「アイと愛と逢」

逢神天景

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2章

5話

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「満喜っ! 満喜、満喜、満喜っ!」
 あたしは膝がガクガクと震えるのが分かる。
 満喜が、車に轢かれた。
 分けが分かんなくて、泣きそうで、よくわかんなくて。
 だけど、あたしは弾けるように満喜に駆け寄った。
「満喜!」
 意識はない。けど、呼吸はある。どうやら死んではいないらしい。
「だ、大丈夫か!?」
 満喜を轢いた車から、人のよさそうなオジサンが現れた。
「い、急いで救急車を呼ばんと! おい、嬢ちゃん何やっとるんや! わしは彼を歩道に運ぶから、嬢ちゃんは救急車を呼ばんと!」
「え……」
「早く! 兄ちゃんが死ぬぞ!?」
 死ぬ――その言葉だけが、あたしの脳内に浸透していく。
 満喜が、死ぬ。
 今まで、ずっと一緒にいてくれた満喜が死ぬ。
 そのことが凄く恐ろしくて――あたしは、急いでスマホを取り出して、緊急通報を生まれて初めて使った。ロックを解除しなくても電話をかけられるのがこんなに便利だなんて、知らなかった。
『TRRRRR、ガチャ。はい、こちら――』
「い、急いで救急車を! 幼馴染が轢かれて! それで! あの!」
『落ち着いてください。そこの場所を』
「えっと、そのそのえっと……」
「嬢ちゃん、ここは○○市の○○、そんで目の前にイトノコヨウノカドウがあるって言うんや」
 おじさんが言うので、もはや反射的にその言葉を反復する。
「○○市の○○、そんで目の前にイトノコヨウノカドウがあるって言え!」
『……分かりました。では、すぐに急行します』
 ガチャリ、と通話が切れる。あたしは、そのまますぐに、満喜に駆け寄る。
「満喜! 満喜!」
「嬢ちゃん、落ち着け! 頭を打ってるかもしれんのやから、揺らしたらあかん!」
 今気づく。ここは関東なのに、なぜかこの人は関西弁だ。
 そして、そんなどうでもいいことに気づくくらいには、いったん自分の頭が冷えてきていることを自覚する。さっきまでは、さすがに慌て過ぎていたみたいね。
 いったん、深呼吸。そして満喜を見る。
「頭から血はでとらん。たぶん、打ち所が悪かったんやろうな……わしもそんなに速度を出しとったわけやないが……それより、嬢ちゃん。彼氏さんの親とかに連絡せんでええのか? 事故ったんやぞ」
「か、彼氏じゃないです!」
 学校でよく言われていた言葉だったからか、つい反射的に返してしまった。って、今はそんなことをしている場合じゃないのに……
 確かに、おじさんの言う通りだ。あたしはスマホを、今度はロックを解除して開いてから、満喜のお母さん――間(はざま)喜々(きき)さんに電話をかける。
『あら、どうしたの? 麗華ちゃん。まさか、満喜が押し倒しちゃった?』
 のっけから、これだもん……喜々さん……
 いつも通りのテンションに、げんなり半分、いつも通り過ぎて逆に落ち着いてきたのが半分で、あたしは落ち着いて説明することが出来た。
「喜々さん。今から言うことは本当のことです。よく聞いてください」
『え……ど、どうしたの? そんな改まった声を出して』
「満喜が……事故にあいました」
『ええ!?』
 電話越しに聞こえる喜々さんの驚いた声を聴きながら、あたしは思う。
 ――満喜を失いたくない。
 満喜を失うくらいなら、このままジェラールが――探し続けていた騎士が見つからなくたって構わない。
 それと同時に、魂が叫ぶ。
 ――ジェラールを探さないと。
 ジェラールとまた会えなかったら、あたしは来世でも呪いにも似た愛に縛られることになる。
 どうすればいいのか分からない。わからないまま、ドンドンと時は過ぎていく。
 一つ、たった一つだけ分かることがあるというのなら。
 ――あたしは、満喜も好きだ。


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 ピッ、ピッ、ピッ。
「満(みつる)さん! 満喜はどうなりましたか!?」
「落ち着いて~、麗華ちゃん。頭を打っただけだから、そのうち目を覚ますよ」
 満喜は救急車で、満さんのいる病院――つまり、満喜のお父さんがいる病院に運ばれていた。満さんは、地元でも大きな病院で外科医をやっているんだと以前満喜が言っていた。
 白衣姿の満さんは、やっぱり満喜によく似ている。満喜が年を取ると。こんな風になるんじゃないかな、って思う。
 そして――ふと、あたしの中のアレクシアが叫んだ。
 この人、ジェラールに似ている、と。
「満喜は幸せ者だねぇ。こんなかわいい女の子に心配してもらえて。早く起きないと、怒られちゃうよ?」
 満さんは、喜々さんと違ってだいぶ穏やかな人だ。普段はそののんびりとした口調のせいで、喜々さんに怒られることもしばしばだけど、今はその穏やかな口調がありがたい。
「そういえば、厳蔵はいるの? さっきアリスさんは見かけたけど」
 厳蔵っていうのは、あたしのお父さんだ。プロ棋士をやっているから、いつも部屋で将棋盤と睨めっこしている。
「お父さんは、後であたしとお母さんを迎えに来るって。満の野郎が見たんなら、心配いらんだろうって言ってました」
「あはは、厳蔵はそんなこと言ってるのか。まー、そうだね。僕が見たんだから心配はいらないよ。だから、麗華ちゃんも泣き止んで?」
 またこぼれそうになっていた涙を、満さんがハンカチで拭いてくれた。そのハンカチからは、少しアルコール消毒の臭いがした。
「でも……」
「でもじゃないよ。もう遅いだろう? だいぶ暗くなっちゃったし、それに疲れもたまっているように見える。無理もないけどねぇ」
 確かに、あたしは大分疲れている。遠出したし、その帰り道で満喜があんなことになってしまったんだ。疲れないはずもない。本当なら、もうベッドにダイブしてしまいたいところだ。
 それでも、動きたくないあたしがその場に立ち尽くしていると……満さんは、少し困ったように笑うと、あたしを手招きした。
「おいで。さっきも言った通り、殆ど寝ているだけだから。面会ぐらい構わないよ。……面会時間はもう過ぎているけど、まあ、それくらいの融通はきかせられるからさ」
 そう言って、満さんがテクテクと歩いていく。
 連れられた病室のドアには、「間満喜」と書いてある。ここが、満喜の病室なのね。
 満さんは口元に指をあてて「静かにね」と言ってから、来た道を戻って行った。うーん、相変わらず仕草の一つ一つが様になる人ね……
 満喜も成長したらあんな風になるのかしら。
 そして、やっぱりジェラールに似ているなーって思う。もしかして……満さんがジェラール? え、もうジェラールは所帯持ちなの?
 ……なんとも言えない気持ちになりながら、あたしは病室に入る。
「……入るわよー、満喜」
 返事はない。まあ、満喜は寝ているんだから当然と言えば当然だけど。
「……満喜」
 満喜は、点滴をつけられて、ベッドの上で寝ていた。胸が上下しているから、ちゃんと呼吸していることが分かる。よかった。
 改めてベッドに近づいて、満喜を見る。
 黒いつんつん髪に、満さんとよく似た顔。目つきは鋭いくせに、妙に優しげな顔立ち。
 こう言うと調子に乗るから言わないけど、実は学校でも有名なイケメンなのよね、満喜は。
「そのせいで、あたしは何度言いがかりを受けたと思ってるのかしらね、満喜は」
 満喜との過去を思い出して、クスクスと笑みが思い浮かぶ。ホント、満喜といる時間は幸せね。
 ……このまま目が覚めなかったらどうしよう。
 あたしの胸が、キュッと絞まるように痛む。
 満喜があの時走り出した原因は分からない。だけど、あたしと会話していて……たぶん、何か怒らせちゃったんだろうな、って思う。
 もしもそのせいで走り出したんだったら、こうなってしまった原因はあたしだ。
 あたしのせいで満喜を失う――そう思うと、もはや吐き気がしてくるほどの、自己嫌悪に陥る。
「……ああ、もう! どうすればいいのよ!」
 小さい声で叫ぶという、凄く器用なことをしながら、心の中で思う。
(どっちなんだろう、ホント)
 あたしの中のアレクシアが叫ぶ。どうでもいいから、早くジェラールの転生者を探しにいけ、と。
 だけど同時に、あたしの中の柏木麗華が、そんなことよりもここにいろと言っている。
 二人のあたしが、同時に叫ぶ。
「「愛する男の元に居たい」」
 と――
「失いかけないと気づけないなんて、本当にあたしってバカね」
 よく満喜が言っていたっけ。今ならその気持ちがよくわかる。あたしは、バカだ。
 あたしは、どっちなんだろう。
 アレクシアなのか、それとも柏木麗華なのか。
「……あたしの名前、か」
 アレクシアの記憶と、あたしの記憶がグルグルと脳内を回る。不思議なことに、アレクシアの記憶はあるものの、前世、前前世、前前前世の記憶は思い出せない。
 だから、あたしは二択を問われているわけだ。
「アレクシアなのか、それとも麗華なのか――」
 心に問いかけても、返事はたった一つしか返ってこない。
 愛する男の隣にいたい――
「もう……愛する男とか言うのなら、ちゃんと統一してよね……」
 ため息をついて、満喜の髪を撫でる。
 ……相変わらず、さらさらな髪ねー。こっちがこのサラサラ感維持するのにどんだけ苦労してると思ってるのかしら。
 そもそも、満喜は学校でも指折りのイケメンとして認定されている。
 医者の息子っていうだけあって、頭はいいし。顔立ちも、鋭い目つきの癖に、なんだかんだで優し気な顔立ちだし。
「あんたのせいで、あたしが何度変な女に絡まれたことか」
 ため息をつきたい気分なのに、なぜか口もとには笑みが浮かんでいることが分かる。どうも……満喜と過ごした日々を思い出すだけで、なんだか笑えてきちゃうわね。
「今日だって楽しかったし、先月行った遊園地も楽しかった。一緒にご飯を食べるのも楽しいし、あー……勉強は嫌だけど、あんたと一緒に宿題するのは嫌いじゃなかったわ」
 だから、と思う。
 涙が出そうになるのを必死に堪えながら、満喜の手を握る。
「だから……早く、目覚めなさいよ、バカ……」
 どうやら、汗をかいているらしい。満喜の手に、水滴が一つ、二つとしたる。
 このまま会えなくなったらどうしよう。
「失いかけないと気づけないなんて……ははっ、満喜はよく言ってたけど、あたしって本当にバカね……」
 よく、満喜があたしに呆れ顔をしていたけど、今ならその理由がよくわかる。
 いつも隣にいてくれた満喜、いなくなるなんて一度も考えたことが無かった。だから、こうして失いかけないと気づけなかったのかもしれない、
(だけど――)
 あたしの心が、叫ぶ。
 ジェラールはどうなるんだ。
 彼は、ずっとあたしを探し続けているはずだ。
 この愛を――この愛を、もう一度伝えなくちゃいけない。
「あたしは、どっちなんだろう……」
 麗華なのか、アレクシアなのか。
 アレクシアが心の中から叫び続けている。
「どうすればいいのかな……」
 満喜の声を聴きたい。いつものように笑いかけて欲しい。
 満喜が死ぬわけじゃない、と満さんは言っていたし、お父さんも、満が診たんなら心配ないだろうと言っていたけど……
 それでも、心配なのは心配なのよね。
 ため息をもう一度ついて、あたしは満喜の手を握る。
「早く、目を開けてよ……」
 満喜に対する気持ちがある一方、アレクシアの叫びが、あたしの中にこだまする。
 ――ジェラールのところへ行きたい。
 確かに、あたしは満喜も好きだ。
 だけど――同時に、狂おしいほどジェラールのことも愛している。
 この感情も、嘘じゃない。
「どうしたらいいんだろう……」
 あたしは、麗華なのか。
 それとも、アレクシアなのか。
 死ぬ瞬間も、最後のセリフも、ジェラールの最期の表情も、鮮明に覚えている。
 だから――分からない。あたしは、麗華なのか。それとも、アレクシアなのか。
 なんて考えていると、扉が二度ノックされた。
「麗華ちゃん」
 満さんだ。
「厳蔵が迎えに来たよ。お母さんは、もう自転車で帰っちゃったらしい」
「あ、わかりました」
 もっと満喜の傍にいたいけど――今日は、ここが潮時かしらね。
「入ってもいい? 服着てる?」
「着てますよ!?」
 あたしは何してたと思われてるの!?
「じゃあ入るね」
 満さんが扉を開けて入ってくる。よく見ると、若干やつれているのが分かる。……やっぱり、満さんも心配しているのね。
「そんなに心配そうな顔をしないで、麗華ちゃん。今日は宿直を変わってもらって、僕がずっと病院にいるから、満喜が目覚めたら真っ先に麗華ちゃんに連絡するから安心して」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ、行こうか。一応鍵を閉めるから、麗華ちゃんは先に部屋を出て」
 満さんに言われて、あたしは最後にもう一度だけ満喜の髪を撫でてから、病室を出る。
 すると、満さんが少し含み笑いをした。
「ど、どうしたんですか?」
「ああいや、相変わらず麗華ちゃんは満喜の髪を撫でるのが好きだよねー、と思って」
「ふえ?」
「何でもないよ。ほら、厳蔵が心配してるだろうから、早く行きなね」
「はい」
 あたしは、満さんにお礼を言ってから、病院を出た。
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