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25 令嬢は商業ギルトに赴き③
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私は商人登録の書類を手にしながら、じっとガレフの顔を見つめて尋ねる。
「なぜ、貴方は私に商人の道を勧めるの?」
私の視線を受け止めた彼は、微かに口角を上げた。その笑みはどこか誠実さを感じさせて、計算の匂いはなかった。
「私はただ、貴女の母上である公爵夫人に、返せなかった借りがあるからです……」
彼の目は遠い記憶を追いかけるように揺れ動き、何かを確かめるように私を見つめ直す。
「もう返すことは叶いませんが、その恩を貴女様にお返ししたいと思いました。この商人登録は、あくまで選択肢を広げるための提案にすぎません。貴族令嬢としての立場は確かに華やかですが、時にその分、行動に制約が多いのではありませんか?ですから、商人というもう一つの立場を持てば、もっと自由に行動できるのではないかと、愚考致しました」
恩とは?
いいえ、仮に聞いたとしても、彼の言葉が真実かどうか、私には判断できない。
それに、個人的な情よりも、利益関係のほうが、時に強い絆となる。ましてや、商人は金に敏感な人種だとエマさんから聞いていた。
そう考えた私はさらに問いを重ねる。
「貴方はお母様とは、この契約以外にも、いろんな取引をしていたのですか?」
「はい、公爵夫人とは商業仲間として親しい関係にございました。私どものフィオラ商会が成長する際、数多くの助力をいただきました。その代わり、私どもは公爵夫人の慈善事業を支援しておりました」
公爵夫人の慈善事業?
これがお母さんが言っていた『ただ一介の薬師ができないこと』?
まさか、ガレフが私を商人に勧めたのは、亡くなったお母さんの権力に頼るのと同じ、私の公爵令嬢としての便宜を計っているのではないだろうか?
しかし、もしそうならば、私が『飾りの公爵令嬢』だと知られれば、彼に裏切られる可能性も大いにある。
駄目だ、相手の弱みが知らない以上、余計に彼に私の秘密を明かす訳にはいかない。偽名の身分証が欲しいけれど、金と担保さえあれば、彼を頼らずとも商人登録はできるはず。
悪い考えが次々と脳裏をよぎり、不安が膨らむ中で、私は手を固く握りしめ、ガレフの提案を断ることにした。
「……悪いけれど、わたくしはその必要性を感じないわ。貴族としての立場を捨てるつもりもなければ、商人の世界に足を踏み入れる理由も見当たらない」
ガレフは一瞬の間を置いてから、静かに頷いた。
「左様でございますか。これはあくまで私個人の提案でございますので、もしそれがフリージア様のお考えであられるなら、それ以上を求めることはいたしません。」
私は椅子から立ち上がり、商人登録の書類を一瞥してから、最後に一言だけ告げる。
「用が済みました。迅速な対応をありがとう存じます。それでは、ごきげんよう、ガレフ」
心のざわめきを押し込め、令嬢らしさを崩さぬよう振る舞い、ライラが先に開けた扉に向かった。
背後からの静かな視線を感じつつも、私たちは振り返らずに歩き出した。
***
いつの間にか、昼になっていた。
私の店は商業ギルドを出て、中央広場を通り抜けた先にある。
店を見る前にまず昼食を……と、私たちは再び中央広場に戻ることにした。広場のベンチに腰を下ろし、ライラが買ってくれたサンドイッチを手に取る。ひと口かじりながら、目の前の景色に目を向ける。
行き交う人々の賑やかな姿が広場を埋め尽くし、明るい陽射しが降り注ぐ中、祭りの飾りが風に揺れて鮮やかに広場を彩って、子どもたちの笑い声や商人たちの掛け声が混ざり合い、街全体が活気にあふれている。
私はさりげなく、隣に座るライラを窺った。仮面を外した彼女は、黙々と二つ目のサンドイッチを食べている。
今更ながら思う、商業ギルドにいた時から、ライラはずっと静かだった。必要以上の言葉を発することなく、普段通り冷静で、優秀なメイドとして務めている。
けれど、彼女は私が店舗を所有していることに、何も疑問を感じなかったのだろうか?
正直、もういろいろと、ライラにバレていると思うが、ライラはお母さんが私に私産を残したことについて、否定的な考えを持っていないだろうか?
既に恵まれた立場にある貴族令嬢が、平民が切望する中心街の店を所有しながら、その貴重な店を放置しているとなれば、浪費家だと思われても仕方がない。
だあら、最初、商業ギルドの個室に入るとき、ライラが一緒についてくるのに少し迷っていた。でも、私はすでに多くなことを彼女に隠しているので、このままではダメだと思った。
もし彼女を仲間として迎え入れたいなら、私自身がもっと素直にならなければ、いつまで経っても彼女の本音を聞くことはできないだろう。
視線を彷徨わせ、躊躇いがちに、私は彼女に問いかける。
「ライラは、何か、わたしに話したいことはある?」
ライラは私の言葉に首をかしげて、何の話でしょうかと言いたげの目で向けられ、口を開く。
「傲慢な貴族令嬢の装いは、随分とお上手だと思いました」
「えっ!ああ、うっ……ち、違うの、あれは……えっと……うん、ありがとう」
自分でも驚くほど顔が熱くなるのを感じた。
もう、ライラのバカ、恥ずかしい事を思い出させないでよ!
食べ終えたサンドイッチの包装紙を道端のゴミ箱に捨て、私は再び仮面を着けて、顔の熱さを隠そうとした。
はぁ――
心が少し落ち着きを取り戻したとき、私はそっとライラのマントを掴み、小声で「商業ギルドのことは…」と言いかけた途端、彼女は冷静な声でそれを遮る。
「はい、秘密事項であることは存じています。お嬢様は秘密主義者ですから」
ライラの翡翠色の目が淡々と私を凝視して、その視線が私の心にささり傷をつけるように痛みを感じた。
契約魔術には、『私に不利益をもたらす情報を口外しない』という文言を一括して盛り込んでいる。けれど、その定義は曖昧だ。ライラが私から離れたあと、魔術の効力がどうなるのかは保証できない。
5年後に彼女を解放すると決めた以上、もしそれまでに彼女と本当の仲間の関係に築けないのなら、私の秘密を漏らされるリスクを排除するため、契約期間で予め重要な事について、念を押しておく必要がある。
それでも、この方法に頼るしかない自分が、どこか情けなく、嫌いだわ。
「なぜ、貴方は私に商人の道を勧めるの?」
私の視線を受け止めた彼は、微かに口角を上げた。その笑みはどこか誠実さを感じさせて、計算の匂いはなかった。
「私はただ、貴女の母上である公爵夫人に、返せなかった借りがあるからです……」
彼の目は遠い記憶を追いかけるように揺れ動き、何かを確かめるように私を見つめ直す。
「もう返すことは叶いませんが、その恩を貴女様にお返ししたいと思いました。この商人登録は、あくまで選択肢を広げるための提案にすぎません。貴族令嬢としての立場は確かに華やかですが、時にその分、行動に制約が多いのではありませんか?ですから、商人というもう一つの立場を持てば、もっと自由に行動できるのではないかと、愚考致しました」
恩とは?
いいえ、仮に聞いたとしても、彼の言葉が真実かどうか、私には判断できない。
それに、個人的な情よりも、利益関係のほうが、時に強い絆となる。ましてや、商人は金に敏感な人種だとエマさんから聞いていた。
そう考えた私はさらに問いを重ねる。
「貴方はお母様とは、この契約以外にも、いろんな取引をしていたのですか?」
「はい、公爵夫人とは商業仲間として親しい関係にございました。私どものフィオラ商会が成長する際、数多くの助力をいただきました。その代わり、私どもは公爵夫人の慈善事業を支援しておりました」
公爵夫人の慈善事業?
これがお母さんが言っていた『ただ一介の薬師ができないこと』?
まさか、ガレフが私を商人に勧めたのは、亡くなったお母さんの権力に頼るのと同じ、私の公爵令嬢としての便宜を計っているのではないだろうか?
しかし、もしそうならば、私が『飾りの公爵令嬢』だと知られれば、彼に裏切られる可能性も大いにある。
駄目だ、相手の弱みが知らない以上、余計に彼に私の秘密を明かす訳にはいかない。偽名の身分証が欲しいけれど、金と担保さえあれば、彼を頼らずとも商人登録はできるはず。
悪い考えが次々と脳裏をよぎり、不安が膨らむ中で、私は手を固く握りしめ、ガレフの提案を断ることにした。
「……悪いけれど、わたくしはその必要性を感じないわ。貴族としての立場を捨てるつもりもなければ、商人の世界に足を踏み入れる理由も見当たらない」
ガレフは一瞬の間を置いてから、静かに頷いた。
「左様でございますか。これはあくまで私個人の提案でございますので、もしそれがフリージア様のお考えであられるなら、それ以上を求めることはいたしません。」
私は椅子から立ち上がり、商人登録の書類を一瞥してから、最後に一言だけ告げる。
「用が済みました。迅速な対応をありがとう存じます。それでは、ごきげんよう、ガレフ」
心のざわめきを押し込め、令嬢らしさを崩さぬよう振る舞い、ライラが先に開けた扉に向かった。
背後からの静かな視線を感じつつも、私たちは振り返らずに歩き出した。
***
いつの間にか、昼になっていた。
私の店は商業ギルドを出て、中央広場を通り抜けた先にある。
店を見る前にまず昼食を……と、私たちは再び中央広場に戻ることにした。広場のベンチに腰を下ろし、ライラが買ってくれたサンドイッチを手に取る。ひと口かじりながら、目の前の景色に目を向ける。
行き交う人々の賑やかな姿が広場を埋め尽くし、明るい陽射しが降り注ぐ中、祭りの飾りが風に揺れて鮮やかに広場を彩って、子どもたちの笑い声や商人たちの掛け声が混ざり合い、街全体が活気にあふれている。
私はさりげなく、隣に座るライラを窺った。仮面を外した彼女は、黙々と二つ目のサンドイッチを食べている。
今更ながら思う、商業ギルドにいた時から、ライラはずっと静かだった。必要以上の言葉を発することなく、普段通り冷静で、優秀なメイドとして務めている。
けれど、彼女は私が店舗を所有していることに、何も疑問を感じなかったのだろうか?
正直、もういろいろと、ライラにバレていると思うが、ライラはお母さんが私に私産を残したことについて、否定的な考えを持っていないだろうか?
既に恵まれた立場にある貴族令嬢が、平民が切望する中心街の店を所有しながら、その貴重な店を放置しているとなれば、浪費家だと思われても仕方がない。
だあら、最初、商業ギルドの個室に入るとき、ライラが一緒についてくるのに少し迷っていた。でも、私はすでに多くなことを彼女に隠しているので、このままではダメだと思った。
もし彼女を仲間として迎え入れたいなら、私自身がもっと素直にならなければ、いつまで経っても彼女の本音を聞くことはできないだろう。
視線を彷徨わせ、躊躇いがちに、私は彼女に問いかける。
「ライラは、何か、わたしに話したいことはある?」
ライラは私の言葉に首をかしげて、何の話でしょうかと言いたげの目で向けられ、口を開く。
「傲慢な貴族令嬢の装いは、随分とお上手だと思いました」
「えっ!ああ、うっ……ち、違うの、あれは……えっと……うん、ありがとう」
自分でも驚くほど顔が熱くなるのを感じた。
もう、ライラのバカ、恥ずかしい事を思い出させないでよ!
食べ終えたサンドイッチの包装紙を道端のゴミ箱に捨て、私は再び仮面を着けて、顔の熱さを隠そうとした。
はぁ――
心が少し落ち着きを取り戻したとき、私はそっとライラのマントを掴み、小声で「商業ギルドのことは…」と言いかけた途端、彼女は冷静な声でそれを遮る。
「はい、秘密事項であることは存じています。お嬢様は秘密主義者ですから」
ライラの翡翠色の目が淡々と私を凝視して、その視線が私の心にささり傷をつけるように痛みを感じた。
契約魔術には、『私に不利益をもたらす情報を口外しない』という文言を一括して盛り込んでいる。けれど、その定義は曖昧だ。ライラが私から離れたあと、魔術の効力がどうなるのかは保証できない。
5年後に彼女を解放すると決めた以上、もしそれまでに彼女と本当の仲間の関係に築けないのなら、私の秘密を漏らされるリスクを排除するため、契約期間で予め重要な事について、念を押しておく必要がある。
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