神様のボートの上で

shiori

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第十一話「襲撃者」3

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「またいつでもいらっしゃ~い。あなたのような理知的で真っ直ぐな正義感のある子は好きよ。蓮くんも可愛いからって手を出しちゃダメよ~」

 法律事務所を出る前に織原さんがそんな言葉を言った。赤月さんは呆れたように”そんなのないない”と言って事務所を出た。

 私はそんなやり取りにも二人の仲の良さを感じながら。「今日はお世話になりました」と言ってお辞儀をしてから赤月さんの後を追って事務所を出た。
 織原さんは私たちが見えなくなるまでずっと笑顔で手を振っていた。そのあまりある外面の良さには脱帽するばかりであった。

 法律事務所を出るとすっかり日が暮れてしまっていた。
 帰り道も赤月さんと話しながら私の家の方角まで歩く。すでに暗い夜道となった人気のない道を歩いていると、急に悪寒が走った。
 後数分も歩けば家に着く距離、もう暗いからと家の傍まで送ってくれると言ってくれた赤月さんの厚意に甘えて二人で歩いていた。

 道が暗くて気づくのおそかったかもしれない、前方に影が浮かぶと同時、私も赤月さんも足が止まる。赤月さんもこの異変に気付いたようで警戒心が表情からも出ていた。

 急に世界から音が消えたように静寂と暗闇が周りを包む、僅かな街灯が前方に黒い影を映し出す、もう10mもない距離にいる。黒いフードを被りマスクをして顔を隠している。黒づくめの服装はどこにも似つかわしくないくらいで警戒心を覚えるには十分だった。

 一気に辺りの空気が張り詰めていく、感じたことのないピリピリとした感覚に意識が研ぎ澄まされていく。

 そう、確かにこちらをじっと見ているように感じた、他に人影はなく、標的を見定めるようにじっとこちらを見つめている。両手はポケットの中に入っていて手に何を所持しているかはわからない。

 家に帰らなければいけないのに、後もう少しで家に着くのに、この謎の人物と向かい合わせになってここからどうすればいいのかわからない。


 今更、後ろに引き返す?

 遠回りだが今からでもそうすべきじゃないのか?


 迷っている時間はない、私は赤月さんの腕を掴もうと手を伸ばそうとした瞬間、静止した時間が動き出した。

 無風状態の中、こちらの様子を伺うだけだった正面にいるフードの人物が足音もなく凄い速度でこちらに迫ってきた。

 かなり距離があったと思っていたはずなのに、明らかな敵意を感じて心臓の鼓動が早くなるのと同時、どうしていいか戸惑ってしまった一瞬の間に距離が一気に詰められてしまう。


「ちづるちゃん逃げろ!!!!!」


 手を掴もうとする刹那、赤月さんが一際大きな声を上げた。
 もう、迫ってくるそれが通り魔だと思った時には、もう猶予はなかった。


 赤月さんが私の前に立ち、身構えて通り魔と対峙する。

 もう目の前の距離に来たところで通り魔は一瞬姿勢を落として、次の動作の構えに入る。
 そして両手をポケットから出して一気に距離を詰め、赤月さんに襲い掛かかった。

 両手に銀色の輝きを放つ獲物が握られているのが見え戦慄した。二本のナイフは扱いやすさを重視してかあまり長くないが、刃渡りは鋭く接近戦において殺傷能力は十分すぎるほどだ。

 私たちへのあまりある殺気を放ったまま赤月さんに突き刺そうとナイフを伸ばす。


「赤月さん!!!!」


 私は恐怖に震えたまま、悲鳴のような叫んでいた。目を伏せたい気持ちでいっぱいだったが、決して目をそらすことはできない。


「来ちゃダメだ!!逃げろ!!」


 赤月さんは高速で繰り出された一閃を手首を掴んで防いだ。右腕の次は左腕と両方を押さえ込んだが、それでも通り魔は力を込め無言で振り払おうとする。

「くっっ!!!」

 懸命に歯を食いしばって力いっぱい押さえ込もうとする赤月さん、そんな赤月さんをあざ笑うように通り魔は笑みを浮かべた。

「今日は記者のおっさんには用はねえんだよ!!」

 低い男の声だった。その声にはまるでこの襲撃をを楽しんでいるような余裕があった。通り魔は赤月さんの握る手を勢いよく振り払うと、その衝撃で首から掛けていたカメラが吹き飛んでいった。

「まだおっさんって歳じゃねぇんだよ!!」

 赤月さんの肘内の後の足蹴りで通り魔が姿勢を崩した。しかしナイフを握った手はナイフを離すことなく再び赤月さんに刃を向け向かっていく。

 そして、ナイフは赤月さんのお腹に吸い込まれていくように突き刺さった。

「あああぁぁぁ!!」:



 お腹から血を流しながら、負傷した赤月さんがうめき声を上げて膝をつく。

 通り魔はナイフを抜き、その血のべったり付いたナイフを見て満足げに笑みを浮かべた。

「いやぁぁぁぁぁ!!」

 私は傷つき膝を付いて血を吐く赤月さんを見て叫んだ、男の鋭い眼光が今度はこちら側を向いた、私は恐怖で足が震えた。


「ちづるちゃん・・・、逃げるんだ・・・・、そいつの狙いは君だ、早く・・・、早く!!!」


 悲痛な赤月さんの声が必死に私を逃がそうと声を張り上げる。私は震える足で一歩一歩正面を向きながら下がる。しかし男はじっとこちらを補足していた。

「さぁもう助けてくれる奴はいなくなった。覚悟を決めな。今日は逃がさないぜ」

「この前のバイクで襲ってきた犯人はあなたなんですね」

「あれは警告のつもりだったんだがな」

「本気で危なかったですけど」

「いつだって仕事の時は殺すつもりでやる。それが信条だ。これ以上ウロウロされちゃ困るんでな、依頼通り死んでもらうぜ」

「依頼って、いったい誰からですか!?こんなことをして許されることではないですよ!!」

「誰からってのは言えねぇなぁ。まぁ、お前には死んでいてほしいって思ってるやつがいるってことだ。それだけ恨まれるようなことをしてきたんじゃねぇか?」

「まったく覚えがないです。許せないです、こんなことをして」

「なら、かかってくるか?さぁ、お喋りは終わりだ、すぐにあの世に逝かせてやるよ」

 音も立てずに素早い速度で一気に間合いを詰めてくる。これが殺し屋、殺人鬼の動き、もしかしたらこの人が麻生さんを・・・。

 一瞬まさかの予感が浮かんだが、私は今は考えてる余裕のない状況。
 今だけは疑念を振り払って、もう逃げ場もないこの状況で身構える。

 男が手を伸ばそうとしたところで私はバッグを振り回す。男は赤月さんよりは小柄で身長は低い。バッグは男の身体を掠めた程度で回避された。私は男の追撃を許さないようにバッグを振り回して意地で応戦する。

「はぁぁぁ!!!」

「遅せんだよっ!!!」

 蹴り上げた男の右足が私の身体に当たり私は倒れこんだ。

「さぁ、死ね、女」

 倒れている私に向かって男がナイフを向ける。もうダメだ、そう思った瞬間、赤月さんの体当たりが男を吹き飛ばし、右手のナイフが私の足元に転がっていった。


「貴様っっ!!!」


 男がフラフラの赤月さんを弾き飛ばした。

「ああああっっ!!」

 赤月さんの悲鳴が木霊した。

 こんなの酷い・・・、傷ついていく赤月さんに私は泣き出しそうな気持ちを抑えて、決死の覚悟で男に飛び掛かり、そしてスカートから取り出したスタンガンを出力全開で男の顔めがけて押し当てた。
 スタンガンは肩のあたりに当たって、電流が男の身体に流れた。


「ぐぁあぁああぁぁああああっぁああ!!!!!!!」


 振動が私の手まで痺れる様に流れるが、私は必至に手でスタンガンを握りしめた。男の悲鳴が辺りに響き渡り、その効果は予想以上だった。

 咄嗟の判断とはいえ赤月さんに持たされた護身用の道具が役に立った。できれば使いたくなかったがそんなことを言っていられる余裕はとてもなかった。

 これで退治できたかと思ったが、意識を奪うまでには至らず、男の鋭い眼光が再びこちらに向けられる。

「やってくれるじゃねえか・・・、そうかお前、そうだったのか・・・、死にぞこないだった頃とは別人のようだな、半信半疑だったがそういうことか」

「まだ、抵抗するのなら!!」

 私は再びスタンガンを男に向ける。しかしスタンガンはナイフとぶつかって決定打にはならなかった。

 しかし男はなかなか立ち上がることが出来ず、先ほどの一撃の効果は確実にあるようだった。


「葛飾、ここは引きなさい!」



 遠くから女の人の声が聞こえると同時に煙が辺りに立ち込める、車からこちらに煙玉のようなものが投げ込まれたようだ。

「ちっ、仕方ねぇ」

 男は煙の中で呟いた。私は視界を失いながら煙を吸わないようにハンカチを取り出して口に押し当てた。

「命拾いしたな、次はないと思えよ」

 目も閉じてしまったため、男が車に乗り込み、車が発車していくの音だけが確認できた。これで安全になったと思ったら急に体から力が抜けていく。辺りに立ち込めていた煙が消えていく中、意識が薄れていく。

「赤月さん・・・・、ごめんなさい、私・・、わたし・・・」

 血だまりの中で意識を失って倒れている赤月さんの姿が見えた。私のせいで・・・、私なんかと一緒にいたから・・・。

 後悔の気持ちが続いたまま、煙がなくなった代わりにポタポタと雨が降ってきた。生暖かい雨が身体を濡らす、傷が染みて自然ととめどなく涙が流れた。

 雨に濡れる赤月さん、壊れたスタンガン、足元に転がった一本のナイフ、それらが視界に映る中、罪の意識を感じながら、私はその場に倒れこんだまま、男の言葉の意味を考える余裕もないまま意識を失った。
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