余命三日の異世界譚

廉志

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第一話 召喚

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佐山雄一が目を覚ます。
短くくせ毛な黒髪を、寝癖で更にくねらせながら、彼は覚醒した。
目を覚ましたからと言うには、今まで眠っていたということだ。しかし、彼には眠った記憶など無かった。
十七歳男子高校生。授業中に眠りこける事はよくあれど、登下校の最中に意識を失ったことはない。雄一の最後の記憶は、友人たちとともに下校の最中だったのだ。
さて、ではなぜ自分は眠りにつき、目を覚ましたのだろうかと自問する。
トラックにでも撥ねられて、一瞬のうちに気絶してしまったかもしれない。鉄筋か何かが落ちてきて、頭を打って気絶という手もあるだろう。
何故か物騒な仮定ばかり浮かんでしまうことに、雄一は自分のことを鼻で笑った。

「目が覚めたか?」
「うおあっ!?」
「うぎゃっ!?」

不可抗力という言葉がある。本人の意志ではどうにもできない事態のことを指すが、まさにその言葉が似つかわしい状況に、雄一は陥った。
不意に目の前に顔を出した少女。美しいという言葉をつけて、美少女と名乗らせるべきその少女は、雄一の頭突きを額に受けて気絶した。
佐山雄一は、とある古武術の有段者である。ブレザーとシャツの下には、割れた腹筋が存在し、打ち込みを続けた拳は皮が分厚くなっている。
そんな彼の頭突きはもはや凶器と言ってよく、もちろん少女が耐えられるはずがない。

「「シルフィ様ー!?」」

床に転がり、目を回す少女のもとに、白い服装に身を包んだ男たちやメイドたちが群がった。
心配の声を上げる集団は、痛みに額を抑える雄一には目もくれない。しかし、疎外感を受ける雄一に、その中の一人が大声で叫んだ。

「衛兵! こいつをひっ捕らえろ!!」
「え……えっ!?」

男の一声で、豪華絢爛な室内に甲冑姿の男たちが殺到。あっという間に雄一は取り押さえられる。
弁明の余地など皆無。と言うより、混乱しすぎて声が出ない。彼は言われるまま、そして促されるまま、連行されてしまった。

そして、外に連れ出された彼の目には、まばゆく光る二つ月が見えたのである。






*    *

両手には手錠。牢屋につながれた少年、佐山雄一十七歳。前科一犯である。
彼は現状を打破するため、とにかく現状について考察してみた。

「落ち着け俺、これはアレだ、夢だ。夢オチって最高じゃねぇか」

とつぶやきつつ、自身の頬をつねってみた。
全く痛みが感じられない。それならばどれだけ良かっただろうか。実際は、めいいっぱいつねった為に、内出血で少し腫れてしまい、その痛みは涙が滲むほどだった。
夢ではないと確信を持った彼は、次の仮定へと考えを進める。

「…………異世界、なのか?」

昨今珍しくないほどに流行する”異世界召喚”と言うジャンル。もちろん彼も、漫画好きな男子高校生らしく、その知識を持ち合わせていた。
気がついた場所は豪華絢爛な中世ヨーロッパ風の装飾が施された部屋。外に出れば月が二つ。牢屋を見張る牢番は、古めかしくも実用性に欠けるような甲冑に身を包んでいた。
オーケイ、とりあえず落ち着こう。流れる額の汗を拭い、暴れる心臓を抑えながら、彼は自分に言い聞かせる。

「異世界召喚ってことは分かった。じゃあこれからどうするかが重要だ」

雄一は深呼吸をして気を静めた。
これが王道展開ならば、召喚された時点で勇者だ何だともてはやされていたかもしれない。
頭突きを食らわせた美少女と、イチャつくような展開が待っていたかもしれない。
しかし、それらはいたいけな少女に頭突きをしなければと言う前提の話である。すなわち、現状にはまるでそぐわない展開だ。
ならばと、雄一は次の一手に乗り出した。


「なあ衛兵さん。これって勘違いだと思うんだよ。だから出してくれないかなぁ?」
「…………」
「ほらさ、ちょっとその腰に下げた鍵をこっちにくれるだけでいいからさ。ね、一生のお願い」
「チンピラが言いそうなことだ。悪いが、囚人と話すことは禁じられている。独り言は虚しいだけだから止めておけ」

恐らく、この牢番は真面目な性格なのだろう。話しかけた雄一の言うことに耳を傾けること無く、視線を変えずに仁王立ち。
さすがに雄一も、自分の言うことを牢番が聞いて、鍵を渡してくれるとは思っていなかった。ダメで元々、やらないよりはマシと言う精神なのである。
そして予想通り断られたため、雄一は次の手を出した。

「ぐーるぐーるぐーるぐるぐるー」
「あ? 何をしてるんだ?」

牢屋の中でぐるぐると回転しだした雄一に、流石に無視を決め込もうとしていた牢番も反応せざるを得なかった。
まるでスイカ割りの前に目を回す作業を行うがごとく、雄一はその場で回り続けた。

「ふっふっふ……これぞ佐山流! 独房抜けの術! おろろろろろろっ!」

目を回せば吐き気がこみ上げる。そんな当たり前のことを、彼が失念していたわけはない。
つまり、これは想定内の状況であり、盛大に床に昼食のアンパンだったものをぶちまけるのも、作戦のうちなのである。
嘔吐したことに驚いた牢番が、慌てて扉を開いた床を見計らって襲撃。気絶させて脱出を図ろうと言う魂胆だったのだ。

だがしかし、そんなに都合よく話は進まない。雄一の予想に反し、牢番は持っていた手ぬぐいを一枚、檻の中に投げ入れた。

「自分で掃除しろ」
「ですよねぇ」

当たり前の話である。昼食のアンパンとその代金が無駄になるだけの行動であった。
渡された手ぬぐいで、自分の就寝スペースを掃除する。
ならどうすれば良いのかと、彼は頭を捻って考えた。
シルフィと呼ばれていた少女の目が覚めて、自分を開放してくれるという展開はあるだろうか?
あるかもしれないが、可能性はかなり低いであろうとため息をつく。せめて、頭突きさえしなければ、もう少しマシな待遇があったかもしれないと、二度目のため息をついた。
下手をすれば、激情に任せて「頭突したから処刑!」と言われるかもしれないのだ。
混乱などしておらず、衛兵が呼ばれた時点で逃走していればと後悔の念。
そんなことを頭のなかでぐるぐると考えている内に、どうやら朝が来たようだ。小窓から眩しい光が漏れ出ていた。


「失礼します、朝食をお持ちしました」


頭を抑えて唸る雄一の負の念と、嘔吐物の悪臭が漂う牢屋の中に、甲高い女の子の声が響いた。
頭を上げて檻の外を見ると、そこにはメイド服を着込み、雄一よりも少し年下と思われる少女の姿があった。
大きめのメイド用帽子の下から覗かせる金髪は、なかなか日本ではお目にかかれないほど澄んだ色。整った顔つきも相まって、雄一はその女の子に見惚れてしまっていた。

「グッジョブ!」
「はい?」

目の保養になった雄一は、思わずサムズアップで少女の仕事に敬意を表した。表された少女は意味がわからず呆けていた。

「ああ、その男の言うことには耳を貸さないように。おそらく、頭が可哀想なやつだからな」
「ちょっと酷すぎやしませんか衛兵さん」

雄一のツッコミを他所に、少女は苦笑いを浮かべながら食事を並べた。
本日の雄一の食事。カビたパン、水の入ったコップ。以上である。
あまりにも質素過ぎる食事内容に、雄一は少女、次いで衛兵を無言で睨みつけた。

「俺を見るな、囚人なら妥当だろ」
「わ、私は持って行けと言われただけで…………すみません」
「はぁ……贅沢言ってられる状況じゃないか。せめてアンパンよりもカロリーがあることを祈ろう」

頬を涙がほとばしる。そこそこ貧乏な場所で育った雄一であるが、さすがにこれほど酷い食事は初めてである。

カキン

カビた部分を避けながらパンにかじりつくと、なぜだか金属音がした。
自分の口元から発生した異音に、雄一はあんぐりと口を開けて絶句した。そして、かじることの出来ないほどの硬さを備えたパンをトレイへと戻す。

「これは出来損ないだ。食べられないよ」

実際、口にふくむことさえ出来ないのだから、彼の言うことは正しい。
腹から空腹の音が牢屋へとこだました。


「囚人はいるか!」


空腹にうなだれていると、牢屋の入り口から、別の兵隊の声が聞こえた。

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