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第22話 名は遅れて追いつき、拍は先に
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「……届かんかったか」
老剣士の呟きに、ルカは息の隙間で返す。
「これでいい。殺すんじゃなくて、撃退が目的でしょ」
その時だ。足裏から、鈍い鼓動が大地越しに伝わってくる。ひとつ、ふたつ——数える間に広がる地鳴り。斜面上部の雪が亀裂を走らせ、白い板がゆっくりと、しかし抗いがたく滑り出す。
「——雪崩!」
ルカはクレインの脇に腕を差し込み、半ば担ぎ上げる。近くの大岩の陰へ二人で身を押し込み、息を殺す。白がすべてを呑んでいく。炎の残り香ごと、白狼王の大きな影も流されていくのが一瞬見えた。
轟音が遠ざかり、世界がまた音を取り戻す。雪煙の向こうで、谷風が細く鳴いた。
「ルカ……さすが、ワシの孫じゃ……」
クレインはそこで力を抜いた。首がかくりと落ち、意識の灯が静かに沈む。
「じいちゃん!じいちゃん!!」
返事はない。ルカは祖父の肩を揺すり、額に手を当て、胸の上下を確かめる。拍はある。薄い、けれど確かな拍が——まだ、ある。
雪の匂いが強くなる。ルカは一度だけ振り返り、下りの道を見た。下れば命は安全だ。だが次の登山は雪解けまで待たねばならない。クレインが慰霊碑に辿り着く日は、もう二度と来ないかもしれない。
ルカは背の荷を降ろし、代わりに祖父の身体を背負った。驚くほど軽い。骨と布だけになったみたいに。だが軽くなったぶん、時間が肩へ重く乗る。三百歩で一息、また三百歩で一息。吐く息が白く千切れ、拍だけが前へ進める。
風が尾根から降りてきて、音をさらう。やがて中腹の平らが現れた。そこに、花畑があった。高山の小さな花が、色違いの布切れみたいに一面を覆っている。ここで戦があったなんてわからない。視界が軽くなる。胸の重しが、少しだけ外れる。
「じいちゃん!起きて、お願い!」
肩を揺すると、クレインが低く喉を鳴らした。
「……んっ、ん」
ゆっくりと瞼が上がる。
「じいちゃん!」
「……何も視えん。……何が……起こった?……白……狼王は?」
「撃退したよ。じいちゃん、慰霊碑の前まで来たんだ」
「そうか。それは……よかった」
ルカは花畑を見渡す。
「すごく綺麗で……なんていう花かな。わからないや。一面、咲き誇ってる」
「そうか……そうか」
「今から作るよ。石を積んで、じいちゃんの仲間の慰霊碑。……それでいいんだよね?」
「あぁ、頼む……その花も添えて……やってくれ……」
「もちろんだよ」
ルカは周りの適当な石を集め、ひとつずつ積んでいく。大きさは不揃い、角も合わない。積めば崩れ、直せば傾く。できあがったのは、慰霊碑と呼ぶにはあまりにも不恰好で、しかし絶対に倒れない、小さな石の塔。
「……うまくいかないや。じいちゃん、できたよ」
「上出来じゃ。……さすが、ワシの孫」
ルカは花を束ね、石の根元へそっと差し入れる。そして一拍、丁寧に黙とうした。風がやみ、遠くの雪面でかすかに音がする。クレインは息を整え、低く呼んだ。
「オルフェン、ベリス、シェルダン……ラガルド……ベルナ……ヨズ……ハンネス……ミラ……みんな、そこにいたのか……よかった……行こう一緒に」
ルカは一輪を選び、クレインの手に握らせる。白い指が、花の茎をそっと挟む。
「ルカ……ここまで付き合ってくれて感謝じゃ……お前との冒険、心底、楽しかったぞ、満足じゃ……ワシは皆と行く」
「そんなこと……言わないでよ……」
「魔法でも、剣でも、どちらでもよい。お主の拍が鳴る方へ、進め」
それきり、クレインはもう答えなかった。
風が戻り、花が揺れる。石塔は小さく、しかし崩れず、花はそこに色を留める。ルカは祖父の手から花を外さず、ただ拍を数えた——“いち、に、さん”。山は高く、空は薄い。雪解けまで時間がある。帰りの道は長い。それでも今、ここだけは、十分だった。
『王立史叢 別巻 近世武術史・補訂版』より(抄)
——世の偉人には大別して二類ある。生前に名を得る者と、没後に名が立つ者である。前者の典型としてルカ・ヴァルドナを挙げる。
彼は術理と剣理を交差させ、所謂〈魔法剣〉の基礎体系を樹立し、王都大学における「拍制御論」講座と、道場での実地指導をもって方法を普及した。彼の業績は当代の査読・試技記録・器機設計図によって直ちに確認され、授与された褒章も少なくない。
後者の例はクレイン・ヴァルドナである。先の大戦における撤退戦における後衛統率、実戦剣(俗にヴァルドナ流)の源流、さらにグレイマーチ高原でのヒュドラ討伐(※一部史料は“共同戦闘”と注す)およびセラフィエル街道での白狼王遭遇事件(撃退)等、その功績は碑文・口承・治癒師台帳・冒険者ギルド記録の事後照合を経て順次立証された。
いずれも彼の没後、弟子や関係者による証言収集と地誌の再検が決定的な役割を果たした点、特記に値する。
両名は祖父孫の続柄にして、師弟としての往還も多く記録されるが、年次・関与度には異説が残る(例:王都試技における指導順序、道場免許の授与時期など)。
然れど諸資料はひとつの所見に収斂する。
——名は遅れて追いつき、拍は先に響いていた。
完
老剣士の呟きに、ルカは息の隙間で返す。
「これでいい。殺すんじゃなくて、撃退が目的でしょ」
その時だ。足裏から、鈍い鼓動が大地越しに伝わってくる。ひとつ、ふたつ——数える間に広がる地鳴り。斜面上部の雪が亀裂を走らせ、白い板がゆっくりと、しかし抗いがたく滑り出す。
「——雪崩!」
ルカはクレインの脇に腕を差し込み、半ば担ぎ上げる。近くの大岩の陰へ二人で身を押し込み、息を殺す。白がすべてを呑んでいく。炎の残り香ごと、白狼王の大きな影も流されていくのが一瞬見えた。
轟音が遠ざかり、世界がまた音を取り戻す。雪煙の向こうで、谷風が細く鳴いた。
「ルカ……さすが、ワシの孫じゃ……」
クレインはそこで力を抜いた。首がかくりと落ち、意識の灯が静かに沈む。
「じいちゃん!じいちゃん!!」
返事はない。ルカは祖父の肩を揺すり、額に手を当て、胸の上下を確かめる。拍はある。薄い、けれど確かな拍が——まだ、ある。
雪の匂いが強くなる。ルカは一度だけ振り返り、下りの道を見た。下れば命は安全だ。だが次の登山は雪解けまで待たねばならない。クレインが慰霊碑に辿り着く日は、もう二度と来ないかもしれない。
ルカは背の荷を降ろし、代わりに祖父の身体を背負った。驚くほど軽い。骨と布だけになったみたいに。だが軽くなったぶん、時間が肩へ重く乗る。三百歩で一息、また三百歩で一息。吐く息が白く千切れ、拍だけが前へ進める。
風が尾根から降りてきて、音をさらう。やがて中腹の平らが現れた。そこに、花畑があった。高山の小さな花が、色違いの布切れみたいに一面を覆っている。ここで戦があったなんてわからない。視界が軽くなる。胸の重しが、少しだけ外れる。
「じいちゃん!起きて、お願い!」
肩を揺すると、クレインが低く喉を鳴らした。
「……んっ、ん」
ゆっくりと瞼が上がる。
「じいちゃん!」
「……何も視えん。……何が……起こった?……白……狼王は?」
「撃退したよ。じいちゃん、慰霊碑の前まで来たんだ」
「そうか。それは……よかった」
ルカは花畑を見渡す。
「すごく綺麗で……なんていう花かな。わからないや。一面、咲き誇ってる」
「そうか……そうか」
「今から作るよ。石を積んで、じいちゃんの仲間の慰霊碑。……それでいいんだよね?」
「あぁ、頼む……その花も添えて……やってくれ……」
「もちろんだよ」
ルカは周りの適当な石を集め、ひとつずつ積んでいく。大きさは不揃い、角も合わない。積めば崩れ、直せば傾く。できあがったのは、慰霊碑と呼ぶにはあまりにも不恰好で、しかし絶対に倒れない、小さな石の塔。
「……うまくいかないや。じいちゃん、できたよ」
「上出来じゃ。……さすが、ワシの孫」
ルカは花を束ね、石の根元へそっと差し入れる。そして一拍、丁寧に黙とうした。風がやみ、遠くの雪面でかすかに音がする。クレインは息を整え、低く呼んだ。
「オルフェン、ベリス、シェルダン……ラガルド……ベルナ……ヨズ……ハンネス……ミラ……みんな、そこにいたのか……よかった……行こう一緒に」
ルカは一輪を選び、クレインの手に握らせる。白い指が、花の茎をそっと挟む。
「ルカ……ここまで付き合ってくれて感謝じゃ……お前との冒険、心底、楽しかったぞ、満足じゃ……ワシは皆と行く」
「そんなこと……言わないでよ……」
「魔法でも、剣でも、どちらでもよい。お主の拍が鳴る方へ、進め」
それきり、クレインはもう答えなかった。
風が戻り、花が揺れる。石塔は小さく、しかし崩れず、花はそこに色を留める。ルカは祖父の手から花を外さず、ただ拍を数えた——“いち、に、さん”。山は高く、空は薄い。雪解けまで時間がある。帰りの道は長い。それでも今、ここだけは、十分だった。
『王立史叢 別巻 近世武術史・補訂版』より(抄)
——世の偉人には大別して二類ある。生前に名を得る者と、没後に名が立つ者である。前者の典型としてルカ・ヴァルドナを挙げる。
彼は術理と剣理を交差させ、所謂〈魔法剣〉の基礎体系を樹立し、王都大学における「拍制御論」講座と、道場での実地指導をもって方法を普及した。彼の業績は当代の査読・試技記録・器機設計図によって直ちに確認され、授与された褒章も少なくない。
後者の例はクレイン・ヴァルドナである。先の大戦における撤退戦における後衛統率、実戦剣(俗にヴァルドナ流)の源流、さらにグレイマーチ高原でのヒュドラ討伐(※一部史料は“共同戦闘”と注す)およびセラフィエル街道での白狼王遭遇事件(撃退)等、その功績は碑文・口承・治癒師台帳・冒険者ギルド記録の事後照合を経て順次立証された。
いずれも彼の没後、弟子や関係者による証言収集と地誌の再検が決定的な役割を果たした点、特記に値する。
両名は祖父孫の続柄にして、師弟としての往還も多く記録されるが、年次・関与度には異説が残る(例:王都試技における指導順序、道場免許の授与時期など)。
然れど諸資料はひとつの所見に収斂する。
——名は遅れて追いつき、拍は先に響いていた。
完
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