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02 お飾り 片思い

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 と、2年前の出来事があってからユーリスはもう立つ瀬がない。
 アンジェに対し頭が上がらないのだ。

 問題なのは、このアンジェがユーリスとは全く関係のないところで、母ラミリスと歳の離れた昔からの友人であった事。こうして互いの家に遊びに行く程に仲の良い。
 更に、当時も今も、アンジェとユーリスは親しくもなく、友人でもなく、婚約者ですらない。つまり赤の他人。
 ユーリスはアンジェを完全に避ける事も出来ず、仲を修復するほど親しくもなく、八方塞がりという訳だ。

「ではラミリス様、次はわたくしの屋敷に来てくださいな」
 静かに立ち上がった友人に、夫人は残念そうな溜息を吐いた。
「そうね。そちらなら貴女も妙な遠慮なしで話ができるでしょうし」
 息子ユーリスに当て擦る。彼は何も言えず押し黙るしかない。
「では、お二人とも、ごきげんよう」
 ユーリスを全く意に介さないアンジェは、早めに帰宅する。

 背後で何やら母親に詰め寄るユーリスの声を聞いて。
「母上、俺は……様を」
「いつまで相談……現実を……」
「いや、でも……のない結婚……」

 途切れ途切れの会話から推し量り、アンジェはご愁傷様、と心で祈った。
(とうとうユーリス殿も年貢の納め時ね。わたくしは気楽でよかったわ)
 ラミリス夫人が息子に理解の無い母親だとは、アンジェも思っていない。これが普通だ。
うちがわたくしに甘すぎるのね。だから我儘し放題)

 アンジェは極度の偏食家だった。食はもちろん、それは人に対しても。
「前世らしき記憶」を思い出した幼少の頃から、今の家族以外で誰かと家族になれる気がしなかった。
 人嫌いという訳ではない。自らの私生活に、他人が深く入り込む図がまったく見えないのだ。自分の領域は自分のものという意識が強い。
 着替えや湯浴みなども常に一人で行う。例え同性でも、裸、という自分自身を見られるのが苦痛なのだ。
 故に、世の令嬢たちの結婚観とアンジェのそれは、ずれていた。元々の気質がそうであり更に前世を思い出した事で、貴族令嬢としての価値観が全てではないと知ってしまった。
 これでいいや、と自らを変えなかった。それは確かに我儘で怠惰な性格と言える。
 眉をひそめる者もいるが、両親兄弟は理解があるのか甘いのか、そんなアンジェを許し好きにさせている。
(権力、万歳、ね)

 他人に深く愛されるのは面倒。嫌われるのは気にしない。表面上の社交辞令が一番心地良い。
 そんな性格で、恋愛結婚どころか政略すらも無縁だと他人事のように感じていた。
 そんな中で妙に気が合ったのが、ラミリス・ロンド夫人。同年代の令息の母親だ。一回り以上も歳の離れた夫人とは、幼い頃母を通じて知り合った。


 後日、約束通りアンジェの屋敷に遊びに来たラミリスは、申し訳なさそうに、しかしどこか確信の面持ちで話を持ちかけた。
「ユーリス殿と?」
「ええ。貴女の性格は分かっているつもりよ。だから、別にあれときちんと夫婦になって、とは言わないわ。形だけの伴侶が欲しいの」
 婚姻という名の契約だ。
 そして、彼女の言う「形だけの伴侶」というのは、アンジェに対するユーリスの事。

「お飾り妻ですね!」
 アンジェは目を輝かせた。創作などでよく見る設定に心が躍ったのだ。
 夫人は思った通りの反応に苦笑いを返す。

「お飾り。確かにそうね。貴女、という象徴かざりを誰もが欲しがっているもの」
 アンジェは、まさしく掲げ飾られる存在。特に必須ではないその土台としてユーリスを選んだ。
 アンジェの思うお飾りとは意味合いが真逆だ。
「貴女は今まで通り自由にしていい。あの馬鹿もどうせあまり家には帰ってこないしね。貴女にも利点がある契約だと思うけど」
「利点……確かに、そうですね」

 アンジェは立場上、婚約の申し込みが後を絶たない。両親も逐一断りを入れているが、そろそろ疲弊しているだろう。

「自由、と言いますけれど、お子は? ロンド家の後継などは……」
「それは心配いらないわ。下に子が産まれるから」
「あぁ、次男さんを後継にしたのですね」
「当然よ」
 いつまでも王太子妃に侍るいい歳をした息子を後継に据え置く程、ロンド家は甘くなかった。
「遅いくらいだったわ。でも、あの馬鹿を放置はできないの」
「そうですよね、ロンド家の長男もいつまでも放蕩して……なんて言われていますし」

 うんざりとする夫人は、最初からここまで長男を嫌っていた訳ではない。
 基本的にこのラミリス夫人もアンジェと根本の性格は似ている。政略で嫁ぎ、燃え上がる恋は無いが、産まれた息子たちにはきちんと愛情を抱き育ててきた。
 それが、あの結果ユーリスだ。
 同じように育てた次男はしっかりと常識的な大人になっているのだ。見限っても致し方なし。
 ユーリスの同世代に「魔性の女」が居たことも不運だった。しかし彼女は年下に食指は動かないようで、弟は毒牙にかかっていないのが不幸中の幸いと言えた。

 アンジェは、じっと、真剣に考えた。
 ラミリスが友人だからという訳ではない。アンジェは基本アンジェの事しか考えない。
 ラミリス夫人もそれを分かっているのか、ゆっくり待った。気持ちを隠して友人のを聞くような性格ではないと知っているから、だから気軽に結婚の話を持ちかけた。
 互いに、無礼にならない遠慮をしなくていいのが気が楽で、友人となったのだ。人生で一人出会えるかどうかという中々得難い存在である。

「……利点どころか、ありがたいお話ですね」
 考えが固まったのか、アンジェはラミリスを見た。
「そう? 珍しいわね。もしかして、よっぽどの……?」
 ラミリス夫人がこの話を持ち込めたのは、アンジェの性格以外にも理由があった。割と勝算があったからだ。
 しかし「ありがたい」と即決しそうであるのは予想外だった。
「ええ。サラーマの王太子が、そろそろ本格的に」
「まあ! あの方に求婚されているのね?」
 苦笑いで頷いたアンジェ。ラミリスはやはりと思いつつも、かなりの大物の登場に素で驚いた。
 アンジェとクリスタ家が、縁談の申し込みや求婚に辟易しているという読みだったが、そこまでの名が出たなら夫人も計算をし直す必要があった。火の粉が及ばないかどうかを。
「私に言ってよかったの?」
「本腰を入れてくるだろうと、父が。だから別に知られても問題ないと思いました」
 アンジェも、ラミリスも頷く。

 サラーマ国の王太子は、アンジェの一つ下。昔からアプローチをしていたが、婚姻を視野に入れ本格的にアンジェを得ようとする動きが見られた。
「と、まあ、かなり重い荷物を背負っているわたくしですが、大丈夫なのですか?」
 今度はラミリスが考える番だった。しかし彼女は意外とあっさり笑った。
「ええ。願ったり、よ。貴女が問題を抱えて来てもいいように、あれを今まで自由にさせてきたんだもの」
 アンジェは、目を見開いた。
「まさか、有事の際には彼を……」
「むしろ今まで切らなかったのがおかしいのよ。あれだけの事をしておいて。いえ、今でも目を覚まさずにいるんだもの」
 ただ放蕩しているだけの長男を捨てると言うのは外聞が悪い。だが、アンジェが嫁いでくるのなら話は別だ。

 ロンド家が。ラミリス夫人が欲しいのは、アンジェだ。
 使えなくなった土台を破棄するだけ。
 冷酷なようだが、ロンド家は十分待った。ユーリスが目を覚まし変わるのを。

 この期に及んで変わらなかったのは、ユーリスだ。
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