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5 善意のお見舞いだったとは
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「はい、終わりましたよ。如何でしょうか」
ジゼルに手鏡を渡されて覗き込んでみると、先程とは比べものにならないくらい見栄えがする自分がいた。
「凄いな。まるで理髪師に頼んだようだ」
「ふふ、お気に召して頂けたようで良かったです」
素人の間にあわせだから退院したら理髪店に行ったほうがいいとジゼルは笑ったが、ロードリックにはその必要があるとは思えなかった。それ程に見事な出来だったのだ。
肩に掛けられた綿布が外されて、細かく散った髪の毛をはたく音がする。ロードリックは立ち上がって、改めて礼を言うことにした。
「ジゼル嬢、本当に助かった。感謝する」
「そんな、そこまで言っていただくほどのことではありません」
ジゼルは恐縮したように笑うと会釈をして去っていこうとする。全くもって無欲なその姿勢に、ロードリックの方が慌ててしまった。
「待ってくれ。礼をさせてもらわなければ気が済まない」
「え……? 私、そんなつもりじゃ」
「何を言う、仕事には対価が発生するものだ。これで足りるか?」
入院生活とはいえ多少の身銭を持ち歩いていて良かった。しかし銀貨を一枚渡そうとすると、ジゼルはすっかり青ざめてしまった。
「そんな、頂けませんこんなに……! 本当に、お気になさらなくても結構ですから!」
「感謝の気持ちだ。良いから受け取ってくれ」
「い、いいえ! 本当に、本当に結構です!」
儚げな見た目のわりに、ジゼルは想像だにしない程の強情だった。ロードリックはほとほと困り果てて、ため息まじりの提案をすることにした。
「見舞いに来たのだったな。もう済んだのか」
「え? いいえ……」
「では、これを使って何か買うといい。見舞いの品なら問題なかろう」
ロードリックはジゼルの手を取って、銀貨を掌の上に乗せた。ジゼルは困ったように自らの手とロードリックとに視線を往復させていたが、やかておずおずと頷いてくれた。
「……それでは、ありがたく頂きます。ありがとうございます、チェンバーズさん」
「こちらこそ忙しいところを済まなかったな。道具は私が返しておくから、もう行くといい」
まだ見舞いに行けていなかったのに、こんなことに付き合わせて悪いことをしてしまった。
ロードリックは早く行くように促したのだが、ジゼルは一礼して踵を返すと、少し歩いたところでもう一度振り返って会釈をした。
律儀な人柄の持ち主だ。ロードリックが手を挙げて応えてやると控えめな笑みが返ってきて、ようやくジゼルは立ち去って行った。
「……妙な人だったな」
実を言うと、ロードリックは急所を突かれないように散髪の間中ずっと神経を張り巡らせていたのだ。
見ず知らずの人間が刃物を持って背後に立っているのだから、地位ある武人としては当然の心構えだと言える。それが例え人畜無害そうな若い女だったとしても。
しかし結局のところ全てが徒労に終わった。ジゼルは正真正銘ただのお人好しな一般人で、少しの殺気すら見せなかった。
——まったく、嫌になるな。
自己嫌悪を含んだため息を吐けば、また胃が痛くなるのを自覚する。
この仕事をしていると、初対面の相手を一度は疑う癖がつく。マクシミリアンの失脚を目論む誰か、黒豹騎士団の戦力低下を狙う何者か、そんな存在が目の前に現れたのは一度や二度ではないからだ。
まあいい、構わない。ジゼルは二度と会うことのない相手であり、職業病を発症したところで罪悪感を抱く必要などないのだから。
次の日は来客があった。ミカとリシャールはベッドで上半身を起こして本を読む上官を見るなり、衝撃のまま叫び声を上げた。
「ロードリックさんが短髪になってる⁉︎ 一体どうしちゃったんですか!」
「驚きました。閣下、一体どのようなご心境の変化で?」
正直言ってやかましい。ロードリックは眉間を揉んで頭に響く声を分散させると、ここは病院だぞと抗議しておいた。
「だってだって、驚くじゃないですか! 僕はてっきり、ロン毛はロードリックさんのポリシーなのかと思っていたんですよ!」
「……ロン毛という言い方はやめてくれないか。そこいらのゴロツキみたいだろうが」
「あっ、これは失礼しました。いやでも、お似合いですよ。なんというか、案外らしい感じがします。ねえ、リシャールさん」
ミカから話を振られたリシャールは、前髪で隠れた瞳でじっとこちらを眺めてきたかと思うと、すぐに口元に小さな笑みを浮かべた。
「ええ、わかる気がします。長髪もお似合いでしたが、お顔つきも明るくなって生き生きしておられるようにお見受けします」
「ですよね! いやでも、これはいい傾向じゃないですか? どんどん気分でも変えて、ストレスなんて吹き飛ばしちゃって下さいよ」
どうやらストレスと過労のせいで倒れたというのは部下たちの知るところとなっているらしい。勝手な言い分なのは承知の上で、かなり嫌だ。
ロードリックはひとしきり頭を抱えると、なんとか気を取り直して顔を上げた。
「……それで、私に一体何の用だ」
「え?」
「仕事のことで何か聞きたいことがあったのではないのか」
せっかくこちらから本題に入ったのに、ミカは何を言っているのかわからないという顔をしている。
わざわざ来たくらいだからきっと何か問題が起きたはずだ。場合によっては臨時退院もあり得るかと身構えていると、ミカは不機嫌そうに頬を膨らませて見せた。
「見損なわないで下さいよ。僕たちがただのお見舞いに来たらおかしいですか?」
「……何だって?」
「だからお見舞いに来ただけなんですってば。ほら、手土産だって持ってきたんですから」
食べられるか知りませんけどと前置きして手渡されたのは、贈答用に籠に盛り付けられた苺だった。ロードリックは半ば呆然とした面持ちでそれを受け取ると、ミカとリシャールの顔を交互に仰ぎ見た。
「まったく、ロードリックさんはもう少し僕たちを信用すべきなんです。前よりはマシになったと思っていましたけど、やっぱりまだまだだったみたいですね」
憮然とした面持ちで腕を組んだミカは、ロードリックを諌めるわりにどこか寂しそうだった。リシャールも同意をするように頷いていて、その口元に浮かんだ笑みも悲しそうに見えた。
「何でも良いですけど、とにかくしっかり治してくださいよ。貴方がいないと、どうも皆さん覇気がなくなるみたいなので」
ジゼルに手鏡を渡されて覗き込んでみると、先程とは比べものにならないくらい見栄えがする自分がいた。
「凄いな。まるで理髪師に頼んだようだ」
「ふふ、お気に召して頂けたようで良かったです」
素人の間にあわせだから退院したら理髪店に行ったほうがいいとジゼルは笑ったが、ロードリックにはその必要があるとは思えなかった。それ程に見事な出来だったのだ。
肩に掛けられた綿布が外されて、細かく散った髪の毛をはたく音がする。ロードリックは立ち上がって、改めて礼を言うことにした。
「ジゼル嬢、本当に助かった。感謝する」
「そんな、そこまで言っていただくほどのことではありません」
ジゼルは恐縮したように笑うと会釈をして去っていこうとする。全くもって無欲なその姿勢に、ロードリックの方が慌ててしまった。
「待ってくれ。礼をさせてもらわなければ気が済まない」
「え……? 私、そんなつもりじゃ」
「何を言う、仕事には対価が発生するものだ。これで足りるか?」
入院生活とはいえ多少の身銭を持ち歩いていて良かった。しかし銀貨を一枚渡そうとすると、ジゼルはすっかり青ざめてしまった。
「そんな、頂けませんこんなに……! 本当に、お気になさらなくても結構ですから!」
「感謝の気持ちだ。良いから受け取ってくれ」
「い、いいえ! 本当に、本当に結構です!」
儚げな見た目のわりに、ジゼルは想像だにしない程の強情だった。ロードリックはほとほと困り果てて、ため息まじりの提案をすることにした。
「見舞いに来たのだったな。もう済んだのか」
「え? いいえ……」
「では、これを使って何か買うといい。見舞いの品なら問題なかろう」
ロードリックはジゼルの手を取って、銀貨を掌の上に乗せた。ジゼルは困ったように自らの手とロードリックとに視線を往復させていたが、やかておずおずと頷いてくれた。
「……それでは、ありがたく頂きます。ありがとうございます、チェンバーズさん」
「こちらこそ忙しいところを済まなかったな。道具は私が返しておくから、もう行くといい」
まだ見舞いに行けていなかったのに、こんなことに付き合わせて悪いことをしてしまった。
ロードリックは早く行くように促したのだが、ジゼルは一礼して踵を返すと、少し歩いたところでもう一度振り返って会釈をした。
律儀な人柄の持ち主だ。ロードリックが手を挙げて応えてやると控えめな笑みが返ってきて、ようやくジゼルは立ち去って行った。
「……妙な人だったな」
実を言うと、ロードリックは急所を突かれないように散髪の間中ずっと神経を張り巡らせていたのだ。
見ず知らずの人間が刃物を持って背後に立っているのだから、地位ある武人としては当然の心構えだと言える。それが例え人畜無害そうな若い女だったとしても。
しかし結局のところ全てが徒労に終わった。ジゼルは正真正銘ただのお人好しな一般人で、少しの殺気すら見せなかった。
——まったく、嫌になるな。
自己嫌悪を含んだため息を吐けば、また胃が痛くなるのを自覚する。
この仕事をしていると、初対面の相手を一度は疑う癖がつく。マクシミリアンの失脚を目論む誰か、黒豹騎士団の戦力低下を狙う何者か、そんな存在が目の前に現れたのは一度や二度ではないからだ。
まあいい、構わない。ジゼルは二度と会うことのない相手であり、職業病を発症したところで罪悪感を抱く必要などないのだから。
次の日は来客があった。ミカとリシャールはベッドで上半身を起こして本を読む上官を見るなり、衝撃のまま叫び声を上げた。
「ロードリックさんが短髪になってる⁉︎ 一体どうしちゃったんですか!」
「驚きました。閣下、一体どのようなご心境の変化で?」
正直言ってやかましい。ロードリックは眉間を揉んで頭に響く声を分散させると、ここは病院だぞと抗議しておいた。
「だってだって、驚くじゃないですか! 僕はてっきり、ロン毛はロードリックさんのポリシーなのかと思っていたんですよ!」
「……ロン毛という言い方はやめてくれないか。そこいらのゴロツキみたいだろうが」
「あっ、これは失礼しました。いやでも、お似合いですよ。なんというか、案外らしい感じがします。ねえ、リシャールさん」
ミカから話を振られたリシャールは、前髪で隠れた瞳でじっとこちらを眺めてきたかと思うと、すぐに口元に小さな笑みを浮かべた。
「ええ、わかる気がします。長髪もお似合いでしたが、お顔つきも明るくなって生き生きしておられるようにお見受けします」
「ですよね! いやでも、これはいい傾向じゃないですか? どんどん気分でも変えて、ストレスなんて吹き飛ばしちゃって下さいよ」
どうやらストレスと過労のせいで倒れたというのは部下たちの知るところとなっているらしい。勝手な言い分なのは承知の上で、かなり嫌だ。
ロードリックはひとしきり頭を抱えると、なんとか気を取り直して顔を上げた。
「……それで、私に一体何の用だ」
「え?」
「仕事のことで何か聞きたいことがあったのではないのか」
せっかくこちらから本題に入ったのに、ミカは何を言っているのかわからないという顔をしている。
わざわざ来たくらいだからきっと何か問題が起きたはずだ。場合によっては臨時退院もあり得るかと身構えていると、ミカは不機嫌そうに頬を膨らませて見せた。
「見損なわないで下さいよ。僕たちがただのお見舞いに来たらおかしいですか?」
「……何だって?」
「だからお見舞いに来ただけなんですってば。ほら、手土産だって持ってきたんですから」
食べられるか知りませんけどと前置きして手渡されたのは、贈答用に籠に盛り付けられた苺だった。ロードリックは半ば呆然とした面持ちでそれを受け取ると、ミカとリシャールの顔を交互に仰ぎ見た。
「まったく、ロードリックさんはもう少し僕たちを信用すべきなんです。前よりはマシになったと思っていましたけど、やっぱりまだまだだったみたいですね」
憮然とした面持ちで腕を組んだミカは、ロードリックを諌めるわりにどこか寂しそうだった。リシャールも同意をするように頷いていて、その口元に浮かんだ笑みも悲しそうに見えた。
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