やり直し令嬢は箱の外へ、気弱な一歩が織りなす無限の可能性~夜明けと共に動き出す時計~

悠月

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03 令嬢は母の手紙を読む

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 私は心臓が高鳴るのを感じながら、震える手で封筒の縁を慎重につまみ、指先に力を込めて、ゆっくりと封を切った。
 静かに姿を現した薄い紙を、私は、かすかな音を立てながら、そっとそれを取り出した。

 『私の愛する娘へ』

 ほんのりと漂うインクの香りが鼻をくすぐるのを感じながら、その綺麗な筆跡が醸し出す柔らかく優しい雰囲気に触れ、冒頭の一行目の文字を読むだけで、私の心が激しく揺さぶられた。

 『フリージア、私の愛しい子。
 この手紙を読んでいるということは、私はもうあなたの側を離れたのでしょうね。
 どうか悲しまないでおくれ。お母さんはね、もともと使命を持って天界から人間界へ降り立った使者なのよ。
 残念ながら、時が来た今、元の天使の職務に戻らなければなりませんわ。優秀な人っていうのは忙しくて、いつも頼られてしまうものなのよ。ああ、忙しくて、大変ですわ。』

 お母さんの少しふざけた言い方に、思わず涙をこぼしながら笑ってしまった。

 『あなたが私のお腹にこっそり来てくれたのを知った時、私はこの世で最も幸せな者になりました。
 日々成長していくあなたを感じるのが、私の毎日の楽しみでした。あなたの小さな手、輝く瞳、初めての笑顔、それらを想像するだけで、私の心は温かくなるのです。
 未来のあなたはどんなふうに成長なさるでしょうか。お母さんのような美しさと知性を兼ね備え、誰もが憧れる令嬢になるのではないの、それとも、お父さんみたいに頭の硬い人になるかしら。
 あの人はほんとうに仕方ないくらい頑固な人でね、昔から……
 そう言えば、最近あなたの兄がちょっとツンデレになった気がしてね。扱いが難しいかもしれないけど、喧嘩はほどほどに、ちゃんと仲良くしてちょうだいね。
 ……。』

 お父様とお兄様のお話には目が痛く感じ、口の中も苦い味がする。

「お母さん、ごめんなさい」

 お母さんの望みを叶えてあげられない気がして、つい小声こごえで謝りの言葉を口にした。

 『でも、あなたはあなたよ。唯一無二ゆいいつむにの存在で、私の娘ですもの。
 お母さんやお父さんに似なくてもいいの。ただ自由に、思うままに成長してくれれば、それでいいのよ。誰かの真似なんてする必要はないわ。
 お母さんを甘く見ないでちょうだい。あなたがどんなふうに成長しても、ずっとあなたのことを愛し続ける自信はありますわ。

 あなたの側であなたの成長が見られないのはお母さんにとって、本当に残念で残念でなりませんわ。
 ですから、お母さんと約束をしてくれないかしら?』

「約束……?」

 目を大きくして、その文字を読み上げ、指をそっとその一行に当て、緊張しながら次の紙を見る。

 『どうか、あなたは愛されて生まれてきた子であることを、決して忘れないでちょうだい。 
 どう伝えればわかってくれるでしょうか。あなたの存在は、私にとっての奇跡であり、かけがえのない宝物です。

 人生には、時には困難にぶつかることもあるでしょう。悲しい時、寂しい時、どうしても前を向けないような瞬間もあるかもしれません。
 でもね、あなたには強い心を持っています。どんな時も自分を信じて、歩みを止めずに進んでいきなさい。
 あなたの未来には、無限の可能性が広がっているのだから。

 そして、愛すること、愛されることを、どうか恐れないでちょうだい。
 家族や友人、共に高め合う良きライバル達。あなたにとって大切な人との絆を、何より大事にしなさい。その絆こそが、やがてあなたの人生を支える、かけがえのない財産になりますわ。
 愛は不確ふたしかで、傷つけられることもあるでしょう。それでも愛は、人生を豊かにし、困難に立ち向かう力を与えてくれるものです。
 だから、心を閉ざさないで。愛し、そして愛されることを、恐れずに生きなさい。
 あなたが自分の居場所を見つけ、そこで根を張り、大切な人たちと共に未来へ歩んでいく姿を、私は心の底から願っています。

 あなたの笑顔が、私にとって最大の喜びです。だから、どうか毎日を笑顔で過ごしてくださいね。
 我儘な娘になっても構いませんわ。お母さんは、いつでもあなたの味方ですもの。
 どうか、自分の幸せを一番に考えて、何よりも自分を大切にしなさい。あなたが自分を犠牲にしてまでやらなければならないことなど、この世には存在しないのですから。

 どんなに遠く離れていても、お母さんはいつだってあなたの味方ですわ。私の愛はいつもあなたと共にあることを忘れないでちょうだい。
 あなたが幸せで、充実した人生を歩んでいけるよう、お母さんは天界からずっとあなたを見守っています。

 愛している、いつまでも。

 お母さんより』

 祝福な言葉が次々と掛けられ、お母さんの言葉は、私の心に深く響いた。慣れないむず痒い気持ちになりつつ、心が初めて幸せに満ちた気がした。

 家族絵の中のお母さんは、まるで瑠璃細工のように繊細で、触れれば壊れてしまいそうな儚げな印象だった。
 けれど、この手紙から覗き見るお母さんは、芯の強さと揺るぎない自信を併せ持った女性だった。
 今まで心の中で形作っていたお母さん像が崩れていくのを感じたが、本当のお母さんにようやく触れられたようで、すごく嬉しく感じた。

 私はハンカチで涙に濡れた頬を拭い、赤くなった鼻をすすり、ゆっくりと息を整えた。
 そして、両手で口元を押し上げるようにして、ぎこちなく笑みを作った。

「お母さん、心配しないで。私は約束通りに、立派に成長するわ」

 夢の中の彼女の人生は、苦痛と自己嫌悪で満ちていた。
 情けない自分を責め続け、やがて全てを投げ出すように自暴自棄になり、現実から目を背け、かめのように殻へ閉じこもってしまった。

 今の私は、幼い身体に戻っている。何歳かはまだわからないが、短い子供の頃の記憶と彼女の記憶が入り混じり、混乱した頭では、まるで夢の彼女の人生の延長線上に立たされているかのようだった。

 エマさんの胸を貫いた、あの冷たいナイフの記憶が閃いた瞬間、血の気が引き、先ほど温まりかけていた心が氷に触れたように、一気に冷え切り、私は小さく震えた。

「大丈夫…大丈夫、わたしは大丈夫……わたしは大丈夫」

 優しい香りのした手紙を大事に抱きしめ、私はそう自分に言い聞かせた。

 病気や戦争、事故を除けば、アストラル王国の平均寿命は五十から六十歳ほどだ。今の私の身体は多く見積もっても10歳、少なくとも四十年は生きられる。

「あれは夢……ここにいる私が現実。私の人生は、まだ始まったばかり……私は……」

 自分を勇気づけるように、私は小さく、執拗なほど同じ言葉を呟き続けた。

 私は死なない。

 私は生きたい。

 私は幸せになりたい。
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