体質が変わったので

JUN

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水遊び(3)陸上の水死体

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 その男は、駅前のコンビニの入り口付近にしゃがみ込んで、タバコを吸っていた。
 美味い儲け話もつまらないオチでフイになり、安アパートに戻れば、金融会社からの督促状が待っているだけ。いいことが何も思いつかなかった。
「クソッ」
 店内から出ようとした客が迷惑そうに眉を寄せ、男は、何度目かになる悪態をついて、短くなったタバコを乱暴に踏みにじった。
 なにもかもが、詰まらない。上手くいかない。
 一昨日知り合ったばかりの女の所にでも行くか、と、顔よりも体を思い出して少し気分を良くした時だった。
「あーそーぼー」
 そんな声がしたのは。小学生、それも低学年くらいの男の子の声で、耳というより、頭で直接聞いたような気がした。
「声は耳で聞くもんだろ。バカバカしい」
 あの日に聞いた声に似ている事に内心ではビクビクしながら、虚勢を張るように嗤って、一応は辺りをキョロキョロと見廻す。
「気のせいか」
 安心して足を踏み出そうとしたが、更に声は続く。
「こんどはー、みずあそびだよー」
 弾かれた様に、辺りを見廻す。
「どういう事だ?! あのガキ、警察に――?!」
 どこに逃げるべきか、忙しく考える。
 が、思いつく前に、急に息ができなくなって、苦しくてパニックになった。これは、そう。プールで溺れかけた時にそっくりだ。
 そう思い出したのと同時に、目の前に突然、あの男の子が現れた。楽し気に笑っている。
 やけに色が薄くて、透明で、なんだかあれじゃ幽霊みたいだ。そう思ったのを最後に、男はこの世を去った。

 我が校には校舎が三つある。ちょうどカタカナのコの字を思い浮かべてもらいたい。上の横棒に当たるのが一般教室棟で、一年生は四階、二年生が三階、三年生が二階となっていて、一階には職員室や保健室などがある。下の横棒に当たるのが特別教室棟で、音楽室や美術室、家庭科室、地学教室などになっている。残る縦棒に当たるのが部室棟で、主に運動部が三階から上、文化部が下だ。その中で新設の心霊研究部の部室は一階の真ん中辺りで、ドア側の窓の向こうには、中庭中央の噴水が見える。
 ドアから見た左の壁際にはスチールの本棚、右の壁際にはロッカーと棚があり、正面には窓、中央には長机が置いてあった。
 その本棚に立花さんの私物の心霊関連の本や地図などを並べ、棚には心霊写真を撮るためのカメラ、ノートブックパソコンを置いたら、取り合えず、置くものがなくなった。
 それで、寂しいしあると便利なので、電気ポット、マグカップ、インスタントコーヒーや紅茶なども置いたら、なんとも居心地のいい部室になった。
 欲を言えば小型でいいから冷蔵庫と、カセットコンロでもあれば尚いい。
 そんな事を考えながら四人で向かい合って弁当を食べかけた時、エリカ──お互いに綽名で呼び合おうと立花さんが部長命令を出し、そうなった──が、早速、調査したいものを発表したのだ。
「空気中で水死した男、ねえ」
 直は懐疑的な口調で言って、それよりも弁当だと、弁当箱の蓋を取った。
「人は陸上でも水死できるぞ。その現場には、本当にその要因はなかったのか」
 僕も弁当箱を開ける。カレーを卵焼きに包んでご飯の上に乗せたオムカレーライス、エビのエスニックパン粉焼き、ほうれん草、ひじき、ちくわとこんにゃくの炒り煮。
「うわあ、美味しそうですねえ。これ、オムライスですか」
 それを見たユキが歓声を上げる。
「カレーにハチミツを少しまぜたものを、冷まして、卵焼きに包んだんだ。ハチミツのおかげで、冷えても固まらない」
「へええ。いいこと聞きました。怜君、凄いです」
「怜は最強主婦男子だからねえ」
 和やかな三人の会話に、エリカが
「ちょっと、真面目に聞いてったら!」
と、頬を膨らませる。
「そうです、陸上で水死ってなんですか」
 ユキは、慣れてしまえば、明るい女の子だった。
「乾性溺死といって、水を勢い良く飲んだ時なんかに、水が気管に入って塞いで、それで、水死状態になることがあるらしい」
「コンビニの前でタバコを吸ってたらしいけど、そんな事はちょっとわからないわね。
 でももう一件、同じような事例があるの。こっちは大学の講義中で、衆人環視の中よ。飲まず、食わず。いきなりキョロキョロとして、怯えて、やめろとか終わりだとか来るなとか言った挙句に、よ」
「薬物は」
「それはなかったって、警察が発表したそうよ」
「ううーん」
「ね、変でしょう? 水神の祟りかも知れないわ。調べに行きましょう。調査開始よ」
 こうして、実地調査第一号として、この件が取り上げられることになってのである。

 そのコンビニは、ちょっと不可思議な事件の舞台として、やたらと人がいた。この分では、売り上げ倍増間違いなしだろう。
 そんな事を言いながら、近づいて行く。
 と、水の臭いがした。入り口に近づくほどに強くなり、テレビ中継をするリポーターの後ろ、被害者の倒れた辺りでピークになり、消える。
「どう、どう。巷では水神の祟り説が一位よ」
 エリカがワクワクと言うのに、答える。
「水の臭いがする。冬のプールとか、夏の池とか、そんな感じの」
「やっぱり水神様で決まりってこと?! じゃあ後は、その無念のうちに死んだ人はここにいない?!」
「ばか、声が大きい」
 スタッフの視線に目礼で謝り、そそくさとその場を離れる。
「亡くなった人の幽霊はいない。水の臭いが残っているだけだ。
 大学は入れないよなあ」
 と言うと、
「お任せあれ」
と笑うのは、やっぱり直だった。
 行きつけのパン屋でバイトしている人がその大学の学生で、亡くなった大学生と同じ経済学部らしい。
 それにしても、直の人脈はもう謎だ。
「大丈夫。オープンキャンパスだから」
 との事で、構内に入る。事務の人とかに何か言われる度に、門まで迎えに出てきてくれた女子大生が
「受験の為の見学です」
と堂々と言い、どんどん中へ入って行く。
 フッと、水の臭いがした。案の定、強くなる方へと行くと、その講義室があった。
「ここよ」
 言いながらその女子大学生がドアを開けると、ガランとした教室内で、兄と刑事っぽい人と先生らしい人が何やら話していた。
 こちらを見た兄の眉が、僅かにピクリとする。
「みたいだねえ」
 僕と直は、目を合わせて肩を竦めた。

 家に戻り、京香さんと浄霊に出かけた時に、そんな話をした。
「解散を見計らったように兄から電話がかかってきて、危ないことに首を突っ込んでるんじゃないだろうな――って釘をさされました」
 京香さんは、
「お見通しってわけね。流石ブラコン」
と大笑いした後、真面目な顔をして、続けた。
「でも、その水の臭いっていうのは気になるわねえ」
「だからって、水神様って感じではなかったんですけどね」
「まだ続くんだったら厄介ね。
 まあとにかく、今日の仕事よ。先日亡くなった若い息子さんが毎日出て来てるんじゃないかって」
「へえ。若いだけに思い残す事も多かったんでしょうかね」
 言いながら、その依頼者の家に行き、中へ通される。
 と、リビングに置かれた白木の位牌に手を合わせる若い男と、ローテーブルを前に座る兄と昼間に会った相棒の刑事がいた。
 お互いに驚いた。が、平静を保つ。
「息子さんというのは、もしや……」
「南部 正。水もないのに水死した大学生です」
 憮然と父親が答えた。
「こちらは?」
「正のお友達の、金代 大君です。旅行から今日帰ってきて、それで、お線香を上げに……」
 母親は涙で声を詰まらせた。
「あ、どうも。ええと、こちらは……?」
 今度は金代が訊くのに、京香さんが、
「霊関係のコンサルタントをしております、辻本と申します。こっちは御崎と申します」
と頭を下げる。
「霊、ですか?」
 金代が首を傾ける。
 軽く、当たり障りのないように答えかけた時、不意に、水の臭いがした。
「京香さん、これ」
 注意を引く間にもどんどん強くなり、京香さんの表情が厳しくひき締まる。
「どうかしましたか」
 気付いた兄が、訊いてくる。
「大学とコンビニに共通して残っていた臭いが、だんだん強くなってきてます」
 僕の答えの意味がわかるのは京香さんくらいだが、それでも、何かやばいというのだけは間違いなく伝わったようだ。全員腰を浮かせ、わからないまでも、その何かに備えて辺りを警戒する。

   ミツケタヨー

 リビングの一角に、子供が現れた。見えたのは僕と京香さん。それに、金代さん。
「ヒイィ!」
 腰を抜かしかけた金代さんに南部さん夫婦と兄の相棒が怪訝な顔を向け、事態を察している兄は、僕らの視線の先にいるそれに、見えないものかと目を凝らす。
 小学校低学年くらいの男児で、無邪気さと悪意との混ざりあった笑顔を浮かべ、こちらにペタペタと濡れた体で歩いて来る。

   カクレンボハオワリ ミズアソビシヨウ

 その途端、水の太い蛇のようなものがその子の目前に現れ、金代さん目掛けて飛んで来る。
 それを問答無用に叩き落とした僕に、子供が濁った眼を向けて来た。
「水遊びするにはまだ早いだろ」
 ニタアと笑いかけてきて、

   オニイチャンモ アソボ

と誘ってくれたが、そんな誘いはいらない。
「遊ばない」
 完全に腰を抜かした金代さんが、
「お、お前が殺したのか。俺は違うぞ。俺は電話の係で、まだ、何もしてないからな。田井と、鍋島と、南部が、やっただけだ!」
と言って後じさろうとすると、その背後に恨めしそうな顔の青年――位牌の所に置かれた白黒の写真の人物だ――が現れ、肩に食い込むほどの力で手を置いて、

   他人のせいにするなよ。お前も共犯だろ

と文句を言った。
「増えたわねえ。怜君、そっちをお願い」
 京香さんの舌打ち交じりの指示に従い、僕は南部さんに注意を向ける。
 子供は嬉しそうに南部さんを見て、

   ミンナ イッショ

と歌う。
 見えない人達は困惑の度合いを強め、金代さんは益々パニック状態になっていく。
「ギャッ!や、やめろ!」
「南部さん、落ち着きましょう」

   こいつもこっち側だろ

「ごめん、助けてくれ、死にたくない!」
 金代さんのセリフで犯罪の臭いに気付いた兄たちは、耳と目をこちらに集中している。
「何があったんですか」
「何もない、何もない!」
 金代の逃げに激高した南部さんが、気配を一変させて金代さんの心臓を握り潰さんと手を伸ばした。説得の猶予はない。片手を向けて、放出。
 金代さんの胸に手を突っ込んだ姿勢で、南部さんは憎しみと苦しみの表情を向け、消えた。

   ヘエ

 子供は興味を僕に移したらしい。
「水遊びじゃなくて、お話しようか」

   ヤアダ

 浮かんでいた水蛇が、来る。
 京香さんの縦横の印は間に合わない。僕が叩き落とす。太目なのが来るのも、叩き落とす。
「あんたの相手は私でしょうが」
 京香さんが子供に浄霊の為の力を叩き付けた。
 しかし子供は吃驚したような顔をした後、キョトンとし、

   マタネ

と、すぅっと消えた。
「ちっ、逃げたわ」
「毎度思うんだけど、霊の声が聞こえない割に、上手く空気は読んで会話してるみたいにやってますね」
「年季が違うのよ、年季が」
 僕と京香さんが臨戦態勢を解いた様子を見て、皆が体の力を抜く。
 腰を抜かしたようにへたり込む母親を父親が寝かせ、兄の相棒が金代さんの傍に張り付くのを尻目に、兄が僕に近寄って来る。
「怜」
「ん、説明するよ」
 これは確実に事件と関わってるし、僕は遊び相手に選ばれたのかも知れない。
 あああ、面倒臭い。
 




 
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