隣の猫

JUN

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プロポーズ

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 礼人と係長と署長は、ローテーブルで向き合っていた。
「捜査一課ですか」
「来月からね。我が署の期待の星だ。頼むよ」
 係長と署長は上機嫌だ。
 警視庁に異動が決まったというお知らせだったが、普通なら辞令1枚で終わりだ。わざわざ署長室でコーヒーをご馳走になるという事はない。
 それで礼人は、警戒していた。
「ところで、森元君」
(来たぞ)
 内心で礼人は気を引き締めた。
 署長はニコニコとしながら、言う。
「君は決まった人とかはいないのかね」
「はっ。今の所は」
 隣の猫の世話が忙しい。
「うちの娘なんだけどね。今年24なんだが、どうかと思ってねえ」
「署長のお嬢さんですか。確か航空会社のパーサーをなさっているんでしたね。大学時代はミスに選ばれたと伺いましたよ」
 知っていたに違いない係長が、署長の話に乗って見せる。
「そうなんだよ。いやあ、娘の相手には、間違いない男をとねえ」
「親心ですなあ」
 署長と係長は、ははは、と笑った。
「自分は、まだまだです。まずは仕事にと思っておりますので」
 礼人は言いながら、どうやって逃げようかと考えていた。
(ここは、異動だな。新しい環境に慣れ、一人前になるのが先だ。これでいこう)
「異動したら忙しくなるよ、森元君。健康管理や身の回りの事に気を配ってくれる人がいた方がいいよ」
 係長が言う。
 涼子を思い出した。どちらかと言えば、礼人が涼子の健康管理をしているようなものだ。
「いえ。自分でそのくらいできなければ。それを女性の仕事と言い切るのは、このご時世、クレームの元ですよ」
「確かに。
 でも、守るべき家庭、相手がいる方が、仕事でも張り合いが出て、いい結果が出るもんだよ。ねえ、署長」
 涼子を守りたいと思う。守りたい人といえば涼子だ。警察官という職務上のものは別にすると。
(また終電にならないだろうな。夜中の1人歩きは危ないから、タクシーにしろって言ってるのに。
 電話してくれれば、迎えに行くのになあ)
「森元君?」
「は?はい!ええと、そうですねえ。でも、自分に署長のお嬢さんは恐れ多いと申しますか」
 慌てて返事をする礼人を、2人はじっと見た。
「お付き合いしている人はいないよね。届けは出てないし」
 涼子の事は、まだ言ってない。大体、一緒にご飯を食べる仲で、お付き合いと言うのだろうか。
「森元君?誰か気になる人でも……まさか有坂先生?」
「誰かね?」
「はっ。監察医の先生で――」
 係長が署長に、家柄やら、お兄さんが多角経営で成功している人だとか説明するのを聞き流しながら、礼人は考えていた。
(俺は涼子をどう思ってる?いや、涼子は俺をどう思ってる?
 あれ?俺、言ったよな?好きって言った……っけ?)
 自信がなくなって来た。
(涼子も、まさか俺を、エサ係とは思ってないよな?もしくは風紀委員とか)
 嫌な汗が出て来た。
(そう言えばこの前訊かれたな。『合コンって何の略』って。あれ、もしかして、合コンに誘われたんじゃ……)
 因みにその時、涼子は合コンを「合同コンサート」だと思っていたふしがあった。
(今すぐ確認したい。こんな事をしている場合じゃないぞ)
 礼人は、監察医務院に春から入るからとあいさつに来た新人を思い出した。今どきの顔とスタイルの男で、涼子に見とれ、涼子が指導係になって上ずった声でアドレス交換したいと言っていた。
(こうしてはいられない)
 礼人はすっくと立ちあがった。
「急用を思い出しました。警護対象の希少な猫の安否確認をしてきますので。失礼します」
「森元君?」
 署長と係長は、礼人が出て行くのを見送って、溜め息をついた。
「だめかねえ」
「ですね」

 涼子は、先程の解剖の検案書を書いていた。
 と、電話が鳴る。誰かと思えば、礼人だ。
「はい?」
『仕事中にすまん。今、いいか』
「大丈夫。もう縫い終わったから」
『ああ……単刀直入に言う。結婚してくれ』
「……誰が?誰と?」
『俺と、涼子が』
 涼子は電話を耳から離して、2秒ほど眺めた。
『もしもし?』
「はい。結婚ね、わかった。いいわ、する。でも、いつ?」
『来月から異動で――え、いいの?』
「はい。私も来月学会があって。日にちは帰ってからでいいですか」

 礼人は電話を切ると思わず万歳をした。
 しかし、聞いていた同僚達には呆れられた。
「何てロマンの欠片も無いプロポーズだ!」
「先生がかわいそうだ!」
「やり直せ!花束と指輪とレストランだ!」
 そうして、婚約の話はどちらの職場にも一気に広まった。ロマンの欠片もないプロポーズの文言と共に……。
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