神様のボートの上で

shiori

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第三話「メモリーズフラワー」3

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 これまでもチラチラと猫の姿を目撃したことはあった。目立つような品種でも柄でもなかったが、どこか動きが猫らしくないというか、こっちに視線を向けていたと思えば、目を離した隙にいなくなっているということが何度かあった。

 もうすぐ放課後という頃、窓の外から木々の木陰でゴロゴロしている猫を見かけた。

「(あいつは何をしてるんだ?ひなたぼっこか?」

 私は呆れながら、放課後になってから神出鬼没な猫を探した。急いで探したが校内では発見できず、近くの公園まで向かってようやく見つけることができた。

 そこには同じく下校途中の元自分(新島俊貴)の姿もあった。二人が一緒にいるところは初めて見るが、やはり面識があるということで間違いなさそうだ。

「そこでなにしてるんだ」

「柚季のことを待ってたのよ」

 誠に異常なことだが猫が返事をした。

「柚季?」

 聞いたことのない名前だった。

「そうよ、あなたの代わりに新島俊貴になってくれたのよ」

「いや、お前の代わりじゃないのかよ、お前が猫と入れ替わってるからそうなってるんだろ。俺は望んでこんなことになったわけじゃないぞ」

 ついつい感情的になって元の男言葉になった。なんだか猫になった進藤ちづるを前にすると調子が狂う、やることなすこと横暴すぎるんだよな。

「まぁまぁ、細かいことはいいじゃない、アイスでも食べに行きましょ」

「ちづるがそう言うなら、私も冷たい物が食べたかったところです」

 まるで自分が変な口調で話しているようでびっくりした。自分はなんて変わってしまったんだって、いい加減にめちゃくちゃな反応をしている場合ではない。もうアレは自分ではないのだ、新島俊貴には簡単には戻れないのだ。
 それより下校途中の買い食いは・・・と、そんなこと言っているどころではなかった。二人はもう歩き始めていた。

「おいおい、待てよ」

「もう・・・、あなたは私の身体なんだから男言葉は禁止よ」

 そういいながら、猫は先頭を切って小走りに走っていった。
 自由奔放のやつ・・・、口には出さないが心の中でそう思った。



「ふふふっ、なんだか不思議ね、まるで自分と話しているみたい」

 アイスをぺろぺろと舐める猫の姿のちづるは上機嫌だった。

「私から見てもややこしいので、お互いどう呼び合うか決めたらどうですか?誰が見ているかわからないですし」

「それ、私の身体になってる柚季さんを含めてよ」

 なんとか進藤ちづるになりきるために女言葉で話す私と、猫の姿になって自由を満喫する進藤ちづる、それにまだまだ謎の多い新島俊貴となった柚季という人、この組み合わせはいくら一緒にいたところで慣れるということもなければ、これが正しいという明解もなさそうだ。

「というか、その柚季さんはこのままでいいのか、うまくやれてるのか?、巻き込まれて迷惑してるんじゃ・・・」

 つい数日前まで普通に暮らしていた自分が一体今どんな日常を送っているのか、気になるのは当然だ。話し方を聞く限り柚季は元は女の人?いやメス猫かもしれないけど、どっちにしても男になって問題なくやれてるのか不安で仕方ない。

「進藤さんは心配しなくて大丈夫かと。一度記憶喪失になってエロ本に興味もなくなって、家族は安心快適に、新島俊貴は好意的に優しく仲良く接してもらっています」

「あいつら許せねぇ・・・」

 わが家族のなんという順応力、息子が実質記憶喪失になったというのにまるで歓迎ムードで入れ替わったことにも気づかないとは、呆れてしまった。少しは記憶喪失になったことを悲しんでくれ、そんな願いは届くわけないが。

「まぁそういうこと、元の身体のことは心配しなくて結構よ」

 ちづるは自信満々に言った。

 それからもドタバタとしたやり取りが続き、私は猫になった進藤ちづるのことを柚季と同じように”ちづる”と呼ぶことに決め、柚季のことは”新島くん”と呼ぶことになった。
 今の姿で新島君と呼ばなければならないのは、背筋が震える思いだが、もうこの際どうしようもない。
 
 柚季は私をことを進藤さんと呼び、猫のちづるは私のことをこれまで通り”新島くん”と呼ぶことに決まった。そもそも”しゃべる猫”なんて存在自体がありえないので、私がだれをどう呼ぼうと私の勝手という言い分のようだった。

 それはもう反論しても仕方ないことだし、そこは知らない人に聞かれたとしてもうまく誤魔化すしかないだろう。私としては元自分の身体に対して新島くんと呼ぶのは気恥ずかしくて、当分慣れそうになかった。


「結局色々と話しましたが、この関係はややこしいことに変わりないですね」

 柚季は総括するような言葉を言い放った。

「私を巻き込まずに、君たち二人で入れ替わってれば、こんなややこしいことにならずに済んだんだ」

 それは私がこの時、話しながら一番に思ったことだった。
 二人の会話を聞く限り、二人は仲がよさそうだし、二人の間で秘密を共有して、柚季が進藤ちづるの身体と入れ替わってそのまま生きていけばよかったのではないか、そういう考えに自然に行き着いたのだが、どうして私までも巻き込まれることになって、今やこんなことになっているのか、不思議でならなかった。

「こういう結果になったのは思いつきもあるけど、これがベストだと思って行った計画よ」

 私からすれば、あの時ぶつかってきたのは偶然の事故ではなく、計画的犯行だったってだけでも驚きだし、それが今のちづるの望みだということも、なかなか理解するのは難しいことだった。

 ちづるはカップに入ったアンデスメロンと白桃のシャーベットをぺろぺろと器用に舐めて満足げであった。猫の姿が様になってるというのはなんとも不思議な光景だ。

 私と柚季もそれぞれ好みのアイスが乗ったコーンを食べ終わり、まだまだ根本的を謎を残したままお開きとなった。

 帰り際、柚季は私のそばに来てちづるには聞こえないように耳打ちをしてきた。急な行動でドキっとしたが、話しが話だけに、ドキっとしたのは一瞬だった。

「どうかちづるのことは恨まないであげてください、これはちづるなりの優しさなんです、私はちづるには今まで苦労してきた分、力になってあげたいんです」

 その言葉の意味を正確に理解するには、まだ情報不足だったが、それだけを言い残し、柚季はちづると一緒に公園を出た。
 もとは自分の身体だというのにあまりに近い距離にドキっとしてしまった。こんな積極的なことを女性に対してしたことはない、それがドキっとしたことの原因なのか、単純に柚季という謎の女性に対する関心からくるものなのか判断は付かなかった。

 今の言葉はどういう意味なのか。
 
 始まりは”ちづるが記憶喪失になったことなのか”

 柚季がこうしてちづるに協力しているのは、やはりそのことに根本の原因があるのか、今はまだこの入れ替わりという”超常的な力”も含めてわからないことだらけだった。
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