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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア

#42 まずはかわいい弟を篭絡せよ

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遊びに来てくれとメモを渡したものの、あの光がそう簡単に釣れるはずがなかった。

(まあ想定範囲内けど)

修学旅行の書類を盗み見て、緊急連絡先を知ろうと思ったのだが、どこにも記載されていなかった。
住所しかない光の個人情報メモに、弟・源次と幼なじみリンの情報を追記した。ついでに
・好物はオレンジジュース
・大食漢
・ケチ(貧乏くさい)
・友だちはいらない(本当は欲しそう)
・喘息もち、激しい運動は要注意

と書いておく。
そんな箇条書きメモを見ながら、思わず肩をすくめた。

「ヤンキー要素ゼロじゃん」

次の個人情報はもう少し合法的に手に入れようか。
勝行は小さいボディバッグを肩にかけ、ポロシャツの襟を鏡で確認すると、休日の街へと繰り出した。


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たどり着いた先は今西家。だがチャイムを鳴らしても誰も出ない。昼間だが寝ているのだろうか。ドアの施錠を確認したくなったが、少し思案してもう一度チャイムボタンに指をかける。

「あれ、勝行じゃん。やっほーひっさしぶり!」

お気楽お元気な声が後ろから聞こえてきて振り返ると、今西源次が学校帰りの服装でこちらに戻ってきているところだった。半袖シャツから見える腕は真っ黒に日焼けしていて、すでに夏男状態だ。

「久しぶり。今日は学校だったの? 土曜日だけど」
「あー、部活な! 俺キャプテンだから」
「そっか、サッカー部だっけ。もうすぐ大会?」
「おう、今は市内戦だけど、来週地区戦。何、勝行は遊びに来た?」
「うん。光は――」
「まじかーやった! あのさ、教えてほしいことあんだよ、入れ入れ! 今鍵あけっから!」
「……え?」

用件を言う隙もない。源次は無理やり勝行の手を引いて家の中へと連れ入った。

「光はいないの?」
「ああ、うん。鍵かかってるってことは、バイトかな」
「バイト?」

勝行は驚きのあまり叫びそうになった声を慌てて抑えた。

(中学生ってバイトできたっけ)

「まあ気にせず入れよ。散らかってっけど」
「お邪魔します」

源次の気さくな誘いに甘えて、勝行は玄関に上がり扉を閉めた。修学旅行当日の朝、無断でドスドス上がった家だが、改めて見渡すと至って普通の一軒家である。いうほど金に困っているようには見えない。
ただ、小綺麗にしてあるわけでもない。靴箱の上には、空っぽの花瓶が埃まみれになっておいてあるだけ。スリッパもない。
靴をそろえて中に入ると、子ども部屋と思しき場所に二段ベッドが見え、そこで源次が汗だくの制服を脱ぎ捨てている最中だった。

「あー奥、つきあたりにリビングあっから。そっちで待ってて、すぐいく」
「わかった」

廊下を奥に突き進むと、一枚扉の向こう側にリビングがある。
中には古そうなテレビと、正方形の座卓がひとつ。反対側にはカウンター付きのキッチン。求めていた友人の姿はここにもなかった。代わりに佐山中のスクールバッグが床に転がっているのを見つけ、やっと光の存在を確認できる程度。

「おまたせおまたせー。お菓子もなんもないけど、いい?」
「何もいらないよ。綺麗な家だね。おうちの方もいらっしゃらない?」
「おうちの方って……あー家族? いないよ、光しか」
「……?」

Tシャツに着替えてきた源次が、台所で冷蔵庫を開け、適当に漁って牛乳を取り出すと、からからと中身を振って確かめる。

「のっ……飲み切ったら光に怒られそうだ」

あまり中身がなかったらしく、諦めてしおしおと片付けた。
そんな源次を見ながら、そういえばと勝行は手に持っていたコンビニ袋を源次に差し出す。

「暑いし、差し入れ持ってきたんだ。これよかったら飲んで」
「えっ、何。うわ、オレンジジュースじゃん! コレ好き」

源次は喜びの声を上げ白い歯をこぼした。ありがとう、と素直に受け取り、早速コップを二つ用意する。

「俺の分はいいよ」
「そんなこと言わずに乾杯しよっ。ちゃんと光の分も残しとくから。それより勝行、光のこと教えてくれよ」
「……え?」
「俺さあ、あいつが学校でどうしてるのか全然知らねえの。小学校ん時もほとんどバラバラで、一緒にいたことないから……兄弟なんだけど、わかんねえんだよな」

だから知りたくて!

目をキラキラに輝かせながらキッチンカウンターの向こう側で語りかける源次を見て、勝行はなんとなく察した。あの光はベラベラ話すタイプには思えないし、弟にも自分のことはあまり語らないのだろう。
まあ、あまり語りたくもないだろうし、わからなくもない。なるべくオブラートに包みつつ、勝行は差し障りのないことだけを述べることにした。

「代休を忘れて登校するぐらいには、毎日来てるよ」
「俺の隣の席なんだ」
「でもまあ、だいたいいつも寝てるかな」

ひとつひとつの大したことない情報にも逐一頷き、「へええ!」と喜ぶ源次につられて、話もつい弾んでくる。

「あと彼はピアノがものすごくうまいよね。習ってたのかな」
「学校であいつ、ピアノ弾いてるのか?」
「うん、毎日聞いてるよ」
「そっかあ……」

ピアノの話を切り出した途端、急に少し驚いたような顔を見せると、複雑そうな面持ちで俯く。急に反応の変わった源次に気づいた勝行は、おやと首を傾げた。

「そういえばあいつ、超絶技巧曲みたいなの弾きながら『ピアノ嫌い』って言うんだけど。なんでか知ってる?」
「え。あ、あー。うん……そっかあ、でも弾いてるのか。じゃあちょっとだけ、嫌いじゃなくなったのかもしれない」
「ちょっとだけ?」
「うん」

源次は寂し気な笑顔を向けると、手元にあったジュースを一気に飲み干し、ぷはあ、と息をついた。

「光はあんまり自分のこと話さないから、勝行は知らないかもしれないんだけど」
「……」
「俺たち、親がいないんだ。でも、光にピアノを教えたのは母さんでさ。一番喜んで聴いてたのは父さんで。――だから、今は家では絶対弾かない。もう……嫌いになったって、言って」
「……そっか」
「俺、学校違うだろ? 俺はホントはもう、この家の子どもじゃないんだ。色々あって……住んでるとこも違くて。でも今は光が一人で生活してるって知ったから、時々様子見に来てるんだ。もしなんかあって、家で倒れてたりしたらマズいじゃん」

聞いてはいけないような、立ち入ったことを知ってしまった気がして、勝行は思わず口をつぐんだ。だがおかげで一気にさっきまでの謎が解けていく。

「学校でピアノ弾けるようになって、外に出られるようになっただけ、あいつの病気もよくなったのかな。昔は寝込んでばかりでさ。いっつも入院してたから」
「……へえ、そうなのか。でもバイトって言っても……中学生で雇ってくれるとこなんてないだろう?」
「うーん、俺もよく知らねえんだけど」

源次は困ったように頭をポリポリかきながら、「ほんとはやめてほしい」と素直に呟いた。

「生活費に困ってるのは事実だから、俺も節約頑張って牛乳も我慢してるんだけどさあ。バイトは確か警備員だったか……高校生のフリして。――あ、これ、ナイショだからな!?」

慌てて源次がしーっ、しーっと人差し指を立てて注釈を入れるも、全く内緒になっていない。苦笑しながら勝行は、家にきた甲斐があったなと一人ほくそ笑んだ。

随分沢山の情報を得ることができた。不良というのはそっちの方面での不良だったか。

「源次、俺にいい考えがあるんだけど」
「なに?」
「ちょっと耳貸してくれる?」

懐柔するならやはり弟からが一番のようだ。
なんの疑いも見せない源次は、嬉しそうに勝行のすぐそばまで顔を突き出した。



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