22 / 27
秩序と無秩序
しおりを挟む
「悪の親玉に、みずから会いに行くことになるとはね」
と、クロが言った。
ロジクからDMが来た翌日のことである。ノウノは、ロジクに会いに行くことにした。クロが同行してくれた。
「悪の親玉?」
「ロジカルンの総裁であるロジクは、君やエダからしてみれば、悪の親玉のようなものだろう。エルシノア嬢のことを垢BANした、張本人だ」
「まあ、そういう意味では、悪の親玉かも」
バイナリー・スクエアは、ビル群となっている。まるで立ち並んでいるサーバーみたいだ。ビルとビルのあいだには、高架道路がめぐらされている。
土方たちが、プログラミングコードをいじって道路を建造している途中らしかった。
「何か仕掛けてくるかもしれないぜ」
「うん。そうかも」
「なら、わざわざ会いに行くことはないだろ? せっかく俺とデートする約束だったのに」
と、クロは肩を落としていた。
「デートする約束なんか、してないでしょーが。気分転換に遊べば良いって話でしょ」
「ロジクに会いに行くんじゃ、気分転換にならないだろ」
と、クロは駄々をこねるように言った。
しかし本気で駄々をこねているわけではない。あえてそういう態度を装っている――ように見える。
クロの性格なのだろう。
どことなく、この状況を面白がっているようにすら見える。
「学園を出るだけでも、息抜きになるけどね」
と、ノウノはつぶやいた。
ほかのVDOOLたちの視線が、窮屈だった。学園に来たときは、楽しかったのに、今は妙に息が詰まる。300万人の重圧がかかっている。
「俺も、いちおう違法アップロードしてる身だから、あまり会いたくないんだがなぁ」
ああ、そこ右だ、とクロが道を教えてくれる。
ロジクから教えられた場所まで、クロがナビゲートしてくれている。
「私、セキュリティ会社にしょっ引かれたときに、ロジクさんに会ったのよ。でも、そんなに悪い人には見えなかったし、それに、なんだか気になる文面だったし」
君に損はさせない、と書かれていた。
付け加えられていたその一言が、気になったのだ。
「悪い人に見えないって、人は見かけによらないだろ」
「それはそうなんだけど」
ロジクという男からは、王たる威厳を感じた。変な小細工など仕掛けて来ないように見えた。しかし、それは思い違いなのだろう。実際、エルシノア嬢のことを垢BANするという悪辣なことをしているのだ。
「罠かもしれないぜ」
「うん。そのときは、むしろ好都合よ。何か違法なことを仕掛けてきたら、証拠を撮影してSNSにアップする。それがエダの望みでもあるし」
「虎穴に入らずんばってヤツか」
「なにそれ?」
「古代人のつくった言葉だよ。虎の巣に入ったら、良いことあるよ――みたいな」
「古代人の言葉って、意味不明なの多いわよね」
「論理は破綻しているほうが面白いけどな」
「そう?」
「ああ。辻褄が合ってると予測できる。予測できる物は面白くない。俺はもうこの世界にヘキエキしていてね」
と、クロは高架道路の渦巻く空を見上げた。
首を傾けたせいで、フードが脱げていた。黒い髪があらわになり、風に揺られていた。黙っていればイケメンなんだけどなぁ、とノウノはちょっとそう思った。
クロはフードをかぶりなおしていた。ノウノも空を見上げてみる。今日は曇天。空は灰色だった。
天気予報によると、午後からは雨が降るらしい。天気予報と呼ばれているが、べつに予報でも何でもない。プログラミングコード的に、午後から雨が降るように設定されているだけだ。空気は湿気をまとい、すこし重たい。
「クロは、この世界が嫌いなの?」
「飽きたんだよ。俺はもうけっこう長いからさ」
「へぇ。意外」
「意外でもないだろ。何か刺激を求めるから、違法アップロードなんかやってるわけで」
「生きている時間が長いと、やっぱり飽きてくるもんなのね」
「さあ、それは人によるんじゃないか? 俺は飽きてきたってだけだ」
「あぁ、そっか」
そういえば、生きることに執着している第1世代が、身近にいた。
「あとは、子供を残して、俺はさっさと眠りたいんだがな。しかし、せっかく子供を残すなら、優秀なほうが良い」
「あーね」
それで、クロは、優秀な意識モデルを探しているわけだ。
「まあ、でも、ここ数日はすこし面白い。君が来てくれたおかげで、学園が騒がしかったからな」
「もう少し、付き合ってもらうわよ」
「もちろん。姫を護衛する騎士として尽力させてもらうよ」
と、クロはおどけるように言った。
ロジクに招待された場所は、ビル群にあるうちの一棟だった。
玄関ホールに入ると、豪奢なシャンデリアが見えた。おそらく人工知能と思われる受付がいた。髪のない、白い立方体の顔をしたロボットだった。
「いらっしゃいませ。ロジク・ニュタリアさまが、5階フロアにてお待ちです」とのことだ。
エレベーターに乗りこんだ。本当に重力がかかっているわけでもないのに、慣性力が働いているような気がした。
エレベーターの扉が開く。薄暗い。明度が低く設定されているようだ。
薄暗い部屋のなかには、魚が泳ぎまわっていた。呼吸はできるが、まるで水槽のなかのような案配になっている。
「どう? 何か罠はありそう?」
クロはいちおう護衛として頑張ってくれているようで、ディスプレイを展開して、しきりにあたりの様子を探っている様子だった。
「いや、今のところは問題なさそうだ」
「そう」
エレベーターを降りる。バーになっていた。カウンターテーブルがあり、あたりにはサンゴが茂っている。
カウンターテーブルのスツールに腰かけているロジクの姿があった。ロジクの背後には、まるで護衛をするかのように、アルファとベェタの姿があった。「あ、二人とも、もう直ったんだ」と言うと、「ロジカルン舐めんな、ボケ」とアルファが返してきた。
「待っていたよ」
と、ロジクが言った。
アルファとベェタには席を外すように指示していた。
ノウノも、クロに席を外してもらうことにした。
アルファとベェタとクロの3人は、すこし離れたテーブル席で待っていてもらうことにした。
「かけたまえ」
と、ロジクは隣にあったスツールを引っ張り出した。
「どうも」
ロジクさんと会うときは、なぜかいつもスツールだなと思った。べつに意味はない。座高の高いスツールで、ノウノの足は床に届かなかった。スツールに足をかける場所があったので、そこに足を置いた。
「よく来てくれたね。警戒して、会ってくれないかとも思っていたが」
「私も迷いました。でも、私にとって損はない話だということなので」
「フォロワー300万のVDOOLと、こうして酒が飲めるのは光栄なことだ」
「よしてくださいよ。そんなこと思ってもないくせに。それに私、お酒は飲んだことないですよ」
「ノンアルコールもある」
「じゃあ、それいただきます」
雰囲気がおしゃれなので、ちょっと緊張する。名前はわからないが、クラシックらしき音楽が流れていた。イカの姿をしたマスターが、その長い触手を伸ばして、ノウノの前にグラスを置いた。白いドロリとした液体が注がれていた。
「海、ですか」
と、ノウノはそう尋ねた。
「そういうモチーフだ。私はよく、ここに飲みに来る」
「どうして海なんですか?」
「我々、生命の故郷だからね」
と、ノウノの質問にたいして答えになっているのかいないのか、良くわからない返答を、ロジクはした。
「私は、生まれも育ちも、バイナリー・ワールドですけど」
「惑星は水素とヘリウムからはじまり、命は海からはじまった。人は地球という惑星で生きて、宇宙に飛び立ち、仮想世界にやって来た。思えば、遠くまで来たものだ」
「はぁ」
と、ノウノは曖昧に応じた。
もしかしてロジクは酔っているのかもしれない。
ノウノのすぐ目の前を、赤い尾ひれの魚が浮かんでいた。指でつついてみると、魚はビックリしたように泳ぎ去って行った。
立体映像かとも思ったが、どうやら、人工知能が搭載されたモデルらしい。白い液体の注がれたワイングラスに口をつけてみる。甘い果実の味が口のなかに広がった。
店内に流れている音楽に、呆然と耳を傾けていた。なんの音楽なんだろうか。低いベースの音とピアノらしき音が聞こえる。ノウノが音楽に耳を傾けているのかわかったのか、「良い音楽だろう」とロジクが言った。
「ええ」
「音楽というのは良い。sin波とcos波。周波は規則的がゆえに、人を安心させる」
「ノイズミュージックとか聞くと、ちょっと変な感じしますからね」
と、ノウノは話を合わせた。
「時間の矢は、前にしか進まない。なのに、なぜか人は周期やパターンというものを好む。かつて地球は太陽の周りをまわっていた。一回転すると1年と決めていた。時計の針が一回転すると1時間。回帰することを特別視したのだ。実際には回帰していないのに、まるで回帰したかのように決めつけた。特定のリズムやパターンを、人は見出そうとする。なぜだと思うかね?」
「さあ」
音楽と同時に、波の音もわずかに聞こえる。
海だから、だろう。
この波にしても、一定のリズムがあるのだろう。
「そこに秩序があるから。人は安定と秩序を求めている。イレギュラーを好まない。そうは思わないか?」
「人によるんじゃないですか?」
ここに来るまでの道中。クロは言っていた。論理は破綻しているほうが面白い、と。安定こそが絶対の正義というわけではないだろうと思う。
ふん、とロジクは鼻を鳴らした。
笑ったのか、不満なのか、判じかねる鼻息だった。
本題に入ろう――と、ロジクはその緑色に透き通った目を、ノウノに向けてきた。
その目線を向けられたとき、ノウノは不意を突かれたような気分だった。ロジクは酔ってなどいない。酔っているフリをしているのだとわかった。
「女王戦。辞退して欲しい」
「辞退?」
「そうだ。女王に勝ちを譲ってもらいたい」
「それで私に良いことがあるんですか?」
「君をロジカルンに向か入れよう。国家技術をもってして、君のバックアップを行う」
「それは、お断りします」
ロジカルンの支援は必要ない。エダがいれば充分だ。
「君には、覚悟があるのか」
「覚悟?」
「そうだ。世界を背負う覚悟だ。君が右と言えば、世界は右を向く。君が左と言えば、世界は左を向く。もし君が、反乱を起こそうと企てることがあれば、国家は転覆する。それがこの世界におけるインフルエンサーの影響力だ」
「それは……」
ノウノは言葉に詰まった。
正直、フォロワーを抱えるのは重い。
そう思っていたところだ。
「均衡を崩すべきではない。人は安定を求めているのだ。世界は女王を中心に回っているのだ。女王を退かせてはならない」
「でも、辞退をするつもりはありません」
「彼女と同じだな」
「彼女?」
「エルシノア嬢だ。彼女に交渉を持ちかけたときにも、君と同じように断ってきた。あの魔女は、自分の実力がどこまで通用するか、試してみたい――と言っていた」
「話がそれだけなら、もう私、帰りますけど」
グラスの白い液体を飲み干した。
甘くて濃厚な液体が、ノド奥に流れ込んできた。
「望みは、ないのかね? 私のチカラならば、たいていのことは叶えられる。君は、どうしても女王と戦わなくてはならないのかね?」
「自信ないんですか? 実際に戦っても、女王が勝つかもしれないじゃないですか」
「もちろん、私は娘を信じている」
「娘?」
「もちろん実の娘ではない。でも、私は女王を娘だと思っている。ロジカルンの技術の結晶。私の知識と技術の集大成だ。解析力学と人体解剖学にもとづいたモデリングとアーマチュア計算。線形代数行列式によるニューラル・ネットワーク計算と、フロントエンドのフェッチ。あのアバターも、意識モデルも最高の逸材だ」
「なら、べつに私が辞退しなくても良いじゃないですか。女王が勝つかもしれませんし」
ロジクは目を細めて、ノウノのことを見つめた。そしてふと顔を背けて、赤い液体を飲み干した。
「私は、君が怖いのだ」
「怖い?」
「君の背後に、魔女の亡霊が見える」
慧眼と言うべきか。
やはり、エダがエルシノア嬢あることに気付いているのかもしれない。
「私、ロジカルンのVDOOLに応募したことあるんですよ」
「本当かね?」
「1次で落ちましたけどね。もしそのときに、私を採用してくれていたなら、世界は変わっていたと思います」
厭味をこめてノウノはそう言った。スツールから立ち上がる。クロを呼んで立ち去ろうとした。
「待て」
と、ロジクが呼び止めてきた。
「まだ何か?」
「大人しく君を帰すわけにはいかない」
ノウノの行く手を遮るようにアルファとベェタが立ちふさがった。
「ふぅん。やっぱり、そういう感じですか? こういう小細工はして来ない人だと思ってたんですけど」
「世界の均衡と秩序のためだ」
よりいっそう低い声音で、ロジクはそう言った。
と、クロが言った。
ロジクからDMが来た翌日のことである。ノウノは、ロジクに会いに行くことにした。クロが同行してくれた。
「悪の親玉?」
「ロジカルンの総裁であるロジクは、君やエダからしてみれば、悪の親玉のようなものだろう。エルシノア嬢のことを垢BANした、張本人だ」
「まあ、そういう意味では、悪の親玉かも」
バイナリー・スクエアは、ビル群となっている。まるで立ち並んでいるサーバーみたいだ。ビルとビルのあいだには、高架道路がめぐらされている。
土方たちが、プログラミングコードをいじって道路を建造している途中らしかった。
「何か仕掛けてくるかもしれないぜ」
「うん。そうかも」
「なら、わざわざ会いに行くことはないだろ? せっかく俺とデートする約束だったのに」
と、クロは肩を落としていた。
「デートする約束なんか、してないでしょーが。気分転換に遊べば良いって話でしょ」
「ロジクに会いに行くんじゃ、気分転換にならないだろ」
と、クロは駄々をこねるように言った。
しかし本気で駄々をこねているわけではない。あえてそういう態度を装っている――ように見える。
クロの性格なのだろう。
どことなく、この状況を面白がっているようにすら見える。
「学園を出るだけでも、息抜きになるけどね」
と、ノウノはつぶやいた。
ほかのVDOOLたちの視線が、窮屈だった。学園に来たときは、楽しかったのに、今は妙に息が詰まる。300万人の重圧がかかっている。
「俺も、いちおう違法アップロードしてる身だから、あまり会いたくないんだがなぁ」
ああ、そこ右だ、とクロが道を教えてくれる。
ロジクから教えられた場所まで、クロがナビゲートしてくれている。
「私、セキュリティ会社にしょっ引かれたときに、ロジクさんに会ったのよ。でも、そんなに悪い人には見えなかったし、それに、なんだか気になる文面だったし」
君に損はさせない、と書かれていた。
付け加えられていたその一言が、気になったのだ。
「悪い人に見えないって、人は見かけによらないだろ」
「それはそうなんだけど」
ロジクという男からは、王たる威厳を感じた。変な小細工など仕掛けて来ないように見えた。しかし、それは思い違いなのだろう。実際、エルシノア嬢のことを垢BANするという悪辣なことをしているのだ。
「罠かもしれないぜ」
「うん。そのときは、むしろ好都合よ。何か違法なことを仕掛けてきたら、証拠を撮影してSNSにアップする。それがエダの望みでもあるし」
「虎穴に入らずんばってヤツか」
「なにそれ?」
「古代人のつくった言葉だよ。虎の巣に入ったら、良いことあるよ――みたいな」
「古代人の言葉って、意味不明なの多いわよね」
「論理は破綻しているほうが面白いけどな」
「そう?」
「ああ。辻褄が合ってると予測できる。予測できる物は面白くない。俺はもうこの世界にヘキエキしていてね」
と、クロは高架道路の渦巻く空を見上げた。
首を傾けたせいで、フードが脱げていた。黒い髪があらわになり、風に揺られていた。黙っていればイケメンなんだけどなぁ、とノウノはちょっとそう思った。
クロはフードをかぶりなおしていた。ノウノも空を見上げてみる。今日は曇天。空は灰色だった。
天気予報によると、午後からは雨が降るらしい。天気予報と呼ばれているが、べつに予報でも何でもない。プログラミングコード的に、午後から雨が降るように設定されているだけだ。空気は湿気をまとい、すこし重たい。
「クロは、この世界が嫌いなの?」
「飽きたんだよ。俺はもうけっこう長いからさ」
「へぇ。意外」
「意外でもないだろ。何か刺激を求めるから、違法アップロードなんかやってるわけで」
「生きている時間が長いと、やっぱり飽きてくるもんなのね」
「さあ、それは人によるんじゃないか? 俺は飽きてきたってだけだ」
「あぁ、そっか」
そういえば、生きることに執着している第1世代が、身近にいた。
「あとは、子供を残して、俺はさっさと眠りたいんだがな。しかし、せっかく子供を残すなら、優秀なほうが良い」
「あーね」
それで、クロは、優秀な意識モデルを探しているわけだ。
「まあ、でも、ここ数日はすこし面白い。君が来てくれたおかげで、学園が騒がしかったからな」
「もう少し、付き合ってもらうわよ」
「もちろん。姫を護衛する騎士として尽力させてもらうよ」
と、クロはおどけるように言った。
ロジクに招待された場所は、ビル群にあるうちの一棟だった。
玄関ホールに入ると、豪奢なシャンデリアが見えた。おそらく人工知能と思われる受付がいた。髪のない、白い立方体の顔をしたロボットだった。
「いらっしゃいませ。ロジク・ニュタリアさまが、5階フロアにてお待ちです」とのことだ。
エレベーターに乗りこんだ。本当に重力がかかっているわけでもないのに、慣性力が働いているような気がした。
エレベーターの扉が開く。薄暗い。明度が低く設定されているようだ。
薄暗い部屋のなかには、魚が泳ぎまわっていた。呼吸はできるが、まるで水槽のなかのような案配になっている。
「どう? 何か罠はありそう?」
クロはいちおう護衛として頑張ってくれているようで、ディスプレイを展開して、しきりにあたりの様子を探っている様子だった。
「いや、今のところは問題なさそうだ」
「そう」
エレベーターを降りる。バーになっていた。カウンターテーブルがあり、あたりにはサンゴが茂っている。
カウンターテーブルのスツールに腰かけているロジクの姿があった。ロジクの背後には、まるで護衛をするかのように、アルファとベェタの姿があった。「あ、二人とも、もう直ったんだ」と言うと、「ロジカルン舐めんな、ボケ」とアルファが返してきた。
「待っていたよ」
と、ロジクが言った。
アルファとベェタには席を外すように指示していた。
ノウノも、クロに席を外してもらうことにした。
アルファとベェタとクロの3人は、すこし離れたテーブル席で待っていてもらうことにした。
「かけたまえ」
と、ロジクは隣にあったスツールを引っ張り出した。
「どうも」
ロジクさんと会うときは、なぜかいつもスツールだなと思った。べつに意味はない。座高の高いスツールで、ノウノの足は床に届かなかった。スツールに足をかける場所があったので、そこに足を置いた。
「よく来てくれたね。警戒して、会ってくれないかとも思っていたが」
「私も迷いました。でも、私にとって損はない話だということなので」
「フォロワー300万のVDOOLと、こうして酒が飲めるのは光栄なことだ」
「よしてくださいよ。そんなこと思ってもないくせに。それに私、お酒は飲んだことないですよ」
「ノンアルコールもある」
「じゃあ、それいただきます」
雰囲気がおしゃれなので、ちょっと緊張する。名前はわからないが、クラシックらしき音楽が流れていた。イカの姿をしたマスターが、その長い触手を伸ばして、ノウノの前にグラスを置いた。白いドロリとした液体が注がれていた。
「海、ですか」
と、ノウノはそう尋ねた。
「そういうモチーフだ。私はよく、ここに飲みに来る」
「どうして海なんですか?」
「我々、生命の故郷だからね」
と、ノウノの質問にたいして答えになっているのかいないのか、良くわからない返答を、ロジクはした。
「私は、生まれも育ちも、バイナリー・ワールドですけど」
「惑星は水素とヘリウムからはじまり、命は海からはじまった。人は地球という惑星で生きて、宇宙に飛び立ち、仮想世界にやって来た。思えば、遠くまで来たものだ」
「はぁ」
と、ノウノは曖昧に応じた。
もしかしてロジクは酔っているのかもしれない。
ノウノのすぐ目の前を、赤い尾ひれの魚が浮かんでいた。指でつついてみると、魚はビックリしたように泳ぎ去って行った。
立体映像かとも思ったが、どうやら、人工知能が搭載されたモデルらしい。白い液体の注がれたワイングラスに口をつけてみる。甘い果実の味が口のなかに広がった。
店内に流れている音楽に、呆然と耳を傾けていた。なんの音楽なんだろうか。低いベースの音とピアノらしき音が聞こえる。ノウノが音楽に耳を傾けているのかわかったのか、「良い音楽だろう」とロジクが言った。
「ええ」
「音楽というのは良い。sin波とcos波。周波は規則的がゆえに、人を安心させる」
「ノイズミュージックとか聞くと、ちょっと変な感じしますからね」
と、ノウノは話を合わせた。
「時間の矢は、前にしか進まない。なのに、なぜか人は周期やパターンというものを好む。かつて地球は太陽の周りをまわっていた。一回転すると1年と決めていた。時計の針が一回転すると1時間。回帰することを特別視したのだ。実際には回帰していないのに、まるで回帰したかのように決めつけた。特定のリズムやパターンを、人は見出そうとする。なぜだと思うかね?」
「さあ」
音楽と同時に、波の音もわずかに聞こえる。
海だから、だろう。
この波にしても、一定のリズムがあるのだろう。
「そこに秩序があるから。人は安定と秩序を求めている。イレギュラーを好まない。そうは思わないか?」
「人によるんじゃないですか?」
ここに来るまでの道中。クロは言っていた。論理は破綻しているほうが面白い、と。安定こそが絶対の正義というわけではないだろうと思う。
ふん、とロジクは鼻を鳴らした。
笑ったのか、不満なのか、判じかねる鼻息だった。
本題に入ろう――と、ロジクはその緑色に透き通った目を、ノウノに向けてきた。
その目線を向けられたとき、ノウノは不意を突かれたような気分だった。ロジクは酔ってなどいない。酔っているフリをしているのだとわかった。
「女王戦。辞退して欲しい」
「辞退?」
「そうだ。女王に勝ちを譲ってもらいたい」
「それで私に良いことがあるんですか?」
「君をロジカルンに向か入れよう。国家技術をもってして、君のバックアップを行う」
「それは、お断りします」
ロジカルンの支援は必要ない。エダがいれば充分だ。
「君には、覚悟があるのか」
「覚悟?」
「そうだ。世界を背負う覚悟だ。君が右と言えば、世界は右を向く。君が左と言えば、世界は左を向く。もし君が、反乱を起こそうと企てることがあれば、国家は転覆する。それがこの世界におけるインフルエンサーの影響力だ」
「それは……」
ノウノは言葉に詰まった。
正直、フォロワーを抱えるのは重い。
そう思っていたところだ。
「均衡を崩すべきではない。人は安定を求めているのだ。世界は女王を中心に回っているのだ。女王を退かせてはならない」
「でも、辞退をするつもりはありません」
「彼女と同じだな」
「彼女?」
「エルシノア嬢だ。彼女に交渉を持ちかけたときにも、君と同じように断ってきた。あの魔女は、自分の実力がどこまで通用するか、試してみたい――と言っていた」
「話がそれだけなら、もう私、帰りますけど」
グラスの白い液体を飲み干した。
甘くて濃厚な液体が、ノド奥に流れ込んできた。
「望みは、ないのかね? 私のチカラならば、たいていのことは叶えられる。君は、どうしても女王と戦わなくてはならないのかね?」
「自信ないんですか? 実際に戦っても、女王が勝つかもしれないじゃないですか」
「もちろん、私は娘を信じている」
「娘?」
「もちろん実の娘ではない。でも、私は女王を娘だと思っている。ロジカルンの技術の結晶。私の知識と技術の集大成だ。解析力学と人体解剖学にもとづいたモデリングとアーマチュア計算。線形代数行列式によるニューラル・ネットワーク計算と、フロントエンドのフェッチ。あのアバターも、意識モデルも最高の逸材だ」
「なら、べつに私が辞退しなくても良いじゃないですか。女王が勝つかもしれませんし」
ロジクは目を細めて、ノウノのことを見つめた。そしてふと顔を背けて、赤い液体を飲み干した。
「私は、君が怖いのだ」
「怖い?」
「君の背後に、魔女の亡霊が見える」
慧眼と言うべきか。
やはり、エダがエルシノア嬢あることに気付いているのかもしれない。
「私、ロジカルンのVDOOLに応募したことあるんですよ」
「本当かね?」
「1次で落ちましたけどね。もしそのときに、私を採用してくれていたなら、世界は変わっていたと思います」
厭味をこめてノウノはそう言った。スツールから立ち上がる。クロを呼んで立ち去ろうとした。
「待て」
と、ロジクが呼び止めてきた。
「まだ何か?」
「大人しく君を帰すわけにはいかない」
ノウノの行く手を遮るようにアルファとベェタが立ちふさがった。
「ふぅん。やっぱり、そういう感じですか? こういう小細工はして来ない人だと思ってたんですけど」
「世界の均衡と秩序のためだ」
よりいっそう低い声音で、ロジクはそう言った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サイレント・サブマリン ―虚構の海―
来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。
科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。
電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。
小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。
「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」
しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。
謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か——
そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。
記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える——
これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。
【全17話完結】
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる