輪廻血戦 Golden Blood

kisaragi

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第七章 Lunar Eclipse

第二接触 月が地球の本影に完全に入った瞬間

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 ごーん、ごーん、と午前10時を告げる鐘が鳴る。
 二杯目の紅茶を飲み干し、愁一は立ち上がろうとした。

「時に、最後にこちらから仕事を依頼して良いかしら?」
「……え?」

 それは予期せぬ申し出だった。しかし、数分考えて愁一は頷いた。

「良いですよ。特に迫った予定はないですし」
「そう。良かったわ。完結に言うと、この時計を守って欲しいの」
「……え?」

 愁一は鐘を鳴らしている時計を見上げた。それはこのビルのシンボルのようなもので、古い鐘が寄贈された、という話ぐらいしか愁一は知らない。

「この鐘を盗みたいって変わった人がいるのよ」
「それはまた変わった人がいますね。こんな大きい鐘を置く場所があるなんて石油王でしょうか?」

 愁一の冗談にマザーは苦笑して一枚の洋書を取り出した。二つに折られた手紙、ではなく、まるで映画にでも出そうな予告状だ。

「『冥界の鐘、日暮れの後、頂戴しに参ります。gray cat』グレーキャット? 聞いたことないですけど」

 全て英語なのでニュアンス的な訳だが、灰猫と灰色の猫をかけているのだろうか。それともgrateともかかっているのか。どちらにしても聞かない名だった。

「石油王。それはある意味、ビンゴよ。どうせ金持ちでなきゃあんな鐘、持ってたって意味ないものね。この辺をうろついている自称怪盗らしいわ。おかしいことに世間じゃ有名ね」
「すみません、どうにも流行りに疎くて」

 愁一は頭を掻いてもう一度席に座る。

「何か飲む? 色々あるわよ」
「お茶はもうお腹が膨れそうなので水で」
「ええ。結構よ。そうだ。チョコレートもあるのだけど」

 マザーは手元の鐘をちりんと鳴らす。
 愁一は煎餅と緑茶がのみたいなぁ、とぼんやり思ったが、マザーは甘いものが好きなのだ。

「フレデリックでは駄目なのですか?」
「あら、あら。彼は門番だもの。素直に、ここに襲撃すればそれは射殺するでしょうね。けれど、皮肉にも人気の怪盗を即射殺なんてしたらどうなるか分かるでしょう?」

 愁一は頷く。
 鐘は植物園の北側に位置し、推定、時計塔だけでも小振りのビックベンほどの大きさがある。文字盤が漆黒で、数字や周囲の装飾が黄金の時計塔だ。その下に大きな鐘がある。
 見上げて愁一は呟いた。

「盗む……あれを?」
「そう。今まで、結構変な物を盗んでいるから、可能なのでしょう」
「日本のアニメに出て来そうですね」
「そうね。でも女泥棒らしいわ。詳しい探偵事務所の社員が今日、午後に来ることになっているの。会ってもらって良いかしら」
「午後。分かりました」
「場所はここを貸すわ。私はもう疲れてしまったから、後は全て貴方に一任するわ。他の社員にも伝えてあるから、好きに使って頂戴」
「……え、俺ですか?」
「そうよ。うるさい団体がこぞって来て対応する方が疲れるわ。その探偵事務所はその泥棒からの防衛歴が一番長いし、問題ないでしょう」
「それは、お疲れ様です」

 愁一は頭を下げる。つまり、現場監督は一任された、という訳だ。愁一も好きに動けた方が気楽でいい。

 今度はマザーが席を立つ。

「怪盗に探偵。そしてサムライ。日本のアニメの様でしょ」
「ガンマンと暗殺者がいれば完璧ですね」

 愁一はマザーに手を振った。
 外見的歳を考えても普通では考えられないぐらい、マザーは働き過ぎだ。しかもほとんど表には出ず、書類審査や作成、許可更新等の裏方の仕事である。

 しかし、今日は一体、何杯紅茶を飲むことになるやら。
 昼もここで済ますことになりそうだ。
 色々あるにはあるが、やはり食事においては日本に勝る国は少ない。チョイスが出来る、という意味でだ。軽く、お茶漬けで。あっさり、鍋で。魚の塩焼きで。なんていう、微妙にあっさり、さっぱりした食べ物となるとサラダか酢漬けぐらいだ。
 味は言うほど変ではないし、朝ご飯は美味しいが、三食がもれなく日本人の胃には重すぎる。
 困った時は最悪、トマトに塩をかけて丸かじりでしのぐ時もある。

 社用の電話のベルが鳴り、出ると相手はフレデリックだった。

『すまんな、マザーからの伝言だ。来客は二時に来るそうだ。それまで好きに過ごしていい。下のスタッフルームで仮眠をしてもかまわない。因みに、昼のリクエストはあるか?』
「思い付きもしないから任せるよ。後、どうせ来客対応でまた紅茶だから昼は紅茶以外ね」

 聞こえた訳ではないが、フレデリックが苦笑する気配がした。

『了解した』

 また、古い電話の通話が切れたので愁一はチン、と受話器を戻す。

 どうせ、トイレに行きたくなるだろうから、下のスタッフルームにいる方が懸命だ。

 愁一は伸びをして立った。

 下の階は一面、ホテルのようなゲストルームとスタッフルームになっている。
 長い廊下にずらずらと扉が並び、愁一専用のスタッフルームも一つ用意されている。
 ピンバッチがカードキーのようなもので、装着した状態で扉の前に立てばロックが解除される。
 このビルの侵入方法として、このピンバッチの複製、盗難があげられるがまず、無理だろう。
 再発行は二度としない。万一、紛失した場合、紛失したピンバッチの権限は即座に破棄され、厳重な本人確認の上、新たなコードでの再発行になる。つまり、新入社員研修の多くの場合はこのピンバッチを管理すること、になるのだ。
 窓は日本製の防弾ガラス五重の厚さ。古い建物に見えるが普通の銃、爆薬で陥落することはまず、ない。
 非常時の避難場所として一部が解放されているぐらいだ。
 各国の、主にマザーの匙加減で日本製の対防衛施設の叡知の結晶と言っていい。当然、巨額の費用が動いた訳だが。

 侵入するだけでも面倒なのに、更には盗難。
 空の上からなら可能かもしれない。命の可能性は保証しないが。

 愁一はスタッフルームのベッドの上で考えうる侵入方法を検証し、必要になりそうな人材のリストを作った。

 簡単には殺せない相手だ。

 対空に備えるとなると、一ノ宮月臣に頼んだ方がいいかもしれない。
 彼は夜目も利く。
 勝手なイメージだが、怪盗というのは夜にやって来るのは何故なのか。予告状の時間も夜だ。
 とはいえ、ロンドンでは日本時間の日没でも明るい時がある。それを想定してか中々遅い時間だった。

 ざっとリストを作って、後は愁一は時間まで昼寝をすることにした。


 どうせ、昼に一度、あの鐘が鳴るのだ。

 スーツをハンガーに掛け、ネクタイを緩め外して一緒に掛ける。ピンバッチはシャツの襟に留めた。
 刀はベッドの脇に置き、そのまま、ベッドに潜って静かに寝た。


 ごーん、ごーん、と鐘が鳴った。
 張りのあるシーツからもぞりと動いて愁一は起き上がる。

 寝起きの良さだけは良くて本当に良かった、と思ったことだ。

 数分、ボーッとして愁一はスタッフルームで昼食を食べた。
 ベーコンエッグにクロワッサン。サラダ、オニオンスープにオレンジジュース。
 朝がサンドイッチと重めだったから、軽い物を選んでくれたのだろう。
 来客時の謁見でも紅茶と軽食が出されるのでこれで充分だ。

 ゆっくり、咀嚼して食べて愁一は洗面器に持参した携帯歯磨きで歯を磨いた。

 鏡で身なりをチャックする。

 段々、行動が歳と掛け離れて来ているのが最近の目下の悩みだ。


 面会する相手は時間きっかりに屋上庭園に現れた。
 愁一はマザーが座っていた席でのんびりとこのビルへの侵入方法を考えていた。
 相手の立場に立って考える方が楽しいし、より緻密な防衛が出来るだろう。

 チン、とエレベーターの音が申し訳程度に鳴ったのは時間きっかりだった。
 扉が開くと、思ったよりも若い赤毛の英国紳士が少し焦った様子で立っていた。

 彼が探偵事務所の助手という、英国らしい職業の青年、ユリウス・クリストフォンスだ。

「どうぞ」
「ユリウス・クリストフォンスです。二時にこちらに、との約束で」
「ええ、間違いないですよ。ここの現場を一任されている獅道愁一です」

 愁一は一応、英語で会話をした。こちらを見て、驚いた様子の青年を安心させるためだ。
 青年は綺麗な姿勢で歩き、丁寧な謝罪をした。

「はい。聞いています。本当は十分前に到着する予定でした。……まさか、いえ、遅れて申し訳ありませんでした」

 青年の言いたいことは分かる。
 まさかこんな高い所で、あんな面倒な本人確認があるとは思わなかったのだろう。
 愁一は微笑んだ。

「大丈夫です。時間きっかりだし。急いでませんから。どうぞ、掛けてください」
「失礼します」

 青年はぺこりとお辞儀をしたので、愁一は少し驚く。

「はい。どうぞ」
「……あの、日本人の友人がいるので英語でなくても結構ですよ」
「あれ、珍しい。イントネーションもちゃんとしてる」

 ユリウスは日本語が話せるらしい。

「はい。ここに来る時に教わりました」
「そうなんだ。簡単な書類ならこっちに来てるんだ。そっちに送ったようにね。同い年だよね?」
「はい。そうです。思ったより大人っぽい方で少し驚きました。日本人は若く見えますが、若いと言うよりは美人な方ですね」
「あははは。俺は君の方が若く見えたよ。ユリウスさん」
「どうぞ、ユーリーとお呼び下さい。大抵そう呼ばれます。獅道さん」
「そう。じゃあ、愁一でいいよ」

 ユリウスは頷いた。綺麗な、燃えるような炎をイメージさせる濃い赤毛は丁寧に短く整えられ、瞳は深いフォレストグリーン。会話のように少し童顔だが非常に賢そうな瞳で表情の変化も激しい人ではない。月臣と少し似ているが、彼は魔王と呼ばれるだけあって童顔だが人を圧倒するオーラがある。
 彼は逆にそれこそ森のような静けさに満ちていた。
 視線から察するに、おそらく向こうも愁一を観察しているのだろう。

 本日、何杯目かの紅茶が運ばれる。

「さて、仕事の話をしようか」

 愁一は白いテーブルの上で腕を組んで微笑んだ。
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