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「むっつりスケベ……」
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ギムラン・コーリングが捕縛された、と聞いたリナリは、驚く程何も感じなかった。
10年も婚約関係だった。
やたらと付き纏われて、かと思えば無理矢理リナリの意思に反して婚約を結ばされていた。だから最初からいい感情など抱けるはずがない。
その後もまるで紳士であるような態度で周りを欺き、無自覚に自分本位に振り回し続けた。
そうして長年縛り付けていたと思ったら、あの妙な言いがかり。更にリナリの事情を考慮しない復縁要求。
捕縛された詳しい罪状をリナリは知らないが、ろくな事ではないだろう。そう考え、それで、終わった。
だがもし、ギムランが最初から誠実に、徐々に距離を詰め、初恋すら淡くさせるような振る舞いで接していたら。
恐らく、リナリは。
善い人には良い感情を。誠実で一途な想いにはそれなりの対応を。リナリは決して無下にはしなかった。
そうしていく内に、きっと、絆されていた。
10年もあったのだから。
だが今のリナリはその「もしも」すら考えない。
今が、ハルトリードとの今が幸せだからだ。
リナリはようやく外出が叶い、ピネアに誘われお茶をしている。
「どう? 婚約者との生活は。彼、ちゃんとやってる?」
「すごく大切にしてくれます。もう幸せで……」
「そう。良かったわ。それだけじゃなくて、あのむっつり、ちゃんとあなたに愛情を見せている? 不安になっていない?」
リナリは顔を赤らめた。
愛情を見せている、など可愛らしいものではない。使用人に言わせればあれは溺愛だと。
リナリを溺れさせているようで、ハルトリードが溺れているのだと。
「……あら。心配無用だったかしら。それにしても彼がねぇ……どんな顔してあなたに愛を囁くのかしら」
くすくすと楽しそうに笑うピネアは、恐らく野次馬根性で根掘り葉掘り聞きたがっている。年頃でそういう話を求めているのもあり、リナリをつついた。
「あ、愛というか、その、本当に凄く色々と……不安なんて感じる暇がないくらいに、あの」
「まあ、ごちそうさま。凄いわリナリ。あのむっつりをそこまで……ふふ、わたくしの見る目も捨てたものではないわね」
ピネアは、リナリの想い人がハルトリードであるから、と手放しに薦めていたのではない。
リナリなら彼と合う。きっといい関係になれるという直感があった。
互いに良い縁だと思ったから、自ら仲介となったのだ。
「でも、確かにハルト様はむっつり……としてますけど、性格は普通? ですよね。誠実で優しいし色々するのにもちゃんと私に再三確認を……」
何かを思い出したのか、リナリは顔をまた赤らめた。
ハルトリードの裏の仕事を知っているピネアは、二人の間で何が行われているのかを察し、こめかみに指を当てた。
「リナリ……。それ、そういうのを世間ではむっつりスケベと言うらしいわよ」
「むっつりスケベ……」
最近どこかで聞いたことがある、とリナリは思ったが、記憶の中に掻き消えた。
(なんだか……かわいい)
それよりもその言葉の語感が妙に彼と合っているようで、可愛らしく感じたのだった。
その日の正午過ぎ、リナリは、溜まった仕事に追われている婚約者を労わった。
「お疲れ様です、ハルト様。珈琲飲みますか?」
「うん、飲む」
休憩のためにリナリの部屋にやってきたハルトリードに、自ら珈琲を淹れる。
リナリの生家は、珈琲豆の栽培、販売を営んでいる。それは国内において最大の占有率を獲得していた。
蒸らし中にハルトリードを見ると、じっと見られていた。
「どうしました?」
「うん……いいな」
リナリは首を傾げるが、ハルトリードは勝手に納得して満足したようだ。
珈琲は二人共ブラックで。ペアリングに合うバタークッキーを出した。
ハルトリードは根を詰めているようだが、いつもの事、らしい。しかし仕事が溜まっているのは、リナリの問題があったからだと身に染みている。
(無理しないで、なんて言えない)
リナリのために動いた結果なのだ。
「リナリ、ちょっと、だけ仮眠する」
「はい、寝室へ行きますか?」
「う、ん……30分でいいから、ここで」
座っているソファを指した。ベッドだと本格的に寝たくなるらしい。
「分かりました。30分後に起こしますね」
「うん、ありがとう、リナリ、来て」
「……はい?」
ハルトリードはリナリに手招きして、隣に座らせた。
「いい?」
「はい?」
ハルトリードは、リナリの太腿に顔を乗せ寝転がった。顔はリナリ側に向けて。
「ひざまくら……してほしかった」
「そ、そうなんですか。これくらい、いつでも喜んでするのに」
疲労が溜まり眠そうにするハルトリードは、むっつりな顔は変わらないままに、こうして普段よりも甘えてくる。いつもは遠慮して言えない事を言う。
「おやすみなさい」
リナリは侍女に頼み、近くにある資料を持ってきて貰った。
30分の膝枕というのはなかなかどうして、辛いものがあった。
だがリナリはハルトリードの寝顔を、意味を成さない寝言を、得難く、かけがえのないものとして享受した。
(ハルト様、本当に信じられないのよ? 貴方が私をこんなにも大切に……好きになってくれるなんて)
指を入れ掻き混ぜたような髪を、撫でる。
「すき……」
こうしている時間が奇跡のようだと、リナリは胸を熱くした。
(そろそろ30分)
「ハルト様。時間です」
撫でる手はそのままに、肩を揺り動かす。
ハルトリードは起きない。
(珍しい……よっぽど疲れてるのね)
ハルトリードは寝つきがいい。寝起きはいいとは言えないが、どれだけ眠かろうが時間にはさっと起きる。
逆に、起きていようとすれば起きていられるらしい。仕事柄、幼い頃から身に付いた特性なのだとか。
リナリは、ふと、ハルトリードの耳の端を摘まんだ。異様に熱い。
「ふふ……」
可愛らしく感じ、そのままふにふにと指で捏ねてみる。
「リ、リナリ、おきる」
「はい、おはようございます。丁度30分です」
「ありがと……」
真っ赤な顔をして、ハルトリードは体を起こした。
ふらふらと作業部屋に戻るハルトリードの背中を見ながら、考えた。
「いつから起きてたのかしら……」
10年も婚約関係だった。
やたらと付き纏われて、かと思えば無理矢理リナリの意思に反して婚約を結ばされていた。だから最初からいい感情など抱けるはずがない。
その後もまるで紳士であるような態度で周りを欺き、無自覚に自分本位に振り回し続けた。
そうして長年縛り付けていたと思ったら、あの妙な言いがかり。更にリナリの事情を考慮しない復縁要求。
捕縛された詳しい罪状をリナリは知らないが、ろくな事ではないだろう。そう考え、それで、終わった。
だがもし、ギムランが最初から誠実に、徐々に距離を詰め、初恋すら淡くさせるような振る舞いで接していたら。
恐らく、リナリは。
善い人には良い感情を。誠実で一途な想いにはそれなりの対応を。リナリは決して無下にはしなかった。
そうしていく内に、きっと、絆されていた。
10年もあったのだから。
だが今のリナリはその「もしも」すら考えない。
今が、ハルトリードとの今が幸せだからだ。
リナリはようやく外出が叶い、ピネアに誘われお茶をしている。
「どう? 婚約者との生活は。彼、ちゃんとやってる?」
「すごく大切にしてくれます。もう幸せで……」
「そう。良かったわ。それだけじゃなくて、あのむっつり、ちゃんとあなたに愛情を見せている? 不安になっていない?」
リナリは顔を赤らめた。
愛情を見せている、など可愛らしいものではない。使用人に言わせればあれは溺愛だと。
リナリを溺れさせているようで、ハルトリードが溺れているのだと。
「……あら。心配無用だったかしら。それにしても彼がねぇ……どんな顔してあなたに愛を囁くのかしら」
くすくすと楽しそうに笑うピネアは、恐らく野次馬根性で根掘り葉掘り聞きたがっている。年頃でそういう話を求めているのもあり、リナリをつついた。
「あ、愛というか、その、本当に凄く色々と……不安なんて感じる暇がないくらいに、あの」
「まあ、ごちそうさま。凄いわリナリ。あのむっつりをそこまで……ふふ、わたくしの見る目も捨てたものではないわね」
ピネアは、リナリの想い人がハルトリードであるから、と手放しに薦めていたのではない。
リナリなら彼と合う。きっといい関係になれるという直感があった。
互いに良い縁だと思ったから、自ら仲介となったのだ。
「でも、確かにハルト様はむっつり……としてますけど、性格は普通? ですよね。誠実で優しいし色々するのにもちゃんと私に再三確認を……」
何かを思い出したのか、リナリは顔をまた赤らめた。
ハルトリードの裏の仕事を知っているピネアは、二人の間で何が行われているのかを察し、こめかみに指を当てた。
「リナリ……。それ、そういうのを世間ではむっつりスケベと言うらしいわよ」
「むっつりスケベ……」
最近どこかで聞いたことがある、とリナリは思ったが、記憶の中に掻き消えた。
(なんだか……かわいい)
それよりもその言葉の語感が妙に彼と合っているようで、可愛らしく感じたのだった。
その日の正午過ぎ、リナリは、溜まった仕事に追われている婚約者を労わった。
「お疲れ様です、ハルト様。珈琲飲みますか?」
「うん、飲む」
休憩のためにリナリの部屋にやってきたハルトリードに、自ら珈琲を淹れる。
リナリの生家は、珈琲豆の栽培、販売を営んでいる。それは国内において最大の占有率を獲得していた。
蒸らし中にハルトリードを見ると、じっと見られていた。
「どうしました?」
「うん……いいな」
リナリは首を傾げるが、ハルトリードは勝手に納得して満足したようだ。
珈琲は二人共ブラックで。ペアリングに合うバタークッキーを出した。
ハルトリードは根を詰めているようだが、いつもの事、らしい。しかし仕事が溜まっているのは、リナリの問題があったからだと身に染みている。
(無理しないで、なんて言えない)
リナリのために動いた結果なのだ。
「リナリ、ちょっと、だけ仮眠する」
「はい、寝室へ行きますか?」
「う、ん……30分でいいから、ここで」
座っているソファを指した。ベッドだと本格的に寝たくなるらしい。
「分かりました。30分後に起こしますね」
「うん、ありがとう、リナリ、来て」
「……はい?」
ハルトリードはリナリに手招きして、隣に座らせた。
「いい?」
「はい?」
ハルトリードは、リナリの太腿に顔を乗せ寝転がった。顔はリナリ側に向けて。
「ひざまくら……してほしかった」
「そ、そうなんですか。これくらい、いつでも喜んでするのに」
疲労が溜まり眠そうにするハルトリードは、むっつりな顔は変わらないままに、こうして普段よりも甘えてくる。いつもは遠慮して言えない事を言う。
「おやすみなさい」
リナリは侍女に頼み、近くにある資料を持ってきて貰った。
30分の膝枕というのはなかなかどうして、辛いものがあった。
だがリナリはハルトリードの寝顔を、意味を成さない寝言を、得難く、かけがえのないものとして享受した。
(ハルト様、本当に信じられないのよ? 貴方が私をこんなにも大切に……好きになってくれるなんて)
指を入れ掻き混ぜたような髪を、撫でる。
「すき……」
こうしている時間が奇跡のようだと、リナリは胸を熱くした。
(そろそろ30分)
「ハルト様。時間です」
撫でる手はそのままに、肩を揺り動かす。
ハルトリードは起きない。
(珍しい……よっぽど疲れてるのね)
ハルトリードは寝つきがいい。寝起きはいいとは言えないが、どれだけ眠かろうが時間にはさっと起きる。
逆に、起きていようとすれば起きていられるらしい。仕事柄、幼い頃から身に付いた特性なのだとか。
リナリは、ふと、ハルトリードの耳の端を摘まんだ。異様に熱い。
「ふふ……」
可愛らしく感じ、そのままふにふにと指で捏ねてみる。
「リ、リナリ、おきる」
「はい、おはようございます。丁度30分です」
「ありがと……」
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