faraway

佑佳

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 二十歳を過ぎて、どうにか育った家を離れられることになった。念願の独り暮らし。小学校中学年から望んでいたことだった。
 ようやく『終わらせられた』高揚感に陶酔しながら引っ越しを済ませた私は、手始めにとある場所へ向かった。
「待ってたよ、遙華はるか。やっと来てくれたね」
 だのになぜだ。開幕早々、元いた家や地元と状況が変わらないではないか。
「さあ、今世こんせこそボクと一緒に過ごそう」
 伸べられる左腕。キザったらしいセリフ。弾ける笑顔。
 通常この三拍子揃った状況なら世の乙女たちは即座に「キュン」となっているだろうが、あいにく状況が状況なので私としては「ズン」だ。
「いや、結構です」
「え? 『結婚です』? ボクと?!」
「ケ、ッ、コ、ウ、と言ったんですっ」
「照れちゃってんの。かわいいね。人間何周目だよ?」
「寄らないでっ」
 眉間にシワ。拒否の態度として腕を突き出し距離をとる。
「もーうんざり。私、魔術関連のこと全部全部辞めてきたんだから。もう退魔師でもなんでもない。だから魔者マモノと接触なんかしない」
 キザゼリフを吐いた少年が目を丸くする。……いや、『少年』とはあくまでも見た目年齢なだけで、推定年齢はどう視たって私よりも俄然歳上だ。ううん、歳上なんてかわいいくくりじゃあない。バケモノクラスの長寿だということくらい、一見しただけでわかり得た。
「『魔者』って。ほら、ボクだよ遙華?」
「知らない知らない、二度とやらない、絶対ずぅぇったいに関わらないっ! とり憑きもしないで。自力ですぐ追い出せるだろうけどチカラ使うの疲れるからマジでやだ」
「あれぇ? どこでどーしたらそんな冷たくなっちゃったんだぁ? 前世まではまだ優しかったじゃない」
「あいにく覚えてませんから」
「またまたぁ。冗談キツイよ」
 お互いにわざとらしくやれやれと肩をすくめ合って、顔を逸らす。
「ねぇ、遙華」
「なんですか」
「どうしてここに来たの? 古いお寺の裏山に、ボクに会う以外になにか用事だったの?」
 身を案じるような声色で私を窺う少年。私は腕組をしたままそっぽを向いている。
「引っ越しのご挨拶。この町で一番チカラの強い場所に挨拶しに来ただけです。わざわざあなたに挨拶に来たわけじゃない」
「ふぅーん?」
「私、そこそこなチカラがあるから、知らないうちにこの町になにかしら良くない影響を与えちゃうかもしれないじゃない。だからあらかじめ『こんな私が引っ越してきましたので失礼いたします』って言っとかなくちゃと思って」
 この裏山の山道は、昨今誰も立ち入らないのだろう。石段混じりであることから、かつてはきちんと整備や管理が成されていたはずだ。それが今や雑草に覆われている。苔むしてもいるし、虫も多い。
 そんな石段坂の中腹に小さな小さなほこらがあって、私はそこへご挨拶に来たのだ。それだって黒くすすけて年季の入った木造で、手入れがされていない証拠になんとなく傾いている。加えて蜘蛛や謎のキノコと同居という惨状だ。供物くもつやお花は何十年もないままだろうし、もちろん祈られたのだってご無沙汰だったのだろう。
「じゃあそこに棲んでるのがたまたまボクだったわけだ? 初めからボクがいるとわかってたわけじゃなくて」
「そうね、本当にたまたま、偶然、ひょんなことから、仕方なぁくあなたにご挨拶をすることになってしまったのでございますわ」
「フフッ、すごいね。今世でもたくさん言葉覚えたんだねぇ」
 まるで私を子ども扱いだ。見た目だけなら間逆なのに。
「遙華、安心してこの町で一緒に暮らそう。ボク、どんな魔者よりも強いから今度こそキミを護ってあげられるよ」
「そのようですねしかし必要ございません」
「もう、冷たいなぁ」
「ということで私はこれで。さよおなら」
「ちょっとちょっと! 待ってよ遙華ぁ!」
 ふやふやと浮いて、少年は私の前に立ちはだかる。
「まだ何か?」
「忘れたフリじゃなさそうなのは話してたらわかった。わかったんだけど、やっぱりよく思い出してみてよ。ボクと遙華は、前世でも、その前も、その前の前もずぅっと前も、仲良くしてただろ?」
「申し訳ないけど、本当に前世の記憶なんてもうないの。だからあなたが誰なのか、私とどういう関係なのか、いくら熱弁されたところで絶対に思い出すことはない」
「そんな……じゃあいま視える遙華の『今世の記憶』は、本当のこと、なの?」
 うろたえる少年は、半透明の身体をゆらゆらとさせた。反して私は「ホントのことです」とピシャリと返す。
「ていうか、私の記憶覗き視たなら早々にわかってたでしょ?」
「そりゃわかってたけど。でも、視るだけじゃ補完できないことだってあるもん。キミの術でボクをくらましたかもしれないし」
 再びふやふやと揺れて距離を詰めてくる少年。
「ごめん、くらますなんて言って……。遙華がそんなことするはずないのは、ボクが一番わかってるのに」
 本当に何とも思わなかった私は、小さく「別に」と吐いた。
「お願い。ボクにキミが辿ってきた今世のこと教えて?」
「イヤ。思い出したくない。やっとの思いで終わらせられたのに」
「頼むよ遙華ぁ。キミのためにできることならボクはなんでもする。ずっとずっと前のキミと約束したんだ、力になりたい」
 必死な形相、そして訴え。霊体の少年にここまでさせる『前世以前の私』って、一体なんなわけ? しかもこの霊体の少年は強大すぎるチカラを保持している。だから土地神さまなような存在になりつつある。
「遙華がもうチカラを使わなくてもいいようにすることだってできるかもしれない。ね?」
 往々にして、こういうときって話さなければならなくなるものよな。厄介極まりない。土地神まがいのチカラの持ち主と敵対なんてしたくないし。
「あぁもう」
 ストレートロングヘアをカシカシと掻いて、私は目を閉じた。
「私、この生ではずぅっと親族のお荷物だったっ」
 ゆっくりゆっくりと深呼吸をしてから、話したくもないことを乱暴に吐いていく。
「物心ついた二歳半の頃には両親が死んでしまってて、でもチカラがあるからってヘタに施設預かりにもできなくて。だから母方の大叔母の邸宅で世話になってたの」
「そうだったんだ……可哀想に。けどなんか似てるね、『四回目』のときに」
「大叔母は、自分よりも魔術を自在に扱える私を相当嫌ってた。母が実家を駆け落ち同然で出て行ったこともあって、尚更私を忌み嫌ってたかもね。だから私、義務教育を満足に受けてないの。いろんなことは、短い間だったけど優しい魔者に教わった。邸宅では家政婦として、外では退魔師として方々に派遣されて稼ぎを得てきた。……本当に過酷な毎日だった」
「それは『二回目』に似てる」
「八年前。散々私を虐げてきた大叔母一家が、両親が私に遺してくれてたらしい多額の遺産に手を付けてたことを知ったの。私の稼ぎも知らないうちに散財してた。だから私、我慢ならなくなって――」
 鮮明に思い出す、あの日の記憶。指先から血の気が引いていく。
「――大叔母一家を殺した。呪殺じゅさつしたの、全員」
「…………」
「何年もかけてあの九人を苦しめて、何年もかけてむしばんで、それが私のせいだと悟られないように必要なだけ記憶操作術も使った」
「記憶操作……それも禁忌術のひとつだね」
「わかってた、そんなの知ってた。だからその対価として記憶を次々に支払ったんだもん。今世の苦しい記憶なんて要らないから、いっそ術者であることも忘れられたらウィンウィンだと思ったんだもん!」
 凍えている手を口元に持ってくる。震える肩を抱く。
「なのに、全部終わったとき、今世の記憶『だけ』が残ってた。前世よりも古い記憶を貰われてしまったことは、全部終わったときのためにつけていた日記を読んで知ったことなの」
「ああ、なんて可哀想な遙華。どれだけツラい想いをしたのか、ボクにもこうして流れ込んでくるよ」
 くぐもった声をもらした少年は、自身のこめかみのあたりをツキンと押さえた。
「キミが一番ツラいときに、傍にいてあげられなくてごめんね。今世でも遙華が苦しいときに助けてあげられなかったなんて……ボク、本当になんのために……」
「別にそんなこと頼んだって、そもそもあなたには関係がないじゃない」
 被害者面をするな、と思った。私が苦しかったのはコイツのせいではない。なのに、勝手に責任を負って悲嘆して、一体なんなんだと腹がたった。
「可哀想可哀想って、あんなのもう終わったことだし。いつまでも私を哀れまないでよ、私だって一人で生きていけるんだからっ。大体あなたは、前世以前の私とどういう関係だからそんなこと言ってるの?」
「姉弟だよ」
 あっさりと明かされる真実。
「初めの生のときに、ボクと遙華は双子として産まれたんだ」
 そこまで聞いても、私は大して驚きやしない。実感がないから尚更だった。
「でもあの時代はさ、双生児ってだけで呪い扱いされたんだよね。加えて男女の二卵性。双生女児だというだけで、キミは四四日目ににえにされてしまった」
 贄――供物として強大なチカラのもとへ捧げられたという意味だ。つまり、見えないチカラを理由に生後まもなく殺されたらしい。
「私、産まれてすぐ殺された存在だったの?」
「そう。ボクよりもキミのほうが強大なチカラを持って産まれたというのにね」
 それに気が付いたのは、少年が五歳になった頃だったという。『かつての私』を贄にした一族は、少年に『かつての私』のチカラを超えるようにと『修行』させたんだって。
「バカらしっ。修行なんて、なんの意味もないのに。鍛えてなんとかなるなら、いまごろ魔術師全般が憧れの職業にランクインしてるじゃん! きっとバーチャルタレントと肩並べてるだろーね」
「フフッ、言えてる」
 少年はふやふやと肩を揺らして笑んだ。
「ボクはあのときの生で、酷く悔しい想いをした。赤子のキミが贄にされる瞬間まで覚えていたから、あの生ではたくさんのものを憎んだよ」
「あなたくらいのチカラの持ち主なら、憎悪の念だけでいろいろ起きてしまったはずね」
「うん、もちろんっ」
 なぜか声を弾ませて、少年は私と顔を近づける。
「それは今世のキミと同じだったよ。何年もかけて、『双生児は悪』だとか言ってまわる人間をたくさんたくさん死に追いやってやったんだよっ」
 愛くるしい笑顔なのに、発言内容が酷すぎて頭に入ってこない。右頬が引きつった。
 ていうかいま気がついたけれど、彼の着ている白い装束はなにかの祭事のときに着るものかもしれない。もしかしたら、祭事というたくさんの人前でたくさんを『そうした』のかもしれない。
「禁忌術って『跳ね返り』があるじゃん。ボク、そのときに初めて知ったんだぁ。そのせいでボクは肉体が壊れて、こんなふうに魂が固着されちゃったんだよね」
「え、固着?」
「そ。この姿は二二〇〇年前から変わらないんだ」
 つまり彼は初めの生で、双子の姉弟である私をみすみす殺させてしまったことを悔いて『たくさん死に追いやった』がために、当時の見た目年齢のまま二二〇〇年間幽体だ、ということなのだろうか?
「あなたもしかして、だから転生できなくなったのね? たくさん殺した『跳ね返り』の……与えた呪詛の代償に、幽体のまま現世に留まらざるを得なくなった」
 そうなんでしょ? と細く小さく訊ねる。柔い笑みで肯定も否定もしない少年。
「いいんだ、そんなこと。ボクが転生できなくなったのは仕方がない。でも遙華が贄にされたことは仕方がなかったことじゃあない」
「いやいや、そんなことない。だってあなたも当時赤子だったんでしょう? なら詠唱できないじゃん。いくらなんでも詠唱抜きじゃ魔術を練れないもん。だからどうにもできなかったことだよ、あなたのせいじゃない」
「ううん、ボクにだって大きなチカラがあったんだ。キミには敵わないけど、他の術者よりは強くて大きなチカラが。だから赤子だろうと関係ない。チカラを使ってキミを護ることが出来たはずなんだよ。なのに当時、そうしなかった。そんな自分に、ずっと腹が立っていて……」
 じわりじわりと色濃くなる少年の姿。裏山の木々がザザアと騒ぎ始める。
「怒りなんて、何千年経ったって収まりやしない。復讐とか呪いとかと同じだ。色濃くなって、粘り気を帯びて、もうどうしたって拭えない」
 少年の肌の色が黒ずんでいく。かわいらしかった小さな手はゴツゴツと骨張り、丸く薄かった爪は分厚く鋭利に伸びて長くなっていく。
「遙華を殺しタ人間ガ、ユるせナイ。人間ニ、オもイシらセテヤラなイト」
「ちょ、待ってよ」
「アのトキ、ボクが死ネばヨカッタんダ。ボクノほウガ、遙華ヨリもチカラガ弱かッタのダカラ!」
「いまはもう違うよっ」
「アアア……遙華ハいイナア。何度デモ生マれカワレる! ボクハ生マレカワレなイ! 遙華ヲ助けラレナイまマのボクデ居ルコトシかデキナイ!」
「そんなこと――」
 ない、なんて言えない。

 ゴガアアア、と魔者の叫び声が轟く。彼は真黒き巨大な鬼のようになってしまった。
 突風が吹いて、茂った雑草の中へ吹っ飛ばされる。
「ぐガァ! っ、痛ぁ……」
 枝葉が脇腹に刺さったかもしれない。頬だってなにかで深く切ってしまったみたいだ。脚は、動く。でもももが変な感覚だ。

 とんでもないことになってしまった。ここにはただ挨拶に来ただけなのに。人殺しをした私がひっそりと死ねる場をくださいとお願いしただけじゃないっ。
 でも、それでも、どうしたらいい。せめて今世の最期に、私が彼にしてやれることは何もないのだろうか?
 今世の私は、人を呪い殺す以外に一体なにを積んできたの? 死する度に何度も何度も生まれ変わる私を、その都度大切に想ってくれた唯一の姉弟を助けることすら叶わないの?
 天が「罪を償いなさい」と言うのなら、私が彼の罪も共に背負ってやるから。私はこれ以上生まれ変われなくなっていい。代わりに彼に、新たな命を与えてほしい。
 二二〇〇年前の呪縛から、孤独に苦しんできた彼を解き放ってやりたい。だって彼はもう、二二〇〇年間も苦しんできたじゃない。私のために負った罪など、もうとっくに償い終えているでしょう!

 黒く鋭利な爪が、木々を薙ぎ払って掻き分ける。バキバキと酷い音だ、森はそうして壊れていく。
 彼が、私を探している。『気』で探ることすらままならないのだろうか? あの姿では、元来の彼のチカラを発揮できないのだろうか?
「かハッ……フーッ、フーッ」
 やっと呼吸が戻る。なんとか身を起こして、脇腹から枝葉を抜いた。黒ずんだぬるい血がしたたって、それを一瞥いちべつすると痛覚が過敏になった。
「ゴガアアア……ゴオオガアアア……」
 名を、呼ばれている気がする。寂しそうな声だと思った。すっかり巨大におおきくなった彼は森の上からグルンと私を探している。
「フーッ……、とっ、『特こ』――ガハッ」
 詠唱がままならない。クソッ。私、弱すぎる。二二〇〇年間練り上げられた魂のはずでしょう、しっかりしろ遙華!
「『特効術』、はぁ、『弱化』、『を彼の者へ』、ゴフッ、はあ……『弱化を彼の者、へ』ッ! ……はあ、はあ」
 ダメだ、術として練り上がらない。特効魔術はターゲットへ直接与えるために『名』を必要とするから、名を紡ぎ術へ織り込まなければ奏功そうこうしない。
「名……」
 そういえばどうして彼は、私が遙華という名であることを知っていたんだろう。名は、心を読んで知り得ることはできない。記憶は読めども名だけは無理だ、名は一種の『鍵』だから。
「仕方ない……コホッ、ベーシックで、数打つしか」
 バキバキバキと、枝の折れる音が勢いよく近づいてくる。ふわりと掬われた身体は、枝葉ごと握られ宙に浮く。なにに握られた?
 彼の手だ。
「うわっ?!」
 叫ぶこともままならないほど身体ごと握られ、もがくも虚しく潰されゆく。 
「グオアアア……ウガアア!」
「クハッ、な、名前っ、名前をわああっ!」
「ゴアアア……ハ、遙……カ……遙華アアアッ」
 問いかける声も届かないのか――ならば、と精一杯で術をいくつも練り上げる。
「『鎮静』ッ! はあ、『保護を我へ』――っくああ! だ、『鎮静』ィッ!」
 身動きが封じられたままでは自分へ保護魔術をかけることが精一杯だった。
 こうなりゃ仕方ない、と腹を括る。禁忌術の一歩手前を使うしかない。代償はなくともダメージは計り知れない。一発勝負、後はない。
「はあっ。ち、『治癒を』、『治癒を施さん』ッ!」
 魔術が山吹色に光る。辺りがカッと照らされる。
 治癒は自身に使えない。それは術式の決まり。どうやったって自身にはかからないようになっている。では、どこに治癒を施したか?
 彼の手だ。
「ウバアアアアアアッ」
 耳をつんざく叫び声と共に、私を掴まえていた黒くゴツゴツと尖った手はみるみる縮んでいった。そこを皮切りに、彼自身も元の大きさへと戻っていく。咄嗟に治癒術に織り込んだ鎮静効力によって、沸いていた怒りの感情が落ち着きを取り戻したらしい。上手くいった、退魔経験がふんだんにあってよかった。
「うぶっ」
 私はある程度のところでふわりと開放され、再び茂みに投げ出された。ガサガサと枝葉を下敷きにする。頭は打たなかったけれど、右の二の腕を打ち付けてしまった。
「はあっ、はあっ。もうっ!」
 しかし、呑気に倒れている場合ではない。血の滴る脇腹を支えながら、なんとかして彼の元へ移動する。
「あんたねぇっ、なにしてくれちゃってんの!」
 暴れたお陰で崩れそうになっている祠の上に、身を丸くして彼が浮いていた。まるで子宮の中で育ちゆく胎児のようだ。
「ごめん、なさい」
 喋った。初対面時の彼の口調だ。私はヘナヘナと石段坂へへたり込む。
「私じゃなかっ、たら、あんたのことなんて、絶対に止められて、ないんだからね」
「……はい」
「結局チカラ、たくさん使う羽目に、なったし! 最悪ッ。使わなくてよくなるかもなんて、大嘘じゃない!」
 八つ当たり同然に、彼に怒りをぶつける。
「はあ、はあ。大体、どうして私の名前、知ってたくせに、自分の名前は、教えとかないわけ! お陰で、特効魔術、使えなかったじゃない! あれには名が、必要だからっ」
 彼は丸めた身体をゆったりと様々に方向を変えていく。まるで自転しているように。
「ボクがキミの名を知っていたのは、どんな世のときも、キミがいつだって『はるか』の名で産まれてきたからだ」
 目と目が合った。傷ついた顔をしている。
「だからボクは、キミの魂の色と形を見ればいつだってキミが『はるか』なんだってわかったんだ」
「なるほど、ね。はあ、私、贄にされたときも、はあ、はあ、名を、貰えてたのね」
 名は鍵だ。魂を現世に留める唯一の鍵。
「大方はわかった。フー……それじゃ、いまからいろんなもの、直してくから。はあ、ここの森の名と、あなたの名前、教えなさい」
「けど、遙華だって怪我を――」
「そう思うなら! 私が全部直してからあんたが私を治してっ! 姉弟なんでしょ!」
 ゼエゼエと荒い息を縫って、ガツンと告げる。姉弟であることで彼が私に対して忠義を感じているのだとしたら、そこを突いておかないと。姉弟であることは彼の喜びなのだ、きっと、察するに。
「まず名前教えることが、私への償いに、なる」
「つ、償い?」
「うん。それで、あなたも先に進める、から。はあ……そし、そしたら今度こそ、今世でも来世でも、私と一緒に生きたら、いいじゃない?」
 弱々しくなりとも、目一杯で笑んでやる。
「きっと今度は、転生できる。私がそういう、術で、はあ、あなたの呪縛を上書き、するからっ」
「遙華……」
 膝を抱いて目を見開いていた彼は、丸めていた身をそっと解き、祠の前に音もなく降り立った。
「ボクが『治った』ら、どうなっちゃう?」
 まるで叱られている子どものようだ。ボソボソと決まり悪そうに訊ねるので、私は大きな声で「知らない!」と笑んで言い切った。
「ヤバいときは、はあ、二人でなんとかしてけばいいでしょっ」
「二人で?」
「そ! 幸い二人とも、ものすごい術者なんだもの」
 彼のまなこにゆらりと水鞠が浮かぶ。
「……なた」
 やがてゆらゆらと揺らめいた水鞠は、頬をころころと転がり落ちる。
「『かなた』。ボクは、『かなた』だっ」
「かなた……あはっ、単純なことば遊び」
「フフフッ。でも気に入ってるんだ」
 そうだね、と笑うと脇腹が痛かった。
「イテテ……ねぇ、かなた」
「なに?」
「私たちってさ、二卵性双生児だから、身体を分け合ったわけじゃ、ないからね」
 深呼吸をしてから、傷だらけの両腕をかなたへ伸ばす。魔術をかけてやるためだ。
「かなたはかなたの生を、まっとうして、いいんだよ。はあ、双子に縛られて、かなたがしたいことが出来ないのは、違うんだか……ゴホッ」
 私はこれから、傷ついた彼の魂のケガレ退しりぞけてみせる。そうしたらきっと、かなたはまっさらになって、次世で自分を生きられるようになる。
「今からあなたは、大きく叶えるで、叶大かなたって名乗りな」
「大きく、叶える……」
「うん。ここはもう、二二〇〇年前とは違う、世界。今世は叶大のしたいこと、たくさん一緒に、叶えよう。もちろん呪詛は、ダメ。禁忌術もね」
 山吹色の暖かい光が、叶大の身を包んでいく。
「だからこれからは、改めて二人で、一緒に生きてこ」
 生きゆく過程でチカラを合わせ、じっくりといまの自分たちを生きていけばいいのだ。
 私が「ね?」と笑めば、叶大はようやく満足そうに瞼を伏せて、唇がゆっくりと柔く弧を描いた。





                        終

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