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第二部
42 ずっとうちの子
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昨日一昨日と、上半身を起こしてはいるもののルーカスがベッドから出てこないのを、クーペはすごく心配していた。
クーペは本能的に原因が何か感じ取ったらしい。「何でお母さん動けないの?」と、母親の様子を見に来た父親ラーティを、ベッド横の床から純真な半眼おめめでジーっと見上げていた。
勘がいいのか悪いのか、半眼の息子と無言の父親。二人のやり取りが暫く続いて、どうにもいたたまれなくなったとき、ルーカスはラーティから預かっていた物をサイドテーブルから取り出す。
失くさないようにとペンダントに加工した騎士の紋章を目にした途端、クーペの半眼おめめが大きく見開かれ、大粒の宝玉みたいにキラキラと輝き出す。
良かった。とりあえずクーペは大喜びして、父親への疑念をすっかり忘れている。
話題を逸らすのには成功したようだ。
しかし「ちょうだい」と短いおててが伸びてくるのを想像していたルーカスの意表を突くように、クーペは動かなかった。
息子は零れんばかりの、というか実際零れ落ちそうだと心配になるほど見開かれたキラキラおめめで、ペンダントを見つめ続けている。心なしか、体も小刻みに震えているように見える。
どうやら、欲しいのに嬉しすぎるのと、感動のあまり動けなくなっているようだ。
大きなおめめで、視線を真っ直ぐルーカスの手にしたペンダントに向けたまま、床で立ちん坊している。それでもどうにかおててを前に出そうとしたが、やはり中途半端な格好で硬直した息子の首に形見の紋章を下げてやるも、やはり嬉しすぎて動けないようだ。
ベッドに上半身を起こした格好で、ルーカスは棒立ちの息子に「いい子だ。おいで」と声掛けして抱き上げる。
抱っこされたクーペはルーカスの胸元に背中を預け、両足をベッドに投げ出した姿勢で、首元のペンダントを両手で大事そうに持ち上げた。
息子は、自分用にペンダントへ作り変えられた騎士の紋章が特別な物と本能的に理解しているようだ。
宝物を授けられた表情をしながら、そのまま無言でひたすら熱心に、零れ落ちそうなおめめでペンダントを凝視している。
……父さん、私にも息子が二人できました。貴方のように他人を思いやれる、強く優しい立派な息子たちです。
今はもう、遥か遠い記憶の先。父セザン・フォリンの面影を思い出しながら、ルーカスもまた、息子と一緒にペンダントを暫く眺めていた。
***
多忙の夫が連日王城に泊まり込み、屋敷に戻ってきたのは、それから更に二週間ほど経った明け方だった。
眩しい朝日が昇る屋敷の門前で、ようやく帰ってきたラーティを迎え、落ち着くかと思われていたところ。夫はルーカス宛ての召喚状を携えていた。
オルガノからの正式な呼び出しだった。
ルーカスにかけられた呪いの解除に必要な旧王族との対面を、ラーティがオルガノへ嘆願した。その全ての用意と答えが整ったということだ。
オルガノとの謁見に備え、正装に着替えるためルーカスは一旦屋敷の奥へ引っ込んだが、程なくして門前で待つラーティの元へと戻る。
すぐに出立できるよう馬上で手綱を操るラーティの後方には、警護に五名、鋼鉄の鎧に身を包んだ従者が同じく騎乗しており、ルーカスの馬を用意して待っていた。
「本当に体は大丈夫なのか?」
従者から手綱を受け取り騎乗しようとしたルーカスを見下ろすラーティが、いささか歯切れ悪く聞いてくる。
呪いのかかった体を心配する夫に、ルーカスはいつも通り、にこりと返す。
「はい、ご心配には及びませんよラーティ様」
「そうか……」
返事と共に小さく嘆息した夫に、ルーカスは目を瞬く。
「ラーティ様?」
「すまない」
大人びた言動を常とするラーティが、まるで反省した子供のように謝罪してくる。ルーカスが「おや?」と反応したのを見て、彼は益々気まずげに目を逸らした。
……どうやら、体を心配しているのは呪いの件だけではなさそうだな。
産まれたときより傍に仕え、命を懸けて守り続けてきた相手の不審を見逃すルーカスではない。
女のような色香と男としての強さを合わせ持つ、完璧を模したように隙がない金髪碧眼の王子。その上、以前の力を失ったとはいえ現在勇者でもあるラーティの美しさは、紛うことなく本物だ。
そんなラーティが、ロザリンドからルーカスがルークと呼ばれていることに触れ、口にしたあのとき。咎められたわけではないのに、彼の甘美な愛と執着に塗れた青い瞳は強く美しく、直に触れ合っている下肢が熱くなったのをルーカスは感じて動けなくなった。
他の者からの呼び名を、この方がそこまで気にするとは……
完全に油断だった。高貴な生まれの淡白な人だから、まさか呼び名に嫉妬してくれるとは思ってもいなかったのだ。
その結果が二週間ほど前の営みということなのだが、
微妙な雰囲気を察した後方の警護兵たちが、何の話をしているのだろう? と、馬上では一貫して冷静を装いながらも僅かにそわそわと乱れているのを横目に、ルーカスはやれやれと内心苦笑する。
ラーティはある程度日数が経過した今でも、ルーカスがベッドから起き上がれなくなったのを気にしている。
愛しさが溢れて、ルーカスがクスリと笑ったのにラーティが気付いた。彼は切り替えるようにコホンッと咳払いする。
「それはそうと、あの子は相変わらずなのか?」
ラーティが言うあの子とは、ロザリンドの件以来、すっかり夜更かし好きになった息子、クーペのことである。
今では夜な夜な徘徊しようとするのを捕獲していると、世話役のタリヤからルーカスは報告を受けていた。
「はい、ラーティ様。ですが夜更かしが目的というわけではないようです」
「というと?」
「友を探しているようです。屋敷中を歩き回っているのはそのためかと。たまにナディルと手を繋いで一緒に歩いてもいるようですが」
友人の作り方を知ってからというもの、クーペは夜な夜な「きゅいきゅい」手の甲を合わせる相手を探している。
まだ友になっていない者が屋敷内にいないか、チェックは入念だ。壺の中からヤカンの中まで、蓋という蓋を開けて探し回っている。たまに返し忘れた蓋を手に歩いているのを、数名が目撃したとの情報も入ってきていた。
そして妖精の子宮の影響により、二歳児の姿にまで成長したナディルはというと。産まれてまだ三月も経っていないのに、よちよちとかなり歩けるようになってきている。
タリヤの話では、自立できるようになったナディルはマイペースに歩いているお兄ちゃんに追いつこうと、その後を追っていたのだが……追いつけず、すてんすてんと転びに転んでいたそうだ。
しかしナディルは普段から大人しく、子供にしてはあまり声を出して泣かない。
静かな気性の弟が後ろについてきているとは気付かず、クーペは弟を置いてけぼりにしてしまっていた。そんなある日。
ついに、台所の鍋の蓋を開けていたクーペが、うりゅっと半泣きで床にペショッと転がっている弟の様子に気付いた。
使用人たちが気を利かせて、スプーンやらフォークやらでキンキンカンカン物音を立てて鍋の蓋を開けていたクーペを振り向かせたのだ。
一人っ子同然に育っていたクーペが、床に潰れている弟の傍に近寄る。それからおててを繋いで一緒に歩き始めたのを、屋敷の使用人たち総出で各々スプーンとフォークを手に涙ぐみながら、物陰から見ていたそうだ。
なかでも物腰の柔らかい白い顎髭を生やした品の良い老夫──ガロンやメイド長のタリヤの影に隠れてすっかり存在の薄い執事長は号泣だったという。
クーペは弟の急激な成長を気にせず普通に受け入れている。
ナディルは自分と姿形の違うクーペを兄と慕って疑わない。
子供たちの順応性の高さには、こちらの方が驚かされてばかりだ。
それからというもの、二人の徘徊兼お散歩はナディルの歩行練習にはちょうどよく、今では屋敷の使用人たちみんなで陰日向に兄弟を見守っているらしい。
ちなみに昨日も夜更かししようとしていたところをタリヤが捕獲。今回は衣装棚に小休憩用の菓子を持ち込み、本格的に夜更かしの準備をしていたそうだ。
しかし高級ドッグフード三缶と引き換えに、クーペはあっさりルーカスのところまで戻った。
まだまだ冒険心よりも母親への比重が大きいようだ。
寝る前に手に入れた高級ドッグフードを夜食に、平らげた息子は三人掛けのソファーで出た腹を上に暫く横になっていた。
十数分ほどが経ち。
落ち着いた頃合いに、腹を抱えて「きゅあ~」と眠そうにしている息子を、ルーカスは抱き上げベッドに連れて行き、寝かしつけた。
ベビーベッドを卒業したナディルの隣で、クーペは「きゅーきゅー」満足気に寝息を立てていて、二人共とても良い子にしていましたよ。と掻い摘んでルーカスが話し終えると、ラーティが父親の優しい顔でこちらを見下ろしていた。
彼は「そうか」と短く答えて、それから続けざまに述べる。
「夜に友人ができたから、夜中の方が友人を作りやすいと思っているのかもしれない」
ラーティは話を始終穏やかな様子で聞いていたけれど、返し忘れた蓋を手に歩く我が子の話に、彼がどのような感想を持ったのかルーカスは少し知りたくなった。
「なるほど。確かに、あのときはみんな深夜遅くに行列を作って集まってくれましたからね」
感情の起伏をあまり表に出さない夫の考えていることも気になるけれど、そういえば、ガロンがクーペに友達になってもらったのか聞いていないなと耽っていると──
「それとルーカス、下だ」
「?」
言われたと同時に、足元をつんつん引っ張られる感触があった。「ん?」と下を見る。
噂をすればで見慣れた小さな黒い塊が、嬉しそうにお口を半開きで、こちらをキラーンと見上げている。
やれやれ、どおりでラーティの表情が父親の顔をしていると思ったら。と納得する。
眼前の夫と息子の話に集中し過ぎていたようだ。
足元の方から目が合うと、息子は「やあ」と片手を上げて挨拶してきた。
クーペは少し前からいて、気付かれるまでルーカスの近くをちょこまか動いていたらしい。ルーカスの周囲の地面には、小さな足跡がたくさんついている。
服を着替えに屋敷へ戻ったときは、クーペはナディルの隣で出た腹を上に爆睡していたしイビキもかいていた。起きる気配などなかったのに、親の動きには敏感なようだ。
「ああ、おはようクーペ。起きたのか?」
コクコク頷き、次いで、両のおててを「ん~」と上げてきた。抱っこしてほしいらしい。
手綱を片手に移動させ、よいしょと抱き上げると、クーペはラーティにも片手を上げて「やあ」と挨拶する。
コミュニケーション覚えたての我が子の頑張りに、ラーティは無言で体を屈めると、馬上から黒い小さな頭を撫でた。
最近ようやく父親を半眼で見るのを控えるようになってきたのだな。と微笑ましく思ったら──気のせいだった。クーペは特に控えていなかった。
頭なでなでは甘んじて受けいれる。けれど、目だけはしっかりキリッと半眼で、ラーティを見ている。
強い子だ。小さな体にとてつもなく強い意思を秘めている。
だが、けして油断はしないぞと小さな体で気を張っているにしては、ラーティを完全に拒絶しない違和感。そこでルーカスは気付いた。別の理由があることに。
強い意思を感じる半眼おめめは、父親を警戒しているからなのかと思っていた。きっと息子なりの線引きがあるのだろうと。
最初はそうだったのかもしれない。しかし今のクーペの態度には父親への信頼も混ざっている。
これまで見てきたラーティの言動から、息子なりに何か感じる部分があったのだろう。
家族を大切にし、守ろうとするラーティを、クーペは父親として認めている。信頼できる相手とも思っている。
そこから導き出せる答えはこれだ。
おそらくクーペは……強くて立派な自分を見せたいのだ。
それが父親への対抗心に近い感覚であることと、実際父親への対抗心も大部分混ざっているような気がするのも手伝って、ルーカスは二人の関係性を誤解していた。
ちゃんと立派な息子として認めてもらうために、クーペはラーティの前では虚勢を欠かさない。
ラーティが息子をどこまで理解しているかは不明だが、そんなクーペをラーティも尊重して大事にしているのはわかる。
やはり父親と母親とは何かが違うらしい。
そんな父子の事情に気を取られていたら、またもツンツンと足元の方から服を引かれる感触に、「ん?」と再び下を見る。
歩けるまでに急激に成長したもう一人の息子、ナディルが目を擦りながらおぼつかない様子で立っていた。
隣りでイビキをかいて寝ていたはずの兄の姿が見えないので、起きてしまったらしい。
「おはようナディル」
朝の挨拶を終えたところで、屋敷の方が急にバタバタと騷しくなった。
屋敷の正面扉から門まではそこそこ距離があるものの、扉を開閉する派手な音が聞こえた。
門前にいるルーカスたちの方へ足音が迫る。
やがて現れたのは、クーペと一緒にナディルの方も面倒を見てくれているメイド長のタリヤだ。冷静な彼女にしては珍しく、足にスカートを絡ませながら、慌てた様子でやってきて頭を下げる。
「申し訳ございません! 旦那様、ルーカス様」
「大丈夫だタリヤ。ナディルの成長が早くて対応が難しいなか、君はよくやってくれている」
声を掛けながらルーカスはナディルを抱き上げ、両手に息子たちをかかえ直す。
ここまで歩けるようになっていたとはと、タリヤはナディルの成長の早さに気後れして見失ってしまったようだ。
一連を見ていたラーティがタリヤに馬上から声を掛ける。
「ルーカスの言う通り君は優秀なメイドだ。しかし二人同時に見るのは難しいだろう。今度新しい世話役を君の下に付ける。教育、指導の他に人選も君に任せるつもりだが、それでいいか?」
ラーティからの提案に、タリヤは丁寧に頭を下げる。
「お心遣い感謝いたします旦那様。ご提案いただいた内容で、もちろん何の問題もございません」
「いや、提案が遅れてすまなかった」
「もったいないお言葉でございます」
タリヤが深々と頭を下げるなか、もう一人の息子、ナディルもすっかり起きてしまったらしい。父親譲りの青いおめめがパッチリと開いている。
更には訴えるように胸元の衣服をキュッと握られた。
眠気よりも両親の行方が気になるらしい。「どこいくの?」と隣の兄と一緒になって、こちらをジッと見ている。
姿形は違えど、まるで本物の兄弟のようだ。クリクリと大きなおめめの使い方までそっくりになってきた。
穏やかな心境に、ルーカスは柔らかく目を細める。
「これから私たちは王城に行かなければならない。少しの間留守にするが、いい子で待っていてくれるか?」
ナディルにぐずる様子はない。しかし両親不在の寂しさと「いってらっしゃい」の代わりに一も二もなくギューとひっつかれた。クーペは隣で弟の頭をよしよししている。
「そうか、ありがとう」
騎士団長だった父を失い、生きてきた時のなかで歳を取り、親になってみないとわからない感情もある。
ルーカスは両手に抱えた小さな体の温かさに、息子たちをギュッと抱き返す。
「クーペ、私たちは全力で対処するが、もし竜玉が戻らなかった場合、一生赤ちゃんサイズのままかもしれない……それでもずっと私の子供のままでいてくれるか? ずっとナディルのお兄ちゃんでいてくれるか?」
真剣なルーカスの表情に、クーペはキリッと「きゅいっ」と真剣な顔で返す。これは「わからないけど、とりあえずルーカスの言うことには全面的に同意する」ときに出る、男前の顔だ。
知ったかぶりではなく、本人は至って素直で真剣に「わからないけど同意する」という全面的な信頼の元に、己の意志を主張している。
こと、押し売りや詐欺師においては注意が必要だが、詳細は追ってお知らせしてもしなくてもどちらでも可の、強靭な精神力。
頼もしい我が子は理屈抜きに、ずっとうちの子でいてくれるらしい。
キリッと男前な顔で凛々しくこちらを見上げている息子へ、ルーカスは信頼を示して真剣な表情を緩め、「ありがとう」と告げる。
「さて、そろそろ行きましょうか。あまりオルガノを待たせてはいけない」
「そうだな。特段急ぐ必要はないと言われているがあまり遅くなるとあの方は何かと面倒だ」
ラーティはサラリと述べたが、あれほど顔を合わせればオルガノへの敵意を剥き出しに衝突していた彼が、面倒の一言で片付けるようになるとは。なかなか言うようになったものだとルーカスは一瞬驚いた。
こちらはこちらで事情が異なる親子関係の変化に時の流れを感じ、己の中にある多くの観念が上書きされていく心地に、ラーティを愛しく見上げ「はい」と頷き微笑む。
日々成長している息子たちを地面に下ろし、タリヤに預ける。
手綱を握り直し騎乗すると、下から「きゅいきゅい」鳴き声がした。
いってらっしゃいと精一杯両手を上げて、足りない身長をカバーするようにぴょんぴょん飛びながらおててを振っているクーペに、ルーカスは「いってくる」と返答する。
その隣で兄がすることをナディルが見ているのを尻目に、屋敷に戻ったばかりのラーティと連れ立って、ルーカスは王城へ赴いた。
*
ルーカスたちが王城に向かってから程なくして。
「タリヤさん! 旦那様方はもう出立されてしまいましたか?」
屋敷の方からやってきたのは、物腰の柔らかい白い顎髭を生やした品の良い老夫。魔獣使いのガロンやメイド長のタリヤの影に隠れてすっかり存在の薄い、屋敷の執事長だ。
「執事長そんなに慌ててどうなさったのですか? 旦那様方なら出立された後ですが」
「ルーカス様宛てにローランド様から書簡が届いたのです。鳥系の魔獣による配送でしたので旦那様方のいる正門を通らなかったため、すれ違いになったようです」
「ローランド様とは、キロプト騎士団の団長だったあのローランド様ですか? 随分前に引退されたとお聞きしておりましたけれど」
「ええ、しかし困りましたね。ローランド様はルーカス様のお父上と縁の深いお方です。書簡の内容はわかりませんが、此度の件もあります。できれば陛下との謁見の前にお渡ししたかったのですが……」
「旦那様たちの馬は訓練を受けた騎馬ですし、既にかなりの距離が離れているかと。早馬を出しても追いつかないかもしれませんね」
タリヤは執事長より一回り以上年下の若いメイドだが、思慮深い。執事長は彼女の話に耳を傾け、落ち着いた物腰で答える。
「そうですか……わかりました。しかし魔獣の手配を頼めそうなガロン様は王城の魔獣小屋ですし、他に手の打ちようがありません。とにかく今は急ぎ早馬を用意しましょう。後のことは私がなんとかしま……あの、クーペ様はどちらに?」
「え?」
会話中、執事長が持っている書簡にピスピスと鼻先を当てたりしながら、クーペが周りをちょろちょろしていたのには二人は気付いていた。
「あれ? 書簡が……」
執事長が手に持っていた書簡がなくなっている。
ナディルが「ん」と空を指さした。遥か上空をいく、黒い小さな丸い個体が一匹。ゆうゆうと飛んでいる。気持ちよさそうだ。
「「まさか……」」
迂闊だった。いくら人間の子供のようでも、相手は馬より早い羽の持ち主。
忽然と消えた主の息子は「お母さんはお城──!」と地を駆けるルーカスたちの元へ良い子に寄り道などせず、一直線に王城に向かってお空を飛んでいく。
お届け物をおててに屋敷から遠ざかり、お空の豆粒と化していく。
やがて主の息子がお空の豆粒となった姿に、「クーペ様ぁぁぁあ!」と執事長が絶叫するなか、タリヤが早馬を手配する声が響いた。
*
そして一方、馬で地を駆けるルーカスたちは、屋敷を出てから数刻も経たぬうちに我が子が上空を突っ切り、自分たちを通り越して先に王城に到着しそうだなどとは夢にも思っていない。
通常の経路を通り、王城を目指す馬上のルーカスの頭に、ふとオルガノを説得できなかったときの名案が浮かぶ。
「ああ、一層のことクーペにオルガノと友人になってもらうのもいいですね」
ルーカスの頼みならばクーペはやる。
相手がオルガノだろうと何だろうと、命を持たない無機質な路傍の石であろうとも、クーペはきっとやる。それがわかっているだけに、隣で手綱を操る夫の長い沈黙は、悩みの深さに比例した。
堪えきれず、くすくす笑い出すルーカスに、ラーティが頭を痛くする仕草をした。
「おや、楽しそうですよ? ラーティ様もご一緒されてはいかがですか?」
「それは私にも友を作れと勧めているのか?」
提案に、ラーティが眉を顰めるも、ルーカスは一瞬の迷いもなく返す。
「友人は良いものですが、私は今の貴方に不足を感じたことはございません」
そもそもラーティの場合は友人を作らずとも周りが放っておかない。
物静かに佇んでいても、自然と人が集まってくる。そういう人だ。
「ルーカスお前……よもやそれはそれで面白いなどと思ってはいないな?」
「よもやとはオルガノとクーペが友人になる話ですか?」
ラーティが素直に頷くのを見て、ルーカスは少しの沈黙を置いた。
「まさか、そのようなことは少しも考えておりませんでした」
「…………」
ルーカスはにっこり笑ったが、先程の沈黙といい。今の意味深な様子といい。主の後方を騎乗する五名の警護兵たちも含め、この場にいる全員が嘘だと確信している各々の視線を感じたけれど、素知らぬ顔で通すことにした。
クーペは本能的に原因が何か感じ取ったらしい。「何でお母さん動けないの?」と、母親の様子を見に来た父親ラーティを、ベッド横の床から純真な半眼おめめでジーっと見上げていた。
勘がいいのか悪いのか、半眼の息子と無言の父親。二人のやり取りが暫く続いて、どうにもいたたまれなくなったとき、ルーカスはラーティから預かっていた物をサイドテーブルから取り出す。
失くさないようにとペンダントに加工した騎士の紋章を目にした途端、クーペの半眼おめめが大きく見開かれ、大粒の宝玉みたいにキラキラと輝き出す。
良かった。とりあえずクーペは大喜びして、父親への疑念をすっかり忘れている。
話題を逸らすのには成功したようだ。
しかし「ちょうだい」と短いおててが伸びてくるのを想像していたルーカスの意表を突くように、クーペは動かなかった。
息子は零れんばかりの、というか実際零れ落ちそうだと心配になるほど見開かれたキラキラおめめで、ペンダントを見つめ続けている。心なしか、体も小刻みに震えているように見える。
どうやら、欲しいのに嬉しすぎるのと、感動のあまり動けなくなっているようだ。
大きなおめめで、視線を真っ直ぐルーカスの手にしたペンダントに向けたまま、床で立ちん坊している。それでもどうにかおててを前に出そうとしたが、やはり中途半端な格好で硬直した息子の首に形見の紋章を下げてやるも、やはり嬉しすぎて動けないようだ。
ベッドに上半身を起こした格好で、ルーカスは棒立ちの息子に「いい子だ。おいで」と声掛けして抱き上げる。
抱っこされたクーペはルーカスの胸元に背中を預け、両足をベッドに投げ出した姿勢で、首元のペンダントを両手で大事そうに持ち上げた。
息子は、自分用にペンダントへ作り変えられた騎士の紋章が特別な物と本能的に理解しているようだ。
宝物を授けられた表情をしながら、そのまま無言でひたすら熱心に、零れ落ちそうなおめめでペンダントを凝視している。
……父さん、私にも息子が二人できました。貴方のように他人を思いやれる、強く優しい立派な息子たちです。
今はもう、遥か遠い記憶の先。父セザン・フォリンの面影を思い出しながら、ルーカスもまた、息子と一緒にペンダントを暫く眺めていた。
***
多忙の夫が連日王城に泊まり込み、屋敷に戻ってきたのは、それから更に二週間ほど経った明け方だった。
眩しい朝日が昇る屋敷の門前で、ようやく帰ってきたラーティを迎え、落ち着くかと思われていたところ。夫はルーカス宛ての召喚状を携えていた。
オルガノからの正式な呼び出しだった。
ルーカスにかけられた呪いの解除に必要な旧王族との対面を、ラーティがオルガノへ嘆願した。その全ての用意と答えが整ったということだ。
オルガノとの謁見に備え、正装に着替えるためルーカスは一旦屋敷の奥へ引っ込んだが、程なくして門前で待つラーティの元へと戻る。
すぐに出立できるよう馬上で手綱を操るラーティの後方には、警護に五名、鋼鉄の鎧に身を包んだ従者が同じく騎乗しており、ルーカスの馬を用意して待っていた。
「本当に体は大丈夫なのか?」
従者から手綱を受け取り騎乗しようとしたルーカスを見下ろすラーティが、いささか歯切れ悪く聞いてくる。
呪いのかかった体を心配する夫に、ルーカスはいつも通り、にこりと返す。
「はい、ご心配には及びませんよラーティ様」
「そうか……」
返事と共に小さく嘆息した夫に、ルーカスは目を瞬く。
「ラーティ様?」
「すまない」
大人びた言動を常とするラーティが、まるで反省した子供のように謝罪してくる。ルーカスが「おや?」と反応したのを見て、彼は益々気まずげに目を逸らした。
……どうやら、体を心配しているのは呪いの件だけではなさそうだな。
産まれたときより傍に仕え、命を懸けて守り続けてきた相手の不審を見逃すルーカスではない。
女のような色香と男としての強さを合わせ持つ、完璧を模したように隙がない金髪碧眼の王子。その上、以前の力を失ったとはいえ現在勇者でもあるラーティの美しさは、紛うことなく本物だ。
そんなラーティが、ロザリンドからルーカスがルークと呼ばれていることに触れ、口にしたあのとき。咎められたわけではないのに、彼の甘美な愛と執着に塗れた青い瞳は強く美しく、直に触れ合っている下肢が熱くなったのをルーカスは感じて動けなくなった。
他の者からの呼び名を、この方がそこまで気にするとは……
完全に油断だった。高貴な生まれの淡白な人だから、まさか呼び名に嫉妬してくれるとは思ってもいなかったのだ。
その結果が二週間ほど前の営みということなのだが、
微妙な雰囲気を察した後方の警護兵たちが、何の話をしているのだろう? と、馬上では一貫して冷静を装いながらも僅かにそわそわと乱れているのを横目に、ルーカスはやれやれと内心苦笑する。
ラーティはある程度日数が経過した今でも、ルーカスがベッドから起き上がれなくなったのを気にしている。
愛しさが溢れて、ルーカスがクスリと笑ったのにラーティが気付いた。彼は切り替えるようにコホンッと咳払いする。
「それはそうと、あの子は相変わらずなのか?」
ラーティが言うあの子とは、ロザリンドの件以来、すっかり夜更かし好きになった息子、クーペのことである。
今では夜な夜な徘徊しようとするのを捕獲していると、世話役のタリヤからルーカスは報告を受けていた。
「はい、ラーティ様。ですが夜更かしが目的というわけではないようです」
「というと?」
「友を探しているようです。屋敷中を歩き回っているのはそのためかと。たまにナディルと手を繋いで一緒に歩いてもいるようですが」
友人の作り方を知ってからというもの、クーペは夜な夜な「きゅいきゅい」手の甲を合わせる相手を探している。
まだ友になっていない者が屋敷内にいないか、チェックは入念だ。壺の中からヤカンの中まで、蓋という蓋を開けて探し回っている。たまに返し忘れた蓋を手に歩いているのを、数名が目撃したとの情報も入ってきていた。
そして妖精の子宮の影響により、二歳児の姿にまで成長したナディルはというと。産まれてまだ三月も経っていないのに、よちよちとかなり歩けるようになってきている。
タリヤの話では、自立できるようになったナディルはマイペースに歩いているお兄ちゃんに追いつこうと、その後を追っていたのだが……追いつけず、すてんすてんと転びに転んでいたそうだ。
しかしナディルは普段から大人しく、子供にしてはあまり声を出して泣かない。
静かな気性の弟が後ろについてきているとは気付かず、クーペは弟を置いてけぼりにしてしまっていた。そんなある日。
ついに、台所の鍋の蓋を開けていたクーペが、うりゅっと半泣きで床にペショッと転がっている弟の様子に気付いた。
使用人たちが気を利かせて、スプーンやらフォークやらでキンキンカンカン物音を立てて鍋の蓋を開けていたクーペを振り向かせたのだ。
一人っ子同然に育っていたクーペが、床に潰れている弟の傍に近寄る。それからおててを繋いで一緒に歩き始めたのを、屋敷の使用人たち総出で各々スプーンとフォークを手に涙ぐみながら、物陰から見ていたそうだ。
なかでも物腰の柔らかい白い顎髭を生やした品の良い老夫──ガロンやメイド長のタリヤの影に隠れてすっかり存在の薄い執事長は号泣だったという。
クーペは弟の急激な成長を気にせず普通に受け入れている。
ナディルは自分と姿形の違うクーペを兄と慕って疑わない。
子供たちの順応性の高さには、こちらの方が驚かされてばかりだ。
それからというもの、二人の徘徊兼お散歩はナディルの歩行練習にはちょうどよく、今では屋敷の使用人たちみんなで陰日向に兄弟を見守っているらしい。
ちなみに昨日も夜更かししようとしていたところをタリヤが捕獲。今回は衣装棚に小休憩用の菓子を持ち込み、本格的に夜更かしの準備をしていたそうだ。
しかし高級ドッグフード三缶と引き換えに、クーペはあっさりルーカスのところまで戻った。
まだまだ冒険心よりも母親への比重が大きいようだ。
寝る前に手に入れた高級ドッグフードを夜食に、平らげた息子は三人掛けのソファーで出た腹を上に暫く横になっていた。
十数分ほどが経ち。
落ち着いた頃合いに、腹を抱えて「きゅあ~」と眠そうにしている息子を、ルーカスは抱き上げベッドに連れて行き、寝かしつけた。
ベビーベッドを卒業したナディルの隣で、クーペは「きゅーきゅー」満足気に寝息を立てていて、二人共とても良い子にしていましたよ。と掻い摘んでルーカスが話し終えると、ラーティが父親の優しい顔でこちらを見下ろしていた。
彼は「そうか」と短く答えて、それから続けざまに述べる。
「夜に友人ができたから、夜中の方が友人を作りやすいと思っているのかもしれない」
ラーティは話を始終穏やかな様子で聞いていたけれど、返し忘れた蓋を手に歩く我が子の話に、彼がどのような感想を持ったのかルーカスは少し知りたくなった。
「なるほど。確かに、あのときはみんな深夜遅くに行列を作って集まってくれましたからね」
感情の起伏をあまり表に出さない夫の考えていることも気になるけれど、そういえば、ガロンがクーペに友達になってもらったのか聞いていないなと耽っていると──
「それとルーカス、下だ」
「?」
言われたと同時に、足元をつんつん引っ張られる感触があった。「ん?」と下を見る。
噂をすればで見慣れた小さな黒い塊が、嬉しそうにお口を半開きで、こちらをキラーンと見上げている。
やれやれ、どおりでラーティの表情が父親の顔をしていると思ったら。と納得する。
眼前の夫と息子の話に集中し過ぎていたようだ。
足元の方から目が合うと、息子は「やあ」と片手を上げて挨拶してきた。
クーペは少し前からいて、気付かれるまでルーカスの近くをちょこまか動いていたらしい。ルーカスの周囲の地面には、小さな足跡がたくさんついている。
服を着替えに屋敷へ戻ったときは、クーペはナディルの隣で出た腹を上に爆睡していたしイビキもかいていた。起きる気配などなかったのに、親の動きには敏感なようだ。
「ああ、おはようクーペ。起きたのか?」
コクコク頷き、次いで、両のおててを「ん~」と上げてきた。抱っこしてほしいらしい。
手綱を片手に移動させ、よいしょと抱き上げると、クーペはラーティにも片手を上げて「やあ」と挨拶する。
コミュニケーション覚えたての我が子の頑張りに、ラーティは無言で体を屈めると、馬上から黒い小さな頭を撫でた。
最近ようやく父親を半眼で見るのを控えるようになってきたのだな。と微笑ましく思ったら──気のせいだった。クーペは特に控えていなかった。
頭なでなでは甘んじて受けいれる。けれど、目だけはしっかりキリッと半眼で、ラーティを見ている。
強い子だ。小さな体にとてつもなく強い意思を秘めている。
だが、けして油断はしないぞと小さな体で気を張っているにしては、ラーティを完全に拒絶しない違和感。そこでルーカスは気付いた。別の理由があることに。
強い意思を感じる半眼おめめは、父親を警戒しているからなのかと思っていた。きっと息子なりの線引きがあるのだろうと。
最初はそうだったのかもしれない。しかし今のクーペの態度には父親への信頼も混ざっている。
これまで見てきたラーティの言動から、息子なりに何か感じる部分があったのだろう。
家族を大切にし、守ろうとするラーティを、クーペは父親として認めている。信頼できる相手とも思っている。
そこから導き出せる答えはこれだ。
おそらくクーペは……強くて立派な自分を見せたいのだ。
それが父親への対抗心に近い感覚であることと、実際父親への対抗心も大部分混ざっているような気がするのも手伝って、ルーカスは二人の関係性を誤解していた。
ちゃんと立派な息子として認めてもらうために、クーペはラーティの前では虚勢を欠かさない。
ラーティが息子をどこまで理解しているかは不明だが、そんなクーペをラーティも尊重して大事にしているのはわかる。
やはり父親と母親とは何かが違うらしい。
そんな父子の事情に気を取られていたら、またもツンツンと足元の方から服を引かれる感触に、「ん?」と再び下を見る。
歩けるまでに急激に成長したもう一人の息子、ナディルが目を擦りながらおぼつかない様子で立っていた。
隣りでイビキをかいて寝ていたはずの兄の姿が見えないので、起きてしまったらしい。
「おはようナディル」
朝の挨拶を終えたところで、屋敷の方が急にバタバタと騷しくなった。
屋敷の正面扉から門まではそこそこ距離があるものの、扉を開閉する派手な音が聞こえた。
門前にいるルーカスたちの方へ足音が迫る。
やがて現れたのは、クーペと一緒にナディルの方も面倒を見てくれているメイド長のタリヤだ。冷静な彼女にしては珍しく、足にスカートを絡ませながら、慌てた様子でやってきて頭を下げる。
「申し訳ございません! 旦那様、ルーカス様」
「大丈夫だタリヤ。ナディルの成長が早くて対応が難しいなか、君はよくやってくれている」
声を掛けながらルーカスはナディルを抱き上げ、両手に息子たちをかかえ直す。
ここまで歩けるようになっていたとはと、タリヤはナディルの成長の早さに気後れして見失ってしまったようだ。
一連を見ていたラーティがタリヤに馬上から声を掛ける。
「ルーカスの言う通り君は優秀なメイドだ。しかし二人同時に見るのは難しいだろう。今度新しい世話役を君の下に付ける。教育、指導の他に人選も君に任せるつもりだが、それでいいか?」
ラーティからの提案に、タリヤは丁寧に頭を下げる。
「お心遣い感謝いたします旦那様。ご提案いただいた内容で、もちろん何の問題もございません」
「いや、提案が遅れてすまなかった」
「もったいないお言葉でございます」
タリヤが深々と頭を下げるなか、もう一人の息子、ナディルもすっかり起きてしまったらしい。父親譲りの青いおめめがパッチリと開いている。
更には訴えるように胸元の衣服をキュッと握られた。
眠気よりも両親の行方が気になるらしい。「どこいくの?」と隣の兄と一緒になって、こちらをジッと見ている。
姿形は違えど、まるで本物の兄弟のようだ。クリクリと大きなおめめの使い方までそっくりになってきた。
穏やかな心境に、ルーカスは柔らかく目を細める。
「これから私たちは王城に行かなければならない。少しの間留守にするが、いい子で待っていてくれるか?」
ナディルにぐずる様子はない。しかし両親不在の寂しさと「いってらっしゃい」の代わりに一も二もなくギューとひっつかれた。クーペは隣で弟の頭をよしよししている。
「そうか、ありがとう」
騎士団長だった父を失い、生きてきた時のなかで歳を取り、親になってみないとわからない感情もある。
ルーカスは両手に抱えた小さな体の温かさに、息子たちをギュッと抱き返す。
「クーペ、私たちは全力で対処するが、もし竜玉が戻らなかった場合、一生赤ちゃんサイズのままかもしれない……それでもずっと私の子供のままでいてくれるか? ずっとナディルのお兄ちゃんでいてくれるか?」
真剣なルーカスの表情に、クーペはキリッと「きゅいっ」と真剣な顔で返す。これは「わからないけど、とりあえずルーカスの言うことには全面的に同意する」ときに出る、男前の顔だ。
知ったかぶりではなく、本人は至って素直で真剣に「わからないけど同意する」という全面的な信頼の元に、己の意志を主張している。
こと、押し売りや詐欺師においては注意が必要だが、詳細は追ってお知らせしてもしなくてもどちらでも可の、強靭な精神力。
頼もしい我が子は理屈抜きに、ずっとうちの子でいてくれるらしい。
キリッと男前な顔で凛々しくこちらを見上げている息子へ、ルーカスは信頼を示して真剣な表情を緩め、「ありがとう」と告げる。
「さて、そろそろ行きましょうか。あまりオルガノを待たせてはいけない」
「そうだな。特段急ぐ必要はないと言われているがあまり遅くなるとあの方は何かと面倒だ」
ラーティはサラリと述べたが、あれほど顔を合わせればオルガノへの敵意を剥き出しに衝突していた彼が、面倒の一言で片付けるようになるとは。なかなか言うようになったものだとルーカスは一瞬驚いた。
こちらはこちらで事情が異なる親子関係の変化に時の流れを感じ、己の中にある多くの観念が上書きされていく心地に、ラーティを愛しく見上げ「はい」と頷き微笑む。
日々成長している息子たちを地面に下ろし、タリヤに預ける。
手綱を握り直し騎乗すると、下から「きゅいきゅい」鳴き声がした。
いってらっしゃいと精一杯両手を上げて、足りない身長をカバーするようにぴょんぴょん飛びながらおててを振っているクーペに、ルーカスは「いってくる」と返答する。
その隣で兄がすることをナディルが見ているのを尻目に、屋敷に戻ったばかりのラーティと連れ立って、ルーカスは王城へ赴いた。
*
ルーカスたちが王城に向かってから程なくして。
「タリヤさん! 旦那様方はもう出立されてしまいましたか?」
屋敷の方からやってきたのは、物腰の柔らかい白い顎髭を生やした品の良い老夫。魔獣使いのガロンやメイド長のタリヤの影に隠れてすっかり存在の薄い、屋敷の執事長だ。
「執事長そんなに慌ててどうなさったのですか? 旦那様方なら出立された後ですが」
「ルーカス様宛てにローランド様から書簡が届いたのです。鳥系の魔獣による配送でしたので旦那様方のいる正門を通らなかったため、すれ違いになったようです」
「ローランド様とは、キロプト騎士団の団長だったあのローランド様ですか? 随分前に引退されたとお聞きしておりましたけれど」
「ええ、しかし困りましたね。ローランド様はルーカス様のお父上と縁の深いお方です。書簡の内容はわかりませんが、此度の件もあります。できれば陛下との謁見の前にお渡ししたかったのですが……」
「旦那様たちの馬は訓練を受けた騎馬ですし、既にかなりの距離が離れているかと。早馬を出しても追いつかないかもしれませんね」
タリヤは執事長より一回り以上年下の若いメイドだが、思慮深い。執事長は彼女の話に耳を傾け、落ち着いた物腰で答える。
「そうですか……わかりました。しかし魔獣の手配を頼めそうなガロン様は王城の魔獣小屋ですし、他に手の打ちようがありません。とにかく今は急ぎ早馬を用意しましょう。後のことは私がなんとかしま……あの、クーペ様はどちらに?」
「え?」
会話中、執事長が持っている書簡にピスピスと鼻先を当てたりしながら、クーペが周りをちょろちょろしていたのには二人は気付いていた。
「あれ? 書簡が……」
執事長が手に持っていた書簡がなくなっている。
ナディルが「ん」と空を指さした。遥か上空をいく、黒い小さな丸い個体が一匹。ゆうゆうと飛んでいる。気持ちよさそうだ。
「「まさか……」」
迂闊だった。いくら人間の子供のようでも、相手は馬より早い羽の持ち主。
忽然と消えた主の息子は「お母さんはお城──!」と地を駆けるルーカスたちの元へ良い子に寄り道などせず、一直線に王城に向かってお空を飛んでいく。
お届け物をおててに屋敷から遠ざかり、お空の豆粒と化していく。
やがて主の息子がお空の豆粒となった姿に、「クーペ様ぁぁぁあ!」と執事長が絶叫するなか、タリヤが早馬を手配する声が響いた。
*
そして一方、馬で地を駆けるルーカスたちは、屋敷を出てから数刻も経たぬうちに我が子が上空を突っ切り、自分たちを通り越して先に王城に到着しそうだなどとは夢にも思っていない。
通常の経路を通り、王城を目指す馬上のルーカスの頭に、ふとオルガノを説得できなかったときの名案が浮かぶ。
「ああ、一層のことクーペにオルガノと友人になってもらうのもいいですね」
ルーカスの頼みならばクーペはやる。
相手がオルガノだろうと何だろうと、命を持たない無機質な路傍の石であろうとも、クーペはきっとやる。それがわかっているだけに、隣で手綱を操る夫の長い沈黙は、悩みの深さに比例した。
堪えきれず、くすくす笑い出すルーカスに、ラーティが頭を痛くする仕草をした。
「おや、楽しそうですよ? ラーティ様もご一緒されてはいかがですか?」
「それは私にも友を作れと勧めているのか?」
提案に、ラーティが眉を顰めるも、ルーカスは一瞬の迷いもなく返す。
「友人は良いものですが、私は今の貴方に不足を感じたことはございません」
そもそもラーティの場合は友人を作らずとも周りが放っておかない。
物静かに佇んでいても、自然と人が集まってくる。そういう人だ。
「ルーカスお前……よもやそれはそれで面白いなどと思ってはいないな?」
「よもやとはオルガノとクーペが友人になる話ですか?」
ラーティが素直に頷くのを見て、ルーカスは少しの沈黙を置いた。
「まさか、そのようなことは少しも考えておりませんでした」
「…………」
ルーカスはにっこり笑ったが、先程の沈黙といい。今の意味深な様子といい。主の後方を騎乗する五名の警護兵たちも含め、この場にいる全員が嘘だと確信している各々の視線を感じたけれど、素知らぬ顔で通すことにした。
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