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第四節 ひと夏の陽炎とファンタジア

#45 夢のはじまり

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誘導作戦は無事成功した。――と思う。
挑発が過ぎて本気で怒らせたかもと一時ヒヤヒヤしたが、光は楽器だらけの部屋と、アレンジした楽曲を気に入ってくれたようだ。さっきまで青白かった顔も、色を取り戻してきている。

「お前って、魔法使い……とか……?」

ヘッドホンを両手で押さえたまま、あまりにも真剣な顔でそんなことを聞いてきたので、思わず飲みかけの水を噴きそうになった。

「や、だって。あの画面勝手に動いたし……誰もいねえのに他の楽器も鳴ってるし! お、お……俺のピアノが……ピアノじゃなくて……なんか……歌に……」
「これね、パソコンのソフトで打ち込んだり、それぞれの音を録音して作ったんだ。再生ボタンを押したら、ほら。さっきの伴奏聴けるだろ」
「うおっ⁉ ……な、なんだこれ……すっげえ……てっきり心電図か何かかと」
「そこで心電図とかいう難しい言葉が出てくる光もすごくないか?」

本当にピアノ以外、何も知らなかったらしい。だが別の楽器の音を聴き分ける耳はしっかり持っているようで、楽器紹介を兼ねて手持ちのものを全部演奏してあげると、もう完全に光の目は憧れの何かを見るものに変わっていた。

「これが全部このハコみたいな機械に入ってるってことか」
「そうそう。そんで、このアンプを通して聴こえてくる」

今どきパソコンも知らないなんて珍しい。配線を説明したり、仕組みを語っている間の光の視線は真剣そのものだ。普段、授業中寝てばかりの光からは想像できない。

「光も弾いてよ、一緒にセッションしよう」

パソコンにつないだ電子キーボードを差し出すと、嫌がることもなく光はいとも簡単にそれを使いこなした。
何も教えなくても、ダイヤルで何かを調整して音やリズムを変え、どんどん自分なりの音を作り出していく。修学旅行で見た時のような、楽し気な横顔が目に入る。

「なあ……あ、あのさ。お前の知ってる曲を弾いたら、もっかい歌える……?」

そんなことまで訊いてきた。どうやら本気で気に入ってもらったようだ。

「光は何なら弾けるの?」
「なんでも」
「え……どういうこと」
「俺、いっぺん聴いたら覚えられるから。知らない曲だったら、一回聴かせてくれたら弾ける。そんかわり、うろ覚えだけど」
「なるほど耳コピ……絶対音感がないとできないんだけど、それってチートすぎないか。光、ずるい」
「ずるい?」
「ああ、お前やっぱり天才だよ」

正直自分にはないその才能が、とにかく羨ましすぎる。褒められ慣れてないのか、光は「嘘つけ」と照れてそっぽを向いてしまった。
とりあえず自分の得意なジャンルあたりで、好みのバンド曲をサビまで弾いてみる。ヘッドホン越しに聴いた光は、「あー、それ聴いたことあるからわかる」と指を振り上げ、ぶわっとグリッサンドでスタート合図した。

「歌って!」

――♪

前奏から間違いなく、指定通りの楽曲演奏が流れ出す。メロラインではなく、あえて伴奏に転じて、ギターの担当を外して弾いてくれている。打ち合わせなしにここまでできれば、もう完全に本物だ。

(嘘なんかじゃない。本当にコイツの才能、すごい)

勝行はギターを弾きながら、覚えているポップロックナンバーを調子よく歌いあげた。こんなに沢山歌うのも久しぶりだと言っても過言ではない。
けれど歌うたび、光が嬉しそうにこちらを見て、どんどんキーボードを弾き鳴らしては誘導のように誘ってくる。
もっと、もっと歌えと。
ヘッドセットのマイクを通した勝行の歌声とギターのメロディが、疲れ切った顔をしていた光をどんどん笑顔にさせていく。水を得た魚のように、それはもう生き生きと。
そして勝行も、汗を流しながら笑ってギターを振り回した。


――そう。
俺がやりたいと思った願いは、本当の夢は、政治家や総理大臣なんかじゃない。
こうやって誰かと一緒に、音楽を作り出して歌うことなんだ。

キャンパス一面に夢を描くなら、沢山の楽器に囲まれ、バンドのセンターに立って歌う自分の姿。
全身使って叫び続けるかのように、勝行は何度もなんども、声を張り上げた。誰に聞かせるわけでもなく、ただ自分のために。

二人は外が暗闇に溶けるまで、夢中で演奏し続けた。
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