神獣ヤクザ ~もふもふ神獣に転生した世話焼きヤクザと純粋お嬢の異世界のんびり旅~

和成ソウイチ

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10話 狂犬の過去

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 ――そこは、首都圏から遠く離れた山間部。
 大災害が起これば周辺市町から孤立しかねないような辺鄙な田舎、いや秘境だ。
 その分、空気と水はめちゃくちゃ美味い。その清浄さはヤクザをも癒やす。都会の酒とタバコと悪意でカラカラになった舎弟どもが、たまに何かの用事でここを訪れた日には、どいつもこいつも菩薩みてぇな顔になって帰っていく。

 俺がさかずきと命を捧げた黒羽組の組長の別邸は、そういう土地にあった。

 ここは黒羽の人間にとってある種憩いの場であり、オジキの大事な孫娘のための療養所でもあり、いざというときの隠れ家でもある。
 お嬢――黒羽かえでは、生まれてからほとんどの時間をこの別邸で過ごしていた。

 俺がお嬢に仕え始めたのは27歳のとき。当時お嬢はまだ5歳。まだ小学校にも上がっていないご年齢だった。まあ、お嬢が学校に登校することはついぞなかったのだが。

 お嬢は生まれながら身体の自由が利かない難病に冒されていた。視力も失っており、ずっと寝たきりの暮らしだ。別邸からの景色は確かに美しかったが、彼女がそれを実際に目にしたことはない。
 普通なら大きな病院に入院していただくところだが、諸々の事情でお嬢は自宅療養を続けていた。
 お嬢はこの土地の空気と水に生かされているようなものだった。

 この業界にはありがちで胸クソ悪くなる話だが、お嬢は黒羽組にとって急所のひとつであった。弱いモノは狙われる。利用される。忌々しい、クソが。

 お嬢の場合、状況はもっと複雑だ。
 黒羽のオジキから、お嬢は一家の、シンボルのような扱いを受けていたのである。
 オジキ自身がお嬢を溺愛していたのもあるが、お嬢には他の野郎にはない不思議なチカラがあった。

 ――声、である。

 彼女が語りかけると、ささくれ立ったヤクザどもが鎮まる。直接会話しなくてもいい。お嬢の声を、言葉を聞くだけで俺たち黒羽の人間は活力を得た。
 俺もそうだ。

 お嬢自身が、ASMRアスマーだった。

 上手く表現できないが、お嬢の声を聞くと、血と欲と暴力でドロドロに化学反応した、自分ではどうにもできねえ心の煮こごりが、すーっと溶けて本来あるべき流れに戻っていくような感覚に陥る。
 ……この感想をオジキにぽろっと漏らしたとき、オジキは言った。

「おめえ、物語を作れ。楓のために。きっとそれがおめえのもうひとつの才であり、器だ」

 これがお嬢にASMR物語を読み聞かせるきっかけである。

 そもそも、俺がお嬢の世話係として仕えるようになったのも、尊敬するオジキの鶴の一声からだった。

 27歳。ヤクザでなくても色々血気盛んになりがちな年齢だ。
 当時の俺は天性の腕っ節の強さと外見の恐ろしさから、『狂犬ヒスキ』とあだ名されていた。
 だがオジキは見抜いていたのだ。
 いくら強かろうが、武器持ち相手に何度も生き残っていようが、俺の本性は『ヤワ』で『甘い』のだと。
 オジキはそれを「優しすぎるんだ」と言った。

 ちょうどその頃、盛大なヘマをやらかした俺は多くの仲間や舎弟を失って自暴自棄になっていた。その姿を見かねたオジキが、俺とお嬢を引き合わせたのである。

 俺は、お嬢に救われた。
 お嬢の声に救われた。
 俺の話を面白そうに聞いてくれるお嬢の大らかさに救われた。
 だから、俺は命を賭けてお嬢に仕えると誓ったのだ。

 しかし――長くは続かなかった。

 周囲の景色がどれほど美しく澄み渡っていても、鳥のさえずりがのどかで心洗われるものであっても、ヤクザである以上、よどみと怒号は隣り合わせである。

 ある日、お嬢の暮らす別邸が敵対組織の襲撃に遭ったのだ。
 そこに黒羽組の急所がある――ただそれだけの理由で。

 襲撃に気付いた俺は、数少ない手勢を引き連れて応戦。かつての狂犬の本能を100パーセント引き出して、愚かな襲撃者どもの首元、はらわたに武器を突き立てた。
 里山の懐はデカい。
 美しい自然の片隅で、俺たちヤクザは小さな地獄を作ったのだ。

 俺たちは敵対組織の撃退に成功した。
 互いの亡骸を回収する人手すらいなくなるくらいの、壮絶な潰し合いだった。
 まだ動けたのは俺くらい。
 だが、俺の命が早晩尽きることはわかりきっていた。多勢に無勢、背中にポン刀日本刀をブッ刺される致命傷を負ったのだ。

 俺はとにもかくにもお嬢のところへ急いだ。

 ――正直、お嬢の元へ向かうことに迷いはあった。
 慈悲深く、それでいて孤独と不安にずっと苛まれていたお嬢のことだ。気配を感じるほど目の前で俺がくたばってしまえば、心に深い傷を負うに違いない。
 イヌはイヌらしく、目立たない場所で野垂れ死ぬのが似合いである。

 だが、それでも俺はお嬢の隣に行くことを選んだ。
 なぜなら、お嬢もまた息絶える間際だったからである。

 敵対組織の襲撃があろうがなかろうが、お嬢の身体は限界だったのだ。
 まるで黒羽の別邸と運命を共にするように、お嬢はこの世を去ろうとしている。
 だったら、一番の忠犬を自認する俺が側で見届けなくてどうするというのか。

 ――最期のときを、俺とお嬢はびっくりするぐらいいつもどおり過ごした。
 スマホからASMR動画を流し、その心地よくもゾワゾワする音からイメージできる物語を俺が語って聞かせる。お嬢は興味深そうに耳を傾けながら、時折、「これは何?」と聞いてくる。答える俺。流れる音。

 消えゆく呼吸。

「俺は、生まれ変わってもお嬢を守ります」

 ――そして、俺はこの世界へと転生したのだ。


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