アスタリスクを五線譜に*

kisaragi

文字の大きさ
上 下
29 / 32
第二楽章 虹色オクターヴ

閑話休題 真夏の協奏曲

しおりを挟む
 なんと。あの蓮華 響一がぶっ倒れた。

 それは海にとって少し衝撃的な出来事だった。
 セレスタンが発見して連れ帰ったらしい。

 それでもこんなことは始めてだ。
 部活は一時騒然としたが直ぐに新たな指導者まで来てしまい。てんやわんやだ。

 部員は騒然としている。

 事情を聞こうにも合奏するから準備しろと。
 そんな話を無視しようとした時、腕を新しいパーカスの指導者に掴まれた。

「……何」
「まーまー、落ち着いて。セレスタン君が戻って来おったら聞いたらええやん。今は、な? 合奏やろ?」

 失礼だが……その人はザ・ジャズ系サークルのドラマーと言えば、の代名詞。
 金髪、ロン毛、チャラい、ふくよか、乗りが軽いを全てコンプリートしている。
 海は逆に背丈、体格はいいが地味眼鏡、コミュニケーション不足。
 そういったパーカスは必ず見下して来るので内心で舌打ちする。

「何処の誰か知らねぇけど、蓮華先輩抜いて合奏?」
「かーいーくーんー!!」

 海は柚姫に膝カックンを食らった。

「おいっ」
「口調!! 歳上には敬語を使いなさい! それに、その人は新しいパーカスの指導担当の八木橋先生だよ!」
「あらー。また別嬪さんやん。ちっこいけど」
「ちっこい、は余計ですよ。一年クラ、篠宮です」

 流石の柚姫は軽く踏まれた地雷も軽くあしらい返す。綺麗な見せかけの笑顔でお辞儀した。

「聞いとるよ~。柚姫ちゃん」
「へぇ。先生も名前で呼ぶ派?」
「いやね、セレスタン君が全員の名前と特徴を列挙してメッセで送って着たのよ。そりゃもう凄い量で」

 と、部員の名前を呼び始める。
 海は無視してドラムの調整に入った。

「……すみません、愛想が無くて」
「ええよ。そういう尖った子ほど上手やから」


 当然、響一を抜いた合奏はカツの入っていないカツ丼だった。
 何度か繰り返しはしたが結局、根気負けしてパート練習になる。

 パーカスのパートはメインドラムの海を中心にアシストの偲、他打楽器と細々した効果楽器で編成されている。

 主に自由曲の冒頭、効果楽器と打楽器のパートを練習する場合が多い。
 最近は文化祭用にあのThe Galaxy Express 999そしてEl Cumbancheroの吹奏楽アレンジも練習しているがこれもまた金管楽器がメインで最近は金管は軒並み巧い連中が元々多かったせいもあり伸びが凄い。
 ソロは当然のように蓮華先輩で巧い。

 コンクールの自由曲は一応海はドラムではあるがアシストの偲のサブドラムもいるのでこの曲はそこまで忙しくない。

 時々、打楽器のパートの指導をしたり練習に付き合ったりしていた。

 打楽器には色々あるがメインとなるのが木琴、鉄琴系の楽器だ。
 マリンバ、ベルリラ等々類似属が多いのが特徴でまた経験者の多くは何かしらの楽器と兼用している。

 実は打楽器パートはパート練習が地味に大変なパートの一つだ。教室は決まって旧体育館。
 特別にこの時期だけ貸せと海が生徒会長と交渉した結果だ。
 今年は和道系のスポーツ以外は成績が微妙だったので特別に許可が下りた。

 重い楽器は基本的にメインの音楽室に起きっぱなしだが運べる楽器は移動しなければならない。
 最近はセレスタンもそんな引っ越しみたいな移動を良く手伝ってくれていた。

 今日もそんな感じだろうと思っていた矢先。
 そんな時、廊下の水道で一人の女子生徒が苦しそうに立っていた。

 蛇口から流れる水の音が響く。

 マリンバ担当の一年生の朱鷺だ。
 中学から筋金入りの経験者で最近は良く先輩に色々と教えている。関係は真逆だが良くやっている後輩だ。

 水の流れる音が激しい。

 手元が痙攣している。

 海は顔をしかめた。

 こういうのって、一人出ると連鎖するんだよな。

 響一は驚く事に学校も授業も部活もほぼ皆勤だ。
 ただ最近はあの銀髪ツインテールに振り回され欠席がちらほらしていたが海はいい傾向だと思っている。

 そもそも響一は真面目で堅すぎる。
 少し力を抜くべきだと思っていた矢先だ。

「大丈夫か?」
「九条寺先輩……」
「吐き気は?」
「……少し」

 様子を見て海はポケットからハンカチを取り出し蛇口から出る水に濡らす。それを絞って朱鷺に渡した。

 彼女は少し驚いた表情で海を見上げる。

「あー、ダイジョブ。昨日洗濯したヤツだよ。原因は?」

 彼女は少し呻き海のハンカチを口に当てる。

「分かってます……けど」
「じゃあ、帰れ」

「……え? でも、パート練習が……」
「二年のマリンバにやらせる。コンクールメンバーじゃねぇけど、少しは出来るんだろ?」

 朱鷺は頷いた。

 この感じを見るに海には原因が分かった。
 柚姫も時々こうなる。
 これは風邪どうこうではない。迅速に帰って貰った方がいい。

「でも……大丈夫です……」
「……分からねぇかな。いられる方が迷惑だ」
「え……」
「良いから、帰んな。重いんだろ? 明日休むなら大城に伝えてくれりゃいい」

 その大城が二年生のマリンバになる。
 コンクールメンバーではないが最近はマネージャーのように何故か打楽器パートにいる。

「でも……」
「あー! 言い触らさねぇ、言いません。帰りなさい」
「……ありがとう、ございます」
「ヘーイ。センコーには伝えといてやるよ」

 海は携帯で大城を呼び出しながら片手を振った。

 旧体育館。

 海が戻ると準備は大方終了していた。

「あ、お帰りなさい!」

 寄ってくるのは偲だ。
 当初と比べれば随分と海に懐いている。

「おう、悪い。メンバーチェンジ」
「はい。聞いています。今、大城先輩が委員会抜けてこっち向かっているそうです」
「げ、被ったか」
「大丈夫そうっす。それより……」

 偲は横目でステージ下のパイプ椅子に八木橋を見た。

「あの人、先輩と超合わなそうですが。大丈夫ですか?」
「ハァ? ガキじゃねぇんだ。適当に合わせろ」
「そうなんですけど……」

「あっれー、ボスのご帰還? 遅かったねぇ」

 と、笑顔で八木橋が寄ってくる。

「先程は失礼しました。二年のメインドラム、パーカスパートリーダー担当の九条寺です。一年の朱鷺が病欠でマリンバが二年の大城に変更になりました。到着にもう少しかかりますので、揃いましたらどうぞ、ご指導宜しくお願い致します!」

 海が大声で頭を下げた。思い出した様に他の面々も『ご指導、宜しくお願い致します!!』と叫ぶ。

 その姿に八木橋は流石にぽかんとした。

「あー、うん。分かったよ~。そんな畏まらんでええて」
「いいえ。ケジメは重要ですから」

 そして海は立ち上がりステージ中央に立つ。

「はい、俺は何て言った」
「えっと……」

 パーカスと打楽器のパート部員はざわめく。

「指導者の指示に従うように。八木橋先生は何て言った」
「とりあえず、始めちゃおっか……」
「始まってねぇじゃん」
「えっと……まだ九条寺先輩と朱鷺が戻って無かったので……」
「そういう時は決めた代役立てて進行しろ言っただろ。俺が居なかったら一茶か三年の五井先輩を呼べ」

『はい!』

「恐怖政治かいな……」

 八木橋はステージ下、パイプ椅子に腰掛けながら呟いた。
 海はバチ棒を持ったままステージを降りる。

「……あの、進行もそちらでしますか?」
「……え」
「セレスタン先生は楽曲指導のみをしています。主な進行は一応俺が担当していますが、八木橋先生が可能でしたらどうぞ」
「え、いや、いやいや、突然は無理やわ。分かった。僕もセレスタン君流にやるよ」
「分かりました。お願い致します」

 ピッシリと海は頭を下げた。

「……はぁ。……あのさぁー、言いたかないねんけど」
「じゃあ黙秘して下さい」
「ちゃう、ちゃう! せやない! キミ、元ヤンやろ!! 噂で聞いたで!!」

 ドバーン!!
 と効果音が付きそうな勢いで八木橋は叫ぶ。
 ついに。ついに言った。
 他の部員は顔面蒼白だ。

 空気を読んで今まで誰も言わなかったのに。

「そうですが」

 しかし海はバチ棒を持ったまま腕を組みアッサリ答える。

「そうですが、って、ヤンキーだったんやろ!?」
「中学の話です。それで今誰か困っているんですか?」
「え、えぇえっと、困って、困って、るんやな??」

 八木橋は他の部員に問いかけるが部員たちは考えては見たものの……今まで海がいて困った事などあったっだろうか。

「いや、ないっす」

 代表して偲は答える。

「えっと無いです。むしろ良く仕切ってくれてますね」

 高校からドラムを続けている五井は言った。彼も三年だがメインドラムではない。

「ない……よな? 金管ともちゃんと連携出来てるし」
「うん、ないっすよ。むしろ九条寺先輩のおかげでパーカスはオケ担当が先輩、後輩がめちゃくちゃなのに良くまとまってると思います」
「そうだよな! ってかウチが一番まとまってるだろ。蓮華も仕切るタイプじゃねぇもん」
「ねぇ?」

 ざわめきが大きくなる。

「これ、どう収集するんですか?」
「え!? 僕?」
「貴方が今、この部の指導者でしょう。あ、俺、邪魔ですか。ああ、じゃ、帰りまーす」

『えぇえええ!?!?』

 部員は全員叫ぶ。

「どうなっても俺が元ヤンだった事実は変わりませんので。戻れそうだったら連絡くださーい」

 海はくるりと出口に向かいながら片手をひらひらと振った。

「ちょ、九条寺、部員は別に……」
「五井先輩、後はお願い致します。俺、蓮華先輩の様子を知りたいんだ」
「あ、ああ。蓮華か。住所は?」
「知ってる」
「じゃあ放課後の方がいいぞ。多分、起きてっから」
「了解です」
「だから明日はちゃんと来いよ!! んで、オレにも様子を教えてくれ!」
「あい!」

 海はビシッと敬礼して旧体育館を後にした。

「海君!!」
「柚……」

 旧体育館の外で待って居たのは柚姫だ。

「ご、ごめん!! 確かに私は蓮華先輩が気になるって言ったけど……サボってくれって意味じゃ無くて……」
「ああ。違うって。セレスタンから連絡が着て、ツインテちゃんを見舞いに向かわせたんだと」
「え……アイリスちゃんを?」
「そう。その時、蓮華先輩の家の周辺に変な男が後を付けているのを発見したんだけど……また言い忘れたらしい。セレスタン先生がまた戻った」

「え……!?」

 唐突な話に驚く。

「それで……突然、先生居なくなったのね」
「ああ」
「なら、大丈夫じゃないの……?」

 しばらく海は悩んだ。

 厳密に言うと芳しい状況ではない。
 響一は海が元ヤンだと海が一年の時から知っている。

 それを聞いた響一は海をビビる所か真面目な顔で、喧嘩が強そうだからコツを教えて欲しいと頼んだのだ。
 それがセッションの条件だった時は流石の海もぽかんとした。

 それには理由があったのだ。

「大丈夫……じゃねぇな。柚、後頼む!」
「え、海君!!」

 響一が海が元ヤンだと知っているように。
 海は響一が母子家庭だと知っている。

 それは一年前。
 海と響一が友好関係を深めるきっかけとなった出来事だった。

 何時も通りに人数少ない音楽室でセッションをしていた時に。
 海はこの人なら大丈夫だろう、と自分が元ヤンであることを全て話した。

「北関東暴走族の総長!?」
「元っすよ、元」
「ああ、通りで……」
「通り?」
「喧嘩が強そうだなぁ、って」

 それは予想外の反応だった。

 何度も何度も海のセッションに付き合ってくれていた響一はやはりただの根暗ではなく、ただの優しい芯のある人だったのだ。
 その頃には稔にゾッコンな正樹なんてそっちのけで海は響一を一番慕っていた。

「まあ、弱くはねぇっすよ」
「良かったら、コツを教えてくれないか?」
「……はぁ? 先輩が喧嘩なんてするんすか?」
「ああ」
「……え?」

 思わず偶然居合わせていた朝倉を見るに事情は知っているようで。

「先輩が……誰相手に?」
「元親父」
「……え??」

 確かに海は響一が母子家庭だとは知っていた。
 と、いうことはつまり元親父がいるのだ。
 すると響一は今年は縁がないであろうコンクール曲のCDの一枚を取り出す。

「これが俺の元親父」
「これって……」
「作曲家の加藤祐大」
「そりゃあ……知ってっけど……」
「今だに突っかかって来るんだ。こっちに来い、お前はこんな所で何をやっている。こちらの意見は聞く耳持たず」

 それは何とも壮絶だ。

「柔道の初段は持っているんだが、どうにも喧嘩は苦手で」
「そりゃ、そうでしょ。先輩優しいっすもん」
「一瞬でいい。喧嘩相手の屈服の仕方を教えてくれないか?」
「そりゃ……事情が事情だし……良いっすよ」

 海は自分が元ヤンだとバレてこんな反応をされたのは初めてだったのだ。
 柚姫を除けば。
 響一は紳士に海から喧嘩の方法を学んだ。

 海が響一を尊敬するのはもちろん音楽の面でもあるがそれだけではない。
 響一は元々プロレス観戦が好きで筋もいい。会話の内容も合う。

 あの時、柚姫に問われた人物で響一を選んだのはそういう理由だ。

 響一のマンション近くまで走ると、やはりセレスタンがうろうろしていた。
 彼は金髪で目立つ。

 そして対立するかのような正装の男。

「息子を帰せ」
「……ムスコ? 貴方は響一の新しい父親?」
「……何を言っている。フランスの巨匠だからと言って全てが許されるとでも……」

 瞬間、海は悟る。

 コイツだ。

 この男が響一の元父親なのだ。
 海は素早い判断で伊達眼鏡とネクタイを外した。

 そのまま、その男の首元を狙い飛び蹴りをかます。

「……っ、ぐえっ!?!?」
「え……っ?」
「何、やってんの。逃げるっすよ!!」

 海はセレスタンの腕を掴み走って逃げた。

「ちょっと、何故ニゲル!?」
「馬鹿! このまま警察沙汰になったら全部パーだ!」
「なるほど」

 念のためセレスタンはタクシーを拾った。
 しかし戻るのにセレスタンはわざわざタクシーを使ったのだ。
 ただのチャラい先生かと思っていたがどうやら違うようだ。ちゃんと追跡される可能性を考えていたとは。

「先生はこのまま学校に戻って下さい」
「え? アイツは?」
「急所に一撃食らわしたんで暫くは動けないでしょうけれど念のため少し撒いて貰っていいすか?」
「イイヨ」
「俺は途中で降ろして下さい。もし先生に何か言って来たら正当防衛でゴリ押して下さい」
「ワカッタ。カイは?」
「藤堂だとバレるネクタイと眼鏡は外したんで、まずバレませんし正当防衛でゴリ押します」
「アレ……知ってる。加藤祐大……」
「蓮華先輩の元親父。後は先輩に直接聞いて下さい」
「そう……やっぱり……」
「知ってたんすか?」

 海の問にセレスタンは頷く。

「そう。ずっと文句言っている。審査員」
「……ったく、蓮華先輩が何をしたって……」
「……ダイジョウブ」
「……え?」

 セレスタンは爛々と輝く瞳で海を見つめる。

「セレスタン、響一が大好き。決めた。フランスに連れて行く」
「行く……って」
「セレスタン、一年でここの顧問は辞めるヨ。そういう契約だった」

「はぁあああ!?!?」

「ダイジョウブ。一年で立て直す。全国で優勝する。これが条件」
「……そういうことか……って、でも確か先輩もう進学先決まってますよ。音大の推薦で」
「シッテル。日本の大学、長期休暇長い。その時」
「なるほど」
「カイは……?」
「一応、蓮華先輩には次の部長に任命されています」
「セレスタンもその方がいいと思うよ」
「俺、元ヤンっすよ」
「関係ないよ。音楽には。セレスタン、知ってる。海も頑張ってる。ベンキョウも音楽も」
「……そんなの誰でもそうっすよ」
「でも誰でもミンナが出来る訳ではないよ」

 それは海にとって少し印象深い言葉だった。

「ドウシヨウ、キョウイチの家、戻る? 言う? デモ、人数多いヨ」

 アイリスにセレスタン、そして海まで響一の家に押し掛けるのは確かに迷惑だろう。
 それに響一が倒れた原因が気になる。

「俺、蓮華先輩の事情は大方知ってるんすよ。何があったんすか?」
「……響、キョウイチの母親が再婚した」

 その言葉に海は瞳を見開く。

「……そういうことか……。なら家に押し掛けるのは確かに迷惑ですね。精神的にキツいだろうし。部員に言うのか決めるのも蓮華先輩だ。時期を見て俺が聞いてみます」

 セレスタンも頷いた。

「ソウダヨネ。分かった。そうする。アイリスなら大丈夫……かな」
「え?」
「アイの力だよ!!」
「……あ、俺そこで」

 セレスタンと別れた海はこのまま帰る訳にもいかず。

 このまま部に戻っても決まりが悪い。
 悩んでいると誰かに腕を掴まれ驚く。

 今度は何だ。

「……何で藍沢?」
「ちょっと、話があんの」

 そこに立っていたのは同じ吹奏楽部、二年のスザーフォンの藍沢紫織だ。
 確かに同じ二年だがパートもクラスも違うので会話はほとんどしたことがない。

 場所が思い浮かばなかったので念のため高校から少し離れた公園になった。そこなら藍沢の家から近い。

 夕暮れ時の公園には誰もおらず二人はなんとなくブランコに乗りながら各々飲み物を飲んでいた。

「で、頼みって」

 少し言い難い様子だったが藍沢は思い両手をパンッと叩き言った。

「頼む! 聖を振って欲しいの!」
「頼まれんでも振るけど」

「……え」

 藍沢は飲みかけのミルクティーから口を離し驚いた表情で海を見つめる。
 海は気にせずコーラを飲んだ。

「俺、一年に彼女いるし」
「……え、ああ、あの……水色のクラの子か……仲良いな、と思ったら付き合ってんの?」
「ああ。中学から」

 ガシャコン、とブランコの持ち手が揺れる。

「ちょっと待って、中学からって……アンタ現役じゃん」
「そーだよ。その現役の俺にアイツ告ったの」
「そりゃあ、肝も据わってるか……」
「所で。何で春日を振れと」

 海は別に気にはならないが……海、春日、藍沢、夢野川は実は同じ中学だ。
 当時、海は現役だったのでほとんど行っていないが。

 すると何故か藍沢は言い難くそうにもじもじとミルクティーのキャップを閉めたり弛めたりしていた。

「その……さ、夢野川って聖が好きじゃん?」
「あー、ね。あんな面倒なのの何処が良いんだか」
「それは人それぞれっしょ。じゃ、なくて……さ、私……さ……好きなんだよね」

「……何が」

 最近は色々ありすぎて海はもう分からなくなっていた。
 ここで藍沢が春日が好きだと言われても頷く他ない。

「……夢野川」
「……は」
「だから! 時宗!!」
「はぁああああ!?」
「何でそんなに驚くのよ!!」

 バチコーンと藍沢は海を殴った。

 何故だ。
 訳が分からない。違う意味で海の頭の上には星が回っていた。

「いや、てっきりお前は蓮華先輩が好きなのかと……」
「格好良いとは思うよ。でも憧れかな。私と同じ母子家庭なのに凄いなぁ、ってね」
「じゃあ、何であんな喧嘩腰なんだよ」
「それは……」

 また言い淀み彼女は言った。

「だってさ。誰も、蓮華先輩がトランペットを吹くことに関しては反対しないじゃん。あのソロの件は別として」
「あーね」

 それは海にも少し分かった。
 親も家族も誰も。響一がトランペットを吹くことに関しては反対しない。それだけの才能が彼にはあるのだがそれだけではない。

 それは普通に見えて全く普通ではないのだけれど。

「厄介なことにさ。蓮華先輩はそれを分かってるんだよね」
「だろうな」
「だから……ちょっとは……気にしてくれてもいいのに……って」
「……俺は女の思考回路が分からん。それで何故ムッちーが好きなんだよ」
「だーって! 例えばよ? 部活終わって居残りせず帰ったら、偶然にも蓮華先輩が同じスーパーにいる訳よ。理由も同じ。ちょっとはさ、あるじゃん。何かあるじゃん!!」
「あの頃の蓮華先輩は目が死んでたし、気でも使ったんだろ」
「だとしてもよ! くやしいの!!」
「じゃあ、ムッちーは何」
「それは……」
「もー、面倒だな! 言え!!」

 それでも暫くして藍沢は言った。

「私のスザーフォンが好きだって」

「……それだけ?」
「……スザンヌってアダ名は時宗が付けてくれたの。チューバじゃなくてね、スザーフォンなの。イチコロよ」
「あー、そう」
「しかも。中学の時はあんなに太ってなかった!! むしろイケメンだったの! 別に太ってても好きだけど!!」
「マジで!?」
「原因は聖だよ。惚れちゃって。でも聖はヤンキー辞めた九条寺に惚れちゃって。自棄食いで結果はああ」
「あー、なるほどねぇ」

 全貌が見えて来た。
 何と、藍沢→夢野川→聖→海→柚姫→海という負のスパイラルだ。
 こんなこともあるのか、と海はどこか他人事に驚いた。

「でも安心した。どうあっても九条寺は聖を振るんだ」
「ああ」

 ガシャン、とブランコを揺らし藍沢は立ち上がる。

「私のこと卑怯だって軽蔑する? 普段は友人のフリしてさ」
「いや。ちょっと見直した。夢野川は良いヤツだぜ」

 そんな海の言葉に聖はきょとん、とする。

「蓮華先輩を含め男を見る目は中々」
「……サンキュ」


 柚姫は正直その時後悔していた。

 確かに兄に稔にクラリネット。
 海を放っておいたのも柚姫だ。

 けれど、あの公園であの二人を見てしまった瞬間。

 柚姫の中で何かがプツンと切れた。

 海は驚いた様に立ち上がる。

 ガシャン、とブランコが揺れた。

「柚、待ってたのか?」
「そうだよ」

 鞄を持つ手が震える。

「じゃ、またね」
「おー」
「お疲れ様です!」

 あっさりと去る藍沢に柚姫はペコリと頭を下げる。

 そして海はくるりと柚姫と向き合った、と思ったら突然ネクタイを引っ張られキスをされた。

 そっと離れて彼女は叫ぶ。

「んお!?」
「海君は私の物でもあるんだからね!!」
「おー?」
「……私、あの時の海君の気持ちが分かったよ」
「そうかい」

 海は柚姫の頭をぽんぽんと撫でた。

「家。寄ってく?」

 彼女は真っ赤な顔で頷いた。


 随分、暑くなった。



 それにしても今朝は妙だった。
 どうにも最近は妙な事が続く。

 確かに三者面談は近い。
 しかし期待はしていなかった。

 そんな朝に。

 何故かリビングに行くと親父とお袋がいた。
 柚姫はまだ布団の中だ。

「……何、やってんの? 飯なら昨晩の残りが」
「……、~~、海、お前、大学行くのか」
「ああ」

 またその話か……と海は頷く。
 海の両親は海がヤンキーを辞めた事について確かな反対はしていない。

 一度、決めたらな貫き通せ。

 という、また時代錯誤が激しい価値観だが海は有難い、と考えていた。
 珍しくお袋もいるので海は久々に朝食の準備をする。

「それは……柚姫ちゃんの為か?」
「あー? それも大きいけど。俺の為だ」

 焼きそばの調理を開始する。
 どうにも親父とお袋の様子が可笑しい。

 しばらくして親父は立ち上がった。

「~!! なら、オレもヤンキー辞める!!」

 そんな親父の宣言に海はひたすらポカンとした。
 海が中学に復帰した時もひたすら義務教育を馬鹿にしていた父だ。

 今更何を言っているんだか。

 食卓には朝食が並ぶ。

「あー……別に良いって。辞めたってニートじゃん」
「うっぐっ……就職先は見つけた……」
「へぇ~?」
「中古車のバイヤー」
「あー……親父、車には詳しかったからなぁ」
「小せぇけど……会社建てる」
「……へ!? 親父……マジでヤンキー辞めんの?」

 彼は力強く頷いた。
 思わず、海はポカンとする。

 目がマジだ。

「いいって。俺に合わせんでも。昔そう言ったじゃん」
「違う。そーじゃねぇ!! お前なんてどうせ族を抜けても直ぐ戻って来ると思ってた。お前は所詮、俺の息子だ。そう思ってた!!」

 海は大人しく頬杖を付いて父親の話を聞いた。

 最近、様子が変だとは思ったがこいうことか。
 髪型まで変えて。

 けれど、お袋はまだそこまで順応してなさそうだ。
 海は内心で溜め息を吐いた。
 良いのだけれど。せめてどっちか意見は統一してくれ。

「けど大学まで……行けるなんて思ってるのか?」

 親父の声は震えている。

「やらなきゃ行けるもんも行けねぇよ」
「……それで今のオレはお前以下だ。そんなんでいい訳がねぇ!! 絶対に行け! 柚ちゃんの為にも!」
「お、おー」

 親父の手の中にはくしゃくしゃになっている海の模試の結果が握られていた。

 そんな光景を風呂上がりの柚姫は呆然と眺めている。

「海君……部活忙しかったのに、模試受けたの?」
「おー!」

 海はピースで答えた。

「……そっか」
「因みに、志望校A判定」

『マジでーーーー!!!!』

 と、九条寺一家の絶叫がご近所に響いた……らしい。

しおりを挟む

処理中です...