老剣士の三百歩〜余命一年から始める冒険者稼業〜

けんぽう。

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第9話 残寿+一日の夜

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ルカが駆け寄り、息をのみつつ問う。
「何が起こったんですか?」
バルガスは驚きに口角を引きつらせた。
「ダイスは——武器が身体のデカさだけじゃない。目の良さとフットワークだったのか!」

クレインが歩み寄り、木剣の先で砂をちょいと突いた。
「そうじゃ。相手の攻撃の“見切り”は上等じゃが、大剣では重くて捌ききれん。足も良いが、大剣では邪魔になる。——だから短い刃と“ため足”じゃ」

老剣士はそこでふと、カムルへ視線を遣る。
「しかし、カムルの最後のあの手首の返し……ヴァルドナ流、じゃな?」
「はい」バルガスが胸を張る。「この訓練場ではヴァルドナ流を教えております、師匠」
「えぇ!?」ルカが素っ頓狂な声を上げ、
「なんと!?」クレインも負けじと素っ頓狂に被せる。

バルガスはきわめて真面目に続けた。
「師匠、二十年前に“ヴァルドナ流 師範免許皆伝”を受け取りに伺いましたので。僭越ながら、普及を」
「免許皆伝……あぁそうじゃった!すっかり忘れとったわ!」
ルカが目で「じいちゃん……」と書く。クレインは咳払いを一つ、プライドの取っ手を握り直した。
「ま、まぁ——しかし、開祖じきじきの公開講義。バルガス、勉強になったであろう」
「な、なるほど師匠!」
バルガスは即座に空へ向かって声を放つ。
「皆! 聞いたか! これがヴァルドナ流開祖——クレイン・ヴァルドナ様だ!!」

号令めいた賛辞に、冒険者たちは顔を見合わせた。ひそひそ声が砂の上を這う。
「……本当に“抜き打ち”か?」
「てっきり徘徊老人がきたのかと……」

視線は一斉に壁の札へ流れる。《ヴァルドナ流 初級カリキュラム》帳場横の《今月の模範:ヴァルドナ流・初級指導員カムル》には本日付の花丸。そこには、もちろん公開講義の札はない。

「皆、聞いたか! 開祖じきじきの“抜き打ち”公開講義だ!」とバルガスはさらに声を張る。——裏返った。
しかしバルガスの必死のフォローはフォローするほど胡散臭く、空気に困惑が漂う。

当のクレインは真顔で腕を組み、満足げにうんうん頷き「うっうむ、そうじゃ」と呟いた。
鈴がちりん、と気まずい一拍を鳴らし、困惑がただただ場へ沈んだ。

——ヴァルドナ流、すでに王都で広まっていた。
老剣士はその光景をひと巡りして、何事もなかった顔で腕を組む。真剣であればあるほど、可笑しみがひと匙増す。場には拍子抜けの笑いが、小石のようにコロコロ転がった。

***

木戸がきしみ、低いざわめきが一瞬だけ細く途切れた。樽から泡の音。二人が腰をおろす。グラスがことり——一拍。

「ワシの剣が、まさか王都に広がっておるとはな」
クレインは泡の縁を眺め、鼻で笑った。
「田舎で途絶えるもんと思うとったが」

「ヴァルドナ流は、私がしっかり引き継ぎますよ、師匠」
バルガスは真っ直ぐに言い、琥珀色を一口。喉が短く鳴る。

「うむ」
クレインは頷き、グラスを軽く回した。灯りが底で揺れ、円を描く。
「儂が逝っても、この剣を頼む」

バルガスは一拍だけ目を伏せ、言葉を選んだ。
「……師匠。その病のこと、そろそろルカくんに伝えませんか」

「そうじゃのう」
老剣士は口角をわずかに上げる。
「ヴァルドナ流が王都一になったら、考えんでもないのう」

「それは……」バルガスは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「ヴァルドナ流で試合に出ると、ほとんど反則負けでして」

「かっかっか。実戦的すぎるからの」
クレインは指で卓をとん、と二度だけ叩く。
「足払い、目潰し、蹴り込み、下半身への攻撃、牛の歩み——どれも競技じゃ赤札じゃ」

バルガスの声は低いが、揺らがない。
「けれど全部、“生きて帰る”ための理合いです」

「そうじゃのう……それとな」
クレインはグラスの輪を見つめたまま、少しだけ声を落とした。
「ほんとうはの、継承者はルカにするつもりじゃった。あやつ、拍が“見える”。初めて木剣を握らせた日に、足音で間合いを数えおったわ」

「やはり、天稟……」
「うむ。だが、剣で背を押しすぎると、剣を嫌いになる。剣は握るものであって、人を縛る縄ではない。あやつが選んだのは数式と魔法陣じゃ。ならばワシは、ただ“生きて見せる”。剣が誰かを守る場面を、いくつか置いてやればよい。道を選ぶのは、あやつ自身よ」

バルガスは静かに頷く。
「では、ヴァルドナ流は——」
「お主が担げ。形は誰にでも渡せる。芯は、見て盗む者にしか残らん。……いつかルカが“自分の足”で取りに来たら、そのとき渡す。遺言の押し付けにはしたくないんじゃ」

二人の間に、泡がはぜる音だけが落ちた。

「もう、ワシが大声を上げずともヴァルドナ流は進み出しとる。……これほど幸せなことはない」
クレインは短く息を吐き、グラスを掲げた。

壁越しに、他の客の笑いが泡のはぜる音に混じる。二人の笑いもそこへ重なった。
外では石畳を夜風が撫で、木戸はまた小さくきしむ。
真面目に語れば語るほど、どこか可笑しい二人の声は、灯の下で静かに往復し、夜はゆっくり深まっていった。


「——残寿:9ヶ月+1日(当社比)
 ※体感ベースの加点です。
医者は首を振るだろう。だが今日の胸の火は「もう一日」と言った。
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