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51 令嬢は救済院を訪問する③
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「ベラ、顔をお上げになってくださいませ。事情はよく分かりました。詳細については、また叔母様にお尋ねしてみます」
「はい、ありがとうございます」
安堵の色がベラの顔に広がり、深々と下げていた頭をようやく上げた。
私はルナの方へ視線を移した。キラキラとした期待に満ちた瞳で見つめられるが、明確な保証を与えることができない。決定権のない私は、淑やかな貴族の仮面をかぶってやり過ごすしかなかった。
ライラにルクレティアの専属メイドに一言掛けた後、私とライラは院長室へ向かった。
そこでは、叔母様の隣に立つ院長は緊張した面持ちで、時折額にある汗をハンカチで拭いながら、必死に何かを説明している。
叔母様は私に気付くと、柔らかな笑みを浮かべて振り向いた。
「フリージア様、もう見学をお済ませになったのかしら? ルクレティアはご一緒ではなくて?」
「ルクレティアはまだ子供たちと遊んでおりますの。わたくし、少し疲れてしまいましたので、叔母様のところへ避難しにまいりましたわ」
冗談めかして言うと、叔母様はくすりと微笑んだ。でもその穏やかな表情はルクレティアのことを話した時、一瞬だけ、瞳の奥に鋭い光が走った気がした。
「まあ、フリージア様。まだ幼いのですから、少しぐらい羽目を外してお遊びになっても宜しくてよ」
「もう、叔母様ったら。わたくしはもう子供ではありませんわ」
「あらまあ、背伸びをしたい年頃なんですね」
今の私は、随分と令嬢の仮面を自然と使いこなせるようになったらしい。
私はカトリーヌの向かいの席に腰を下ろすと、よく教育された院長室の使用人がすぐに静かな動作でテーブルにお茶を並べてくれた。
軽く使用人に礼を言い、湯気の立つカップを手に取り、一口飲みながら、私は院長室の空間を何となく観察する。
カトリーヌはおっとりとした表情で口元を僅かに上げ、私に挨拶を交わした後、再び書類に目を落とした。彼女の手元の資料が少し気になるが、許可なく覗き見るのは無作法のため、私は視線を院長と叔母様へと移した。
カップを持つ手に少し力を込め、唇をそっと噛んで、心の中で慎重に言葉を組み立てながら、口を開く。
「叔母様」
突然の私の声に室内が一瞬の静寂が訪れれ、全員の視線が私に注がれる。
内心の動揺を必死に抑え、私は平然を装って、音を立てないように、ゆっくりとティーカップをテーブルに置いた。作り上げた無邪気な表情を崩さぬまま、叔母様の顔を真っ直ぐに見据える。
「どうなさったの、フリージア様?」
「叔母様、実はわたくし……先ほど居室で、ひとりの女の子を見かけましたの。とても可愛らしい子でしたが、悩んでいる顔で、兄を探しているようでした」
「あら、それは隠れんぼでもしていたのかしら? それにしても、酷い兄ですね。妹が呼んでいるというのに、姿を見せないなんて」
「いいえ、隠れんぼではありません」
首を小さく振り、私は緊張で手袋に縫い付けられた装飾の宝石を握りしめ、叔母様の美しい青い瞳を見つめて、言葉を続けた。
「先生のベラに伺えたところ、あの子の兄はこの救済院にはいないようです。わたくし、それが少し不思議に思いましたわ。孤児となった子供はこの施設で保護されると学びましたのに、どうしてあの兄妹は一緒ではないのでしょうか?」
叔母様の目に驚きの色が浮かび、優雅な仕草で手を口元に当てた。
「まあ、それは奇妙な話ですね。グリーン男爵は何かご存知かしら?」
突然振られた男爵は肩を跳ね上がり、慌てて頭を下げる。
「いえいえ、申し訳ありませんが。そのような話は初耳です。ですが、その女の子の詳細を教えていただければ、調査を指示いたします」
叔母様は目を細めながら再び私に向き直る。
「どうかしら、フリージア様。何か詳しいことをご存知?」
救済院の子供たちの数はそれほど多くないはずなのに、院長であるグリーン男爵が一カ月前に来た子供について知らないというのは、少し腑に落ちない。
疑問を抱きつつも、私が直接男爵に話しかけるのははしたないとされているため、ベラから聞いた話を叔母様に伝えた。
彼女は耳を傾け、一度眉を顰めたが、すぐに表情を和らげ、途中で私に向けた視線がどこか呆れ混じりに変わり、苦笑が零れる。
「そう、あの子は障害者なのですね」
その一言は淡々としており、感情の読めない冷たい響きを持っていた。
心にざわめきを感じながら話を終えた私が叔母様の決断を待つと、彼女は口角を優雅に持ち上げ、まるで幼い子供を慈しむような甘い視線を向けた。
「フリージア様、どうやら貴女にはまだ学ぶべきことが多いようですね。お屋敷に戻ったら、家庭教師のサグラス子爵夫人に救済院の仕組みについて改めて教え直していただきましょう」
「え?」
予想外の言葉に驚き、思わず口を開けたまま固まってしまった。
そんな私を見た叔母様の眉がわずかに上がるのに気づき、慌てて取り繕おうと、手を頬に当てて、首をやや傾げて見せる。
「失礼ですが、叔母様、それはどういう意味でしょうか?」
叔母様は笑みを深め、説明を続ける。
「この救済院は貴族が経営しています。ここは不運な孤児たちに居場所を与え、教育を施し、将来的に領地の役に立つ人材を育てています。見込みのない子供を置いて何になるというのかしら?それに、慈善事業に参加している貴族たちが救済院に対する評判を損なうような事態は避けなくてはならないでしょう?」
その解釈に、私にはよく理解できなかった。
まだ十歳の子供を『見込みのない』と決めつけるのは、あまりにも早すぎるのではないの?教育を受けた貴族の方々であれば、咎人の迷信に囚われるようなことはないはずなのに。
「すみませんが、やはり、お言葉の意味がよく分かりません。確かに一部の人は、障害者を災いをもたらす存在だと勘違いしていますが、それはもう間違いだと証明されて……」
「それでもよ」
叔母様は冷静且つ理知的な声で私の反論を途中で遮った。
「この救済院は貴族のために設置された場所なのです。貴族の支援がなければ運営は成り立ちませんわ。たった一人の障害者の子供のために、他の子供たちの生活水準に影響を与えるわけにはいかないでしょう?それを理解して」
一人の犠牲と多くの人の幸福。選ぶべきは多数の幸福なのかもしれない。でも、本当にそれでいいのでしょうか?
ルナが輝くような純粋な瞳で私を見つめ、『ニニといっしょにしたい』と話していたあの瞬間が脳裏に浮かぶ。
私は家族と一緒にいられないが、せめて彼女の小さな願いくらいは、叶えで上げたい。
「はい、ありがとうございます」
安堵の色がベラの顔に広がり、深々と下げていた頭をようやく上げた。
私はルナの方へ視線を移した。キラキラとした期待に満ちた瞳で見つめられるが、明確な保証を与えることができない。決定権のない私は、淑やかな貴族の仮面をかぶってやり過ごすしかなかった。
ライラにルクレティアの専属メイドに一言掛けた後、私とライラは院長室へ向かった。
そこでは、叔母様の隣に立つ院長は緊張した面持ちで、時折額にある汗をハンカチで拭いながら、必死に何かを説明している。
叔母様は私に気付くと、柔らかな笑みを浮かべて振り向いた。
「フリージア様、もう見学をお済ませになったのかしら? ルクレティアはご一緒ではなくて?」
「ルクレティアはまだ子供たちと遊んでおりますの。わたくし、少し疲れてしまいましたので、叔母様のところへ避難しにまいりましたわ」
冗談めかして言うと、叔母様はくすりと微笑んだ。でもその穏やかな表情はルクレティアのことを話した時、一瞬だけ、瞳の奥に鋭い光が走った気がした。
「まあ、フリージア様。まだ幼いのですから、少しぐらい羽目を外してお遊びになっても宜しくてよ」
「もう、叔母様ったら。わたくしはもう子供ではありませんわ」
「あらまあ、背伸びをしたい年頃なんですね」
今の私は、随分と令嬢の仮面を自然と使いこなせるようになったらしい。
私はカトリーヌの向かいの席に腰を下ろすと、よく教育された院長室の使用人がすぐに静かな動作でテーブルにお茶を並べてくれた。
軽く使用人に礼を言い、湯気の立つカップを手に取り、一口飲みながら、私は院長室の空間を何となく観察する。
カトリーヌはおっとりとした表情で口元を僅かに上げ、私に挨拶を交わした後、再び書類に目を落とした。彼女の手元の資料が少し気になるが、許可なく覗き見るのは無作法のため、私は視線を院長と叔母様へと移した。
カップを持つ手に少し力を込め、唇をそっと噛んで、心の中で慎重に言葉を組み立てながら、口を開く。
「叔母様」
突然の私の声に室内が一瞬の静寂が訪れれ、全員の視線が私に注がれる。
内心の動揺を必死に抑え、私は平然を装って、音を立てないように、ゆっくりとティーカップをテーブルに置いた。作り上げた無邪気な表情を崩さぬまま、叔母様の顔を真っ直ぐに見据える。
「どうなさったの、フリージア様?」
「叔母様、実はわたくし……先ほど居室で、ひとりの女の子を見かけましたの。とても可愛らしい子でしたが、悩んでいる顔で、兄を探しているようでした」
「あら、それは隠れんぼでもしていたのかしら? それにしても、酷い兄ですね。妹が呼んでいるというのに、姿を見せないなんて」
「いいえ、隠れんぼではありません」
首を小さく振り、私は緊張で手袋に縫い付けられた装飾の宝石を握りしめ、叔母様の美しい青い瞳を見つめて、言葉を続けた。
「先生のベラに伺えたところ、あの子の兄はこの救済院にはいないようです。わたくし、それが少し不思議に思いましたわ。孤児となった子供はこの施設で保護されると学びましたのに、どうしてあの兄妹は一緒ではないのでしょうか?」
叔母様の目に驚きの色が浮かび、優雅な仕草で手を口元に当てた。
「まあ、それは奇妙な話ですね。グリーン男爵は何かご存知かしら?」
突然振られた男爵は肩を跳ね上がり、慌てて頭を下げる。
「いえいえ、申し訳ありませんが。そのような話は初耳です。ですが、その女の子の詳細を教えていただければ、調査を指示いたします」
叔母様は目を細めながら再び私に向き直る。
「どうかしら、フリージア様。何か詳しいことをご存知?」
救済院の子供たちの数はそれほど多くないはずなのに、院長であるグリーン男爵が一カ月前に来た子供について知らないというのは、少し腑に落ちない。
疑問を抱きつつも、私が直接男爵に話しかけるのははしたないとされているため、ベラから聞いた話を叔母様に伝えた。
彼女は耳を傾け、一度眉を顰めたが、すぐに表情を和らげ、途中で私に向けた視線がどこか呆れ混じりに変わり、苦笑が零れる。
「そう、あの子は障害者なのですね」
その一言は淡々としており、感情の読めない冷たい響きを持っていた。
心にざわめきを感じながら話を終えた私が叔母様の決断を待つと、彼女は口角を優雅に持ち上げ、まるで幼い子供を慈しむような甘い視線を向けた。
「フリージア様、どうやら貴女にはまだ学ぶべきことが多いようですね。お屋敷に戻ったら、家庭教師のサグラス子爵夫人に救済院の仕組みについて改めて教え直していただきましょう」
「え?」
予想外の言葉に驚き、思わず口を開けたまま固まってしまった。
そんな私を見た叔母様の眉がわずかに上がるのに気づき、慌てて取り繕おうと、手を頬に当てて、首をやや傾げて見せる。
「失礼ですが、叔母様、それはどういう意味でしょうか?」
叔母様は笑みを深め、説明を続ける。
「この救済院は貴族が経営しています。ここは不運な孤児たちに居場所を与え、教育を施し、将来的に領地の役に立つ人材を育てています。見込みのない子供を置いて何になるというのかしら?それに、慈善事業に参加している貴族たちが救済院に対する評判を損なうような事態は避けなくてはならないでしょう?」
その解釈に、私にはよく理解できなかった。
まだ十歳の子供を『見込みのない』と決めつけるのは、あまりにも早すぎるのではないの?教育を受けた貴族の方々であれば、咎人の迷信に囚われるようなことはないはずなのに。
「すみませんが、やはり、お言葉の意味がよく分かりません。確かに一部の人は、障害者を災いをもたらす存在だと勘違いしていますが、それはもう間違いだと証明されて……」
「それでもよ」
叔母様は冷静且つ理知的な声で私の反論を途中で遮った。
「この救済院は貴族のために設置された場所なのです。貴族の支援がなければ運営は成り立ちませんわ。たった一人の障害者の子供のために、他の子供たちの生活水準に影響を与えるわけにはいかないでしょう?それを理解して」
一人の犠牲と多くの人の幸福。選ぶべきは多数の幸福なのかもしれない。でも、本当にそれでいいのでしょうか?
ルナが輝くような純粋な瞳で私を見つめ、『ニニといっしょにしたい』と話していたあの瞬間が脳裏に浮かぶ。
私は家族と一緒にいられないが、せめて彼女の小さな願いくらいは、叶えで上げたい。
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