責任とって婿にします!

薄影メガネ

文字の大きさ
上 下
11 / 47
本編

9、差し出された手

しおりを挟む
 言い合いのような会話が始まってから、はや、一時間ほどが経過した深夜過ぎの王城の薄暗い地下牢で。夜闇に同化する薄墨色うすずみいろの岩壁を背に気概きがいを見せたリリヤを前にしても。オルグレンはまばたき一つせず、腕を組み、心外だと言わんばかりに眉根を寄せている。

「囚人達の尋問に貴女を使うだと……? 元よりそんなことを貴女にさせるつもりは毛頭もうとうない。たとえ貴女の方から減刑の申し出として志願されたとしてもそれを許可するつもりもないが」

「……違うのですか? 本当に?」

「違う」

 どこまでも強気に。全力で逃げようとしたと思ったら全力で立ち向かってくる。まるで手負いの獣が威嚇しているような。一向に弱った姿を見せようとしないリリヤをどう思ったのか。キッパリと否定した後でオルグレンが小さくため息を付いたのを。リリヤは忸怩しくじたる思いで見つめていた。

(……もしかして私、この子に呆れられてるの?)

 しかし、困っているようにも見えるその表情に、困惑したのはリリヤの方だった。オルグレンにこうも優しくされる理由が分からない。憎しみこそすれ、いたわりの気持ちを抱けるオルグレンの寛容さが、リリヤにはどうにも胡散臭うさんくさく感じたからだ。

「ではいったい何を……」

「それが事実なら俺で試してみればいい」

 そう言うなり、今度は着席を勧められたときとは別の意味で、オルグレンは再度手を差し出してきた。

「試すとは……?」

「俺が貴女を憎んでいるかどうか。直接触れて確かめればいい。だが貴女はどちらかというと先程から俺を怒らせたくて仕方が無いようだが?」

 リリヤをからかうように、オルグレンがくすりと笑った。辛抱強くリリヤの警戒を解いていくオルグレンの手練手管てれんてくだには正直、舌を巻く。

 小さい子供に言い聞かせるように丁寧に優しく。リリヤの赤い瞳の奥に隠された無垢なる思いに気付いているようなオルグレンの言動は。まるで狩り場を掌握しょうあくし、計算くされた手法で獲物を捕らえる狩りの名手だ。

「……何故そうまでして証明したいのですか? 時間を掛けるべき事柄なら他にいくらでもあるでしょうに……」

 憎んでいないのなら、代わりにオルグレンの心を占める感情は何なのか。知りたくないといえば嘘になる。

 しかし直接感情を読み取って嘘がないかを確認することを、触れることを許すと言っているオルグレンの提案に便乗びんじょうすることへの不安に。リリヤは頭を悩ませる。

(もしこの子の頭の中が他の男の人と同じだったら……)

 リリヤにとって世のほとんどの男は、生理的にどうしても受け付けられない、一生相容あいいれない存在という認識だからだ。

 そして、相手が同性ならまだしも異性なら心への負担は倍加する。主に性欲的な面での欲望に気付いてしまうと、その不快感にいつもゾクッと背筋に悪寒おかんが走った。全身に鳥肌が立ちそうになるくらい、リリヤは男の感情を読み取るのが嫌だった。

「確かに私は触れた相手の感情を……そして思いを読み取ることができます。でも……」

「何か問題が?」

 そうして心が疲弊する以外に問題があるとするならば、リリヤの回答は一つだった。

「触れた相手の方が私に心を開いていなければ正確に読み取ることはできないのです」

 オルグレンの命を一部とはいえ奪ったリリヤに、オルグレンが心を開いているとは到底思えない。

「それに私は基本的に人間の……特に男性には触りたくありません」

「そうか」

 なら仕方ないなと。言うなり差し出した手を引っ込めて。こちらがびっくりするくらいのいさぎよさでオルグレンは引き下がる。

「……命令はしないのですか?」

「命令……? 嫌がる女性にそんなことを強要するのは女性に相手にされない野暮やぼやからのすることだ。だが……」

 途中、何かを閃いたような声色こわいろで口ごもったオルグレンに、リリヤは何だろうと数度、瞳をまたたいた。

「それが貴女の望みならばそうしよう」

「っ!?」

 茶化ちゃかすような物言いと切り替えの早さ。大人しくて優しいだけの、害のない少年だと思っていたのに。リリヤは今や完全にオルグレンに翻弄ほんろうされている。それが消沈しょうちんしかけていたリリヤの闘争心に火を付けた。

「それは結構です。ですが、手袋越しに少しだけなら……」

 ──触れてもいい。
 女性の機微きびにはうとい癖にこういうことには頭が回る。年下の少年にいいようにされている現状が、リリヤにはどうにも我慢ならなかったのだ。
 
「それで分かるのか?」

「いいえ。でも悪意があるかどうかくらいなら分かります。お手をこちらに」

 今度はリリヤの方から差し出された手を一目いちもくして、眼差しだけでいいのか問うオルグレンにリリヤが頷くと、

(手、私よりおっきいのね……それに)

 リリヤが怖がることのないように、極力配慮しているのが伝わってくる。その手のぬくもりを一瞬心地良いと感じるほどに。一回り大きな手をオルグレンはゆっくりと慎重にリリヤの手に重ね合わせた。

 そうして手袋越しに指と指とをからませて、優しく繋がれた手から伝わる感情は怒りでもなく。憎しみでもなく。リリヤに対する労りと気遣い、そして──
 悪意ではなく嘘偽りのない純粋な想いだけ。
 その包み込むようなあたたかさにホッとして、リリヤは少し涙ぐんでしまった。
しおりを挟む

処理中です...