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第三章 まるで混沌な運動会
CASE11 リンシュ・ハーケンソード その2
しおりを挟む「あ、トゥーフェイスだ」
「ホントだ、トゥーフェイスだ」
「マジか、本物だぜあれ」
王都に到着してすぐ、一緒に来た連中は一旦解散。自由行動となった。
そして俺は今、懐かしき我が古巣。王国におけるギルドの総本山、通称『中央』と呼ばれる建物にやってきていた。
「くそ……あのあだ名、まだ広まってんのかよ……」
体中が熱くなり、俺の顔は赤く染まっていることだろう。
『トゥーフェイス』
俺を見る職員たちが連呼する、中央における忌まわしいあだ名である。
研修時代、ちょっとした事件を俺が起こしたことでついた異名であり、当時の俺はそのことによりちょっとした有名人となっていた。
それから数年たった今でさえそのあだ名が囁かれているということは、どうやら中央では完全に定着してしまっているようだ。忘れたい、我が黒歴史。
いや、有象無象の陰口を気にするなど、俺らしくない。今日はちょっと挨拶をしに寄っただけなのだ。とっとと挨拶を済ませて宿に戻ることにしよう。
…………と言いつつ、残る最後の扉に手をかける勇気が湧かない。
ああ、やだなぁ……挨拶したくないなぁ。出来ることなら運動会当日までの数日間、同期たちと飲み会でもして平和に過ごしたい。
でも駄目なんだろうなぁ。挨拶しとかないと、その後でどんな恐ろしい嫌がらせが来るか分かったもんじゃない。
そう、つまりこの扉の向こう側には……例のドS上司が待ち構えているのだ。
落ち着け俺。深呼吸をして息を整えろ。
挨拶なんてすぐ終わるじゃないか。茶菓子を渡して、社交辞令をいくらか話してそれで終わりだ。
よし落ち着いた…………落ち着いたということにして、とっととすべてを終わらせよう。
意を決し、扉をノックした。
「はい、どうぞ」
若い女性の声がした。
許可が降りたようなので扉を開く。窓から差し込む光に目がくらみ、一瞬視界が白く染まる。
目をゆっくりと開き、室内を見渡した。
高価な装飾品が整然と並び、シンプルに整えられた広い部屋。中央正面に大きなデスクが置いてあり、それを囲むように数人の職員が緊張した表情をしている。
そして職員たちの中心に、銀色の髪の毛を長く伸ばし、一般職員とは明らかに違う豪華な制服に身を包む、非常に美しい若い女性が居た。
「ごめんなさいねサトー君。もう少しだけ待っていてくれるかしら」
「は、はい!」
女性の言葉に少したじろいでしまった。声はすごく優しげで、そこにふわりとした笑顔も付け足されているのだ。男ならば、息を呑むほどの光景だろう。
女性に言われた通り、俺は邪魔にならない部屋の隅に退避した。
「では、派遣する人員はリストから選ぶということでよろしいでしょうか」
「ええ。大変な仕事だし、慎重に選ばないとね。この件は私が責任を持って処理しておきます」
「お願いします。それでは、我々はこれで失礼致します」
話が終わったようだ。
女性を囲んでいた職員たちが退出を始めた。
扉を閉めると、廊下から微かに職員たちの話し声が聞こえた。
「いやぁ、緊張したねー」
「サブマスターは優しいけど、あの空気はすごく疲れるんだよなぁ」
「あー、分かる分かる。体がこわばっちゃうのよね。女神様と会ってるみたいだわ」
「でも厳しい上司より全然いいじゃん。アレ程の人格者が上司だからこそ、中央の激務にも絶えられるってもんさ」
「違いないな。あっはっはっは」
優しい上司。人格者…………ねぇ?
「はー! 疲れた疲れた……あー、肩凝るわー。ちょっとサトー、そんなところに突っ立ってないで早く紅茶を入れなさいよ。気が利かないわね」
人……格者?
目の前でふてぶてしく屈伸をしている女。名をリンシュ・ハーケンソードと言う。
ギルドを取り仕切る最高幹部、サブマスターと呼ばれるナンバー2の実力者。そして…………例のドS上司である。
「俺はお前の部下だが、召使じゃないんでな。茶なんぞ誰が入れるか」
「あら? 仕事中なのに珍しく敬語じゃないのね。アンタのポリシーはどうしたのよ、社畜さん」
「社畜言うな。ちなみにアンタは仕事中だろうが、俺は違う。こっちに帰ってきたから挨拶をしに来ただけで、今はプライベートなんだよ」
「あっそう。まあ興味ないけど」
人前とは思えないほど豪快に欠伸をしたリンシュに、俺の顔面が引きつるのが感じ取れる。
先程までの優雅さの欠片もない。優しく人格者の素晴らしい上司などどこにも居ない。
彼女は俺と同様、私生活と仕事をはっきりと分けるタイプの人間なのである。
俺に対して遠慮などしない。思う存分Sっ気を発揮し、罵詈雑言を浴びせかけてくる。いつも思うが、リンシュと話しているというだけで胃に穴が空きそうだ。
「とりあえずお土産をとっととよこしなさい。あと早く紅茶」
「何が何でも茶を入れさせる気か……」
「んー? 何よこれ、安物の茶菓子なんて持ってきて。もっと高いのを買って来なさいよ……もぐもぐ」
「食ってんじゃねぇか。はぁ……ちゃんとしたもんを買ってほしけりゃ、減棒なんてすんじゃねぇよ。それ買うにも同僚に借金したんだぞ」
ちなみにルーンとアグニスから、王都滞在用の費用を借金しています。
「ああ、アレね! 法律で最低賃金が定められているものだから、あっちこっち駆け回って色々と名目を付けたのよ。アレは一日仕事だったなぁ……残業も頑張ったし」
「お前どんだけ俺に嫌がらせしたいんだよ! 残業してまで俺が苦しむ様を見たいのか!!」
「そうよ」
「言い切るなよ!!」
この人でなしが上司であることに遺憾の意を表明したい。
……しかし、こんなのでも俺の恩人である。
なんのチート能力もなしに召喚され、肉体労働で倒れていたところを拾い上げてくれたのは彼女なのだ。
研修時代のシゴキは……筆舌に尽くしがたいが、そのお陰で今の俺があると言っても良い。
今のように憎まれ口を叩きあう程度には親密であり、俺より上の役職たちを押しのけて直属の上司としてやり取りをしてくれている…………まあそのせいで減棒を連発されているわけだが。
「拾ってくれたときは「同じ異世界人としてのよしみ」とか何とか言ってたくせに。もうちょっと優しくしろ」
「ほら、私身内には厳しくするタイプだから」
「お前のそれは虐待レベルだからな?」
リンシュ・ハーケンソードは転生者である。
幼い頃から地球知識を豊富に持ち、それを用い、若くして組織の上層部へ食い込んだ優秀な人間だ。
俺を拾ってくれたのも、同じく異世界からやってきた人間であることも要因らしい……それにしては現在の扱いがぞんざいであるが。
「……そう言えばミントは? 今はアンタの所で秘書みたいなことをしてるって聞いて、あいつの分の土産も持ってきたんだけど」
「あの子なら今日は休みよ。同期なんだし、直接家に行ってみれば?」
「まあ、明日会う約束してるし、急ぎの用でもないから良いか……ってオイ! そっちはミントへの土産だって言ったろうが! 食うな!」
「あの子の物は私のモノだから良いのよ。もぐもぐ……」
うーん、ジャイアニズム。
俺の同期がここで働いていると聞いて、リンシュとの会話で荒れた胃を整えるために世間話でもしようと思っていたが、居ないなら仕方がない。胃薬でも飲もう。
「あ、そうだ。前に言ってた、契約破棄の判子と、仕事用具一式はちゃんと持ってきた?」
「ああ。一応持ってきたけど、何に使うんだ?」
「はいこれ辞令」
手渡された紙を見ると、そこには「2日間の中央勤務」についてが書かれていた。
「え、仕事させられるの?」
「ほら、運動会で各地の支部長と職員が呼び出されてるじゃない? 代わりの人員を中央から派遣してるもんだから人手が足りないのよねぇ」
「止めちまえよそんな行事」
「そんなこと私に言われても困るわ。昔の偉い人が決めた行事なんだから」
この大運動会は、ギルドが発足した当時から行われているもので、戦争が起きようが天変地異が起きようが、必ず開催されてきた経緯がある。
無駄に歴史が古いもんだから、今のギルド職員がおいそれと手出ししていいものではなくなっているそうだ。
競技の内容が多少変化するくらいで、規模も開催地も変更になったことがない…………何が彼らをそうさせるのだろうか。
「というわけだから、地下の書類整理よろしくね。今から」
「今から!? 待て待て! 俺長旅で相当疲れて…………っと!?」
投げ渡されたのは大きな鍵。どうやら反論を聞く気は無いようだ。
鍵を渡され、ため息を漏らすと、ドアをノックする音が聞こえた。リンシュはすぐさま態度を変えて入室を許可する。
「サブマスター、運動会についての書類確認を……っと、来客中でしたか?」
「大丈夫です。用事もちょうど済んだところだから。じゃあサトー君、お仕事よろしくお願いね」
「はいサブマスター。一生懸命取り組ませていただきます」
頭を下げて、リンシュの事務室を後にする。
他人が来たならこれ以上話しても煙に巻かれるだけだろう。そもそも俺とリンシュの関係を知られるわけにも行かないため、まともに話すことさえ出来ない。
下っ端職員がギルドのサブマスターと懇意にしているなど、世間体的にもよろしくないのである。
* *
「え……こ、ここだよな?」
指示された地下室へと足を運んだ俺は、早速顔をひきつらせていた。
リンシュに家を紹介された際に渡された『呪』と書かれた札。それが扉に所狭しと貼り付けられていたのだ。
明らかに開けてはいけない類の封印の扉である。
俺は渡された書類を再度見た。かしこまった文章の終わりに、こちらの文字ではない、日本語があった。
『大丈夫。呪いとか無いから安心して逝ってきなさい』
…………最後のは誤字だよな?
鍵を錠に当てて深呼吸。意を決して鍵を回した……なんで扉を開けるだけで意を決さなければならないのだろうか。
意外なほどにあっさりと錠は外れ、扉も何事もなく開いた。
「ぶわっ!?」
ただ、扉を開いた拍子に大量のホコリが廊下へと撒き散らされた。
咳き込みとくしゃみが交互に襲ってくる。一体何年開いて無い部屋なんだここは。
地下室であるため、窓の一つもなく、魔石による光源がほんのりと部屋を照らしている。そしてその、ほんのりと照らされている範囲を見て、俺は絶望した。
「なん……だと?」
俺の目にうつるのは書類の山。
机の上に大量に積まれた書類……ではない。文字通り、背丈よりも更に高く、かなり広い地下室の天井ギリギリまで積まれた文字通りの山。
そしてその山が地下室のほぼすべてを埋め尽くしているのである。
俺はリンシュの書類を再度確認した。
かしこまった文章終わりの雑な文字。更にその後に、追伸と書かれた文字があった。
『追伸。地下の書類、最低でも半分減らさないと減棒』
…………あんのドS女!!
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