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序章 きみが灰になったとしても
第43話 遥か稜線の白銀
しおりを挟む吐く息は白く、銀色の微睡みとなったそれは空中に霧散して、虚空へと溶けていく。
枝のこずえには雪が咲き、足元を埋め尽くす白き絨毯は踏まれるたびにざくざくと小気味よい音を奏でる。
希薄で澄んだ冬の陽射しが木洩れ日となって行く道を仄かに照らす。
ときとぎ木々から落下する雪の重い音が聴こえる。
薄い剃刀で頬をひとなでされたような鋭い冷たさがノウトを襲う。指先は、ついさっきまで氷を握っていたようにひんやりとしていた。
「…………ああ、ほんとに……」
どこなんだ、ここは。もう声に出すのも億劫になってきた。歩けど歩けど森と雪。人っ子一人見当たらない。何が起きてるんだよ、これ。
「ラウラ! レン! 返事をしてくれ!!」
ノウトの呼び掛けは遠く、彼方の稜線に消えゆく。
「ダーシュ! フウカ! 誰もいないのか!?」
誰かが返事をする代わりに、木から滑り落ちた雪の鈍い音が近くで聞こえた。
「………みんな、……どこ行ったんだよ……」
無事ならばそれでいい。だけど、見て回る限り、影も形もない。俺以外は帝都に戻ってくれてるならいいけど。
少なくとも仲間はここにいない。ノウトだけが別の場所に飛ばされたのは確実と言えるだろう。
全くもって意味不明だ。ぜんぶ、ぜんぶ。何もかも。なんで、ノウトはここにいるんだ。分からない。
だけど、何も分からないからこそやらなくてはいけないことがある。
まず、情報だ。情報が欲しい。ここがどこで、なぜノウトがここに飛ばされたのか。皆はどこにいるのか。それが分かれば最善だ。
そして、最も大事なこと。
それは生きることだ。
ノウトはこのままでは死んでしまう。
寒さと、そして───飢えで。
そう。今のノウトにはほとんど食糧がない。
食糧の詰まったリュックを最後ダーシュが背負っていたのを見た。今ノウトが持っているものは三回分の食事を補える携帯食料だけだ。
ノウトは修行の過程で三日は何も飲まず食わずで耐え忍ぶことが出来る。だが、それ以上は正直きついだろう。
つまり、携帯食料を用いてノウトが餓死しない期間はだいたい一週間程度。それを越えるとこの気温や気候を加味した結果なかなかにきついことは容易に想像出来る。
ノウト自身、まだ体調は平気だが、少なくとも食糧を蓄える必要はある。
「……一番いいのは、街につくことなんだけど」
一切合切森を抜けられる気がしない。
人の気配もしない。
けもの道から抜け出せる気もしない。
ノウトが今現在歩いている場所は道なんかじゃない。雪が積もって誰も通らないような道無き道だ。でも、それ以外進みようがないから、そこを歩いていくしかない。
雪が積もっていて、足取りが重いというのもあるが、不死王との戦闘の直後というのもある。というかそれが大半だ。それによって全然前に進めている気がしない。
見上げる。
今は、雪が降っていないからまだマシなのだろう。これで雪でも降り始めたら、もう、天に祈るしかない。凍死してしまう。
寒い。寒い。ああ、肺が、凍てついてしまいそうだ。
木が高い。十メートル……いや、それ以上あると思う。目視だけで高いことが分かる。
木の上まで登って、街を探す? まぁ、それはよく考えずともわかる。明らかに無謀だ。
視界はほぼ白に染められているし、こう気温が低いとホワイトアウト的なあれで先が見づらいだろう。それに、木を登れるかどうかも怪しい。殺陣がないと着地時のダメージを無くすこともできない。
「………ああ……」
神技が使えないことの恐怖が、ノウトの喉元を締めつける。肺を締めつける。
ふと、息を止めてみる。暗殺が使えているのか、使えていないのか。自分でも分からない。でも、使えていないのだろう。なんとなくだけど、分かる。
足裏に伝わる雪の感覚は新鮮だ。
帝都では冬に降雪することはあるが、それでもこれほどまで積もることはほぼありえない。ふと、ある記憶を思い出した。レーグ半島、人間領のことだ。人間領にはニールヴルドという一年中降雪地帯の国があって、そこの都ロークラントで一晩泊まった思い出がある。ここがニールヴルドでない可能性はゼロではない。
ああ。でも、こんなにも歩くのが大変だとは思っていなかった。雪が積もりに積もって、三歩先へ歩くことでさえ大変だ。
景色は変わらない。ときどき、動物の影が視界の端に映ったくらいだ。あれは、鹿か。またはロイップかもしれない。実際には見たことがないが、文献で読んだことがある。ロイップは雪国にのみ生息する生物で大きな牙と捻れた体毛に覆われている。幼体は一メートル弱程度の大きさしかないが、成体となると四メートルは優に超す、巨体な生き物だ。総じて臆病な性格なので、襲ってくることはないだろう。
靴が、濡れてきた。冷たい。足先が氷になってしまったように感覚がなくなってきた。疲れた。吐く息は白いし、視界も、何もかもが真っ白だ。
「なんで、俺……歩いてんだっけ……」
足を止めた。上を見上げて、髪を搔いた。掻き乱した。視線を落として、足元の雪を見つめる。そして、その場にしゃがんだ。
尻に雪が触れて、ズボンを貫通して冷たさが伝わる。少し、いやだいぶ濡れてしまっているかもしれない。
でも、そんなこと気にならないくらい足取りが重かった。
たぶん一時間は歩いた。
でも、どれだけ歩いても、人に会える気がしない。
街が見える気がしない。
それより、疲弊感が勝る。不死王と戦った直後だし、その前には王都でいろいろとあった。路地裏で魔人の男に見つかって気絶させたのもついさっきのことのように思い出せるし、大地掌握匣のあった部屋の前にいた見張りを伸したのもほんのいまさっきだ。
そうだ。あれから寝てない。まず、一回寝よう。それから、いろいろ考えよう。
魔皇やメフィ、レン、ラウラ、みんなに会うためにも。今は英気を養わないと。
もう、寝ようかな。
寝てしまおうかな。ここで。疲れたし。足も、腕も。それから腰も疲れた。足先は冷たすぎて、もはや痛い。
なんか、もう、だめだ。
神技が使えないノウトに、何が出来るのだろう。勇者でないノウトは結局は、ただの凡人だ。凡庸さ。自分で自分を見切ったならば、すっかりきっかり諦めちゃえば、それでいい。
あー、横になりたい。横になって、柔らかい毛布に包まれながら、ゆっくりと、ゆったりと惰眠を貪りたい。昼寝は好きだ。ここで寝たら、さぞ気持ちがいいのだろう。真っ白な、白妙の雪に抱かれながら、目を瞑る。それで、ノウトの中に収斂され内包された気持ちはぜんぶ精算される。そんな気がする。横になればすっきりするだろう。眠りたい。眠たい。寝たい。
ああ、でも。くそ。そんなの、だめだ。だめに決まってる。ここには毛布もベッドもないし。ここで眠ったりなんてしたら、確実に凍死する。永眠してしまう。永久の眠りについてしまう。
「はっ……」
明らかに笑い事ではない。でも、思わず笑ってしまった。
全部、何もかもが、意味不明だからだ。ここがどこかも、仲間達がどこに行ったのかも分からない。
「………ほんとに、何が起きてんだ、これ」
夢みたいだ。
どうして、今ノウトは雪の積もる森林のど真ん中で座り込んでいるのか。
本当に、夢のようだ。こんな夢を見たことがある気がする。雪の中、『きみ』と肩を並べて歩くんだ。『きみ』は両手を口許に持っていって息を吐く。頬が赤く染まる『きみ』を見て、俺は思わず笑った。
そんな、ありふれた夢。
でも、これは現実で、冷たくて、寒くて、今にも凍えてしまいそうだ。
『生きて』
どこからか、『彼女』の声が聞こえた。頭の奥深くだ。その声がこびりついて、離れない。忘れてはいけない。忘れては。これは、有栖なのか。分からない。何もかも。曖昧だ。ぜんぶ。全部。
人生は一度きり。
ならば、ノウトはこれで終わりなのか。冷気に苛まれて、死に誘われるのだろうか。
死んで、『楽園』に行ってしまうのだろうか。
不死王曰く、死なずに楽園に行く方法があるとかなんとか。そもそも、楽園なんて存在するのか? それに、ノウトの見る夢が楽園の夢とも不死王は言っていたような気がする。
それも、今は確かじゃない。
分からない。分からない。分からない。
分からない。分からない。分からない。
そればっかりだ。一辺倒だ。
「分からないは……」ノウトは呟いて、立ち上がった。「もう、飽きたんだ」
勇者として目覚めて、記憶もないまま魔皇退治に向かって、仲間割れを起こして、『彼女』はいなくなって、仲間の勇者たちは倒されて、魔皇に養われて、メイドたちと一緒に城を掃除して、戦争に向かって、ラウラに剣術を教えてもらって、ロストガンに戦術と神技を叩き込まれて、ミェルキアを殺して、フィーユとミファナとシャーファとルーツァが殺されて、アヤメと出会って、大地掌握匣を取り戻しに行ったら不死王と戦って、それで、今は雪と森に囲まれて孤独を揺蕩っている。
今思えば、普通ではない日々を過ごしていたのかもしれない。
でも、ここまできたらもはや何が普通で、何が普通じゃないのかも分からない。
だから、今起こってることも全部、普通なのかもしれない。これが運命ってやつなのかもしれない。
──抗え。
誰かがそう言っていたのを、今思い出した。
運命に抗え。
死せることに抗え。
抗い続けろ。
ここで終わるなんて、認めない。
「……認めて、たまるか………」
ノウトは天を仰ぎ、感情を露わにする。
「……死ねるかよ。ラウラたちが無事かどうかも分かってもいないのに。シファナたちに声をかけてもいないのに」
手のひらに残る雪の残滓を昇華させるが如く、強く拳を握る。
「生きるぞ俺は。泥を這いつくばってでも。地を這ってでも。泥水を啜ってでも。なんとしてでも生きてやる」
遥か白銀の空の下、ノウトは決意を胸に刻んだ。
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