余命三日の異世界譚

廉志

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第十三話 慟哭

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ミーシャはナイフを構える。どこから取り出したのか分からない、黒色の投擲ナイフを備えていた。
構えから繰り出される一撃目。シルフィの瞳にめがけて投げられたナイフは、少しもブレずに直進する。
瞳の直前まで接近したナイフは、そのままシルフィを貫くかと思われた。しかし、シルフィの左右から業火が伸びる。意思を持つかのようなその炎は、ナイフに直撃すると、その刀身を液状に溶かしてしまった。

「……流石は王国十指に入る魔法使い。やんちゃなお姫様だこと」
「家族や大臣にやんちゃは止めよと常日頃から言われ続けていたが、止めぬものだな。おかげで貴様を討つことが出来る!」

シルフィの周りに、複数の炎の帯が出現した。彼女の意思によって自由自在に動く炎は、強烈な熱気とともにミーシャへと襲いかかる。
ミーシャは炎の帯の動きを見切り、室内を縦横無尽に動きながらこれを躱した。人間が行える動きではない。幾つものフェイントと、驚異的な運動神経と跳躍力。
今や部屋の殆どを埋め尽くす数となった炎を未だ躱し続ける。それでもじわじわと確実に、追い詰め始めていた。

「ルティアス! 貴様いつからだ! いつから教団の手先となった!」
「いつからだと言われれば悩んでしまうわね。最初からとも言えるし、今日からとも言えるから」
「……っ! もういい……臣下であったことは事実なのだ。それが嘘であろうとなかろうと、貴様の罪は主君である妾が! シルフィ・ド・アラム・モントゥが責任を持って断罪してくれる!」
「あなた如きにそれが出来るかしら?」
「ぬかせ下郎!」

炎の帯がミーシャを完璧に捉えた。本数を増やし、四方八方から襲いかかる炎はミーシャの逃げ道をなくし、確実に直撃は避けられない。

「しっ!」

油断と言えるほどではない限りなく小さな隙間。糸を針の穴に通すかのような繊細さで、ミーシャのナイフは炎の間をすり抜け、飛んできた。
炎の帯がミーシャに直撃するのと、ナイフがシルフィの肩に突き刺さるのは同時だった。
小さなうめき声を上げて後ずさったシルフィの方から、赤い鮮血がほとばしる。

「お姫さん!」
「だ、大丈夫だ……あちらのほうがよほど重症だろう」
「けど、なんでルティアスがあんなことを……」
「分からない。まともに話が聞けるような人間ではなかったしな。何だったのだ、あの表情は……」

不気味な笑みのミーシャを思い出して冷や汗をかく。あんな表情を、ルティアスが出来るとは思えない。
同名で似ている人間とも考えるが、流石に現実的ではない。これ以上考えても頭が混乱するだけだ。とにかく今は、今後どうすれば考えることが先決だろう。
幸いミーシャは直撃した炎で倒れているのだから、他の敵が来るまでは時間がある。
しかしシルフィと雄一が下したその判断が、直後に間違いであると思い知らされた。
ミーシャが倒れていた炎の中。ちらりと見た雄一は絶句した。そこに居るはずのミーシャの姿がなかったのである。
そして目の端を走る人影。それが誰であるのか確認する前に、雄一は思い切り声を荒げた。

「後ろ!!」
「っ!? ああっ!」

いつの間にか復活していたミーシャの一撃。油断していたシルフィの背中をナイフが深く切り裂いた。
痛みに叫ぶシルフィは、床を転がってミーシャから距離を取る。肩の怪我と合わせて、シルフィの服は血で滴っている。
距離を取ったは良いものの、傷跡の激痛と流れ出た血の量で、シルフィはそのまま床へと倒れてしまった。

「かなりいい線だったけど、ちゃんとトドメはさしておかないとね。くふっ、くふふっ」
「……なんで動けるんだお前っ」
「凄いでしょ? 『インフィニティ』って言うギフトなの。私の肉体は、どんな怪我を負っても無尽蔵に回復し続ける」

火傷でただれ、筋肉の繊維がむき出しになった手をひらひらと振るミーシャ。皮膚が徐々に元へと戻り。数秒と経たずに回復した。
出鱈目過ぎる。
理不尽な能力に、雄一は歯を食いしばってミーシャを睨みつけた。もはや抵抗できる人間が居なくなった空間で、ミーシャは悠々とシルフィのもとに歩み寄る。
動かない足を殴りつけて罵倒する。それでも動かないと見ると、腕の力だけでベットから転がり落ちた。
運良くシルフィの近くに落下した雄一は、床を這ってシルフィに覆いかぶさった。

「あら、格好良いじゃないユーイチ君」
「何が目的なんだお前らは! なんでこんなことを……」
「だって私達、絶滅教団だもの。殺さないと、存在意義が無くなっちゃうわ」

直ぐ側まで近寄ったミーシャは、息がかかるほど顔を近づけてそう言い放った。
抵抗できない雄一は、悔し涙を流してミーシャを睨み続ける。もはや彼には、それくらいしか出来ることが無かったのである。
そんな雄一の表情に、くすりと笑ったミーシャは一歩下がってナイフを腰に戻した。

「と言っても、残念ながらもう時間がないの。せいぜい残りの時間を有意義に過ごすことだわ」

ミーシャの言っている意味が、雄一には理解できない。ただ、少なくとも二人を見逃すと言っていることは理解できた。
事実、ミーシャはナイフをすでにしまっている。不気味な笑い声を上げながら暗闇の中へと消えていた。

「……ぶはぁ!」

ミーシャが消えたことによって、自分がまともに息をしていなかったことに気がついた。溜め込んだ息を一気に吐き出して、ぜぇぜぇと肩で息をする。
緊張していた筋肉がほぐれ、全身から一気に汗が吹き出すのを感じた。

「……くそっ、血が止まらない」

シーツを歯で切り裂いて止血帯を作り、シルフィの肩を縛って背中の傷口を押さえる。しかし、治療の知識など無い雄一にこれ以上出来ることがない。

「誰か……誰か! 誰か居ないのか! けが人が居るんだ! 誰でも良いから来てくれ!」

雄一の叫びが虚しく城内をこだまする。一向に返事の帰ってこない自らの叫びに、悔しさ混じりに咽び泣く。
しかし、このままシルフィを死なせる訳にはいかない。雄一は涙を袖で拭って、行動を起こそうと決意した。

「お姫さん。必ず助けを呼んでくる。少しだけ頑張ってくれ」

返事はない。浅い呼吸を続けるシルフィを救うため、雄一は床を這いながら部屋を後にした。











*    *

相変わらず動かない両足を引きずって、汗だくになりながら城の中を這って移動する。
行けども行けども死体の山。床はもちろん、壁や天井にまで血とちぎれ飛んだ体の一部が散乱していた。
生存者の影など見えやしない。喉が破れるほど助けを呼んでも、やはり返事は帰ってこない。
床を濡らす血に全身はまみれ、汗と混じって不快な匂いが鼻を襲う。
どれほどの時間が経ったのか。いつの間にか雄一は、かつてデックスと組手をした場所。シルフィと共に月を臨んだ中庭へとたどり着いていた。
時間は前と同じ昼なのだろう。しかし、太陽が登っているはずなのに、屋外は暗闇に包まれている。
散乱する兵士たちの死体。不思議なことに、その殆どに外傷がなかった。共通するのは、外傷がなく鎧の一部を紛失し、苦しみ悶えたような表情をしていることだった。
そんな中、雄一の目にあるものが止まった。
金色の髪と幼気な顔を持つ少女メイド。中庭の中央で血まみれになった、フランの亡骸である。

――畜生、畜生っ! 畜生畜生畜生畜生!

悔し涙を流し、歯を割れんばかりに食いしばって、床を這いずってフランの元へ。
彼女を抱きかかえて顔を撫でる。血に塗れた体だが、その表情は未だ生きているかと雄一に錯覚させた。



一体何なのだと言うのだろうか。誰が自分をこんな目に合わせるのだろうか。
異世界で親しくなった人たちの最期を、なんど看取らせれば気が済むのだろうか。

「何なんだ畜生! どうすりゃ良いって言うんだ! 俺は何をすれば良いんだ!!」

空に向かって呪いの言葉を吐きかける。誰に向けたものか雄一本人にもわからない。だが、叫ばずにはいられない。そんな状況の中に彼は居た。
空を見上げたことにより、目に映ったのは鐘がある高い塔。
あそこからフランと見下ろした景色は、今でも鮮明に思い出せる。そんな楽しかった景色を思い出しながら、絶え間なく流れる大粒の涙を鬱陶しく感じる雄一だった。


ゴーン!


そして三度目の鐘がなる。
雄一の目に映る鐘は、動いてなどいなかった。

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