神様のボートの上で

shiori

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第七話「ミラーズリポート」2

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 赤月さんと協力関係を結んだ翌日、その日は雨も降らず、日差しが強くて暑かった。

 放課後、今日は裕子の家に泊まることとなったので二人で校門を出た。

「今日は暑いから冷麺にしましょう」

 制服まで汗ばんでしまうほどの暑さにお互いやられていた。
 いつもはラーメンだけど、今日は裕子の提案で冷麺らしい。冷やし麺は冷麺派とつけ麺派がいるけど、どちらも捨てがたいんだよなぁ。

「やっぱりここは王道のゴマダレ!具は四角くスライスしたチャーショーに、千切りキュウリと千切りハム、後はメンマがまだ残ってたからそれも入れて・・・、玉子はどうしようか・・・、ゆで卵にするか玉子焼きにするか・・・、迷うなぁ」

 冷麺レシピを考える裕子は活き活きとしていた。
 校門を出るとそこには見知った人物が立っていた。長身のシルエットは協力関係になったばかりの赤月蓮さんだ。

「赤月さんじゃないですか、こんなところまでやってきてどうしたんですか?」 

 ”こんなところにいたら不審者と間違われますよ”と、駆け寄りながらついでに言うと、そんなことはまるで赤月さんは気にしていないようだった。

 怪しいといっても傍目から見れば赤月さんはまだまだ若いし身長も高いのでイケメンなのかもしれない、勝手な想像だけど職務質問はされても通報まではされなさそうだ。
 しかし、この時期に営業中のサラリーマンのような長袖のカッターシャツを着ているのを見ると暑そうだ。

「君を待ってたんだよ、色々と話すことがあるんでね、さぁ、車を駐車場に止めてるから行こう」

 間髪入れず赤月さんの涼しい顔で駐車場のある方を指さして先を促した。
 突然現れたにしては実に身勝手だが、何か進展があったのかもしれないと思うと簡単には無視できなかった。

「あの、ちづるこの人は?」

 隣にいた裕子が私の腕を掴んで、この状況に複雑そうな表情を向けた。そういえば裕子は男性に対する警戒心が人一倍強い方だった。

「うーん、怪しい人ではないの。雑誌記者の赤月蓮さん、ちょっと協力してもらってるの」

「そんな答えを悩んだ素振りしてないでくれよ・・・、昨日の今日なんだからさ・・・」

 私は安心させようと出来るだけ明るい声色で伝えた。しかし、赤月さんはちょっと不満げだった。

「大丈夫な人なの?」

 裕子は耳打ちするように小声で言った。

「大丈夫大丈夫、案外話の分かる人だから」

 私が納得してもらうと伝えても、まだちょっと裕子は納得しかねた感じで、じゃあ一緒についていっていい? とすぐに聞いてきた。

「それじゃあ、赤月さん、この後裕子の家に行くので、裕子も一緒に乗せていってくれていいですか?」

 私は少し悩んだがここで仲間外れにする方が良くないと考え、裕子の意思を尊重した。

「君がそうしたいのならいいよ、それじゃあお二人さん、行こうか」

 ちょっとキザっぽく赤月さんは言った。
 横目に裕子がムッとしているのが見えた。 

 駐車場に到着して、赤月さんが運転席に座り、エンジンをかける。
 クーラーの涼しい風が蒸し蒸しとした車内に風を送る、私と裕子は後部座席に乗った。

「それじゃあ、行くよ」

 特にどこに行くかは告げることなく、赤月さんは車を発進させた。ちゃんと裕子の家まで向かってくるかは謎のままだ。

「本当に大丈夫? この人軽そうだけど……」

 心配げに後部座席に乗った裕子が聞いてきた。

「大丈夫大丈夫、羽振りよく奢ってくれる人だから」
「それは信用できる人って言わないよ……」
「冗談冗談……、本当に大丈夫だから」

 後ろの席でぶつぶつと私と裕子は言い合いながら運転する赤月さんの姿を見ていた。

 横断歩道の前で赤信号に変わったので車は停止した。

「私なりに動機がありそうな人物をリストアップしてみた」

 そこで赤月さんはファイルを左手でこちらに差し出した。それを私は手を伸ばして掴む、ファイルを開くとコピー用紙にぎっしりと文字が書かれていた。

 用紙には10人以上の人物のプロフィールが書かれている。かなり丁寧に調べつくされている、これだけの資料は私のような素人で作るのは無理だろう。
 この中に真犯人がいるかもしれないと思うと手に汗にじんで、ザワザワとした気持ちになった。

 横で裕子もファイルを覗いている、目を細め真剣そうに見つめて押し黙っていた。食い入るように見つめるその瞳の先に何を思っているのか、それはわからなかった。


「どう思う? 気になる人物はいるかな?」


 青信号に変わって車を発進させる。赤月さんは運転しながら聞いた。

「これだけ見てもなかなか・・・、知ってる人が写っているわけでもないですし、でも、見る限り麻生玄峰教授と関係のある人物が多いですね」

「そりゃ脳科学会でも有名な教授だからな。何らかのきっかけで恨みを買って命を狙われるとしたら彼以外にいないだろう。今のところ他二人は、同じ場所に居合わせていたから狙われたとみるのが自然だろう」

「犯人の姿を見てしまった、または通報しようとした、だから口封じのために殺されたと」

「俺はそう見ている、具体的なことは一人一人当ってみないことにはわからないがな」

 確かに考えてみれば雫さんが恨みを買って命を狙われるなんてことはなさそうだ、それに犯人側にもメリットがない、人を殺して得るメリットだなんてそんなものがあるなんて考えたくないけど、人の行動は時として恐ろしい、目的のために段階的な順序を踏まずに先走って極端な行動に走ることだってある。


「犯行の前に脅迫とかは事前になかったんですか? 例えば研究の中止とか、要求を含めたものだったり」

「警察の調べでは今のところ見つかっていないな、事前に警戒されたくなかったか、脅迫自体効果がないとみてしなかったのかもしれない」

「何か問題でも抱えていたなら、動機に繋がるかもしれないと思ったんですけど」

「そうだな、警察の捜査だけでは不十分かもしれない、その辺り人間関係や仕事関係を探ってみる必要があるかもな」

 責任ある立場ならさまざまな形で恨まれることはあるだろうけど、情報が足りないのが現実だった。
 脅迫といった分かりやすいものがあれば、真相に近づけるだろうけど、実際はそんなに甘くない、本当に真犯人がいるとするなら、相当慎重な人間が犯人なのかもしれない。

 どうして事件は未然に防げなかったのだろうか、今もそんなことを考えてしまう。でも麻生さん自身も突然のことで、身に覚えない事だったとすれば、本当に悲劇的な事件と言わざるおえないし、犯人も許すわけにはいかない。

「つまらない話はこれくらいするか、君のお友達を巻き込んでまでする話ではないしな」

 こういう重要な要件で来たはずなの、裕子が同席しているからか赤月さんは遠慮がちだった。

 ドライブ目的で乗車したわけではなかったが、車はパーキングエリアに停車した。赤月さんは好きなものを買っておいでと言って千円札を渡した。

「やだー、おじさんからお金もらっちゃった」

 私は調子のいい赤月さんに向かって冗談でいった。

「おじさんはやめてくれって」

 裕子は思考が追い付いていないからか不思議そうな眼差しで見ていたけど、赤月さんは心なしか楽しそうだった。

 裕子が「いいの?」と私に聞くけど私は「いいのいいの、この人、有名な出版社の記者みたいだから、それで結構持ってるから」と言って裕子の手を握り後部座席から車を出た。

 私たちはフードコートでたこ焼きを買って車へ戻って、エアコンで冷やされて涼しい車内でたこ焼きを三人で分け合って食べた。

 たこ焼きを食べながら湿っぽい事件の話はやめて、残りの時間をくだらない話をして過ごした。

「それじゃあ帰ろうか」

 ひと段落してから赤月さんは言った。私なりに裕子にも赤月さんを信用してほしいから明るく振舞ったのだけど上手くいっただろうか。

「君の家までガイドをお願いできるかい?」

 赤月さんは運転席の方から裕子を見て言った。

「わかりました」

 裕子はまだ警戒心は抜けきってはいなかったが、それでも私と一緒だからか指示に従ってガイドを務めた。

 駐車場から三人で乗って出発して小一時間ほどのドライブが終わって無事裕子の家の前までやってきた。すでに日が落ち始めていて通りを歩く人には長い影が伸びていた。

「ちづるちゃん、これを」

 そういって赤月さんは鞄から物騒なものを取り出した。

「これは、もしかして本物ですか?」

 小さくても重量感のあるゴツゴツした黒い塊は、スタンガンであることに見間違えようがなかった。

「そりゃあそうさ、護身用に常に持っていてくれ。出力はそれほど高くないから気絶することはあるかもしれないが、間違って殺してしまったりはしないはずだ」

 赤月さんは慣れた口調で説明した。

「私、初めて見ました・・・」

 裕子が私の手に手渡されたスタンガンをまじまじと見つめながら、驚いたようにつぶやいた。

「私だって初めてだよ」

 私だって本物を見るのも触るのも初めてだ。怖さもあるけど心強さもある武器だ、接近しなければ使えないが、これがあれば確かにいざという時の助けるにはなるだろう。

「これくらいのものは持っていても捕まったりはしないさ。身の危険を感じたら迷わず使え、迷いは自分を殺すことになる」

 赤月さんはいつになく真剣だった。過去にそういう経験もしているのだろうか、それはわからなかったが、この前の迫ってくるバイクから間一髪で助けてくれたことを思い出した。
 あの恐怖が記憶から消えることはない、私はこんなもの使う機会が来なければいいのにと願いながらスカートのポッケに入れた。

 裕子の家の前に着いた私たちは車から降りて、赤月さんに感謝を伝えた。赤月さんの車が過ぎ去っていくのを見送って裕子の家に向かう。

「ちづるのこと心配になっちゃった。あんな人とまで関わるなんて」

 裕子は心配そうにこちらを見つめていった。自分から先走って色々決めてしまったことに少し胸が痛んだ。

「私が自分で決めたことだから、取り返しのつかないことになる前に、後悔のないように、出来ることはやっておきたいんだ」

 私は裕子を安心させるために、笑顔を作って裕子を見つめた。

「ちづるは・・・・」

 それ以上は言葉にならなかったのだろう、裕子は声を詰まらせて、私の決意に反論することも出来なかった。
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