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黒猫丸
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午後の授業は、SNS倫理学だけだった。あとは各々、好きなように過ごしても良いらしい。
好きなようにと言われても、ノウノはべつにやりたいことはない。
学園のなかを、ぶらぶらとさまよい歩くことにした。ぶらぶら歩くといっても、校舎の中ではない。外である。校舎のなかは複雑怪奇をきわめており、考えもなくぶらぶらなどしていると、どこへ行ってしまうか、わかったものではない。
そういうわけで、庭園あたりを無為に歩き回っていた。動物の形にそろえられた木々のある庭園。すこし歩くと、VDOOLのバトルに使われる廃墟エリアがある。エリアはほかに2つあった。1つは、洞窟のなか。1つは、森になっているようだ。
森のほうは、学園の入り口になっており、ノウノもはじめて学園に来たさいに通った場所だった。ほかのVDOOLはその各地のエリアでバトルに耽っており、あちこちにバトルの映像が投影されたディスプレイが浮かび上がっていた。
ノウノは無為に歩き回っていたわけだが、本当にまったく何も考えていなかったわけではない。バトルをしてくれる相手がいないかなぁ……とか……なんかバズり散らかしそうなものはないかなぁ……ぐらいのことは考えていた。
クリナはというと、そんなノウノのあとを、まるでご主人さまを追いかけるみたく付いて歩いてきた。
クリナはバトルを嫌煙しており、ノウノのそばが絶対安全だと考えているようだった。
実際、ちょっとバトルしてフォロワー増やしたいわぁ、みたいな顔した連中が、クリナに寄ってくるのだが、ノウノのことを見かけると、うわぁ、厄介なヤツが付いてるわ、やめとこ、やめとこ……みたいな顔で去って行くのである。
「見つけたぞ」
と、エダが言った。
エダはずっとノウノの右肩に座って、ディスプレイをいじっていた。ディスプレイにはキーボードを表示させることが出来るようになっており、エダは3本しかない指で器用に、タイピングしていた。
「『黒猫丸』?」
「うむ。アドレスを突き止めた。どうやら、学園にいるようじゃな」
「え。学園にいるの?」
「学園のバトルを撮影しておるわけじゃから、本人は近くに潜伏していたんじゃろう。近くどころか、学園の中にいるようじゃ。ルートを表示させるから、それに従って進めば、『黒猫丸』に行きつくはずじゃ」
「さすが、エダね」
「ふんっ。この程度の暗号化も突破できぬとはな。ロジカルンの技術力も、たかがしれておるわ」
と、ノウノの肩で、エダは威張っていた。
冗談のような口調であるが、エダのその言葉は決して虚勢ではないことを、ノウノは知っている。
やっぱり、凄い技術をエダは持っているのだ。
「クリナはどうする? 私はこれからエダといっしょに『黒猫丸』をとっちめに行くけど」
「それじゃあ、私もご一緒します。一人でいると、すぐに絡まれてしまうので」
「さすがに、部屋に戻っていれば大丈夫なんじゃない? 部屋まで送って行くけど」
「いえ。私、道案内ぐらいはできますから、ノウノさんの役に立ってみせますから」
と、クリナは訴えかけるように言った。
どうやらクリナは、ノウノの傍から片時でも離れるつもりはない様子だった。『黒猫丸』の素性がわからないうえに、不慣れな学園であるゆえ、仲間は多いほうが良い。クリナにも一緒に来てもらうことになった。
ノウノの目の前には、青白くて半透明なディスプレイが表示されている。これが、端末、と呼ばれているものだ。
昔は、端末、というと、何かしら、現物があったのだそうだ。たとえば古代では、PCやら、スマートフォンやら、タブレットなんか呼ばれていた代物である。今では、物体がなくなり、ただのディスプレイだけになっている。
機能さえ果たせば、不便はべつにない。むしろ、なくしたりしないから、便利である。
ディスプレイには、学園内のマップが表示されている。エダが、『黒猫丸』の居場所の表示と、そこに至るまでのルートをハイライトしてくれているのだが、いかんせん、マップが複雑でわかりにくい。
「まるでダンジョンみたいな学園ね。地図を見てるだけで頭が痛くなってきそう」
「おそらく『黒猫丸』がいるのは、これは旧棟のほうですね。私が案内します」
と、クリナが言ってくれたので、ディスプレイは閉じておいた。
「クリナは、この学園の地図を全部覚えてるの?」
「いえ。最低限しか覚えていませんよ。抜け穴とか、隠し道とかあるみたいですし、それに、ときおり、造りが変わったりもしますから」
「造りが変わる?」
「誰かがコードを書き換えたりするのだと思います。新しい部屋を作ったり、近道を作ったりして」
「あーね」
学園の玄関ホールの3階へ行く。蛇のノブとなっている、木造扉をいくつか抜けると、尖頭アーチ状の窓がつづく、渡り廊下があった。
3階から学園の庭園を見下ろすことが出来た。
渡り廊下を抜けると、急に、薄暗い部屋に入った。ディスプレイを開ける。その明かりが、照明になった。
「暗いのね」
「旧棟はいまは使われていませんから」
「不気味ね」
石造りの通路。壁には、人物画らしきものがかけられている。誰の絵なのか知らないが、女性が不気味に微笑んでいた。
よくよく見ると、部屋の隅々には、蜘蛛の巣らしきものが張られている。人工知能を搭載した蜘蛛が棲みついているのかもしれない。
「この通路を、まっすぐ進んで、折り返し階段を上がったところにある部屋に、『黒猫丸』がいるみたいですね」
「オッケー」
ノウノが歩みを進めようとすると、「ちょいと待て」と、エダが言った。
「なに?」
「そこにある花瓶を、転がしてみよ」
廊下沿いには、エンドテーブルが置かれてあり、テーブルの上には白磁の花瓶が置かれていた。花瓶には、しおれた花がささっている。エダはその花瓶を指さしていた。
「転がすって、どうやって?」
「ふむ。吾輩がやってみよう」
エダはノウノの右肩に腰かけていたのだが、エンドテーブルのほうへと跳び移った。エダのカラダと同じぐらいの花瓶を抱えて、床へと跳び下りていた。
エダはやはり身体を動かすのが辛そうだった。
抱えていた花瓶を、ゴロゴロと転がしていた。すると、壁際から、どこからともなくレーザーが射出されて、花瓶を砕いていた。バリン。陶器の割れる音が、薄暗い廊下にやけに大きくひびいた。
「うわっ、なにこれ」
砕けた花瓶の破片の一部が、ノウノの足元に散っていた。
「この通路、トラップが仕込まれておる。侵入者を攻撃するように、コードが組まれておる」
「へぇ。よく気づいたね」
あらためて、周囲を確認してみる。だが、どこにトラップがあるのか、ノウノにはわからなかった。
「オヌシらにも、わかるように投影させてやろう」
エダがカメラレンズをいじっていた。すると、カメラレンズから薄い光が発せられた。光に当てられた空間。わけのわからない文字列が現れた。
「なにこれ?」
「このあたりを構築しているコードじゃ」
「見れるの?」
「なにゆえ吾輩が、このような恰好をしていると思うておるか。コードの異変を見つけるためじゃ」
と、エダは自分のカメラレンズをこつこつと小突いていた。
「だから、カメラの姿をしてるの?」
「むろん」
と、エダはうなずいた。
うなずくと、そのレンズから放たれている光の場所が上下する。光の位置に合わせて、コードの見える箇所も変わっていた。
厳密に言うなら、カメラというのはレンズから光を出すものではないように思う。まぁ、そこはアバターであるから、細かいことは良いのだろう。
なぜ、コードの異変を見つけ出す必要があるかというと、それでロジカルンの不正を暴いてやろうという魂胆なんだろう。ものすごい執念である。
「せっかくコードを見せてもらっても、私には、何がなんだか、わかんないなぁ」
プログラミングコードというのはもともと、二進数で計算しているパソコンに指示を送るための言語であった。
やがて用途に合わせて進化変容して、分岐していった。
とはいえ、根本は変わらないと聞いたことがある。定数と変数と関数の連なりである。しかしいかんせん、まるで暗号のように記述されたその数字と記号が、ノウノには理解できない。見てるだけで、頭が痛くなってくる。
「あー、たしかに、侵入者を検知したら、攻撃する関数が組まれていますね」
勉強が得意なようだし、クリナには何が書かれているのか、わかるのだろう。
「誰がトラップを仕込んだの?」
「おそらく、『黒猫丸』じゃろうな。悪いことをしているわけじゃから、いちおう警戒はしておるんじゃろう」
「どうすれば良いの?」
私がコードを書き換えてみます。と、クリナが言った。
「お願い」
クリナがディスプレイを開く。ディスプレイに投影されているキーボードを、かたかたと叩いていた。投影されているコードが書き換えられていく。
「これで大丈夫だと思います。たぶん」
「本当に? またレーザー飛んできたら洒落になんないよ」
今度は、実験できる花瓶もない。
できれば、今のこのアバターは傷つけたくない。
案ずることはない、とエダが言った。
「仮にレーザーが射出されても、オヌシならば、反応してかわせるじゃろうが」
「そうかなぁ」
「ほれ、進んでみよ」
「わかった」
いちおう周囲を警戒しつつ、進むことにした。さきほどレーザーが射出されたあたりを通過しても、レーザーが飛んでくることはなかった。
無事に解除できているのだろう。
「大丈夫そうじゃな」
と、後から、エダとクリナが付いて来た。
エダがあたりを警戒して、異変を見つけたら、クリナが修正してゆき、そして修正が済んだら、ノウノが進む。
それを繰り返して、通路を進んだ。
たいして長い通路ではなかったが、そうやって警戒して進んだために、思ったよりも時間がかかった。
折り返し階段を上がると、扉がひとつだけあった。ほかの本校舎のほうにある木造扉と同じものだ。
ドアノブが蛇になっている。
「扉には、何かトラップは仕掛けられてない?」
「扉は大丈夫そうじゃ」
「『黒猫丸』は、まだ中にいるの?」
「おるはずじゃ」
「セキュリティ会社とかに報告したほうが良くない? 私たちだけで相手にして大丈夫かな」
「なんじゃ、ここまで来てビビっておるのか」
「だって、違法なことしてる相手なんだし」
「たかが違法アップロードじゃろうが。べつにアバターを粉砕したり、クラッキングを仕掛けてくるようなヤツではない。ただの、小賢しいネズミじゃ」
「それはそうだけど」
「オヌシが捕まえたほうが、手柄になるじゃろうが。ちょっと待てよ。『黒猫丸』捕縛の瞬間を、撮影して動画データとして残しておくから。見事、捕まえれば、これをSNSにアップして、フォロワー大量獲得間違いなしじゃ」
「お、おおー。そう言われると、やる気も出てくるわね」
「現金なヤツじゃな」
と、エダは、なかば呆れ気味にそう言っていた。
ノウノでも捕まえられる相手だから、エダはGOサインを出しているのだろう。
女王のフォロワーを上回るという野望が、エダにもあるわけで、そのためにはノウノの存在が必要なはずだ。
ノウノに無理なことをさせようとしているわけではない。それがわかっているから、ノウノは足を前に出した。
蛇の顔をしたドアノブに手をかける。冷え切った金属の温度が、手に伝わってくる。音がしないように心掛けて、軽くひねった。わずかに扉を開けて、部屋のなかの様子をうかがった。
室内――。
石造りの小部屋であった。大量のディスプレイが空中に投影されていた。ディスプレイには、さまざまなVDOOLのバトルが録画されている様子だった。
『黒猫丸』と思わしきアバターの姿はなかった。おもいきって、扉を蹴り開いてみた。衝撃が強かったせいか、わずかにノイズが走った。
室内に足を踏み入れてみる。ブルーライトだけが明滅している部屋。どことなく、エダの部屋を思い出す。はじめてノウノがアバターを授かった部屋――。
ふと、背中に何かが動く気配があった。
「後ろじゃ!」
エダの声が聞こえた。
振り返る。
黒い人影。ノウノにつかみかかってきている。
すぐさま反応できた。ノウノは後ろに身を引いて、その手をかわした。
逆に、つかみかかってきたその手を捻りあげて、床に叩き伏せた。
うつ伏せに倒れたその人物の、背中にノウノは座り込んで、取り押さえた。
ノウノに抑えられた人物は、ぷるぷると震えていた。
笑っているようだった。
「素晴らしい! 素晴らしいよ! まさか今の不意打ちに反応するなんてね!」
「あんたが『黒猫丸』?」
「そう。この俺が『黒猫丸』だ。まさかこの場所を探り当てるとはね」
黒猫丸は興奮気味な口調でそう言った。
うつ伏せに倒れている黒猫丸の顔貌を、ノウノは確かめるために覗き込んだ。猫耳のついた黒いフードをかぶっているが、人の姿のアバターである。
「もしかして、あんたもVDOOL?」
造形が精密なので、ノウノはそう尋ねた。アバターの造形が凝っているということは、企業が付いているのかもしれない、と思ったのだ。
「そうだ。いちおう俺もここの生徒だ」
とのことだ。
「あんたのこと、セキュリティ会社に突き出すわよ」
「まあ、待て待て。俺は君の敵じゃない。ノウノ・キャロット。いや。エルシノア嬢といったほうが正確かな?」
「いや、べつに、私はエルシノア嬢じゃないけど」
「隠さなくても良い。その造形。その性能。間違いなく、あのクロディアスのVDOOL。エルシノア嬢だ。自慢じゃないが俺は、ここでいろんなVDOOLを撮影してきたんだ。アバターを変更しても、俺の目はごまかせないよ」
エルシノア嬢のことが出てきたので、対応に困った。
ノウノは、エダのほうを見た。
少し黒猫丸の話を聞いてみよう、ということになった。
好きなようにと言われても、ノウノはべつにやりたいことはない。
学園のなかを、ぶらぶらとさまよい歩くことにした。ぶらぶら歩くといっても、校舎の中ではない。外である。校舎のなかは複雑怪奇をきわめており、考えもなくぶらぶらなどしていると、どこへ行ってしまうか、わかったものではない。
そういうわけで、庭園あたりを無為に歩き回っていた。動物の形にそろえられた木々のある庭園。すこし歩くと、VDOOLのバトルに使われる廃墟エリアがある。エリアはほかに2つあった。1つは、洞窟のなか。1つは、森になっているようだ。
森のほうは、学園の入り口になっており、ノウノもはじめて学園に来たさいに通った場所だった。ほかのVDOOLはその各地のエリアでバトルに耽っており、あちこちにバトルの映像が投影されたディスプレイが浮かび上がっていた。
ノウノは無為に歩き回っていたわけだが、本当にまったく何も考えていなかったわけではない。バトルをしてくれる相手がいないかなぁ……とか……なんかバズり散らかしそうなものはないかなぁ……ぐらいのことは考えていた。
クリナはというと、そんなノウノのあとを、まるでご主人さまを追いかけるみたく付いて歩いてきた。
クリナはバトルを嫌煙しており、ノウノのそばが絶対安全だと考えているようだった。
実際、ちょっとバトルしてフォロワー増やしたいわぁ、みたいな顔した連中が、クリナに寄ってくるのだが、ノウノのことを見かけると、うわぁ、厄介なヤツが付いてるわ、やめとこ、やめとこ……みたいな顔で去って行くのである。
「見つけたぞ」
と、エダが言った。
エダはずっとノウノの右肩に座って、ディスプレイをいじっていた。ディスプレイにはキーボードを表示させることが出来るようになっており、エダは3本しかない指で器用に、タイピングしていた。
「『黒猫丸』?」
「うむ。アドレスを突き止めた。どうやら、学園にいるようじゃな」
「え。学園にいるの?」
「学園のバトルを撮影しておるわけじゃから、本人は近くに潜伏していたんじゃろう。近くどころか、学園の中にいるようじゃ。ルートを表示させるから、それに従って進めば、『黒猫丸』に行きつくはずじゃ」
「さすが、エダね」
「ふんっ。この程度の暗号化も突破できぬとはな。ロジカルンの技術力も、たかがしれておるわ」
と、ノウノの肩で、エダは威張っていた。
冗談のような口調であるが、エダのその言葉は決して虚勢ではないことを、ノウノは知っている。
やっぱり、凄い技術をエダは持っているのだ。
「クリナはどうする? 私はこれからエダといっしょに『黒猫丸』をとっちめに行くけど」
「それじゃあ、私もご一緒します。一人でいると、すぐに絡まれてしまうので」
「さすがに、部屋に戻っていれば大丈夫なんじゃない? 部屋まで送って行くけど」
「いえ。私、道案内ぐらいはできますから、ノウノさんの役に立ってみせますから」
と、クリナは訴えかけるように言った。
どうやらクリナは、ノウノの傍から片時でも離れるつもりはない様子だった。『黒猫丸』の素性がわからないうえに、不慣れな学園であるゆえ、仲間は多いほうが良い。クリナにも一緒に来てもらうことになった。
ノウノの目の前には、青白くて半透明なディスプレイが表示されている。これが、端末、と呼ばれているものだ。
昔は、端末、というと、何かしら、現物があったのだそうだ。たとえば古代では、PCやら、スマートフォンやら、タブレットなんか呼ばれていた代物である。今では、物体がなくなり、ただのディスプレイだけになっている。
機能さえ果たせば、不便はべつにない。むしろ、なくしたりしないから、便利である。
ディスプレイには、学園内のマップが表示されている。エダが、『黒猫丸』の居場所の表示と、そこに至るまでのルートをハイライトしてくれているのだが、いかんせん、マップが複雑でわかりにくい。
「まるでダンジョンみたいな学園ね。地図を見てるだけで頭が痛くなってきそう」
「おそらく『黒猫丸』がいるのは、これは旧棟のほうですね。私が案内します」
と、クリナが言ってくれたので、ディスプレイは閉じておいた。
「クリナは、この学園の地図を全部覚えてるの?」
「いえ。最低限しか覚えていませんよ。抜け穴とか、隠し道とかあるみたいですし、それに、ときおり、造りが変わったりもしますから」
「造りが変わる?」
「誰かがコードを書き換えたりするのだと思います。新しい部屋を作ったり、近道を作ったりして」
「あーね」
学園の玄関ホールの3階へ行く。蛇のノブとなっている、木造扉をいくつか抜けると、尖頭アーチ状の窓がつづく、渡り廊下があった。
3階から学園の庭園を見下ろすことが出来た。
渡り廊下を抜けると、急に、薄暗い部屋に入った。ディスプレイを開ける。その明かりが、照明になった。
「暗いのね」
「旧棟はいまは使われていませんから」
「不気味ね」
石造りの通路。壁には、人物画らしきものがかけられている。誰の絵なのか知らないが、女性が不気味に微笑んでいた。
よくよく見ると、部屋の隅々には、蜘蛛の巣らしきものが張られている。人工知能を搭載した蜘蛛が棲みついているのかもしれない。
「この通路を、まっすぐ進んで、折り返し階段を上がったところにある部屋に、『黒猫丸』がいるみたいですね」
「オッケー」
ノウノが歩みを進めようとすると、「ちょいと待て」と、エダが言った。
「なに?」
「そこにある花瓶を、転がしてみよ」
廊下沿いには、エンドテーブルが置かれてあり、テーブルの上には白磁の花瓶が置かれていた。花瓶には、しおれた花がささっている。エダはその花瓶を指さしていた。
「転がすって、どうやって?」
「ふむ。吾輩がやってみよう」
エダはノウノの右肩に腰かけていたのだが、エンドテーブルのほうへと跳び移った。エダのカラダと同じぐらいの花瓶を抱えて、床へと跳び下りていた。
エダはやはり身体を動かすのが辛そうだった。
抱えていた花瓶を、ゴロゴロと転がしていた。すると、壁際から、どこからともなくレーザーが射出されて、花瓶を砕いていた。バリン。陶器の割れる音が、薄暗い廊下にやけに大きくひびいた。
「うわっ、なにこれ」
砕けた花瓶の破片の一部が、ノウノの足元に散っていた。
「この通路、トラップが仕込まれておる。侵入者を攻撃するように、コードが組まれておる」
「へぇ。よく気づいたね」
あらためて、周囲を確認してみる。だが、どこにトラップがあるのか、ノウノにはわからなかった。
「オヌシらにも、わかるように投影させてやろう」
エダがカメラレンズをいじっていた。すると、カメラレンズから薄い光が発せられた。光に当てられた空間。わけのわからない文字列が現れた。
「なにこれ?」
「このあたりを構築しているコードじゃ」
「見れるの?」
「なにゆえ吾輩が、このような恰好をしていると思うておるか。コードの異変を見つけるためじゃ」
と、エダは自分のカメラレンズをこつこつと小突いていた。
「だから、カメラの姿をしてるの?」
「むろん」
と、エダはうなずいた。
うなずくと、そのレンズから放たれている光の場所が上下する。光の位置に合わせて、コードの見える箇所も変わっていた。
厳密に言うなら、カメラというのはレンズから光を出すものではないように思う。まぁ、そこはアバターであるから、細かいことは良いのだろう。
なぜ、コードの異変を見つけ出す必要があるかというと、それでロジカルンの不正を暴いてやろうという魂胆なんだろう。ものすごい執念である。
「せっかくコードを見せてもらっても、私には、何がなんだか、わかんないなぁ」
プログラミングコードというのはもともと、二進数で計算しているパソコンに指示を送るための言語であった。
やがて用途に合わせて進化変容して、分岐していった。
とはいえ、根本は変わらないと聞いたことがある。定数と変数と関数の連なりである。しかしいかんせん、まるで暗号のように記述されたその数字と記号が、ノウノには理解できない。見てるだけで、頭が痛くなってくる。
「あー、たしかに、侵入者を検知したら、攻撃する関数が組まれていますね」
勉強が得意なようだし、クリナには何が書かれているのか、わかるのだろう。
「誰がトラップを仕込んだの?」
「おそらく、『黒猫丸』じゃろうな。悪いことをしているわけじゃから、いちおう警戒はしておるんじゃろう」
「どうすれば良いの?」
私がコードを書き換えてみます。と、クリナが言った。
「お願い」
クリナがディスプレイを開く。ディスプレイに投影されているキーボードを、かたかたと叩いていた。投影されているコードが書き換えられていく。
「これで大丈夫だと思います。たぶん」
「本当に? またレーザー飛んできたら洒落になんないよ」
今度は、実験できる花瓶もない。
できれば、今のこのアバターは傷つけたくない。
案ずることはない、とエダが言った。
「仮にレーザーが射出されても、オヌシならば、反応してかわせるじゃろうが」
「そうかなぁ」
「ほれ、進んでみよ」
「わかった」
いちおう周囲を警戒しつつ、進むことにした。さきほどレーザーが射出されたあたりを通過しても、レーザーが飛んでくることはなかった。
無事に解除できているのだろう。
「大丈夫そうじゃな」
と、後から、エダとクリナが付いて来た。
エダがあたりを警戒して、異変を見つけたら、クリナが修正してゆき、そして修正が済んだら、ノウノが進む。
それを繰り返して、通路を進んだ。
たいして長い通路ではなかったが、そうやって警戒して進んだために、思ったよりも時間がかかった。
折り返し階段を上がると、扉がひとつだけあった。ほかの本校舎のほうにある木造扉と同じものだ。
ドアノブが蛇になっている。
「扉には、何かトラップは仕掛けられてない?」
「扉は大丈夫そうじゃ」
「『黒猫丸』は、まだ中にいるの?」
「おるはずじゃ」
「セキュリティ会社とかに報告したほうが良くない? 私たちだけで相手にして大丈夫かな」
「なんじゃ、ここまで来てビビっておるのか」
「だって、違法なことしてる相手なんだし」
「たかが違法アップロードじゃろうが。べつにアバターを粉砕したり、クラッキングを仕掛けてくるようなヤツではない。ただの、小賢しいネズミじゃ」
「それはそうだけど」
「オヌシが捕まえたほうが、手柄になるじゃろうが。ちょっと待てよ。『黒猫丸』捕縛の瞬間を、撮影して動画データとして残しておくから。見事、捕まえれば、これをSNSにアップして、フォロワー大量獲得間違いなしじゃ」
「お、おおー。そう言われると、やる気も出てくるわね」
「現金なヤツじゃな」
と、エダは、なかば呆れ気味にそう言っていた。
ノウノでも捕まえられる相手だから、エダはGOサインを出しているのだろう。
女王のフォロワーを上回るという野望が、エダにもあるわけで、そのためにはノウノの存在が必要なはずだ。
ノウノに無理なことをさせようとしているわけではない。それがわかっているから、ノウノは足を前に出した。
蛇の顔をしたドアノブに手をかける。冷え切った金属の温度が、手に伝わってくる。音がしないように心掛けて、軽くひねった。わずかに扉を開けて、部屋のなかの様子をうかがった。
室内――。
石造りの小部屋であった。大量のディスプレイが空中に投影されていた。ディスプレイには、さまざまなVDOOLのバトルが録画されている様子だった。
『黒猫丸』と思わしきアバターの姿はなかった。おもいきって、扉を蹴り開いてみた。衝撃が強かったせいか、わずかにノイズが走った。
室内に足を踏み入れてみる。ブルーライトだけが明滅している部屋。どことなく、エダの部屋を思い出す。はじめてノウノがアバターを授かった部屋――。
ふと、背中に何かが動く気配があった。
「後ろじゃ!」
エダの声が聞こえた。
振り返る。
黒い人影。ノウノにつかみかかってきている。
すぐさま反応できた。ノウノは後ろに身を引いて、その手をかわした。
逆に、つかみかかってきたその手を捻りあげて、床に叩き伏せた。
うつ伏せに倒れたその人物の、背中にノウノは座り込んで、取り押さえた。
ノウノに抑えられた人物は、ぷるぷると震えていた。
笑っているようだった。
「素晴らしい! 素晴らしいよ! まさか今の不意打ちに反応するなんてね!」
「あんたが『黒猫丸』?」
「そう。この俺が『黒猫丸』だ。まさかこの場所を探り当てるとはね」
黒猫丸は興奮気味な口調でそう言った。
うつ伏せに倒れている黒猫丸の顔貌を、ノウノは確かめるために覗き込んだ。猫耳のついた黒いフードをかぶっているが、人の姿のアバターである。
「もしかして、あんたもVDOOL?」
造形が精密なので、ノウノはそう尋ねた。アバターの造形が凝っているということは、企業が付いているのかもしれない、と思ったのだ。
「そうだ。いちおう俺もここの生徒だ」
とのことだ。
「あんたのこと、セキュリティ会社に突き出すわよ」
「まあ、待て待て。俺は君の敵じゃない。ノウノ・キャロット。いや。エルシノア嬢といったほうが正確かな?」
「いや、べつに、私はエルシノア嬢じゃないけど」
「隠さなくても良い。その造形。その性能。間違いなく、あのクロディアスのVDOOL。エルシノア嬢だ。自慢じゃないが俺は、ここでいろんなVDOOLを撮影してきたんだ。アバターを変更しても、俺の目はごまかせないよ」
エルシノア嬢のことが出てきたので、対応に困った。
ノウノは、エダのほうを見た。
少し黒猫丸の話を聞いてみよう、ということになった。
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