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第3話 編集者との闘い!
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週末、得名井はノートパソコンに向かって固まっていた。
作家としての権利全てを金出甲斐潔子に売り渡してからひと月が経とうとしている。
金出甲斐家の屋敷が高校から自転車で通える距離だったのが幸いだ。おかげで出席日数は足りそうである。ヘリで送迎されることも提案されたがこれ以上目立つのは御免被る。
相手は小説を読んだことがない上にスーパーポジティブなお嬢様だ。「あ」の続編なら「い」で良いんじゃないか。そんな落語のような悪知恵が思い浮かんで、ようかんに手を付けようとしたその時だった。
警報が鳴った。出入り口と坪庭につけられた赤いランプが回る。
『侵入者発見! 侵入者発見!』
合成音声が繰り返し叫ぶ。
「なんですの!? この金出甲斐の堅牢なセキュリティを突破する者がいるなんて、じいや!」
「こちらも状況がわかりかねます。ガードマンとの通信も途切れておりまして」
得名井には心当たりがあった。
「編集者だ……」
障子戸が開かれる。
坪庭の鉄格子が破壊されていた。ガードマンたちが倒れている。
庭の中心に、得名井の編集者が立っていた。
見事なプロポーションをブラックスーツで包んだ女性は綺麗な90度のお辞儀をする。
「はじめまして金出甲斐様、自分は玄黄《げんこう》つめると申します」
銀フレームの眼鏡を指の第二関節で上げて、つめるはビジネスバッグから書類を取り出す。
「本日は、得名井が結んだ契約を破棄させるため伺いました」
「契約を破棄ですって!?」
潔子が書類を奪い取る。
それには得名井が新人賞を受賞した加戸河出版社長の印が捺されていた。
「著作者人格権を売り渡すなど法治国家において言語道断。抵抗する場合、加戸河出版はしかるべき手続きを踏んで金出甲斐家を相手に訴訟を起こすつもりです」
「得名井との契約は合意の上ですわ!」
「合意しようとも人格権は売り買いできるようなものではありません」
まったくの正論である。
「得名井太郎さん」
つめるが、アンドロイドのような無駄のない動きで顔を向けた。
得名井は部屋から逃げ出そうとしていた。
「弊社との契約になにか不満がございましたか」
「ありませんありませんありません」
「では、今後とも弊社で書いていただけますね?」
潔子は真剣な表情で、つめるに詰め寄った。
「待ちなさい。得名井は十か月もの間、作品が書けなかったのですよ。あなたの下ではね」
「ほう、自分のマネジメント能力に問題があるとでも」
「大ありですわ! 見なさいこの怯えた表情を!」
潔子が得名井の両頬を掴む。
「わかりました。では勝負しましょう」
「えっ?」
得名井が声を発する。
「望むところですわ!」
「えっ?」
もう一度声を発する。
「只今から一時間ずつ、自分と潔子様が得名井太郎さんをマネジメントして、どちらの作品がより仕上がっているかを社長とじいや様に判定してもらいます」
得名井の意思を置き去りのまま勝負方法が決まった。
「それでは得名井太郎さん。よろしくお願いします」
得名井の隣につめるが座っている。
「近くて書きづらいんだけど」
「先ほど潔子様に言われたからではありませんが、少し放任しすぎていたという思いはあります。催促の電話も日に10回程度で」
「そんなに鳴らしてたんだ……」
バイト漬けだったので、着信履歴に毎日つめるの名前が並んでいることしか知らなかった。怖くてかけ直せなかったが。
「ノートパソコンは封印しましょう。書き直しが容易すぎる」
座卓からパソコンが取り上げられる。
「アナログに環境を変えれば好転するかも知れません」
「いやでも、悪筆だから」
「書きましょう」
「マ゚」
右手を強引に引かれ万年筆を握らされる。腕を引き千切られたかと思った。
「見ていますからね」
それから一時間後、つめるマネジメントの原稿が仕上がった。
「得名井! 頑張ってくださいまし!」
座卓の向こう側に潔子が座っている。
「さっきよりは緊張しないかも」
「よかったですわ!」
「ちょっと待ってね、資料を……」
得名井はKindle端末を取り出し、読みかけのドストエフスキーが目に入った。
そのまま三時間コースに入りそうになった瞬間だった。
「頑張ってくださいまし!」
得名井が顔を上げると、潤んだ眼で、潔子が見つめていた。
いたたまれなくなって飛び出しそうになったが、ぐっとこらえる。
「書き上げたら、追加ボーナスを差し上げますわよ!」
追撃。札束で頬を叩かれた。
罪悪感と欲望が得名井を突き動かす。
「ウウォー……書け……書くんだ……!」
「頑張ってくださいまし!」
それから一時間後、潔子マネジメントの原稿が仕上がった。
つめると潔子が書かせた原稿。二つはどちらがどちらのマネジメントか明かされることなく、社長とじいやの元に届けられた。
「私はこちらを、作品から潔子様の愛情が伝わってきます」
じいやは即断だ。そしてたしかにそれは潔子のマネジメント原稿だった。
「社長、いかがでしょうか」
スマホ越しにつめるが訊ねる。加戸河社長は迷っているようだ。
『いや~、わからないね。結局同じ得名井くんが書いたわけだしね』
人当たりのいい口調で社長は言う。
「差がほとんど無いのであれば、得名井太郎さんの人格権を尊重した弊社のほうがより条件の良い契約かと思われます」
「結果はまだ出ていませんわ!」
つめるの言葉に潔子が吠える。
『そうそう、わからないからね。何が作家にとっていい環境なのかなんて』
「………」
『得名井くんは、少なくともどっちの原稿も、潔子お嬢様のためを思って書いたんじゃないかな』
二人が首をかしげる。
「どちらも……」
「ですの……?」
スマホから優しい声が聴こえる。
『潔子様の原稿は勿論だが、つめるくんの原稿をおろそかにしては、潔子様が自分にいい影響を与えたなんて言えないからね』
二人は沈黙する。
潔子は潤ませた目元にハンカチを当て、つめるは眼鏡を上げた。
『ん~~~~、というか、ぶっちゃけ、さっき振り込まれてて』
「社長? なにがですか?」
『………』
「社長?」
無言が続く。
『我が社はね、金出甲斐潔子さんと契約します』
加戸河社長は言い放った。
潔子は決めポーズを取った。
「わたくしの、いいえ、金の勝利ですわ!」
つづく
(※この作品は実在する企業とはなんら関係ありません)
作家としての権利全てを金出甲斐潔子に売り渡してからひと月が経とうとしている。
金出甲斐家の屋敷が高校から自転車で通える距離だったのが幸いだ。おかげで出席日数は足りそうである。ヘリで送迎されることも提案されたがこれ以上目立つのは御免被る。
相手は小説を読んだことがない上にスーパーポジティブなお嬢様だ。「あ」の続編なら「い」で良いんじゃないか。そんな落語のような悪知恵が思い浮かんで、ようかんに手を付けようとしたその時だった。
警報が鳴った。出入り口と坪庭につけられた赤いランプが回る。
『侵入者発見! 侵入者発見!』
合成音声が繰り返し叫ぶ。
「なんですの!? この金出甲斐の堅牢なセキュリティを突破する者がいるなんて、じいや!」
「こちらも状況がわかりかねます。ガードマンとの通信も途切れておりまして」
得名井には心当たりがあった。
「編集者だ……」
障子戸が開かれる。
坪庭の鉄格子が破壊されていた。ガードマンたちが倒れている。
庭の中心に、得名井の編集者が立っていた。
見事なプロポーションをブラックスーツで包んだ女性は綺麗な90度のお辞儀をする。
「はじめまして金出甲斐様、自分は玄黄《げんこう》つめると申します」
銀フレームの眼鏡を指の第二関節で上げて、つめるはビジネスバッグから書類を取り出す。
「本日は、得名井が結んだ契約を破棄させるため伺いました」
「契約を破棄ですって!?」
潔子が書類を奪い取る。
それには得名井が新人賞を受賞した加戸河出版社長の印が捺されていた。
「著作者人格権を売り渡すなど法治国家において言語道断。抵抗する場合、加戸河出版はしかるべき手続きを踏んで金出甲斐家を相手に訴訟を起こすつもりです」
「得名井との契約は合意の上ですわ!」
「合意しようとも人格権は売り買いできるようなものではありません」
まったくの正論である。
「得名井太郎さん」
つめるが、アンドロイドのような無駄のない動きで顔を向けた。
得名井は部屋から逃げ出そうとしていた。
「弊社との契約になにか不満がございましたか」
「ありませんありませんありません」
「では、今後とも弊社で書いていただけますね?」
潔子は真剣な表情で、つめるに詰め寄った。
「待ちなさい。得名井は十か月もの間、作品が書けなかったのですよ。あなたの下ではね」
「ほう、自分のマネジメント能力に問題があるとでも」
「大ありですわ! 見なさいこの怯えた表情を!」
潔子が得名井の両頬を掴む。
「わかりました。では勝負しましょう」
「えっ?」
得名井が声を発する。
「望むところですわ!」
「えっ?」
もう一度声を発する。
「只今から一時間ずつ、自分と潔子様が得名井太郎さんをマネジメントして、どちらの作品がより仕上がっているかを社長とじいや様に判定してもらいます」
得名井の意思を置き去りのまま勝負方法が決まった。
「それでは得名井太郎さん。よろしくお願いします」
得名井の隣につめるが座っている。
「近くて書きづらいんだけど」
「先ほど潔子様に言われたからではありませんが、少し放任しすぎていたという思いはあります。催促の電話も日に10回程度で」
「そんなに鳴らしてたんだ……」
バイト漬けだったので、着信履歴に毎日つめるの名前が並んでいることしか知らなかった。怖くてかけ直せなかったが。
「ノートパソコンは封印しましょう。書き直しが容易すぎる」
座卓からパソコンが取り上げられる。
「アナログに環境を変えれば好転するかも知れません」
「いやでも、悪筆だから」
「書きましょう」
「マ゚」
右手を強引に引かれ万年筆を握らされる。腕を引き千切られたかと思った。
「見ていますからね」
それから一時間後、つめるマネジメントの原稿が仕上がった。
「得名井! 頑張ってくださいまし!」
座卓の向こう側に潔子が座っている。
「さっきよりは緊張しないかも」
「よかったですわ!」
「ちょっと待ってね、資料を……」
得名井はKindle端末を取り出し、読みかけのドストエフスキーが目に入った。
そのまま三時間コースに入りそうになった瞬間だった。
「頑張ってくださいまし!」
得名井が顔を上げると、潤んだ眼で、潔子が見つめていた。
いたたまれなくなって飛び出しそうになったが、ぐっとこらえる。
「書き上げたら、追加ボーナスを差し上げますわよ!」
追撃。札束で頬を叩かれた。
罪悪感と欲望が得名井を突き動かす。
「ウウォー……書け……書くんだ……!」
「頑張ってくださいまし!」
それから一時間後、潔子マネジメントの原稿が仕上がった。
つめると潔子が書かせた原稿。二つはどちらがどちらのマネジメントか明かされることなく、社長とじいやの元に届けられた。
「私はこちらを、作品から潔子様の愛情が伝わってきます」
じいやは即断だ。そしてたしかにそれは潔子のマネジメント原稿だった。
「社長、いかがでしょうか」
スマホ越しにつめるが訊ねる。加戸河社長は迷っているようだ。
『いや~、わからないね。結局同じ得名井くんが書いたわけだしね』
人当たりのいい口調で社長は言う。
「差がほとんど無いのであれば、得名井太郎さんの人格権を尊重した弊社のほうがより条件の良い契約かと思われます」
「結果はまだ出ていませんわ!」
つめるの言葉に潔子が吠える。
『そうそう、わからないからね。何が作家にとっていい環境なのかなんて』
「………」
『得名井くんは、少なくともどっちの原稿も、潔子お嬢様のためを思って書いたんじゃないかな』
二人が首をかしげる。
「どちらも……」
「ですの……?」
スマホから優しい声が聴こえる。
『潔子様の原稿は勿論だが、つめるくんの原稿をおろそかにしては、潔子様が自分にいい影響を与えたなんて言えないからね』
二人は沈黙する。
潔子は潤ませた目元にハンカチを当て、つめるは眼鏡を上げた。
『ん~~~~、というか、ぶっちゃけ、さっき振り込まれてて』
「社長? なにがですか?」
『………』
「社長?」
無言が続く。
『我が社はね、金出甲斐潔子さんと契約します』
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