幽霊列車の夜

月這山中

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夏に憑かれた男

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 薄汚れた廃ビルがある。
 元はビジネスホテルだったのか。経営されなくなって久しいという風体で、入り口のシャッターには落書きがされている。そのビルから一人の男が出てくる。
 猛暑の日差しが照りつける昼の街道を、彼は歩く。全身黒い服装に身を包み、汗も流さず、整然とした歩調で進んで行く。坊主に近い頭髪で、左耳と額、唇には自傷行為の代替のようにピアスが刺さっている。その目は暗く淀み、冷ややかに世界を観察している。
 おもむろに立ち止まり、振り返る。
 彼はたしかに気配を感じたが、視線の先には陽炎に揺らぐ景色が広がるだけだった。



 夜。同じ廃ビルの一つの窓から、なにかが反射する光がある。
 彼は殺し屋だった。暗い室内でライフルを構えている。狙いは向かいにある高層ビルの入り口、黒い高級車が停まっている。標的は太った身体を引きずり出すように、車から降りた。その髪の薄い頭部がスコープの中心に捉えられる。
 既に安全装置は外してある。彼は、引き金に指を掛ける。
 どこからか電車の通り過ぎる音が響いてきた。
 いや、音は遠ざかることなく、近づいてくる。
 廃ビルの10階を揺るがすような轟音が鳴り響き、彼は陰に身を隠す。
 窓のすぐ傍を、轟音と共に列車が過ぎて行った。ビルの間をすり抜けて、夜空に次々と線路を作りながら列車が遠ざかっていく。
 彼は表情を硬くしたまま、その非現実を自分の持ちうる情報で処理しようと、睨んでいた。
 ――お前はどこへ行ってもなじめやしない。覚悟するんだな――
 殺し屋は頭を振った。慣れた様子でライフルをギターケースに納め非常階段を下りていく。
 夜の空気は身体に纏わりつき、温い水の中にいるようだ。
 列車の音が耳の奥に残っている。
 あの日、空に浮かぶ電車を見送った時から。引き金を引こうとすると、あの電車が走る。何故そうなのか、彼には分からない。幻覚を見るような精神安定剤は使っていない。そのはずだ。彼は自分の呼吸に耳を澄まし交感神経を静める。
 幾度か観察して気付いたが、列車の先頭には運転手の人影があった。
 駅員の制帽を目深に被り、この季節にもかかわらずコート姿にマフラーを巻いていた。
 その目は、機械の一部のように無機質な光を反射していた。
 列車が通り過ぎる。射線を遮らない日もあるが、あの音を聞くと意識が遠のき、気が付いた時には引き金を引くタイミングを逃している。一度や二度ではない。かろうじてリカバーして来たが、遅かれ早かれ重大なミスを犯すだろう。始末される側に入っても仕方ない。
 覚悟していたことだ。
 ビルにはまだテナントが入っていない。非常階段をゆっくりと降りていく。

 地上、非常階段の終端近くに自動販売機が置かれている。その前に影があった。
 この季節にもかかわらずコート姿でマフラーを巻き、駅員の制帽を目深に被り、背は見積もっても150センチくらいしかない。白色灯に照らされた顔は微動だにしない。鍔の縁から見えるのは機械のように無機質な目だった。
 コートで着膨れ、体格差はあったが、油断ならない剣呑さがにじみ出ている。
 男は不意に、コートのポケットへ入れていた手を出した。白い手袋をはめている。
 小銭を数えているらしい。
「お前は、何だ」
「……」
 殺し屋は声をかけた。男はわずかに顔をこちらへ向けたが、その手は変わらず小銭を数え続けている。
 静寂が流れる。
 男は手をポケットの中へ戻し、また自動販売機をにらみ始める。
 殺し屋は上着の内側から千円札を出した。
 この男は間違いなくあの時、空を走る電車に乗っていた。人ならざるものだ。
 公園にはダンボールやブルーシートがホームレスたちの居城を作っている。
 それから遠く離れたベンチにその男は座り、殺し屋はその正面5メートルほどの距離を保って止まった。
 男はペットボトルの栓を開ける。
「もう一度聞く。お前は何だ」
 殺し屋は質問を繰り返した。
 男はペットボトルの口に鼻を近づけ首を傾げたりしながら、自分で買った飲料をなかなか飲もうとしない。
 電灯が明滅している。集まった虫が白熱灯にぶつかり、バチバチと羽音が聞こえてくる。
「私としては答える前に、あなたがどういう方か知りたいですね」
「名は言えない。暗殺業をしている」
「へえ。まだそういうの居るんですね」
 男の応えはふざけているのかとしか思えないが、表情は伺えない。
 その曖昧とした気配に殺し屋は既視感を覚える。そう、人外の存在を間近にするのは、これが初めてではない。忘れようとしていた風景が脳裡に蘇ってくる。
「用件があるなら話してください」
「……お前が人間ではないことは分かる。そういう存在は、見たことがあるからな」
「へえ」
 制帽の男はそういうと、ボトルをあおり、盛大にむせた。



 彼が生まれたのは田畑と山ばかりの田舎街だった。
 自転車と電車を乗りつぎ遠く隣町の学校へ通い、娯楽らしい娯楽などなくとも充実していた。その頃は自分の人生は素晴らしく、父も周りの大人たちも善良であると信じ込んでいた。
 中学生の最初の夏、その頃から毎朝の日課があった。
 築堤の上を通る電車が、そこを降りる時。車道を横断する踏み切りへ向かって沈み込むあたり、いつも見える光景に気が付き、その時だけは参考書も閉じて窓から外を眺めることが決まっていた。
 農道の上、決まった場所、決まった時間に、白い帽子をかぶった長い髪の女性が水田を見ていた。なぜ田んぼを見ているのか理由は分からないが、それは強い日差しの中で一枚の絵画のように輝き、窓枠に収まるその一瞬を、毎朝毎朝、彼は目に焼き付けていた。
 彼女と彼女のいる風景を描いた絵を担任は評価し、コンクールへの応募を勧められた。彼は夏休みの間も彼女を見続けられることがうれしかった。
 彼の夢は父と同じ警官になることだった。男手ひとりで育ててくれた父への恩返しもあったが、なにより玩具の銃が好きだったからという幼稚な切欠だ。
 しかし熱意は大いにあった。その夢を加速させたのは、やはりあの女性だった。
 自分が村の駐在として、あの女性に話しかけることや、そこから始まる会話や、先の人生を、何度も何度も想像していた。これもやはり中学生らしい幼稚な夢想だった。
 部活の練習の後、コンクール用の絵を仕上げる前に、彼は彼女へ会いに行った。電車には乗らず、愛用の銀色の自転車をがむしゃらに漕いだ。
 そこへたどり着くまで、3度あぜ道を転がり、2度水田に膝をついた。水路で泥を落とし、前輪が歪んだ愛車を押して、白い陰へと近づいた。自分より年上だとは思っていた。彼女の背は中学生の自分よりも高い。すこし恥ずかしかったのは未熟な自分を意識したせいだろう。
 陰になった彼女の横顔は、陽炎のためにぼやけていたが、彼が想像しつづけた、どの相貌よりも端整で、そして儚げに見えた。
 彼はその顔を目に焼き付けて早くスケッチに書き込みたいと思っていた。
 その前に声をかけなければ。
 悲壮に歪んでいるのか、微笑んでいるのかも分からない。
 徐々に距離が縮まっていき、違和感を覚えた。
 彼女の存在は幻想的だった。向こうの風景が透けてみえるほどに。
 彼女との間の空気は揺らぎ続けている。一向に、彼女の顔がはっきりと映らない。
 滲んだ絵画のように。
 その白く乾いた唇がゆっくりと動く。



「憑いていますね」
 それまで黙って聞いていた男が口を開いた。
「憑いている? 霊がか」
「そう」
「彼女に憑かれているのか? それならどうして、俺の前に現れない」
 温い水の中に居るような空気に、窒息しそうになる。制帽の男の無機質な目は光を反射している。脱獄囚の姿を照らすライトのように。
「憑依っていうのは『感応』なんですよ。そこには距離も、死者や生者の違いも関係ありません。あなたの霊体が、その場に憑いているんですよ」
 殺し屋は柄にもない思い出話を、なぜこの男に聞かせることになったのか不思議だった。ただ、止めることはできなかった。銃の入ったケース、使い込んでネジが緩み始めていた持ち手が、カチカチと音を鳴らしていた。
「縛られていると言った方が分かりやすいでしょうか」



「ころされたかったのよ。しんでしまうくらいなら」
 彼女は何度か同じフレーズを繰り返し、気が付けばその姿は蜃気楼のように、湿気を含んだ、温い空気へと溶けてしまっていた。
「わたしは、よわいおんなです」
 毎朝乗る電車の乗客で、彼女が見えていたのは彼だけだったのかもしれない。
 彼は調べた。彼が生まれてすぐの年に、女性が一人自死していた。
 毎朝、彼の乗った電車が通る、あの踏切に飛び込んでいる。白い帽子の布地と髪の毛が車輪に絡み付いていたという。
 狭い村で身元はすぐに分かった。
 彼の姉であり叔母であり母でもある彼女は、閉塞された村の習慣に囚われ、死んでいった。彼を生んだ後、彼女は水田の生物たちを眺めてから、彼が毎日通るあの踏切で命を落とした。その原因を作ったのは、他ならぬ彼の家族だった。
 彼が親戚に問いただしても、顔を伏せるか、あるいは何に憤怒しているのかもわからないようで、それまで尊敬していた親類たちの化けの皮がはがれたようだった。彼はその後も、自分の正当性を主張した。だが、結局諦めて村を出るしかなかった。
「村に馴染めんようなら、どこへ行っても同じだ」
 実家の曾祖父に打ち明けた時、言い下された言葉だ。優しく偉大だった老師がその時は矮小に見えた。いや、そうだと思いたかったのかもしれない。
「おめはどこへ行ってもなじめやしねえ。覚悟すんだな」
 しわがれた声は彼の耳に残響し続けた。その幻聴を何度も何度も繰り返し聞きながら、男は村を出た。



「元々、村の外から移って来た人だったらしい。父はあの人をたしかに愛していた」
 男はベンチに座ったまま動かない。ペットボトルは隣に置かれている。殺し屋が横へ回り込んでも顔は正面を見据えている。上着の中へ右手を入れる。
「だが、その関係はおぞましいものだった。村の常識に彼女はついに洗脳されなかった」
 上着の中、脇腹あたりに手を回す。悟られないようにゆっくりと安全ロックを外す。
「そして死んでしまった」
「彼女が望んでいたから殺し屋になったのですか?」
「そうかもな」
「おかしいですね。彼女が殺して欲しかったのは彼女自身のはずだ。村の外で無関係な人を殺す理由とするには、辻褄が合わない」
「あの人は、独りで死ぬべきではなかった。自分の命を絶つ前に復讐してから死ぬべきだった。あの人にその力は残っていなかった。だから俺が代わりにやっている」
「ついでにお金も稼げればいいやと」
 銃声。
 荒々しく分断されたペットボトルが跳ね飛ばされ、背もたれをバウンドし地面に転がった。
 中の液体が土へ染み込んでいく。
 彼が抜いたそれは古びたニューナンブだ。
 先には手製のサイレンサーが填めてあり、バレルの長さを二倍以上にしている。まともな静穏性は期待できないが、無いよりはマシだろう。
 グリップの底にはベルト部分が失われたチェーンがぶら下がっている。
「連れて行く場所が拘置所から、あの世へ変わっただけだ」

 村を出た彼は警察官になった。
 必死で勉強し、警察学校のしごきに耐え抜き、遠くの県の、小さな駐在所に配属された。
 ある日の交代の際、すり切れたコートを羽織った薄汚れた風体の男が駐在所の机の前に座っていた。上官はそのホームレスらしい男の聴取をしているようだった。
「じゃあ、探してみるから。もう行っていいよ」
 にこやかにそういうと、上官はホームレスを立たせ帰らせた。呂律の怪しい声はよく聞き取れなかった。白濁した目は彼を一瞥すると、礼をして、ふらふらとした足取りで夜道を去った。
「悪さするガキが居るから、どうにかしてくれってことだよ」
「取り締まりですか」
「まあな。夜中に歩いてるだけならともかく、器物損壊や暴行をしてるっていうから。一応見にいくけど」
 上官ののらくらした態度が、彼は気に入らなかった。肩肘張るだけでは駐在は務まらないと何度か言われ、一理あるとは思っていたが、世の中をより良くする気概を失ってしまいたくはなかった。

 封筒が上官の手を滑り落ちた。彼は足で押さえつける。紙束のずれる感触があった。
「この封筒はなんですか。答えてください」
「お、おお、お前、非常事態以外では抜くなと言われただろ、おろせ、馬鹿」
「今が非常事態だと判断しました」
 銃口を向けてはならない。引き金に指を掛けてはならない。ただ右手に構えたまま。彼の正義が許している。上官が動かぬように、左手は首を押さえつけていた。これも彼の正義が許している。彼の正義を守るために、必要な範疇だ。
「正確に上に報告しなければならない。私一人の憶測だけでは、まだこれが賄賂なのかわかりません。ホームレス狩りの少年ですね。封筒を渡したのは彼の父親だとわかっています。既に聞き出しています。答えてください」
 声は震えていた。自身に内在する、自らの生きる理由を殺さぬために、慎重に考えた結果がこれだった。こうする他になかった。
 顔をゆがませた上官は、不意に脱力したように、声を発する。
 恐怖に混ざったのは、呆れの感情だった。
「狂っている。お前、おかしいよ」



「ありがとうございます。飲みきれなかったんですよ」
 すぐ傍のペットボトルを撃ち抜かれたというのに、制帽の男は、やはりふざけているとしか思えない調子で続ける。男の目は帽子の鍔に隠されている。その光はどこへも向けられていないが、この公園にある全てを見通しているようでもあった。
「俺はあの日から何も変わっていない。何も矛盾していない。ただ分かっただけだ。村と外、父と彼女、何が正しいのかをずっと考えてきたが、無意味だった」
 喋りながら撃鉄を起こす。次の弾を撃つ準備が整う。
「俺は、狂った世界をなんの疑問も持たずに生きていた。あの村も、ここも、世界は人殺しばかりだ。のうのうと当然のように生きていた。そんな自分が、なによりも許せなかったんだ」
 制帽の男が、ようやく動いた。

 瞬間。殺し屋の拳銃は弾き飛ばされた。
 男がコートの下から居合いで抜き放ったのは、柄糸がぼろぼろに崩れた軍刀だった。
「人の意見を聞く前に話を進めないでください」
 握っていた拳銃は刃筋に綺麗に分断されたのではなく、全体がひしゃげて分解された。研がれていない刀は、それでもなお折れる気配がない。パーツが舞う。興奮物質で満たされた脳神経は、その光景をスローモーションのように捉える。
 返す刀は峰打ちで、袖の暗器に手を掛けていた殺し屋の、手首の骨にいくつかひびを入れた。






「怨霊と言うのはね、生霊が一番やっかいなんですよ」

「大脳皮質と電気信号を失った幽霊に、まず複雑な思考回路というものはないんです。世界にこびり付いたカスみたいなものがね。ほとんどです」

「水や空気にこびり付いてるようなもんでもないです。水に話しかけても電流を流しても何も起こらないでしょう? まあ水は流れますけど、後で説明しますが……そんなものより明確に残るメモリーカードがあるんですよ」

「それが何かといえば、人間自身のことで」

「なんの事前知識もなしに、心霊スポットに行って怖い目にあったという人でも、実は必ず、どこかしらで情報を仕入れてるんです。思い出せなくても意識には刷り込まれている。そこに何かが残っていると、ね。顔も知らなかった生き別れの兄弟の霊と会ったというのもありますが、やはり人から人へ伝言ゲームで伝わって来た結果です。多少の誤差は後からいくらでも、つじつま合わせられますし」

「じゃあ誰も見ていない場所に霊は出ないのかと言えば、そうでもない。
 想像するだけでいんですよ。その場に居なくても枯れた柳の下に立っているとか、死体を埋めた場所からふわりと出てくるその光景を思うだけでいい。水に乗って流れ着いたり、自身の体内に入る想像をする、あるいはそうであって欲しくないと強く恐れるから、霊は流れてくる」

「いや、テレパシーなんて大層な物じゃないですよ。心で思おうが表現がなければ漏れ出ません。流し見た新聞の片隅や遠くから聞こえる噂話、親しい人の少し余所余所しい態度だとかの違和感です。認識していないようで、意外に脳には蓄えられているんですよ。生きた者の感情と情報が、霊に形を与えるのです」

「呼び出されたに過ぎない霊になにを感応させるかは、観測する生きた人側です」

「あなたが見たっていう、あなたのお母さんですが。それも家族や集落の人々が発していた信号から、あなた自身が読み解いて呼び出したものなのでしょう。直接、言葉としては言われなかったか、あるいは覚えていられなかっただけで、あなたは生まれた時からずっと教えられてきたのだと思います。人々の後悔の念をね」

「罪悪感がまるでなかったとは思いませんよ。大切な女手を失くしたとあれば、すでに改善策は打ってあったと思います」

「なんのことはない、既に気づいておられると思います。
 あなたは土地の罪を勝手に掘り返して、勝手に嫌な気分になって、勝手に怨念を撒いているだけなのだと」

「関係がないと断ち切るならまだしも、それを引き摺ったまま暴れているんですから、見ているだけで痛ましい」

「本当に抗うということは、その土地であなたの思う真っ当な生き方をし、外界と村と、あなた自身とのギャップを埋めることだったのではないんですか? 今のあなたは村を呪い、世界を呪い、呪詛を振りまく生霊の状態です。それでは、いくら抗っても聞き入れられない。退治される側になってしまう」

「一番の大罪は、罪を許せず、怨恨を連鎖させる。そのこと、そのものです」

 刀は納められた。


 殺し屋は片膝を抱えて地面にうずくまっていた。意識はあるようだが、一歩も動けないようだ。ニューナンブは破壊され、ナイフは弾き飛ばされた。鬨の声すらなく、ただ金属が打ち合わされ骨が折れる音だけが響いていた。
 静かな激戦の末に相手を無力化し、制帽の男は変わらず無機質な目で見ていた。
 意思を支えていた拳銃は、粉々に砕け散った。
 地面に置かれたギターケースの中にはライフルが残っているが、彼にそれを手に取る気力は残っていないだろう。
 放心した顔つきで、彼はようやく口を開いた。
「蔑まれて当然だ。そんなことはわかっている」
「蔑んだつもりは、……痛ましい、痛々しい、えーと……。『傷を自らのことのように感じられて痛い』という意味で使ったんですけど。最近は違ったんでしたっけ」
 男は自分の左肩をさすっていた。コートの布地にいくつかの銃痕が開いていたが、血は出ていない。
「申し訳ありません。痛いものは痛いので」
 殺し屋の耳に残響が戻ってきた。老人の声。
「……呪いですね。血筋を絶やしてはならない、村から出てはならないと教えこむための言葉の呪いです。そうしないと滅んでしまいますから。まあ、今は隣村と統合されてしまいましたが」
 曽祖父の声は、自分だけに聞こえている幻聴だと殺し屋は思っていたが、何故か男には聞こえているようだった。
「何故かって」
 視線が向かう先は無人の茂みだ。男にしか見えない何者かが佇んで居るのだろう。
「えーっと」
 男は、頭を抱えた。
 しゃがんで殺し屋の表情を覗く。
 駄々を捏ねる子供をどうしたものかと説得する父親のようだ。
「風習の是非はともかく、村を出たからもう囚われなくていいんでしょう? 外の世界で新たな人生を堪能すればいいじゃないですか」
「遅すぎる」
「ちょっと休んだほうがいいですよ」
 言葉に嘲笑の色は無く、無表情だった。
「俺は、どうしたらいい」
「………」
「やはり、自分で命を絶つしかないのか。彼女のように」
「ここでは、やめたほうがいいですね。迷惑がかかるので」
 辺りを見渡すと、ビニールシートの住居にいくつか灯りがともっている。銃声に怯えているのか。あるいは安眠を妨げる侵入者への警告だろうか。
 男は制帽の向きを整え、どこからか真鍮のハンドベルを取り出した。二度、三度、清んだ音が鳴り、電車の走る音が近付いてくる。
 空中に線路を引きながら古い一両の路面電車が到着する。車内灯の光が夜の公園を照らす。
 殺し屋にはそれが、村に居た頃に乗っていた車両と同じものに見えた。
「乗るなら止めません。多分、ご自分でやるバイオレンスな方法よりは穏やかに逝けます」
 男は運転席へ上がり、彼を見下ろして言った。
「しかし体が残っているわけですから、彼女の苦悩を背負ったまま、もう少し路線を変えて生きてみるというのなら、それもいいでしょう」
「いや、俺はもう、何人も……」
「『死』は罰ではなく、帰り便のない終着駅です」
 殺し屋はもう、なにも言えなかった。
 肩に手の感触。殺し屋は振り返る。いつの間にか遠巻きに見ていたホームレス達が近付いて来ていた。
 手を置いた老人の眼は白く濁っていたが、涙を浮かべて緩く笑っていた。
 遠巻きに会話を聴いていたのだろうか。
 男は襟を正して車掌室の窓から車両の前後を指差し確認している。ホームレスの何人かがふらふらと乗り込んでしまっているが、止めないのだろうか。
「あんた、名前を聞いても良いか」
「名は名乗れません。ただの運び屋です」
 皮肉な応えに殺し屋は薄く笑った。そして何十年か振りに笑っている自分に気付いた。
 楽な生き方は出来ないだろう。背負った業に追いつかれ、倒れる日が来るだろう。
 その時には、もう一度「あの人」に会えるのかもしれないと、ただ、淡い期待を抱きながら、空を走る車窓の光を見届けていた。

 了
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