神様のボートの上で

shiori

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第二話「神様の連帯地図0.1」2

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 秋葉君との情事を終えて、いそいそと女子トイレに向かった。
 まだ火照った身体を懸命に落ち着かせながら気持ちを切り替えて、鏡の前で身だしなみを整えて再度鏡を見る。悪い笑い方をしているのがすぐに分かってしまった。

「(このにやけ方は良くない、気を確かにして平常心でいかないと!)」

 私は猫の目を思い出して、今一度気合を入れて、女子トイレを出た。


「あっ、ちづるーーーっ!!」


 教室へ向かおうとしたところで女子生徒が飛び出してきた。


 危ない!! ぶつかる!!


 そう思った時にはすでに、女子生徒は目の前にいて回避不能な状況だった。
 瞬間的にスローモーションになって心臓の鼓動まで強く感じた。

 なんとか避けようと試みるが気づくのが遅かった。走ってきた女子生徒と額と額がぶつかる、急な衝突に怖くてつい目を閉じてしまった。

 そして私は衝撃のあまりその場に倒れこんだ。

「ちづる、ごめん、大丈夫?」

 相手は無事なようで転んでしまったのは私の方だけのようだ。
 何とか避けようとしたのがよかったのか、激痛に襲われるかと思って身構えていたが、想定していたほど痛みはない、怪我もしていないようで驚いて転んでしまったような感じだ。

「裕子?」

 ようやく相手のことを視界にちゃんと捉えることが出来た。
 目の前にいたのは裕子だった。

「ごめん、話しかけようと思ってたら見失っちゃって、それで捜してて・・・、見つけたら嬉しくなっちゃってつい勢いが・・・」

 お互い無事に怪我もしていないのが分かって、心臓の鼓動がようやく落ち着いた。それに・・・、どうやら入れ替わりは起きなかったようだ。
 誰とでもぶつかったら入れ替わるようなら大変なことだが、この様子だとその心配はしなくてよさそうだ。


「そうなんだ、うん、大丈夫だよ、軽く転んだだけだから」

「よかった・・・」

 心底安堵したように裕子は言った。
 裕子は手を差し伸べてくれる、裕子の方は何の怪我も異常もないようだ。

 今回はぶつかったのに入れ替わりは起きなかった、どういう事だろう。

 入れ替わる条件については進藤さんから何も教わってなかったけど、今回の件から考察するに、入れ替わりは”進藤ちづる”の身体ではなく”進藤ちづる”本心の力に由来するということだろうか、今のところそれくらいの推論しか立てられない。確かに進藤さんが猫になるためには、進藤さん自身に特殊な力がなければ成立しないわけだし・・・、まだまだ分からない事だらけだ。

「どうしたの、ちづる?」

「うん、ごめん、ちょっと考え事してて」

 ついつい時間を忘れて思考に没頭してしまっていた。私は立ち上がって、無事をアピールした。

「そうそう、気になったから聞こうと思ってたんだけど・・・」

 裕子が思い出したように言った。嫌な予感を感じながら私は「何?」と聞き返した。
 
「ねぇ、さっき新聞部の部室に行ってなかった?」

「(うっ、見られていたのか)」

 一瞬ドキっとした。後ろめたいことがあると表情に出やすい、ここは冷静に対処しないと。

「うん、ちょっとね」

「最近、秋葉君と仲いいよね」

 昨日今日の話しなのに反応が早すぎる・・・。
 裕子・・・、何て恐ろしい子・・・。親友を豪語するだけはある。

「うん、ちょっと新聞部の手伝いをしてて・・・・」

 気休めのウソだけど、勘の鋭い裕子に勘づかれないためにも、今はこれで何とか乗り切るしかない。

「そうなんだ、ちづるが男子と仲良くしてるのなんて珍しいから」

「まぁ、たまたまだよ・・・、付き合ってるとかじゃないから、ほんとちょっと手伝ってるだけ」

「そっかそっか、まぁ期待しておくわ」

「えっ・・・、ほんとなんでもないって」

 女という生き物はなんてカンが鋭いんだ!
 裕子はそのまま満足げに通り過ぎて行った。どっと疲れを感じた。
 昨晩進藤さんが言ってたっけ、裕子は一番の親友で、よく家に泊まりに行ってたって。もともと仲良くしていたのなら異変に気付くのも当然か、今後は目立つ行動は避けて、うまくバレないように行動することを心得ないと、私は肝に銘じた。

「あら、進藤さん」

 今度は山口さんだ。息つく間もないとはこの事か。

「さっき新聞部の部室から出てきた気がするけど、何か秋葉君に変なことされてない?」

 鋭い!鋭すぎるよ山口さん!、一体どんな観察眼をしてるんだ、ああ、なんとかここをやり過ごさないと・・・。

「なんにもされてないよ・・・っ、ちょっと新聞部の手伝いをしてただけ」

「そうなの、中から進藤さんの声がしたから、ちょっと心配になって」

 山口さんの優しい声で言われるととってもやましいことをしてきたみたいで後ろめたい気持ちになる。いや、実際はそうなんだけど・・・。
 声まで聞こえてたのか・・・、今後は声を抑えないと、間違いがあってからでは遅い。

「大丈夫だから、心配しなくても大丈夫。秋葉君も話してみたら結構話しやすかったりするし」

「そう・・・、病み上がりなんだから無理しないでね」

 そう言い残し、山口さんは教室に戻っていった。今後は目立った行動は控えないと、変な噂になりかねない、女子の勘の鋭さには困らされる・・・。



 放課後になって、元の身体の行方を捜して、また本来の自分の教室を訪れた。

 教室に入って見知った顔を見つけた。今の自分の姿で話しかけるのは緊張するが、そうも言ってられないので話しかけることにした。

「新島ならもう帰ったぜ」

「本当?」

「ああ、昨日は休んでたけど今日は来てたぜ、風邪引いたのか知らないけど何か様子は変だったけどな」

 今日は来てたんだ・・・、私は教えてくれた”元クラスメイト”にお礼を言って急いで走った。放課後になってあまり時間も経っていない、今なら追いつけるかもしれない。

 下駄箱では見つけられず、そのまま校舎の外に出る。ふと屋上のほうを見上げると、そこに探していた新島俊貴の姿を見つけた。


「(生きていた、本当にいたんだ)」


 写真や鏡の中でしか見たことのない自分の姿を、こうして見ると不思議な感覚だった。ドッペルゲンガーってわけじゃない、本当に自分の元の身体であるのは間違いない、こんな非現実的な体験をするなんて幸か不幸か、判断はとてもできそうにない。

 入れ違いにならないように、急いで屋上まで駆け上がる。体力も最高速度も男の時より明らかになくて、スカートを履いているのも相成って、屋上までの道のりは歯がゆいくらい時間がかかった。

 ここまで走ってきて、さすがに息も絶え絶えに屋上の固い扉を開け放つと、そこには新島俊貴の姿があり、一人佇んでいた。

 一体こんなところで何をしてるんだとも思ったが、無事その姿を確認できたのは一歩前進できたと言えるだろう。
 なんにせよ、もう放課後だというのにこんなところで一人でいるのは謎であるが、一人放課後の屋上でくつろいで物思いにでも浸っていると思うことにした。

 扉を開けるときに大きな音を立ててしまったので、さすがに相手も気が付いてこちらを見る。ずっと探していたはずなのに、いざ元の自分の身体を目の前にすると言葉が出てこない。お互い見つめ合ったまま、沈黙が流れる。


「聞きたいことがあるの」


 相手は押し黙ったままだったので、このまま沈黙を続けるわけにもいかず、私は意を決して話しかけた。しかし返事は返ってこない。


?」


 再度声を掛ける、風は吹いているが聞こえていないはずはないはずだ。

「それを知って、あなたはどうするの?」

 声は新島俊貴そのものだったが、その口調から女性が話しているかのような違和感があった。
 お互い身体が実際の性別と違って逆転している?、そう考えてみるとあまりに異常な状況に思えた。

「それは、知ってから考えればいいことじゃない」

「あなたはあなたの人生を楽しめばいいのよ、深入りしないほうがいいわ。私にもちづるにもね」

 冷たい言葉が飛び交う、自分の元の身体が女言葉で話してるなんて違和感しかない、けど今はこいつが俺の身体を操っているんだ。そして、さらに相手の言葉は続く。


「あなた、今まで疑問に思わなかったのかしら。どうして誰も不審がらないのか、あなたには進藤ちづるの記憶がないのに、ねぇ、?そんな都合のいいことを信じているの?」

「え・・・」

「知りたいというのなら、少しは自分で考えることね、それが自分のためよ」


 相手の言葉で頭がぐちゃぐちゃだ、この正体不明の謎の人物の言葉にまるで情報の整理がつかない、自分ではうまくやりすごせたと思っていた。でも、確かに本当なら周りからもっと疑われてもよかったはず。


 まさか、”みんな、私に気を使ってくれていたのか”


 そんなはず・・・、そんなこと信じたくないという感情に包まれる。
 でも一体どうして、進藤ちづるのことをもっと深く知れば答えも分かるのだろうか・・・。

 私はこれからどうすればいいのか、私は本当に答えを求めているのか?、進藤ちづるのことを深く知ることを、そうすれば私の目指す形が見えてくるのか?、私は茫然として言い返すことも出来ず、言葉が出なくなった。

 相手のこともまるで分らないまま、新島俊貴は屋上から姿を消してしまった。私は戸惑いながら屋上を後にした。
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