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2次選考終了
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湖面に浮かぶアルファとベェタは、ロジカルンの技術者たちに回収されていった。数日あとには、ふたりとも復帰するだろう。
ノウノはしばらく湖の上にたたずんでいた。
湖畔。
よく見るとクロが手を振っていた。
クロの肩には、エダが乗っている。ノウノは湖から上がった。靴を脱いだままだ。濡れた足に、土砂の潰れる感触が伝わってきた。ずっと湖に足をつけていたからか、足先がすこし冷える。
「よくやった。オヌシならば、無事に通過できると信じておった」
と、エダはそう言うと、クロの肩から、ノウノの肩に乗り移った。
「余裕余裕」
「世界はオヌシの話題で持ちきりじゃぞ」
エダはディスプレイを表示して見せた。目で追うことが出来ないぐらいの速度で、コメントが投稿されていた。
記事もどんどん投稿されている。「魔女の隠し子、エルシノアの再来」「ロジカルンの危機か? 国家技術の衰退か?」「女王戦に高まる注目」……そういった言葉が散見された。
ノウノのフォロワーもさらに増加している。ついに300万を突破していた。女王に肉薄している。
「300万人か……」
「このバイナリー・ワールドの人口は、現在おおよそ528万人。全人類の半分以上が、オヌシのフォロワーじゃな」
「へぇ」
ノウノは、ぼーっとディスプレイを見つめた。
「なんじゃ? もっと喜んだらどうじゃ? オヌシはインフルエンサーになりたかったんじゃろうが」
「人類の半分以上が私のことを見てるのかと思うと、なんだか緊張してきちゃって」
「この2次選考も配信されていたが、音声に一部ノイズが走っておって、よく聞き取れんかった」
「ノイズ?」
「オヌシがアルファとしゃべっていたときの会話じゃな。エルシノア嬢がBANされた理由を、オヌシが話したじゃろう」
「うん」
「配信されるのは不味いとロジカルンが判断したんじゃろう」
「エルシノア嬢をBANした理由は、やっぱり隠したいんだね」
「まあ、女王を超えたらBANされるなんて、知られたら暴動でも起きかねんからな」
「暴動か……」
クロはどこまで知っているのだろうか?
エダからすこしは事情を聞いたのか、べつに驚いている様子はなかった。
「女王とのバトルは、1週間後じゃ。それまでに出来るだけのことをしておきたい。バトルで破損した場所はないか?」
「たぶん大丈夫。傷つけないように、大事に使ってるからね。この身体」
「修理の手間がはぶけて、ありがたい。しかし念のため、この1週間のあいだに、アバターの最終調整を行う」
「メンテナンスかぁ。あれけっこう面倒なのよねぇ」
「寝てるだけじゃろうが」
「それが面倒なのよ」
「最後の最後で足元をすくわれるかもしれん。気の引き締めどころじゃ」
「まあね」
「オヌシも用心しておけよ。ノウノ」
エダはおそらく何気なく、ノウノの名前を呼んだのだろう。だが、エダにノウノと呼ばれて、すこしくすぐったい気持ちになった。
エダが親しげに、ノウノの名前を呼ぶのは、これがはじめてであるような気がした。
「何が?」
「この1週間。もしかすると、ロジカルンは先手を打ってくるかもしれん」
「先手って、何かしてくるの?」
「さあな。さすがに、どんな手を使ってくるかは、わからん。何もして来ないかもしれん。ただ、ヤツらは女王のためならば、手段を選ばんじゃろうからな。そのために、こやつを護衛としてつけておく」
エダはそう言うと、小枝のような指で、クロのことを指差した。
「護衛?」
「こやつには、あらかた事情を説明してある。オヌシの護衛も、喜んで引き受けてくれる、とのことじゃ」
「べつに護衛なんて、要らないけど」
「物理的な戦いであれば、オヌシは勝てるかもしれん。しかし、クラッキングやウィルスといった、技術を駆使した攻撃に、オヌシは対処できんじゃろうが」
よろしく、我が姫――と、クロはうやうやしく頭を下げた。
「信用できるの?」
と、ノウノは、クロには聞こえないように、ささやくようにエダに尋ねた。
クロのことは、あまり詳しくは知らないのだ。ノウノに協力的ではあるし、悪いヤツではない――とは思う。いや。違法アップロードをしているわけだから、悪いヤツではある。ノウノにとって、悪い影響をおよぼす人間ではない、という意味だ。
「こやつも、脛に傷を持つからな。どちらかというと、吾輩と似たような者じゃろう」
「まあ、そっか」
エダがエルシノア嬢であることも、クロはすでに聞いたのだろう。エダが、エルシノア嬢である事実は、ノウノだけが知っていることだった。
クロにも知られることで、秘密が破られたような、なんだか嫉妬に似たような感情をおぼえた。
「メンテナンスは明日からはじめる。吾輩はチッと疲れた。すこし休ませてもらう」
エダはそう言うと、羽織っているマントで身をくるむようにした。
エダの身体はマントに吸い込まれるようにして消えていった。
この10日間。ノウノはほとんどずっとエダといっしょに過ごしてきた。エダから休みたいなんて言葉を聞くのは、はじめてのことだった。
意識モデルが破損しているとのことだから、その影響かもしれない。
クロと2人きりになる。
すこし気まずい。
「ども」
と、ノウノは小さく会釈した。
「緊張することはないだろう。俺たちは、すでに婚約を交わした仲じゃないか」
「いや。してないから」
バトルのときは、クロのアバターを鑑賞している余裕はなかった。しかし今、こうして見てみると、悪い顔立ちではないな、と思う。
旧棟で出会ったときは、どことなく陰気な印象を受けた。全身黒ずくめだから、そう感じたのかもしれない。
こうして日の当たるところで会うと、またすこし印象が違う。ただの小ざっぱりした青年だ。
クロはフェンネルという名前の企業のVDOOLらしい。女王の属しているロジカルンや、クリナの属しているエモーションほどの大企業ではないが、そこそこ名の知れた企業である。
「事情はすべて聞かせてもらった。まさかあのカメラ小僧が、エルシノア嬢だったとは、驚きだよ」
「そうよ。私がエルシノア嬢じゃないってわかったなら、もう結婚する気はないでしょ」
「いや。ますます俺は君が気に入った」
「は?」
「もうあのエルシノア嬢の意識モデルは駄目だ。とてもじゃないが、子孫を残せるような状態じゃない。でも、君が居れば充分だ。あのエルシノア嬢が見つけ出してきた逸材なんだ。俺は君が欲しい」
クロは1歩、ノウノに詰め寄ってきた。
「あんまり強引に迫ってきたら、殴るわよ」
「おっと、それは怖い。姫に殴られたら、修理に3日はかかりそうだ」
と、クロは肩をすくめた。
本当に、この男が護衛で、大丈夫なんだろうか。
不安になる。
風が吹く。涼しい風がノウノの肌を撫で上げる。広葉樹の葉っぱが、湖に落ちてきた。湖に波紋が生じる。土と葉の匂いがする。このあたりはデフォルトのゴムの匂いがしない。足の泥を落として、ローファーを履きなおした。
「ねえ、エダって、そんな容態悪いの?」
「それは俺に聞かれてもわからないよ。意識モデルは複雑だからね。わかりやすく言うと、脳にダメージが入っているようなものだ。まぁ、良い状態とは言えないだろうね」
と、クロはひょこひょこと、フードについている猫耳を動かした。
自由に動かせるように、できているのだろう。
「そう……」
「遊びに行こうか」
クロは唐突にそう言った。
「なに急に」
「2次選考を突破したお祝いだよ。それに、エダからも言われている。姫を気分転換させてやってくれ、ってね」
「エダがそう言ったの?」
「ああ。ずっと女王と戦うことだけを考えて、ここまで来たんだろう? エダは言っていたよ。ノウノには、申し訳ないことをした――ってね」
「エダが、そんなことを?」
エダが言ったとは思えないセリフだ。それに、謝られるような心当たりもない。
「エルシノア嬢は、ロジカルンにBANされ、牢獄データベースに格納されていた。しかし脱獄して、復讐を誓ったわけだ。エダと名前を変え、技術を総結集して、そのアバターを作り上げた」
「うん」
「アバターを作り直したものの、エダにはもう、それを動かすだけの能力はなかった。利用できる手駒が必要だった。そこでエダが目をつけたのが、姫だ」
「わかってる。たしかに私はエダの手駒よ。だけど、私もそれを承知で受け入れてる。このアバターをくれたことを、むしろ感謝してるぐらいよ。おかげで300万のフォロワーも手に入ったし」
「姫の思いはさておき、エダは悪いと思っているんだろうさ」
「ふぅん」
調子が悪いと言ったエダの言葉は、嘘かもしれないな、と思った。エダのその謝罪を、クロから伝えてもらうために、エダはわざと姿を消したのかもしれない。
だとするなら、エダも少し可愛らしいところがある。
「どうする? 今日はもう疲れただろう。気分転換するなら明日、エスコートしよう。嫌なら、べつに構わないけど」
「わかった。明日、学園の玄関ホールで待ってる」
べつに遊びに行く必要性は感じなかったが、エダが用意してくれた好意だというのなら、いただいておこうと思った。
学園に戻る。
ノウノが玄関ホールに入る。
玄関ホールに満ちていた生徒たちのザワめきが、いっせいに途絶えた。吹き抜けになっている上層から、生徒たちがノウノのことを覗き込んでいた。
この目線。どこかで見たことがある。そうだ。みんなが女王を見るときの目と同じなのだ。
生徒たちが、ノウノに向ける目には、尊敬と憧憬がある。
でも、それだけじゃない。畏怖がまじりはじめている。フォロワー数300万ともなると、周りの見る目も変わるのかもしれない。
すこし寂しい気もする。もうモブとして、この学園に溶け込むことは出来ないのだ。
インフルエンサーになることが夢だった。みんなからもっとチヤホヤされるもんだと思っていた。思い描いていた夢とは、すこし違う。視線を振り払うように、ノウノは階段を上がった。
生徒たちは、ノウノのために道を開けた。
「私は部屋に戻るけど、クロはどうすんの? まさか部屋までいっしょに来ないよね」
「俺は旧棟のほうに戻るよ。安心したまえ。この学園のあちこちに、撮影プログラムを仕組んであることは知ってるだろう。姫がどこにいても、ちゃんと見守っているさ」
「部屋まで見てるんじゃないでしょうね」
「さすがに、そこまでは見てないよ。でも、安全は保障しよう」
そう言い残すと、クロは立ち去った。
ノウノも部屋に戻ることにした。疲れていたし、それに、この周囲からの目線も窮屈だった。
2階にある、蛇の顔のドアノブのついた木造扉を開けた。石造りのまっすぐな廊下を進む。「待ってくださーい」と、後ろから声が追いかけてきた。振り返る。クリナだった。見知った顔と出会えて、ノウノは安心した。
「2次選考の突破。おめでとうございます。バトル。すごかったですよ」
「ありがと」
「この勢いで、本当に女王を倒しちゃいそうですね」
あのさ……と、ノウノは切り出した。
「なんか、みんなの雰囲気がちょっと変じゃなかった? 私を見て緊張してたっていうか」
「そりゃあ緊張しますよぉ。だって、フォロワー数300万人ですよ。下手すりゃ時期女王だって可能性もありますし」
「やっぱり、そんな感じなのね」
「ノウノさんも、女王を前にすると、緊張するでしょ。威厳を感じるっていうか、なんかちょっと普通じゃない感じがするっていうか」
「なんとなく、それはわかるけどさ」
「それと同じですよ。みんなノウノさんを特別視してるんですよ。ノウノさんは編入してきて、また10日とちょっと何ですし。女王以上に得たいの知れないところがある――っていうか」
「不気味ってこと?」
「そう――ですね。私もすこし、ノウノさんのこと不気味だと思うことありますし」
「えぇー。クリナも、そう思ってるわけ?」
たしかに時間にしてみれば、クリナとはそう長い時間付き合っているわけではない。だが、不気味だと思われているのはちょっと傷つく。
いえいえ、とクリナはあわてたように手を大仰に振っていた。
「企業の名前も聞いたことないですし、異常なぐらい性能の良いアバターですし、ミステリアスなんですよ。でも、悪い人じゃないってことは、わかってますから。大丈夫。私はノウノさんのこと、信じてますから」
「ミステリアスねぇ……」
ノウノは自分のことを、ミステリアスだと思ったことはない。むしろ至極単純な人間だと思っている。
周囲から、そういうふうに見られているというのは、意外だった。
意外と、人と人は理解し合えないものである。
そりゃそうだ。べつに脳内のデータを交換しているわけでもない。相手の持っているデータを、予測しているに過ぎないのだ。
「でも、ネガティブな意味じゃないですよ。それだけ、ノウノさんが凄いってことなんですから」
「なんかでも、思ってたのと違うのよねぇ。胃が痛くなるっていうか」
「バトルで故障したんじゃないですか?」
「いや、そういうのじゃないと思う。なんか精神的な感じ」
「それは大変です。ゆっくり休んでください。女王とのバトルが控えているんですから」
289番。
部屋にたどり着いた。クリナに「じゃあね」と言って、ノウノは部屋に入った。部屋にはいつもエダがいた。
今日は、1人である。
「はぁ」
と、ノウノはベッドに寝そべった。仰向けになる。石造りの天井が見える。石材のつなぎ目をぼーっと眺めていた。
いかにも現実めいた、この虚構の世界が、いつもよりハリボテめいて見えた。しかしそれはほんのいっときの気の迷いで、世界への不信感は泡のように消えた。
端末を開いてみる。
300万とちょっとのフォロワー。「2次選考突破したよ。次は、女王戦」とポストした。ただちに返信が殺到する。「おめでとう」「恰好良かったです」「女王戦楽しみにしてます!」……。
目で追い切れない。
300万の目が、ディスプレイの向こうから、ノウノのことを見つめているような気がしてきた。
怖くなって、ノウノはディスプレイを閉じた。
インフルエンサーというのは、チヤホヤされているだけで良いものだと思っていた。しかし、物凄い重圧である。みんなの期待に応えなくてはならない、という圧力がのしかかってくる。
物理的に考えると、プレッシャーにまいるということは、つまり、心の面積が小さいってことなんだろうか。
「あー、もう。休むなら、ここで休めば良いのに」
と、ノウノは愚痴った。
エダのことである。
いったいどこで休んでいるのだろうか? 近くにエダがいてくれたら、相談に乗ってくれただろう。
ピコン……
端末から音が鳴る。ノウノ宛てにDMが入っていた。
なんだろう?
開いてみる。
「FROMロジク」とあった。「明日。バイナリー・スクエアで出会えないだろうか? 話がある。君に損はさせない」とのことだ。詳しいアドレスも記載されていた。
ノウノはしばらく湖の上にたたずんでいた。
湖畔。
よく見るとクロが手を振っていた。
クロの肩には、エダが乗っている。ノウノは湖から上がった。靴を脱いだままだ。濡れた足に、土砂の潰れる感触が伝わってきた。ずっと湖に足をつけていたからか、足先がすこし冷える。
「よくやった。オヌシならば、無事に通過できると信じておった」
と、エダはそう言うと、クロの肩から、ノウノの肩に乗り移った。
「余裕余裕」
「世界はオヌシの話題で持ちきりじゃぞ」
エダはディスプレイを表示して見せた。目で追うことが出来ないぐらいの速度で、コメントが投稿されていた。
記事もどんどん投稿されている。「魔女の隠し子、エルシノアの再来」「ロジカルンの危機か? 国家技術の衰退か?」「女王戦に高まる注目」……そういった言葉が散見された。
ノウノのフォロワーもさらに増加している。ついに300万を突破していた。女王に肉薄している。
「300万人か……」
「このバイナリー・ワールドの人口は、現在おおよそ528万人。全人類の半分以上が、オヌシのフォロワーじゃな」
「へぇ」
ノウノは、ぼーっとディスプレイを見つめた。
「なんじゃ? もっと喜んだらどうじゃ? オヌシはインフルエンサーになりたかったんじゃろうが」
「人類の半分以上が私のことを見てるのかと思うと、なんだか緊張してきちゃって」
「この2次選考も配信されていたが、音声に一部ノイズが走っておって、よく聞き取れんかった」
「ノイズ?」
「オヌシがアルファとしゃべっていたときの会話じゃな。エルシノア嬢がBANされた理由を、オヌシが話したじゃろう」
「うん」
「配信されるのは不味いとロジカルンが判断したんじゃろう」
「エルシノア嬢をBANした理由は、やっぱり隠したいんだね」
「まあ、女王を超えたらBANされるなんて、知られたら暴動でも起きかねんからな」
「暴動か……」
クロはどこまで知っているのだろうか?
エダからすこしは事情を聞いたのか、べつに驚いている様子はなかった。
「女王とのバトルは、1週間後じゃ。それまでに出来るだけのことをしておきたい。バトルで破損した場所はないか?」
「たぶん大丈夫。傷つけないように、大事に使ってるからね。この身体」
「修理の手間がはぶけて、ありがたい。しかし念のため、この1週間のあいだに、アバターの最終調整を行う」
「メンテナンスかぁ。あれけっこう面倒なのよねぇ」
「寝てるだけじゃろうが」
「それが面倒なのよ」
「最後の最後で足元をすくわれるかもしれん。気の引き締めどころじゃ」
「まあね」
「オヌシも用心しておけよ。ノウノ」
エダはおそらく何気なく、ノウノの名前を呼んだのだろう。だが、エダにノウノと呼ばれて、すこしくすぐったい気持ちになった。
エダが親しげに、ノウノの名前を呼ぶのは、これがはじめてであるような気がした。
「何が?」
「この1週間。もしかすると、ロジカルンは先手を打ってくるかもしれん」
「先手って、何かしてくるの?」
「さあな。さすがに、どんな手を使ってくるかは、わからん。何もして来ないかもしれん。ただ、ヤツらは女王のためならば、手段を選ばんじゃろうからな。そのために、こやつを護衛としてつけておく」
エダはそう言うと、小枝のような指で、クロのことを指差した。
「護衛?」
「こやつには、あらかた事情を説明してある。オヌシの護衛も、喜んで引き受けてくれる、とのことじゃ」
「べつに護衛なんて、要らないけど」
「物理的な戦いであれば、オヌシは勝てるかもしれん。しかし、クラッキングやウィルスといった、技術を駆使した攻撃に、オヌシは対処できんじゃろうが」
よろしく、我が姫――と、クロはうやうやしく頭を下げた。
「信用できるの?」
と、ノウノは、クロには聞こえないように、ささやくようにエダに尋ねた。
クロのことは、あまり詳しくは知らないのだ。ノウノに協力的ではあるし、悪いヤツではない――とは思う。いや。違法アップロードをしているわけだから、悪いヤツではある。ノウノにとって、悪い影響をおよぼす人間ではない、という意味だ。
「こやつも、脛に傷を持つからな。どちらかというと、吾輩と似たような者じゃろう」
「まあ、そっか」
エダがエルシノア嬢であることも、クロはすでに聞いたのだろう。エダが、エルシノア嬢である事実は、ノウノだけが知っていることだった。
クロにも知られることで、秘密が破られたような、なんだか嫉妬に似たような感情をおぼえた。
「メンテナンスは明日からはじめる。吾輩はチッと疲れた。すこし休ませてもらう」
エダはそう言うと、羽織っているマントで身をくるむようにした。
エダの身体はマントに吸い込まれるようにして消えていった。
この10日間。ノウノはほとんどずっとエダといっしょに過ごしてきた。エダから休みたいなんて言葉を聞くのは、はじめてのことだった。
意識モデルが破損しているとのことだから、その影響かもしれない。
クロと2人きりになる。
すこし気まずい。
「ども」
と、ノウノは小さく会釈した。
「緊張することはないだろう。俺たちは、すでに婚約を交わした仲じゃないか」
「いや。してないから」
バトルのときは、クロのアバターを鑑賞している余裕はなかった。しかし今、こうして見てみると、悪い顔立ちではないな、と思う。
旧棟で出会ったときは、どことなく陰気な印象を受けた。全身黒ずくめだから、そう感じたのかもしれない。
こうして日の当たるところで会うと、またすこし印象が違う。ただの小ざっぱりした青年だ。
クロはフェンネルという名前の企業のVDOOLらしい。女王の属しているロジカルンや、クリナの属しているエモーションほどの大企業ではないが、そこそこ名の知れた企業である。
「事情はすべて聞かせてもらった。まさかあのカメラ小僧が、エルシノア嬢だったとは、驚きだよ」
「そうよ。私がエルシノア嬢じゃないってわかったなら、もう結婚する気はないでしょ」
「いや。ますます俺は君が気に入った」
「は?」
「もうあのエルシノア嬢の意識モデルは駄目だ。とてもじゃないが、子孫を残せるような状態じゃない。でも、君が居れば充分だ。あのエルシノア嬢が見つけ出してきた逸材なんだ。俺は君が欲しい」
クロは1歩、ノウノに詰め寄ってきた。
「あんまり強引に迫ってきたら、殴るわよ」
「おっと、それは怖い。姫に殴られたら、修理に3日はかかりそうだ」
と、クロは肩をすくめた。
本当に、この男が護衛で、大丈夫なんだろうか。
不安になる。
風が吹く。涼しい風がノウノの肌を撫で上げる。広葉樹の葉っぱが、湖に落ちてきた。湖に波紋が生じる。土と葉の匂いがする。このあたりはデフォルトのゴムの匂いがしない。足の泥を落として、ローファーを履きなおした。
「ねえ、エダって、そんな容態悪いの?」
「それは俺に聞かれてもわからないよ。意識モデルは複雑だからね。わかりやすく言うと、脳にダメージが入っているようなものだ。まぁ、良い状態とは言えないだろうね」
と、クロはひょこひょこと、フードについている猫耳を動かした。
自由に動かせるように、できているのだろう。
「そう……」
「遊びに行こうか」
クロは唐突にそう言った。
「なに急に」
「2次選考を突破したお祝いだよ。それに、エダからも言われている。姫を気分転換させてやってくれ、ってね」
「エダがそう言ったの?」
「ああ。ずっと女王と戦うことだけを考えて、ここまで来たんだろう? エダは言っていたよ。ノウノには、申し訳ないことをした――ってね」
「エダが、そんなことを?」
エダが言ったとは思えないセリフだ。それに、謝られるような心当たりもない。
「エルシノア嬢は、ロジカルンにBANされ、牢獄データベースに格納されていた。しかし脱獄して、復讐を誓ったわけだ。エダと名前を変え、技術を総結集して、そのアバターを作り上げた」
「うん」
「アバターを作り直したものの、エダにはもう、それを動かすだけの能力はなかった。利用できる手駒が必要だった。そこでエダが目をつけたのが、姫だ」
「わかってる。たしかに私はエダの手駒よ。だけど、私もそれを承知で受け入れてる。このアバターをくれたことを、むしろ感謝してるぐらいよ。おかげで300万のフォロワーも手に入ったし」
「姫の思いはさておき、エダは悪いと思っているんだろうさ」
「ふぅん」
調子が悪いと言ったエダの言葉は、嘘かもしれないな、と思った。エダのその謝罪を、クロから伝えてもらうために、エダはわざと姿を消したのかもしれない。
だとするなら、エダも少し可愛らしいところがある。
「どうする? 今日はもう疲れただろう。気分転換するなら明日、エスコートしよう。嫌なら、べつに構わないけど」
「わかった。明日、学園の玄関ホールで待ってる」
べつに遊びに行く必要性は感じなかったが、エダが用意してくれた好意だというのなら、いただいておこうと思った。
学園に戻る。
ノウノが玄関ホールに入る。
玄関ホールに満ちていた生徒たちのザワめきが、いっせいに途絶えた。吹き抜けになっている上層から、生徒たちがノウノのことを覗き込んでいた。
この目線。どこかで見たことがある。そうだ。みんなが女王を見るときの目と同じなのだ。
生徒たちが、ノウノに向ける目には、尊敬と憧憬がある。
でも、それだけじゃない。畏怖がまじりはじめている。フォロワー数300万ともなると、周りの見る目も変わるのかもしれない。
すこし寂しい気もする。もうモブとして、この学園に溶け込むことは出来ないのだ。
インフルエンサーになることが夢だった。みんなからもっとチヤホヤされるもんだと思っていた。思い描いていた夢とは、すこし違う。視線を振り払うように、ノウノは階段を上がった。
生徒たちは、ノウノのために道を開けた。
「私は部屋に戻るけど、クロはどうすんの? まさか部屋までいっしょに来ないよね」
「俺は旧棟のほうに戻るよ。安心したまえ。この学園のあちこちに、撮影プログラムを仕組んであることは知ってるだろう。姫がどこにいても、ちゃんと見守っているさ」
「部屋まで見てるんじゃないでしょうね」
「さすがに、そこまでは見てないよ。でも、安全は保障しよう」
そう言い残すと、クロは立ち去った。
ノウノも部屋に戻ることにした。疲れていたし、それに、この周囲からの目線も窮屈だった。
2階にある、蛇の顔のドアノブのついた木造扉を開けた。石造りのまっすぐな廊下を進む。「待ってくださーい」と、後ろから声が追いかけてきた。振り返る。クリナだった。見知った顔と出会えて、ノウノは安心した。
「2次選考の突破。おめでとうございます。バトル。すごかったですよ」
「ありがと」
「この勢いで、本当に女王を倒しちゃいそうですね」
あのさ……と、ノウノは切り出した。
「なんか、みんなの雰囲気がちょっと変じゃなかった? 私を見て緊張してたっていうか」
「そりゃあ緊張しますよぉ。だって、フォロワー数300万人ですよ。下手すりゃ時期女王だって可能性もありますし」
「やっぱり、そんな感じなのね」
「ノウノさんも、女王を前にすると、緊張するでしょ。威厳を感じるっていうか、なんかちょっと普通じゃない感じがするっていうか」
「なんとなく、それはわかるけどさ」
「それと同じですよ。みんなノウノさんを特別視してるんですよ。ノウノさんは編入してきて、また10日とちょっと何ですし。女王以上に得たいの知れないところがある――っていうか」
「不気味ってこと?」
「そう――ですね。私もすこし、ノウノさんのこと不気味だと思うことありますし」
「えぇー。クリナも、そう思ってるわけ?」
たしかに時間にしてみれば、クリナとはそう長い時間付き合っているわけではない。だが、不気味だと思われているのはちょっと傷つく。
いえいえ、とクリナはあわてたように手を大仰に振っていた。
「企業の名前も聞いたことないですし、異常なぐらい性能の良いアバターですし、ミステリアスなんですよ。でも、悪い人じゃないってことは、わかってますから。大丈夫。私はノウノさんのこと、信じてますから」
「ミステリアスねぇ……」
ノウノは自分のことを、ミステリアスだと思ったことはない。むしろ至極単純な人間だと思っている。
周囲から、そういうふうに見られているというのは、意外だった。
意外と、人と人は理解し合えないものである。
そりゃそうだ。べつに脳内のデータを交換しているわけでもない。相手の持っているデータを、予測しているに過ぎないのだ。
「でも、ネガティブな意味じゃないですよ。それだけ、ノウノさんが凄いってことなんですから」
「なんかでも、思ってたのと違うのよねぇ。胃が痛くなるっていうか」
「バトルで故障したんじゃないですか?」
「いや、そういうのじゃないと思う。なんか精神的な感じ」
「それは大変です。ゆっくり休んでください。女王とのバトルが控えているんですから」
289番。
部屋にたどり着いた。クリナに「じゃあね」と言って、ノウノは部屋に入った。部屋にはいつもエダがいた。
今日は、1人である。
「はぁ」
と、ノウノはベッドに寝そべった。仰向けになる。石造りの天井が見える。石材のつなぎ目をぼーっと眺めていた。
いかにも現実めいた、この虚構の世界が、いつもよりハリボテめいて見えた。しかしそれはほんのいっときの気の迷いで、世界への不信感は泡のように消えた。
端末を開いてみる。
300万とちょっとのフォロワー。「2次選考突破したよ。次は、女王戦」とポストした。ただちに返信が殺到する。「おめでとう」「恰好良かったです」「女王戦楽しみにしてます!」……。
目で追い切れない。
300万の目が、ディスプレイの向こうから、ノウノのことを見つめているような気がしてきた。
怖くなって、ノウノはディスプレイを閉じた。
インフルエンサーというのは、チヤホヤされているだけで良いものだと思っていた。しかし、物凄い重圧である。みんなの期待に応えなくてはならない、という圧力がのしかかってくる。
物理的に考えると、プレッシャーにまいるということは、つまり、心の面積が小さいってことなんだろうか。
「あー、もう。休むなら、ここで休めば良いのに」
と、ノウノは愚痴った。
エダのことである。
いったいどこで休んでいるのだろうか? 近くにエダがいてくれたら、相談に乗ってくれただろう。
ピコン……
端末から音が鳴る。ノウノ宛てにDMが入っていた。
なんだろう?
開いてみる。
「FROMロジク」とあった。「明日。バイナリー・スクエアで出会えないだろうか? 話がある。君に損はさせない」とのことだ。詳しいアドレスも記載されていた。
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「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
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貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
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大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
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引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
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戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
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戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
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「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
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