上 下
3 / 12

いじめ

しおりを挟む
 いじめ。当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。

どの学校でもいじめは、存在する。無いと思っていても、それは周りが気付けていないだけ。生徒の話しやすい環境が整っていないだけ。だからいじめは社会問題にもなっている。
心の相談窓口としたコールセンターは存在するが、あれは何のためにあるのだろうか。命を救うためにあるはずのそれが、なんにも機能していない。助けてほしいのに、繋がらない電話。話せたとしても余計追いつめられる。自分を否定される。自分がおかしいのだ、と言われる。sosを出しても否定され、余計死にたくなったら意味がないではないか。もっとまともな人はいないのか。死にたくて、いじめという、他人の心ない言葉で、自分勝手な遊びで、散々傷つけられた心を、助けを求めた場所で、少しは楽になるかもしれないと願って、勇気を出して電話をし、話した。思い出したくもないものの数々。思い出しただけで、吐き気や頭痛が襲ってくる。それでも、助けてほしい。その一心で話したのに、「気のせいだ」「考えすぎだ」「自分も何かしたんじゃないのか」などと切り捨てる。助ける気なんて更々ない。ただマニュアル通りにやっているだけの対応の仕方で、誰を助けるのか。そんなことをされたら、なんのために勇気を振り絞って相談したのか、分からなくなる。そして助けを求められる場所なんか無いと思うようになる。「助けて」って言ったのに、そんなことをされてしまえば、当たり前に何も信じられなくなる。
教師だってそうだ。生徒の相談を聞いている振りをしているだけで、自分のことしか考えていない。いじめた本人に聞いたって、「いじめました。」なんて馬鹿正直に答える奴なんかいない。逆にチクったと、いじめがひどくなるのが落ちだ。少しでも時間が経っていればそいつらは、いじめたことなんか覚えてない。教師は面倒ごとを避けたがる。だから、もちろん「覚えてない」「そんなことしていない」と言われればそっちを信じる。自分の勘違い。気のせいと言われてしまう。まるで自分が悪いかのように否定してくる。なぜみんな強いほうの味方ばかりする。いじめられた側は、死ぬことを考えてしまうくらい傷つけられ、存在を否定される。なのになぜ、誰も助けてくれないのだろうか。逃げ道を塞ぐのだろうか。だれにも頼れない、信用できない、だれも助けてくれないってなってしまったら、その人はもう、死ぬことでしか、この地獄から抜け出せない。そう思ってしまう。そうしたのは誰だ。いじめた奴ら?教師?その答えはきっとこの本にある。毎年増え続けるいじめによる自殺者。その人たちは誰のせいで死ななければならなかったのか。死ぬ以外に助ける方法はなかったのか。ネット社会の今だからこそ考えなければならない。
しおりを挟む

処理中です...