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5章 箱推し天使様の日常
第22話 天界にて、マリア様は皆の憧れ
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――現世から遠く離れた場所にある天界。各世界を統括する神々と、それを支える天使たちが暮らす、いわば天国だ。
天上の楽園。最上位の存在が暮らす聖なる土地。
下界の一般的なイメージ通りなところも、確かにある。
だが、実際の天界は一般人が思うよりもずっと世俗的な世界であった。
――天界の片隅にある白亜の建物。
天使マリアの『職場』であるこの場所で、彼女は資料を手に廊下を歩いていた。
背筋を伸ばし、一定の歩幅で悠然と歩く様は、それ自体がひとつの芸術品のよう。歩く際にむやみに翼を揺らさないようにするのが、天界のマナーである。彼女はそれを完璧に実践していた。
「マリア様!」
呼びかけられ、振り返る。
後ろから数人の天使たちがパタパタと走ってくる。室内で飛行しないのもマナーのひとつだが、だからと言って翼をばたつかせるのはいただけない。
「はしたないですよ、皆さん」
「も、申し訳ありません。マリア様のお姿が見えたので、つい……」
集まった天使たちは、まだこの職場に来たばかりの若い女性ばかりである。
彼女らにとって、目の前にいる天使マリアは正しく『憧れの先輩』であった。
完璧な見た目、完璧な所作、完璧な能力。
上司にあたる神と直接やり取りできる天使は、職場内でそう多くない。特に、この白亜の建物に君臨する管理神は、他の神々よりも横暴で癖が強いともっぱらの悪評が立っている。
そんな管理神に対しても、対等以上に接することのできるのが、この天使マリアなのである。
若い天使たちは、マリアと遭遇できた好機を逃すまいと身を乗り出す。
「マリア様! もしよろしければ、私たちに保護干渉術の極意を教えていただけませんか!?」
保護干渉術――神の意を受けた天使が、その魔力で管理世界に介入する方法全般を指す。天使に求められる重要な能力だ。
天使マリアはこの分野において、卓越した技術を持っているとされている。
目をキラキラさせる若い天使たちに、天使マリアは慈愛を込めた微笑みを見せた。正しく天使の笑みである。
「保護干渉術は、人々の幸せな暮らしを実現するためのもの。人を想い、生命を慈しみ、その幸せを心から願うことによってのみ、大いなる成果の実をつけるのですよ」
「おお……! さすがマリア様!」
「大げさですね。あなたたちもすぐに、世界の人々を幸せにできますわ。我々は彼らのためにある――その心さえ忘れなければ」
そう言って、天使マリアは手にしていた資料のひとつを手渡した。
「この書籍を読んでごらんなさい。そうすれば、大いなる学びがあるでしょう。これから書庫へ返却する予定でしたが、次はあなたたちが読むとよいでしょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。書庫管理者への手続きは、私がしておきましょう」
そして笑みを浮かべたまま「さあ、お行きなさい」と天使マリアは促す。感激した若い天使たちは、翼が大きく動くのにも気づかず、その場で頭を下げた。きゃーきゃー言いながら、走り去っていく。
後輩たちのその様子を、天使マリアは目を細めて見つめていた。
「やはり、純粋な者は美しいですね。地上も、天界も、それは変わらない」
マリアは踵を返す。
変わらず泰然とした歩き姿に、行き交う他の天使たちが次々と振り返る。
「マリア様だわ……」
「今日もなんてお美しい……気品そのものね」
「私もあの方のようになりたい」
膨らんでいく羨望の声。眼差し。
それら同僚たちの視線を、天使マリアはただ静かに受け流していた。
――チヤホヤされることに慣れているわけでは、ない。
ましてや浮かれているわけでもない。
実はこのとき、天使マリアの内心は表面上の態度とはまるで真逆であった。
(……どこまでふざければ気が済むのでしょうか、あのクソ上司……!)
微笑みのまま青筋を浮かべる。
彼女が手にしている資料は、そのほとんどが雑多な事務作業の名残である。直属上司の決裁が必要なものも数多くあったが、いまだ上司が動かないので、こうして各所の調整に動いているのだった。
一般の天使たちがおいそれと近づけない管理神と対等以上に話ができる――それは言葉を変えれば、人間世界で言う中間管理職の悲哀を一身に受けることを意味していた。
なまじっかマリアに能力も責任感もあるのが上司の横暴に拍車をかける。
――有言実行、後輩天使たちのために書庫での返却貸出事務を済ませたマリアは、そのまま自室へと向かった。
並の天使ならストレスで化けの皮が剥がれてしまいそうなところ、天使マリアは今日の今日まで皆の憧れで居続けている。
その秘密は、彼女専用に設えられた自室にあった。
天上の楽園。最上位の存在が暮らす聖なる土地。
下界の一般的なイメージ通りなところも、確かにある。
だが、実際の天界は一般人が思うよりもずっと世俗的な世界であった。
――天界の片隅にある白亜の建物。
天使マリアの『職場』であるこの場所で、彼女は資料を手に廊下を歩いていた。
背筋を伸ばし、一定の歩幅で悠然と歩く様は、それ自体がひとつの芸術品のよう。歩く際にむやみに翼を揺らさないようにするのが、天界のマナーである。彼女はそれを完璧に実践していた。
「マリア様!」
呼びかけられ、振り返る。
後ろから数人の天使たちがパタパタと走ってくる。室内で飛行しないのもマナーのひとつだが、だからと言って翼をばたつかせるのはいただけない。
「はしたないですよ、皆さん」
「も、申し訳ありません。マリア様のお姿が見えたので、つい……」
集まった天使たちは、まだこの職場に来たばかりの若い女性ばかりである。
彼女らにとって、目の前にいる天使マリアは正しく『憧れの先輩』であった。
完璧な見た目、完璧な所作、完璧な能力。
上司にあたる神と直接やり取りできる天使は、職場内でそう多くない。特に、この白亜の建物に君臨する管理神は、他の神々よりも横暴で癖が強いともっぱらの悪評が立っている。
そんな管理神に対しても、対等以上に接することのできるのが、この天使マリアなのである。
若い天使たちは、マリアと遭遇できた好機を逃すまいと身を乗り出す。
「マリア様! もしよろしければ、私たちに保護干渉術の極意を教えていただけませんか!?」
保護干渉術――神の意を受けた天使が、その魔力で管理世界に介入する方法全般を指す。天使に求められる重要な能力だ。
天使マリアはこの分野において、卓越した技術を持っているとされている。
目をキラキラさせる若い天使たちに、天使マリアは慈愛を込めた微笑みを見せた。正しく天使の笑みである。
「保護干渉術は、人々の幸せな暮らしを実現するためのもの。人を想い、生命を慈しみ、その幸せを心から願うことによってのみ、大いなる成果の実をつけるのですよ」
「おお……! さすがマリア様!」
「大げさですね。あなたたちもすぐに、世界の人々を幸せにできますわ。我々は彼らのためにある――その心さえ忘れなければ」
そう言って、天使マリアは手にしていた資料のひとつを手渡した。
「この書籍を読んでごらんなさい。そうすれば、大いなる学びがあるでしょう。これから書庫へ返却する予定でしたが、次はあなたたちが読むとよいでしょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。書庫管理者への手続きは、私がしておきましょう」
そして笑みを浮かべたまま「さあ、お行きなさい」と天使マリアは促す。感激した若い天使たちは、翼が大きく動くのにも気づかず、その場で頭を下げた。きゃーきゃー言いながら、走り去っていく。
後輩たちのその様子を、天使マリアは目を細めて見つめていた。
「やはり、純粋な者は美しいですね。地上も、天界も、それは変わらない」
マリアは踵を返す。
変わらず泰然とした歩き姿に、行き交う他の天使たちが次々と振り返る。
「マリア様だわ……」
「今日もなんてお美しい……気品そのものね」
「私もあの方のようになりたい」
膨らんでいく羨望の声。眼差し。
それら同僚たちの視線を、天使マリアはただ静かに受け流していた。
――チヤホヤされることに慣れているわけでは、ない。
ましてや浮かれているわけでもない。
実はこのとき、天使マリアの内心は表面上の態度とはまるで真逆であった。
(……どこまでふざければ気が済むのでしょうか、あのクソ上司……!)
微笑みのまま青筋を浮かべる。
彼女が手にしている資料は、そのほとんどが雑多な事務作業の名残である。直属上司の決裁が必要なものも数多くあったが、いまだ上司が動かないので、こうして各所の調整に動いているのだった。
一般の天使たちがおいそれと近づけない管理神と対等以上に話ができる――それは言葉を変えれば、人間世界で言う中間管理職の悲哀を一身に受けることを意味していた。
なまじっかマリアに能力も責任感もあるのが上司の横暴に拍車をかける。
――有言実行、後輩天使たちのために書庫での返却貸出事務を済ませたマリアは、そのまま自室へと向かった。
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その秘密は、彼女専用に設えられた自室にあった。
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