隣の猫

JUN

文字の大きさ
4 / 21

人違い

しおりを挟む
 涼子は、いつも通りの夕食を摂ろうとしていた。栄養ブロックとコーヒーである。この栄養ブロックは優秀だ。簡単に包装も破れ、何口か齧りついたら終わる。必要な栄養が過不足なく配合されていて、作る時間も食べる時間も片付ける時間もかからない。
「いただきます」
 包み紙を破ろうとした時に、隣の刑事を思い出した。クールでイケメンで優秀で出世頭なのに偉そうでも無くていいと、同僚達の間でも人気だ。
 しかし、この前ちらりと見えたゴミ袋は、自炊した後のような内容だった。
「でも、彼女がいるか、お母さんが時々来るのかもねえ。わあ。彼女達もがっかりするわね、知ったら」
 呟くが、教える気はない。そんな面倒臭い事は真っ平だ。
 そして、包装を破る。
 その時、電話が鳴り出して涼子はイラッとした。仕事かも知れないので出ないわけにはいかない。
「今日はゆっくり本の続きを読めると思ったのに……。
 はい、有坂です」
 涼子は電話に出た。
『違う!』
 知らない女性の声がした。くもぐったように聞こえる。
 異常事態かも知れないと、念の為に涼子は録音を開始した。
『違うわ!私は有坂涼子じゃない!』
 涼子は眉を寄せた。
『だからやめ――ギャッ!』
 そして、何かが倒れるような音がする。
『や、やめ、ぐええ……え……』
 それから女の声はしなくなって、微かに男の、
『これで公平だ』
という声が途切れ途切れに聞こえた。
 涼子は、隣の礼人が帰っていないかと外に飛び出した。

 礼人は、足早に自宅に向かっていた。
(憧れの人になりきる、ねえ。好きな芸能人と同じ物を使うとか、同じ髪形にするとかいうのは聞くけど、あそこまでなあ。しかも、芸能人でもない、有坂先生に。
 もう帰ってるよな。家ではどんな格好なんだろう。
 それにこの前は栄養ブロックの箱しかみえなかったけど、どんなものを食べてるんだろうな。1人暮らしだろうから、自炊か。やっぱり栄養やカロリーに気を配ったような献立だろうか。
 いや、激務だし、意外とがっつりかも)
そんな事を考えながら、自宅のドアのカギ穴に鍵を突っ込んだ時、隣のドアが開いた。
 想像していた相手がいきなり現れて内心では動揺していたが、グッと抑える。
「こんばんは」
 と言いかけたが、その礼人にしいーっと合図をして、電話を渡しながら小声で涼子は言った。
「おかしな電話です。私は有坂涼子じゃないとか言って、女性が襲われでもしているような音がして、それから男が、これで公平だとか何とか」
 礼人が耳を当ててみたが、何も聞こえない。
 その内、ピーという音がして、ガサゴソという音が続き、男の、
『あ。ん?どういう事――』
という声を最後に通話が切れた。
「これは」
「今かかってきて、途中から録音しています」
 礼人は刑事の顔をして、自分の電話でどこかにかけ始めた。
 そして、思い出したように涼子を見た。
 ふわふわとした生地のラフな感じのルームウェアで、右手に握っているのは、
「栄養ブロック、フルーツ味……。
 まさかと思ってましたが、もしや、いつもそれを?」
「いいえ。昼はキッチンベーカリーのパンです」
「朝は?」
「今日はココア味にしました」
「そういう問題じゃねえ」
 礼人は思わずそう言った。
『はい?え、森本?』
 電話の向こうで、係長が戸惑っていた。

 電波を元に探し当てた香田は、変わり果てた姿をしていた。
 柔らかそうなピンクのハイネックのセーターに茶色っぽいチェックのガウチョパンツ、ベージュのコート、焦げ茶色のショートブーツ。そしてその首には包帯が巻かれ、ブーツは赤い塗料をかけられている。
 そしてその姿で、足を投げ出して背後の木にもたれるようにして座っている香田は、死んでいた。
 そばにはハンドバッグと電池切れのスマホが転がり、バッグの中には、ビニール袋に入れた上で使いこんだタオルに包まれたナイフが入っていた。
「これ、花井健次殺害の凶器でしょうか」
 晴真が言う。
「多分な。この格好で処分しに来たんだろう」
 礼人は言いながら、香田を見張っていた筈の同僚が苦虫を噛んだような顔をしているのを見た。
「香田佳乃は、私服でビルに入って、作業着で出て行ってどこかで着替えたようです。すみません」
 彼らは頭を下げた。
「しかし、これで分かったな。香田佳乃が花井健次を殺害した。そして香田佳乃は、誰かに有坂涼子と間違えられて殺された。
 理由はどちらもこれからだがな」
 重苦しい空気が、彼らを包んだ。
「それと並行して、先生の警護をせんとな」
 なぜか礼人にはわからなかったが、皆が一斉に礼人を見た。
「森元先輩でしょう、やっぱり」
「ああ、そうだな」
「森元、頼むぞ」
「は?はい。わかりました」
 隣だから便利だろうとか?よくわからないが、やることはわかった。
 ふと礼人は、栄養ブロックを持って、
「フルーツとココアとブルーベリーとナッツのローテーションです」
と真顔で言う涼子の幻影を見た。
 


 

 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...