「アイと愛と逢」

逢神天景

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2章

6話

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 当然だけど、もう日は沈んでいて真っ暗な道、あたしはお父さんの運転する車で帰路についていた。
 お父さんは、普段着物しか着ないくせに、運転がなぜかとても上手。おかげさまで、お父さんの運転だと酔ったことが無い。
「麗華、大丈夫か? だいぶ、顔色も悪いし、落ち込んでいるようだが」
「え? ……うん、大丈夫。安心してよ、父さん」
 滅多に自分から話しかけてこないお父さんが訊いてくるくらいには、あたしは落ち込んでみえるらしい。
 よっぽどな顔をしているんでしょうね……
「……まあ、あまり心配するな。あの満が大丈夫だと言ったんだから、絶対に大丈夫に決まっている。アイツは私と違って気を遣ったり空気を読んだりして、平気で嘘をつくが、こういう時には本当のことしか言わん。そんなアイツが大丈夫だと言ったんだ。だから大丈夫だ」
「うん……お父さん」
 お父さんの気遣いもありがたくて、あたしは外を見るふりして、隣にいるお父さんから顔が見えないようにする。
「……あれ?」
 病院と、あたしの家のちょうど中間くらいのところに来た時、見慣れないものが目に移った。
 こんなところに歩道橋なんてあったっけ……
「ああ、あの歩道橋か。ついこの間できたんだ。ここの信号は、人はそれなりに通るのに、えらく青の時間が短かったからな。それで、市がやっと重い腰をあげたんだ」
「へぇ……」
 この道――よく見たら、見覚えがあるわね。
 満さんが勤めている病院――つまり満喜が今入院している病院――は、あたしと満喜が住んでいる家から、ギリギリ歩いても行けなくないくらいの位置にある。だからこそ、お母さんは自転車で来ていたわけだしね。
 というわけで、昔はよく満喜と満さんの病院まで歩いて行ったりしていたのよね。
 この道は、その時通っていた道だ。
「昔のことでも、よく覚えているものねー……」
「? 何か言ったか?」
「ううん、なんでも」
 あたしは首を振って、苦笑を返す。
 ……なんだか、こうしてみると満喜との思い出ってこの街に溢れているのね。
 この道はさっき言った通り、満喜とよくとおっていた道。
 さっき通ったコンビニは、あたしと満喜でよく買い食いしていたお店。
 あのレストランは、満喜の家族と一緒によく食べに行っていたところ。
「思い出、か……」
 ジェラールとの思い出と、満喜との思い出。
 満喜との思い出は、正直、思い出せない部分が多々ある。こうして、実物というか、思い出せる記念になるようなものを見ないと、思い出せることは少ない。
 だけど、ジェラールとの思い出は、出会った瞬間の思い出から、全てを思い出せる。
 あの日、ジェラールが王に連れられてやってきた日。
 あの日、ジェラールと一緒にご飯を食べた日。
 あの日、ジェラールと……初めて、結ばれた、日。
 あの日、ジェラールに引き裂かれて死のうとすら思った日。
 あの日、ジェラールが迎えに来てくれて――この約束をした日。
 それら、全て、思い出せる。
「それなのに、あたしはアレクシアを否定できるのかしら……」
 お父さんに聞こえないように、口の中だけで呟く。
 ぼうっとしながら、周りの景色を眺める。
 すると、不意に頭の中から声がした。
 ――早く。
 早く、会いたい。
 ジェラールに会いたい――
「もう! 黙ってよ!」
 つい、大きな声を出してしまう。
 それに反応したのか、お父さんが露骨に心配そうな顔をしてこちらを向いた。
「……どうした、麗華」
「な、なんでも――」
「無いはずがないだろう。というか、私は何も言っていないのに、そんな大きな声を出したんだ。……何があったんだ?」
「う……」
 お父さんは、あんまり自分からは話さない。
 話さないけど――気づかないわけじゃない。
 それは分かっていたつもりだったけど……
「……ねぇ、お父さん? 一つ、変なことを聞いてもいい?」
「なんだ?」
 お父さんは、かなり現実主義者だ。オカルト系の番組にもあんまり興味無いし、UFOもビッグフットも雪男も、とにかく非現実的なものは信じてない。
 それは分かってるけど――
「もしも……もしもだよ? 前世でお姫様だった人が、生まれ変わって、前世の記憶を思い出したら――その人は、そのお姫様なのかな。それとも、その人のまんまなのかな……」
「……いまいち要領をえないな」
「う……ごめん」
 我ながら、しどろもどろな説明だと思うけど……
「ふむ……」
 けれど、お父さんはこのしどろもどろな説明でも分かってくれたのか、少し考えるようなしぐさをする。ちょ、お父さん。前見て、前。
「じゃあ訊くが――もしも、私が何らかの方法で麗華の記憶を得たとして、私は麗華になるのか?」
「え? ……えー、お父さんは性別も違うんだし、それに性格も全然違うわ。だから、違うと思う」
「そうか。なら、母さんが麗華の記憶を得たらどうだ? 若い頃の母さんはお前とよく似てお転婆だったが」
「お、お転婆じゃないわよ! ……じゃなくて、えーと……」
 少し考えてみる。あたしの記憶を持ったお母さん……うーん、あんまり変わらない気がする。
「お母さんの、ままだと思うわ」
「そうだろう? ……とあるお話で、記憶の無い人間は死人と同じだ、という文言があったが、記憶があったとしても、その人間そのものになるわけではない。これが生まれてすぐ、記憶を取り戻したんなら――その記憶に人格が上書きされてしまうかもしれないが、お前はもう、麗華になっているんだ。これ以上、人格そのものが上書きでもされない限り、お前は麗華だよ」
「お父さん……」
 フッと、口もとに笑みを浮かべるお父さん。普段からあんまり表情を見せない人なのに。
「お前は、誰の記憶を持とうが、思い出そうが、麗華だよ。お前がもしも自信を失ったら、私が何度でも肯定してやる。お前は、麗華だ。かけがえのない、私と母さんの娘だよ」
「うん……」
 お父さんはそう言ってあたしの頭を撫でてくれた。それが凄く懐かしくて――つい、小さい頃のことを思い出してしまう。
 これは、麗華の記憶。
(そうよね――)
 あたしは、麗華。
 確かに、あたしの心の中ではアレクシアの声がずっとしている。
 だけど、その記憶を一つ一つ検証していくと、あたしじゃ絶対にしないような選択をしていることが多々ある。
 だって、あたしなら絶対に最後に諦めたりしない。
 それどころか、あれだけ愛している人と引き離されることになったとしたら、騎士に連れ出される前に、自分で逃げてるわ。
(そうよ、だから違うの)
 あたしは麗華。アレクシアじゃない。
 アレクシアは、確かに魂の中にいるのかもしれない。
 だけど、それはあたしじゃない。
(あたしはあたしよ。あたしの気持ちはあたしが決めるわ!)
 だから、黙ってなさい、アレクシア。
「着いたぞ」
 お父さんが車を停めた。ああ、もう着いたのね。
「やっと帰ってきたわね」
 言ってみて、どっと疲れが押し寄せてくる。自分で思っているよりも、だいぶ疲れがたまっていたらしい。
「それもこれも満喜のせいね……」
 腹いせに、今日奢ってもらった料金、踏み倒してやりましょうか。……そんなことしたら何されるか分からないわね。明日には全校生徒にそのことを知られていそうだわ。
「麗華、まだお前は晩御飯を食べていないだろう。母さんがちゃんと用意してくれている。さっさと食べて、今夜は寝なさい」
「うん、わかったわ」
 あたしはお父さんに返事をして、家の方を向いたところで――
「――――ッ!」
 ――あたしの中の、アレクシアが反応した。
 いる、と。
(ジェラールが、記憶を取り戻した)
 ジェラールが、いる。
 しかも、すぐそばに。
「この方向……」
 何故だろう、ジェラールがかけてくれた魔法は、記憶を取り戻した時にそれが分かるだけの魔法だったはずなのに、なぜか居場所まで分かる。
 すぐ近く、それも、なぜかこっちへ向かってきている気すらする。
「麗華?」
 お父さんが、不思議そうな顔であたしの方へ歩いてきたが、あたしはそれを完全に無視して走り出す。
「おい、麗華!?」
「ごめん、すぐ戻る!」
 あたしは背後のお父さんにそう言うだけ言って、闇の中へと駆けだした。
 ――ジェラールが記憶を取り戻した。
 その事実に、あたしの中のアレクシアが叫びだす。
 ――早く。
 ――速く。
 ――速く走れ。早く、ジェラールに会いたい。
「うるさい!」
 あたしの中のアレクシアに叫ぶ。
「あんたはすっこんでなさい!」
 アレクシアに文句を言いながらも、足を止めない。
 全力で走る。勿論、これはジェラールに会いたいからじゃない。
 あたしは、こののろいを終わらせたい。
「こののろいがある限り、あたしは前に進めない」
 ――夢というのは、呪いと同じ。
 子供の頃に、満喜と一緒に見たお話で誰かが言っていた。
 その呪いを解くためには、夢を叶えるしかない。
 だけど、途中であきらめたら、その呪いは一生解くことが出来ず、心を縛ってしまう。
 愛も――たぶん、一緒。
 アレクシアの愛は、何年、何十年、何度生まれ変わってもずっと一途に思い続けてきたのろい。たぶん、これは今、見て見ぬふりをしたら、ずっと縛られることになってしまう。たとえ、後付けされた気持ちであり、後付けされた記憶であったとしても、あたしの心の一部には、永遠にアレクシアが生き続けることになる。
「これ以上、あんたのせいでグルグル悩んだりしたくないのよ……」
 見慣れた道を、走る。この先に、確実にジェラールがいる、それが分かるから、あたしは足を止めずに走り続ける。
 息が切れてきた。でも、足は止めない。
 足が痛くなってきた。でも、足は止めない。
 頭がくらくらしてきた。でも、足は止めない。
 目の前が真っ白になってきた。でも、足は止めない。
「はぁっ、はぁっ……」
 ズキズキと、頭痛までしてきた気がする。
 だけど、立ち止まっちゃいけない。
 一刻も早く、こののろいを終わらせたい。
 じゃないと――
「あたしは、麗華。アレクシアじゃない!」
 ――のろいを終わらせないと、あたしが前に進めない!
「これを、どうにかしないと……」
 じゃないと、ダメなの。
 そうじゃないと、この気持ちを満喜に伝えられない。
 別の人を想う気持ちがあっちゃ、この気持ちが純粋なものだと思えない。
「ちゃんと、この想いを、伝えたい。だって、やっと気づけたんだもん。伝えたい。伝えないといけない。満喜のことが――」
 ――好きだって。
 ふと、目の前の信号が赤になっていたことに気づき、あたしは足を止める。
 だけど、止まれない。止まりたくない。
 そこで、ふと横を見ると、歩道橋があった。ああ、そういえば、ここは新しく歩道橋が出来ていたんだっけ。
 あたしはそこに足を乗せて、階段を上る。
 一瞬、集中が途切れたからか、足がズンと重くなる。
 それでも、足は止めない。あたしはゆっくりになりつつも、階段を上っていく。
 その瞬間、ドクン! とひときわ大きく、心臓が跳ねた。
 ……ああ、分かる。
 この階段を上った先に、ジェラールがいる。
 あたしの中のアレクシアが、引き合うように、疲れ切った足が、魂に引っ張られているかのように、前へと足を進めさせる。
 一歩、一歩。
 そして、階段をあたしは登り切った。
 そこで出会ったのは――
「みつ……き……?」
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