷であったというのですから。それに足がもう二本あったなどと」
まあ、少なくとも、まともではないのは確かだ。
「ああ、あれにはさすがの俺も驚いたぜ」
「私もです! というか、お話のところ悪いですが、私は風邪なんて引くようなやわな身体してないんですけど! 美少女は美少女でも、薄幸の~とかじゃなくて元気はつらつ系美少女なものですので!」
胸を張る少女だったが、揺れるのは綺麗な金のツインテールとアホ毛のみ。どう見ても頼りない胸は、まるで存在感を発揮していない。未来に期待しよう。
「患者とは得てして自身の病状を否定するものです。特にこのアルマという土地であれば尚更でしょう」
「それは自己紹介かい? マリー」
「医者の不養生などという皮肉は通じませんよ。異常には異常にならねば打ち勝てない。そういう結論に至っただけです」
時に、あんたは悪を倒すとしたら何になりたい? 末法? 義賊? ちなみに……、俺は悪党かな。さて、彼女が何になったのかについては、君たちのご想像にお任せしよう。
「なら異常者同士、どうだい、今夜食事でも?」
「私にそのような時間はありませんと、いつも申し上げているはずですが。まあ、半身不随にでもなったらいくらでも御一緒させていただきますよ。私はそれを望みませんが」
あっさり断られてしまう。
「俺の身体を心配してくれるなんて、やっぱりマリーは優しいな」
「少しでもそう思ってくださるのでしたら、定期的に私の病院に顔を出すのは止めていただきたい。私は貴方が傷をつけるためにその身体を治しているわけではないので」
そして、こんな俺の軽口にも真面目に付き合ってくれるマリーの優しさに浸る間もなく、彼女はやって来た。
「なにグダグダ言ってやがる、看護婦風情が。そんな原始的治療してねえで奇跡の力でぱぱっと直しやがれ。そいつには今すぐ働いてもらわねえとアタシが困るんだよ」
その横暴な物言いに加え、ぶわっと宙を掻くミルキークォーツの長髪から除く真紅の瞳と、真っ白なアルビノの肌。そしてこの右側でまとめられたアップサイドポニーのもっさり具合。役満だ。
つまり、この突然病室のドアを蹴破り入ってきた、激しく劣情を催させるような過激な服装と肉体の持ち主はもちろん、アンナ・アンジェリカその人である!
そして、そんなやりたい放題言いたい放題な女傑アンナに対し、マリーはすかさず苦虫を噛み潰したような顔でまくし立てる。
「また貴女ですか……。何度も言っているでしょう! 怪我が奇跡などという呪術紛いのもので単純に治癒されてしまったら、その人間はその怪我をなんとも思わなくなる。自分の身体を大切にしなくなるのです! 故に、彼には自分の付けた傷の重みを理解してもらう必要があるのだと」
「うるせえな、力があるくせにそれを使わねえのは怠慢だろうが!」
つかつかとマリーに歩み寄りガンを飛ばすアンナ。ほんとこの女は末恐ろしいな。
それに動じないマリーも、ある意味恐ろしい女であると言えよう。
そういう所も、好きだ。
「それとこれとは話が別です。何度言えばわかるのですか! 大体、今回も貴女のせいで彼が傷を負ったと聞き及んでいます。不必要に暴力を振るうのは止めなさいと、これまた再三警告していますよね? 統計的に、彼が傷を負うのは主に女性関係の拗れが原因ですが、その中でも貴女が原因である確率は群を抜いている。牢獄に幽閉されないのが甚だ不思議でしかない! 全くなんなのです貴女は! 並み居る病原菌よりよほど悪辣だ!」
「ああ? 知らねえよ。奴隷に何しようが主人の勝手だろうが! 御託はいいからとっとと直せっつてんだよアタシは」
「平行線ですね。貴女がなんと言おうと私は方針を変えませんよ」
「ちっ!」
一触即発の睨み合いをする両者だったが、その均衡は意外にもマリーによって破られた。
「……と。貴女怪我をしているじゃないですか! 処置します、じっとしていてください。なぜこのような傷を放置しておくのですか。まったく貴女達は……」
マリーは文句を垂れながらも、身につけていた医療器具を取り出し、彼女の腿の辺りの消毒を始める。
「ちょっと玉が掠っただけだっての。……っておいこら! 勝手に触んな! やめろ!」
「いいえ、そんなことはありません。傷口をそのような汚れた状態で放置するというのは感染症のリスクが格段に跳ね上がるだけでなく……」
突然のことに暴れ出すアンナだったが、マリーの執念に根負けしたようだ。
「あーわかったわかった。頭の痛くなるような話は止めろ。だが、金は払わねえぞ」
「構いません。我々は元々別の方面から資金を調達しておりますので」
「そーかよ。ちっ」
などと舌打ちをするアンナだったが、苛立っているように見えこそすれ、その顔つきはまんざらでもなさそうだった。
そうなのだ、この二人、不仲であるくせに相性はいいのだ。将来俺が二人をものにした時は上手くやってくれること必至である。俺の未来は明るい。
「エドさん、なんか今ひどいかおしてますよ……」
そんなことをささやく少女のげんなりとした顔も、ぶっちゃけなかなかになかなかのもとなっていたが、黙っておこう。
さて、そんなことより、あの我の強い二人がお互いに気を取られ合ってる間に、俺達は退散するとしようじゃないか。
というわけで、俺は少女に声をかける。
「今のうちに出るぞ」
「えっ、どういうことです?」
戸惑う少女に理由を告げる。
「この場を丸く収めるには俺がいなくなるのが一番って話さ。見ての通り彼女達は俺のことが大好きだからな」
「え、エドさんって頭に虫湧いてたりします?」
いやほんと無垢な顔でどぎついこと言うな、この娘は。言われ慣れてるから構わんが。
「よく言われるが、見たことはないな」
「もう出会って数時間にして、エドさんとは関わり合いにならない方がいいというオーラをびんびんに感じとる私なのでした……」
「連れないな、ランチの約束は嘘だったのか?」
「いえいえー、ご飯をくれるというのであれば喜んでお供しますともー! 私ってー、所謂チョロイン系美少女なのでー。あはっ!」
口の端に垂れたよだれを拭いながら、少女は元気にそう言った。
食べ盛りか? いいねえ。若い! 瑞々しい!
「それはよかった。なにか希望のメニューはあるかい?」
「今回の御飯は初めてなのでー、おまかせしますー。強いて言うなら、エドさんのー、おごりがいいなー、って感じですっ!」
「そりゃあもちろん」
「やったー。エドさんだーいすき!」
そう言って俺の腕をとる少女。ふぁさっと一房の金髪が俺の腕にかかる。
「ふっ、嬉しい限りだが、心にもないことは言うもんじゃないぜ?」
「あれ、バレちゃいました?」
えへへー、と頭を掻く少女。
「そりゃそうだろ。俺はこの道のプロだぜ? こんなこと誇るようなもんじゃないが、金で変える愛なんて何度買ったと思ってやがる。嘘はつかれ慣れてんのさ」
嘘でも愛が欲しい時がある。そうは思わないか?
いや、そもそも本当の愛なんてないのかもしれないが。
「素人童貞ですか!」
「? よくわからんが、多分違うぞ?」
「くう、我ながら前回の私、変な言葉覚えすぎ問題ですね……。むむむ」
額に手を当て唸る少女。あほっぽい顔つきの彼女がそれをしても、ギャグにしか見えないのが玉に瑕だな。……まあでもなんだ、かわいくていいんじゃないか?
「どうした?」
俺がそう尋ねると、少女は頭をぶんぶんと振り、笑顔をぱあっと咲かせて、こんな嬉しいことを言ってくれた。
「いえいえー。まあなにはともあれー、大好きって言ったのは嘘ですけど、エドさんのこともう結構好きですよってゆー話ですよ。おもしろいですし」
「そうかよ。照れるな」
「それこそー、嘘っぽくないですかーーー!????」
少女はそんな、ちょっと怒ったような甘い声を出す。頬を軽くふくらませて。
「ははは」
「ちょっとーー、ごまかさないでくださいよーー!」
そうして、真相は謎のままに、俺達二人は病院を後にした。
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