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第十四話 逃走
しおりを挟む目を開くと、そこにはすでに二度も見た光景があった。そして今度は三度目である。豪華な装飾品が並べられた一室の中、周りを見渡せば複数の男たちの一人の少女。
赤い髪を床にまで垂らしたその少女の名はシルフィ・ド・アラム・モントゥ。命懸けで雄一を護り、ミーシャと戦った勇気ある人間。
どうやらまたループを繰り返したようだった。
シルフィの体には傷はなく。感覚のなかった自分の足はしっかり動く。血の匂いも焦げ臭い匂いも無い。
異世界生活初日。城は未だに平穏な時間を送っているようだった。
「……大丈夫か?」
「……ああ、大丈夫」
心のなかは様々な負の感情が入り乱れ、少しも大丈夫ではない状態だ。しかし、雄一がそれらの感情を今のシルフィに言ったとして、どうにかなる状況ではない。
そもそも、ループのことを話してしまえば、再び昏睡してしまう可能性もある。そうなれば、何の手段も取れずに、三日目の惨劇までベットの上だ。
孤立無援。相談することも出来ず、愚痴をこぼすことも出来ない。雄一のストレスは、すでに限界へと達していた。
「顔が真っ青だぞ……とにかく、一度客室へ案内しよう。しばらく休んでから話をさせてくれ」
近くの鏡を見てみると、確かにシルフィの言うとおり。雄一の顔には生気がない。血の気は失せて唇は紫に染まり、その目は虚ろに左右へ泳いでいた。
体は小刻みに震えて、息は乱れて鼓動も速い。
見かねたシルフィは彼の肩に手を回す。そして近くに居たメイドに声をかけた。
「ルティアス、手を貸してくれ。客室まで運ぶ。他のものは一度下がって良い」
男たちが部屋から退出し、残ったのは雄一とシルフィ。そして、シルフィの指示で残ったルティアスであった。
世界がぐるりと一周する感覚が雄一を襲う。空と地面がどの方向にあるのかわからない。内臓がひっくり返って、今にも口から飛び出そうだ。
ミーシャ・ルティアス・インフィニティ。惨劇の日に襲撃者はそう名乗った。
それは一周目の世界で雄一とフランを殺した張本人。二週目でシルフィを斬りつけた教団幹部。
そして眼の前に居る、メイド服姿の女。世界は違えど、これらはすべて同一人物。メイドのルティアスと、襲撃者ミーシャは全く同じ人間なのだ。
「うぶっ! おえぇぇっ!」
胃の中にあった物をすべて吐き出して、雄一は意識を手放した。
* *
無理だ……俺には無理だ。
だってそうじゃないか。説明もせずにどうやって襲撃を信じてもらえばいい。戦おうにも、俺一人じゃ話にならない。
ミーシャ一人を相手にするのだって、あんなに強かったシルフィが、アッサリと倒されてしまうような化物だ。常識を無視する回復魔法さえ持ち合わせているのだから、ただ腕っ節が強い男子高校生に為す術なんかない。
何よりも、そんな敵が城の内部にいる。素知らぬ顔で、お姫様に信頼されて働いているのだ。
だったらもう逃げるしか無いじゃないか。城から出て、どこか他所の土地に逃げてしまおう。
救いたい人たちはたくさんいる。でも、自分では力不足だ。どうしようも無いのだから仕方がない。逃げてしまっても、襲撃事件は俺のせいじゃない。
そんな言い訳をこぼしながら、雄一は夜の街を走っていた。
胃がひっくり返って気絶した後、客室へと運ばれた彼は、その意識を早々に取り戻し、隙きを見て城から抜け出していた。
ルティアスとミーシャが同一人物であると知った今、新たなループに入ったとは言っても、同じ場所に居ることなど出来ない。顔を見るたびに、発狂してしまうかもしれないのだ。
だからこその逃げの一手。汗に濡れた制服姿で街中を走る。未だ太陽すら登っていない時間帯。人っ子一人見当たらないその街は、フランとともに見た光景とは全く違い、寂しげな様子しか見て取れない。
どれくらい走っただろうか。広い街中をひたすら進んで、ようやく城壁が遠目に見える位置までたどり着いた。陽は昇らずとも辺りはぼんやりと明るくなり始めている。
壁までたどり着くと、巨大な門が出現した。頑丈そうな木製の門は、閂がつけられた閉門状態。夜ゆえに未だ機能していないようだった。
少なくとも十メートル以上ある門を見上げる雄一。これが召喚直後、一周目であったなら感嘆の声を上げていたことだろう。しかし残念ながら今回は三週目。あまり感動はしていないようだ。
大きな扉の横には通用門。誰かが見張っているわけではないその門を押してみると、鍵もかかっていないのか、簡単に開くことができた。
外には当然明かりはなく、壁に取り付けてある魔石の光と、沈みかけている月の光が合わさって、数メートル先がぼんやりと見える程度だった。
思えば、雄一は城壁よりも外の世界を見たことがない。街でさえ、降りて来たのは初めてなのだ。
外の世界がどんな風に広がっているのか。普通ならわくわくする出来事であるが、今はとてもじゃないがそんな気分になれなかった。
「はぁはぁ……ここまでくれば、もうあんな目には…………だっ!?」
城壁の外に出て、どれほどの時間は知っただろうか。
少なくとも、足が棒になって足裏は破れ、めまいがするほどの息が漏れ、体は汗に溺れている。まともに前を見るのも忘れてひたすら走っていると、雄一の体に衝撃が走った。
正面には石壁。魔石が揺らめいて辺りを照らし、木製の大きな門がそびえたつ。雄一はその壁にぶつかっていたのだ。
見覚えのある光景だった。何時間も走っていたのは、その壁から距離を取るためだった。
しかし正面には同じ壁。振り返ると、自分が今まで走ってきた道が見える。
「いや……まさかな」
きっと、暗闇を走っているうちに、曲がり曲がって元の道に戻ってきただけだ。雄一はそんなふうに自分に言い聞かせ、再び走り出した。今度は意識して、まっすぐに走るように心がける。
「いでっ!?」
今度は数分と走らずに壁にぶつかった。見覚えのある城壁だ。
自覚したとたんに、雄一は激しい眩暈に襲われた。世界がぐにゃりと曲がり始め、体がなまりのように重くなる。
体力を使い果たしたことが原因ではない。彼の体には明らかに何らかの不調が見受けられていた。
もう一度、外の世界を見た。変わらず暗闇で前が見えない。しかし、よく目を凝らすと、視界の中央で何かが動いているのに気が付いた。
「……だ、誰かいるのか!?」
遠目に人影が見えた気がした。魔石の明かりでは届かず、月明かりではその姿が人であることにしか気づけない。
ゆらゆらと動くその影は、少しも近づいてくる様子がない。声をかけてみた物の、大声でなければ届かないような距離。
にもかかわらず、雄一の耳元にささやくような小さな声が聞こえた。
『逃げテ……は……ダめ』
とたんに雄一の体が硬直した。そして思い出す。あの人影には見覚えがあったのだ。
誰かは分からない。しかし、間違いなく見たことがある。アエルにループについて話そうとした、その時に見た影だった。
「あああああっ!」
雄一は叫び、逃げ出した。果たして、あの影から逃げることはできるのか? そんなことは分からない。
それでも、あのおかしく気持ちの悪い不気味な物体と、一秒でも長く一緒に居たくない。重い体を引きずるように、雄一は元来た道を戻って街の中を駆け抜ける。
体の調子がどんどん悪くなってゆく。重かった体は少しずつ動かなくなり、まずは両足が脱落した。
うめき声をあげて倒れ伏す雄一。腕を使って、這いながら尚も進む。恐怖に顔が涙と汗に濡れるが、もはやそれをぬぐう余裕すら持っていなかった。
徐々に視界が狭まっていく。ただでさえ暗い街の中がことさら深い闇に包まれ、とうとう身動きが取れなくなった。
「どう……の!? だ…………? あな…、なん…………」
薄れゆく意識の中、倒れる雄一に向かって、女性の声が聞こえた。
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