上 下
3 / 96
第一章 OBEY

第三話 抜刀

しおりを挟む
 店の座敷で腰を浮かせた花村を、総髪の青年が目で制し、芹沢一派を店の中へと追い込むように、じりじり間合いを詰めて行く。

「お前が店の主人か?」  
 
 芹沢は、巨体を左右に傾けながら、千鳥足ちどりあしで歩を進め、酒臭い息を吐きかける。

 間近で見れば、思った以上に年も若く、前髪を下ろしたばかりの容貌だ。
 女のように顎が尖った小造りな造作で、色白なうえに円らな双眸。鼻筋も品よく通り、唇の色も艶やかだ。

 髷を整え、羽織袴に着替えさせれば、一国一城の主君と言っても押し通せるはず。
 その反面、どこか可憐な顔立ちは、色小姓にしてはべらせたいような気にさせる。


「抜けるか?」
 
 と、芹沢は若き店主の脇差を、扇でこづいて挑発した。

 時勢柄、町人だろうと長脇差ながわきざし帯刀たいとうだけは許される。


 それでも武士でもなければ、人は斬れない。

 今まで斬ったことがなく、保身のために形だけ刀を差したやからに人は斬れない。
 芹沢は、自らの経験を通じて知っていた。
 

 威勢はいいが、腰が引けて怯んだら、賄賂の代わりにとぎでもさせてみるのも、また一興いっきょう
 色好みの芹沢は、舌なめずりしてめつけた。


 しかし、この妙に陰気な呉服屋の主人だという青年は、刀に手をかけた猛者浪人もさろうにんに包囲されても、顔色ひとつ変えるでもない。
 長脇差の柄に手を掛けつつ、這うような足の運びも腰の据わりも堂に入り、程よく力が抜けている。


 列強の異国の強請ゆすりに、あえなく屈して国を開いた幕府を見限り、反目し、幕閣の専制体制を非難する浪士や藩士が、都に集結しつつある。
 反幕派と化した彼等は、異人を道徳心の劣ったてきと卑しめ、外敵として撃ち払う。


 それ等にとって、幕府の警護の一端を担う壬生浪士組も、当然のことながら外敵だ。
 もしや町人のていを装った、そんな攘夷浪士じょういろうしやもしれぬ。

 ややあって、芹沢は半歩退き、身構えた。


「名を名乗れ」
 
 誰何すいかした芹沢は、右手で刀の鯉口こいくちを切る。


「馬鹿言っちゃいけねえよ。うちを苗字帯刀の大店おおだなと、お間違えかい? 壬生狼士の旦那さん」
 
 せせら笑って答えた彼が両手を上げた、その時だ。
 一瞬の間を隙と捉えた背後の隊士が抜刀し、

「よせ!」
 
 正気にかえった芹沢が制止をかけたその刹那、胸の中に肩を裂かれた隊士が倒れてきた。


 花村は番台の下に隠している長脇差を鞘から抜き取り、素足で土間に飛び降りる。
 
 刀がくうを切り裂く音に男達の絶叫が重なり合い、奥へと逃げる女中の悲鳴が芹沢の耳をつんざいた。

 しかし、無駄に多い土間の柱や低い梁に、切先きっさきを取られた隊士等は、身動きできずに店主の男に胴を割られ、次々袈裟けさに背中を裂かれる。
 
 芹沢も大刀の柄を脇差様に短く握り、斬るのではなく、槍のように刀を突き出さざるを得なかった。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

追放するのは結構ですが、後々困るのは貴方たちですよ?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:241pt お気に入り:234

チートなタブレットを持って快適異世界生活

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,143pt お気に入り:14,313

縁起のいい友達がみょうちくりんな件について

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,170pt お気に入り:7,501

転生幼女はお詫びチートで異世界ごーいんぐまいうぇい

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7,653pt お気に入り:23,939

婚約者を奪われたのでこれから幸せになります

恋愛 / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:722

TS転生ド田舎ネクロマンサー聖女

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:96

処理中です...