C-LOVERS

佑佳

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LOVE

5-2 childhood conflict

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 鼻腔に入るインスタントコーヒーの薫りが、まばたきの回数を増やす。
「急に、なんだよ」
 声が上ずる善一は、良二から視線を逸らしたくても逸らせずにいた。
「どうしたんだ。なんか変だよ、良二」
「変でいい。変わるために言ってんだからな」
 引きつる善一の表情。どんな顔をしても不自然になることは明白だった。
「ヨシと向き合わないままじゃ、俺は先には進めねぇと思った。俺が進むには何しなきゃなんねーのか考えて、そしたらやっぱり、お前と話し合わなきゃなんねぇと思ったから」
「マジで、よくわかんねぇよ」
 低く掠れる、善一の声色。良二のまなざしに既視感が沸く。
「進むってなんだ、何のこと言ってる」
「…………」
「だって良二は、ずっと昔に、勝手に俺から離れてっただろ?」
「そう思ってたのか、ずっと」
 悲愴的な、良二の相槌。刺すようなまなざしがわずかに緩み、下を向いた。
「なに?」
「俺は、ヨシから離れたつもりなんてない」
「え?」
「ずっと、置いてかれたと思ってたのは、俺の方だ」
「そ、そんなわけ……」
 改めて、良二は善一を見据える。怒気も何もない、至極真剣なまなざしのみで。
「そんなわけない。俺はだって、ずっと同じことだけ言ってき──」「だからッ!」
 左膝をゴツと打つ、良二の左拳。反射的に口を閉ざした善一は、鼻で吸い込んで言葉をいなした。
「そーゆーのを今、ちゃんと俺に話させろって言いに来たし、お前からも聞かせろっつってんだよ」
 良二のその一声は、オフホワイトの広い壁のリビングにシインと響き、ゆっくりと溶けた。
 見合う視線は互いに痛烈に身に染みて、胸の深いところで抜けなくなった。まるで返しがついた釣り針のように、刺さるほどにジワジワと痛む。
「言い出したのは俺だから、俺から言う」
「何を」
「カッコつけたり意地張ったりして、お前にずっと言わなかったことをだ」
「…………」
「ちっと、黙って聞いてろ」
 そっと拳を解いた良二。前のめりになった上半身を起こし、背もたれに寄りかかり、湯気の消えたコーヒーへ視線を向ける。
「俺、一七のあの日から最近まで、ヨシにずっと腹立ってた。俺を残して放ったらかして、外国でヘラヘラしてんのが許せなかったからだ」
 柔い声色が、祖父のものに似ていると感じた善一。聞き心地がいいとさえ感じることで、反論の気持ちがジュワリと消えていく。
「お前の行動の意味なんて、一回だって理解できたことねぇ。端から理解すんのやめてたし、お前がどんだけ連絡寄越してきたっていつもまともに話聞こうとしなかったし。そもそも、そーいうのを少しも悪いなんて思ってなかったしな」
 ミリ単位で眉が寄っていく善一。
「ヨシ。なんであンとき、勝手にフランス行った」
 持ち上がる視線。向けられる鼻先。
「なんでいつもヨシは、何でも一人で勝手に決めちまうんだよ」
 フラッシュバックするは、あの日の良二おとうとの、寂しそうなまなざし。

        ♧

「どこ行くんだよ」
「外国だよ」
「が、ガイコク? 何の、ために」
「修行しに行くんだ。俺の芸で、一人でも多くを笑わせるために」

        ♧

「別に、勝手に決めたわけじゃねぇよ」
 細く心許ない、善一の反論。
「俺に何の相談もなかったのは勝手って言わねぇっつーのか」
 間髪容れず返ってくる、良二の疑問。
祖父じいちゃんには、断り入れてったし」
「『俺に対して』の話してんだろ!」
「…………」
 本当のことなど、言えるわけがない──ただその一言だけを、延々噛み締めている善一。
 『本当の想い』を良二へ告げて、しかしそれは善一のプライドの種明かしであり、一番良二には見せたくない部分に相当する。
「良二に言って、何か解決になったってのかよ?」
「言ってくんねーとわかんねぇって話してんだよ」
「じゃあ、特別意味なんてなかった。これでいい?」
「『じゃあ』ってなんだ、曖昧にして逃げんじゃねぇ」
「すんげぇ噛みついてくるじゃん」
「マジで向き合うって決めたから」
「……あン時は、向こう本場で自分の力量試したいと思ったから、行っただけだ」
「んなわけねぇだろ。お前が理由わけもなくそんなリスク背負うとは思えねぇな」
「リスク? 俺はただ、昔から持ってた目標を達成するために、芸人生活始めただけだ」
「じゃその目標って何だ。ちゃんと『俺に』言ってみろ」
「…………」
「ヨシの思う目標とやらは、どこに繋がってる? どこがゴールだ、どこで終わる?」
「『僕の芸で、一人でも多く笑わすため』、だよ」
「その『一人でも』ン中の一番奥に、ヨシは未だ、俺を据えてんじゃあねぇのか?」

        ♧

「もう泣くなよ」
「だって、父さんも、母さんも、すぐに帰ってくるって、約束したのにっ」
「でも、仕方ないだろ。二人だって、好きで死んだワケじゃないんだ」
「なんでそんな風に言えるんだよっ、悲しくないのかよ?」
「悲しいけどっ。けど、悲しみ続けてたって、二人が帰ってくるワケじゃないだろ」
「じゃあどうしたらいいんだよっ!」
「…………」
「…………」
「……笑えよ」
「え?」
「俺が、父さんと母さんの代わりに、なんかやってやるから」
「……代わり?」

        ♧

 駆け抜けた、幼い思い出。それは、九才の二人の一番初めの、些細なすれ違い。互いから目を背け合う、きっかけの口論。
 一六年の時を経てもまだ、意地の根となり互いに巣食っていた。
「つーか。今更そんなこと訊いて、今の良二のなんになんだよ? 言ったって仕方ないことだろ?」
 引きつったほうれい線がいびつに歪んで、上ずった声にする。それはどこか嘲笑に似た表情で、善一の複雑な胸中を読み解けない良二は、そのこめかみがわずかにカチンとした。
「だァら! たとえくだらねーことだとしても、俺はいちいち訊かねぇと全然わかんねんだって!」
「じゃあ、逆に良二は俺になんて言わせたいんだ!」
「お前がずっと抱えてきたモンを本音で教えろっつってんだよ!」
 目が渇く。サングラスが邪魔だ。
 そっと自らの目元を覆うグレーグラデーションレンズに触れて、脱力したようにそれをセンターテーブルへ放る。ガチャン、の音が、いやに耳障りだった。
 それを合図に、良二が口を開く。
「俺、ずっと意地張って、いろんなことから目を背けてたんだ。自分がマジでやりたかったこととか、自分の感情とか、ヨシのことからも」
 広い良二の掌。細長い五指。視線をそこへ落とすと、言葉がつらつらと流れ出た。
「けどそのままじゃ、こう……大事なもんが全部、手から抜けてくんだって気が付いて。このままじゃもう無理だと思った。意地張り続けて生きててもダメなんだって、『教わった』っつーかよ」
 その掌にぼんやり浮かぶ、大事な背中。

 安値に安値を重ね貼りしたライトベージュ色のスーツの、頼りなさそうなあの背中。振り返っては、その切れ長の目元を三日月型にひん曲げて、間抜けで未完成な笑顔を向けてくる、大事になったひと

 グッと上向きに握り、深く息を吸い込む。
「アイツと関わってたら、自分の望むように気楽に生きたっていいんだって、思えるようになったんだ。かせにしてきたこと、かせになったこと。そういうの取っ払って生きてもいいんだって」
 善一あにを見る、良二おとうとの視線。
「雑誌で見るお前が、いつも仮面笑顔やってんのがツラかったし、ムカついてた。そんな似合わねぇ顔で笑ってンじゃねーよって、ずっとずっと思ってた」

 ピシリとヒビ入る、道化師の心。

「そんな風にお前が笑わなきゃなんねー原因が俺にあるってんなら、メソメソしてたガキの俺にも責任はある。全部、ヨシ一人の問題じゃねぇだろ」 
「そん、なこと」
「今はヨシの傍にサムとエニーアイツらだって居るのに。なのにどうしていつまでも、俺ンとこに独りで戻ってくるんだ。何確認しに来てる?」
「…………」
「もう俺も、あン時の俺じゃあねぇんだよ。いつまでもお前のかせになンのは嫌だ。だからお前も、いつまでも俺に囚われたままで生きるな」
 ぐらりと景色が歪むようだと、錯覚する善一。
「ヨシは俺にどうしてほしい? ヨシはどうしたい。話し合えばもしかしたらなんとかなんなら、取り返すなら今しかねぇと思う」

 堅く閉ざされた道化師の心を、手品師は懸命に解こうとしている。

「最悪理解できなかったとしても、わかり合おうとすることは俺にだって出来る。いや、出来たんだ」
 ワナワナと震える喉の奥。
「頼む、ヨシ。お前が今何考えてんのか、何を思って俺から離れてったのか、俺にちゃんと教えてくれ」

 鏡の向こうのいびつな表情は、いつだって我が身と知っていた。
 道化師も手品師も、押し込めた無意識のなかでは。

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