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第一節 転校生と、孤高のピアニスト

#9 中司兄妹と今西光

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中司藍には二人の兄がいるらしい。

三つ上の長兄は彼女に似て利発聡明な委員長タイプの人間。
一つ上の次兄は学校をよくサボり、売られた喧嘩は全部買う典型的暴れん坊の不良。出来のいい兄と妹に挟まれた結果性格ごと拗れたという、よくある話だった。

真也兄しんやにいって言って、今西くんに雰囲気似てて。喧嘩はめっちゃくちゃ強いの。格闘技もやってたからさ。その真也兄と今西くんが、去年衝突したことがあったんだよ。私偶然居合わせたんだけど、すごかったんだ。もうお互い場慣れしてて……」
「衝突……って、喧嘩?」
「うん、もちろん。格闘バトルだよ、バトル。男ならやるでしょ!」
「は……はあ」

この界隈の不良たちの間では、最強とうたわれる藍の次兄『中司真也なかつかさしんや』の名を知らない者は殆どいない。
だが彼は全く物おじすることなく、真也に喧嘩をふっかけてきたのだ。
この世で一番強いのは自分の兄だと夢見がちな目で見ていた藍にとって、それはまさに青天の霹靂な出来事だった。

「はああ……あの時の今西くん、最高にかっこよかった……!」  
「…………ん?」
「もっかい、見たーい! こう、真也がシュッと蹴りを入れても全部避けるの……超高速よ。その時目が閃光みたく赤く染まってて」
「……一応聞くけど、人間の話だよね」

真面目に聞いていたつもりだが、うっとりしたような言葉が聞こえてきて勝行は思わず藍を見つめ返した。「当たり前でしょ」と天を仰ぎながら夢心地に戦闘中のくだりを語る藍の表情は恍惚としている。その目は少女漫画の主人公並みにキラキラ輝いてハートマークも飛んでいる模様。

「結局決着つける前に邪魔が入って、勝負はお預けになっちゃったんだけど。あれから今西くんがバトルしてるところは見たことないから、やっぱもう一回は見てみたい」
「ちょっ……それはよくないんじゃ」
「あ、そっか。喧嘩は駄目か」

えへへ、つい。

悪びれもせずにとんでもないことを発言する藍に、勝行は呆れて苦笑を漏らした。

「私、強い男の人が好きなの」
「……へ、へえ。まあ、そうだろうね」

彼女の饒舌な話しぶりを見ていたら、なんとなくわかる。
なにより凛とした勝気な彼女のオーラに気後れして、気弱男は近寄りもできないだろう。

「とにかく今西くんは強いの!。ただ、それが悪い方向で噂になってて。それも怪しいのばっか」

昼間から物騒な連中と繁華街うろついてたとか。
まるで薬物中毒者かのように、フラフラ歩くところを見たとか。
彼が歩いた道の途中には、けが人がいっぱい倒れているとか。

都市伝説かとツッコミたくなるほどの物騒なネタが次々出てくる。

「それに加えて本人はあの性格でしょ。誰が話しかけても無視するし、機嫌悪かったらいきなり怒鳴るし、殴るし。みんな事件に巻き込まれるんじゃないかってすっかりビビッててね」

ここまで一気にまくしたてると、藍はふう、と息をついて勝行の顔を覗き見た。まだ何か言いたそうだ。

「……でも私にはそんなに怖いとか悪い人とは思えないの」
「うん。俺もそう思うよ」

肯定の言葉を返すと、藍はほっとしたように胸を撫で下ろし、「だよね」と再び弾丸トークを始めた。

「あーよかった! 相羽くんならもしかしたらわかってくれるかなって思って話したの」
「俺、自分の目で見たものしか信じない主義なんだ」
「わかるわ、人のうわさってよくわからないしね!」
「今の段階では、『平気で授業サボる人付き合いの悪い奴』くらいが彼の人物情報かな」
「そこだけ聞いても結構ろくでもない奴じゃん」
「ふふっそうかも」

悪口を言ったつもりはないが、思ったままを正直に言いすぎた気がして勝行も思わず苦笑した。

「保健室に給食持っていっても反応ないし」
「すっごい睨むだけだろ」
「そうそう、めっちゃガン飛ばすよね。プリント全部準備してあげた優しいクラスメイトに対しても冷たく投げ返すし」
「それ、さっきの俺?」
「あの瞬間クラス中の女子を敵に回したよね。みんなのアイドル・相羽くんになんて横暴な態度、今西光許すまじってオーラ凄かった」
「なにそれ」

耐えきれずくくっと笑い声を漏らした勝行を見て、藍も大口を開けて笑った。
担任経由でお互い顔合わせをしてからまだ三日と経っていない。だがぶっちゃけトークですっかり気の合う仲間になれた気がした。
真横で堂々とけなされている噂の本人は、未だに無防備な顔ですやすや寝息を立てている。

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