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かくれんぼ
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高校3年生の水上幸一は駅の階段を2段飛びで駆け上ると、プラットホームに出た。電車は発車した後だった。
「あーあ、母ちゃん、もっと早く起こしてくれよなあ」
電車は後5分待たなければ来ない。ふー、と大きく息を吐いた。額に吹き出てくる汗を手の甲で拭う。人のまばらなホームのはるか先、歩いてくる一人のセーラー服姿の少女が目にとまった。
「あ」
彼は思わず声を上げていた。その少女は安西雅子である。小学校1年のときクラスが同じだったが、それ以来である。くりっとした目とおちょぼ口は昔のまま。ただ違っているところは眩しいような美しい少女になっていたことである。
歩いてくる彼女が、幸一の5メートルまで近づいたとき、入線して来た電車が停車し、乗客が流れ出てきた。電車はやがて乗客を吸い込み、発車していく。しばらくすると、ホームの乗客はまた疎らになる。雅子の姿はいつの間にか幻のように消えていた。
翌朝、幸一はホームにいた。遅れそうな時間とは言ってもぎりぎり学校には間に合う。明日から夏休み。雅子に会う機会はきょうしかない。昨日と同じに反対側から雅子が歩いて来た。幸一の心臓が少しずつ鼓動を速めた。雅子がやがて幸一の目の前まで来た。
「やあ」
そう、声を掛けるつもりでいたが、緊張していた彼は見詰めていただけで声を出すことが出来なかった。雅子は彼の脇をゆっくりと通り過ぎていった。呆然としていた幸一は、慌てて通り過ぎた雅子のほうを振り向いた。
「あ…… 」
彼女も幸一を見ていて、お互いが同じように声を上げていた。
*
幸一の小学生のころ、町の中央に龍眼寺という寺があった。子どもたちはここでよく遊んだ。本堂は背の高い杉に囲まれひっそりと建っていた。ここの境内で専らかくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶのが常だった。
「雅子ちゃん、あっちへ隠れよう! 」
幸一は雅子を誘い本堂の扉を開いて入った。薄暗い空間に祭壇が飾られていた。四方の鴨居の上に、眼光の鋭い龍がぐるりと囲むように一周していた。二人は今にも動き出しそうな龍を息もくれず見上げていた。雅子は幸一の腕に両手でしがみついていた。幸一の腕に雅子の小さな震えが伝わってきた。
「幸一、雅子ちゃーん! 何処ーだー? 」
外で仲間が呼んでいる。
「雅子ちゃん、出よう」
幸一は本堂の外へ出て、雅子の手を固く握り締めていることに初めて気が付いた。
「幸一と雅子はアチチだあ! 」
囃し立てる吾郎の声で、幸一は雅子の手を慌てて離した。手のひらは汗でべっとりと濡れていた。隣にいる雅子を見ると、顔を真っ赤にし俯いていた。
「うるさいぞ吾郎! 」
幸一が怒鳴ると、二人は取っ組み合いの喧嘩になった。
夏休みも終わりかけたころ、幸一は、久しぶりに家にいた父親に龍のことを聞いた。
「おお、あれはな、街を守ってくれたと言う龍神様だ。伝説によるとな、昔、いろんな村で暴れていた妖怪が、この村にも攻めて来た。人々は鍬や斧を手にし妖怪に立ち向かった。しかし、まるで適わなかった。力自慢の若者たちは戦いに疲れ、気力をなくし希望をなくすと、やがて魂を食われていった」
幼かった幸一は話す父の顔をじっとただ見詰め聞いていた。
「村に将来夫婦になることを誓った二人がいた。とは言っても、二人はまだ7才くらいの幼子だった。父親にこのお堂で隠れているように言われていた。体はがたがた震えている。無理もなかった。本堂の外から不気味な唸り声が聞こえてきた。次第に妖怪たちがお堂まで迫って来たのだ。武器に使えるものは仏像しかなかった。
「父ちゃん、母ちゃんを返して! 」
そう叫んだ二人は、そばにあった仏像を握りお堂の外へ出ようと扉に向かった。その勇気に共鳴した寺の龍が壁から抜け出てきた。小さな二人の心の叫びが龍の目を覚まさせたのだった。龍は二人の心を飲み込むとお堂を飛び出した。強い火炎を吐き、妖怪はことごとく一瞬のうちに焼き払われていった」
「二人は助かったんだよね」
「まあ、妖怪は消えたんだが、その二人も消えてしまった」
「死んだの? 」
「そこまでは文献が残っておらんのだ。だから、その伝説の続きを調べる学者が多いんだが…… 」
夏休みの終わりも後2日になったころ、幸一は本堂の隅でしゃがみながら、この話を雅子に話した。彼女は泣きながら、「また、遊ぼうね」と言った。どうして泣いているのか幸一には分からなかった。
「あたし、転校するの。きっと帰ってくるからそしたら遊ぼう。約束だよ」
「うん」
「指きりげんまん」
雅子の小指を絡ませた。彼女に触れるのは2度目だった。温かな指がほんのり汗で湿っていたような気がした。それを最後に、彼女はクラスのみんなに別れを告げないで、突然去っていった。雅子は体が弱く喘息で学校を長く休むことがあった。それを治療するため環境のいい郊外の学校へ転校することになったのである。9年前のことだ。
*
二人が見詰め合っているところへ、上り電車が入線して来た。ゴーという音が辺りの音を消していく。
雅子が近づいてきて、どちらからともなく2人は電車に乗り込んだ。満員なのに電車の中は静まり返っていた。混んだ電車の中でずっと俯いていた彼女は、顔を上げ幸一を見た。
「あたし、次で降りるの。幸ちゃんは何処まで? 」
「もう一つ先」
「結構近いね。あしたから夏休みね」
その言葉と次の駅を知らせる車内アナウンスが重なった。たったそれだけ話すと、雅子は電車を降りた。ホームに降りた雅子は振り向くと、口を小さく動かした。
「遊ぼ…… 」
翌朝、幸一は寺へ行った。9年前、雅子と二人で見た龍は今も同じように本堂の中にいるのだろうか。あのころと比べ、境内はとても狭く感じた。幸一はその静かな本堂の隅へ寄り掛かった。指切りをした最後の場所へ。
雅子は昨日何て言ったのだろうか。遊ぼ、そういったような気がした。いや何も言わなかったのかもしれない。腕時計は9時を過ぎていた。夏休みの初日、小学生が境内に集まりだしていた。蝉がにわかに鳴き出し始めていた。見上げると杉の木は変わらず高くそびえている。視線を下へ戻すと、白いワンピースを着た少女が立っていた。雅子だった。
何も言わず微笑むと、幸一の隣に並んで本堂の壁に寄り掛かった。幸一は隣の雅子に顔を静かに向けた。長い髪を白いリボンで結び胸元に垂らしている。持っていた茶のショルダーバックからハンカチを出し、汗がうっすらにじむ額を拭った。
「暑いね」
それだけぽつりと言うと、雅子はワンピースのUの字に切れた胸元を摘むとパタパタとさせた。幼かったころと比べ、健康的に膨らんだ胸元が眩しく見えた。
「ねえ、龍の話、覚えてる? 」
「ああ、もちろん」
「あたし、ずっと転校してから考えていたの。本も調べたわ」
「つづき、分かった? 」
「ううん、何も分からなかった。あたしが思うのには、あの二人は龍になったの。そして、ずっと見守っているの」
「何を? 」
「あたしたちは龍になった2人の希望なのよ」
幸一はどきりとした。雅子と自分のことを言っているのかと思ったのである。
「そう、この街の人たち全員が希望なの。希望をかなえられなかった2人の願いが未来永劫ずっと続いているの。だからこの街のカップルは幸せで、離婚率がすごく少ないのよ」
「ゼロではないの? でも、そんなことまで調べたのか、すごいね。僕たちも幸せになれるのかなあ? 」
雅子は上を向いてから、幸一のほうを向いて言った。
「うん、きっとなれるよ。希望を持っている限りね」
二人は未来を思いながら杉の間に広がる青空を見上げた。
「ねえ、お堂に入ってみる? 」
「かくれんぼ? 」
「そう、つづきよ」
2人はどちらからともなく手をつないでいた。
境内ではかくれんぼをする子どもたちが隠れ場所を探し散っていった。
「あーあ、母ちゃん、もっと早く起こしてくれよなあ」
電車は後5分待たなければ来ない。ふー、と大きく息を吐いた。額に吹き出てくる汗を手の甲で拭う。人のまばらなホームのはるか先、歩いてくる一人のセーラー服姿の少女が目にとまった。
「あ」
彼は思わず声を上げていた。その少女は安西雅子である。小学校1年のときクラスが同じだったが、それ以来である。くりっとした目とおちょぼ口は昔のまま。ただ違っているところは眩しいような美しい少女になっていたことである。
歩いてくる彼女が、幸一の5メートルまで近づいたとき、入線して来た電車が停車し、乗客が流れ出てきた。電車はやがて乗客を吸い込み、発車していく。しばらくすると、ホームの乗客はまた疎らになる。雅子の姿はいつの間にか幻のように消えていた。
翌朝、幸一はホームにいた。遅れそうな時間とは言ってもぎりぎり学校には間に合う。明日から夏休み。雅子に会う機会はきょうしかない。昨日と同じに反対側から雅子が歩いて来た。幸一の心臓が少しずつ鼓動を速めた。雅子がやがて幸一の目の前まで来た。
「やあ」
そう、声を掛けるつもりでいたが、緊張していた彼は見詰めていただけで声を出すことが出来なかった。雅子は彼の脇をゆっくりと通り過ぎていった。呆然としていた幸一は、慌てて通り過ぎた雅子のほうを振り向いた。
「あ…… 」
彼女も幸一を見ていて、お互いが同じように声を上げていた。
*
幸一の小学生のころ、町の中央に龍眼寺という寺があった。子どもたちはここでよく遊んだ。本堂は背の高い杉に囲まれひっそりと建っていた。ここの境内で専らかくれんぼや鬼ごっこをして遊ぶのが常だった。
「雅子ちゃん、あっちへ隠れよう! 」
幸一は雅子を誘い本堂の扉を開いて入った。薄暗い空間に祭壇が飾られていた。四方の鴨居の上に、眼光の鋭い龍がぐるりと囲むように一周していた。二人は今にも動き出しそうな龍を息もくれず見上げていた。雅子は幸一の腕に両手でしがみついていた。幸一の腕に雅子の小さな震えが伝わってきた。
「幸一、雅子ちゃーん! 何処ーだー? 」
外で仲間が呼んでいる。
「雅子ちゃん、出よう」
幸一は本堂の外へ出て、雅子の手を固く握り締めていることに初めて気が付いた。
「幸一と雅子はアチチだあ! 」
囃し立てる吾郎の声で、幸一は雅子の手を慌てて離した。手のひらは汗でべっとりと濡れていた。隣にいる雅子を見ると、顔を真っ赤にし俯いていた。
「うるさいぞ吾郎! 」
幸一が怒鳴ると、二人は取っ組み合いの喧嘩になった。
夏休みも終わりかけたころ、幸一は、久しぶりに家にいた父親に龍のことを聞いた。
「おお、あれはな、街を守ってくれたと言う龍神様だ。伝説によるとな、昔、いろんな村で暴れていた妖怪が、この村にも攻めて来た。人々は鍬や斧を手にし妖怪に立ち向かった。しかし、まるで適わなかった。力自慢の若者たちは戦いに疲れ、気力をなくし希望をなくすと、やがて魂を食われていった」
幼かった幸一は話す父の顔をじっとただ見詰め聞いていた。
「村に将来夫婦になることを誓った二人がいた。とは言っても、二人はまだ7才くらいの幼子だった。父親にこのお堂で隠れているように言われていた。体はがたがた震えている。無理もなかった。本堂の外から不気味な唸り声が聞こえてきた。次第に妖怪たちがお堂まで迫って来たのだ。武器に使えるものは仏像しかなかった。
「父ちゃん、母ちゃんを返して! 」
そう叫んだ二人は、そばにあった仏像を握りお堂の外へ出ようと扉に向かった。その勇気に共鳴した寺の龍が壁から抜け出てきた。小さな二人の心の叫びが龍の目を覚まさせたのだった。龍は二人の心を飲み込むとお堂を飛び出した。強い火炎を吐き、妖怪はことごとく一瞬のうちに焼き払われていった」
「二人は助かったんだよね」
「まあ、妖怪は消えたんだが、その二人も消えてしまった」
「死んだの? 」
「そこまでは文献が残っておらんのだ。だから、その伝説の続きを調べる学者が多いんだが…… 」
夏休みの終わりも後2日になったころ、幸一は本堂の隅でしゃがみながら、この話を雅子に話した。彼女は泣きながら、「また、遊ぼうね」と言った。どうして泣いているのか幸一には分からなかった。
「あたし、転校するの。きっと帰ってくるからそしたら遊ぼう。約束だよ」
「うん」
「指きりげんまん」
雅子の小指を絡ませた。彼女に触れるのは2度目だった。温かな指がほんのり汗で湿っていたような気がした。それを最後に、彼女はクラスのみんなに別れを告げないで、突然去っていった。雅子は体が弱く喘息で学校を長く休むことがあった。それを治療するため環境のいい郊外の学校へ転校することになったのである。9年前のことだ。
*
二人が見詰め合っているところへ、上り電車が入線して来た。ゴーという音が辺りの音を消していく。
雅子が近づいてきて、どちらからともなく2人は電車に乗り込んだ。満員なのに電車の中は静まり返っていた。混んだ電車の中でずっと俯いていた彼女は、顔を上げ幸一を見た。
「あたし、次で降りるの。幸ちゃんは何処まで? 」
「もう一つ先」
「結構近いね。あしたから夏休みね」
その言葉と次の駅を知らせる車内アナウンスが重なった。たったそれだけ話すと、雅子は電車を降りた。ホームに降りた雅子は振り向くと、口を小さく動かした。
「遊ぼ…… 」
翌朝、幸一は寺へ行った。9年前、雅子と二人で見た龍は今も同じように本堂の中にいるのだろうか。あのころと比べ、境内はとても狭く感じた。幸一はその静かな本堂の隅へ寄り掛かった。指切りをした最後の場所へ。
雅子は昨日何て言ったのだろうか。遊ぼ、そういったような気がした。いや何も言わなかったのかもしれない。腕時計は9時を過ぎていた。夏休みの初日、小学生が境内に集まりだしていた。蝉がにわかに鳴き出し始めていた。見上げると杉の木は変わらず高くそびえている。視線を下へ戻すと、白いワンピースを着た少女が立っていた。雅子だった。
何も言わず微笑むと、幸一の隣に並んで本堂の壁に寄り掛かった。幸一は隣の雅子に顔を静かに向けた。長い髪を白いリボンで結び胸元に垂らしている。持っていた茶のショルダーバックからハンカチを出し、汗がうっすらにじむ額を拭った。
「暑いね」
それだけぽつりと言うと、雅子はワンピースのUの字に切れた胸元を摘むとパタパタとさせた。幼かったころと比べ、健康的に膨らんだ胸元が眩しく見えた。
「ねえ、龍の話、覚えてる? 」
「ああ、もちろん」
「あたし、ずっと転校してから考えていたの。本も調べたわ」
「つづき、分かった? 」
「ううん、何も分からなかった。あたしが思うのには、あの二人は龍になったの。そして、ずっと見守っているの」
「何を? 」
「あたしたちは龍になった2人の希望なのよ」
幸一はどきりとした。雅子と自分のことを言っているのかと思ったのである。
「そう、この街の人たち全員が希望なの。希望をかなえられなかった2人の願いが未来永劫ずっと続いているの。だからこの街のカップルは幸せで、離婚率がすごく少ないのよ」
「ゼロではないの? でも、そんなことまで調べたのか、すごいね。僕たちも幸せになれるのかなあ? 」
雅子は上を向いてから、幸一のほうを向いて言った。
「うん、きっとなれるよ。希望を持っている限りね」
二人は未来を思いながら杉の間に広がる青空を見上げた。
「ねえ、お堂に入ってみる? 」
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