Twitter企画、フリーワンライ用

柘榴 坂次

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文庫本と黒猫

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   今週は冬から春へ季節の変わる時期だからか、暖かい日と寒い日が交互にやってくるような日が続いていて、なんだか体がうまく動かせない日が続いていた。ともあれ県立の高校に通う僕は、明日の土曜日から休み。特にアルバイトや部活のような事もしていなければ、何か用があるというわけでもない。外に出る趣味も気候がこれでは、前日に予定を立てようという気も起こらなかった。夕飯も風呂も済ませて「さあこれからは自分だけのための時間だ」と思ったところで、時計を見れば「まだ家族が寝るには、いくら何でも早すぎる」と告げていて、男子の秘め事を始めるには向いていない。
  そこで先ほど自分の部屋で、なんとなく勉強でもしようかと机の前に座ってノートを開いてみたはいいものの、その脇に置いてあった携帯ゲーム機を拾った。・・・・・・拾ってどれだけの時間が経ったのだろうか。あまりいい時間の過ごし方ではなかった。無駄にしてしまった時間のことなど考えたくもない。
  こうしてまた元の木阿弥に戻った僕は、はてこのやるべき事は無視して作り出したいつも通りの時間をどうしたものか、と特に何を考えるでもなく考えていると足元に柔らかな毛がスルスルと触れた。うちで暮らしている黒猫だ。
「よう、お前も暇を持て余してるのか?」
   喉を鳴らしながらしきりに足の周りを擦ったりひたいを擦っているこいつの名前はある漫画の猫の名前を切り貼りしてチーと名付けた。わりかし無口である代わりに喉のあたりからゴロゴロと聞こえる音がかなり大きい。
  大方こいつが来る理由は決まっていて、膝に擦り寄る時はひとつしか無い。両腋の下を取って持ち上げ、アグラをかいて椅子に座り直すとその上にチーを乗せた。すると足の上を小刻みにくるくる回りながらポジションを見極めて、そして丸くなって目を閉じる。それでもまだ喉を鳴らしていて、それが聞きなれた僕には心地よかった。
  しぼんでは膨らむ小さな胸のあたりに手を当てると、心なしか安らぐ。ただ眠るだけで癒しを与えてくれるこの不思議な生き物は、何故かゲームの操作には敏感で、膝の暖かさを心地よく感じながらプレイしていると、怒ったように不機嫌な声を出して膝から飛び降り、猫用に取り付けた小さなドアから部屋を出ていってしまう。
  どうしたものかと考えていると、この猫が見たら大喜びで水槽に手を突っ込みそうな小魚――ネオンテトラ――が表紙になった文庫本が携帯ゲーム機の隣に置いてあった。先週古本屋で買ったはいいものの、それ以降手につけていなかった小説だ。同じ作者が違う作品で同じ主人公を描いており、ストーリーも互いに関わりの深いものだと知って買い求めたのだ。
  ちょうどいい。ペーパーノイズはこの猫にとって雑音には入らないし、僕もにとってもこれを読むいい機会だ。

「まったく、なんてものを書いてくれるんだ・・・・・・」
  大体中間あたりまでページをめくったあたりで、ひとまず現実に帰ってきた。小説を読んでいると毎回こうなる。
  時刻はいつの間にか日付を移し、いつの間にか猫の喉は騒ぎを落ち着かせ、柔らかな寝息に変わっている。変わってはいたが、姿勢がどうあれ僕は椅子に座り続けていると(特にチーが膝で眠ると余計に)足の感覚が麻痺して仕方がない。一度立ってキッチンの冷蔵庫まで飲み物でも取りに行こうと、この黒くて暖かい、柔らかな生き物を抱き抱えて立ち上がり、今度は僕の足がない椅子に下ろす。
  何か違うことが起こったとわかるのだろうか、いつもそうすると横になった体を起こして毛づくろいを始める。
「じゃあ、ちょっと飲み物取ってくるから」
  猫に話しかけることは何も恥ずかしいとは思わない。夜中に起きていると、人よりも猫と触れあっている時間の方が遥かに長くなってしまうからだ。そしてこの黒猫はいつも僕が部屋を出ようとするとついてくる。好きだからそうしてるのか、それとも目が覚めて空腹なのかはわからない。
  椅子から降りて着地する時に「にゅうん」と変な声を出し、僕が開けたドアを足の間を縫って僕より先に暗い廊下へ出るのも、いつものこと。
  また今夜も、この猫と夜更かしをする。ただその前に、猫缶を開けて、コップにジュースをそそがねば。
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